「ああ、良かった……どうやら神はまだ、私を見放してはいなかったようです」
集積都市の中心地で一人の少女が王の到着を待っていた。キメラアントの生態に照らせば護衛軍に相当する階級、この群れでは『騎士』と呼ばれる蟻の一人だ。
その名はルアン・アルメイザ。彼女が王の行く手を阻んだ。騎士を名乗りながら、その忠義は王にも女王にも向けられていなかった。
この群れが暗黒大陸から旅立ち人類領海域まで到達するまでの間、この巨大な災厄の塊の中では熾烈な権力闘争が繰り広げられていた。精神世界における魂の削り合いとでも言うべき形なき戦いだった。
その主体は三つの勢力に分けられる。一つはモナド、一つはルアン、そしてもう一つがクインである。ルアンはその闘争に破れた。ついにモナドは王位を手に入れ、この群れを統べる存在となってしまった。
キメラアントの王は自分が生まれた群れから独立する生態を持つ。『王』だけが、この精神の迷宮となった災厄から抜け出し、外の世界で自我を持つことを許される。牢獄から脱するための『鍵』として王位は作り出された。
群れの中で王に次いで強い権限を持つ騎士であっても、王の意識へわずかに干渉する程度の力しかなかった。モナドやルアンはそのわずかな意識の侵食から少しずつ穴を広げるようにして王位を奪い取ろうとした。
だが、ルアンはモナドに後れを取った。もともと二人には明確な力の差がある。モナドの力はルアンとクインを同時に相手取ってようやく互角と呼べるほど強かった。災厄の底に深く根付き、何度抑え込もうとも無限に湧き出てくる。
王位を奪われた今となっては何もかもが手遅れだと諦めかけていたルアンだったが、最後の希望が残されていた。その希望が今、彼女のもとへと近づいてきている。
足止めされた電車から降り立った“二人目の王”が、ルアンのところへやって来た。
「あなたには何の罪もありませんが、こちらにも譲れない事情がありましてね」
キメラアントの女王は一度王を産めばそれで終いというわけではない。定期的に王を産み続ける。それを考えれば二人目の王が誕生することも十分に考えられる可能性だった。
しかし、この群れの場合はキメラアントの通常の生態がそのまま当てはまるような環境ではない。モナドが王となり群れの全権を支配した今、もはやその希望も尽き果てたかに思われた。
最後の最後で王位の創出が間に合ったのだろう。この期を逃せば次はない。女王クインはモナドによって既に支配されているものと考えられ、次の王位が作られる可能性は皆無と言えた。
ルアンにとっては最後の好機だ。まだ生まれる前の今ならば、実力行使によって直接王位を奪い取れる。ルアンは赤い金属で形成された二丁の無骨な銃器を構えた。
「その『鍵』を渡してもらえますか」
王と王位は不可分のつながりがある。渡せとは言ったが、望んだからと言って譲り渡せるものではない。ルアンは新たな王位を得た少女の自我を殺すつもりだった。そうしなければ奪い取れない。
銃口を向けられた少女は微動だにせず、ルアンを真っすぐに見つめていた。そこに敵意はない。命乞いも、抵抗もする気配はない。引き金を引けば容易く殺せるように思える。
ルアンには少女が何を考えているのか読めなかった。それは、いまだ引き金に指をかけたまま撃てずにいるルアンの心境を見透かした上での行動か。少女は一言だけ言葉を告げる。
ついて来いと、ただそれだけを伝え、ルアンに背を向けて元来た道を引き返していった。
* * *
「は……え……なにこれ?」
ルアンを連れて電車に帰って来た。ネテロは運転席の方でレバー的なものをがちゃがちゃ弄っており、座席で寝ていたチェルは目を覚ました。
彼女らはこの電車から離れ過ぎると体が揺らぎ始める。本来なら彼女たちが存在できる場所ではないということだろう。どこか遠くへ飛ばされて戻って来られなくなりそうだったので、ここで留守を頼んでいた。
「よく来たな。わしはアイザック――」
「なんでただの雑務兵が二人もいるんですか!?」
「新入りのくせに態度がでかいやつじゃ」
みんなで乗り合わせてここまで来ただけだ。これから全員で終点へ向かう旨を伝えるとルアンは愕然としていた。
「何を馬鹿なことを……あなたも理解しているはずだ。『王鍵』はただ一つ、新たな王位を得る者はただ一人です。全員が生きてここを出ることはできない」
できる。
「できない! そんな甘さが通用するなら苦労はない! もうこれ以上、過ちを重ねるわけにはいかないんだ!」
ルアンは銃を構えた。ネテロとチェルが動こうとしたが、それを目で制止する。銃口を額に押し付けられても、私には微塵の動揺もなかった。
