カーマインアームズ   作:放出系能力者

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97話

 

 幻影旅団の戦闘員が一人、フィンクスは徒手空拳の使い手である。強化系能力者である彼の発は『廻天(リッパー・サイクロトロン)』と言い、腕を回すほどパンチ力が増大するというものだった。

 

 特定の動作を伴う必殺技は強化系能力としてみれば珍しくない。しかも彼は腕を回す回数と、それによって得られる力の関係を自分自身正確に把握していなかった。匙加減はその時の気分次第だ。

 

「つまんねぇ大道芸をいつまでも見せんな、火噴き野郎!」

 

 だが、そんな大雑把な力の使い方でも問題ないほどに彼は強い。適当に1、2回回しただけのパンチ力で大抵の敵は片付く。それを考えれば、今フィンクスと戦っているヴェンディッティ組護衛チームのホッドは健闘している方と言えた。

 

 辛さという味覚と痛覚に異常を与える特殊な念の炎を使いこなすホッドの攻撃は、普通なら対処は容易ではない。戦場は火炎地獄と化し、この大雨の中でも消えることのない辛さの炎によって敵を焼き殺していたことだろう。

 

 そのオーラが変化した炎をフィンクスはただのパンチで吹き飛ばしてしまう。増大したオーラの顕在量だけでホッドの炎を打ち消してしまうほどに桁違いの出力だった。ホッドは逃げの一手しか取れない状況に追い込まれていた。

 

 フィンクスはパンチを打ち放ちながらもう片方の腕を回してチャージする。このまま戦い続けてもそう時間をかけずに勝利できるだろうが、短気な性格の彼は火傷を承知で炎の壁を突破しようかと考え始めていた。術者を殺せば炎の効果も消える。死後強まる念を考慮しなければ一番手っ取り速い方法だ。

 

 そう考えていた矢先のことだった。打ち払った炎の向こうに一人の子供が立っている。その後方には逃げていくホッドの姿があった。

 

「まったく、頼りにならん味方じゃ」

 

 恐れをなして逃げ出したホッドに代わってアイクがフィンクスの相手を引き受けた。雨合羽の少女が取った構えから、フィンクスは目の前の敵が同じ徒手の使い手であることを察する。

 

「心源流か」

 

「ほお、見る目はあるようじゃの」

 

 多くの念使いが最初に入門する武術である。フィンクスもこれまでに数え切れないほど戦っている流派だ。常ならばいちいち言葉に出して指摘するほどのことでもなかったが、今度の敵がただの『心源流』ではないことを感じ取る。

 

 少女が醸し出す気迫にはただならぬ強さがあった。見た目に惑わされ、侮っていい敵ではない。ホッドを相手に弛緩していた気持ちを引き締める。

 

「上等だ」

 

 フィンクスは何かの武術を修めようと、誰かに教えを乞うたことはない。我流である。その戦闘法は、自らの発を使いこなすことを前提にして磨き上げられたものである。

 

 『廻天』は発動するために準備の動作を必要とする。腕を回すという大きな動作は、時間が取れる状況下や格下の敵が相手であれば特に問題なく使うことができる。しかし、同格以上の相手と戦う最中に使おうとすれば致命的な隙となることは言うまでもない。

 

 ゆえに彼が本気で格闘戦を行う際に、この発を全力で使う機会はまずないと言っていい。全力では使わない。彼は『腕を回す』という動作を『肩を回す』という動作に簡略化することにより、術の発動に必要な動作の隙を最小限に抑え込んでいた。

 

「来んのか? ではこちらから行くぞい」

 

 少女の踏み込みに合わせ、フィンクスは軽く肩を回す。

 

 当然ながら、簡略化した動作では本来の威力は発揮できない。強化されるパンチ力は半分以下にまで落ち込む。だが、もともと『廻天』は自分でも大雑把にしか勘定せずに済ますほど不必要な威力のある技であり、効果が半減したからと言って実用性が落ちるわけではない。

 

 元の半分の威力でも実戦中に使用可能となればその脅威は計り知れない。肩を回すという動作にもわずかな隙が生じるが、それを補うための体術を鍛え上げ、その隙すらブラフや牽制として利用する戦闘法を編み出した。

