カーマインアームズ   作:放出系能力者

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93話

 

 ノストラード組若頭、クラピカはその身分を隠してドリームオークションに来ていた。その目的は競売に出される予定の『緋の眼』を手に入れることだった。

 

 クルタ族と呼ばれる少数部族は、激情を抱くと瞳が赤く変色する体質を持つとされる。緋の眼とは、クルタ族が激しい感情を抱いたまま死ぬことでその色素が定着した眼球のことを指す。クラピカはクルタ族の最後の生き残りだった。

 

 幻影旅団という盗賊団によって彼の一族は滅ぼされ、同胞の眼は奪われた。そのときから彼は仲間たちの眼を取り戻すことと、旅団への復讐のために生きる決意をする。

 

 プロハンターとなりマフィアの一家を陰から取り仕切る若頭となったクラピカは、裏社会に潜む人体収集家のつながりを辿って緋の眼の回収に奔走した。この一年余りで大部分の回収は終わり、残すはあと2対となるところまで迫っていた。

 

 そのうちの1対が今夜、サザンピースのオークションに出品される。クラピカにとってこの事態は望ましいものではなかった。

 

 これまで彼は秘密裏に事を進めてきた。自分たちの素性がわからないように細心の注意を払って緋の眼の所有者に接触してきた。秘蔵のコレクションを簡単に譲り渡そうと考える持ち主はいない。だが、クラピカの“説得”を受けたコレクターは皆、最後には自分から品を手放している。

 

 多少は手荒い手段を取ったこともあるが、殺して奪うようなことだけはしなかった。それは矜持の問題でもあるし、足がつくような事件にしたくなかったためという理由もある。

 

 しかし、どんなに痕跡を隠そうとしても収集家同士の交友関係から生じる不審な噂を全て封じこむことはできなかった。何者かが緋の眼を大量に集めているという噂が広がりかけている。

 

 今はまだ単なる噂の域を出ないが、それでも不穏な気配を察したコレクターがいたのだろう。クラピカが探し出して接触する前に、自らオークションに品を流してしまったのだ。

 

 去年のドリームオークションでは1億ジェニーから始まった競売価格が29億にまで膨れ上がっている。相場から見れば高くとも5億程度が妥当なところ、その6倍近い高値で取引された。金欲しさに今回の出品に踏み切ったとしても不思議はない。

 

 厄介な事態になってしまった。ただでさえ気分が逆立っているクラピカにしてみれば、これ以上の面倒事など御免被る。オークション会場でばったり友人と再会なんてしている余裕はなかった。

 

「クラピカ、一つだけハッキリさせたい。男なのか女なのか、どっちだ?」

 

「そんなことはどうでもいい」

 

 既にオークションは始まっていた。緋の眼の競りはまだ先の予定なので焦る必要はない。今はそれよりもレオリオをどうするかということにクラピカは頭を抱えていた。

 

「なんだその態度!? お前が連絡もよこさずに一人でシコシコやってるから顔見せに来てやったんだろうがよぉ! びっくりさせてやろうと思ったらこっちがびっくりだよバカヤロウ!」

 

 レオリオとクラピカは共にプロハンター試験を受けて合格した同期であり、その後も親しい友人の間柄であった。彼はクラピカが復讐に走る理由も知っている。

 

 ハンター試験後は夢であった医者になるための勉強が忙しかったレオリオだが、今では無事に医大生となっている。無論、まだ勉学を怠ることはできないが、大学受験に合格して一段落した彼は、クラピカのことについて気をもんでいた。

 

 プロハンターの資格があれば電脳ネットを通じて一般人では検索できない様々な情報を閲覧することができる。緋の眼の行方について、レオリオは彼なりに調査を進めていたのだ。

 

 もっとも、レオリオ以上に裏社会の深部から捜索の手を広げていたクラピカには到底及ばない調査でしかなかったが、アンテナを張っていたからこそ今年のドリームオークションに緋の眼が出品される情報をつかめたと言える。

 

