ミズイロは月を眺めていた。
夏の夜は暑い。こんな夜は汗がドバドバ流れ、せっかくの満月を風流に眺めようと外に出たのに少しも風流な気分になんてなれない。まあどだい風流なんて僕には無理な話なのかもしれない。わびさびとかさっぱりわかんないし。
そんな下らない事を考えながらぼうとしていると道の向こう側からいかにもガラの悪い筋骨隆々の3人組の男と眼鏡をかけた真面目そうな女の子が歩いて来た。ちなみに女の子は巨乳だった。男達は女の子の両脇をがっちりとかため明らかに逃さないようにしている。なんとも犯罪の臭いがぷんぷんする光景だ。面倒臭そうなのであまり関わりたくないなと思い、たいして美しくもない月に見入っている風を装う。バカな連中とは関わらないのが一番だ。それに、まあ、自業自得というやつだろう。男達は僕のちょうど横にある路地裏へと入ろうとしていた。僕は女の瞳を覗いた。
「やめといた方がいいよ。」
男達が立ち止まる。顔を合わせると信じられない物を見たような顔をしてこちらを見ていた。
「おい、チビ、まさかとは思うが今の言葉、お前が言ったのか。」
この野郎、人が気にしていることを。
「正義漢ぶるのもいいが少しはおつむの方も鍛えときな。じゃねえと、、、」
男は拳を振り上げ僕の顔の横にあるレンガの壁を殴る。レンガにはヒビが入っていた。
「ケガするぜ」
キリッと音が鳴りそうなほどドヤ顔を決めた後、男は僕と肩を組む。うえっ、酒の匂いが、、、
「まだなんか言いたいのかい?」
「何も」
「賢い選択だ。」
男達は笑いながら路地裏へと消えていく。
「愚かな選択だね。」
僕は呟いた。
しばらくすると路地裏から足音が聞こえてくるその音は1つだけだ。
さっきの女の子だった。女の子からは血の香りが漂っていた。そのままスタスタと歩き去ろうとする女の子に声をかける。
「こんばんは。」
女の子が振り返る。
「どうも。」
女の子が軽い会釈を返す。
「殺したの?」
僕が聞くと女の子は少し迷うそぶりを見せた後に、うんと言った。雰囲気から面倒だったら殺しちゃおうという意思がはっきりと伝わってくる。
「そっか。あのさ、今から時間あるかな?」
「どうしてですか?」
女の子は無表情だ。
「一緒にコーヒーでもどうかな。」
僕は出来るだけにこやかに、乳を見ながら言う。
女の子は僕の視線に気づいているのか気づいていないのか、相変わらずの無表情で、明日は仕事があるので今日は早く眠るんです。すみません。と言うと、また軽く会釈しながらおやすみなさい。と言いスタスタと去って行った。暑さにやられ、女の子にも振られた僕は、不細工な月めと月に八つ当たりした後、ため息をついた。
「あづいよぉ〜」
色々な嘆きを含んだミズイロの声は夜の街に溶けて消えた。
翌朝、僕は黒のズボンに麻地の白い大きめのシャツを着て、人で賑わう通りを歩いていた。元々この街には依頼を受けてきたのだ。ヨークシンで行われるマフィアのオークション。これには膨大な数の品が出品される。この品々はオークションが始まるまでに様々な場所に保管されている。それはマフィアの運営する施設だったり、民間会社の地下だったりと本当に様々だ。そして最近その品をある盗賊団が狙っているという噂が流れ出したのだ。普通マフィアはこんな噂では動かないのだが、何故か今回は迅速と言っていいほどの対応を見せた。それが保管場所の警備強化だ。マフィアの人員を増やした上に、何人かの念能力者を雇い、その上、これは確定している情報ではないが数人の陰獣まで出張っているらしい。陰獣。マフィアの持つ最高戦力。もしこいつらが本当に動いているなら、マフィアの上層部は今回の件をよっぽど深刻に捉えているという事になる。まぁでも保管場所は数十カ所もあるらしいし、そうそう面倒な事にはならないだろう。
ミズイロは楽観的な笑みを浮かべ、揚々と人ごみを掻き分け歩いて行った。
美術館の門は閉ざされていて、閉館という立て札が立ててあった。裏口に回ると黒服を着た二人組がいたので紹介状を見せると中に入れてくれた。中に入ると明らかにカタギではない男達がところせましと警戒に当たっていて、空気には緊張感が混ざっていた。僕は嫌な予感がしたが、気のせいだと自分に言い聞かせる。二階に案内されるとそこには6人の男女がいた。一番奥の机に館長らしき人物が沈んだ顔で座っている。
その館長のせいでこの部屋にもどこかしら沈んで空気が流れていた。僕がため息をついて座る場所を探していると意外な人物がいた。昨日の女の子だ。ちょこんと壁にもたれて座り、静かに本を読んでいる。