夢であるこの場所での戦いは精神の戦い。たとえ銃弾で撃ち抜かれたところで死ぬことはない。あるとすれば、より強い精神を持つ自我が生き残るという結果だろう。
きっとルアンは強い。これまで断片的にしか彼女と関わって来なかった私は、ルアンのことをモナドの同類だと思っていた。確かにそういう側面もあるのだろうが、こうして直接対峙した今、私は彼女の人となりを感じ取ることができた。
その目には信念がある。私よりもよほど王の素質を持っているだろう。彼女の言う通り、私は甘い。ネテロやチェルを見捨てていくことができなかった。
だがそれでも、この鍵を渡すことはできない。連れて行くと約束した。何があろうと必ず、私はみんなをここから外へ連れ出してみせる。
「ありえない。そんなことできるはずがない」
やってみなければわからない。現に今、私たちはここにいる。複数の自我を保ったまま、一つの命の方舟に乗っている。
「用意された肉体は一つだけです。そこに何人もの自我が同時に存在するなんてことはできない。あなたも実際に体験したはずだ。モナドに自己を乗っ取られる感覚を。苦痛なんて言葉で表せるものじゃない。ましてそれをこれだけの数――」
ルアンは瞠目する。そして、静かに銃を下した。
きっと彼女は私の考えていることに察しがついた。私が全てを承知した上で覚悟を決めていることに気づいた。
「自分を……そこまでして……」
王位と王、鍵と私は不可分の存在だと聞いた。ならば都合がいい。私がみんなの『器』となる。複数の自我を肉体につなぎとめる役を担う。その器が壊れない限り、中身が誰だろうと王は王だ。
しかし情けない話だが、その状態は長くもたないだろう。ルアンの言う通り、覚悟だけで全て解決できる問題ではない。自我が混在した状態ではすぐに限界が来る。だが、ちゃんとその先のことも考えていた。今はまだ話せないが、手立てはある。
それよりも最も大きな問題はモナドの存在だ。これをどうにかできなければ全てが夢物語で終わってしまう。そのためには、みんなの力が必要だ。私一人では決して勝てないだろう。
私はこの場にいる全員に力を貸してほしいと頼んだ。
「何のことかよくわからんかったが、要するにぶっとばしたい敵がいるということじゃな。力を貸すのは当たり前じゃ! なんせわしは大先輩じゃからな!」
「今さら改まって言うことかよ。初めっからそのつもりだ」
ネテロとチェルは快諾してくれた。残るルアンからは返答がない。がくりと膝を着き、頭を垂れていた。ささやくような声で自問自答するように何かを考えを巡らせている。やがて、その言葉は私に向けられた。
「……あなたには謝っても謝りきれないことをたくさんしました。モナドを檻の外へ出してしまうくらいなら、あなたに代わって自分が王になるべきだと。そうしなければこの世界はいずれ滅茶苦茶にされてしまうと。たとえどんな理由があったとしても、あなたにとっては害悪でしかなかったでしょう」
懺悔するように深々と頭を下げる。
「そしてまた、私はあなたから王位を奪おうとした。モナドの暴虐を止めるためには仕方がないと自分を偽っていた。本心では、どこか心の奥底では諦めていたんです」
モナドは強い。たとえ王位を得てここから外へ生まれ出ることができたとしても、勝てる見込みは無いに等しいという思いがルアンにはあった。
「でも、あなたなら、できるかもしれないと思いました……モナドを倒せるかもしれない……! 奴もこんな事態は予想できないはずです。あなたには想像もつかない可能性を切り開く力がある……!」
世界滅亡の阻止という崇高な目的だけがルアンを動かしていたわけではない。自分だけでも生きのびたいという欲はどうしても捨てきれなかった。そのために王位が欲しかったのだと、ルアンは告白した。
「恥知らずの騎士の戯言と思われるかもしれません。許される身ではないことはわかっています! ですが、どうか……私を連れて行ってください……! あなたのための力となることを誓います! モナドを止めるために、どうか……」
そんなことは言われるまでもない。答えは先に出している。私はルアンに手を差し伸べた。また一つ、絆がつながれる。停まっていた電車が動き始めた。
* * *
次の駅へ到着した。集積都市を抜け、工場のような建物が立ち並ぶ区域に入る。おびただしい数の配管が通り、その全てが一つの大きな工場につながっていた。終点前の最後の停車駅である。
「この電車はあなたの自我に呼応する存在のもとへと進みながら終点へ向かっています。この駅で停車したということは、ここにあなたの為すべきことがあるということでしょう」
