『こんなものは己の弱さを受け止めきれず、不幸の根拠を他者に押し付けただけの独りよがりに過ぎん』
頭の中に響く声があった。電車の中にいる誰かが話しかけたわけではない。周りを見回したが、この声が聞こえているのは私だけのようだった。
私は光の粒を見つけた。ペンの先ほどもない小さな粒だ。それが私の体に触れ、そこから思念が伝わってくる感覚があった。
『数多の因果律をひも解いたが、余がこの精神の迷宮から脱する可能性は一つとしてなかった。どうやら、その“鍵”はお前の手の中にあるようだな』
私は握りしめていた鍵を見つめる。クインが渡してくれた王位の鍵、それが夢として表象された形である。
『一人では何もできない様子の軟弱者を王として認めるつもりはないが、貴様に委ねる他に道はないようだ。お前には王として生まれる強固な運命がある。その因果は余が引き寄せてやろう』
停まっていた電車が少しずつ、音を立てて動き始めた。車体の外に群がっていた虫たちを押し潰して、ゆっくりと前進する。
「動いたのじゃ! なんか知らんが助かったのか!?」
「なぜ急に……? いやしかし、これならば行けるかもしれません!」
電車は徐々に速度を上げて走り出した。私はようやく気づく。独りでに動き始めたわけではない。誰かが後ろから、電車を押してくれている。
助けられた。まだこの空間に、自我を保った何者かがいる。電車のすぐ外にいるのだ。だったら、このまま一緒に……
『二度言わすな。行け!』
線路は下り坂に入り、電車は滑るように加速していく。闇の向こうにかすかな光が見えた。今度こそ本当の出口だ。
その先に、避けては通れない戦いが待っている。このまま生まれることが幸か不幸かを考える余地もない。何があろうと進む覚悟はできている。
だが私は、その光と逆の方向に走っていた。電車の後方へ。そこにいるはずの誰かのもとへ。最後部の窓を叩き割り、車外に手を伸ばす。
「貴様……これは何のつもりだ」
そこにいたのは不思議な容姿をした人だった。人間とは違うのかもしれない。見覚えはなかった。モナドが殺したNGLの亜人型キメラアントだろうか。
かなり精神力を削り取られているのか、映像が乱れるように形を保てなくなりかけていた。私はその人の手を掴み、つなぎとめる。
「王とは至高にして孤高なり。二頭はいらぬ。敗者は潔く死ぬのみだ。くだらん情けをかけるな。この手を放せ」
その人は怒っているようだった。私は助けたつもりだったのだが、余計なお世話だったらしい。彼はこの先へ進む気がない。それは諦めではなく、確固たる意思に基づいて決断したことなのだろう。彼の目には揺るぎない誇りが宿っている。私のしたことは彼の誇りを汚す行為だった。
線路の勾配はどんどん急になり、もはや垂直の壁を落下しているに等しい速さで走っていた。私の体がその勢いに引かれて割れた窓から車外に飛び出そうになる。
だがそれでも、つないだ手を放さなかった。この人に譲れない何かがあるように、私にもある。助けてくれた人を見捨てて先に進むことなんてできない。
たとえ相手の誇りを汚すことになろうとも譲る気はなかった。必ず連れて行く。私たちは互いの信念をぶつけるように視線を交わし、睨み合う。
「おい、大丈夫か!? 誰かそこにいるのか!?」
「もうすぐ出口じゃぞ! さっさと中に戻るのじゃ!」
そこへ他の乗員たちが集まり、みんなで私の体を掴んで引っ張り戻そうとしてくれた。つないだ手が放れることはない。“みんな”が一つになる。抵抗していたキメラアントの誰かも、もろとも引きずり込んでいく。
「くっ……くく……まさかこの余までも巻き込もうとは、なんたる傲慢、いやただのお人好しか……やはり貴様は“王の器”ではない。だがまぁ……“人の器”ではあるようだ」
しっかりと掴んだ私の手を通して、その人の姿が描き換わっていく。グリッチノイズと共に少しずつ、少女の姿に変わっていく。
名前も知らない誰かだが、最後に連れて行くことができた。その思考を読んだかのように彼は自らの名を告げる。
「余の名は――」
