護衛チームの四人が各々戦闘を始める中、殺し屋サダソの相手となった敵は奇妙な恰好をしたボクサーだった。その全身は包帯で巻かれ、中身がどうなっているのか見ることはできない。
ふらふらと覚束ない足取りで歩み寄ってくる包帯男をサダソは油断なく観察する。オーラの力強さだけなら目を見張るものがあるが、それ以外については取り立てて脅威とは感じなかった。
殺し屋とは、腕が立たなくては務まらない仕事だ。諜報能力、隠密能力もさることながら特に念能力者をターゲットとする殺し屋は、念の実力なくして商売にはならない。銃で撃った程度では死なない相手やその護衛を処理する必要がある。
瞬時に彼我の実力の差を見極める目を養うことは必須の技術と言える。サダソはまだこの職種に飛び込んで日の浅い新人だが、それでも彼なりに鍛えてきた。包帯男は身のこなし、オーラの淀み、視線の揺れ方、どれを見ても稚拙。他の敵たちと比べれば最も弱い相手だと判断できた。
だからこそサダソに割り当てられたと言うべきだろう。彼が今回の護衛チームの中でも軽んじられていることは事実であり、多少のプライドが傷つく気持ちはあったが、その程度の感情で取り乱すことはなかった。言い訳などせず与えられた役割を全うするまでである。
彼は強い踏み込みと共に素早く接敵する。その動きに包帯男が示した反応は若干遅い。格闘戦に持ち込んでも十分勝ちが見込める相手ではあるが、身に纏うオーラの出力から見て殴り倒すには相応の時間がかかると予想された。
ここは手の内を隠して一戦を長引かせるよりも全力で早期決着に持ち込むべきと判断する。敵はこの男だけではない。不測の事態に備えて一人でも早く敵を処理しておくべきだろう。
「出し惜しみはしないよ……『嘘塗り幻肢(ファントムペイン)』」
彼は念に目覚めるきっかけとなった“洗礼”によって左腕を失った。それに伴い、傷が完治した後も強烈な幻肢痛に悩まされた。欠損したはずの部位に痛みが生じるこの症状は現代医学においても原因がはっきりとわかっていない。
存在しない肉体を襲う痛み。脳の自己認識と実態の不一致から起きる症状と考えられている。個人によって程度は様々だが、サダソの場合は体質的にひどく重症化した。万力で潰されるような痛みに襲われ、眠れない日々が続く。その痛みが結果的にありもしない腕を強く意識させる念の修行となり、能力として実体化させるに至った。
サダソは変化系統の能力者であり、念で作り出した左腕は具現化したものではなかった。そちらの適性は低かったのか、元の腕とは似ても似つかない歪な形状となってしまう。具現化系ではなく変化系として発現された能力だった。
オーラによって形成された巨大な左腕が包帯男の上半身をつかみ取って持ち上げる。敵は抜け出そうと足をばたつかせているが拘束から逃れることはできない。サダソはそのまま握りつぶそうと力を込めたが、敵の堅による抵抗が大きく拘束がやっとの状態だった。
だが、問題はない。オーラの腕で包み込まれた敵は息をすることもできない状態にある。このまま拘束し続けるだけで直に窒息するだろう。ターゲットを瞬時に無力化し、声を出させる暇さえ与えず窒息させ、静かに意識を奪う。殺し屋サダソの得意とする戦法だった。
今の生き方を見つける前の彼は、ただ自分の置かれた境遇を嘆き、弱者を虐げることに快楽を覚える弱者だった。その価値観が一変したのは、ある少年との出会いがあったからだ。
天空闘技場のフロアマスターを目指していたサダソは姑息な手を使って新入りをいたぶり勝ちを重ねていた。その獲物の一人として目を付けた少年から、逆に生殺与奪を握られる脅しを受けたのだ。後になってその少年が、かの暗殺一家ゾルディック家の殺し屋だったことを知る。
その当時はただの恐怖しか感じなかったが、次第に憧れを抱くようになった。殺し屋に就いたのも少年に影響を受けたからだ。あのとき受けた殺気をサダソは忘れていない。いつか自分もあの風格に追いつける殺し屋となることを夢見ていた。
殺し屋など胸を張って誇れる仕事ではないことは確かだが、それでも以前の彼に比べれば前向きに生きている実感を得ている。
「悪いが、こんなところで立ち止まってはいられなくてね」
