カーマインアームズ   作:放出系能力者

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最終話

 

 焼けたバターの甘い香りが鼻をくすぐる。オーブンから取り出した焼き立てのクッキーを皿に盛りつけていく。大皿いっぱいに積み上がったクッキーをテーブルへ運んだ。

 

 窓の外からは柔らかな日差しと、鳥たちのさえずる声が入ってきた。通りには人影がぽつぽつと見える。庭木の梢には朝露が光っていた。今日もまた、新しい一日が始まる。人は過去に踏みとどまることはできず、時は誰にでも等しく流れていく。

 

 シックスがいなくなって、もう数カ月が経った。

 

 シックスが起こしてくれるまで、私は長い眠りに就いていた。暴走したアルメイザマシンの塊を何とか制御しようとネットワークシステムを構築することに成功したが、無限増大するネットワークの海に意識を浸し過ぎた影響か、そこから抜け出すことができなくなっていた。

 

 さらにそこへモナドが手を加えて私の自我はシステムを自動的に処理するだけの装置と化してしまった。シックスがいなければ自力で目覚めることはできなかった。

 

 もちろん感謝はしているが、そんなことをさせるために彼を産んだわけではない。もともと王の位階は意図して作ったものではなく、システムの構築過程で偶然にも発生したものだった。

 

 今思えば、天から授かったのだろう。子とは、親の意のままに作られる存在ではない。膨大な進化の軌跡の果てに生まれた新たな命だった。眠りに就いた私の意識は自発的に何かを考える機能を失っていたが、無意識のうちにシックスを守るため働いていた。

 

 だが結局、彼は私を助けて行ってしまった。自分の魂を分割して他者に移植するという手段をもって、王位の欠片を私たちに分け与えたのだ。そのおかげで私は目覚め、他の自我たちは渦に囚われることなく転生できた。

 

 シックスの魂は分けられて一つの存在ではなくなってしまった。もう彼が転生してくることはない。だが、消滅したわけではなかった。彼の魂は私たちの中に取り込まれて一つになった。

 

 これが良いとも悪いとも言えない複雑な問題で、私はシックスの死を素直に悲しめずにいる。時折、自分がクインなのかシックスなのかわからなく時があるくらい、二つの存在が混ざり合って同化しているのだ。

 

 もともと私たちはほぼ同じ人格を持っているため重なり合っても違和感はなく、生きていく上で支障をきたすようなことはないのだが、改めて考えると自分の魂を強制的に他者へ移植するというシックスの能力は結構ヤバい効果なのではなかろうか。

 

 『王威の鍵(ピースアドミッター)』の大部分は私が受け継いでいるため、他の王威を与えられた転生者たちは私ほど『シックス因子』の影響を受けているわけではなさそうだ。だが、それでもちょっと元の人格とは変わってしまっているらしい。

 

 そういうわけでシックスの死を悼もうとしても、その感情の行き先が自分自身に向いてしまうため思うように悲しめないのである。ここまで計算していたのだとすれば、さすが我が息子と褒めたいところだが、そんな気持ちも親馬鹿どころか自画自賛になってしまう。

 

 シックスの死後は感情の整理に四苦八苦していたが、最近になってようやくふっきれた。たぶんシックスは自分の死を誰かに悲しんでもらいたいとはこれっぽっちも思ってない。というか、自分自身そう思う。……ややこしいな……。

 

 そんなこんなで色々あって。私はあのあと方々を訪ねて回り、モナドの事件の終息とシックスの訃報を伝えた。

 

 キルアやゴン、ビスケにも会った。モラウやノヴ、アイチューバー時代にお世話になったポメルニや、シックスロスで無気力になっていたノア=ヘリオドールにも会いに行った。みんなシックスのことを心配していた。私の話を信じ、彼の死を悼んでくれた。

 

 シックスは確かにこの世界に生きた証を残していた。彼は知り合う人々に多くの名を名乗った。キルアは私に、彼の本当の名前は何だったのかと尋ねたが、私は『王』とだけ答えておいた。

 

 本当は彼のことを『シックス』と呼ぶべきか躊躇う気持ちがある。彼は真の名前を持たなかった。自分自身に名付けることもしなかった。誰でもない存在であり続け、誰かのために自分を捧げた。

 

 最期まで『名も無き王』であることを望んだのだ。私はその生き様を誇りに思う。

 

 彼は命を賭して私たちに未来を与えた。モナドを鎮圧した後、私はこれからどう生きていくかを考えた。私たちはどう生きるべきだろうと考えた。その末に出した答えが、傭兵団の結成である。

 

 傭兵団『カーマインアームズ』を立ち上げ、私はそのコック兼団長に就任した。

 

 

「クインさん、失礼します。この前の件ですが、パリストンさんとの調整が上手くいきそうで……あ、今日のおやつはクッキーですか?」

 

 

 団長室(ダイニングキッチン)のドアをノックして、一人の少女が入ってきた。彼、いや彼女、いや彼?の名前はカトライ=アルメイザ。階級は騎士。傭兵団では主に会計などの事務全般を任せている。好物はお酒。特にジン。

 

 私はカトライから持ちかけられた話以前に、その服装が気になっていた。白と桃色を基調としたドレス姿である。フリルもいっぱいついて、溢れんばかりのかわいらしさを演出している。

 

「あ、これですか……アマンダさんにどうしても着てほしいと頼みこまれましてね……甘ロリとかいうファッションらしいですが、やっぱり似合いませんよね……」

 

 私や転生者の面々は容姿がみんな一緒なので、一目見て判別できるように服装でキャラ付けを行っている。私の場合はエプロンだ。団の食料事情を一手に引き受けるコックとしてふさわしいキャラ付けと言えよう。

 

 もちろん、衛生面を考慮して調理用と普段着用のエプロンは分けている。さらにデスクワーク用や他所行き用のエプロンもある。傭兵団の仕事をもらいに闇の地下会合へ出向く時は、舐められないように“秘密結社のボス”仕様エプロンを着ていく。

 

 カトライは最近まで黒っぽい地味目の服をよくきていたのだが、新入団員の『衣装係』が来てからというもの、日に日に服装のかわいらしさがグレードアップを遂げている。嫌ならちゃんと断らないと着せ替え人形にされるぞ。

 

 まあ、似合うか似合わないかで言えば、とても似合っていると思う。肩に乗せている虫の本体がかなりミスマッチで不気味なことになっているが。

 

