カーマインアームズ   作:放出系能力者

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90話

 

 意識を集中し、頭の中に浮かんだイメージを念によって形作る。モナドに気づかれないように手の中に隠して作った。しかし何かそれらしい物体は出て来るのだが、はっきりとした形になる前にオーラが霧散してしまう。完成には程遠い。

 

 具現化系の発は、一般的に全ての系統中で最も習得までに時間がかかると言われている。このわずかな時間のうちに完成させようというのが、まず普通なら考えられない暴挙である。

 

 だが、やるしかない。私が欲しいものは『鍵』そのものではなく、その物体に由来する特殊能力を付加できる点にある。それこそが具現化系能力の真骨頂だ。他の系統で代用はできそうにない。

 

 頭ではわかっているが、しかし現実は非情だった。今もチェルが重力操作でモナドを足止めしてくれている。その間も具現化に失敗し続け、貴重な時間をただ浪費していく。

 

『焦ってはいけません。具現化したいものを作ろうと意識し過ぎると、かえって逆効果です。この状況では難しいかもしれませんが一旦、頭を空っぽにしましょう』

 

 ルアンが習得の指南をしてくれるようだ。その言葉に従い、瞑想の手順を踏む。ビスケとの修行で培った基礎が活きた。忙しなく行き交っていた思考が静まり返る。

 

『具現化系の修行は、その『物』のイメージをとにかく明確にすることに尽きます。今から私がその物に関する質問をしていきます。心の中でいいので即答してください。考えたり悩んだりしてはいけません』

 

 ルアンの能力『並列思考(マルチタスク)』によって意識が広がっていくような感覚を得る。より複雑に、それでいて深く、無意識に近い状態で瞑想が可能となっていく。

 

 ルアンは鍵の形や大きさ、材質や色などについて質問をしてきた。私は言われた通り、即座に心の中で答えていった。少しずつ、水鏡に像が映し出されるように揺らぎながらもイメージが形を取り始める。

 

 次第に質問は形状に関するものではなく、抽象的な内容に変わって行く。心理テストのように一見して何の関係もなさそうな質問がされることもあるが、不思議と答えていくうちに鍵の像が固まっていく。

 

『もう一度、同じ質問をします。あなたはそれにどんな印象を受けますか?』

 

 自由、束縛からの解放、個の承認。

 

『あなたの手の中にそれはあります。それを使って何をしますか?』

 

 クインを助ける。

 

『なぜそうしようと思いましたか?』

 

 ……。

 

 なぜ?

 

 みんなを助けたいから。モナドを止めたいから。色々と答えは思いつくが、何か違う気がした。聞かれているのは、その根本の理由だ。なぜそうしたいのか。助けたいから助けたいでは答えにならない。

 

 答えに詰まるほどに、せっかく思い描けつつあった鍵の像が乱れていく。あと少しで完成しそうだった。ここまで来て振りだしに戻りたくないという焦りが、より一層イメージをかき乱していく。

 

 そこへ追い打ちをかけるように、左目に激痛が走った。

 

『くそ……すまん! 限界みたいだ!』

 

 左目の視界が神字に似た式らしきもので覆い隠された。このワームの力を宿した眼球には一定期間内の使用限度が決められているらしい。無理に使おうとしてもうまくいかないどころか、ワームを目覚めさせる危険があるため、念の術式によってセーフティがかけられている。

 

『一旦、具現化のことは置いてモナドの対処に切り替えましょう! すみません、私も戦闘方面で何か力になれれば良かったのですが……』

 

 ルアンはモナドとの戦いに備えて様々な兵器の開発を手掛けていたらしい。だが、それらは全てアルメイザマシンを使って作り出すものだった。今の状態では使うことができない。

 

 この体は私の意識を主人格としている。そのため前に習得した念能力を使うことができるのだが、それに付随して誓約の縛りも受け継がれている。『アルメイザマシンを使えば死ぬ』という誓約がまだ続いているのだ。

 

 ルアンは何も悪くなく、謝るべきはむしろ私の方だろう。それに彼女の知識があったからここまで作戦を立てることができた。具現化能力の引き出し方も教えてもらえた。最後で躓いてしまったが、感覚を捉えることができた。居てくれるだけでありがたい。

 

「おや? おやおやおやぁ? もしかしてもうバテちゃった? じゃあ、次はこっちのターンだな!」

 

 モナドの近くの床が変形し、台座と箱のような物体がせり出した。モナドはその箱の中に手を突っ込んで何かを漁っている。隙だらけだが、奴の邪魔をしても意味がない。調子に乗せておいた方が扱いやすいだろう。