激しく暴れていた包帯男の体から力が抜け、足がだらんと垂れた。左手から伝わってくる感覚を読み取る限りでは失神した人間の反応に酷似しているが、意識を失ったにも関わらず敵の堅は解けていない。気を失った演技か、それとも別の理由があるからか。
最初から不自然な点はあった。ちらりと周囲の状況に目をやるが、こちらの仲間の誰もが苦戦している。いずれも一線を画す手練れが揃う中、この包帯男だけがあまりに弱すぎる。別に戦力が均等でなければならないということはないが、何かの策とも考えうる。
サダソはこれまでの経験から推測するに、目の前の敵が操作系能力によって操られている可能性を疑った。単調で大雑把なオーラの使い方と言い、場当たり的な反応の仕方と言い、操作された人間にありがちな傾向である。意識を失った状態でも命令により強制的にオーラを使用させられていると考えれば説明がつく。
であれば、この敵は囮かと思い至る。その思考がなければ自らに迫り来る攻撃に気づくことができなかっただろう。
それは遠方から放たれた念弾だった。大きさは銃弾ほどしかないが、その小さな弾体に凝縮されたオーラが込められているとわかる。どれだけの威力があるかまではわからないが、このままでは身をもって検証することになるだろう。
一発ならまだしも、同様の弾がばらまかれるように飛んできている。攻撃を察知することはできても回避はできそうになかった。何とか堅のオーラを高めて対処しようとしたそのとき、全く予期せぬ方向から攻撃を受けた。
体が急に重くなったように沈み込む。まるでビルの屋上から飛び降りて地面に叩きつけられたかのように勢いよくその場に倒れた。意識が飛びかけるほどのダメージを受けたが、急激に姿勢を低くされたことで念弾は回避することができた。
サダソの上を通り過ぎた念弾は直線上にたまたま停まっていた乗用車に当たってはじけた。車体をぼこぼこに凹まされながら宙に吹き飛ばされた車は破片をまき散らして着地する。ぞっとする破壊力だった。当たっていれば死んでいてもおかしくない。重傷は確実だっただろう。
生命エネルギーであるオーラはその使い手の肉体に由来するものであり、肉体から離れるほど制御も威力も減少する。この減少率を抑えて運用可能とする念の系統が放出系であり、その基本的な発が念弾だが、先ほどの攻撃はあまりにも馬鹿げた威力と言わざるを得ない。一発一発に致死の破壊力が込められた弾丸を一度に十数発も掃射してきた。
やはりサダソが拘束した敵は囮だった。敵の総数は四人ではなかったのだ。いつまでも茫然と寝そべっている暇はない。サダソが起き上がるとすぐそばに人影が立っていることにぎょっとする。音もなく現れたその人物は幸いにも敵ではなかった。
「ちょっくら加勢してやるよ」
アルメイザ姉妹の片割れであるチェルだった。ゼンジの護衛はアイク一人で十分だろうと他の戦闘に手を貸しに来たのだ。
少女は雨合羽のフードを脱ぎ、顔をさらしていた。銀色の髪は雨に濡れて妖しく輝く。そのあどけない顔立ちには不釣り合いにも見える武骨な眼帯で左目を覆っている。先ほどサダソを地に沈めた謎の現象も彼女の能力によるものだったのだろうと推測する。
「そ、それはありがたい。どうやら闇に乗じてこちらを狙う射手がいるようだ。同じ場所にとどまっているとも考えにくいし、早急に位置を特定しなければまずい」
「任せろ」
チェルを中心に、空気が滲むようにして膨れ上がった。円である。その最大捕捉範囲は半径150メートルにも達する。彼女が最も得意とする応用技だった。展開速度も凄まじく、また隠を施すことができる特殊技能により、ほぼ発動の兆候も感じさせずぬるりと広がっていく。
チェルが今まで円を使っていなかった理由の一つとして、もしかしたら蝙蝠(ヘンタイ)に気づかれるのではという不安もあったが、敵を警戒させないためという目的もあった。ゼンジの様子から何かしらの厄介事を抱えていることは見え透いていたので、あえて敵をあぶりだすために円は使っていなかった。
ここぞというタイミングで急展開された円の捕捉網は闇に潜んだ複数の敵影をつかんだ。
「一、二、三、四……あと四人も隠れてやがるのか」
円で捕捉できた限りにおいて判明した敵の総数は八人ということになる。無力化した包帯男を除けば七人だ。敵は円の捕捉網に引っかかったものの、すぐに異変を察知して範囲外へと逃げていく。