 彼のもともとの名前はカトライ=ベンソンだったのだが、傭兵団結成を機にみんなでアルメイザ姓に改名している。名実ともに家族のようなものだ。そのせいで外部からは傭兵団の正式名であるカーマインアームズよりも、『アルメイザ姉妹』や『シスターズ』と呼ばれることの方が多い。

 

 気弱な性格の反面、武闘派な一面も持ち合わせており、心源流の使い手である。師範ネテロにも文句なしと太鼓判を押されるほどの実力を持つ。ただし、回避や防御専門。攻撃の腕前は毛も生えてない素人以下とこき下ろされている。

 

 その念能力『蛇蝎磨羯香(アレルジックインセンス)』は、人の欲望を浮き彫りにする香りをオーラから発し、言動から虚実を暴いたり、殺意や害意を誘導して戦闘を有利に運んだりできる。モナドは『固有結界だろあれ……』と言っていた。よくわからないが、モナドも認めるくらいすごい技だ。

 

 そんなカトライだが傭兵団では事務仕事を進んで引き受けてくれている。傭兵なんて戦闘ができればそれで十分だと思っていた私は、起業してみて裏方の仕事の苦労を思い知った。

 

 まず依頼が来ない。これは当然と言えば当然の話で、私たちは世間から人類史上最悪の大犯罪者モナドの一味と認識されており、A級賞金首の凶悪犯罪組織に指定されている。信用なんてゼロどころかマイナスに振り切っている傭兵団を立ち上げたところで誰が依頼を持ちかけるのかという話だ。

 

 だから行きたくもない闇の地下会合なんてものに行かないと仕事をもらえないのだ。世知辛いよ。しかもそれで舞い込んでくる依頼は、罠や諜報目的の不利益しかない依頼か、信用度外視のぶっちぎりで頭がイカれた依頼かの二択である。

 

 まあ、罠を仕掛けられた場合はもれなく、ぶっちぎりで頭のイカれた戦闘員を派遣して顧客満足度ワースト1位の実績を叩きつけさせてもらっている。

 

「ようやくノーウェル基金参入の話がまとまりそうです。これからはきっと真っ当な依頼が受けられますよ!」

 

 カトライが嬉しそうに語るノーウェル基金とは別名、勇兵遺族共済と呼ばれる慈善団体で、これに加盟した傭兵は戦死した際にその遺族たちへの手厚いサポートを保障している。

 

 少年兵や難民、経済弱者などの傭兵遺族の救済に尽力した軍人ノーウェルの個人口座に同志が資金を持ち寄ったことが始まりとされる。これに加盟することは傭兵にとって義の証。恩恵も大きいが、鉄の掟で縛られる。

 

 この基金に新しく我が傭兵団の名で口座を開設すれば、最低限の信用は得られるようになるだろう。だが、同時に上位の口座開設者に対して親子関係が発生し、親の持ち込んだ依頼を断ることができなくなる。この掟を破れば二度と傭兵を名乗ることはできない。裏社会を介してですら仕事を得ることはできなくなる。

 

 しかし、逆に言えばそれくらい重い縛りがなければこの傭兵団が信用を得る機会などないということだ。基金側もこちらの戦力の大きさを知っている。その上で、手綱を取れる存在かどうかを試されているとも言える。今後、我が傭兵団の舵取りは難しい局面を迫られることになるだろう。それもまた面白い。

 

「楽しそうですね、クインさん……私は胃に穴が空きそうですが……」

 

 穴があいてもすぐ再生するから大丈夫だ。それにここまで話がまとまったのはカトライが外部と綿密な調整をしてくれたおかげである。本来なら、基金への加盟が認められるはずもなかった。カトライと……パリストンの協力があって成立した案件である。

 

 腹黒王子ことパリストン=ヒル。ハンター協会の副会長として敏腕を振るっていた彼はモナドの起こした事件を機に失脚した。

 

 シックスを擁立しようとした計画が裏目に出てあわや世界滅亡の危機に陥ったのである。その責任を取らされて地位剥奪の上、十二支んからも除名処分となった。ネテロの後釜として、今はチードル=ヨークシャーという人物が会長に就任している。

 

 ただ、モナドの凶行全てをパリストンの責任にするわけにもいかないので、それ以上のお咎めはなかったようだ。本人は『いずれ十二支んは脱退するつもりだったので気にしてませんよ』と涼しい顔をしていた。今もまだ協会内部には多くのシンパが潜んでおり、パリストン派の勢力はそれほど衰えていない様子だ。

 

 何かと黒い噂の絶えない人物ではあるが、うちの傭兵団の設立に一役も二役もかってくれている。大迷惑をかけた上にお世話になりまくっているので正直、頭が上がらない……なんだろう、この外堀から埋められていってる感。いつかとんでもない請求が来そうで怖い。

 

 カトライがはっきり『悪人』と評する人物だが、毒にも薬にもなり得る存在と言えるだろう。時には清濁併せのむ度量がなければ、なかなかこの仕事もやっていけない。

 

「そう言えば近々、カキンで大きな仕事が出されるとか。何人ものプロハンターや傭兵団が合同で参加するみたいですよ。パリストンさんから、うちもどうかと打診が来ましたが、どうします?」

 

 こうやって仕事を持ちかけてくれることもあるので無下にはできない。ここまでの規模で人が動くとなると相当にデカイ山のようだ。怪しげな依頼というわけではないだろう。ひとまず詳細を聞いてから引き受ける方向で話を進めるようにカトライに伝える。

 

 二人で事務的なことを話し合っていると、団長室のドアをノックする音が聞こえ、続いて少女が一人入ってくる。

 

 

「団長ー、潜水艇のメンテ終わりましたー」

 

 

 彼女、彼……の名はルアン=アルメイザ。階級は騎士。傭兵団では主にメカニック担当。服装はオーバーオール、頭にはバンダナを巻いている。作業着というよりかはファッション的なディティールが多く入っている。これも衣装係の仕業だろう。好物はビール衣イカリング。

 

 彼はカーマインアームズの本拠地である海底戦艦ギアミスレイニの整備や操縦など技術的な面で活躍している。

 

 実は私たちが今いるこの団長室もギアミスレイニの中にある。現在は人類領海域の外、未開海域の深海2000メートル地点で停泊している。ちなみに窓の外に見える光景はただの映像で、窓自体が壁にはめ込まれたモニタである。

 

 モナドを鎮圧した後、ギアミスレイニを拠点として使わせてもらっている。だが、当初の艦内は人が住める空間ではなかった。モナドは艦の外観にしかこだわりがなく、内部は適当にもほどがある雑な造りだった。

 

