カーマインアームズ   作:放出系能力者

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87話

 

 

 

『他プレイヤーがあなたに対して交信(コンタクト)の魔法を使用しました』

 

 

 

 

 

 ……ナイン! 聞こえるか、ナイン!?

 

 ……

 

 ……

 

 だめだ。返事がない。そもそも、これカードの効果がちゃんと発動してるのか? GIの中でならバインダーを通して会話ができたけど、現実世界で使っても……

 

 まだわからないよ。もしかしたらオレたちの声が聞こえてるかもしれない。

 

 いや、『同行(アカンパニー)』も使えなかったし、やっぱり呪文カードはゲームの中でしか使えないんじゃないか。

 

 もしくは、ナインが既に死んでて効果が発動しないのかもね。

 

 ……滅多なこと言うんじゃねぇよ。あいつがそう簡単に死ぬはずないだろ。

 

 あんたもニュース見たでしょ。災厄の大侵攻と、ナインそっくりの誰かさんがした馬鹿みたいな演説。つまりは、そういうことでしょ。

 

 だから、何が言いたいんだよ、テメェ!

 

 みんな落ち着いてよ! 交信(コンタクト)の効果時間が切れるまで、話しかけてみようよ。キルアの言う通り、ナインはきっと生きてるよ。でも、オレたちの声が届くのは今しかないかもしれないんだ。

 

 ……

 

 ……

 

 じゃあ、あたしから言わせてもらおうかしら。文句の一つや二つ、ぶつけてやらなきゃ気が済まないわ。あんたのせいで丸損よ。あたしらがどんだけ苦労してゲームクリアしたと思ってるのよ。クリア報酬がパァよ、パァ!

 

 今それは言わなくていいだろ……そんなこと誰も気にしてねぇって。

 

 あんたらと一緒にしないでくれる!? こっちは『ブループラネット』が欲しくてゲームやってたのよ! せっかく手に入れてゲームの外に持ち出せたってのに、あたしのプラネちゃんが『交信』なんてゴミカードに……!

 

 それはお前も折り込み済みの話だっただろ。

 

 お黙り! よく聞きなさいよ、ナイン。あたしたちが選んだゲームのクリア報酬は『ブループラネット』『一坪の海岸線』『聖騎士の首飾り』の3枚。このうち2枚は『擬態(トランスフォーム)』でコピーしたカードよ。『ブループラネット』は『交信』、『一坪の海岸線』は『同行』のカードを変身させたもの。『聖騎士の首飾り』を使えば変身が解除されて元のカードに戻る。『交信』も『同行』も、全部あんたの安否を確かめるために使っちゃったのよ!

 

 気にしなくていいぞ、ドケチババァがほざいてるだけぶぐぁっ!?

 

 あたしの愛しのプラネちゃん……もちろんお金に換えられるものじゃないけど、オークションに出せば30億は下らないでしょうね。まったく、ストーンハンターの名が泣くわ。もう手に入らない宝石かもしれないのに……!

 

 でも、ビスケはそれを使ってくれたでしょ。すごく貴重な宝石を、ただナインと話をするためだけのカードに替えてくれた。

 

 それは、あんたたちがどうしてもって頼むからしかたなく……!

 

 ハンターにとって獲物を狩ることは人生を賭けるほどの意味がある。きっとビスケにとって、その宝石はかけがえのない獲物だったと思う。でも、それにも代えられない大切な何かがあったんじゃないかな。

 

 ……

 

 ……うっさいわね! みんなあんたのせいよ、ナイン! クリア報酬全部、あんたのために使ったの! その結果がこれ!? ふざけんじゃないわよ! 何も言わずに勝手にどっか行くし! あんたにとってあたしたちはその程度の奴らだったってこと!? 絶対許さないんだから! だから……!

 

 ……さっさと戻って来い、馬鹿弟子!

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 ……もう、時間切れか?

 

 いや、たぶんまだ。ゲーム内なら確か3分くらい効果時間があったはずだよ。あとちょっとだけなら話せると思うから、キルアも声をかけてあげて。

 

 いや、オレは……ゴンに任せる。

 

 キルアじゃなきゃダメだ。オレは、その方が良いと思う。

 

 ……そんなこと言われたって、何て言えばいいかわかんねぇよ。

 

 ……

 

 ……あー、その、ナイン……?

