ん……? 窓から何か入って来たぞ。
あれはクロアゲハか。
もうそんな季節なんだな。
子供の頃に虫取りの王になりたくて、ちょうちょの種類は一通り覚えた。
普通のアゲハと比べて少し黄ばんでるのがキアゲハ。
黒光りしてるのがクロアゲハで、クロアゲハと同じ柄で若干細めなオナガアゲハってのもいる。
緑がかってるケバいのがカラスアゲハで、真ん中あたりに顔……羽射されてるのがモンキアゲハ。
青い帯状の模様があるのがウラスジ……じゃなかった、アオスジアゲハだ。
当時の感覚だとカラスアゲハがURでアオスジアゲハがSSR。
クロアゲハだとせいぜいRかNだな。
騒ぎ立てるほどのレア度じゃない。
私の他に誰も気付いてないみたいだが……わざわざ貴重な休み時間に注目を浴びる必要もないし、放っておくか。
どうせ陽キャグループの誰かが見つけて、一通りバカ騒ぎしてその後逃がして偽善に酔いしれるだろうし。
昔の私なら、ここで目立つため自ら率先してそれをやろうとして、手が粉まみれになってクラスメートからドン引きされる……なんて事になってただろうな。
だが今の私は違う。
教室に現れた生き物には極力関わるなかれ。
1年の時にやらかしたGの悲劇を忘れるな――――
「……」
……ん?
今
気付いたけど私と同じでスルーする選択をしたのか。
ま、
目立つのは絶対避けるタイプだし、教室に迷い込んだ可哀想なちょうちょを逃がす私って優しい……みたいな自己愛で悦に浸る性格とも思えんし。
……でも、そんな性格なのに私には声を掛けてきたんだよな。
一緒にお昼を食べるようになったのは、あいつが誘ってきたからだし。
前にその理由は『担任から黒木のことよろしくって言われたから』だと思ったけど、よくよく考えたらそれより前にヤンキーとの仲介とかしてくれてたんだよな。
今では当時の面影もないが……
随分と感じが変わったもんだな。
変わったのは、
ネモもそうだ。
あいつ、2年になって急に話し掛けてくれたんだよな……しかもやたらフレンドリーに。
かと思えば冬くらいからいきなり刺々しくなりやがった。
最初は生理かと思ってたんだが慢性化しやがるし……
……なんかあいつら、情緒不安定過ぎね?
たかだか1~2年で豹変し過ぎだろ。
まあ、私があいつらの正体を知らなかったってだけかもしれんが……
あの迷子のクロアゲハだってそうだ。
今でこそ優雅にパタパタ羽ばたいてるけど、その前は勃起状態のチ○コだし、更にその前は勃起前のチ○コだし。
もし私にちょうちょに関する知識が何もなかったら、あれの数日前がチ○コなんて夢にも思わないだろう。
……いつの間にかクロアゲハがいなくなってるな。
自力で外に脱出したのか。
どこに行けばいいかわからずに迷ってる姿は、ちょっと今の私と重なるところあったな。
黒つながりもあるし。
私もあと1年足らずであのちょうちょと同じように、ここから出て行く事になるんだよな……
キーンコーンカーンコーン>
感傷に浸ってる間に休み時間も終わりか。
次は昼休みだな。
……そういえば今日は誰とお昼一緒に食べるんだっけ?
えっと、確か――――
「クロってさ」
ネモと凸だったな、そう言えば。
こいつら学食だから、お母さんに弁当作って貰わなくても良かったのか。
別にいいんだけど、私だけ弁当ってなんか居心地悪いな。
「随分変わったよね」
「いきなり何だ?」
「2年の時のこと覚えてるよね? 私たちと一緒に学食で食べてる間、ずっと縮こまってたじゃん。でも今は普通。それが素でしょ?」
「いや素とかじゃなくて、あの時は不意打ちだったから。男子もいたし」
「それだけ? 私たちにも大分慣れてきたんじゃない? あーちゃんも結構クロと話すようになったし」
「私は別に……そんなに共通の話題もないし。な?」
「あっうん、まあ」
共通の話題以前に、そもそも一緒にお昼を食べるような仲でもないんだけどな。
なんか知らない内に妙なローテーションが出来上がってしまった。
クズ後輩とも定期的に食べるようになったし……それは私が受理したからなんだが。
「クロ、随分長いこと猫被ってたよねー。でもたまに本性出てた事もあったけど」
「いや別に本性とか隠してないから」
「でもほら、1年の時のあれとか、2年の時のあれとか。クラスでも結構話題になってたよ?」
……どれの事を言ってるんだ?
Gの悲劇とPの悲劇か?
つーかボカすくらいなら話題にすんなよ! そこまでして私をイジりたいのか……?
