火が見える。
ピキピキと音をたてながら燃えるのは暖炉にくべた薪。
家の中には特に目立ったものはない。古ぼけた木造の家だ。
テーブルを囲う大人と子ども。
それが自分の母と姉だと気付くのに少し時間が掛かった。
もう一人いる小さな子どもは自分の姿だ。
並べられた料理は豪勢なものではない。
それでもこの食事は家族の中ではご馳走のようなものなのだろう。
口の周りを汚しながら頬張る自分とそれをふき取る姉。
そしてそれを微笑んでみる母。
皆の顔に笑顔が零れている。
それを見てわかった。
嗚呼、これは夢か、と。
気付くのが遅れたのも当然だ。
最後に姿を見たのはもう十年以上も前になるのだ。
これはあの時の光景ではない。
あの日は本当に特別な事もない夜だったから。
こんなご馳走が並んでもいなかった。
ならこれは恐らく薄れた記憶で残ってた幸せな時のイメージだろう。
それならせめて父親だっていても良いだろうと思ったりする。
けど仕方ない。
父親を見たことないから。
見たことないものをイメージなんてできない。
自分たちの為に出稼ぎに出てくれていた父親に申し訳ないとは思うが。
だからこそこれが自分たちの一番の幸運の形。
現実にあった一つのページで、再びあることはない、幻想に変わり果てた届かない夢の欠片。
わかっている。
それでも手を伸ばし、追い求めてしまうのはまだ忘れられないからだろうか。
だから今も帝都の腐蝕を取り除けないのか。
過去は過去だ。割り切れ捨てろと。
それくらい、夢の中でくらい赦してほしい。
どうせ醒めたら忘れる淡い夢幻だから。
せめて、今この瞬間だけは、この
「――――」
ぼやけた視界。
はっきりと認識したその天井は白く、綺麗なものだった。
少なくとも少年が知る天井ではなかった。
ここはどこなのか、と考える前に自分は一体何をしていたのかと考え、
「――ッ!?」
身体に奔った痛みで思い出した。
重役を暗殺しようとして屋敷に忍び込んで、失敗したのだ。
その結果、おめおめと逃げ帰ってきた。
正直どうやって逃げ切ったのか少年自身わかっていない。
かろうじて断片的にでも覚えているのは雨の中を必死に逃げ回っていたところまでだ。
そこからぷっつりと記憶が途切れている。
気を失っている間に一体何があったのか。
今の現状もそうだ。
掛け布団を取って見える少年の身体にはしっかりと包帯が巻かれている。
腹にも裂傷などがあったはずなのに、包帯は綺麗なままだ。
甲斐甲斐しくも誰かが熱心に取り替えてくれた証拠だろう。
基本、一人で行動することの多い少年に、そんな手当などしてくれる連中などそういない。スラムに物好きが少しいるくらいだ。
その連中にも今回のことを知らせてなどなかった。
だからこそ違和感がある。
部屋を見渡す。
別段凄いものはないが立派な部屋だ。
ベッドに机、クローゼットくらいしかないが、スラムなどのオンボロとは天と地ほどの差がある。
こんなところに住めるような知り合いを少年は知らない。
部屋に一つある窓の外を見る。
ごった返しとは言わない程の人の数。
綺麗に補強された道。
ここは帝都の中心に近い場所だと予測を立てる。
今いる場所が薄暗いジメジメした鉄格子の中で鎖に繋がれていたなら、もっと早くに現状が理解できただろう。その現状が詰みかどうかはさておき。
だが違う。
帝都の一軒家で介抱されている。
倒れている姿は酷かっただろうと少年自身思う。
正直そんな人間を匿う神経がわからない。何か利益があるのか。不利益しか思い浮かばない。
単なる物好きか、頭のおかしいキチの類か。
なんにせよ一体どういう経緯でここにいるのか、とりわけここの住人がどういった者なのか。
自分に不都合ならすぐさま雲隠れするつもりだ。
そんなことを思っていると、絶妙のタイミングで扉が開かれた。
「目が覚めたのね!」
こちらに気付き、笑顔で駆け寄ってくる金髪の少女。
その手にはタオルやら包帯やらがあるのでこの子が世話をしてくれていたのだろう。
やはり見たことない知らない子だ。
「どうかしら、まだ身体は痛む?」
「…………」
「一週間も寝たきりだったから、もしこのまま起きなかったらどうしようかと思ったわ」
「……一週間か」
