カーマインアームズ   作:放出系能力者

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96話

 

 幻影旅団の一人、マチの作り出す『念糸』はオーラを糸状に細く伸ばして操るというシンプルな能力である。その強度は糸の長さと反比例し、1メートル圏内であれば1トンもの重量を吊り上げられるほど強靭になり、逆に木綿糸ほどの強度に落とせば地球を一周するほどの長さを紡ぎ出すことができる。

 

 絞殺、捕縛、追跡、盗聴、縫合、用途は多岐に渡る。どんな能力であれ、それを生かすも殺すも術者次第だ。マチの念糸の応用力と戦闘力は、彼女の類稀なる技能によって支えられていた。

 

 幻影旅団の一席を担う者として相応の実力を有している。念糸を使わずとも身体能力だけで並の使い手を凌駕する猛者だ。生温い鍛え方はしていないという自負はあったが、その気迫に反して身動きの取れない状態に陥っていた。

 

 その元凶であるチェルが徐々に距離を詰め始めていた。次々と襲い掛かる糸の波状攻撃をものともせず、細腕の一振りで蜘蛛の巣でも取り払うかのように千切られてしまう。

 

 マチは自分の身に降りかかる攻撃の正体について大まかに把握できていた。彼女が立つ場所にだけ過大な重力の負荷が発生している。気を抜けば地面に倒れ込んでめり込みそうなほど自分の体が重かった。

  

 一歩足を踏み出すために途方もない労力を要する。そうまでしてたかが一歩二歩進んだ程度で拘束から逃れられるわけもない。空気までもが重さを持ったように感じ、まともに息をすることもままならなかった。

 

 むしろ、倒れずに両の足で立ったまま念糸を操り続けているその心身の強さが異常と言える。この重力攻撃を一度受けたことのあるサダソは、戦意が全く衰えることのないマチの威勢にたじろぐほどだった。

 

 チェルの能力は重力攻撃だけではない。他者のオーラを自分のオーラと融合させてしまう特質系能力により、マチの念糸は変質させられ強度を著しく落としていた。

 

 それはチェルが直接触れた糸だけでなく、周囲一帯の領域全てに効果を及ぼしている。彼女が展開している円のオーラも融合する特性をもっているのだ。マチの手から紡ぎ出された糸はチェルの円に溶かされるように吸収されている。糸を維持するために普段の何倍ものオーラを消耗していた。

 

 その効果は念糸だけでなくマチ自身の肉体を保護するオーラにまで影響を与えていた。広大な『円』と『元気おとどけ』の効果が合わさることにより、円の内部にただいるだけで一方的に敵を弱体化させることが可能という凶悪な能力に成長していた。

 

 マチは勝算の低さを自覚しながらもそこで諦めるようなことはない。重力操作と空間歪曲、二つの能力を同時に発動できないことを見抜いていた。そのコンボが可能なら既に戦闘は終了しているだろう。

 

 チェルが重力操作を解除して空間歪曲を使おうとすれば、刺し違えてでも標的を殺すために動くつもりだった。その標的とはチェルではなく、サダソである。なぜか傭兵の少女が頑なに守ろうとしている背後の男を狙うことで、隙の見えないチェルに動揺を与えようと考えていた。

 

 マチは念糸にあらん限りのオーラを込める。その糸をより細くしていく。彼女の念糸は長さと強度が反比例するが、太さに関して制約はない。細い糸を紡いだからと言って必ずしも強度が落ちるわけではなかった。それどころか、繊維が凝縮されることによりオーラの密度を高めて強度を増すこともできる。

 

 その極細の糸は不可視の刃と化し、肉骨を断つ抵抗もなく標的を輪切りにする。風が吹き抜けたと感じた時には既に遅く、敵は斬られた自覚すら与えられず全身を解体される。念糸の奥義がチェルたちに向けて放たれた。

 

 オーラが凝縮された念糸刃は、初めてチェルの肌に傷を残した。しかし少女の腕を切断するには至らず。チェルの纏に触れた糸は急激に強度を劣化させられてしまう。さらに肌に刻み付けた傷は何事もなかったかのように回復されてしまった。