 

「なかなか面白い能力を身につけて来たようだが、レパートリーなら俺も負けてないぞ。俺の場合は“渦に飲み込まれた自我”の能力を取り出せる。さあ、念能力ガチャの時間だ! ダララララララ……ジャン! 最初の能力はこちら! 『花鳥風月(シキガミ)』!」

 

 モナドは箱から取り出した紙切れを開いて読み上げる。するとその紙が一匹の念鳥に変化して飛び立った。が、すぐに力尽き落下して動かなくなる。

 

「なんだこりゃ宴会芸か!? 大ハズレじゃねぇか! 使えねー!」

 

『テメェ……!』

 

 チェルが怒っている。これは彼女の仲間であったトクノスケという人物の能力だったはずだ。陰陽道という特殊な念体系と、古神字と呼ばれる術式を駆使して念鳥を作り出す。そういった知識の下地がないモナドが能力だけ取得しても使いこなせるものではない。

 

 箱からクジを引くような行動にも意味はない。あらかじめ用意していたのだろう。結局は茶番だ。

 

「気を取り直して、次のガチャだ! ダララララララ……ジャン! 今度の能力は『打ち滅ぼす者(スラッガー)』! さあて、こいつはレア能力なのか!?」

 

『ブッチャの能力まで奪ったのか。気をつけろ! 奴が打ち出すボールには防御貫通能力がある。抵抗する力が大きいほど威力が増すぞ!』

 

 アルメイザマシンで棍棒とボールを作り出したモナドは、バットのようにフルスイングしてボールを打ってきた。真っすぐ飛ぶだけの球をかわせないことはない。あっけなく回避に成功し、ボールは壁にめり込んだ。

 

 しかし、壁の中をぼこぼこと貫通して離れていったボールだったが、軌道を変えて戻ってきたのか今度は床から突きぬけるようにしてこちらを狙ってきた。

 

 それもかわしたが、天井にめり込んだボールは同じように戻ってきて執拗に私を狙い続けてくる。その繰り返しだ。しかも、ボールの勢いは衰えるどころかどんどん加速していく。

 

「オラァ! 地獄の千本ノックだ!」

 

 さらにモナドが追加球を打ち出してきた。四方八方、縦横無尽に剛速球の群れが迫る。特に、このボール同士が正面からかち合った時の衝撃は凄まじい。チェルの言う通り、防御しようとすればそれ以上の力が発生して突き破ってくる。

 

 本体の装甲でもまともに当たればダメージを受けるだろう。モナド自身もまたこの攻撃によって全身を幾度となく貫かれているが、一向に気にせず球を打ち続けている。

 

『うろたえるな。円を使え』

 

 メルエムの光子状オーラが壁に浸透し、その向こう側の状況まで詳細に伝えてくれた。ボールがどの方向から飛んでくるのかわかれば対処は容易だ。

 

 どうやら障害物を掘り進む際の抵抗によってボールは速度を得ているようだが、際限なく加速しているわけではない。ある一定以上の速さになるとモナドにも操作が効かなくなるのか、ボールはどこか彼方へ飛んで行ったまま戻ってこないようだ。

 

 広範囲に展開された円が全てのボールの軌道を把握した。多少、少女の肉体を削られたところですぐに修正は効く。本体にさえ当たらないように気をつければ問題ない。モナドもこちらが対処できていることに気づいたのか、しばらくしてノックの乱れ打ちを止めた。

 

「これもハズレかー! 次だ次! 次こそ激レア能力が来るはずだー! ダラララララララ……ジャン! おおっとこれはぁ? 『元気おとどけ(ユニゾン)』だってさ? かわいらしいネーミングだが、果たしてその効果やいかに!?」

 

 モナドは新たな能力を発動させたようだが、見た目に特別な変化はなかった。凝をしてみても異常は見られない。

 

『これはジャスミンの能力……いや待て、確か今のあたしらってアルメイザマシンを使ったらヤバいんだよな!? だとしたら……まずいかもしれない! すぐに円を解除しろ!』

 

 円のオーラを解くと同時にモナドが狂笑を浮かべながら接近してきた。

 

『かわせ! 防御もダメだ! 攻撃を受ければ死ぬぞ!』

 

 理由はわからないが、チェルの言葉を信じた。突き出される拳打を必死に回避する。紙一重でかわしていく。万全の状態で互角に戦い合った敵に対し、相手に触れてはならないという一方的な制限をかけられては不利どころの話ではない。手も足も出ず、死に物狂いで回避し続ける。

 