 

 無手における体術という一点を挙げるなら、彼は旅団最強の使い手だった。たとえ格上が相手だろうと後れを取るようなことはない。その堅固な自負は、彼が纏うオーラに滲み出ていた。

 

 対する少女が打ち込んだ一手とは、正拳突きだった。跳び込みながら打ち放たれたその拳は、教科書に載っているかのように綺麗な型通りの正拳突きだった。フィンクスは真顔で思う。

 

 

 ――これムリ――

 

 

 反応することもできず、気づいたときには腹に突きが打ち込まれていた。

 

 かつてアイクがネテロと呼ばれていた時代の話。心源流を開いた彼だが、その武術の全てを一から作り出したわけではない。他の多くの流派と同じように、いくつかの武術を源流として考案されたものである。

 

 彼が重視した武術の概念の一つに『勁』がある。勁とは生み出された運動を量として捉え、それが人体を通して伝わる過程を指す。ただ単に拳を前に突き出しただけのパンチには驚くほど威力がない。そこに体重を乗せる全身の動きが合わさって初めて技となる。

 

 この体重移動も勁の一つだが、武術における発勁はさらに奥深い。運動が働く位置に局所的な破壊力を引き起こすのではなく、その運動量をいかにして他所へ有効に作用させるかを研鑽する分野である。

 

 ネテロの正拳突きには各所の重心移動や回転運動を始めとして、丹田より生じた煉気や、踏み込みの衝撃から得た震脚勁など、無数の発勁によって運動量が蓄積され、その力が滞りなく拳の一点に集約されていた。

 

 この発勁によって得る力とは筋肉のみの作用によって引き出されるものではない。むしろ不必要な力みは勁を妨げる。打ち付けるだけの力と勁は全く別の働きである。外見上の攻撃動作の大きさや速さと、実際に発揮される威力は一致しない。

 

 極めて柔軟に勁を導く理想形とも言える自然体を修行の果てに習得したネテロ。そして、それを引き継いだアイクは華奢な少女の体でありながら発勁により驚くべき攻撃力を引き出す技を身につけていた。

 

 と、ここまでは修行すれば一般人にも理論上は習得可能な既存の武術である。ネテロは武と念を一体のものとして体系化する取り組みを試みた。心源流における四大行の応用技『流』は勁の作用をオーラによって最大限に引き出すために作られた技だった。

 

 時が経つにつれ心源流が広く普及した現在では『流』は、攻防力の移動術としか解釈されていない。小難しい理論は省いた方が効率的に門下生に実力をつけることができたからだ。ネテロはその齟齬を積極的に修正しようとはしなかった。

 

 今このとき、フィンクスに向けて放った技とその過程こそがネテロの考案した真の流である。おそらく念を全く使わずに技だけ繰り出したとしても敵に多少のダメージを与えたであろう一撃は、オーラによって強化されることで音速を超えた。

 

 音を置き去りにする一撃が敵の腹部に突き刺さる。もしそこでアイクが技の制御を手放していれば、フィンクスの臓器に致命的な損傷を与えていただろう。アイクはそれを良しとしなかった。腹より込め、脊椎を伝わった勁により、内臓に傷を一つも与えることなくフィンクスを気絶させていた。

 

 相手の肉体へと発勁を及ぼす『寸勁』の一種である。心源流においては本来、勁とは筋をよく伝わり骨によって阻まれやすいものだが、自身から離れた相手の肉体中に作用させる場合は、逆に随意の介在する余地の少ない骨の方が伝えやすい。アイクは攻撃の威力をフィンクスの腹部から背骨に伝え、一気に脳へと届かせたのである。

 

 オーラによって強化されているフィンクスの鍛え抜かれた肉体は、アイクの放った勁の伝達を著しく阻害するも、完全に止めるには至らなかった。技の原理すら知る由もないフィンクスに対処するすべはない。何をされたかもわからないまま気を失った。

 

 その妙技の精度は『最強』の名をほしいままにしたネテロの全盛期に匹敵する。否、さらなる修行を重ねた上で若返ったアイクの技量は、かつての全盛期を超えていた。

 

