カーマインアームズ   作:放出系能力者

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9話

 

 森の中に身をひそめる化物たちは、完全に気配を絶っていた。四大行で言うところの『絶』の状態である。野生の獣は自然の中を生き抜く過程で、誰に教わることなくこの『絶』による気配の消し方を習得するという。人間が定義するまでもなく彼らにとっては当たり前の技術なのかもしれない。

 

 まだ、攻撃はされていないが、依然として包囲された状態が続いている。『共』で見破らなければ潜んでいることにさえ気づけなかっただろう。むしろ、この静寂の中で行われる狩りこそが奴らの本領と思われる。

 

 このままでは、今の状態ではなすすべもない。意を決し、持ち物袋を開いた。中に入っている物を探る。

 

 手は情けなく震えていた。袋を開ける、ただそれだけの行為もままならないほどの震え。どれだけ平静を装おうと隠せなかった。奴らがその気になれば、あっけなく私は死んでいる。

 

 念能力のパフォーマンスは、本人の心理状態が如実に反映される。強気ならばそれにふさわしい力強いオーラとなり、そして当然、弱気になれば衰える。劣勢に立たされた者ほどこの差は大きく現れる。戦況に左右されず、一喜一憂することなく精神の安定性を保つことが重要だ。

 

 今の私にこの逆境を乗り越える気概は残されていなかった。萎縮した精神状態ではろくに能力を発揮することもできない。だから、最初に取り掛かったことは心身の回復だ。

 

 袋から取り出した『魂魄石』を本体に舐めさせる。体表からほとばしるオーラの奔流は、通常時の数倍ほどに膨れ上がった。内からこみあげて来る力強い命のエネルギーを受け、それに押される形で精神も鼓舞された。なんとか持ち直す。

 

 すぐに急増したオーラをクインの修復に回した。一刻も早くクインの負傷を直す必要がある。それが最優先だ。治療しながら次に取るべき行動について考える。

 

 現状、敵は動いていない。こちらの様子をうかがっているものと思われる。私にとって奴らは脅威だが、向こうにしても私は警戒に値する存在なのだろう。現に同胞が殺されている。未知の能力を使う相手に対して、うかつに手を出せずにいる。

 

 だが、奴らが攻勢に踏み切った途端この拮抗状態は容易に崩壊する。あの音響攻撃に対してこちらは抵抗する手段がない。したがって、奴らと交戦するという選択肢はなかった。

 

 逃げるしかない。だが、そんな隙を見せれば間違いなく攻撃される。元からそのつもりがなければ包囲なんてしてこないだろう。

 

 何とかして逃げる機会を作り出さなければならない。逃げ切れるかどうかの以前に、まずはそこだ。どうやって敵の目を欺くか。私は周囲を見回す。

 

 そこで一つの異変に気づいた。私が先ほど仕留めた化物がいた場所に、大きなサボテンのポールができている。『侵食械弾』を食らって倒れた枯れ木人間を軸とするように、赤い多肉植物が成長しているのだ。

 

 こんな変化は今まで見たことがなかった。『侵食械弾』に撃たれた対象は毒に侵され死亡する。ウイルスが増殖する前に毒で死んでしまうのだ。だが、以前から疑問に思う点があった。もし、私の毒に耐性を持つ敵がこの攻撃を受けたならどうなるのか。

 

 目の前で起きている現象は、まさにその答えである。赤いサボテンに寄生され、飲み込まれるように取り込まれている奴の姿こそウイルスの劇症化の現れであった。すなわち、それはまだあの中で化物が生命エネルギーを発し続けており、生存していることを示している。

 

 あれだけの弾丸、猛毒の攻撃を受けてまだ生きているのだ。劇症化させたことよりも、敵の強靭な生命力を目の当たりにして衝撃を受ける。

 

 変化はそれだけで終わらなかった。養分を吸い取り大きく成長したサボテンは、つぼみのような器官を形成した。花が開いていく。一つの原石から削り出された芸術品のように、煌びやかな宝石の花が咲き乱れる。

 

 そして満開となった花の中心から何かが飛び出した。それは小さな弾丸だった。ウイルスのシストだ。劇症化段階に入った感染者は射出口からシスト弾を撒き散らす。私の持つウイルスの場合、その射出口の見た目が花になっているようだ。

 

 花を咲かせたサボテンが四方八方に弾丸を撃ち始めた。完全に地面に根を張っているので、固定砲台としての役割しか果たさない。大量に弾を放出できるのはいいが、見境がなかった。私の方にまで飛んでくる始末だ。