 

「くっ、やべぇ……服が……」

 

 あまつさえ自分の体よりも切り裂かれる服の心配をする始末。マチはこの念糸刃を普段使うことはない。技の限りを尽くして紡ぎ出せる極細の糸は、生成と操作に極度の精神力を要する。神経が焼き切れるほどの集中力をもってようやく発動を維持できるのだ。

 

 それだけの技をもってしても歯が立たない相手に対し、ふざけるなと悪態の一つも吐きたくなる心境だった。せめてもの抵抗と少女の衣服を重点的に切り刻む。

 

「やめろお前! これ明らかに服の方を狙ってるだろ!?」

 

 いかに対処が可能とはいえ、チェルの腕は二本しかない。攻撃力を増した念糸はマチを中心として暴風域を形成していた。その中心地に近づけば近づくほどに糸の手数は増えていく。すべての念糸刃を防ぎきることはできなかった。

 

「ぐあっ!?」

 

 チェルの背後でサダソが苦痛の声を上げる。チェルが切り落とし損ねた糸の一本がサダソに到達したのだ。チェルも敵がサダソの方に攻撃を集中させていることに気づいている。

 

「あたしから離れるな! 一瞬でぶつ斬りにされるぞ!」

 

 吹き荒れる刃の暴風域の中にチェルたちは孤立した形で取り残されてしまった。こうなってしまえばサダソを連れてきてしまったチェルの判断は失策と言えた。念弾撃ちに遠方から狙われていたあの状況では仕方がなかったとはいえ、戦況の推移を見誤ったことは事実である。

 

 自分の実力ならば守り切れるという過信と、敵に対する侮りがあったとチェルは反省する。マチは荷物を抱えながら片手間に倒せる敵ではない。災厄の力があったからこそ一方的に善戦しているが、純粋に念能力のみで戦えば勝敗の見えない強敵だっただろう。

 

「一旦、ここは退く」

 

 だが、それならば出直してくれば済む話だ。円の範囲に捉えている限り、マチを重力で拘束し続けることができる。安全圏までサダソを連れて一時撤退した後、またマチのところに戻ってきて戦えばいい。

 

「その必要はないよ。敵はここで仕留める」 

 

 今からでも立て直しは十分に可能だった。だが、そこで待ったをかけたのはサダソである。護衛任務を引き受けていながら味方の強さに甘えて守られることしかできないのであれば、彼としても殺し屋の沽券に関わる事態だった。

 

 自分がただの荷物ではないことを証明しなければならない。サダソの左腕が肥大化する。それに伴い、強烈な痛みが彼を襲った。

 

 失った左腕の代わりに得た仮初の腕は、幻肢痛という病症の結果として生み出された能力である。発動に際して痛みが生じる制約があった。よりオーラを込めて強い力を引き出そうとするほどに幻肢痛は悪化する。

 

 だから天空闘技場にいた頃の彼は、痛みの限界を超えた能力の行使など思いつきもしなかった。それが彼の成長の行き止まりだ。ゆえに200階層の最底辺でくすぶっていた。

 

 何の対価や代償もなく手に入る力などちっぽけなものだ。殺し屋となり、命を懸けた実戦を積んだサダソは自己という壁を一つ打ち破っている。

 

「うおおおおお!!」

 

 痛みを叫びで紛らわせたサダソの左腕は数メートルもの大きさに変貌する。念糸刃の攻撃を受けて幾度となく切り裂かれるが、驚くべきことに破壊されてはいなかった。サダソの左腕は確固たる実体を持つわけではない。具現化系ではなく変化系の特色を持つこの腕状のオーラは実体と非実体の中間のような性質をもったオーラの塊だった。

 

 その歪な能力を、まともな腕として形作ることができなかった未熟さの表れだと劣等感を抱いていた。敵の攻撃を防いだり、直接的なダメージを与えるような使い方には向かないが、その性質は見方を変えれば大いに戦闘にも応用できる。