電車がトンネルの闇を抜けた。白い光が世界を満たした。
* * *
夕焼け空の下、メルエムとの戦闘を終えたモナドが立ち去って行く。その背後で、結晶化して死亡したはずのメルエムの遺骸の方からかすかな物音がした。
「……?」
モナドは振り返って確かめるが、特に異常は見当たらない。気のせいだったかと思うと同時に、どこかもやもやとした収まりの悪さに苛立つ。
メルエムが最後に繰り出そうとしていた攻撃に、モナドはこれまでにないほどの危険を感じていた。何が起きようと負けることはないと確信はしていたが、警鐘を鳴らす直感が働いたことは事実だった。
しかし、蓋を開けてみれば警戒するほどのことは何も起きず、当たり前のようにメルエムは死んでいる。何の脅威も感じない。ただの考え過ぎかと思いなおし、今度こそ帰路をたどろうと背を向けた。そのとき、はっきりと結晶が砕け散る音が響き渡る。
「なに――!?」
振り返ったモナドは見た。自分と同じ容姿をした銀髪の少女がいる。その手が緩やかに、空を流れる雲のように悠々と弧を描き、自らの胸の前で合掌の形に相結ばれた。
『千百式観音』
少女の口から紡がれた言葉は、実際に発せられたものではなかった。モナドは少女の一連の動きをつぶさに目で捉えていたように自分では思っていたが、それは極圧縮された時間感覚の中で走馬灯のごとき思考に陥った脳が予測から作り上げた虚像に過ぎない。
真の強者だけが到達する時間感覚の矛盾である。すなわち、攻撃はもはや完了していた。
『九九九の掌(せんたらずのて)』
モナドを取り囲むように現れた四体の巨大な千手観音像が、その全ての手を用いて繰り出す掌打の嵐。夜空を照らす星々が一斉に落下してきたかのような衝撃がモナドの肉体を破壊し尽くし、それでもなお再生を許さぬと地表を抉りながら無数の掌打を放ち続ける。
その後方で、少女はメルエムの結晶体から何かを取り出していた。彼が最後に手にした赤いサボテン。その中から一匹の虫が生まれ出る。その虫を肩に乗せ、少女は飛ぶように駆けた。
行く手には海底戦艦ギアミスレイニがある。この巨大な目標物を見失うはずもない。木々の上を一直線に駆け抜ける。足場にした枝から一枚も葉が落ちることはなく、風にそよいだかのように揺れるだけだった。
戦艦に乗り込むべく大跳躍した少女を待ち受けるように、いくつもの砲門が照準を合わせていた。甲板上に設置された砲塔から青白い光が放たれる。その砲は全てレールガンだった。
戦艦主砲『青錆槍(ケラウノス)』に比べれば遥かに威力は落ちるが、それでも個人に向けて発射するような代物ではない。集中砲火を受ければ元の景色が皆目わからなくなるほど地形を塗り換える威力を持つ。
直撃を受けずともその衝撃の余波だけで挽肉にされるだろう。その無慈悲極まりない破壊兵器を前にして、少女は手にオーラを集めた。念弾が形成されていく。
その大きさたるや尋常ではない。数メートルにも達する巨大な光球となる。怒りを破壊のエネルギーに換えることで実現した規格外の念弾。
さらにそこから少女はもう片方の手で祈りの所作を取る。彼女の背後に現れた観音像が繰り出した張り手は、あろうことか術者である少女自身を空中で弾き飛ばした。
いかに初速マッハ15を誇るレールガンの一撃であっても、それは発射された後の話である。観音像の音速を凌駕する張り手によって自身を砲弾と化した少女は、敵の予測を超えたスピードで空を飛ぶ。その手にある念弾を発射せず抱えたまま、盾にして突き進む。
わずかに遅れたレールガンの掃射を切り抜ける。ソニックブームにより体を切り裂かれながらも少女は飛んだ。ついに戦艦の装甲に辿り着いた彼女は念弾を発射する。ゼロ距離で撃ち放たれた太陽光球が炸裂した。
その威力はアルメイザマシンの強化装甲を打ち破り、船体表面に穴を開けた。しかしその直後には修復が行われ、瞬きする間もなく穴は元通りに塞がれてしまう。
だが、既に少女の姿はここにはない。風穴を開けると同時に念弾の業火に飛びこみ、艦内への侵入に成功していた。
* * *
『やりました! 第一段階はクリアです!』