しかし、その中で一人だけ足を止めている者がいた。チェルが念弾が飛んで来た方向から射手の位置を特定し、それらしき敵影に向けて『重力操作』を発動したのだ。彼女は目視できずとも円の内部であればどこにでも重力操作の基点を作り出せるようになっていた。
「捕まえた。行くぞ」
「え、あ、はい」
正直なところ、サダソにとってこの少女の実力は計り知れない。言葉通りならばこの一瞬のうちに隠れた敵を捕縛したことになる。果たして自分が同行する必要はあるのかと思ったサダソだが、その疑問はすぐに解消されることとなった。
チェルが感知した敵影は彼女たちがいる場所から数十メートル離れた地点に隠れていた。その筋肉質な巨体から男と思われる。確かに重力で拘束はしているはずだが、敵は果敢に攻撃を仕掛けてきた。先ほどと同威力か、それ以上にも見える念弾が群れと化して襲い掛かる。機関銃のような恐ろしい連射性能だった。
念弾はオーラによって作られており具現化されて実体があるわけでもないため、重さもない。チェルの重力操作でも止めることはできなかった。この能力には2か所以上の地点に発動できないという制限もある。チェルは矢面に立つようにサダソをかばって念弾を受け止めた。
「いてっ、いててて」
普通なら痛いで済むはずはない攻撃を平然と防いでいる。堅どころか硬で防いでも大怪我を負っていることだろう。チェルの左目に宿るもう一つの能力『元気おとどけ(ユニゾン)』により念弾のオーラを自分のオーラと融合させ、攻防力を操作していた。それでも完全に威力を殺しきることはできなかったが、そこは自前の技でカバーできる。
チェルがサダソを同行させようとした理由は敵の処理を手伝わせたかったからではなく、彼女のそばにいなければ危険だからだ。サダソが自力で念弾の雨をどうにかすることは不可能に近い。彼は情けなさを噛みしめながらも少女のそばから離れることができなかった。
今はとにかく射手を倒すことが先決である。チェルが弾幕を防ぎつつ前進し、その後をサダソが続く。激しさを増す弾幕の勢いを前にして快進はできないが、着実に敵へ近づいていた。しかし、敵もそれを黙って見過ごすことはない。闇に紛れていた敵は一人ではない。
「くっ、気をつけろ! 糸みたいなのが来るぞ!」
目に見えぬほど細い糸が風を切り裂きながら襲い掛かる。その細さは凝をもってしても見る角度がほんのわずかにずれれば見失ってしまいそうなほどだった。円を展開していたチェルは正確にその攻撃を察知し、対処する。チェルの手が糸を断ち切った。
糸の使い手と思われる女が姿を見せた。オーラを糸状にする変化系能力者と考えられる。もし糸の実物を用いた操作系能力者であったならばチェルもこうまですんなりと糸を断ち切ることはできなかったかもしれない。100%オーラで形成された念糸はチェルの能力と相性が良かった。
しかし、敵もまたある程度チェルの能力を見越している。謎の能力を持つ少女に対し、糸使いの女は大胆にも接近してきた。それはチェルが複数箇所同時に重力操作できないことを見極めるためでもあった。現に、チェルは糸使いを拘束できずにいる。
そこへ追撃をかけるように念弾の雨が放たれる。二人がかりの連携だった。糸と弾、さすがのチェルでもこの二つの攻撃を防ぎきることはできない。自分ひとりなら凌ぎようはあるが、背後にいるサダソを守り切れないと判断し、左目の力を開放した。
発動した『空間歪曲』により前方の空中が軋みを上げた。歪みの基点近くにあった念弾は擦り潰されて霧散し、その周囲の念弾も歪みの影響を受けて軌道を捻じ曲げられた。弾幕はあらぬ方向へと乱れ飛ぶ。
糸使いは思わず舌打ちし、サダソは驚きを通り越して呆れていた。重力操作と同じく、ほぼ予兆も現れることなく突如として発生した原理不明の能力である。強力な能力の行使には強力なオーラの気配がつきものだが、それも見られない。
糸使いの女は今と同じ攻撃を仕掛けられたとしても見切ることができる自信はなかった。それもそのはず、チェルがただ“見た”だけで発生する能力である。それは念能力ではなかった。災厄の力を人の理に収めることはできない。
だが、その力にも制限は存在する。力の暴走を防ぎ、安全に使用するためにチェルの左目にはいくつかの制約が課せられている。一定期間内の使用回数制限などのルールがある。空間歪曲を発動させたために、それまで使っていた重力操作が解除されてしまった。