「クロって結構黒歴史あるよね」
……なんだその『ツッコミどころを用意したんだから早くしろ、じゃないとイジりが成立しないだろ』って顔は!
面倒臭ぇ……
1年の頃ならこういうフザけ合う昼休みを望んでいたのかもしれないが……今は気疲れしかない。
話のチョイスにもいちいち気配りが必要だしな。
例えばここで私とネモがオタ談義でもすれば、凸だけ話に入れない。
かといって共通の話題となると、今みたいな私がイジられる方向になるし……
だったらこっちから先にネモをイジるか。
もうこいつに気を使ったところであんまり意味ないしな。
凸の前で爆弾落としてやる……!
「私よりそっちだろ? 猫被ってたのは」
「え? 私が?」
「お前、私に背中触らせたことあっただろ。しかも直で」 カタン> ガタッ> ガシャン>
ん……? なんかやけに物音が……
ああ、凸が箸を落としたのか。
「背中を……ちょく……?」
って、なんでそんな衝撃受けてんの?
まさか……レズ嫉妬?
また変なスイッチ入ったのか?
「ちょっ……クロ何言ってんの? あーちゃん落ち着いて、今のは違うから。クロの冗談……」
「何が違うんだ? こっちは下から手を入れて
触るように頼まれたの、はっきり覚えてるのに」 メキ…> キリキリ…>
「下から……手を……入れて……!?」
「かいてって言ったよね? 触ってなんて一言も言ってないよね?」
「でも触らないとかけないし」
「……」
笑い顔のまま絶句してやがる。かなり動揺してるな。
あの時は私も堪能したから特に問題視はしてなかったけど、今にして思えば謎の行動だよな。
良い機会だしイジり倒して、こっちがネモをキレさせてやるか。
「だから本性は誰にでも素肌を触らせる女なのかもって……」
「陽菜はそんなやつじゃない!!」
うおっ!?
何故凸がキレる……?
「で、でもあの頃は特に親しくもなかったし……」
「それは……! それはその……そっちの方が却って頼みやすかったんだよ! 知り合いだと恥ずかしいだろ!? な! 陽菜!」
いや、他人の方が恥ずかしいだろ……悩み相談じゃないんだから。
「あ、あーちゃん、声が大きいって」
「大事なことだぞ! 不特定多数のやつに下から手を入れさせるなんてダメだ!」
「あーちゃん何言ってんの!?」
な、なんか思った以上に大事になってないか?
確かに爆弾を落とそうとはしたけど、戦争を始めるつもりはなかったんだが……
これ以上ネモをイジると私が凸にくびり殺されそうだ。
どうにか収束を図らないと……
「そ、そうだよね。ネモに限ってそんな訳ないよね。あれは気の迷いっていうか、人間ってたまに豹変する生き物だからね。ははは……」
「……」
「……」
全然納得してくれない!?
ど、どうしたら……
「ちょっとわかる」
「田村さん!?」
え……
周りのテーブルには見当たらないんだが……
あ、2つ挟んだ先のテーブルにいた。
なんでネモ、あんなところにいる
声優目指してると処女膜だけじゃなくて鼓膜も鍛えなきゃいけないの?
「私もそれわかる」
絵文字も同じテーブルに!?
あいつら、いつの間にお昼を一緒に食べる仲になったんだ……?
でもこれはチャンスだ。
なんか修羅場になってるここよりまだ向こうの方が居心地マシそうだし、一時避難させて貰うか。
「えっと、ちょっと向こうの2人と話してくるから、その間に示談にしといて」
「示談って……ちょっとクロ――――」
よし、脱出成功。
にしても、凸の前でネモをイジるのは危険だな。
今後は控えよう。
「あ、黒木さん来た」
「いや、そっちが絡んできたから……で、なんで2人でいるの?」
「一緒に来たわけじゃないよ。たまたま廊下で一緒になったから」
「そ、そうそう。修学旅行の時の話とかで盛り上がって」
……
まあこいつらがどんな理由で仲良くしようが私には関係ないけど。
「それよりさっきの、私もわかるから。豹変する人っているよね。前は冴えなくて地味でいてもいなくてもどっちでもいいような存在だったのに、急に女を侍らせるようになるやつとか」
なんか急にすげー喋り出した!?
絵文字ってこんなに喋るやつだったか……?
っていうか、そんな男現実にいねーよ! ハーレムものの見過ぎだろ……そういう映画でも流行ってんのか?
「うん、いる」
えっ、いるの!?
「急に卑猥なこと言い出す人とかも」
そんな映画が流行ってるの!?