思っていたよりも随分日にちが経過している。
これで恐らく少年が忍び込んだ屋敷はより厳重な警備が施されているだろう。今の身体の状態では恐らく絶対に突破できないくらいに。
「ホント、死んだように寝るってこういうことを言うんだなって思うくらいだったわ。あ、起きたのならお腹空いてるでしょ? 起きたばかりだしスープか何か持ってきましょうか?」
というよりさっきからどんどん話を進めるこの少女。
人の話を聞いていないのではないだろうか。恐らく聞いてない。
はっきり言って煩い。
「……アンタ」
「――でも血がいっぱい出てたしお肉食べた方が良いのかしら。けど病み上がりでそんなもの食べて吐いたりしたらダメだし、それなら少し我慢して今はスープだけ飲んで――って何?」
なんだか煩わしい。非常に煩わしく感じる。
一体何なのだこの少女は。
それを確かめる為にも、少年は少女に聞いておかないといけないことがあった。
「どういうことだ?」
「どういうことって、なにが?」
「アンタはわかってないのか?」
首を傾げ、きょとんとする少女。
年々鋭くなっていく瞳で睨みつけるが、少女は全く臆した様子はない。
思ったよりも胆が据わってると感じると同時に、この状況を作る出すくらいならこんなもんかとすぐに割り切った。
「何故助けた」
少年を助けた、ということは帝都への反逆と同義だ。
あの状況で彼を拾ったのなら当然少年が何かを仕出かしてきたと考えるのが自然。
見た感じ、普通に暮らすただの女の子だ。
少年を助けても百害あって一利なしだろう。
だからこそ聞いた。
なのに何故だ。
少女は何やらうんざりしたような表情で深く溜息を吐いているのは。
予想外の反応に訝しむ。
「俺がどういう人間なのかはわかってるだろ?」
「もしかして……ナイトレイド?」
「あんな大層なものと一緒にするな。俺はあんなに名前売れしてない」
正確には時々ナイトレイドの手口を真似ていると言った方がいいか。
一人で仕事を熟す手前、どうしても自身の存在は隠しておきたい。
ナイトレイドという存在がうってつけの隠れ蓑なのだ。
それも今回の失敗で台無しになってしまったかもしれないが。
「けどやってることは変わりない。要するに人殺しだ。アンタは死にたいのか?」
「そんなわけないじゃない」
何言っているのとでも言いたそうな顔をしているがそれはこちらだ。
殺し屋だと理解し、帝国の兵たちに追われているのを承知で何故こんな愚行にでたというのか。
「パパにも言ったんだけど、私はハッピーな世の中に一番乗りしたいから貴方を助けたのよ」
「は?」
理屈がわからない。一体何をどうすればそういう考えに至るのか。
怪訝な表情を隠さず少女に向けていると彼女は徐に椅子を持ってきてベッドの横に腰掛ける。
「世の中幸福になれる順番は決まってるの。ちゃんと真面目に生きている人間から神様が幸せを運んでくれるのよ」
「ハッ」
少女の言葉に嘲笑が零れた。
幸福? 神様? 一体何を寝惚けているんだコイツは。
理解した。
コイツは完全にキチの類だ。
「コイツは驚いた。本当にそんなこと信じてるのか」
「えぇそうよ。悪い?」
「別に。人の思想をとやかく言えるほど偉くない。けどアンタの言う真面目ってなんだ」
「正しい行いよ。私が出来る範囲で、最大限正しいと思う行いを実行するの」
正しい行い。ゴミを拾う、道を案内する、一生懸命働く。
沢山あるだろう。
当然行き倒れを助ける事も善行の部類に当てはまる。
その行き倒れが人殺しの場合がどうなのか知らないが。
「ずいぶんと都合の良い真面目だな」
「そうよ。文句ある」
「いいや」
少女は自信満々に言いのけた。
少年の言葉の意味をわかっているのかわかっていないのか。
どちらにしろ、そこまで開き直られては何も言えないし、それ以上言う気もない。
目の前の少女の考えなだけで、少年には何も関係のないことだ。
「口封じに殺されると思わなかったのか?」
「……それは考えてなかったわね」
目を逸らし小さく呟く少女を見て、キチでバカとは救えないなと内心思う少年。
先程からよくよく表情が動く。
こう長く人と話すのは最近ではあまりないことだったからか、随分久しく感じた。