私はルアンと共に電車を降りた。ルアンは階級が高いだけあって雑務兵よりも行動の自由が利くようだ。電車を離れても問題なさそうだった。
工場の奥へと進んでいく。毛細血管のように張り巡らされた配管が収束していく。その先に、一つの大きな装置があった。稼働している様子はない。破壊されて内部の核に当たる部分が抜き取られているようだった。
「やはりクインはモナドの手に落ちていましたか」
ここにいた自我はクインというらしい。階級は女王。名目上、この群れの長である。本来であればアルメイザマシンの全ての支配権はクインにある。だが、もしその通りであったならばモナドがこれほど増長することはなかっただろう。
「順を追って説明した方がいいですね。私たちの群れは暗黒大陸から海底を進み、人類領海域までやって来ました。それが私たち全ての個を吸収したアルメイザマシンの結晶体『深渦仙人掌甲冑(カーバンクル・ミスレイニ)』です」
意識集合体のネットワーク上にのみ存在する『形なき上位者』によって作られた悪意の渦。死滅の連鎖を繰り返す末端意識が『死後強まる念』としてアルメイザマシンによって実体化した姿。
言葉だけではそれが何なのか今一つ理解できなかったが、その結晶体は女王によって生み出され、彼女自身にも制御できない災厄の塊となってしまったようだ。
クインは結晶体を止めるべく自らその中に身を投じた。そして結晶体の内部において災厄に取り込まれることなく、一定の秩序を築きあげることに成功する。
この秩序の基盤となっているシステムがキメラアントの階級制度だった。女王、護衛軍、師団長、兵隊長、戦闘兵と続く階級は、蟻という種において絶対の区分である。この生物的特性を意識集合体に組み込むことで、女王として君臨したクインがネットワークの支配権を獲得した。
そのとき、クインの夢を元にしてこの精神世界も作られた。渦の中で崩壊を免れた自我を掬い上げ、保護するための仮想空間だ。
そしてクインは護衛軍に相当する二人の騎士を生み出し、その自我を固定した。結晶体全域の制御にもほぼ成功しかけていたらしい。しかし、そこに発生した不穏分子がモナドだった。
「最初は一つの自我にも満たない点のような存在でした。摂食交配の過程で取り込まれた異生物の残滓かと思い、気にもしていませんでした。ですが、奴はカビが増殖するようにじわじわと自我を拡大していった」
モナドはこの群れにおける最古の意識体を自称した。粉々にすり潰されて音沙汰もなく消え去ったかに思われたその存在は『深渦仙人掌甲冑』と結びつくことで蘇った。悪意の渦と一体化し、クインが作り出した階級システムの支配権まで略取しようとした。
「クインは自分の意識を階級システムの構築と運用のために全てなげうった状態で深い眠りについていました。その隙を狙うように内部から異常発生したモナドに対抗できる状態ではなく、それを私ともう一人の騎士で何とか食い止めていたのですが……」
モナドは騎士の位階を強引に取得するほど勢いづいた。色々あってルアンはもう一人の騎士と意見が合わずに袂を分かち、支配権闘争は泥沼の様相を呈しながらも着実にモナドの優勢へと傾いていた。
「そこから王であるあなたが生み出され、今に至るわけです」
私は手の中にある小さな鍵を見つめた。具現化された王位であり、この精神世界から脱出するための鍵である。私を渦の中から引き上げてくれた誰かが渡してくれたものだ。
もしかして、あの人がクインだったのだろうか。私の心には一つの疑問が浮かんでいた。
なぜ私は生まれて来たのか。
王位を与えるだけなら自分の騎士たちへ渡すこともできたのではないか。その方がずっと賢明ではないか。私という存在を新たに生み出す必要はあったのか。
何のために私は生み出されたのか。
私には欠落した多くの記憶があった。特に自分の出生に関する情報は伏せられていた。それは意図された処置だったのか。もしそうなら、何のために。何か隠さなければならないことでもあったのか。
「さあ、そこまでは何とも言えません。女王と意思の疎通が取れたのは最初期のわずかな時間だけでしたので……」
……別に気にするほどの意味はないのかもしれない。ただ単に技術不足などの理由で思い通りにできなかっただけとも考えられる。
余計なことを考えるのはよそう。今はそれよりもやるべきことがある。ルアンに説明の続きを促した。
「クインは現実に生きた『本体』を持ちながら、唯一この精神世界と深くつながった存在でした。おそらく、モナドは現実世界のクインの本体を押さえています」
現在もクインの本体はギアミスレイニのどこかで生きている。金属にして植物の性質を併せ持つキメラアントであるクインは、自らの卵を植物の胚に近い形へ変質させ、無酸素、無栄養環境での休眠状態を可能とした。