 

 しかし、枯れ木人間たちにとって、その攻撃は心理的な動揺を与えるきっかけになった。仲間が得体のしれない姿に変えられ、よくわからない無差別攻撃を始めた。それは奴らにとっても看過できることではないはずだ。

 

 その動揺を表すように、隠れていた敵が発砲と同時に一斉にその場から退避した。

 

 今だ。

 

 逃げに移行する絶好の機会。私はクインを走らせた。

 

 

 * * *

 

 

 奴らは私の力を見ている。こちらには敵を倒しうる戦力がある。その力を見せつけ、少なからず脅威であることを知らしめることはできた。だからこそ、敵は多勢にも関わらず慎重に隠れてこちらの様子をうかがっていたのだ。

 

 このまま逃げに入れば、もしかすると追ってくることはないのでは? そんな淡い期待はすぐに立ち消えた。

 

 後ろから猛スピードで追跡してくる気配を感じる。『魂魄石』でドーピングしていなければ逃げ切れないほどの速度だ。身体のリミッターを超えた強化率で脚力を引き上げ、ようやく互角と言ったところか。

 

 一歩踏み出すごとに筋繊維が断裂する感覚が走った。それをオーラ修復で強引に治しながら走る。石の効果で回復力も増強されているからできる荒技だ。

 

 速度はほぼ互角。しかし、対等の条件下で互いに走っているわけではない。追う者と追われる者という関係は、それだけで後者にとって不利に働く。

 

 密林の中という見通しも足場も悪い環境を全力で走ることは難しい。前を走る者は通れる道を探して未踏の場所を切り開いていかなければならないが、後ろから追う者はその後をついていくだけでいい。

 

 背後から迫る圧倒的なプレッシャーに責め立てられる。一対多という数の暴力がそれに拍車をかけた。『思考演算』を駆使して視覚情報を取捨選択し、できるだけロスのない道順を走っていく。

 

 だが、それでも足りなかった。奴らを引き離すには速度が足りない。ついに背後から耳障りな絶叫が響いてくる。

 

 Aaaaaaaaa――――!

 

 ビリビリと空気が震える。それは音速の攻撃だ。かわすことなどできはしない。クインの体内が揺さぶられる。

 

 私は全神経を集中させて敵の攻撃を見極めた。クインを走らせるための分割意識を最小限まで削り、体内の異常を察知するために集合体のネットワークを細分化させた。

 

 これまで何度も攻撃を受けた過程で、その兆候はつかめている。狙われた場所へと微細な振動が収斂していき、爆発。そのわずかな震えを見逃さなければどこを狙われているのか事前に察知できる。

 

 一点に振動が集まる。その場所は……クインの心臓。次の瞬間、命の鼓動は炸裂して停止する。

 

「……ッ!」

 

 私が何の対策も講じていなければ、今頃クインは死んで本体もそう時間を置かず同じ運命をたどっていたことだろう。

 

 心臓を破壊される前に、攻撃を防ぐことができた。やったことはそれほど難しいことではない。敵の攻撃がくる瞬間、『流』によって心臓の強化率を“下げた”のだ。

 

 奴らの声はオーラで強度を増した人体を容易く破壊する。しかし、それは大音響で作り出した音のエネルギーをそのままぶつけているわけではない。大声で鼓膜を破るとか、そういう力の使い方ではないのだ。

 

 私はこれを『共鳴』による攻撃ではないかと予想した。特定の周波数を持った音が、他の物質に働きかけて振動を増幅させる現象がある。物には最も震えやすい振動の値がある。これを利用すれば念能力を使わなくても、声だけでグラスを割る程度のことは可能であり、物理的に説明できる。

 

 だからと言って、ガラスのコップのような単一素材でもない人間の臓器をまるまる一つ共鳴させて破壊するなんてことはありえないが。それを可能とするのが暗黒大陸という常軌を逸した環境だ。

 

 とにかく敵はこちらの臓器の『最も破壊しやすい周波数』を狙って声を出している。であれば、その音の調律が合わさる寸前に狙われたポイントの強度を変えてやればいい。強度が変われば、それによって共鳴に必要な周波数の値も変わってくる。

 

 この対処法が成功する確証はなかったが、ぶっつけ本番で効果を検証できた。この音響攻撃の前では、オーラでいくら身体の耐久力を増しても意味はない。まさしく防御無視の貫通攻撃。逆に言えば全くオーラで強化していなかったとしても起きる結果は同じである。

 