『まだ喜ぶのは早い。ここからが正念場だぞ!』
ギアミスレイニの内部に入った。その時点で、私の精神は千切れ飛ぶ寸前の状態であった。
自我の混濁、精神の散逸。わかっていたことだが、あまりにも大きな負荷だった。幸いにも私の体に便乗しているだけの他のみんながこの負担を負うことはない。ここで私が力尽きたとしてもみんなの魂が傷つくことはない。
だが、それでは何の解決にもならない。再びあの精神世界へ戻されるだけだ。きっと、みんなの力が結集した今しかモナドに対抗する機会はない。私は必死に散らばりそうになる自我を掻き集め、器の形を保っていた。
『王の様子がかなり辛そうなんじゃが……大丈夫か!? 吐きたいときは我慢せん方がいいぞ!』
しかし、モナドに自我を侵食された時と比べればまだ楽だ。みんなは私のことを害するような意思を持っていない。一心同体となりこの局面を共に乗り越えようとしている。みんなの気持ちが私の精神をつなぎ止めている。
私は少女の手の中にあるものを作り出そうとしていた。念能力による具現化である。艦内を走りながら作り出してはやり直す。何度も失敗を重ねるが、諦めずに挑戦する。
『それはいったい……何を作ろうとしているのです?』
悪いが、受け答えする余裕はなかった。しかし、言葉はかわせずとも心がつながった私の感情はみんなに伝わっているようだ。きっとこれはこの先、必要となるものだ。変化系である私なら相性の良い具現化系能力にも適性があるはず。何とか間に合わせて、完成させてみせる。
『おいメルエム、クインの居場所はわかったのか?』
『気安く呼ぶな。言われずとも『円』で探知している。だが、向こうも『共』とやらでこちらの探知に気づいているようだ。女王は艦内を目まぐるしく移動させられている』
メルエムは光子状のオーラを放散して広範囲の円を行使できる。その規模は裕にこの戦艦全域を網羅していた。通常の円は遮蔽物などがあればその向こう側に届かせることは難しいが、メルエムの光子は壁を透過してその先を確認できるレベルに成長したらしい。
こちらの動きに先行してクインの場所を移動させられていては、いつまで経っても到達できない。後はメルエムの能力に任せるしかなかった。
その能力は因果律操作である。起こり得る可能性を強制的に掴み取り、引き寄せて発生させるという凄まじい力である。ただし、何でもできるというわけではない。それができたらわざわざ戦艦に乗り込んではいない。
自らが起こし得る可能性、かつメルエムが『未来視』で確認し、確定した可能性しか実現できない。望む未来を見つけ出すことができなかった場合は、その時点における事象の発生確率がゼロであることを示している。
『女王のもとへ辿りつく未来は捕捉した。やろうと思えばいつでも引き寄せられる』
メルエムの力があれば、今すぐにでもクインの近くに飛ぶことができる。だが私には懸念があった。最初はクインのところに行ってみれば何とかなると根拠なく考えていたが、やはりそれは短慮というものだ。軽く決められることではない。
『忠告しておくが、一度女王のもとへ飛べばモナドは本気でこちらに警戒を向けてくるだろう。その状態からもう一度、同じように未来を引き寄せることはおそらく不可能だ』
チャンスは一度切りだ。やはり無策では挑めない。今すぐには飛べない。メルエムには能力の行使を保留してもらうように伝える。
『よかろう、待ってやる。だが余にできることはお前を女王のもとへ連れて行くことだけだ。その先の未来を見ることはできなかった』
つまり、そこで終わり。それより先の未来はなく、死を迎える結果がある。しかし、それはメルエムから見た限られた未来であり、他の誰かが起こしうる可能性まで完全に把握できたわけではない。メルエムにはクインを助けることはできないというだけだ。
そこから先は、私の仕事だ。私にしかできないことだ。
『王よ、少し前にあなたは『なぜ自分は生まれたのか』と私に問いましたね』
ルアンはその答えをずっと考えていてくれたようだ。私は走りながら、能力を試行錯誤しつつルアンの言葉を聴く。