「ゴンとキルアにも連絡はしたんだが、何か取り込んでるらしくてな。詳しくは知らんがキルアの実家の関係で揉め事があったらしい。忙しそうだったからオレが代表として来てやったぜ」

 

 競売品に関する情報はカタログに記載されており、それなりの富裕層なら何の制限もなく知ることができる。プロハンターの資格があれば調べることはわけもないことだ。

 

 だからこの場にレオリオや他の友人たちがいたとしてもおかしくはない。クラピカは、その程度のことにも頭が回らなかった自分の迂闊さを呪った。

 

「おい! マジで嫌そうな顔すんな! 確かにそんな格好してるところを見られたくない気持ちはわかるが、こっちもお前のことが心配で……」

 

「そうではない。できればお前にはすぐにでも帰ってほしいところだが、何も知らずに動かれるとどんな騒ぎに巻き込まれるかわからないな……こうなれば事情を説明した方がまだ安全だろう」

 

「は? 何言ってんだ? これから競売で緋の眼を競り落とすんじゃないのか?」

 

「その予定だが、すんなりと事が運ぶ保障はない。今年のドリームオークションには、幻影旅団が来る可能性がある」

 

「……いやいやいや、待て待て。さすがにそれはないだろ」

 

 レオリオは何かの冗談かと思った。一年前のドリームオークションは幻影旅団の襲撃を受けてマフィアンコミュニティを揺るがすほどの大損害が発生している。

 

 マフィア主催の闇の地下競売は商品を根こそぎ奪われ、その後日に開かれた一般参加客も集まるオークションでは305億で落札されたグリードアイランドという競売品が強奪されている。

 

 世界中のマフィアを敵に回したに等しい暴挙であり、一時は旅団に多額の懸賞金がかけられたが、これはすぐに撤回されマフィアが矛を収める形となった。表向きは寛大な心でマフィアの懐の深さを示した措置とされているが、さすがに苦しい言い分である。

 

 実情は、流星街からの圧力にマフィアが逆らえなかったためであった。幻影旅団は流星街の出身者。マフィアに対して不可欠な人的資本の出資元である流星街と事を構えることはできなかった。

 

 この一件により、今年のドリームオークションは開催も危ぶまれていた。しかし、ここで臆する姿勢を見せればそれこそマフィアンコミュニティの名折れである。警備面を強化して開催日程を変更、非合法品を扱う闇競売は中止され、代わりに一般参加が可能な公的競売に一本化された。

 

「仮に旅団がまた襲撃に来るようなことがあれば、どうなる?」

 

「今度こそマフィアは面子を潰される。前回のようにお咎めなしで済ますようなことにはならないだろう」

 

 出身地を笠に着た責任逃れも一度だけなら妙手と言えるが、味を占めて何度も繰り返せばただの愚行でしかない。たとえ流星街が相手だろうと、マフィアは全面戦争に持ち込むだろう。

 

 その最悪の結末だけは回避したい思惑が互いにあるはずという前提のもと、今日のオークションは開かれている。マフィアンコミュニティは警備面を強化しているが、まさか二度目の襲撃があるとは思っていない。

 

「それは旅団(クモ)にとっても言えることだ。たかが競売品程度の獲物を手に入れるために自分たちの住処でもある裏社会から締め出されるような馬鹿はしないだろう」

 

「じゃあ、バレないようにこっそり盗むってのか? そこまでしてあいつらが欲しがるものがあると?」

 

「もし奴らがここへ来ることがあるとすれば、目的は『緋の眼』とその『落札者』だ」

 

「……どういうことだ?」

 

 クラピカは前回のオークションで旅団の二人を殺めている。対策を万全に整えていた彼にとって単純な戦闘であれば、一対一に持ち込めさえすれば十分に倒せる相手だった。連携を取らせず、いかに個別に撃破できるかが鍵となる戦いと言えよう。

 

 その点で言えば殺めた二人のうち、旅団の中でも最強格の戦闘力を誇っていたウヴォーギンより、他者の記憶を読み取ることができる特殊能力を持つパクノダの方が厄介だった。

 