だがそれもここまでだ。
少年はベッドから抜け出し、立ち上がる。
「ちょっと、まだ安静にしてないと」
「俺の服は」
ズボンはそのままみたいだが、上半身は包帯を巻いてるだけで何も身に着けていない。
「血まみれでボロボロだったから捨てたわよ」
「……グローブ」
「え?」
「俺が手に嵌めてたグローブは? まさかあれも捨てたのか」
先程までとは打って変わった焦りを孕んだ声。
それが少年にとってどれほど大切なのかはその顔が十全と物語っている。
「あれならそこの机の上に置いてあるけど」
やつれた身体を支えながら、少年は机へと歩み寄る。
そこに置かれた薄手の黒いグローブ。
あれだけ衣服がボロボロだったにもかかわらずこのグローブだけは傷一つない。
少年はグローブをその手に嵌める。
するとそのまま部屋の外へとその足を進め始める。
部屋を出ようと扉へと手を伸ばし――手首を掴まれた。
「だぁかぁらぁ、まだ安静にしてなきゃダメだって言ってるでしょ」
「助けてくれたことには礼を言う、ありがとう。助かった」
治療してまだ一週間。
ずっと寝ていたとはいえ怪我の完治には程遠いし、体力の低下も酷い。
ムリをすれば傷が開くし、また倒れる。
少女の言う通りだ。
だがそれがどうしたと、まるで他人事のように少女の脇を通り抜けようと、
「チェスト」
「いたっ!?」
頭に手刀を落とされた。
「何すんだよ!」
「安静にしないとダメって言ってるでしょ。格好いいとでも思ってるの、バカじゃないの?」
頭の痛みを感じながら、少年は少女を睨みつける。
しかし少年の鋭い眼力も彼女には心地良いそよ風と同義らしい。
これではまるで姉に叱られてる弟の構図だ。
内心そのことに苛立ちが募り、苛立つ自分自身にまた苛立ちを感じる。
「アンタにはもう関係ないだろ」
「関係あるわよ。言ったでしょ、私は私自身が最大限正しいと思ったことをするの」
「ならそれはもう済んだだろうが。アンタは俺を助けた。それでおしまい」
そのあとどうするかなんて俺の勝手だ、そう言って空いたもう片方の手を扉へと伸ばし、
「チェストォ!」
「ッ!?」
頭に手刀を落とされた。
二度目だ。
今度はさっきより強くて痛い。
「まだ君は治ってないでしょ。そんな状態で君を外に出して死んじゃったら私の責任だわ」
「それはアンタの勝手な言い分だ」
「そうね。君は私の勝手に言い分で勝手に助けられたのよ。だったら最後まで勝手な言い分に付き合ってもらうわよ」
本当に勝手な言い分だ。
少年の意見なんて聞く耳がなく、聞くつもりもない。
腕を掴まれた状態だ。無理矢理引き離すこともできない。
「……はぁ」
「お、諦めた?」
深く溜息を吐き、とことことベッドへと戻る。
「……治ったらすぐ出てくからな。それと、ちゃんと飯もでるんだろうな」
「心配しなくてもいいわよ。うちは料理屋開いてるから期待していいよ」
初めはスープとかからね、とそう言って少年に布団を掛ける。
「そういう子ども扱いやめてほしいんだが」
「別にそんなつもりはないんだけど……君は歳幾つ?」
「……十五、六くらい」
「……そっか。けど私、十七だ。どちらにせよ年上だよね」
ニッと笑みを向ける少女。
その様子に少し物申そうとして――やめた。
ばかばかしく感じたのだ。
「ああもうそれでいいよ。だからアンタはもう出てって――」
「それだよ!」
「は?」
まだ何かあるのか、と面倒を通り越して呆れがやってくる。
露骨に嫌そうな顔をしながら少年は少女の言葉を待つ。
「そのアンタって言うの。私はミラって名前があるんだからそう呼んでほしい」
「アンタだって俺を君って呼ぶじゃないか。一緒だよ」
「じゃあ私も名前で呼ぶから教えてよ」
思わず目を逸らす。
やってしまった、と思わざる負えなかった。
これではまるでこっちから名前で呼べと言っているみたいじゃないか。
そんなつもりはない。全くない。
むしろ全然関わって欲しくない。
しかし、
「ほら、ほらほら」
再び少女――ミラの顔を見る。
微笑みながら、引く気のない表情だ。
仕方ないと割り切り、少年は小さく口にする。
「………………イサミ」
「イサミかぁ。うん、うん、どれくらいになるかわからないけど、よろしくね、イサミ」