「あれぇ? なにその反応。もしかして知ってんのか? でもさぁ、必死こいて避けたところで意味ないんだよね。お前、ここがどこだかわかってるか?」

 

 モナドは攻撃の手を止めた。私はすぐに距離を取ったが、喉元に刃を突きつけられたかのような危機感は消えなかった。

 

 ここはモナドの本体の中にある。この空間そのものがモナドの体内、支配領域だ。奴のオーラが空気中に充満している。いわば、こちらは全身を触れられているに等しい状態だった。

 

「ジ・エンドだ! ばいばいシックス!」

 

 私の体表に張り付くように赤い金属の膜が生じた。アルメイザマシンの感染と劇症化の反応が表れようとしている。それは私の誓約に反する現象だ。モナドの狙いに気づいたところで手遅れだった。

 

『……強制的にアルメイザマシンに感染させる能力だったのですね。ですが、そういうことなら』

 

 表皮に張り付いていた膜はそれ以上成長することなく剥がれ落ちていく。私はまだ死んでいなかった。

 

『手前味噌ですが、このウイルスの抑制プログラムの開発者は私でしてね。対モナド戦を見据えて用意しておいたソフトも無駄ではなかったようです』

 

 ルアンが何とかしてくれたようだ。私のオーラがウイルスに感染しないよう、保護してくれたらしい。能力が不発に終わったモナドは困惑したような表情をしていた。

 

「えぇ……なにそれ。『ばいばいシックス!』とか思いっきり叫んだ俺が馬鹿みたいじゃん。死んで?」

 

 モナドが攻撃を再開した。先ほどと同じ接近戦だが、今度はこちらもまともに応戦できる。そう思ったが、予想外の苦戦に持ち込まれた。

 

「おお? この能力はアタリか!?」

 

 モナドに攻撃を打ち込もうとすると、当たった瞬間にこちらのオーラが吸い取られるような感覚があった。そのせいで威力が大きく減少させられてしまう。さらに、モナドの攻撃は私のオーラに割り込むように食い込んできてこちらの防御力を無視してくる。

 

『『元気おとどけ』はオーラを融合させる能力だ! 触れ合ったオーラを術者にとって都合の良い状態に変化させてくる!』

 

 オーラに干渉して対象の攻防力を操作することができるとは。ウイルスの感染能力を差し引いても非常に厄介だ。こちらはモナドとは違い、本体がやられれば死ぬという枷がある以上、余計に慎重にならざるを得ない。

 

「そらそらそらぁ! 今度こそ終わりだぁ!」

 

 防戦一方だ。モナドの手刀を受け損ない、本体の脚が二本持っていかれた。本体の強固な装甲を以ってしても、モナドの地力と攻防力の変動が合わさった攻撃は防ぎきれない。このままではじわじわと嬲り殺されてしまう。

 

『ジャスミン、そんな奴の言いなりになんかなるな……!』

 

 モナドに取り込まれてしまった少女を思い、絞り出すようにチェルは願った。詳しく話を聞いたわけではないが、確かチェルと境遇を同じくした子供たちの一人だったはずだ。既にその自我は崩壊してしまったという。

 

 私はチェルたちのようにジャスミンを助けることができなかった。他にも助けだせなかった自我はたくさんいる。もはや声をかけたところで届くことはない。

 

 だがそれでも、私はチェルと共に願った。ジャスミンの魂に呼びかける。言葉にはできずとも、オーラに込めた思いをモナドにぶつけ続ける。

 

「無駄無駄ぁ! ぜーんぜん痛くないもんねえええ!! んあ――?」

 

 私の左目に変化が現れ始めていた。この左目には、チェルの仲間だった二人の死後の念によってワームが封印されていると聞いた。そのうちの一人がジャスミンだったのだ。彼女の『融合するオーラ』がこの目にも宿っている。

 

 徐々にオーラの流れが変わり始める。拳を合わせるたびモナドの体内からオーラが流れ出て、私の方に移動してくる。

 

「は? なんで?」

 

 やがてモナドのオーラは『元気おとどけ』の効果を失い、通常の状態に戻っていた。ジャスミンの自我は確かに無くなっている。だが、その念は左目に残されたつながりを辿って一つの場所に戻ろうとしていた。

 

 ジャスミンのオーラが全て私と融合し、左目の中に収まった。そこに私のオーラを流し込むことで『元気おとどけ』の効果を付加されて体内に還元された。そのオーラを拳に込めてモナドに叩きこむ。

 

 先ほどとは真逆の状態で繰り出された私の拳はモナドの攻防力を無視して炸裂する。モナドは右の肩口からごっそりと体が抉れ、千切れた腕と共に後方へ吹き飛ばされた。

 