 

 そう言えばお前って色々名前があるから気になってたんだけど結局、本当の名前は何だったんだ? ナインって名前もGIのプレイヤー名として適当に付けた感じだったし。

 

 ハンター試験のとき約束したよな。もう一回勝負して、俺が勝ったら本当の名前教えるってさ。なんかうやむやにされたけど、まだ決着ついてないじゃん。

 

 それにお前、シックスって名前でアイチューバーなんかやってたんだってな。しかも、そこそこ有名だったらしいし。まあ今はネット中、その話題で騒然だよ。お前が放置している投稿動画、再生回数がヤバいことになってんぞ。

 

 テレビも全部、報道特番で持ちきりだ。お前のこと人類史上最大の凶悪犯罪者だってどこも叩いてるよ。

 

 でも、違うんだろ。あのモナドって奴は、お前じゃない。それがお前の名前じゃないってことはオレにもわかる。

 

 そう思ってる奴はオレだけじゃない。ゴンもビスケも。

 

 アイチューバーだった頃のお前のファンたちも掲示板に書き込んでた。シックスはこんなことする奴じゃないって。

 

 お前のことだから『どうせ自分は』とか考えてるかもしれないけどな。たぶん、お前が思ってるより何十倍も、何百倍も、何千倍も。

 

 

 

 お前の帰りを待ってる奴らがいるんだぜ。

 

 

 

 * * *

 

 

 シックスは、ナインは、チョコは死んだ。

 

 私は死んだ。

 

 それは幸せなことだと思った。命一つではとても贖いきれない罪を犯しながら、その最期を看取ってくれた人がいた。人の腕の中で抱き止められながら息絶えた。それはこの身には過ぎた幸福だった。もうそれ以上に、望むものはないと思えた。

 

 魂は大きな渦に飲み込まれた。擦り削られていく自我は問われる。あなたは誰と、尋ねる声。その声が沁み込むたびに私は薄れた。そして、誰何の声はなくなっていった。つまり、答えるまでもない自明の理になりつつある。

 

 あなたは私。全ては一つの私となる。

 

 そうなるはずだった私のもとに、声が届く。誰かに呼び止められた気がした。何もかも掻き消してしまうノイズの中で、かすかに聞こえたその声に耳を傾けた。

 

 ほとんど聞き取れなかったが、きっとその声がなければ私の精神は途切れていただろう。気がつけば、私はノイズの中で抗っていた。ここにいてはいけない気がした。

 

 そして、私は渦から引き上げられる。もがき苦しむ私の手を誰かが掴み、引き上げてくれた。

 

 

 * * *

 

 

 水面に顔を出す。そこは黒く濁ったオイルの海だった。周囲には誰もいない。目の前には巨大な壁がある。壁を見上げた私は、それが船であることに気づいた。

 

 タンカーのように巨大な船だ。断崖絶壁に等しい船体を登ることは困難を極めた。何度も滑り、海に転落する。

 

「おお~い! だいじょうぶか~!?」

 

 しばらくすると船上から声がかけられた。ロープでつながれた救命浮き輪が投げ込まれる。浮き輪につかまった私は船上へと引っ張り上げられた。

 

 私を助けてくれたその人物は、私と全く同じ容姿をした銀髪の少女だった。

 

「驚いたのぉ。この場所でわし以外の人間を見たのは初めてじゃ。わしの名はアイザック=ネテロ。階級は雑務兵じゃ」

 

 その名前には聞き覚えがあった。ハンター協会の会長ではなかったか。

 

「前世ではそうだったようじゃな。まあ、あまり昔のことは覚えとらんぞい」

 

 災厄の結晶に取り込まれて息絶えた彼は、私と同じように深い渦の中をさまよった。必死に渦から逃れようと泳ぎ続けているうちに、いつの間にかこの船に辿り着いていたらしい。

 

「これでようやくこの辛気臭い場所からおさらばできると思ったんじゃが、どうもこの船は動かせる状態ではないようじゃ。しょうがないから、わしはここで毎日修行に明け暮れておる。かれこれ千年くらいは経つかのう」

 

 嘘つけ。

 

「ごめん……ちょっとサバ読んだ。ここには明確な時間の概念がないのじゃ。一日の感覚もあくまで体感に過ぎん。千年は言い過ぎたが、そのくらい長いこと留まり続けている気はするの」

 

 私はこの風景に見覚えがある。何度も夢の中で見た船だ。広大な海の上に、動くこともできず浮かび続ける巨大な船。これは念人形の少女の中にある心象風景のようなものなのかもしれない。

 