「まずは一人」

 

 フィンクスを沈めたアイクは次の標的に威圧を送った。蝙蝠にとどめを刺そうとしていたノブナガが手を止めて反応する。

 

「ガキが……何しやがった?」

 

 そこでノブナガは倒れ伏したまま動かないフィンクスのあり様を確認した。即座に意識を切り替え、蝙蝠を放置して納刀する。抜刀術の構えを取った。

 

「動けば斬る」

 

 円を展開してアイクを待ち構える。明らかに不審なその誘いに少女は乗った。ノブナガの制止を無視して突き進む。

 

 気になるところはいくつかあるが、アイクが最も違和感を覚えた点はノブナガの視線だった。まっすぐに少女を見据えているようでいてその実、彼の視線は少女を捉えてはいなかった。その理由は彼の円に起因する。

 

 ノブナガが戦闘中によく使う技である円、その最大範囲は半径4メートルである。剣の間合いと等しい距離が彼の円の限界だった。円は最低でも半径2メートルなければならないという定義があり、それ以下の範囲しか展開できないものは円未満の技とされる。

 

 定義を満たしているとはいえ、4メートルという距離はお世辞にも広いとは言えない。しかし、この技こそ彼の剣技の極致だった。

 

 円という技が使い手によって激しい性能差が生じる理由は、行使する上で様々な適性が必要となるためとされている。基本的にその性能は『纏』と『練』の精度によって決定されるが、さらにそこへオーラを肉体から放出する技能や円の外周を広げる適性、拡張された感知感覚の適性などを要する。

 

 どれか一つでも低い項目があれば、それが円の性能に上限を作ってしまう。戦闘力の高い実力者でも円が得意ではない者が多い所以である。ノブナガの場合も外目だけ見れば不得意な部類に入るだろう。だが、彼の円は他にはない特性があった。

 

 ノブナガは円の感知感覚に常軌を逸した適性があった。範囲こそ狭いが、その領域内の存在を認識する能力に長けている。通常であれば感じ取れないような刺激に対しても鋭敏に反応できる。

 

 閾値が低いと言い換えることもできる。生物が反応や興奮を起こすために必要となる最小の刺激を数量化したとき、ノブナガのオーラに関する感知力の閾値は並の能力者の千分の一以下の世界を捉えていた。

 

 だが、その発達した感受性は本人の許容限度をも超えていた。彼が本気で円を使うと、入力される刺激のあまりの強さに感覚がオーバーフローしてしまう。視覚や聴覚と言った他の感覚器にまで影響を及ぼしてしまうほどだった。

 

 ゆえに通常は精度を落として使用しているが、今のノブナガは違う。少女の強さを認めた上で一刀を放つと心に決めた彼は、全力の円を展開していた。

 

 彼は何も見えず、何も聞こえない世界にいた。ただ一つ、己の全身を蝕むように襲い掛かる触覚のみが恐ろしい情報量の嵐となり吹き荒れている。おそらくこのようになっているだろうと思われる形而上的なイメージでしか自己を捉えることができずにいた。

 

 それはあまりに無防備な状態である。円を使っていながら、その感受性の強さゆえに敵の攻撃を全く察知できない状態だった。使う意味がないどころか自らを窮地に落とし込んでいる。

 

 しかし、その欠点を改善する手は仕組まれていた。ノブナガが事前に発した「動けば斬る」という言葉である。その能力は『一門一刀(ソモサン)』という。

 

 彼は相手に対して条件を提示し、それを破られるという工程を踏むことで、円の世界において対象の存在を捉えることができるという発を作っていた。その能力を象徴するようにノブナガの感覚世界に念の門が現れる。

 

 少女がその門の内側へと足を踏み入れる気配をノブナガは感じ取った。極限にまで引き上げられた感知力が敵の恐るべき速度を捉える。もし手を抜いて能力を使わずに戦っていたとすれば一瞬で負けていたと納得できるほどの実力が感じ取れた。

 

 その少女の動きに合わせるように一刀が振り抜かれた。見事なまでの後の先。鞘走る刀身が少女へ迫る。既に攻撃態勢へ入っている少女に回避は能わぬ必殺の太刀。

 