 肝心なのは強化率の変動だ。そして、ただやみくもに流を行えばいいというわけではない。もとより一筋縄ではいかない相手だと思っていたが、さっきの一撃を防いだことで理解できた。奴らの真骨頂は絶叫そのものではなく、そのチューニング技術の高さだ。

 

 漫然とオーラを体内で掻き回している程度の流では共鳴を防ぎきれない。その変化に奴らが対応して周波数をチューニングしてくるからだ。正確に敵の狙いを読み、共鳴破壊が起きる直前で強度を変えなければならない。

 

  Aaaaaa

Aaaaaa

    Aaaaaaaaaaaa

 

 クインの後方、前方、横、あらゆる方向から声が響いてくる。おそらく、声を反響させて多方向から仲間が集まっているように錯覚させる狙いなのだろう。実際は後方から迫る一団しかいない。

 

 もともとオーラで身体能力を強化する術を知らない枯れ木人間たちは、何のデメリットもなく『絶』が使える。気配を完全に絶ちながら反響する声で獲物を追い詰める無慈悲な狩猟。

 

 共鳴破壊のプロフェッショナルにして、脚の速さは凄まじく、毒をものともしない生命力まで兼ね備えているときている。こちらは『共』で敵の所在を探っているが、普通なら広範囲の円でも使えない限り発見は困難だろう。そして仮に発見できたとしても、そこから対処できるかどうかは別の問題だ。

 

 私が何とか死なずに逃げ続けていられるのは、敵の攻撃に射程範囲があるという理由が大きい。音のエネルギーは発生源から離れれば離れるほど減衰する。共鳴を起こすためにはそれなりに対象へと接近する必要があるようだ。

 

 しかし、逆を言えば接近すればするほど、敵の攻撃は正確性と威力が増すことを意味している。今の距離でさえ破壊が可能な状態なのだ。これ以上近づかれては、流が間に合う自信はない。

 

 突出してきた敵に対して『侵食械弾』を撃って牽制する。もはや、当たればいいなというささやかな希望さえ持ち合わせてはいなかった。全力で警戒している敵に当たるわけがない。だが、警戒されているからこそ牽制となりえる。

 

 この弾の発射は、なるべくならしたくなかった。これは卵であり、私にとって頭脳の一つでもある。発射するごとに意識集合体は縮小し、処理できるタスクの数も減っていく。ただでさえ卵の残存数は半分を下回り、処理能力の限界ギリギリで分割意識を酷使しているのだ。たった数百しかない弾数である。一発も無駄にはできなかった。

 

 それだけの身を削る牽制によって敵から稼げた時間は0.1秒か、0.01秒か。その瞬きするほどしかない隙を作り出さなければ逃げ切れない。

 

 距離を保たなければ一気に相手の攻勢へと持ちこまれる。細心の注意を払い、敵を近づけさせないようにしたつもりだ。だが、じわじわと前線は詰められていく。

 

 ついに恐れていた事態が起きた。共鳴の波状攻撃がくる。複数の敵から攻撃が届くようになった。流によるオーラ移動を二つ以上、タイミングを見極めて同時にこなさなければならない。例えるなら右手と左手で全く別々の作業を行うような難しさ。

 

 その程度はまだ序の口だった。三つ以上、四つ以上のオーラ移動をときにこなす。さらに二つ以上の攻撃が同じ目標に向けて放たれることもあった。例えば二匹の枯れ木人間が、クインの心臓に向けていっぺんに共鳴破壊を仕掛けて来るのだ。

 

 その場合の流のタイミングは、さらにシビアとなった。逃げた先の周波数に合わせられやすくなるからだ。先の先を読みつつ、他の共鳴にも気を抜かず、体中ありとあらゆる箇所のオーラを絶えず移動し続けなければならない。

 

 そのせいで、脚力の強化を落とさざるを得なくなった。脚を壊されるのが一番まずい。強化率の変動値に幅をもたせるため、あえて強化率を低下させておかなければいずれ追いこまれる。常に全力強化では変動させる余地がない。

 

 頻繁に左右の脚で強化率を変えなければならず、走る体勢にも影響が出て来る。無論、速度は減少し、敵に距離を詰められ、さらに流の難易度が上がるという悪循環が出来上がる。

 

 クインだけでなく、本体の内臓が狙われることもあった。本体から銃弾を発射しているので当然だろう。なんとしてでもそこだけは死守せねばならず、必要以上に流に力が入ってしまった。そのせいで他の守りが薄くなる。

 

 クインの左腕がはじけ飛んだ。守りきれなかった。走行に支障はない。オーラ修復は傷口の止血にとどめる。余計なオーラを消耗している場合ではない。左右の体重にずれが生じたことで体勢が崩れた。