 一筋縄ではいかない交渉に持ち込まれ、直接的に殺害するには至らなかった相手だが、クラピカの情報を漏らそうとすれば即座に心臓を潰す念の鎖を仕掛けることに成功している。そして、その鎖の能力は発動し、確かにパクノダを死亡させた実感がクラピカにはあった。

 

「なら、お前の情報は旅団に漏れてないはずだろ。お前がクルタ族であり、緋の眼を探していることは敵も知らないはずだ」

 

 普通に考えればレオリオの言う通りだった。だが、クラピカには解せない感情がある。パクノダは非情に理知的な性格をした人物だった。戒めの鎖を心臓に仕掛けたことは本人にも宣告しており、死ぬとわかっていることをなぜわざわざやったのかという疑問が湧く。

 

 理知的であると同時に仲間思いの一面を見せたパクノダは、死を覚悟してでもクラピカの情報を伝えようとしたのではないか。話そうとすれば即座に心臓が潰され、常人なら言葉を発することもできず即死するだろう。しかし奴らなら死の間際に一言、絞り出すことができたかもしれないという不安があった。

 

「その一言が『緋の眼』だったてのか?」

 

「……」

 

「それはさすがに考え過ぎじゃねぇか?」

 

 あり得ないとは言い切れない。緋の眼か、あるいはクルタ族か。クラピカの素性に辿りつく情報が示された恐れがある。その仮説が正しければ、オークションの情報を仕入れた旅団はクラピカを探しにやって来ることも考えられた。

 

 だからこそクラピカはこのオークションにおいて旅団との遭遇を視野に入れ、行動することに決めていた。そのための変装である。ノストラード組としてではなく、一般の参加客を装っていた。

 

「もっと現実的な可能性をあげるなら、ヒソカが私の情報をクモに売ったことも考えられる」

 

「あー……それは否定できねぇな」

 

 その当時、ヒソカは幻影旅団に偽の団員として潜伏しており、利害の一致からクラピカに旅団の情報を流していた。今となっては逆にクラピカの情報が流されていたとしても不思議ではない。

 

 もっとも、仮に情報が知られていたとしても旅団が必ず来るとは限らない。仲間をクラピカに殺されたことに対して報復の意思がどの程度あるのかも定かではない。

 

「可能性はいくらでも考えられるということだ。奴らが来るという確証はないが、来ないと決めつけることもできない」

 

 そしてクラピカにとっては、そのどちらに転んでも初志を貫く覚悟があった。旅団の姿を想像しただけで、カラーコンタクトの内側で彼の眼は赤く色づき始めている。

 

 今までの活動は旅団を探すことよりも緋の眼の回収に専念していた。もしクラピカが復讐の道半ばで命を落としでもすれば同胞の眼は離散したまま弔うこともできなくなってしまう。まずは全ての眼を安全な場所に集めることが先決だった。

 

 だが、その一方で胸中に燃える復讐の炎が鎮まることは少しもなかった。まさか目の前にまで迫った一族の敵を見逃すなどということはあり得ない。復讐のために、あらゆる事態を利用するつもりでいた。

 

 しかし、ここに来てレオリオとの再会という予期せぬ事態が発生する。幻影旅団との因縁はクラピカ個人が抱える問題であり、他の誰かを巻き込むつもりはなかった。

 

 センリツにはその能力の優秀さから助力を願ったが、彼女はクラピカと程よい距離感を持った関係を築いている。無論、仲間として信頼し合っていることは確かだが、互いに個人の事情にまで深入りするような関係ではない。復讐はクラピカ一人で決行することを事前に話し合っていた。

 

「全てを話した上で今一度、問おう。レオリオ、これは私の個人的な問題だ。わざわざ首を突っ込んでまで危険な目に遭う必要は全くない。それでも……」

 

「愚問だぜ。オレはあまのじゃくなんでね。来いと言われれば勝手に帰り、来るなと言われれば嫌でも着いて行く男だぜ」

 

「じゃあ手伝ってくれ」

 

「よし、わかった!」

 