 どれほど頑強なオーラで防いだとしても無意味だ。ノブナガの感覚は常人の何千分の一というスケールでオーラの流れを読み取っていた。その刀は物質の構成に割り込むことすら可能とする。斬るのではなく、あらゆる狭間(ハザマ)を隔てる分境剣。

 

 形ある限り、その一太刀に斬れないものはない。流を極めた達人アイクだろうと例外なく分断される。蝙蝠との戦いでは気の緩みから仕留め損ねたが、もはや微塵の雑念すら払拭したノブナガの剣にわずかな狂いも生じることはなかった。

 

 剣が閃く。その一刀を前にして少女が取った行動とは、合掌であった。

 

 円の領域においてノブナガは、少女の手の動きを子細に感知していた。それはまるで一方的に時間を止められたかのような感覚だった。少女だけが動くことが許された世界で実現する祈りの所作。それまで4メートルの世界の全てに行き届いていたノブナガの感覚に亀裂が走る。

 

 合掌された両の手により挟み込まれる形で彼の剣は捕らえられていた。真剣白刃取り。ノブナガは真顔で思った。

 

 

 ――バカじゃねぇの――

 

 

 さらに打ち合わされた両手の衝撃が勁として刀身を伝わった。柄を握るノブナガの手が電撃を浴びたように跳ね上がる。寸勁が彼の手の神経に作用し、屈筋反射を強制的に引き起こすことで意識とは無関係に刀から手が離れたのである。

 

 心源流奪剣術・流勁無刀取りを受けたノブナガは思った。

 

 

 ――バカじゃん――

 

 

 その罵りが敵に向けられたものか、はたまた自分自身を責めた言葉か、彼自身にもわからない。理解する間もなくたたき込まれた蹴りによってフィンクスと同じ末路をたどった。

 

「これで二人目」

 

 間髪入れず、硬質な金属音が鳴り響いた。雨合羽のフードが切り落とされ、初めて彼女の素顔が外へ晒される。その攻撃を仕掛けたのはフェイタンだった。

 

 キャロリーヌを痛めつけていたフェイタンはアイクの強さを目の当たりにしてさすがに遊びをやめていた。ノブナガの居合切りに合わせる形で少女に挟撃を仕掛けようと迫っていたのである。

 

 ノブナガを気絶させるために蹴りを繰り出していたアイクに、背後から浴びせつけられた剣撃を回避することはできなかった。それほどフェイタンの剣は速かった。ノブナガと同じ剣の使い手だが、フェイタンの場合はフットワークに特化した剣士である。

 

 しかし、完全に隙を突いたかに見えた奇襲は成功していなかった。アイクの首を狙って振り抜かれた剣は、その場所を守るように服の中に忍ばせていた甲虫により防がれていた。フェイタンは一つ舌打ちする。

 

「はて、おぬし。何やら見覚えがあるような気がするのじゃが、どこかで会ったかの?」

 

 アイクはフェイタンの顔に既視感を覚えるも、はっきりと思い出すことはできなかった。一方、フェイタンは目の前の少女について心当たりがあった。

 

 グリードアイランドをプレイ中、除念師の件でヒソカを呼び出しに行ったときに成り行きで戦った少女である。顔立ちや声などは記憶と一致する。不吉な色をした甲虫も見覚えがあった。

 

 細かな点を挙げれば差異はあるのだが、フェイタンもそこまで見分けがつくほど明瞭に覚えているわけではなかった。なんとなく同一人物だろうと推定する。

 

 彼にしてみれば思い出したくもない記憶だった。あの時の勝負は不完全燃焼のまま終わっている。団長の除念のため私闘に興じている暇はなかった。今こそあのときの決着をつけようと、フェイタンは鋭い眼差しで剣を構える。

 

「まあ、よい。戦っているうちに思い出すかもしれん。というわけで、しばらく遊んでもらおうか」

 

 フェイタンは自分だけ相手のことを覚えているという事実に腹立たしさを感じるが、すぐにそんな感情は消え失せる。

 