知らなかった……毎日欠かさずネットでいろいろチェックしてるのに。
まとめサイトの閲覧範囲広げないと……
「そういえば、黒木さんの友達も豹変してたね」
「友達? ゆうちゃんが?」
「成瀬さんじゃない方。えっと、確か小宮山さん……」
「あれは友達でもなんでもないから。便所虫だから」
「そう。なんでもいいけど、あの人も急に怒り出してたよね。ちょっと恐かった」
そんな事もあったな。割と最近だったか……
あいつの情緒不安定さは
「いやそれ言うならあんたも……」
「……?」
「え、あれ無自覚? そんなことある?」
何の話してるんだ……?
全然噛み合ってないあたり、仲良くなった訳じゃなさそうだが。
しかし……あらためて考えてみると、私の周囲って豹変する連中ばっかだな。
ヤンキーも急にキレるのが日課みたいになってるし、ガチレズさんもトイレでは別人だし。
まともなのはゆうちゃんくらいか。
つくづくゆうちゃんと違う学校になったのが悔やまれる。
人間関係が増えていって複雑になればなるほど、ゆうちゃんの存在が色濃くなるな。
あんまり深く考えないでいいからな、ゆうちゃんとの会話は。
「ちょっとクロー、ちゃんとあーちゃんに説明してよ。完全に誤解しちゃってるから」
ネモもこっちに来たのか。
凸は……いないな。
教室に戻ったとも思えんし、トイレにでも行ったのか。
「いやでも嘘は言ってないし」
「だから……」
「その話詳しく聞かせて」
……なんだ?
絵文字の様子が……
「向こうで話してたことでしょ? 詳しく聞きたい」
「でもそんな蒸し返すような話じゃないよ? えっと、田村さんも聞きたいのかな?」
「私はいい」
「え!?」
絵文字が急に裏切られたぞ……
「根元さんは内さんと話があるみたいだし、私たちは先に教室戻ってよっか」
「へ? お昼はもう食べたの?」
「ちゃんと食べたよ」
……なんかよくわからんが、この殺伐した空間にいるよりはマシか。
「じゃ、戻ろっか」
「うん」
「えっと、だからあの時は我慢できなくて……」
「でも普通直に背中をかかせるってしないでしょ。目的はなんだったの? 別にく、黒木のことはどうでもいいけど、そういうの気になるから」
向こうは話に夢中になってるし、声かけなくてもいいか。
にしても疲れる昼食だった……ぼっち時代の笑える動画見ながら弁当つついてた時間が懐かしい。
でも……こうやって廊下を歩いてると、教室の隅っこで1人静かにお昼食べてるやつとか机に突っ伏してるやつがたまに目に入って、なんか微妙な気持ちになる。
あの頃に戻りたい、とまでは思わないかな、やっぱり……
「人間ってたまに豹変する生き物、ってさっき言ってたけど……」
「へ? あ、ああ、言ったけど」
会話聞いてたのかよ。
こいつもネモ並に耳が良いのか?
「私もそうなのかな」
「うん」
「……即答するくらい?」
「いやだって急に不機嫌になる時あるし」
「そう……かな……」
「まあでも、私は別に気にならないけど」
突然人が変わったり、豹変したり――――
そういうの、きーちゃんで慣れてるからな!
きーちゃんに比べたら、こいつの変化なんて可愛いもんだ。
「……ありがと」
礼を言われるような事じゃないと思うが……
「私も黒木さんが変わったの、気にしてないよ」
「へ? 私が? いつ? どんなふうに?」
「自覚なかったんだ……」
そのあと散々問い詰めたけど、
「……ってことが今日あったんだけど、私って別に何も変わってないよな? 豹変とかしてないよな?」
こんなモヤモヤしたままだとグッスリ眠れない。
時々それで傷付けられる事もあるが……この手の話をするなら身内に限る。
匂いとかもそうだけど、友達だとどうしても気を使われてる感があるからな。
「知らねーけど、変わったんじゃねえの?」
「マジで!? どこが!?」
「どこっつーか……」
まさか自分でも気付かない内にそんな事になってたなんて……
いや、内面が変わったのは知ってる。
今のこの落ち着きというか、数多の失敗体験を重ねた上での余裕は1年前や2年前にはなかったからな。
でもそれを表に出す事はしてなかった筈。
ネモに挑発されたからとはいえクラス替えの時の自己紹介でもブチかましたし、それでも元々あった大人しくて真面目な生徒っていうイメージは崩してない。
家でもずっとこのまんまだ。
あと体型も変わってない。
一体、外から見て私の何が変わったんだ……?
「あれだ……相対的なあれっつーか……県予選で得点王取っても全国だと大したことなかったみたいな……」
全然ズバッと言ってこねえ!?
なんだそのフラフラな感じ!
まるで今朝見た
そうか。
私の知らない間に
人間ってやっぱり豹変する生き物なんだな。
もしかしたら私がまだ気付いていないだけで、他にも私の周りで豹変したやつがいるのかもしれないな……