 そのまま床に倒れたまま動かなくなる。まさか倒したなどということはない。欠損した右腕も元通りに治っている。しかし、モナドは寝転がったまま起き上がらなかった。

 

 

 

「飽きた」

 

 

 

 少しして、ぽつりと言葉を漏らす。そして、その体を覆い尽くすように赤い結晶の粒が集まっていく。モナドの全身が炎のように揺らぐ鎧で包まれた。

 

 ついに来た。思わず固唾を呑む。ここから先は戦闘の質が変わる。ただでさえ対応に追われて、いまだ鍵の具現化に成功していない私は焦りを覚えずにはいられなかった。早く完成させなければと手の中にオーラを集める。

 

『敵に集中しろ! 来るぞ!』

 

 メルエムの警告がなければ反応できなかった。床に突っ伏していたモナドは次の瞬間、私の横に立っていた。

 

 そこからの挙動は無意識に体が動いたためとしか説明できない。自分でもわけがわからないまま反応し、モナドの攻撃を捌いていた。

 

 何とか対処が間に合い、さらにジャスミンの能力をもって敵の攻撃威力を和らげることに成功するが、その結果、本体の腹部を全損する怪我を負う。

 

 あと一つの刹那、動きが遅れていれば殺されていた。今までの戦いは遊びですらなかったのだとわかった。強さの次元が違う。

 

 これを相手にしながら新能力の練習をするということがどれだけ無謀か。全身全霊で戦わなければ死ぬ。余計な一手が一つでも混ざればそこで終わる。勝ち目なんてものは存在しない。ただ、生き残るだけで死力が必要となる。

 

「アルメイザマシンを使ったら死ぬとか、ほんっと馬鹿な誓約作ったよね? お前もこの力が使えれば、少しは戦えたかもしれないのにさ」

 

 ルアンから事前に聞かされていた。その能力『仙人掌甲冑(カーバンクル・タリスマン)』は、使えば強大な力を得る代わりに正気を失って暴走する。どのみち使える技ではない。渦と同一化し、その悪意の流れを自身にではなく、外に向けることができるモナドだからこそ正気を保ったまま制御できる技だった。

 

 それでも、誓約が枷になっているというモナドの言葉は的を射ている。ルアンはモナドの能力を調べ上げて、ずっと対抗策を模索していた。モナドには勝てないと諦めつつも、戦いを挑もうとしていた。それだけの策と兵器を用意していたはずだった。

 

 私のせいでそれらを無駄にしてしまった。ルアンが全力を出せればもっとモナドと同等に戦えただろう。アルメイザマシンさえ使えれば。

 

 

 アルメイザマシンさえ使えれば……?

 

 

『何ぼうっとしてんだよ! 気を抜くなって!?』

 

 頭の中に一つの案が浮かぶ。それが果たして妥当かどうか、試すに値するか検討する。

 

 私はアルメイザマシンを使うと死ぬ。今の私の個体が発生するとき、アルメイザマシンから本体が作られているが、これは私たちの自我と命が宿る前の出来事なので死ぬこともなかったということだろう。既に用意されていた体に入っただけだ。

 

 まず肉体が作られ、そこに魂が宿り転生した。そのプロセスが逆だったならば誓約に抵触していた恐れがある。今思えば生まれることからして賭けだった。

 

 その例を除けば、いかなる状況であってもアルメイザマシンを能力として行使した時点で命を落とす。そして、この誓約は私の意識に同居しているみんなにも影響している。そのせいでルアンは、ほとんどの能力が使えなくなってしまった。

 

 もし、この図式が入れ替わったとしても同じ縛りが発生しただろう。つまり、私の意識に同居する誰かが課した誓約は、私自身にも影響する。念能力を共有しているのだから誓約だって共有するはずだ。

 

 だったら、モナドを私たちと同じ関係にしてしまえばいいのではないか。仮に私の誓約を、モナドにも負わせることができるとすれば、どうなる。

 

 モナドの個体は死ぬことをトリガーとして自動的に発生する。『終わり無き転生』の能力で自分の魂を死後強まる念に変え、それをアルメイザマシンにより再構成している。肉体に魂が宿るのではなく、魂から肉体が生じる。発生プロセスが私たちとは逆なのだ。

 

 クインの強制停止命令ならばこのサイクルを中断させることができるが、それでもモナドは消滅しないだろうとルアンは言っていた。あくまで機能を停止させるだけだ。

 