そう何度か繰り返し呟いた後、ミラは部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送り、一人になった部屋の中で少年――イサミは何度目かわからない
溜息を吐く。
「……名前、か。呼ばれたのなんていつ振りだったっけ」
何気なく窓へと視線を向ける。
蒼く、空は澄んでいた。
それからミラは事あるごとにイサミの世話を焼いていた。
食事を初め、包帯のまき直しや身体を拭くのも彼女が行った。
初めの方こそイサミも自分でできると突っぱねていたが、しつこく食い下がるミラに根負けして今では彼女のやりたいようにやらせている。
それが最も一番早く終わると悟ったのだ。
ミラの両親はというとイサミに少し怯えることがあったが、怪我が治り次第すぐに出ていくと告げている。
実際今すぐに出ていっても良いと言ったのだがミラに猛反対された。
その様子を見た両親もどこか複雑な表情をしつつ、イサミへと苦笑いを返していたことからそう印象は悪くない。
このような、ミラの家での生活が既に三週間が経過していた。
その間、イサミはよく考えていたことがある。
自分を呪ったのは一体どれほどあっただろうか。
今までのイサミの人生は後悔と復讐がその殆どを占めていた。
村を蹂躙されたことへの怒り、そんな世界へと変えた元凶への憎しみ。
正直に言えば村を襲った盗賊への怒りは既に殆ど消えかけていると言っていい。
勿論、全く消えたわけではない。
直に襲った連中だ。赦しはしないし、生きているのなら必ず殺す。
だがそれも適わないと思っている。
ああいう者たちは長く生きれるような時代ではない。
力なきものは徒党を組み弱きものを蹂躙する。
一刻の幸福を得ることはできるが、所詮その者たちも弱者だ。
弱者が強者に駆逐されるのが今の世で帝都の部隊は瞬く間に排除に掛かる。
確かにいた存在は塵のように消え去り、まるで初めからそこにいなかったように扱われる。
彼らが残せるものは被害の爪痕ただ一つ。
それがまた新たな盗賊を生み、別の村を襲う。
永遠に続く、腐敗の連鎖。
そのことに気付いたのは一体いつの頃だったか。
それ以来イサミはこの世を生みだした大臣こそが真の敵だと復讐を誓った。
だがそれと同じくらい、イサミは自身を赦せない。
あの日、摩耗した在りし日の思い出の中、野盗が村へと入り込んだことを知り、姉がイサミを納屋に置いてある藁の中へと隠したのだ。
ここなら大丈夫だと言い、姉はイサミだけを隠した。
その後姉がどうなったのかをイサミは一部始終見ていた。
納屋へと乗り込んできた賊は姉を押し倒し、かなぐり捨てるように服を破る。
泣き叫ぶ姉を殴り、にやけきった汚い面が姉の胸へと寄っていく。
綺麗な金髪は大地の泥に塗れ、身体は文字通り穢れていった。
子どもだったイサミは何をしているのかはわからなかった。
しかしあの行為がとても薄汚い最低なモノだと理解することは容易だった。
動く男たちと動かされる姉。
いつしか声も枯れた姉は抵抗も出来ず男たちに連れて行かれた。
それをずっと見ていた。
見ていることしか出来なかった。
恐怖に支配され、動けなかった自分。
声を出す事の出来なかった自分。
なにより自分が助かった事に安堵してしまった自分。
そんな自分を、イサミは赦せない。
己は屑だ。同じ屑なら屑を掃除する屑になろう。
粛清、なんて言葉は使わない。
憎いから。目につくから。苛立たせるから。
そんな理由でいい。
ただ自分のような屑は嫌いだから殺す。
単純でいい。
堕ちるとこまで堕ちる道。
闇夜に紛れ、黒く穢れた血を浴びるのがイサミの道。
そのはずだ。
「……なにやってるんだ俺は」
「ほら、これも追加ね」
今も己を強く呪う。
激しく自問自答しているイサミにミラの声が掛かり、ドサッと目の前に大きな山が出来上がる。
大きな皿の山。
流石にイサミの身長を越えるだけの量はないがそれでも凄い量だ。
そこに盛られた皿たちとガチャガチャゴシゴシ格闘しているイサミ。
ここはミラ家から少し離れた場所にある彼女の両親が経営する小料理屋。
ミラの父親が体調を崩してしまい、家で寝込んでいるからと半ば強引に連れてこられてしまった。