 

 ありもしない腕に生じた痛みから逆算的に発生した幻の腕は、破壊不能の魔手となり敵へ襲い掛かる。

 

 糸の暴風をものともせず突き進むサダソの左腕はマチの全身を手の中に握り込んだ。重力とオーラの手による二重の拘束が、動きだけなく彼女の呼吸を封じる。それでもなお手負いの獣のように最後の力を振り絞って念糸刃を繰り出し続けたマチだったが、ついに窒息して意識を失った。地面にめり込んで動かなくなる。

 

「やるじゃん!」

 

 チェルはマチに近づいて当身を打ち込み、念には念を入れて服の内側から取り出した虫の本体に噛みつかせ、麻痺毒を送り込んだ。

 

「さて、まだ敵は残ってる。お前はこの女を持ってゼンジの護衛に戻れ。まだ殺すなよ」

 

 ぜえぜえと肩で息をしているサダソにチェルは声をかけた。もう彼のことをお荷物だとは思っていない。対等な仕事仲間として認めている。傭兵団の方針からなるべく人死には出さないように気をつけて戦っていたが、ただの慈善心で助けたわけではない。

 

 守ってやった分くらいの仕事はサダソにもしてもらわなければ割に合わない。ゼンジのそばにはアイクがいるので、その近くにいれば危険なことにはならないだろう。

 

「まず逃げた敵を見つけないとな。襲撃者をこのまま放置はできない」

 

 念弾撃ちも、それと戦っていた謎の乱入者もチェルの円の範囲から逃げていた。いつ拘束されるともわからない領域にいつまでも留まったままでいるわけがない。移動しながら円で索敵しようにも、敵も一度見ている技に当然警戒は払っているはずである。

 

 襲撃者の目的がゼンジまたは緋の眼にあるのだとすれば、ここからそれほど遠くに逃げ去ってしまったとは考えにくい。だが、円を広げたまま追い回すようなことをしても迂闊に足を踏み入れてくるような愚は敵も犯さないだろう。かと言って円を使わずに敵を探すというのは本末転倒だ。

 

「もういっそのこと無視してもいいんじゃないか? 逃げた敵の捜索に時間をかけるより、ゼンジ氏の護衛に専念すべきだろう」

 

「それも一理あるが、やはりあの念弾使いは脅威だ。遠方からあれだけの威力の念弾を機関銃のように発射してくる敵をここで逃がせば後の護衛任務に支障が出る。ちょっときついが、あれを使うか……」

 

 そう言うとチェルは、くちゃくちゃと何かを噛むように口を動かす。まるでガムでも噛んでいるようだと思ったサダソの予想通り、チェルは口からフーセンガム状のオーラを膨らまし始めた。

 

 

 * * *

 

 

 クラピカとフランクリンは高速道路から少し離れた開発予定地に場所を移して激闘を続けていた。両者の実力は拮抗している。幾度となく互いが攻撃を放つが、どれも決定打に至ることはない。

 

 クラピカは五指に宿る能力を存分に発揮してフランクリンを追い詰めようとするが、念弾の猛攻を前にしてあと一歩のところで取り逃がす。回避しきれない念弾は『導く薬指の鎖』で弾き飛ばしているが、それでも防御には限界があった。

 

 一つの判断の誤りが死に直結する攻防が続く。よくある念弾使いは遠距離攻撃に頼って接近戦を疎かにしがちだが、フランクリンの場合は当てはまらない。十本の指がそれぞれ銃口として機能し、無数の弾を吐き出し続ける彼の能力は、遠距離だろうと近距離だろうと関係なかった。

 

 それでもクラピカを仕留めきれない理由は、鎖を警戒するあまり行動に制限が生まれているからだ。フランクリンは『束縛する中指の鎖』の効果を知っている。念を封じるその鎖に一度でも捕まれば、勝負は即座に決着するだろう。あと少しのところで攻めきれないのはフランクリンも同じだった。

 