 皮肉にもならない。頭を抱えるクラピカとは対照的に、センリツの表情は穏やかだった。彼女はレオリオにこっそり耳打ちする。

 

「あなたが来てくれて良かったわ。クラピカは今日の競売に向けて気負い過ぎているところがあったから」

 

 旅団の来訪を待ち望むクラピカの心境は憎悪一色に染まりかけていた。それは死闘に臨む者として間違った心構えではない。むしろ、レオリオがここに来たことでクラピカの精神に多少の揺らぎが生じたことは確かだった。

 

 しかし、クラピカが憎しみ以外の感情の欠如した復讐鬼になり果てることをセンリツは心配していた。彼の心音は激しい怒りを表し、復讐のためなら自分の命すら容易く犠牲にしかねない危うさを含んでいた。

 

 そのメロディーはレオリオの登場によって少しずつ変化しかけている。友人の身を案じる気持ちがクラピカの心に元の人間味を与えていた。作戦は多少の変更を余儀なくされるが、それ以上の効果があったと見ていいだろう。

 

 しばらく作戦会議を行った後、三人はオークション会場へ踏み込んだ。不自然にならないようにレオリオが美女然としたクラピカをエスコートする形で入場する。複雑そうな顔をしたレオリオの後ろを、使用人に扮したセンリツが付いて行く。

 

「さあ、続きましては! 非業の死を遂げた幼き天才彫刻家、キネティ=ブレジスタの遺作でございます。ご覧ください、この迫力! 死肉に群がる7匹のハイエナがまるで生命を得たかのように血生臭く表現されています。それでは2500万からスタートです!」

 

 競売も中盤に差し掛かった会場は、欲にまみれた客たちの熱気でむせかえるようだった。騒がしく聞こえるのはオークショニアが張り上げる演説の声だけで、席に座る客たちは静かなものだったが、その無言のうちにこみ上げる物欲と金への執着は会場全体に蔓延していた。

 

 この大量の客たちの中に紛れこんだ何者かがいたとしても一人一人その情報を見分けることは困難を極めるだろう。前回よりも大幅に強化された警備体制をもってしても念能力者が本気で潜入を考えればいくらでも手はある。

 

 それはなるべく素性を隠しておきたいクラピカにとっては好都合でもあったし、敵の所在が知れないという意味では不都合でもあった。そのためセンリツに協力を求めていた。彼女の凄まじい聴力を誇る耳ならば、絶で気配を消した者の存在や操作系能力で操られた一般人の状態まで判別できる。

 

「でも、さすがに数が多すぎる……全員を隈なく調べることはできそうにないわ。ごめんなさい」

 

「可能な範囲で構わない。そのまま異常がないか探ってくれ」

 

 この会場内で戦闘に発展するような事態は敵も避けたいはずだ。やはり事が動くか否かの線引きは、緋の眼の競売にかかっている。それまでは大人しく待つしかない。オークショニアの司会進行の声は、今のクラピカにとってはただの雑音にしか聞こえなかった。

 

「おい、緋の眼の競売が始まったら普通に競り落とすんだよな?」

 

「そのつもりだ」

 

 旅団の存在を前提にここまで計画してきたが、今の段階では確証のない想定に過ぎない。まさかいるともわからない敵の影に臆して競りから身を引くようなことはできなかった。ただ金を積めば緋の眼が手に入るというこの状況は願ってもない機会である。

 

「金が足りなくなりそうだったら言えよ。オレも少しくらいなら出してやるから……1000万くらいなら……」

 

 緋の眼の競り出しは最低でも1億から始まるものと思われる。1千万では心もとない金額だ。それはレオリオにもわかっているため、大きな顔はできなかった。

 

 彼の軍資金は1200万のカタログを購入した時点で既に半減しているのだ。友人に会うという、それだけのために投げ捨てたとも言える金だった。

 

 これまで大学受験の勉強にかかりきりだったレオリオにとって用意できた金額はこれだけだった。それでも普通の感覚からすれば大学生で2千万以上の貯蓄があることは凄いことだが、プロハンターとして稼ごうと思えば手が届かない金額ではない。