 だが私の策がうまくいけば、モナドを殺せる。アルメイザマシンを使えば死に、死ねばアルメイザマシンによって蘇る。この転生のサイクルは止まることなく機能し続ける。モナドは永遠に、無限に死に続ける。

 

 殺すなんて生易しいものではない。悪魔的奇手だ。そして図らずもこの策を実現しうる可能性があった。私が作ろうとしている具現化系能力『王威の鍵(ピースアドミッター)』があれば、おそらくできる。

 

「さあ、あと何秒もつかな!? せいぜい足掻け!」

 

 モナドの攻撃は威力も速さも格段に増していた。敵のオーラを見極めて流で受けて止めた上で肉が裂け、骨が折れる。噴き出す血液に『落陽の蜜(ストロベリージャム)』の効果を合わせて粘液の枷とし、モナドの動きを封じにかかった。

 

 動きを止めるには程遠い拘束力しかなかったが、それでもわずかに奴の挙動を遅らせることができた。その一瞬の隙を見て後方へ離脱しながら合掌する。

 

『壱・弐・参の掌(ひふみのて)』

 

 出現した三体の観音像から繰り出される怒涛の連撃がモナドを襲う。挟み取り、叩き潰し、突き穿つ。鎧を出してきたモナドなら今までのように簡単に死ぬことはないかもしれないという期待があった。

 

 奴の性格ならここで対抗意識を燃やして正面から千百式観音と打ち合おうとするだろうと考えた私の予想はあっさりと裏切られ、死んで蘇ったモナドが鎧を纏った状態で湧き出て来る。虚を突かれた私の体が大きく吹き飛ばされた。

 

『落ち着くのじゃ! 奴にわしの技は通用せんとわかっとったはずじゃろ!?』

 

 ネテロの言う通りだが、無理をしてでも時間を稼ぐ手段を見つける必要があった。もはやモナドを制するには『王威の鍵』を完成させる以外にない。

 

 この能力は自分以外の誰かに『王威』を与える効果を持つ。王威を鍵の形に具現化し、譲渡可能にする能力である。

 

 『王位』ではなく『王威』だ。女王ではない私に新たな王位を作ることはできない。渦の中で全体意思に統合されようとする自我に『個』を与え、認める力。王に許された独立性を根拠にすればできる気がした。これならばモナドと同一化した悪意の渦に囚われているクインも救い出せると思った。

 

 だが、この能力には重大なリスクが存在する。王威なんて概念を勝手に定義づけたところで実際に作れるわけではない。王と王位は不可分である。モナドが私から王位を奪い取ったような例外を除けば、譲り渡すことはできないとルアンが明言している。それを実現する手段は一つしか思いつかなかった。

 

 私の持つ『王位』を分割して譲り渡す。そのために私の魂ごと分け与える。これをもって『王威』とする。

 

 みんなの魂を受け入れる器となった私の魂は堪え切れず千々に分かれようとしている。その状態になって気づいたのだ。『私』という存在を保つことにこだわらなければ、この魂に王位を乗せて分け与えることができると思った。

 

 魂を分けるという行為の先に私の存在がどうなるか確証はない。ただ、自分が自分でなくなることだけはわかった。

 

 無と有の中間のような存在かもしれない。死とも生とも言えない。今みたいに転生して生まれ変わることもできなくなる。自我どころか、一つの魂が壊れることを意味している。

 

 それでもいいと思った。それでクインを助けられるのなら、みんなを助けられるのならいいと思った。

 

 だが、そこに別の選択肢が浮上する。この力でモナドを殺せるかもしれないという、当初の目的とは外れた可能性が私を動揺させた。

 

 赤い鎧の力を得たモナドを前にして、全力で対応してもボロボロにされていく。みんなが私に何かを言っているが、それを聞くことに意識を割く余裕もなかった。一刻の猶予もない現状において、私の思考は取りとめがなくなっていた。

 

 モナドに私の魂の一部を移植し、私の誓約を押し付けることができれば、全てが丸く収まるのではないか。

 

 クインが目覚めれば強制停止命令が出せるとはいえ、それでもモナドを完全に消滅させることはできない。不安の種は残り続ける。引導を渡すなら今しかない。

 

 奴は地獄を見ることになるだろう。生まれては死ぬことだけを繰り返す存在となる。だが、それだけのことをしている。多くの人を殺し、多くの不幸をもたらした。その報いを受ける理由はあるのではないか。

 

 私の能力はその性質上、一度しか使うことができない。魂を分け与えればその時点で私の意識は消滅するだろう。ただその一回の行使で、今現在も私の中にいるみんなの魂にも同時に王威を与えることができるはずだ。本当なら、そういう使い方をしてクインとみんなを助ける予定だった。