「長らく話し相手もおらんかったから仲間ができて嬉しいのじゃ! 新入りよ、大先輩であるわしに聞きたいことがあれば何でも聞くがよい」

 

 本当にこの船は動かせないのだろうか。私たちはずっとこのままここに留まり続けるしかないのか。当然、ネテロもこの船を調べ尽くしているだろうが、改めて調べれば何か手掛かりが見つかるかもしれない。何もせずにじっとしていることはできなかった。

 

「そうじゃな。自分の目で確認することも大事じゃな。好きなだけ見て回るがよい。時間は腐るほどあるからの。わしはここで日課の『感謝の正拳十万突き』をやっておる。気が向いたらおぬしも参加するがよい」

 

 そう言うとネテロは超高速の奇天烈な行動を取り始めた。あまりの速さに何をやっているのかよくわからない。お辞儀……いや、ヘッドバッドと正拳突きを交互に繰り返しているのか。

 

 とりあえず、それは放置して船の中を見て回った。船員らしき者は誰もおらず、ブリッジも空っぽだった。以前に見た夢と同じ、廃墟同然の寂れた光景が広がっている。非常灯しかない薄暗い船内は広く、一部屋ずつ確認していくだけでかなりの手間がかかるだろう。

 

 だが、私の足は不思議と行き先を知っているかのように歩いていた。自ずと生じる歩みに逆らわず無心で進んで行くと、通路の奥に行き止まりの扉が現れた。扉は施錠されていて開かない。

 

 私は右手に握り込んでいたものを見る。オイルの海を漂っていた時からずっと、手の中にそれはあった。大渦の中から引きあげてくれた誰かが、私の手に握らせてくれたものだった。

 

 それは小さな鍵だった。なぜか手放してはいけない気がして、ずっと握りしめていた。施錠された扉は、その鍵で開くことができた。扉の奥には下へと続く階段があった。

 

 解錠した後の小さな鍵は持って行くことにする。ひとまず、私はネテロに知らせるため船の甲板に戻った。

 

「マジでぇ!? 修行などしている場合ではないわ! さっそく行ってみるぞい!」

 

 二人で階段を降りていく。船の構造的に考えて、あり得ない深さまで階段は続いていた。最下層まで降りると、ひらけた場所が広がっていた。

 

「これは、駅かの?」

 

 地下鉄の駅のような場所だった。やはり人の気配はない。壊れた機材の残骸が散らばり、蛍光灯が点滅している。

 

 時刻表は引き裂かれて読める状態ではなかったが、路線図は辛うじて残っていた。ここから三駅を経由して終点に着くようだ。

 

 切符の販売機が並んでいた。どれもまともに動いていない。私が適当にボタンを押すと、切符を一枚吐き出して後はうんともすんとも言わなくなった。

 

 一枚だけしかない切符を手にして改札へ向かう。その足取りは次第に重くなっていた。改札口の前で、私たちは立ち止まる。

 

「どうやらここから先は一人しか通れんようじゃ。まあ、薄々は気づいておった。おぬしは王じゃ。これは王のために開かれた道。わしの役目は、おぬしをここへ導くことだったようじゃな」

 

 プラットホームに光線が差す。一車両の電車が到着した。車内に人影はない。

 

 この光景は、私の中で都合よく解釈された夢に過ぎない。実際にはもっと生々しい命の営みが行われている。電車は卵。線路は産道。この鉄の箱に乗り込むことができる命は、ただ一つ。

 

 一人だけしか、生まれることは許されない。

 

 これは夢だ。あまりにもおぞましい現実を覆い隠し、きれいに取り繕っただけの幻だった。

 

 気づけば、私は改札のゲートを越えた先にいた。ネテロは構内に残されている。

 

「なんちゅう顔をしとるんじゃ! わしのことなら心配はいらん。後ですぐに追いつく。おぬしにはこの先へ進む定めがあるはずじゃ。達者でな」

 

 それだけ言い残してネテロは去って行った。電車の発進を知らせるベルが鳴る。早く乗らなければ電車が行ってしまう。私はその場から動けなかった。

 

 ネテロはあの船で、これからも変な修行をし続ける気なのか。体感で千年くらいは足止めされていると冗談交じりに話していた。その間、一人であの船にいた。私が流れ着くまで、ずっと一人だったのだ。

 

 私は、駅の構内に戻っていた。ネテロの後を追って走っていた。頭の中に何も考えはなかった。無我夢中で、船につながる階段まで引き返す。

 