本の題名は(人の中の神、批評)と書かれている。本の題名に少し驚いた後、この辟易とした気分を少しでも晴らしたいと思った僕は女の子のすぐ隣に腰を下ろす。
隣に座った男に気づいているのだろうが、女の子は一心に本を読んでいる。
「やっ、昨日ぶり。仕事ってこれのことだったんだ。」
僕が喋りかけると女の子は顔を上げた。しかし不思議そうな顔で僕を見るだけだった。
「あれっ、僕の事忘れちゃった。」
「どこかで会いました?」
女の子は首を傾げている。どうやら本当に忘れてしまったようだ。
「ほら、昨日の夜に会ったじゃないか。」
「夜?夜は仕事に備えて早めに寝たから誰にも会ってない筈だけど。」
「いや、だからさ、その前に、、」
「その前?夜に会ったんじゃないんですか?」
「いや、違くて、、、いや、、僕の気のせいだったよ。」
女の子は、そうですかと言うと再び本を読みだした。
僕は暫く彼女の本を眺めていた。
「不死がなければ愛も信仰も生もない、つまり愛も信仰も生もないのだ。」
僕がそういうと女の子は顔を上げた。
「この本読んだことあるの?」
「読んだと言うかその本書いたの僕だしね。」
「えっ、じゃああなたがミズイロ?」
「うん。」
「へぇ〜そうなんだ。」
普通は作者が目の前にいたら驚く物だと思うが、女の子は少し嬉しそうに笑っているだけだった。
「私あなたの本好きだよ。」
「本当に?」
「うん、本当。だってウソをついてないもん。」
「ありがとう。確かにその本は嘘だけはついていないからね。」
「私の仲間にも1人あなたの本が好きな人がいるんだよ。でね、その人が言うには、この作者はテーマに対してこれだけの文章を書いていながら、その実それほどこのテーマに興味がないんじゃないかって言ってたんだけど、本当なの?」
「驚いた。その人は鋭いね。」
僕は本当に驚いていた。
「でも、私の意見はちょっと違うんだ。この本を読んでいるとね、何か執着できる物を欲しがっているような気がするんだよね。」
僕は彼女の顔をまじまじと見た。
「恐れ入ったよ。ここまで自分の事を言い当てられると本を書くのがちょっと怖くなってきちゃうな。」
「ダメだよ。ちゃんと書いてくれないと。」
僕が返事をする前にドアが勢いよく開き、大きな音を立てた。
ドアからは細身で猫背の男が入ってきた。
「おお、待っていましたぞ!」
さっきまで沈んでいた館長の顔が途端に明るくなる。
「俺は陰獣の1人山犬だ。」
名乗りを上げた男、山犬は部屋にいる全員を見渡す。
「まず最初に伝えておくことは余計な事はするな、だ。ちょっとでも怪しい動きを見せた奴は殺す。邪魔をしたやつも、足を引っ張った奴も殺す。以上だ。」
男はそれだけ伝えると足早に部屋を出て行こうとした。しかし途中で足を止める。
「おい、そこの女、一体どういうつもりだ。」
山犬は振り返らずに喋る。背後では女が手でピストルを形どり、指の先端にオーラが集まっていることから放出系の能力だという事が予測できる。
「ちょっとその態度は無いんじゃないの?こちとらあんたの上司に依頼されて来たのよ。」
「おい、言ったよな。余計な事はするな。殺すって。」
瞬間山犬の背中からプレッシャーが放たれ、部屋に満ちる。ミズイロとシズク以外の人間が冷や汗を流す。館長に至ってはイスから転げ落ちていた。
女は実力の差を悟ったのだろう。ゆっくりと指を下ろした。
「上の命令には従うさ。お前らは賊が来たらそれぞれで対処しろ。ただ俺の邪魔はするな。本来ならこの程度の事俺1人で十分だったんだよ。ちっ、あの占いのせいで。」
最後の方を吐き捨てるように言いながら山犬は部屋から出て行った。
「あれが陰獣か。何か怖い顔だったな。」
僕は山犬が出て行ったドアを眺めながら呟く。
「でもそんな強そうじゃなかったね。」
僕は女の子の顔を見る。
「まあ確かにね。肩すかしな感じは否めないかな。」
「ち、ちょっとあんた達、滅多な事言うもんじゃないよ。あいつに聞かれてたらただじゃ済まないよ。」
さっき山犬に食ってかかっていた女が焦りながら言う。
「そうですね。うっかりしてました。」
女の子を見ると本はバッグにしまい考え事をしているのか、ただボーとしているのかは分からないが宙を見ていた。
不思議な子だなぁ。
「ねえ君の名前は何て言うの?」
僕が聞くと彼女は僕の顔を見る。眼鏡の奥にある瞳は底に一体何があるのかを悟らせない不思議な色をしている。
「私の名前はシズク、よろしくねミズイロ。」