 

 転べばそこで何もかもが終わる。何とか踏みとどまる。姿勢制御のために使用限度を超過したタスクを分割意識に押し付けてしまい、卵が過労死していく。足が遅れ、また敵との距離が縮まる。

 

 弾丸発射も出し惜しみしている状況ではなくなった。撃たなければ殺される。敵も次第にこちらの攻撃に慣れ、必要以上に回避に力を入れなくなった。余裕をもってかわされる。牽制効果が切れ始めている。

 

 逃走開始からどれだけの時間が経過しただろうか。もう正常な時間感覚は失われていた。自分の中では何時間も逃げているような気がする。だが『魂魄石』の効果がまだ切れていないので、実際はまだ数分も経っていないのだろう。

 

 石によるブーストは約3分ほどである。その効果時間が終われば潜在オーラが激減し、まともな念能力は使えなくなる。この状況下でそんな事態に陥れば命はない。この逃走には初めからタイムリミットがあるのだ。

 

 最初は時間を計測する意識を一つ作っていたが、途中でやめた。そんなことに意識を割くくらいなら別の仕事をさせた方がマシだ。時間内に逃げ切れなければ死ぬ。それだけなのだから。

 

 あとどれくらいの時間が残されているのだろうか。一秒先には死んでいるかもしれない。船底に無数の穴が空いた船のように沈没を待つしかない状況。その絶望的な状況の中で、私は一心に走り続ける。

 

 そのとき、立ちふさがるように並んでいた木々の間から光が差した。密林が途切れている。まるで希望を表す道しるべのように差し込んできた光の先へと走り抜ける。

 

 そこにあったのは崖だった。

 

 巨大な渓谷が目の前に現れる。谷底は目がくらむほど離れている。一応、水が流れているようだが、この高さから落ちればその衝撃は地面に激突するのと変わらない。そしてそれ以上に、水辺にはどんな脅威が潜んでいるかわからない。どのみち落ちれば助からない可能性が高い。

 

 渓谷の向こう岸は遥か遠くにある。空でも飛ばない限り向こうへ渡ることはできそうになかった。

 

 敵はここに巨大渓谷があることを知っていたのだろう。左右への逃げ道を塞ぐように広がって展開していた。私をこの場所に追い込むつもりだったのだ。

 

 万事休す。そう思っているのだろう。だが、私は微塵もスピードを落とすつもりはなかった。そのまま崖の方へと走り続け、ためらいなくその先へと踏み込んだ。

 

 敵がこの場所のことを知っていたように、私もここに渓谷があることを事前に調べていた。このあたりの探索はしらみつぶしに行っている。こんな大きな地形の変化を見逃すはずがない。

 

 最初からわかってここを目指していたのだ。この場所でなければ敵を撒くことはできない。だからこそ数分間という制限時間を加味した上で無謀とも言える逃走劇を行えた。

 

 これ以上ないほどの全力疾走を助走とした跳躍。崖岸から勢いよく空中に躍り出る。クインの右手には本体をつかんでいた。

 

「はああああっ!」

 

 向こう岸へと、本体を投げる。脚部が壊れるほど限界を越えたジャンプからの、腕部の損傷を顧みない全力の投擲。ここでクインを使い潰す。残されたオーラを全て使い切り、本体を逃がすことだけに注力する。

 

 本体は脚をたたみ身体を丸め、できるだけ空気抵抗を減らした体勢で投球となって空を飛んだ。この勢いならば向こう岸まで届く。そう思えるほどの速度。

 

 敵から逃れた。しかし、ここで気を抜くことはできない。むしろ、ここからが正念場だ。

 

 本体を投げた後、クインは落下するよりも早く敵の共鳴攻撃にさらされた。今までこの攻撃を防いでこられたのは、『思考演算』で極度に高度化された加速意識によるところが大きい。本体と離れてしまったクイン単体では使えない技だ。

 

 血しぶきを撒き散らしながら原形がわからなくなるまでバラバラに弾け飛ぶクイン。ここまでは想定の範囲内である。本体は、もう十分に敵と距離を取った位置にいる。ここまで共鳴攻撃が届くことはないだろう。

 

 問題はクインの死によって払うこととなる代償である。これを見越してなるべく卵の消費を抑えなければならなかった。そうしなければ逃げ切れなかったとはいえ、予想以上の損失だ。

 