『もしかすると女王は、自らを眠りから目覚めさせる存在として王を生み出したのかもしれません』
暴走した結晶体に囚われてしまったクインは、その本意を誰かに打ち明けることなく眠りについた。結晶体は人間の世界を目指し、海の底を進んだ。そして目的の場所に到達したとき、私を産み落して事切れたように海底で動きを止めた。
結晶体のネットワークを掌握したクインだが、深く関わり過ぎてしまったがゆえにそこから脱出することができなくなったのではないか。だから、外部から誰かの手によって本体を休眠状態から目覚めさせる必要があった。ネットワークの外に出ることができる存在、王にその役目を持たせたのではないか。
『だとすれば、モナドというイレギュラーさえ除けば、この状況は女王が想定していた事態と言えます。女王を目覚めさせる方法があるということでしょう。そうすればこの悪夢は終わります』
ルアンは私に希望を持たせるために言ってくれているのだろう。私は混濁する意識から力を振り絞ってルアンにあることを尋ねた。なかなかうまくいかなかったが、何とか言いたいことを伝えることができた。
『強制停止命令ですか? いえ、ネットワークシステムの管理についてはアルメイザマシンにもともと備わった機能ではありません。クインが自身の念能力である『精神同調』によって作り上げたものです』
それを聞いて安心した。今、私が作り出そうとしている新たな念能力が完成すれば、おそらくクインを助けだせる。
新能力を作るための時間をゆっくりと確保できなかったことが悔やまれるが、この追い詰められた極限状況下において、ようやく固まったビジョンでありアイデアだった。
『気をつけろ。この近くに、奴がいる……!』
走るのを止めて速度を落とす。同じ場所に留まり続けるよりも走りまわっていた方が少しは安全なのではないかと思ったが、そんな小細工は無意味だろう。いくら駆け回ったところでクインのところに近づくわけでもない。
見渡す限り真っ赤な内装は、まるで内臓の中を進んでいるかのような気味の悪さを感じさせた。戦艦の外観はある程度精巧に造られていたが、内部はそこまで気にしていないのか壁も床もぼこぼこしている。
実質、ここは内臓のようなものだ。敵の腹の中に自ら飛びこんでいるに等しい。安全な場所なんて存在しない。敵がすぐに襲ってこないのはただの気まぐれだった。そして、同じように戦いもまた気まぐれに始まるものだ。
「驚いたァ。驚いたなァ! どこの誰かと思ったよ。シックスなんだよね?」
通路の壁がぐにゃりと曲がり、大きく広がっていく。入口も出口もない一つの広い空間となった。その決闘場で、二人の少女が向かい合う。
「まさか王がもう一人生まれるとはね。俺の能力で門を塞ぎ、新たな転生者を出さないようにしていたはずだったんだが……やはり王は特別か。妙な力に目覚めてるみたいだし、どういうことなのかな? 気になるなー?」
オーラの光子を散らし、モナドの感情図を読み取る。圧倒的な自信が7割、他者を見下す蔑みが2割、そしてわずかな警戒心が1割。微塵も疑うことなく勝利を確信している。事実、それだけの強さがある。その強者の驕りだけが付け入る隙と言えた。
私は祈りの合掌の構えを取った。それに合わせてモナドはこちらを小馬鹿にしたように全く同じ構えを取る。
「まあ、別にどうでもいいんだけどね。どうせお前はここで死ぬ」
『壱乃掌』の型が発動し、観音像より振り降ろされた片手がモナドを虫のように叩きつぶした。
全く手ごたえがない。モナドはオーラで防御しようとしていなかった。絶のまま攻撃を受けて即死する。初めから防ぐつもりがなかったのだと気づく。
その直後、私の背後にモナドが出現した。奴は何度死のうと蘇る。そして、ここは奴の本体の内部である。どこにでも少女の念人形を生み出すことができた。
モナドの握撃が迫る。獲物に食らいつくように握りこまれる掌を逸らす。互いの体が組み合ったこの距離では千百式観音は使いにくい。もう片方の手でこちらも握撃を繰り出した。そして、向こうもこちらと同じように逸らしてくる。