 

 私の体の外にいる誰かに王威を渡すためには、鍵の形に具現化させた王威を直接渡す必要がある。つまり、クインを助けてモナドも封じるというやり方はできない。どちらか片方にしか渡せない。

 

 善意をもってクインを救うか、悪意をもってモナドを殺すか。解放するための鍵とするのか、封印するための鍵とするのか。選べる道は二つに一つだ。

 

「お前、さっきから何やってんの?」

 

 モナドが私の挙動に不審を感じたのか、具現化を試みていた私の腕を切り離してきた。その手の中から出来損ないの鍵がこぼれ落ちる。

 

「なにこのゴミ?」

 

 踏みつぶされる。頭の中を埋め尽くす思考は、一方向に傾き続けていた。

 

 クインを助けだすためには直接、彼女のところまで行かなければならない。いくらメルエムの力で近くまで飛べると言っても大きな危険がつきまとう。未知の能力を使われたモナドは全力で阻止しようとしてくるだろう。

 

 果たして、奴を振り切って辿りつけるだろうか。標的をモナドに変えればその点は何の問題もない。ここは奴の体内だ。そのあたりの床にでも鍵を差し込めば攻撃が終わる。いくらでもその機会は作れる。

 

 私も一緒にそこで終わるが、最大の強敵であるモナドを倒せる。後のことは、みんなが何とかしてくれるだろう。クインも後で助けてくれるはずだ。私が一人で全て解決する必要はない。

 

 別に、その役は私でなくてもいいのではないか。

 

 がくりと、唐突に膝から力が抜けた。思わぬ攻撃を受け早急に状況を把握しにかかるが、モナドが何か仕掛けてきた気配はなかった。つまらなそうな顔でこちらを眺めているだけだ。

 

 つまり、ただの限界だった。私の虫本体は、今や頭部を残すのみとなっている。ぎりぎり生きているだけという状態である。少女の肉体の操作に支障をきたすのは当然だった。そんなことにも気づけなかった。

 

 思うように立てない。みんなの声はとても小さく、聞き取れなくなっている。確かに一緒にいるはずなのに遠く離れたところに行ってしまったように感じた。そんな私を見て、モナドはとどめを刺そうともしなかった。

 

「思えばお前とは短いようで、長い付き合いだった。ちょっとだけ感傷に浸る気持ちもある……お別れの前に少し話をしてやろう」

 

 今さら何を言おうというのか。だが、手を休めてくれるというのならそれを遮る理由はない。大人しく話を聞いた方がいい。その傍ら私は具現化に集中しようとしたが、続くモナドの言葉によって硬直する。

 

「なぜお前は生まれたのか。どうして記憶の一部が欠如していたのか。知りたくはないか?」

 

 思わずモナドの顔を凝視した私の反応を見て、奴はにやりと笑った。その悪辣な笑みにどうしようもなく不吉な気配を感じ取る。

 

「クインは渦の中から脱する手段として王位を作った。渦は逃げ場のない自我の墓場だ。あいつはそれを夢として仮初の安楽所である精神世界を作ったが、それさえも広大な渦の中に取り残された小さな島に過ぎない。クインはその渦から逃れることを渇望した」

 

 手が震え、呼吸が荒くなる。その先の言葉を聞いてはならないと理性が否定する。

 

「王位とは“手段”だ。お前は手段として生み出された。俺が横からかっさらってやったが、もし俺が手出ししなかったとしてもお前にしてみれば結果は変わらなかったんじゃないか? “そこ”に俺か、ルアンか、クインか、他の誰かが入り込んでいたという違いでしかない」

 

 意識が乱れる。精神が千切れる。必死に手繰り寄せていた魂が、壊れてどこかに消えようとしている。

 

「お前は王位を収めておくためだけの入れ物なんだ。だから、余計な知識はもたされなかった。何も知らされず、食い物にされるだけの役割さ」

 

 モナドがゆらりと構えた。断頭台の刃のように腕を掲げる。光を失っていく視界が滲む。私は身動き一つ取れずにいた。

 

「だからお前の夢はクインの夢とリンクしてるのさ。全ては王位を手に入れるための布石! クインはその玉座に後々座りやすいように、自分の人格を基にしてお前を作った!」

 

 勝ち誇り、最後の一撃を振り降ろそうとするモナドに対し、私は何の抵抗もできなかった。

 

「お前はただの作られた自我! 生まれてきた意味なんて最初から存在しねーんだよ! じゃあな、劣化コピー!」

 

「それは違います」

 