 アイクの放つ殺気が叩きつけられた。その気は濃密な殺意に満ちていながら害意を伴わない。驚くほど淡白な殺しの意気だった。まるで揺るがぬ事実を突きつけるかのように死という結果を想起させる。

 

 その致死必然の気配は以前にフェイタンが戦った少女とはかけ離れていた。フィンクスとノブナガが瞬く間に倒されたことは偶然ではなかったのだと見ただけで理解できた。だが、そこで足を止めるほど軟弱な精神を持ち合わせてはいなかった。

 

 駆け寄る。斬りつける。その速度は旅団においても右に出る者はいない。俊脚から繰り出される剣技はいくつもの残像を生み出した。その剣を少女は一つ一つ正確に受け止めていく。かわそうとすることは一度もなかった。

 

 フェイタンは数度の斬撃を放ったところで違和感に気づく。あまりにも敵の動きが綺麗すぎた。わずかにでも受ける角度を違えただけで肉を切り裂くような瞬剣の連撃を、これ以上ないというほど正確に対処していく。さらに剣を覆うオーラの攻防力を、全く同一量の攻防力をもって相殺していた。

 

 それだけの技量があるにも関わらず、少女の方から攻撃を仕掛けてくる気配はない。ひたすらに攻撃を受け続ける。まるで崩せる様子の見えない牙城へと無数の剣を突き立てるフェイタンの動きは徐々に研ぎ澄まされていく。さらに速く、しかしその意識は緩やかな時間の流れの中にあった。

 

 死線に身を置いた強者のみが至る時間感覚の矛盾、心滴拳聴である。いかにすればこの難敵を打破しうるか、フェイタンはこの戦闘の最中において研鑽していた。一朝一夕に伸びるはずがない剣術の技量が、一振りごとに変化する。

 

 かつてないほどの強敵との戦いは、恐ろしいまでに急激な成長の実感を彼に与えた。より正確に言えば“与えられていた”。

 

 受けに徹し続けるアイクの行動はフェイタンの攻撃速度に後れを取ったからではない。初めから意図してのことだった。アイクはフェイタンに対してある技を仕掛けていた。それすなわち『流々舞』である。

 

 心源流において今日に伝わる流々舞は、戦闘技とは認識されていない。組手による修行法の一つである。二人の使い手が基本技を出し合うのだが、一つ一つの技の流れを確認するため非常にゆっくりとした動作を取る。

 

 まるでスローモーションのような動きで技を出し合う光景は一見して滑稽にも見えるが、最も高度な組手の一つである。達人を相手にする場合、レベルの低い相手ではどんなにゆっくり技を出されても受けきれない。同等の技量を持つ者同士でなければ有効な修行にならないとされる。

 

 アイクはこの流々舞をフェイタンに仕掛けた。牙を研ぐかの如く練り上げられたアイクの殺気は敵の眠れる本能を覚醒させ、心滴拳聴の境地を引き出すことで時間の流れを緩やかに感じさせた。その引き延ばされた感覚の中で自由に技を打ち込ませ、フェイタンの修練を助けたのである。

 

 心源流秘拳・流々舞胎蔵界。ネテロはこの技を作りはしたが継承者は現れなかった。二人の使い手による心滴拳聴の応酬を前提とし、一人では完成し得ぬ技である。

 

 しかし、アイクとしての生を受けたネテロは『思考演算(マルチタスク)』を駆使することにより、自発的な主観時間のコントロール術を習得する。これにより単身での技の発動を実現した。

 

「このくらいでいいじゃろ」

 

 唐突にアイクは殺気を解いた。その瞬間、泡沫の夢が覚めるようにフェイタンの時間感覚は通常に戻った。そして愕然とする。

 

「お前……ワタシに何を……!?」

 

 流々舞による修行は同等の技量を持つ者同士でしか成立しない。そしていかなる武術も地道な鍛錬の積み重ねによって真の力となる。急激な成長の実感など、肥大化した感覚の中で見た夢幻に過ぎなかった。得るものがないどころか害となる。

 

 フェイタンの剣術に仕組まれた偽りの成長は、現実に引き戻されることにより強烈な異物感として残留した。これまで無意識の内にできていた動作の一つ一つがぎこちなく滞る。噛み合わなくなった歯車の如く剣の術理を乱されていた。