「どうした? 随分焦っているように見えるぞ。そう急ぐことはねぇ。ゆっくり死合おうぜ」

 

「黙れ……薄汚いクモが……!」

 

 しかし、精神的な優勢のみを見れば若干であるがフランクリンに傾いていると言えた。クラピカが抱える焦りとは、自分自身の実力から生じるものだった。

 

 相対している敵は幻影旅団の一人である。たった一人だ。まだ十人を超える敵が後に控えているというのに、いまだ一人にすら勝つことができずにいる。

 

 それはクラピカも最初から理解していたことだ。異常な強さを持つ念能力者集団であることは十分わかっていた。自分一人の力で復讐を成し遂げるにはあまりにも高い壁。頭では理解していても、感情を受け止めることができずにいる。

 

 一年前、ずば抜けた戦闘力を持つ旅団員であったウボォーギンを倒したときは相手に多少の油断があった。今回の敵はわずかな隙も見られない。フランクリンはウボォーギンを倒した相手に対して最大限の警戒を向け、全力で戦おうとしている。

 

 クラピカの焦りはまだ微々たるものに過ぎないが、戦況に大きな影響を与える可能性を帯びていた。彼はどうしてもかわせない念弾を最終的に『導く薬指の鎖』の超感覚によって処理しているが、その感覚の鋭さは本人の精神状態と無関係ではなかった。

 

 高い集中状態を維持できれば無意識下における鎖の制御も高まるが、感情が乱れた状態では十全な制御は発揮できない。精密極まりない能力の行使によってようやく防ぐことができるフランクリンの念弾を、今のクラピカの精神状態で受け続ければいつか綻びが生じてもおかしくなかった。

 

 わずかにではあるが、その精神状態の差が戦闘にあらわれ始めている。一度開いてしまったその差は、深まることは容易くとも対等な状態に戻すことは難しい。何か手を打たねばとクラピカが考えを巡らせていたときのことだった。

 

 先ほどまでクラピカたちがいたパーキングエリア付近から大きく広がるオーラの気配を感じ取る。傭兵の少女が使っていた円に似ているが、微妙に異なる点があった。

 

 最初に不意打ちで捕捉されてしまったときのチェルの円は、広い範囲と優れた展開速度に加え、隠を併用して気配を闇に溶け込ませるという高度な技術の集大成だった。しかし、今回の円らしきものは気配を隠す様子もなく、もこもこと緩慢に広がっていく。

 

 やがてその大きさはチェルの円の最大範囲である半径150メートルに達したところで停止する。限界まで広がった円の“風船”の内側では、術者であるチェルがさらにオーラを込めて膨らまそうとしていた。

 

 これはチェルが新たに開発した『落陽の泡(バブルジャム)』という能力だった。チェルたちはシックスから魂の断片ごと受け継いだ念能力『王威の鍵(ピースアドミッター)』に付随して『落陽の蜜(ストロベリージャム)』も少しだけ使えるようになっていた。

 

 ただし、この能力は完全な形で継承されなかったために、ただオーラが少しぬめる程度の効果しか引き出せなかった。まともに使いこなせるのはシックスから多くの魂を引き継いだクインだけである。だが、チェルはせっかく新しく手に入れた能力を何かに生かせないかと模索していたのだ。

 

 そして自分が最も得意とする技である円と合わせることによって新技を編み出したのである。その効果により円の外周を粘液の膜状に変化させる。これにオーラを込めて通常の円を使うように広げることで、フーセンガムのように膨らませていく。

 

 この円のオーラは概念的に粘性を帯びているだけで、実際に敵を拘束したり動きを阻害するような効果はない。その真価は、限界を超えたオーラを与え続けることにより“破裂”することにあった。

 

 膨れ上がった円が爆発する瞬間をクラピカとフランクリンは見ていた。その中から膨大なオーラの内容物が飛び散る。キノコが胞子を放散する瞬間にも似た光景だった。

 

 見えていようと回避できる規模ではない。周囲一帯がオーラの飛沫で塗りつぶされた。その距離はおよそ半径500メートルにも達する。

 