 そんなわけでルアンが陣頭指揮を取って何とか人が住める居住区を作り上げた。見た目だけは巨大戦艦だが、活用している範囲は割とこじんまりしている。本当はもっと広くしたかった。実はこの内装工事の費用も、財政難にある我が団にとっては頭を悩ます問題である。

 

 この海底戦艦は増築した居住区の設備費用を除けばほぼノーコストで運用できるという破格の強みがあるが、それでも商売を始めるとなると何かと入用である。金はいくらあっても足りない状況だった。

 

 最近受けた大きな依頼だと、キルアから頼まれたアルカ誘拐作戦があった。伝説の暗殺一家ゾルディック家と全面戦争というハードな依頼内容だっただけのことはあり、報酬金もかなりのものだったのだが、それも新しく買った大型潜水艇の費用に消えてしまった。

 

 もうちょっと安い小型潜水艇にしようと言ったのだが、ルアンが最新式の大型軍事潜水艇を所望したのだ。『ロマンだから! ロマンだから!』と言って聞かなかった。

 

 実際、移動や物資補給のために必要ではある。この海底戦艦で人目につく場所に乗りつけることはできない。もう泳いで買い出しには行きたくない。将来的に考えても必要な買い物だったと割り切るしかなかった。

 

「立派な傭兵団として箔を付けるためにもこういうところをケチっちゃダメです。魚雷一発で轟沈するようなしょぼいサブマリンじゃ話になりません。ちゃんと私が改修しておきましたから」

 

 ルアンの念能力は『並列思考(マルチタスク)』という思考能力を格段に高める操作系能力である。その影響は私が最初にアルメイザマシンを取り込んだ際、彼の残留思念と共に色濃く受け継がれており、現在の意識集合体ネットワークの基礎となった。

 

 ルアンはこれを応用してネットワークにアクセスし、アルメイザマシンに様々な命令を与えて性能を引き出すことができる。レールガンなど多数の兵器を開発していたのだが、実はこの能力は現在使えなくなっている。

 

 シックスの『王威の鍵』によって魂の断片が埋め込まれた転生者たちは、渦からの独立性を得ると同時に『アルメイザマシンを使ってはならない』という誓約も負っている。そのせいでこれまでの彼の研究成果はほぼ封印されたも同然だった。

 

 私もアルメイザマシンを使えなくなってしまったが、ネットワークシステムの制御は念能力の『精神同調』によって行っているため支障はない。しかし、ルアンはこの事実にかなりショックを受けたようだ。

 

 もともと武芸に精通しているわけではないルアンにとってアルメイザマシンは自分の強さの根幹をなしていた。それがいきなり使えなくなったとなれば意気消沈しても仕方がないと言える。

 

 ただ、別に強さだけが傭兵団に必要な力というわけではない。エンジニアとしての彼の知識や技術は我が団にとってなくてはならないものだ。何事も適材適所。本人も自分の長所を生かすために努力を続けている。立派な団員の一人である。

 

「新開発の兵器も搭載しておきましたからね。いやぁ、試運転が楽しみだなぁ」

 

 ……新兵器なんて話は聞いてないのだが。まさか『禁止倉庫』のブツに手を出したわけじゃないよね。

 

 この戦艦には暗黒海域からの深海航行中、交戦した敵の一部が保管されている区域がある。モナドが節操なく取り込んで放置していた。一応はアルメイザマシン漬けにされて沈黙しているのだが、それでも完全に危険がないとは言い切れない。

 

 捨てるわけにもいかず、かと言ってこのまま放置しておくのも問題なので、団長として出来る限り危険性を調査している段階だ。団長の仕事とはいったい……その調査にはルアンも付き合ってもらっている。

 

 ルアンは封印された災厄に興味津々で、兵器に転用できないかと考えている様子だった。災厄(リスク)と希望(リターン)は紙一重な面が多々ある。力をうまく活用できれば大きな成果となるだろう。

 

 ただ、アルメイザマシンを使えなくなった影響か、その研究熱心さにはどこか鬼気迫るものを感じている。最悪の場合、死んでも転生できるようになったとはいえ、あまり無茶なことはさせられない。

 

 私の立会のもと安全面に配慮した上である程度の研究は認めているが、まさかとは思うが勝手にブツを持ち出すようなことは……あっ、目をそらしやがった。こいつ……!

 

「ご理解ください! 我らが傭兵団の強化のためにも、これは必要な研究なのです!」

 

 既に乗組員の戦闘力だけで過剰戦力なんだって。新兵器は早急に撤去しておくよう、ルアンの首根っこを掴んで言い聞かせておく。カトライがその様子を見て苦笑いを浮かべていた。

 

 そんなやり取りをしていると、通路の外からどたどたと足音が聞こえてくる。二人の少女が入ってきた。

 

 

「やっぱりおやつの時間だったのじゃ! 見よ、わしの腹時計の正確さを!」

 

「よっす。大将、やってる?」

 

 

 一人はアイザック=アルメイザ。階級は雑務兵。傭兵団での役割は戦闘員である。好物はポテトサラダのコーンが入ってないやつ。

 

 半袖Tシャツ一枚にスパッツのみ、足元はなぜか足袋というラフ過ぎるスタイルだった。任務に行くときもこの格好で行こうとする。せめて下くらい何か履いて欲しい。Tシャツには『哀句 ai-ku 』とプリントされている。こういうジャポンかぶれが好きそうな漢字Tシャツを結構持ってる。

 

 前ハンター協会会長、アイザック=ネテロの転生者である。そのせいで改名後もネテロネテロと言われている。最近はその呼び方をするとふてくされて返事をしないので、アイザックの愛称であるアイクとみんな呼んでいる。

 

 転生者と言っても生前の老成した人格は見る影もなく、天真爛漫な子どもらしい性格になっている。もともとそういう気質を持っていたのだろうが、それ以外の部分の引き継ぎに失敗したのかもしれない。

 

 かなり長い期間、渦の中をさまよいながら自我を保ち続けた強靭な精神力の持ち主である。むしろこれだけ元の人格が残っていることを称賛すべきだろう。生前の記憶も曖昧な部分が多く、本人は生前の自分の生き方にさほど興味はない様子である。

 

 ハンター協会に戻るつもりもないようだ。交友があった者に転生したことを伝えなくていいのかと尋ねたが、気が向いたらそのうち行くと尻を掻きながら答えていた。

 

 強化系能力者として、その戦闘力は圧巻の一言に尽きる。念武術の一大流派である心源流開祖の実力は健在で、これまでの依頼では発無しの単純な格闘戦だけでほとんどの敵を倒している。

 