急ぎ射手の位置を円で確認するチェルだが、敵の強さを考慮すれば既に逃げられたと考えるべきだろう。その予想はしかし、外れていた。
「仲間割れか……?」
円の範囲内において、これまでチェルたちへ念弾を撃ち続けていた敵は、別の何者かと交戦していた。何やら鎖のようなものを使う人物が射手に襲い掛かっているように感じる。何が起きているのか詳細はわからないが、ひとまず他所で起きている戦闘は保留にし、チェルは糸使いの女に向けて重力操作を発動した。
* * *
オークション会場を後にしたクラピカは着替えを済ませてヴェンディッティ組の車を尾行した。今の服装は、彼が故郷から持ち出した数少ない品の一つ。クルタ族の伝統装束だった。同胞たちの宿敵と立ち向かう決意の表れでもある。
緋の眼を競り落とすことはできなかったが、過ぎたことを悔やんでいても仕方がない。大幅に予定を変更して対応していた。
会場から出たゼンジの警戒心は異常なほど強く、クラピカも名を知るような腕利きの護衛を常に帯同させていた。実力行使に出るにはリスクが高く、大事になることは避けられないと判断する。それよりもしばらくは状況を静観することに決めた。
緋の眼の確保を最優先に動くなら強奪することが手っ取り早くはあるが、法を犯すことに対する抵抗はぬぐい切れない。旅団が相手なら躊躇はないが、現段階では関係も不明なマフィアでしかない。それも競売で合法的に買い取った物品を横取りすることは、クラピカが忌み嫌う盗賊行為に他ならない。
だが、綺麗事ばかりも言っていられなかった。最後の手段として強奪も視野に入れるなら、警戒すべき敵はゼンジの護衛だけに留まらない。幻影旅団についても注意しないわけにはいかなかった。
来るという確証はなかったが、心のどこかでクラピカは来ると確信していた。それは敵の脅威に対する信頼とも言えた。逆にここで旅団が来なければ落胆すらしていただろう。その期待を裏切ることなく、幸か不幸か彼の思い描いた通りの展開となる。
旅団は緋の眼を狙ってヨークシンへ来ていた。奴らの思惑により、緋の眼を乗せたゼンジの車は高速道路のパーキングエリアへと誘導される。マフィアが最初から旅団とつながっている可能性も疑っていたが、どうやら本当に無関係な様子だった。
尾行には途中までレオリオとセンリツも同行していたが、今この場にはクラピカしかいない。二人を戦闘に巻き込むつもりはなかった。
レオリオは納得できていない様子だったが、自分の実力では足手まといにしかならないと理解して身を引いた。無理について行けば、かえって仲間を危険にさらすことになりかねない。クラピカがここで止まるような覚悟ではないことも理解していた。彼は現在、センリツと共に後方で待機している。センリツの能力があれば敵から奇襲を受けることもないだろう。
『絶対に無事で帰って来い。じゃなきゃオレは死んでもお前を許さねぇぞ』
別れる直前に言われた言葉をクラピカは思い出していた。もし死ぬようなことがあればレオリオはすぐに敵討ちをしに旅団のところに突っ込むと息巻いていた。ただの自殺行為だ。そしてレオリオはそれを有言実行するだろう。その言葉は復讐に駆られかけたクラピカの精神に枷を残した。
仲間のために生きて帰らなければならない。何よりも重要となるのは怒りではなく、冷静な思考だと肝に銘じた。
旅団はゼンジに襲い掛かったが、その戦闘にすぐさま割って入ることはできなかった。いかに憎むべき敵であっても相手は有数の念能力者である。多対一では勝ち目が薄い。ゼンジの護衛と旅団がぶつかり合うことで、少しでも疲弊させられればと機をうかがっていた。
しかしその実クラピカは、この戦闘が潰し合いにならず一方的な蹂躙で終わるだろうと考えていた。そんなに簡単に疲弊させられるような敵であれば苦労はない。その強さだけは認めざるを得ない。
わかっていても何らかの隙が見られない限りクラピカも動くに動けない。何度もイチかバチかと勢いで飛び出したくなる気持ちを抑えて戦闘を注視する中、波乱の展開は思いもよらぬ好機へと結びつく。ゼンジが雇った傭兵がことのほか強かったのだ。あの幻影旅団と渡り合うほどの手練れを用意しているとは思っていなかった。
賞金首としては旅団と同格のA級である傭兵団『カーマインアームズ』。その名だけはクラピカも耳にしていたが、実際に目にした強さは別格と言っていい。まことしやかに広がっている不穏な噂は虚仮脅しではなかったということだろう。