 ぬるりとまとわりつくようなオーラがクラピカの体に降りかかる。すぐさま振り払おうとしたが、対処するまでもなくすぐにオーラは消え去った。『落陽の泡』によって破裂した円は瞬間的に捕捉範囲を拡大するが、その持続時間はほんの一瞬に過ぎない。

 

 その一瞬があれば、チェルは標的を見つけ出して『重力操作』を発動できる。

 

「くそったれ……!」

 

 フランクリンの位置はチェルに特定されてしまった。巨体が地に沈み込む。クラピカがその隙を見逃すことはなかった。『拘束する中指の鎖』を放つ。

 

 しかし、鎖はフランクリンに到達する直前で地面に叩きつけられるように落下した。チェルの能力は敵自体を対象とするものではなく、その地点に影響を与えている。その範囲内に存在する物質は例外なく重力の枷を負う。具現化されている鎖には実体と共に重さが生じていた。

 

 フランクリンが全力を振り絞って両手をクラピカに向けるが、念弾は容易く回避されてしまう。指一本動かすだけでとてつもない荷重が発生する中、まともに照準を定めることすら困難を極める。

 

 クラピカにとって、復讐を果たすにはこれ以上ないほどの条件が整っていながら手が出せない。パーキングエリアの方からチェルが急接近してくるのがわかった。姿は見えずとも推測はできる。

 

 まもなく、この場所も円の領域に飲み込まれる。傭兵の少女は真っ先にフランクリンを拘束したが、それは優先度の問題でしかなく、次はクラピカを始末しにかかるだろうと予想できた。相手は旅団と同じ、A級の賞金首である。敵意を示さずとも友好的に事が運ぶとは思えなかった。

 

 これ以上、フランクリンの始末に手間取れば逃げる機を失ってしまう。今回の作戦には旅団への復讐よりも優先すべき課題が残されている。ここでクラピカが死ねば緋の眼の回収は絶望的になるだろう。旅団のうち、たった一人相手の復讐に固執することは大局を見失うも同然の判断である。

 

「逃げるのか? さすがは腰抜け集団、クルタ族の死に損ないだな。俺たちが殺した連中も同じように逃げ惑ってたぜ。無様に助けを求めながらな」

 

 クラピカはフランクリンの言葉に抑えきれない怒りを覚えるが、同時に覚悟と冷静さを取り戻す。ここでわかりやすい挑発を述べるという敵の行動は余裕のなさの表れでもある。クラピカは鎖の具現化を解除して後退した。

 

「私の手で復讐を果たせないことは残念だが、どのような経緯であれお前たちの死は歓迎する。悪党にふさわしい最期を、もがき苦しみながら迎えるがいい」

 

 未練のない足取りでクラピカは走り去った。フランクリンはその背中に向けて念弾を撃つようなことはしなかった。攻撃が届くとは思えないし、今はそれよりも警戒すべき敵が迫っている。

 

 クラピカの退却の直後、円の気配に辺りが包み込まれた。まるで首筋に生温い息を吐きかけられるような悪寒が走る。これだけ広大な円の使い手が相手となれば、領域の内部に一度取り込まれてしまえばその中心がどこにいるのか探ることは容易ではない。

 

 フランクリンはチェルと一戦交えた時のことを思い出す。自分の念弾をまるで豆鉄砲か何かのように防いでいた少女の様子を。少女が纏うオーラの強さから見ても、その程度の堅で防ぎきれるとは思えない異常な光景だった。何らかの特殊な能力が使われていたことは間違いない。

 

 一体、どれだけの数の発を有しているというのか。一人の念能力者がいくつもの発を使いこなす例は全くないわけではない。フランクリンがよく知る人物としては幻影旅団の団長であるクロロ=ルシルフルが挙げられる。先ほどまで戦っていたクラピカも五つの鎖の能力を持つ。

 