 その残存数は345個。代償の333個を差し引けばほとんど残らない。さらに、その数字は代償の最小値であって、実際に失う数はそれを上回る。そして残像数が0個を下回ったとき、本体の命をも失ってしまう。

 

 猶予は12個しかない。その範囲内に損失を抑えきれなければ逃げられたところで命はない。そのためには精神を落ちつけ、速やかに自らの死を受け入れなければならなかった。

 

 足掻いて、足掻いて、足掻いた先で死を受け入れよとは何とも矛盾している。生きるために死に、死ぬために必死になる。現実とは、かくも無情だ。

 

 点、舌、錬、発。

 

 完全に外界へとつながる感覚を絶ち切り、内なる精神へと没入するため瞑想に入る。長らく『燃』の練習は行っていなかったが、スムーズに瞑想へ移行できたことに安堵する。

 

 最後の仕上げに取りかかろう。私は自分の中に広がる死の認識と向かい合った。

 

 

 * * *

 

 

 死を受け入れるという感覚とは、そもそもどういう状態なのか。

 

 初めは自分の持つ全ての感覚が失われ、何も認識できなくなることだと思っていた。例えば、深い眠りについているような状態。意識がなくなり、そのまま目覚めることもない。五感を失うことで作り出された暗闇の中に取り残されるようなものではないだろうか。

 

 しかし、当たり前のことだが眠るということは死ではない。意識がなくなろうと脳は機能しているし、その間に作られた暗闇もまた自分自身が見ているものに過ぎない。

 

 ならば、何も考えられなくなった無の状態こそが死ではないかと思った。だが、何も考えていない状態とは『何も考えない』ということを考えている状態ではないか。どれだけ精神を空っぽにして無にしようとしても、私が考える無がそこに存在してしまう。

 

 結論として、生きている状態ではどれだけ死に近づこうとそれは“生”であって“死”ではないのだと思う。コインの表と裏のような関係だ。表を見ているとき裏は見えないし、その逆も然り。その間には、覗き見ることのできない隔絶がある。

 

 しかし、コインは横から見ることが可能だ。表を「○」、裏を「●」と表すならば、横から見ると「|」。一本の線である。でも、生と死の間に中間の領域なんてあるのだろうか。私は、このコインに厚みはないのだと思った。横から見たとき、そこには何も存在しない。

 

 つまり、無だ。その存在しない領域を見ようとすることが「死を受け入れる」ということではないか。

 

 じゃあ、具体的にそれはどうやればいいという話になってくる。生者でありながら死に肉薄し、その絶対的な隔絶を越えようとすることは、まるで異常な感覚。倫理や常識から外れた想像を絶する精神性の先にある境地。

 

 と、最初は思った。だが、どうもそうではないらしい。そういう特殊な心境を目指そうとすると、むしろ思考の深みにはまり無から遠ざかる。

 

 だから、もっと考えるまでもなく初歩的で原始的な状態なのだ。何かを考えて為そうとする以前の状態だ。無知よりも未熟で虚無的で、それでいて生きている。

 

 卵なのだと思った。生命の誕生、命が生じる瞬間、その存在は有と無の狭間にある。

 

 だから、私の能力が卵を犠牲とすることは、これ以上ないほど理にかなっていた。『精神同調』が切れ、自我の供給が絶たれる瞬間、卵は「死を受け入れる」ことに対して破格の適性を得る。死という脅威に対して最も脆弱であるがゆえに、最もその場所に近い位置に存在していた。

 

 などと今、私は考えている。考えているということは生きているということだ。枯れ木人間との激闘を乗り越え、何とか生還することができた。

 

 あれから6日が経った。しばらくは体力と卵の回復に専念し、潜伏を続けていた。もうリターン探しはこりごりだ。

 

 考えてもみれば、この大陸を生き抜く上で有用な資源があるのなら、既にそれを独占して縄張りにしている生物がいてもおかしくない。いや、いない方がおかしい。そしてこの弱肉強食を煮詰めて固めたような生態系の中で、一定の縄張りを形成できるような生物となれば強くて当然だ。希望(リターン)を探せば、必然的に災厄(リスク)とぶつかる危険も高まる。

 

 当初の目的である海を探すことに集中した。そして現在、森を抜け、砂浜と思わしき場所にいる。

 

 見渡す限り砂丘が広がっている。浜というより砂漠のようだ。だが、砂の中をよく見れば貝殻が多く混ざっている。昔はこの場所まで海面があったのだろう。

 

 それがなぜこうも砂地があらわになるまで海水面が下がっているのか。一抹の不安を抱えながらも、広大な砂浜を歩き進むことにした。

 

 


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