 

「おぬしのこと思い出そうとしてみたんじゃが、どうも記憶が曖昧でのぉ。ただ、なんかこう……ムカついてくるのはなぜじゃろうな?」

 

 フェイタンは斬り込んだ。しかし、その剣は明らかに先ほどまでと比べて精彩を欠いている。加えてアイクは既にその剣術の太刀筋のほとんどを読み切っていた。

 

 流々舞とは互いの技を確認し合うことを目的とした組手である。アイクはその修練にもならない作業を終えていた。まるで答え合わせでもしているかのようにフェイタンの剣はことごとくかわされる。そして拳打の猛撃が彼の体に叩きこまれていく。

 

 フィンクスやノブナガのように一撃で昏倒することはなかった。アイクは『なんかムカつく』という理由でフェイタンに殴る蹴るの暴行を加える。全身打撲と四肢骨折の重傷を負い、半殺しにされたフェイタンはボロ雑巾のような有様で投げ出された。

 

「ヒヒャッ……ヒャハハハハハ!!」

 

 だが、彼は怪鳥のように狂い笑いながら立ち上がった。どうあがこうと勝てるはずもない相手を前にして、そのオーラはおぞましい怒りに染まっていた。剣を杖替わりにしてよろけながらも戦意は失われていないとわかる。

 

 アイクは気絶させるつもりで打ち込んだはずだったが、まだ意識を保っているフェイタンの様子を見て訝しんだ。その理由はフェイタンが奥歯に仕込んでいた薬にある。ほぼ毒物レベルの強力な興奮剤だった。

 

 この気付け薬によって普通なら気絶しているはずの意識を無理やりに維持していた。気絶も身体に備わった防衛反応の一つであり無理に遮っていいものでは決してない。フェイタンが負った肉体的なダメージは言うまでもなく、その苦痛を受けてなお気絶できないことも合わせ、非常に危険な状態だった。

 

「ペ、イン、パッカー……」

 

 うわ言のようなつぶやきと共にフェイタンの手にオーラが集まっていく。彼の変化系能力『許されざる者(ペインパッカー)』は、自分が受けた痛みに応じてオーラの威力を増大させる。およそ戦闘が可能な状態とは言えない彼であっても、能力を行使する上では最高の条件が整っていた。

 

 痛みを灼熱のオーラに変えて放つ『太陽に灼かれて(ライジングサン)』を発動させる。その膨れ上がるオーラの気配に異常を感じたアイクは、すぐさま阻止にかかる。

 

 だが、止めることはできなかった。アイクの手刀により意識を奪われながらもフェイタンの術は解けなかった。たとえ命を落とそうと止まることはなかっただろう。何を犠牲にしてでも放つという覚悟と邪念が込められていた。

 

 『太陽に灼かれて』は発動の直前に、術者自身の身を守る防火服を具現化する効果を対にする。逆に言えば、身を守るために特別な措置を取らなければならないほど無差別の熱波が広範囲に渡って被害を及ぼす技である。敵から痛みを与えられなければ威力が出ないという制約が破壊力を大幅に引き上げる。

 

 しかし、フェイタンはその防火服の具現化をしていなかった。アイクを相手にしてわずかにでも技の発動を早めるため具現化の工程を省略した。それは自分自身の身を滅ぼす選択でもあった。

 

 死んでも構わないという覚悟と、何としてでも敵を殺すという憎悪が合わさり、これまでにない最大級のオーラが込められた念弾がフェイタンの手から放たれたのである。

 

「むぅ、これはまずい」

 

 空へと打ちあがっていく光弾を見ながらアイクは手を出せずにいた。下手に刺激を加えようものなら即座に内包されたオーラが解き放たれるだろう。アイクはその場で両手を打ち合わせた。その手で花開く蓮華のような形を取り印を結ぶ。

 

『千百式観音・弐玖陸乃掌(ふくろのて)』

 

 巨大な観音像が三体、光弾を取り囲むように出現する。観音像たちは三方から千手の掌衣をもって光弾を優しく包み込んだ。

 

 


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