 故ネテロは50年前、世界最強と謳われた使い手だった。この“最強”の称号は伊達ではない。念能力者にとって強さの指標とは個人によって全く異なるものであり、単純なオーラ量の比較や技のレベル、能力の違いで評すことができるものではない。その前提を覆して万人が認める頂きに立つことがどれほど至難か。

 

 今のネテロは加齢による肉体の衰えとは無縁となった。華奢な少女の体だが、リミッターを外すことができる身体強化と再生機能によって心源流の奥義を使いこなせるまでになっている。以前とはまた異なる形で強さの高みを見ることができたと語っていた。

 

 その発『千百式観音』は、三十メートルにも達する大きさの観音像を具現化して超音速の攻撃を食らわせる。しかも、それを最大四体まで同時に具現化できる。技を発動するための挙動も音速を超えた不可避の速攻である。敵は死ぬ。

 

「もぐもぐもぐ……もぐっ!? むぐーっ!?」

 

 クッキーを早食いして喉に詰まらせているネテロに牛乳を差し出す。私たちの念人形であるこの体は食事を必要としないのだが、食を楽しむことはできる。

 

 私がこの団のコックを買って出たのは、薄暗く味気ない深海生活において少しでも楽しみを提供したいという思いからだ。たかが食事と馬鹿にはできない。栄養的に必要ではないからこそ、求められるのはよりおいしいことである。

 

 そのためにコックとして日夜、料理の勉強をしている。最初はぶっちゃけ団長になんてなるつもりはなかった。チェルたちに『お前がやらないで誰がやるんだよ!』と押し切られた結果である。

 

「カトライ、なんだその格好……お前にそんな趣味があったなんて……」

 

「ち、違いますよ! これには事情が……!」

 

 ネテロと一緒に来たチェルはと言うと、カトライをからかって遊んでいた。かつての仲間であった二人は、またこうして新たな生を受けて再会することができている。

 

 チェル=アルメイザ。階級は雑務兵。傭兵団では戦闘員として働いている。この階級は通常のキメラアントとは違ってシステムを簡略化して扱いやすくするため『女王』『王』『騎士』『雑務兵』の四つしかない。管理上の設定でしかなく、明確な上下関係というものもない。普通に雑務兵の方が強いし。

 

 チェルは左目に眼帯をはめ、迷彩模様の服を着ていることが多い。今日はパーカーを着ている。本人いわく職業柄こういうデザインの服が落ち着くとのことだが、街中でそのドぎついカモ柄はよく目立つ。好物は自分で獲った魚料理。ムニエルが好き。

 

 ネテロと同じ戦闘員として依頼の現場を任せている。基本的にこの二人がいれば戦力的には何の問題もなく、人手が足りないときに他のメンバーが出張るケースが多い。

 

 サヘルタの特殊部隊として数々の従軍経歴を持つ彼女の実力は相応に高く、軍用格闘術のスペシャリストである。その念能力『明かされざる豊饒(ナイトカーペット)』は広大な範囲の円に隠を施し敵の目を欺く。円内部を通る光の屈折率を変えることで視覚を惑わし、撹乱する戦法を得意とする。

 

 さらに、その左目にはトクノスケが災厄ワームを封じて得た『重力操作』『空間歪曲』の能力がある。また、同じく左目に宿るジャスミンの特質系オーラ『元気おとどけ(ユニゾン)』の力も使うことができるようになったようだ。

 

 多彩な能力と高い格闘技術が合わさったチェルの実力は、千百式観音抜きのネテロと互角に渡り合うほどである。ネテロの強さが異常なだけで、チェルも最高水準の使い手であることは間違いない。

 

 モナドが起こした事件の後、彼女はNGLの研究施設に実験体として囚われていた子供たちの保護を願い、私が代わって実行した。ジャイロ率いるNGL軍にモナドを装って近づき、子供たちを救出している。その後のNGL軍の動向についてはよくわかっていない。

 

 パリストンによると同国を包囲していた国際保安維持機構によって身柄を拘束されそうになったところ、主導者ジャイロは自決したと聞いている。しかし、報告書には不審な点が見られるらしく、ジャイロはどこかに亡命しているだろうとパリストンは予想していた。

 

 それはさておき、何とか子供たちの救出には成功したのだが……結局、彼らを本当の意味で救うことはできなかった。もはや治療不可能なほど彼らの肉体は蝕まれていた。

 

 子供たちの最期を見送った後で、私とチェルは色々と話し合った。そんな取りとめもない話の中で構想されたアイデアの一つが、この傭兵団カーマインアームズだった。私はこの団の発起人はどちらかというとチェルだと思っている。

 

 だから団長も彼女で良い気がするのだが。そうすれば私はコック業に専念できるのだが。

 

 

「皆さま、失礼いたします。メルエム様がお着きになられました」

 

 

 来た。ノックをした後、うやうやしく入室したのは長身の女性である。かっちりと執事風スーツを着こなしたその女性は“かわ美ハンター”、アマンダ=ロップ。例のディックサクラの元店員である。好物は残り湯。

 

 新設したばかりのこの傭兵団に当分は外部から新入団員を入れる予定はなかったのだが、猛烈なアプローチとパリストンからの口添えを断りきれなかった。

 

 プロハンターを雇えるような給金は払えないと言ったのだが『金などいらぬ。むしろ払う』という手の施しようがない変態である。一応、カトライの悪意チェックはパスしている。パリストンの息がかかった人間ではあるが、私たちに害を与えるようなことを考える人間ではない。

 

 傭兵団ではみんなの服を調達、作成する衣装係を担っている。彼女の念能力『少女専属裁縫師(マイリトルニードル)』によってオーラを込められ縫われた衣服は、趣味さえ除けば高性能だ。耐熱、耐寒、耐刃、耐衝撃、注入されたオーラが尽きるまで強靭な耐久性を得る。

 

 裁縫だけでなく他の家事などの雑用も進んで引き受けてくれている。掃除とか洗濯とか、任せるのを躊躇うくらい喜々としてやってくれる。その本性を知らなければ優秀な使用人に見えるだろう。

 

 アマンダは片手を胸の前に当てた丁寧な一礼をもって同伴者を団長室に先導した。彼女に続き入って来たのは、私たちと同じ容姿のアルメイザ姓を持つ少女である。

 

 メルエム=アルメイザ。階級は雑務兵。傭兵団での役割は戦闘員だが、その風格は荘厳である。着ている服はアマンダがあつらえたゴシックアンドロリータだ。一切の媚びは見られず、泰然とした気配に満ちている。好物は強い人間の脳みそ。

 