握りこまれた掌の中で瞬間的に跳ね上がる摩擦力が小爆発を引き起こした。その衝撃で互いに吹き飛ばされる。間髪入れずに私は合掌した。『参乃手』の型が発動し、音速を超越した掌打の挟み撃ちにモナドは反応できず押し潰される。
「ひゃははははは!! 残念でしたぁ! 百式観音破れたり!」
確かにモナドは観音像の速さに追いつけていない。だが、それに抵抗せず自死を選ぶことで攻撃を無意味とし、さらにノータイムで神出鬼没に復活するという狂気の荒技をもってねじ伏せてきた。
『まさかこんな方法で対処されるとは思わなかったのじゃ……』
ネテロの能力を無暗に使えば逆に不利となる。接近戦に持ち込まれ、打ち合わされる拳打は時に握撃を織り交ぜて絡み合った。見えない巨獣にかじり取られたかのように、互いの体が抉り取られる。噴き出す血が宙で混ざる。
単純な実力は全く同じだ。しかし、モナドはまだ赤い鎧を身に纏っていない。奴にとってはこの戦いも子供じみた戯れだ。
「お前の目的はわかってんよ? クインを取り返せば俺を止められるとか考えてるんでしょ? いいよ。やってみなよ。この念人形の俺を倒すことができれば、クインのところまで案内してやろうじゃないか」
モナドの感情図は、意外なことに奴が嘘をついていないことを表していた。つまり、約束を守る気でいる。まずもって奴は自分の念人形が倒されることはあり得ないと確信している節はあったが、その上でもし万が一にも負けを認めるようなことがあれば、正直にクインのもとまで連れていく気があるようだ。
だが、それはモナドが仮に敗北したとしても構わないと思っていることの証左だった。予想通り、クインの本体に会うことができたとしても、こちらから干渉できる状態にないものと思われる。今のクインは完全に奴の支配下にある。
「さあ、頑張って! もっと楽しもうぜ! キングVS.キングの頂上決戦だぁ!」
もとより不滅のモナドからしてみれば敗北条件なんてものは存在しない戦いである。そう思い込んでいるからこそ、私たちには勝機がある。念人形同士の一対一形式で戦ってくれるというのなら望むところだ。
こちらの目的は戦いを制することではなく、私の能力開発が間に合うかどうかにかかっている。新たな発『王威の鍵(ピースアドミッター)』が完成したとき、私たちは勝利する。だが、それには今しばらくの時間が要る。
『任せろ、そのためにあたしたちはここまで来たんだ』
こちらの意図を汲んだように少女の左目が動いた。切り替わった片目の視界は、この世ならざる時空を捉える。哄笑し、まさに飛びかかろうと地を踏みしめていたモナドの体に重圧の負荷が襲いかかった。
「……ちっ、この力は……」
初めてモナドが不快げな表情を見せた。奴は別に脅威を感じているわけではない。ただ、自分がまだ手にしていない別の災厄の力を私が使っていることに苛立ったのだろう。
モナドの動きが鈍る。そこに三次元の空間歪曲を発生させた。下手に殺すと転生されるので機動力の要である脚部を中心的に狙う。
「ぬおおおお!? おめええええ! めっちゃからだがおめえええよおおおお!! あははははは!!」
互いに実力が拮抗していたところ、モナドにのみ加わった重圧によって一気に流れはこちらに傾く。超重力の負荷の中、それでもモナドは恐ろしい身体能力をもって果敢に攻勢を仕掛けてくるが、重力操作と空間歪曲を合わせた足止めを前に攻めきれずにいる。
あのモナドを一時的に押さえこめている。さすがは災厄の力と言ったところだが、奴はまだ本気を出していない。明らかに遊んでいる。
攻撃に必要な質量は床から吸い取っているが、ギアミスレイニに影響はないだろう。モナドは無から金属を際限なく生成できるため、質量も無限に生み出せる。だが、それで構わない。
『左目の制御はあたしが引き受ける! 敵はこっちで食い止めるから、お前は自分のやることに集中しろ!』
私はモナドから距離を取り、能力の発動を実践する。その手に鍵を具現化しようと試みる。夢の中で見た小さな鍵。閉ざされた扉を開く、自由の象徴を。
次回、モナド戦決着。