 モナドの手刀を誰かが受け流した。しかし、この場には私とモナドの二人しかない。必然的にモナドの攻撃を捌いた者は私ということになる。

 

「……お? なんだまだ喋る元気があったのか? 何が違うって? 反論があるなら言ってみろよ? ほら、どうした? 言えよ!」

 

「私はクインのそばにいました。彼女はずっと眠り続けていましたが、確かに彼女の思いや感情を感じ取ることができた。少なくとも私は、クインがあなたに対して“悪意”を露ほども持っていなかったと断言できます」

 

 誰かがいる。温かい気配を感じる。その人は私の口を介して、私に語りかけてくる。

 

「一度は死に、王位を奪われたあなたが、またこうして生まれることができたのは偶然じゃない。クインがあなたのために新たな王位を作り出していたからです」

 

「……は? 意味不明なんですけど。頭イカレてんのか?」

 

「記憶の一部が引き継がれなかったのは、あなたに全てを忘れて“人”としての人生を歩んでほしかったから。それがクインの夢でした。自分の夢を、あなたに託した。あなたでなければならなかった」

 

 その人の言葉に嘘はないとわかった。ひび割れて砕けかけた魂の継ぎ目をふさぐように温かい何かが流れ込んでくる。

 

「我が子を愛する親として、クインはあなたを送り出した。それがあなたの生まれてきた意味です」

 

「は、えっ、なにをいって……てめぇ、だ“誰”なんだよォッ!?」

 

 体が動く。それは私の意思ではなかった。その人が立ち上がらせ、支えてくれた。癇癪を起したように殴りかかってくるモナドの攻撃を次々にいなしていく。

 

 それは感嘆するほどの技だった。圧倒的な実力差があるはずのモナドの攻撃をかわし、防ぎ、受け流す。まるで綿密に打ち合わせた上で決まりきった演武を披露しているかのように、私とモナドの動きが合わさる。

 

「もおおおおおお!! これあのカトライのクソうざってぇやつじゃねぇか! いい加減とっとと死ねって! 無様に負け死ね! お前の死に顔見たいから、こっちはわざわざ念人形で相手してやってんだって! 手間増やすんじゃねぇよボケ!」

 

 私の体から発せられるオーラの芳香がモナドの“欲”を暴き出し、一挙手一投足に至るまでその狙いを逆手に取って支配している。モナドには全くそんなつもりはないだろうが、本気の攻勢が陳腐な演練と化しているかのようだった。

 

『どうやら調子が戻ったようじゃの。全く、心配させるでないわ!』

 

『クインのことはちゃんと話してやっただろ。クインはお前のこと大事に思ってるよ。そういう奴だ。だから、お前もあいつのことを信じてやれ』

 

 みんなの声が聞こえてくる。消え入りそうになっていた心に活力が戻ってくる。やはり私一人の力ではどうにもならなかった。みんながいなければ何もできずに終わっていた。

 

『もう心は決まりましたか?』

 

 私の迷いはなくなっていた。足りなかった最後の欠片が埋まった。今ならば、きっと鍵の形を思い描ける。私はクインのところに行きたいとメルエムに伝えた。

 

『未来は既にお前が掴んでいる。引き寄せろ』

 

 私の拳が眩しく輝き始めた。瞼を閉じてなお視界を焼き尽くすほどの光が満ちる。世界を白く染め上げる光量が解き放たれた。

 

 

 * * *

 

 

 私はメルエムの力でモナドを何とか振り切り、壁を破壊して艦内を強行突破。モナドの油断した隙を突いてクインがいる部屋まで辿りついた。

 

 ということに“なった”。

 

 

 * * *

 

 

 そして私はさっきまでとは異なる光景の空間にいた。別に一瞬でワープしてきたわけではない。この場所に到達するまでの記憶は確かに存在するのだが、自分でも信じられないような体験だった。現在が積み重なって未来となるのではなく、決定した未来に向けてそうなるべく現在が動かされたとしか言いようのない違和感だった。

 

 すぐに意識を切り替えて周囲を観察する。大きな機関室のような場所だった。部屋の中央に赤と緑のランプがついた箱型の装置が置かれている。すぐにそれがクインだとわかった。その中にクインがいる。

 

「うらあああ!! マジで何しやがったお前!? ここは――」

 

 私の前に立ち塞がるようにモナドが出現する。奴が追い付いて来ることはわかっていた。私は合掌する。音もなくモナドの背後に現れた観音像が両手を差し出した。

 

 『零の掌(ぜろのて)』

 

 それはネテロの奥義。有無を言わさぬ慈愛の掌衣をもって対象を優しく包み込み、術者の全オーラを念弾に変えて観音像の口より放射する。まさしく渾身。全身全霊をかけた無慈悲の咆哮である。