 

 医者を目指してこれまで彼が貯めていた金や、勉強の合間のわずかな時間に短期で受けた依頼などによってかき集めた金である。世の中は金が全てだと豪語する彼だが、その使い道は実に情がこもっていた。

 

 レオリオはクラピカのためならば使っても構わないと思っていた。もとより医大に入るために貯めていた金であり、プロハンターとなった今では以前ほど切羽詰まって必要に感じているわけではない。

 

 いつもなら金に目がないレオリオが自分からそんな話を切り出したことに、クラピカは思わず破顔してしまった。終始、浮かない表情をしていた彼がこの場で初めて見せた微笑だった。

 

「あっ! てめぇ今、鼻で笑いやがったな! あと1千万あれば競り落とせたのにレオリオ様、と泣きついてきても知らんぞ……! そのときはきっちり貸し付けてやるからな! 利子も取るぞ!」

 

「ああ、わかったわかった。ありがたく使わせてもらおう」

 

 素直に『ありがとう』と言えず、軽くあしらう返事をしてしまったことにクラピカは申し訳なさを感じていた。こんな自分には過ぎた友人を巻き込んでしまったと、後悔する思いがあった。

 

 故郷の惨劇を目にしたあの日から、クラピカの性格は変わってしまった。より美しい緋色を眼球に定着させるために、旅団はよりむごたらしくクルタ族を殺害した。家族同士を向かい合わせて死にゆく姿を見せつけ、子供は特別におぞましい拷問を受けたことが死体の傷跡からわかった。人を人とも思わぬ所業だった。

 

 その憎悪は仲間の眼を集めていく過程で燃え上がると言うよりは、底冷えするように冷たく研ぎ澄まされていった。同胞を取り戻すたびに人としての何かを失い、心から温かみが消えていく。復讐の果てに何が待つのか、自分でも考えが及ばなくなっていた。

 

 それでもクラピカの中には幼少期に刻み込まれた故郷での思い出が色褪せることなく宿っていた。何の変哲もない暮らしの中で、家族や友達との愛情や友情の中で育った記憶がある。どんなに強い憎悪に染まろうと、培われた人間性の全てを否定することはできない。

 

 だからこそ復讐に囚われた生き方しかできず、それでありながらレオリオのようなかけがえのない友人たちに出会えたことを喜べる気持ちを失わずにいられた。その相反する感情が心を痛める原因でもある。

 

 ただの冷血な復讐鬼に徹することができたなら、あるいは仲間の死を過去のものと割り切り前を向いて生きていけたなら、こんな苦しみはなかっただろう。何もかも中途半端な自分の在り方を、彼自身認められずにいる。

 

 それでも今さらこの生き方を変えることはできなかった。長袖の中に隠し持った鎖を握りしめる。カタログに記載された出品順によれば、もうすぐ緋の眼の番が来る。刻一刻と増すオークションの熱気と比例するように、彼の心拍も上昇していった。

 

「続きましては本日の“眼玉”の一つ! 絶滅した希少部族、クルタ族の眼球『緋の眼』でございます! そのため息が漏れるほど鮮やかな赤色は世界七大美色に数えられるほど! 1億ジェニーからのスタートです!」

 

 ついに始まる。開始の合図も早々に、次々と競り値をかぶせる買い手が現れる。オークショニアは目まぐるしく変遷する金額を叫んでいく。

 

「1億6000! 1億8500! 来た、2億3900! まだまだ上がるか!? 3億! 3億が出ました! これで終わるか、いやまだ上がる! 3億と700万が出た!」

 

 予想よりも競り合いは白熱していた。凝縮された競売日程による購買層と資金の集中が競り合いを激化させている。これはクラピカにとって都合が良かった。これならば多少、目立つような高額を提示してもそれほど不自然ではない。

 

「5億!」

 

 機を見計らってクラピカがアップのサインを出そうとした時のことだった。会場に野太い男の声が響いた。オークショニアではなく、参加客が発した声である。サザンピースでは指の形で金額を提示するサインを用いることが一般的なマナーだが、ヒートアップした競りではその限りではなく、こうして直接競り値を声に出した言い争いになることもある。