その傭兵の一人が放った円にクラピカも飲み込まれてしまった。慌てて離脱したのちにすぐさま観察を再開した彼は、旅団の一人に異常があらわれたことを鋭く見抜く。念弾を連射していた旅団員がその場で足止めを食らったかのように微動だにしない。
それまでは油断なく張り詰めていた敵の気配に確かな隙が生じている。傭兵が何らかの能力を使って旅団員の動きを封じたものと推測できた。
今ならば刺せる。クラピカの能力の一つ『束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)』が届けば、敵を強制的に『絶』の状態にして捕らえることができる。
千載一遇の好機だった。行動することで起きる利益と不利益を瞬時に比較衡量し、彼は決断する。円の内部に入ることもためらわず走り寄りながら、中指の鎖に『隠』を施して念弾撃ちの大男へと放つ。旅団以外の人間に使えば死ぬという誓約によって無類の強度を得た念の鎖が敵へ迫る。
敵の念を無効化した上で身動きを封じてしまう鎖の一撃は、触れればそこで決着がつく。雁字搦めにされた大男はクラピカに引きずられて円の外へと連れ去られることだろう。獲物を拘束して引きずり込むその様は、皮肉にも彼が嫌悪する“蜘蛛”のようだった。
あと少しで捕らえられるというタイミングで大男が鎖の接近に気づいた。気づけども、その体は身動きが取れない状態にある。避けられるはずはないというクラピカの思惑は、寸でのところで実らなかった。
回避される。鎖がしたたかに誰もいない地面を打った。
「会いたかったぜ、鎖野郎……!」
旅団員、フランクリンは獰猛な笑みを浮かべながら“銃口”をクラピカへと向ける。クラピカが密かに旅団の動向を探っていたように、その逆も然り。旅団員たちは巧妙な絶で隠れたクラピカの正確な所在こそ察知できなかったが、自分たち以外の何者かが闇に紛れているかすかな気配は感じ取っていた。
フランクリンの体を地に縛り付けていた重力は消え去っていた。それは偶然の産物ではない。彼の仲間であるマチが傭兵の少女の前にわざと躍り出ることで注意を引きつけ、フランクリンを逃がそうとした結果だった。
フランクリンは重力の拘束から脱することができたが、そこであえて捕まっているふりをし続けることでクラピカをおびき出そうと考えたのである。策にはめられたのはクラピカの方だった。
大男の十指が火を噴いた。その能力『俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)』は、自身の指を切断することで得た誓約の効果により格段に威力が向上している。生身の人間が銃で武装した者に勝てる道理がないことと同じく、フランクリンの念弾に当たればオーラを扱える念能力者といえども重傷は必至である。
逆に隙を突かれてしまったクラピカに回避する余裕はなかった。彼の薬指から鎖が伸びる。
『導く薬指の鎖(ダウジングチェーン)』と名付けられたこの鎖は、ダウジングによって探し物を見つけたり相手の嘘を見抜く効果を持つ。その能力は戦闘においても生かされる。この鎖は術者の集中力を引き出し、自己認知を超越した無意識下の直感によって動かされる。
発の全系統との相性を100%に高めることができる『絶対時間(エンペラータイム)』と併用することにより、薬指の鎖は術者自身の認識すら超えた機動を実現する。不意打ちに受けた無数の念弾を前にして鎖は的確に、一分の乱れもなくクラピカを傷つける軌道上の念弾のみを防いだ。
力を受け流す方向が少しでも狂えば念弾の威力を抑えきれずに鎖が崩壊していただろう。一発でも受け損なえば念弾の猛射に肉体を食い破られる。刹那の攻防の結果は、無傷でその場に立つクラピカの姿によって示された。
「罠にかけた上でこの程度の攻撃しかできないとは、お前たちの実力を過大評価していたようだ」
赤く色付いた眼を持つ少年の周囲に、じゃらりと音を立てて鎖が舞う。その一振りは絶え間なく降りしきる雨を薙ぎ払う。
「なら、ご自慢の鎖でどこまで堪えられるか試してやろう」
古傷だらけの風貌の巨漢は、撃ち出す弾を体内で練り上げる。その闘気は男の影が何倍にも膨れ上がったかのように錯覚させるほど強大だった。