「あ……」

 

 登り口のすぐ陰にネテロは膝を抱えて座り込んでいた。呆然とこちらを見上げるネテロの手を引いて、電車が停まる駅のホームへと走る。

 

「なんでっ、もどってきたのじゃ……! わしは、そのさきには……!」

 

 切符が一枚しかない。それが何だ。こんな改札一つ、無視して飛び越えればいい。この先には一人しか進めないなんて誰が決めた。

 

 私が連れて行く。その程度のこともできずに、何が王だ。

 

 決して放さないように手を握り締めて走った。二人で電車の中に滑りこむと同時にドアが閉まり、車両は発進する。

 

「の、乗れた……無理だと思ったけど、行けた……やったのじゃ! ありがとうなのじゃー!」

 

 私の選択が正しかったのか、それはわからない。だが、たとえ間違っていたとしても後悔はない。大喜びするネテロを見てそう思った。

 

 ゆっくりと進み始めた電車は速度に乗り、長いトンネルの中を走っていく。運転席はあるが、やはりそこに人の姿はない。私たち二人だけを乗せて電車は独りでに走る。

 

 やがてトンネルを抜けた先には、白い空が広がっていた。水墨画のように濃淡で表現された白黒の世界。窓の外に広がる光景を、ネテロは座席の上に膝立ちになって眺めていた。

 

 滲んだ黒い森の中、線路と電車だけが確固たる線で造形を描かれている。水面の上をたゆたうように、電車は次の駅を目指して進んでいた。

 

 

 * * *

 

 

 森の奥、ひっそりと佇む駅舎に三人の人影がある。その駅のベンチに、チェルたちは座っていた。隣にはトクが座り、そしてチェルの膝に頭を預けて眠るジャスミンの姿があった。

 

 三人の容姿はバラバラだった。生前のままの姿を保っているのはトクとジャスミンの二人だけ。チェルの外見は銀髪の少女に変わっていた。しかしこの世界では、その姿こそが真実だ。チェル以外の二人の姿が異質であると言える。

 

 トクとジャスミンは辿り着けなかった。憎しみの心に囚われてしまった彼らでは、生まれ変わる先の自分の生を認めることができなかった。彼らの精神は渦の中で敵と同化していく自己を否定したまま消えていこうとしている。

 

 ジャスミンの体は透き通るように薄れていた。間もなく彼女は自我の残滓も残らず渦に取り込まれ、一つの存在に束ねられてしまうだろう。自己を微塵にすり潰された挙句、終わりのない悪意に練り込まれる境遇は、死よりも恐ろしいことかもしれない。

 

 引き留めたところでどうにもならない。彼女たちにはもう生きる意思がなかった。精神が壊されていた。

 

 だが、ジャスミンの表情は安らかだった。憎悪に狂い、もがき苦しんでいた彼女の魂は、災禍の中で一時の安息を得た。チェルの膝の上で優しく寝付かせられながら、彼女は消えていった。

 

「はあ……みんな消えちまうんだな。お前も、もうそろそろか?」

 

「そうですね。まだこうしていたい気持ちは山々なんですが」

 

「ちっとは根性みせろ。もうクアンタムもあたし以外全滅じゃねーか」

 

 トクとチェルの二人は視線を合わせることもなく、肩を並べて座っていた。おそらく、これが最後の別れだと二人ともわかっていた。

 

「チェルさんは特別ですからね」

 

 常人の精神ではアルメイザマシンに呑み込まれたが最後、渦の底に沈み込んで二度と浮上することはない。それに比べれば遥かに精神力の強い念能力者であっても、至る結末は変わらない。多少は抵抗できると言った程度の違いしかない。

 

 トクやジャスミンが消えてしまうことは至極真っ当な結末と言えた。チェルは悪意に飲み込まれず、それを受け入れた上で己の生を諦めなかった。アルメイザマシンに適応するために必要な精神の構造的素質を持っていた。

 

「生きてください。どうか僕やジャスミンたちの分まで。あなたにはそれができる強さがある」

 

 トクはチェルに形見を手渡す。それは彼の左目だった。モナドに抜き取られはしたが、もとよりあの目玉も後からはめ込んだ義眼に過ぎない。災厄の根源と情報はまだ残っていた。

 

 再発させたワームに死後強まる念で紡ぎあげた術式を刻みこみ、さらにジャスミンの融合するオーラを合わせ、強化とつなぎの役割を持たせた。トクの技術の粋を集め、以前よりも災厄の力を安全に制御できるよう調整している。