 

 5億という金額はクラピカにとって落札予定価格の上限に位置していた。市場価値を加味してもこれだけあれば十分、逆に言えばこれ以上の競り値を付けるとその品に相当執着していることを示してしまう。

 

「さあ、5億! もう一声! もう一声ないか!? 5億1000! 5億と1千万が出た!」

 

 逡巡したクラピカに代わり、そこでレオリオが独断でアップのサインを出す。

 

 こうした競り合いには熟考が好まれない独特の呼吸があり、参加者たちの感情が大きく関係している。ただ単に予算の範囲で機械的に購入を決定するわけではない。他者を差し置いて欲しい物を手に入れるという独占欲をあらわにした戦場だ。その欲望を満たすためだけに場の空気に呑まれ、衝動的に声をあげてしまう買い手は多い。

 

 しかし、ここで会場が静まり返れば続く買い手の声が上がりにくくなり、競売の熱が失われる。だからこそ一気に5億にまで金額を引きあげて他者を振り切ろうとする者が現れたのだ。

 

 オークションにおいては珍しくもない手法である。その流れを断ち切るよりも間髪入れずアップをかぶせた方が今後の競り合いにおける不自然さは薄れる。クラピカが5億を基準として考えたように他の参加客も同様の思考に至った者はいるはずであり、本当に緋の眼が欲しいと思う者ならこのライン付近での勝負も視野に入れているはずだ。

 

 巧遅より拙速を取ったレオリオの英断が、途切れかけた会場の熱気を再び加速させたかに見えた。

 

「10億ゥ!」

 

 だが、一瞬にして冷え切る。今度こそ会場は静まり返った。そして徐々にざわつき始める。そのアップを叫んだ声は、先ほど5億を提示した者と同じ声に聞こえた。

 

「センリツ、今の声は誰だ……!?」

 

 完全に他の買い手を引き離しに来た何者かに疑問を抱いたクラピカがセンリツに確認を取る。

 

「この声は……ヴェンディッティ組よ!」

 

 センリツが一度聴いた人物の声を忘れることはない。間違いなくヴェンディッティ組頭、ゼンジであった。

 

 クラピカの思考は疑問で埋め尽くされていた。全く予想もしていなかった人物がここで浮上してきた。奇しくもその展開は、1年前のドリームオークションで起きた緋の眼の競り合いと酷似している。

 

 だからこそと言うべきか。ゼンジが緋の眼にこだわる理由はそこにあるものと推測できる。クラピカからすれば逆恨みも甚だしいが、ゼンジにはクラピカを憎む理由があった。

 

 いかにしてクラピカと緋の眼のつながりを知ったのか定かではないが、ここでゼンジの手に同胞の眼が渡ることはまずいと直感した。

 

「ついに10億の大台! さあ、いないか!? もう一声上がらないか!? ここで決してしまうか!」

 

 予算だけを考えるなら、クラピカにはまだ用意があった。20億までならぎりぎり捻出できる。

 

「センリツ、奴の心音は? 何か異常は見られないか?」

 

「念の影響を受けているようには聴こえないわ。でも……凄まじい感情の乱れを感じる。もの凄い執着よ。おそらく、全財産をつぎ込んででもこの競りに勝とうとしてるわ……」

 

 クラピカは思わず歯噛みした。ノストラード組の事業を立て直して得た資金は多額に及ぶが、これまで緋の眼回収のために多くの出費が重なっていた。

 

「どうする、クラピカ!?」

 

 ヴェンディッティ組はこの都市近辺に安定した基盤を持つ大ファミリーだ。正面から競り合ったところで勝ち目はない。いたずらに自分の存在を喧伝するだけで何も得られずに終わることは明らかだった。

 

「いない! では、10億にて落札です!」

 

 無情にも競りの終了が告げられる。もはやこのオークションに用はなくなった。しかしクラピカはしばらくの間、席から立つことができずにいた。

 

 


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