 

 その威力が途方もないことは言うまでもない。だが、ただ威力が高いだけではモナドに対して効果がないこともわかっている。殺してしまっては何の意味もない。

 

 私はその咆哮に『落陽の蜜』の効果を合わせた。渾身のオーラに粘性を与え、瀑布のように溢れ出る粘液をモナドに浴びせた。必死に逃れようともがくモナドの体にとめどない粘液の滝が降り注ぐ。奴の全身を繭のように包み込み、自死すら許さず拘束する。

 

 すると、今度は部屋の壁が生き物のようにうごめき始めた。床も天井も圧縮され、空間が狭められる。ついにモナドはなりふり構わなくなったのか、この部屋ごと私を圧殺しようとしてきた。

 

 それを抑え込んだのは零の咆哮であった。尽きることなく放出される粘液が空間を埋め尽くす勢いで広がっていく。粘液の海が押し潰そうと迫る上下四方の壁を食い止めた。

 

 その海を、私は泳ぐ。オーラを使い果たして精も根もつき果てた私の体は、左目から流れ込んできたジャスミンのオーラによって最後の力を得た。一心不乱に水を掻き分けて突き進む。

 

 手の中には『王威の鍵』が形作られつつある。

 

 私が歩むべき道は一つしかなかったのだろう。最初からこの鍵は、誰かを救うため作ろうと決めていたはずだ。モナドを殺すために使おうと考えて、心が揺れた状態では具現化できるわけもない。

 

 モナドを許せないと思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。ひどい目を受けた。恨みもいっぱいある。良いところなんて一つもない最低のクズ野郎だ。

 

 でも、私たちが生まれ出る直前にモナドの過去の記憶を体験したとき、奴がどんな無念を残して死んでいったのか知ってしまった。誰にも助けてもらえずに、この世界を呪いながら死んだ。

 

 だからモナドのしたことが許されるというわけではないけれど、それでも可哀そうだった。

 

 クインの装置が移動させられていく。私はその後を追って泳いだ。外圧によって粘液の海が押し縮められていく。相手との大きさが違い過ぎた。間もなく、この空間は押し潰され、クインはどこかに場所を移されてしまうだろう。

 

 見放すものか。救うと決めた。その覚悟と誓約が私を後押し、鍵の具現化を完成へと導いた。

 

 私はかつてアルメイザマシンを使ってはならないという誓約を作った。だがそのときの私は誓約の本当の意味を理解していなかった。誓約とは覚悟を糧に力を得る儀式である。

 

 ビスケはその誓約の効果で私の能力が向上したように感じていたようだが、私にとってみれば大して何か特別な力を得たような気はしなかった。それも当然である。私の誓約は、その時点で半分しか成立していなかった。

 

 アルメイザマシンを封じただけで満足してしまったのだ。それだけで目的は達成していた。その先にあるものを、何も考えていなかった。

 

 だから、今こそ力を求める。“何のために”必要な力なのか、ようやくわかった。

 

 これまでの記憶を振り返る。色んな人に出会い、助けられて私はここまで来た。私は何度も救われた。だから、今度は私が誰かを救う番なのだ。

 

 クインが私を救い出してくれたように、私も彼女を救いたい。救うこととは、救われることだった。誰かを助けて、助けられる。この世界はそうやって巡っていく。

 

 それが人間なのだと思った。

 

 モナドだって例外じゃない。誰にも助けてもらえなかったから、手を差し伸べてくれる人がいなかったから、最初の一歩を踏み誤ってしまっただけだ。

 

 モナドが初めて私に接触してきたとき、あいつは誰かを救えと言った。救済の決意こそ能力の発動条件だった。本人は皮肉のつもりだったのだろう。モナドは、この世に救いなんてないと思っている。

 

 でも能力というものは本人の精神を映し出す鏡だ。本当は、本人ですら気づいていないかもしれないが。自分を救ってくれる誰かを、今もまだ待ち続けているんじゃないだろうか。

 

 私ではモナドを救うことができなかった。その役は、これから先を生きていく誰かに任せることにしよう。私の役目はその未来を切り開くことだ。

 

 小さな鍵を手にして進む。寂しげにランプを明滅させる装置に向けて、その手を伸ばした。私は意識の奥底で感じた気配を想起していた。渦の中でさまよっていた私を導いてくれたあの手の感触を。

 

 

 だいぶ遅くなってしまったけれど、会えて良かった。

 

 

 二つの手が、つながった。

 

 

 

 


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