 

「すげー、こんなイカしたプレゼントは初めてだ」

 

「すみませんね、もっと女子受けするようなやつが良かったですか?」

 

「いや、ありがたく受け取っとく」

 

 トクの体が薄れていく。ジャスミンと同じ運命をたどろうとしていた。

 

「じゃあ、また」

 

「ああ、またな」

 

 まるで気さくにその日の別れを告げる友人同士のように、二人は笑い合った。ベンチの片側に座っていた人影がなくなる。チェルは一つ、ため息をついた。

 

「……残ったのは、あたし一人か。何が特別だよ、まったく」

 

 クアンタムの特別小隊の一員に選ばれた彼女は、サヘルタの特殊部隊の中でも抜きん出た精鋭であった。アンダーム指令の推薦により隊長はグラッグが務めたが、彼亡き後、暗黒海域の帰路を行く調査団を本国まで送り届けた功績はチェル無くしてあり得なかった。

 

 後を託された者として、彼女は我武者羅に努力した。その果てに今の自分がある。

 

「強くなんかねーんだって」

 

 作り笑いが崩れる。肩が震える。形見を握り込む手の甲に、涙の雫が落ちた。

 

「みんながいたから……頑張れたんだ……」

 

 子供たちがいたから災厄にも取り込まれずに済んだ。親を失い、実験動物のような扱いを受ける子供たちに対して、必ず希望はあると教えようとした。そうすることが彼女自身の心の支えとなった。

 

 そして何よりも、チェルの隣にはいつもトクがいた。ちょっと斜に構えて冷静さを気取るところがある男だったが、熱くなりがちなチェルは何度も彼の助言に救われた。多くの仲間を失った彼女が最後まで苦楽を共にしてきた、たった一人の相棒だった。

 

 だが、もういない。誰もいなくなった。

 

 どれほど泣き続けただろう。チェルの体は徐々に薄れつつあった。近づいてくる電車の音にも気を留めることはなく、ただ喪失感にくれて座り続けていた。

 

 塞ぎこんだチェルの前に誰かの気配が現れる。彼女は顔を上げて確かめる気力も湧かなかった。

 

「どうしたらいい……? あたしは、どうしたらいいんだ?」

 

 知りもしない誰かに問いかける。だが、チェルはその質問がどれだけ無意味なものか、既にわかっていた。どんな答えが返ってこようと、自分の胸に響くことはないと思った。

 

 どんなに素晴らしい道を提示されようと、その先へ歩いて行くのは自分自身だ。自分にしか答えを見つけることはできない。その選択を他人に委ねようとした時点で、彼女はもう歩く気力を失っているも同然だった。

 

 ただ生きるという、それだけの道を彼女は歩めずにいた。座り込んでしまった。そんなチェルに目の前の誰かは一言だけ答えを告げる。

 

 一緒に行こう、と。

 

 手を取って立ち上がらせる。初めてチェルはその少女と目を合わせた。とても温かく大きな存在が、手と手を通してチェルへ流れ込む。滲み、ぼやけた彼女の輪郭を元に戻した。

 

 まだチェルには生きたいと願う意思が残されていた。だから、ここにいる。今はただ道の途中で立ち止まっているだけだ。

 

 もう一度その一歩を踏み出す勇気が。

 待ち受ける困難に立ち向かう不屈が。

 この暗闇の先に夢を思い描く希望が。

 

 少女の一言によって少しだけ満たされた。力強くつながれた手を引かれ、チェルは再び歩き始める。その足取りに、もう迷いは見られなかった。

 

 

 * * *

 

 

 三人を乗せた電車は発進した。森を抜け、空と大地の区別もつかない白い世界を走っていく。やがてその殺風景な空間に鮮烈な赤色が見え始めた。暗赤色の金属で作られた建造物が窓の外を過ぎ去っていく。

 

 巨大な赤い都市が線路の行く手に待ち受けていた。駅と呼ぶには広大過ぎる集積地を無数の電車が行き交っている。少女たちを乗せた電車を除いて全てが無人の箱だった。

 

 ドックのように仕切られた小さな区画に入って車両は停まった。客が乗り降りするスペースはない。これまでの停車とは明らかに違い、完全に動力が停止した状態となっていた。まだここが終着駅ではないはずだが動き出す気配は見られなかった。

 

 停まったと言うより、停められている。それは悪意を持った何者かの関与を示唆していた。

 

 


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