 意外にも私たちの中では最も身だしなみに気を使い、メイクに至るまで余念がない。『高貴な者には外見にも相応の品格が求められる』と自負している。実際、もうそれ以外に正解はないと唸るほど、アマンダが用意した数々の衣装を完璧に着こなしている。特に西洋貴族の伝統を汲むゴスロリがお気に入りのようだ。

 

 強さに関しては全力で戦いを挑んだネテロが『頭おかCィィィィ!!』と叫んでベッドで一晩ふんわり寝込むくらいの実力者である。我が団の最終兵器メルエムである。

 

 『食べた生物のオーラを奪って自分のものにする』というこの世の終わりみたいな能力を持ち、彼が現在使用可能な念能力がいくつあるのか定かではない。どこまで成長するのか、限界があるのかもわからない。

 

 特によく使うのが、虫本体を粒子状に分裂させて操作する『蠅の王(ベルゼブブ)』という能力で、本体へのあらゆる物理的攻撃を無効化する。細胞分裂して広範囲に赤い濃霧を発生させ、その粒子を口や目鼻から敵の体内に潜り込ませて食い荒らす。粒子を集めて敵を拘束したり、本体の分身を数えきれないほど生み出して虫雪崩を浴びせたりする。

 

 ちなみに拳を光子化させて不確定な未来を固定する因果律操作の能力も使える。だが、本人は『どうせ叶う程度の未来を引き寄せるまでもない』と言って大したことには使っていない。

 

 チートこの上ない。何で今もまだこの団に留まっているのか不思議なくらいだ。確か、彼はNGLで発生したキメラアントで、私たちとは別の群れの王だったはずである。

 

 そのことについてメルエムは差して気にしていないようだった。彼を産んだ女王蟻は人間の討伐隊に殺されてしまったようだが、その話を聞いても動じなかった。全く眼中にないということはなさそうだが、人間と敵対することを選んだ女王の生き方に今さら口を出すつもりはないという。

 

 彼のかつての仲間は全て殺されてしまったわけではないようで、人間に降伏した一部の友好的なキメラアントは新種の魔獣として登録され、NGL内部に限って生活を認められている。現在のNGLは事実上の廃国となり、永遠自然保護区に指定された。原住民はいまだにNGLの教義を守り続けているらしく、キメラアントの存在も自然のままに受け入れ、平和に暮らしているそうだ。

 

 今のメルエムはその仲間たちのもとに戻るつもりもないらしい。モナドの運命に干渉する者が現れないよう、ここで監視すると言っていた。『今の余は王ではなく一介の兵に過ぎん』らしく、傭兵団の一員となった。

 

 と言っても、メルエムが依頼の任務に出向くことは滅多にない。最終兵器をそう易々とは動かせない。いつもは自分の部屋で軍儀という将棋みたいなボードゲームに一人で興じているという、おじいちゃんみたいな趣味を持つ。

 

 ただ、彼は粒子化させた本体を遠く離れた場所に放つことができ、部屋に居ながらにして外の情報を得ている。念人形の少女の体を瞬間的に光子化させて、別の本体の場所にワープするというチート能力を使ってお出かけすることもある。軍儀友達のところに遊びに行っているらしい。夕飯の時間にはちゃんと帰ってくる。

 

 というか、任務を頼んでも『その程度の瑣事で余を煩わせるな……』とか言って軍儀友達のところに遊びに行っている。軍儀の何がそんなに君を熱狂させるのか。まあでも、張りきって積極的に依頼を受けられてもそれはそれで困るので、メルエムにはそのままの君でいてほしいと思う。

 

 部屋に入ったメルエムのすぐ後ろには機械の腕らしき物体が浮遊して着いて来ている。これはモナドが渦の底からサルベージした念能力『玩具修理者の腕(Dr.ブライスMk-Ⅱ)』である。元はメルエムの臣下の能力だったらしい。

 

 チェルの左目に宿った能力のように、アルメイザマシンに取り込まれた能力者は自我が崩壊しても念能力はなくならないケースがあるようだ。むしろ死後強まる念として強化されているように感じる。

 

 自我の残滓が残っている場合は、生前に縁のあった者に取り憑こうとすることもある。この念の義手もそれに当たり、主君であったメルエムの近くにいつも具現化して浮遊している。

 

 この義手はメルエムに対して何らかの念による攻撃がなされたとき、自動的に反応して防御行動を取る。敵の念を掴み取り、その詳細を解析、さらに可能であれば掴み取った念を義手の機能の一部として取り込んで自身を改造し、一時的に敵の能力を使うことができるようになる。もうこれ以上チートは増やさなくていいから……。

 

 アマンダがいつの間にか先んじてメルエムが座る椅子を引いて待っている。彼はそこへ優雅に着席し、猫でも撫でるかのようにして義手を膝の上に乗せている。その傍らで、すかさずアマンダが紅茶を淹れる。

 

 彼はこうして私が作った料理やおやつも食べてくれるのだが、大好物は人間の肉体である。私も他人の食癖をとやかく言えない過去があるため強くは否定できないのだが……食べるのは外道の悪人だけにして、敵でも命を取らずに済むならなるべく穏便に対処するように言っている。

 

「ふむ、クッキーか。悪くない味だな……だが、食うには値せぬ」

 

「なら、わしがもらうぞい。もぐもぐ」

 

「……ッ! 貴様……!」

 

 こういうやり取りを見ていると、メルエムは結構シックス因子に頭をやられてしまったんじゃないかと思うこともある。たかがクッキーの奪い合いで拳をぴかぴかさせるのは止めてほしい。戦々恐々とした思いでメルエムの取り皿にクッキーを補充する。

 

「ふ……苦しゅうないぞ」

 

「やめるのじゃ、クイン! こいつは甘やかすとすぐつけ上がるのじゃ!」

 

「潜水艇魔改造計画は見直しが必要ですね……じゃあ今度はあの災厄をあーしてこーして……」

 

「おーい、クイン! 確かこのへんに酒置いてなかったか? カトライが飲みたいってさ」

 

「いっ!? そそそそんなこと言ってませんよチェルさん!?」

 

「やはり私の予想に間違いはありませんでした。ここは桃源郷……美少女たちがたわむれるパラダイス……ハアッ! ハアッ!」

 

 賑やかなことこの上ない。こんな日常が訪れるなんて、少し前までの自分では考えられなかっただろう。自然と頬が緩む。

 

 さて、だいぶ顔ぶれがそろったが、我が傭兵団の総員は九名。あと二人、この場にいないメンバーがいる。私は呼びに行くために団長室を後にした。

 