彼女はネットワークシステムのコアであり、アルメイザマシンの最高管理者でもある。王位を得たモナドが真っ先にこれを掌握することは当然だ。いよいよ対抗する手段がなくなったとも言える。
「クインがここにいないということは、今の私たちでは干渉できない状態になっているものと考えられます。護衛の騎士がいたでしょうが、現実世界で肉体を得たモナドを相手にできることはありません」
ルアンと共に生み出された騎士の一人、カトライ。どこかこの近くにいるかもしれないと手分けして探してみた。しばらくして瓦礫の下敷きになった少女の姿を発見する。
助け出した後も意識はなかった。女王を守るために戦ったのか、精神力を大きく消耗した様子だった。色形が薄くなった少女の体を抱え上げると、少しだけ生気が戻ったようにも見えた。
「私とは違い、真っすぐに女王に仕えた男でした。道を違えた私に今さら言えることではないですが……心強い仲間です。彼が女王を守っていてくれたから、私は全力でモナドに攻勢を仕掛けられました」
ルアンがカトライも連れて行ってくれないかと私に助命を願う。もちろん、そのつもりだ。クインはいなかったが、カトライだけでも連れて行こう。意識のない体を抱えて電車に戻る。座席に寝かせて、ネテロとチェルに簡単な説明を済ませた。
「カトライだって!? 本当にカトライ=ベンソンなのか!?」
驚いたことにチェルはカトライのことを知っているようだった。さらにクインとも面識があったという。
「そうか……お前がずっとクインのそばにいてくれたんだな……」
チェルにとっては浅からぬ縁のある人物だったようだ。先ほどまでまだ気分が落ち込んでいた様子だったチェルは、だいぶ元気を取り戻したように見えた。
私はどういういきさつがあったのかをチェルに尋ねた。聞きたかったのはクインのことについてだ。なぜかはわからないが、私はクインのことを知りたいと感じていた。
「ああ、いいぜ。あたしたちがクインと出会ったのは……」
走り出した電車の車内で揺られながら、チェルの思い出話にじっと耳を傾けていた。
* * *
電車は長いトンネルを進んでいた。暗闇がどこまでも続いている。もう停車駅はない。次は終点。この闇を抜けた先に『現実』が待っている。
私たちは最後の決戦に向けて打ち合わせを進めていた。互いにできることを話し合い、作戦を立てていく。
「まず我々が直面することになる最初の問題は“どこに生まれるか”です」
ルアンによればクインの本体が休眠状態に入ってからというもの、この群れの繁殖形態は産卵ではなく、専らウイルスの自己増殖によって行われている。
死後強まる念を金属化して発生した本体が集まってできた結晶体が『深渦仙人掌甲冑』であり、それをモナドが乗っ取って操っている今の状態が『海底戦艦ギアミスレイニ』である。
この場合、私たちが生まれて来る場所がどこになるかということは単純にして切実な問題である。群れのオーラが存在している場所にならどこにでも発生可能であるが、任意の場所を選べるわけではなさそうだ。生まれてみるまでわからない。
そこで私は疑問に思ったのだが、王という特別な個体の発生となれば通常の繁殖形態とは異なることも考えられないだろうか。もし休眠状態下の無意識中でもクインが産卵可能だとすれば、女王が直接王を産むことはキメラアントの生態に照らしてみても自然である。
「その可能性も否定はできません。ただ、もしそうなったとしても、それが歓迎すべき事態であるかどうかは判断できかねます」
「なんでだ? クインのすぐ近くで生まれることができれば、それだけクインを助けやすくなって一石二鳥だろ」
「モナドは万が一にも誰かがクインと接触することがないよう、あらゆる敵を排除する態勢を整えているはずです」
下手にクインのそばで生まれてしまえば、その瞬間に敵の罠にかかり殺されてしまう可能性の方が高いというわけか。モナドには、そこまでしてクインを自分のものにしたい理由があるのだろうか。
「あります。クインはギアミスレイニの心臓部であり、奴の唯一の弱点なのです」
クインはまだ生かされている。クインの本体を殺すことは、彼女が作った階級システムの根幹を破壊することと同義である。そうなればモナドは王位を失い、ギアミスレイニは再び無秩序状態に陥ってしまう。
「女王の意識を覚醒させることができれば、アルメイザマシンの全機能強制停止命令を出すことができます。いくらモナドでもこの命令には逆らえません」
モナドの転生を司る能力『終わり無き転生(ノーザデッド・ノーライフ)』は、死後強まる念をアルメイザマシンの力で実体化させることにより完成する。その能力の前提であるウイルスの機能を停止させてしまえばモナドを無力化できる。