 しかし、極めて特異な存在であることは確かだ。それに加えて基礎能力を疎かにしているということもなさそうだった。フランクリンは目を凝らして周囲を注意深く観察する。

 

 夜という時間帯、強まる雨脚、空は雲に覆われ月明かりも望めない。光源は道路上に点在する外灯のみだ。さらに雨による視界不良、物音もかき消されてしまう。こちらは位置を特定されて身動きが取れないが、向こうは一方的に行動可能という最悪の状況である。

 

 だが見えず、聞こえずとも、フランクリンは闇の世界を生きてきた人間だ。わずかな殺気を頼りに隠れた敵を察知する術を身につけている。その感覚を研ぎ澄ませる。

 

 

「一人しかいないのか。さっきまでそばにいた奴はどうした?」

 

 

 声がかけられる前には、既に敵の気配に気づき念弾を撃ち放っていた。ぼろぼろの雨合羽を着た少女に無数の弾が浴びせられる。しかし、その攻撃が少女を捉えることはなかった。何の手ごたえもなく念弾は空を切る。少女の姿は揺らめきながら消えてしまった。

 

 フランクリンが見た敵の姿は幻影だった。チェルの能力『明かされざる豊穣(ミッドナイトカーペット)』により、屈折率を変化させられた光が見せる幻だった。

 

 

「命まで取るつもりはないが、少し眠ってもらうぞ」

 

 

 さっきよりも近い場所から聞こえた声に向けて念弾を連射するが、やはり撃ち抜いた影はぼやけて消えていくだけだった。絶で気配を隠したとて、これだけ接近されればフランクリンほどの使い手であれば凝で見破れる自信があった。しかし、それをあざ笑うかのように敵の居所は判然としない。

 

 チェルは絶をしていなかった。濃密な円のオーラの中に自身の気配や殺気を均一になじませ、どこにいるのかわからなくしている。纏のオーラを円のオーラと区別がつかないように擬態させているのである。その隠形によって、絶のように不自然なオーラの断絶を生み出すことなく、限りなく自然に景色へ溶け込んでいた。

 

 サヘルタの特殊部隊に所属していた頃のチェルは、敵の眼に極力触れず奇襲をかけるアンブッシュの戦闘術を中心的に鍛えていた。それを思えば今の彼女の戦い方こそ、本来の戦闘スタイルに近いものだった。

 

「だったら……全部ぶっ壊してやるまでだ!!」

 

 フランクリンは咆哮と共に渾身の全力をもって念弾を四方八方に掃射した。敵がどこにいるのかわからないというのであれば、最初から狙いを定める必要はない。弾幕によって面で制圧するまでと、重力の枷を負いながらも360度すべての方向に撃ち続ける。

 

 垂れ流すように消耗されるオーラを念弾に変えて吐き出した。炸裂する破壊の痕跡がフランクリンを中心に広がっていく。圧倒的な暴力がそのまま形を成した索敵網となり、隠れた敵の存在をあぶりだす。

 

 彼は確かに、敵の位置を探し出すことに成功した。念弾が当たったその敵は、フランクリンの背後にいた。

 

 手を伸ばせば触れる距離である。その距離に近づかれるまで気づくことができなかったという不覚を悔やむ猶予さえ与えられず、振り抜かれたチェルの拳が到達する。赤い虫の手甲から繰り出された一撃はフランクリンの意識を刈り取った。

 

「よし、終わり」

 

 麻痺毒の注入も完了し、完全に敵は沈黙した。残す気がかりと言えば、フランクリンと戦闘していた乱入者が何者だったのかという疑問はあった。

 

 しかし、敵かどうかもあやふやな何者かを追跡するよりも今はゼンジの護衛を優先すべきだ。ひとまず念弾使いを処理できたので、これ以上の深追いは無用とチェルは判断した。気絶した巨漢を引きずりながらパーキングエリアに戻る。

 

「……なんだあれ? 花火か?」

 

 その道すがら、目的地の駐車場付近から夜を照らす眩い光弾が一つ、空に向かって打ち上げられる光景を目撃した。

 

 


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