 残り二人のうち一人は呼んでも来ないだろう。その名はモナド=アルメイザ。階級は王。傭兵団における役割は、この本拠地ギアミスレイニの貸主である。好物はころころ変わる。今は筋肉マン消しゴム。

 

 現在、当艦の制御権はモナドから私に委任され、操縦は主にルアンが行っている。強引に奪い取ったわけではない。こちらは使わせてもらっている立場だ。

 

 あの事件以降、強制停止命令により好き勝手できなくなったモナドは、一気にしょげかえった。私がシックスから受け継いだ『王威の鍵』をちらつかせて封印するぞ!と脅したせいもあるのだが、抵抗する意思をすっかり失くしている。

 

 そしてこの艦の一室に閉じこもって出て来なくなった。いわゆる引きこもりである。何をしているのか知らないがネット環境は充実しているようで、不自由はない様子だ。まあ、モナドの本体はこの戦艦自体なので引きこもりとはちょっと違うのかもしれないが。

 

 人間、そんなに簡単に改心できるものではない。あのモナドが急に心を入れ替えて真人間になることはなかった。

 

 モナドは決して許されない罪を犯した。何千万人という命を自分の都合だけで大した意味もなく奪った。被害者やその遺族からすれば、責任を取らせて断罪せよと言いたくもなるだろう。全く正論である。

 

 だが、私はモナドを司法の場に引き出すことをしなかった。色々と理由はある。モナドは殺しても死ぬような存在ではないし、与えられた罰を粛々と受け止めるような奴でもない。彼に罰を与えられる存在は、私をもって他にいなかった。

 

 だが、私はモナドを罰しなかった。何の正当性もない、自分勝手な理由である。“家族だから”守ろうとした。世間から私たちはモナドの一味として同等の犯罪者集団と見られているが何の否定もできない。それでも私は、何千万人という失われた人々の命の重さよりも、一人の家族を重視した。

 

 モナドにも救いを与えてほしい。それがシックスの最後に望んだ願いでもあった。その思いは、今もまだ私の中に生き続けている。

 

 ゆっくりと、ちょっとずつだがその思いはモナドにも伝わっているように感じている。最近は部屋の前に料理やおやつを置いておくと食べてくれるようになったし、少しだけなら部屋に入れてくれるようになった。彼も少しずつ、自分から変わろうとしているのだろう。それを待つつもりだ。

 

 モナドの部屋には後でクッキーを持っていくこととして、私は最後の団員がいる場所に向かう。練習場に赴くと、思った通りそこに目当ての人物はいた。正確にはその念人形だが。

 

 

「あれ、団長? どうかしやしたか?」

 

 

 トレーニングウェア姿で汗を流しているのはキネティ=ブレジスタ。階級はモナドいわく“奴隷”とのことだが、もちろんそんな言葉が当てはまるような扱いはしていない。傭兵団では見習い戦闘員をしている。好物はガトーショコラ。

 

 彼女は人間の研究者によって調整されたアルメイザマシンの傍流形『錬金術』を使いこなす。その応用力は本家の劣化版と一概に侮ることはできず、使いやすさを取って見ればむしろ優れていると言えよう。

 

 若干12歳にして複数の念能力を習得し、今こうして活動している体も本人そっくりの念人形『自刻像(シミュラクル)』として作り出されたものである。術者本人は植物人間状態でずっと意識がない状態だった。

 

 キネティはNGL軍から救出した子供たちの最後の生き残りである。その能力のおかげで戦死を免れていた。また念能力者として覚醒した生命力が他の子供たちよりも優れていたためか、今もこうして生きることができている。

 

 救出後、キネティは私たちと共に行動することを望んだ。実は、同じように残留を希望する子供たちは他にもいた。親族のもとに送り届けた子もいたが、中には身よりがなくなったり、どうしていいかわからずに途方にくれる子もいたのだ。

 

 NGL軍の手から逃れたところで、ウイルスに冒され余命幾ばくもない状態に置かれた子供たちが生きる希望を失うことは無理からぬことだった。そんな中でキネティは投げやりにならず、毅然と自分の意思で傭兵団の一員となることを決断した子だった。

 

 私たちは練習場の横に設置されているベンチに腰掛けた。キネティは修行に熱が入っていた様子で、ふらふらとした足取りだった。いつもここでチェルやネテロから念の修行をつけてもらっているようだ。しかし、最近はどうも無理をし過ぎているように感じる。

 

「ご心配をおかけしてすいません。ですが、あっしの命ももう長くはありませんから、どうしても焦りが先走ってしまって」

 

 キネティの体は現在、生命維持装置を外すことができないほど衰弱した状態にある。何とかこれまで生き残ってきた彼女だが、ウイルスの毒を克服できたわけではない。小康状態を繰り返しながら、その命は着実に死へと向かっていた。

 

 それでも彼女がこうして希望を失わずにいられるのは『転生』の可能性に賭けているからである。私たちと同じアルメイザ姓を継ぐ家族になることを望んでいた。

 

 その準備は可能な限り万全を期している。転生者の魂を込めるための本体は、私が暗黒海域の渡航中に開発した最新世代だ。これまでの女王個体と決定的に異なる点は卵の植物的胚化による休眠状態を実現したことである。これにより意識集合体のネットワークは全て無意識下における夢として処理され、主人格の意識に直接悪影響を及ぼすことがないようにフィルターをかけている。

 

 魂の転生さえ無事に成功させれば問題ない。そのための『鍵』も用意している。分割されたシックスの魂のうち、その六割を一人で受け継いだ私は『王威の鍵(ピースアドミッター)』を継承し、その能力を使うことができるようになった。シックスは魂ごと譲り渡すことで私のメモリを拡張して新能力を植え付けたのだろう。

 

 ただし、これは王位を分け与える能力なので使えば当然減っていく。それは私の中にいるシックスの魂が薄らいでいくことも意味している。少し寂しくはあるが、だからと言って出し惜しみするつもりは毛頭ない。これは誰かを救うために生み出された力である。

 

 女王であっても都合よく新たに王位を生むことはできない現状において、この鍵だけが唯一転生を可能とする活路である。だが、私にできる協力はここまでだ。アルメイザマシンの中に取り込まれて死を迎えたキネティには、そこで“渦”の洗礼に堪える試練が待っている。

 

 ただ『死にたくないから転生したい』という程度の認識ではこの試練に到底堪えられない。だから、他の子供たちに転生の話はしなかった。彼らがそれを望んだところで渦に呑まれた瞬間に、こちらが助けだす間もなく自我が崩壊して終わっていたことだろう。

 