ルアンいわく、モナドは不死身を超えた不滅者。そもそも現時点で誰も太刀打ちできないくらいの実力があるというのに、殺してもさらに強くなって瞬時に復活する。倒す手段はない。クインを助け出すことが唯一の突破口である。
「ただし、当然ながらモナドもこのことは百も承知です。奴は必ず邪魔してきます。仮にクインのもとに無事辿りつけたとしても、彼女が『助けられる状態』である保証はどこにもありません。この作戦が成功する確率は……」
「あーもーいいって! ぐだぐだ言ったって結局やるしかねぇんだ。もうとっくに腹くくってんだよ、こっちは」
「要するに、クインとかいう寝坊助を叩き起こせばいいんじゃろ。そんな深刻に考えるほどのことではないわい。行ってみて、ダメならそのときじゃ」
眠りについたクインはルアンやカトライの呼びかけに応えることはなかった。彼女の精神は今も悪夢の中に囚われ続けている。意思の疎通はできず、彼女はネットワークとシステムを取り仕切る処理装置になり果てていた。
内側から発せられた声は届かなかった。しかし、現実世界から刺激を与えればどうなるかわからない。呼び声が届くかもしれない。やってみる価値はある。
「はい、もう弱音は吐きません。これまでは負け筋ばかり考えて何もできなかった。でも、これからは希望を信じたい。王を、皆を信じます」
できるはずだ。今はまだ意識を失っているが、カトライも協力してくれるだろう。みんながいれば、きっとできる。
トンネルの奥に、ぽつりと光が見えた。出口が近づく。眩い光が私たちを包み込んだ。
“あ
あ あ あああ
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や だ
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ゆめ
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け
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”
“この世に『救い』なんてものは、ない”
全身を強打する感覚により目が覚める。ここは、電車の中だ。事故を起こしたように急停止して、乗っていた私たちは車内の壁に叩きつけられた。
その直前、私の中に誰かの記憶が入ってきた。まさに自分の身に起きたことのように追体験した。おそらく、それはモナドの過去だった。
モナドとは、どのような存在だったのか。女王クインが“どのようにして”生まれたのか。その始まりの記憶、目を背けたくなるような真実が脳を冒すように流れ込んできた。
異形の虫に体を蝕まれ、胎を穢され、死ぬこともできず、自分の中で育つおぞましい何かを拒絶し、助けを待ち続けた。何度も何度も数え切れないほどの助けを呼んだが、誰も来なかった。
孤独だ。苦痛も嫌悪も憤怒も、最後は全て孤独に行き着く。死に至るまでの感情の変遷が克明に焼きつけられた。自分自身ではなく、モナドとして体験した記憶の追想に抑えきれない吐き気を催す。
「うっ……何だったんだ、今のは……あたしたち、どうなったんだ……?」
顔色を見るに、私以外のみんなも同じ体験をしたのだろう。車内を照らす蛍光灯は数本が弱弱しく点滅するのみだった。その光を反射する車窓が私たちの姿を鏡のように映し出す。窓の外は真っ暗だった。
「そんな、まさかこれは」
ギチギチと、無数の虫がひしめく音がする。電車の下部から這い上がってくる。モナドの記憶にあった虫だった。それが車外を埋め尽くすほど集まっている。
「キモイのじゃああああ!? ちょっと行ってぶちのめしてくる」
「やめろ! 中に入って来るだろうが!」
電車の至る所から外装をかじり取る音が聞こえ始めた。このままでは食い破って入って来るのは時間の問題だろう。
「モナドめ……! 奴の能力は魂の転生に大きく関わっている……もしや自分以外の生まれ変わりを認めないつもりか!? 王位を持つ存在ですら、奴の支配からは逃れられないというのか!?」
生まれることさえ許されないとは。考えても都合よく名案が浮かんでくることはなかった。なんとかしなければという思いと、どうしようもないという気持ちが混ざり合う。
みんなを連れて行くことはできないのか。約束したのに。こんなところで終わらせていいわけがない。
暗く塗りつぶされていく心の中で、『諦めるのか』と誰かが問うた。それは自分自身の内から生じた言葉ではなく、確かに別の誰かから投げかけられた問いだった。