 私がもう一度完全な休眠状態に入り、自我を無意識下に沈めた上でキネティの魂を渦という膨大なネットワーク情報の中から探し出さなければならない。その間、キネティは自我の崩壊を自力で抑え込む必要がある。こればかりは自分で何とかしてもらうしかなかった。

 

 彼女にはその可能性があった。芸術家としての天賦の才だろう。自分自身すら作品として、その形に対する揺るぎないセンスがあった。何よりも死を恐れず、己として生きることを切望している。転生に関する全てのリスクを聞いた上で、彼女は納得し、決断した。

 

 そのために今、彼女は必死に修行している。念の修行は心の修行だ。精神を強くし、確固たる自我を作る助けになる。それを思えば鍛錬にも余計に身が入るというものだろう。思い悩むなというのは無理な話かもしれない。

 

「それも心配事の一つではあるんですが、他にも自信をなくすようなことがありましてね……」

 

 そうなのか。団員の悩みに耳を傾けるのも団長の大事な仕事である。遠慮せずに話すよう、キネティに促す。

 

「いえ、そんな改まって聴いてもらうほど大層な話じゃありませんが、この前、あっしが依頼の様子を直に見たいと無理を言ったことがあったでしょう?」

 

 アルカ誘拐作戦の件か。我が傭兵団初のフルメンバー参加を考えたほど大きな依頼だった。だが、モナドは相変わらず部屋から出て来ず、キネティは容体が悪化している本人をさすがに連れ出せる状態ではなかったので(念人形の活動範囲の限界)、この二人を除く団員総出の依頼となった。

 

 そんなキネティのためにルアンが用意したカメラで依頼の様子を撮影していた。念までバッチリ映せるカメラは高すぎて手が出せなかったので、普通の高性能小型カメラである。雰囲気だけでも伝わればと思って見せたのだが、何か思うところがあったらしい。

 

「言葉が出て来ないくらいの凄まじい戦いでしたぜ。傭兵団の皆さんも、敵も全員が次元の違う強さでした……」

 

 そ、そうだっただろうか。確かにチェル、ネテロ、メルエムからなる華の三銃士は獅子奮迅の働きを見せていたが、残りの裏方組は端っこの方でわちゃわちゃしていただけだった気がする。まだアマンダの方がまともに働いていた。

 

 ルアンがこっそり持ち込んだ新兵器が誤作動してゾルディック家の敷地の一部が悲惨なことになり、その対応に追われた記憶しかない。

 

「ただでさえ未熟さを痛感してるってのに、転生に成功すればアルメイザマシンを封じられ、あっしの錬金術も使えなくなる。こんなんで皆さんと肩を並べて戦えるようになるのかと不安になりやしてね」

 

 比較対象が間違ってないか。何もチェルやネテロ並みの強者にならなければ能力不足ということはない。依頼の難易度によるが、そこは任務を与える前にこちらで精査することだし、仲間同士でフォローし合えばいいことだ。

 

 キネティはまだ若い。伸び代もある。これから念能力者としても、傭兵としても経験を積んで大きく成長していくことだろう。

 

 焦りすぎる必要はないと思うのだが、そう簡単に割り切れるようなら最初から悩んでいないだろう。強くなりたいと思うこと自体は念使いとして真っ当な資質だが、どうも彼女の強さに対するこだわりには独自色があるように感じる。

 

 実は、転生という最後の手段に頼らずとも、キネティの病状を改善させる手はあった。改善というか、きれいさっぱり完治させることもやろうと思えばできた。キルアに頼めば誘拐に成功したアルカの力を使ってキネティを全快させることも可能だったのだ。

 

 その提案を断ったのは他でもないキネティ自身である。何か自分の信条に反するところがあったのだろう。本人が必要ないということを強制するわけにもいかない。その時は何も聞かなかったが、今こうして悩みを打ち明けてくれた機に乗じてそれとなく尋ねてみる。

 

「その……あのときは、せっかくの申し出を断ってしまってすみません。ですが、あっしは自分の現状を嘆いているばかりじゃありません。ひと思いに全てが解決されてしまうのは、何か違うと感じたんです」

 

 芸術家にとっては珍しいことではないらしい。辛い経験、重い病、そう言った生への負荷が創作に対する強いインスピレーションを与えることがある。

 

 アルメイザマシンの毒に冒され、彼女は植物人間状態になるほどの命の危機に立たされた。その鮮烈な体験があって初めて見えて来る世界があったのだという。意識を失い、身動き一つ取れない牢獄となった彼女の体内で荒れ狂う生命エネルギーが、自己を作品とみなすことで命の形を取り始めた。

 

 彼女は自身が置かれた劣悪な境遇を、創作者としては肯定していた。それは念能力者にとっての誓約と類似する感覚だったようだ。そのときは念に関する知識がなかったため彼女も意図したものではなかったが、自分の病を肯定して苦しみを代償とした上で、その覚悟によって彼女の能力は大幅に強化されている。

 

 病が治ればその誓約の根底が揺らぐことになる。キネティは生物としての欲求よりも、創作者としての生き様を選んだ。話を聞く限り、彼女の覚悟は魂に刻まれた誓約として転生後も発現する可能性が高い。キメラアントとして生まれ変わっても病状に苦しみ続けることになる。そうなることを望んでいるのだ。

 

「本当なら術者が弱ればその念人形の力だって弱まるはずですが、あっしの場合は術者が死に近づけば近づくほど、この『作品』は力強く生きようとする。あっしはこの感覚をもっと作品に取り入れたい。いつかこの体を自分自身で納得のいく作品として完成させること、それがあっしの夢なんでさぁ」

 

 強くなることは彼女にとって目的の一つの側面でしかない。“生きる”という壮大なテーマを芸術家として表現する。そのために強くなろうとしている。

 

 すごい目標だ。悩める団員に気の利いたアドバイスでもするつもりだったが、逆に感心させられてしまった。どうしよう、これじゃ『そうか、がんばれ』くらいしか言えないよ。団長として立つ瀬がない。

 

「い、いやそんな泣きそうな顔にならなくても……話を聞いてもらっただけで随分、気が楽になりましたぜ。そうだ、団長にも何か夢はありますか?」

 

 逆に気を遣われた……立場が入れ替わって今度は私が話す番になったようだ。お題は『夢』である。もちろん、私にも夢はある。

 

 それはこの練習場にも団訓として大きく掲示されている。『みんな仲良く』。これがカーマインアームズの大目標だ。

 

「良い団訓だとは思いますけど、その……」

 

 キネティが言い淀む。気持ちはわからないでもない。傭兵の仕事場は戦場である。それ以外の依頼もあるが、本業は武力による戦闘だ。殺伐とした戦場で掲げるには気の抜けた目標だろう。

 

 この団訓は味方同士の結束だけを表すものではない。『みんな』とは、仲間だけでなく時に敵対する者まで含めた不特定多数を指している。可能な限り敵は殺すなと言い含めている。

 

 無論、そんな綺麗事だけで片付く世界ではない。やむを得ず、もしくは積極的に殺しを行うこともある。ある時は殺し、ある時は殺さないというどっちつかずの方針は迅速な判断が迫られる現場において邪魔になることもあるだろう。

 

 生かす方が正しいか、殺す方が正しいかなんてことはその場ですぐに判明することではない。結局のところ最終的な判断は当人の単なるエゴだ。

 

 実際に、こんな目標を人目もはばからず公言している我が傭兵団の評判はすこぶる悪い。依頼は選り好みするし、依頼内容に対して一方的に条件を突きつけることも多々ある。元から皆無の信用度がさらに下落する結果となっている。

 

 だが、この目標を今後も変えるつもりはない。この傭兵団ができるよりも先に決められた課題である。言ってしまえば、その課題に沿う形で傭兵団が作られたのだ。

 

 モナドを大人しくさせた後で、私たちは何をすべきか考えた。シックスが残した『人間の証』とは誰かを助けることにあった。その思いを託された私たちは、どうすれば多くの人を救えるかを考えた。

 

 結局、私たちにできることは戦うくらいのものだった。戦争だけがこの世界の悲劇ではないけれど、それによってもたらされる不幸は数知れない。そこに介入できるだけの武力があれば、戦いの内側から変えられる未来もあるだろう。

 

 だが、それでもこの世界中の人間を一人残らず救えるような力ではない。無理にそんなことをしようとしても新たな不幸を生み出すだけだ。

 

 何よりも救助を優先する生き方を選んだわけでもない。仕事の範囲で、救える人はなるべく救うという程度の意識だ。私たちは見ず知らずの弱者のために人生の全てを捧げられるような聖人ではない。

 

 それで良しとした。シックスが思い描いた人の在り方とは、誰もかれもと手当たり次第に手を差し伸べることではない。そんな人間はむしろ不自然だろう。自分が生きていく範囲の中で、誰かを助け、助けられる。その自然な循環が人の社会を作り、その中で人は生きていく。

 

 それは善の循環と言えるだろう。それとは逆の、悪の循環も存在する。誰かを傷つけ、傷つけられる。この二つは混然一体だ。まるで渦のように絡み合い、ちっぽけな人間の人生を良しにつけ悪しきにつけ翻弄する。

 

 どちらか片方だけの道を生きることなんてできないのだ。良いことをすることも、悪いことをすることも、誰にだってある。そんな渦の中を行く航路において、自分を見失わないために立てた目印だった。

 

 『みんな仲良く』だ。世界平和なんて出来もしない偽善ではなく、世界征服なんて開き直った偽悪でもない。私たちが自分のために生きていく範囲で、誰かを救い続ける。

 

 中途半端で結構。馬鹿にされようと知ったことではない。こんな生き方は、たぶん誰だって当たり前にやっていることだ。それを声高に主張しているだけに過ぎない。私たちは普通の人間だ。

 

 それが我らの傭兵団、カーマインアームズである。

 

「……おみそれしやした。良いか悪いかは別として、あっしはその夢に最後まで付いて行きたいと思います。今後ともよろしくお願いしますぜ、団長」

 

 差し出された手を取って応える。その手を引いて、私たちは団長室へと向かった。

 

 さあひとまず、難しいことはみんなとクッキーでも食べてから考えることにしようか。

 

 

 




 
 
 
 
 
 
 ここまで読んでいただき、ありがとうございます! 読者の皆さまからの感想や評価に支えられ、どうにか完結させることができました。
 
 いつも誤字報告していただいた方々にも感謝の念にたえません。コミックス読み返して最近になって初めて気づいたんですが、『災厄』じゃなくて『厄災』だったんですね。ずっと間違ってました……この作品では災厄ということにさせてください!
 
 一話目を投稿した当時は本当にプロット真っ白状態で、完結させられるとは正直思ってませんでした。そのせいで後半になって怒涛の後付け設定オンパレードになってしまってすみません。
 
 一番悩んだのは暗黒大陸脱出後のストーリーで、いくつか展開を考えていました。その候補がこちら。
 
 
 ①くじら島に漂着ルート
 ゴンと一緒に暮らしてからのハンター試験編という原作沿いパターン。最初に考えついた候補。
 
 ②天空闘技場ルート
 漂着した主人公が念能力者に助けられ、師として仰ぐが実は悪い奴で騙されて天空闘技場で金稼ぎの道具にされる。そこでウイング、ズシと出会う展開。師匠となった念能力者は悪役ながらも多くの挫折を味わった経験を持ち、どこか憎めない人情味がある兄貴分で、生真面目な性格のウイングとの対立を描く……みたいに結構設定を練ってました。最有力候補。
 
 ③ハンター専門学校ルート
 プロハンター試験合格率99%!みたいな売り文句の専門学校に入学する。校長はパリストン。学園モノ路線。実験体の子供たちはもともとこのルートで考えていた話でした。
 
 ④幻影旅団ルート
 仕事中の旅団とはち合わせて強引に勧誘される。
 
 ⑤ゾルディック家執事見習いルート
 ミルキに見初められて強引に勧誘される。
 
 ⑥ジャポンに流れ着いてニンジャになるルート
 なんかハンゾーが出てくる。
 
 ⑦アイチューバーになるルート
 論外。
 
 
 
 選 ば れ た の は ⑦ で し た 。
 
 『せや! 作者にも予想できん展開にしたら意外性抜群! これや!』という謎の思考回路が働いて暴走。その結果、普通に筆が折れかけました。特にデスゲーム編がきつかったです。
 
 でも、全く手探りの状態からどうすれば面白いと思ってもらえる話を作れるだろうかと考えるのは楽しくもありました。それがあったからエタらずにここまで書けたのかもしれません。
 
 そういう意味でも最初から最後まで読者の方々のおかげで完結できた作品でした。他のサイトで投稿していた小説はいくつもエタらせていたので、やっぱり反応をもらえるのは大きかったんですね。
 
 何とか最後まで走り切れて燃え尽きてしまったので、しばらくは執筆できないかもしれませんが、また何か思いついたら書こうと思います。ここまでお付き合いしてくださり、本当にありがとうございました!
 

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