あまりにも突拍子のない大胆な行動にイサミも今や溜息も出ない。
ちなみに服はミラの父の借り物だ。
「アンタは――」
「ミラって呼んでって言ってるでしょ!」
「ッ――は本当にわかってるのか? 俺は人殺しだぞ」
そこだ。
最後の行動がひと月ほど前とはいえ、仮にも人殺しの人間だ。
外の様子をミラたちに聞く限り、手配書などは回っていないようだがそれでもイサミを捜していた兵たちは暗殺者が少年だということを知っているとのこと。
こんな料理屋で多くの人に姿を晒すのはあまりにもバカらしい行動だ。
最初、ミラから手伝ってくれと言われた時は驚きながらも冗談だと思い軽く受け流していたが、強引に腕を引っ張りだし始め、ミラが本気だとわかると本気で止めた。
もしイサミのことが露見すると、困るのはイサミだけではない。
イサミを匿ったミラやその両親にまで帝都の反逆者として裁かれる。
正直イサミにとって彼女たちがどうなろうと知ったこっちゃないのでどうでもいいのだが、自分のせいで死なれてしまうと言うのも目覚めが悪い。
だからこそしっかりとイサミが店に出ることのデメリットを話したのだが、
「要は知られなきゃ大丈夫なんでしょ? 大丈夫大丈夫。うち殆ど常連さんばかりだし。それにそうならない為にもイサミには後ろで皿洗いだけを頼んでるんだし」
「そんなもの関係ないだろ……」
自信たっぷりに言い切るミラに呆れる
そんなものは気休めでもなんでもない。
第一、既にもう目を付けられているのだから。
それほど広くない店内で一際目立つ喰いっぷりの女性。
健康的に女性らしい豊満な胸。それらを惜しみなく見せつける露出の多い服装。
それでいて物凄く美味しそうに食べるその姿は周りの食欲をも掻きたてる。
「なぁ、あの人も常連か?」
「あの人ってレオーネさんのこと? そうね、最近よく来てくれるようになった人ね。他の人もあの食べっぷりに釣られて注文してくれるから嬉しいわ」
「そうか」
できればどれくらい最近なのか知りたかったが、それはやめておく。
ミラたちにいらぬ不安を与えるのはイサミにとってもよくない。
イサミはレオーネと呼ばれる女性を見つめる。
見た目、全く帝都の軍に所属しているようには見えない。
むしろスラムやそこらへんの雰囲気を漂わせている。
ただ向こうもこちらの視線に気が付いているのだろう。時折こちらを鋭い眼光で見つめ返してくる。
恐らくかなり強い。
こちらが全力で戦って勝てるかどうか……何故すぐさま行動に移さないのか知らないが、報告される前に片を付けなければならない。
「ふぅーん、ほうほう」
「……なんだよ」
ねちっこい視線を感じ、レオーネから目をはなすと何やらニヤついた顔でイサミをみているミラの姿が。
面倒そうな雰囲気を醸し出しているが聞かないといつまで経っても離れないと少しの共同生活で理解しているので仕方なしに彼女の話を聞く。
「へぇ、イサミはああいう人が好みなのね」
「何を言ってるんだ?」
「確かにスタイル良いものね。見た感じ姉御肌っていうのかな、うんうん。良いと思うよ」
「おい話聞けよ」
「なんなら声掛けてきてあげよっか? レオーネさん最近少しずつツケるようになってきたからそれで釣ればお話くらい出来ると思うよ」
このこの、と横腹を肘打ちしてくるミラ。
やはり女の子、そういう色恋沙汰の話が好きなようだ。
実際は全くの勘違いでしかないのだが。
「デートとかしたくないの? お姉さんがセッティングしてあげるよ?」
「デートね……それならもう向こうから申し込まれてるし」
「え、ホント!? いつの間に!? いつデートするの!?」
「そんなのこっちの勝手だ。仕事しろよ。ほら、あそこで客が呼んでるぞ」
「え、ちょっと、もう! 後で教えてよ、絶対だからね!」
そう言って厨房からミラを追い出し、もう一度レオーネの方へと視線を戻す。
そこには怖いものは何一つなく、人障りの良さそうな気のいい女性の姿しかない。
もうこちらに言うべきことは何もないという事か。
なら後はデートの時に、ということで間違いないだろう。
一体どんなアプローチをされるのか、今から楽しみで胃が痛む。
「……動くなら今夜しかない、か」
不安を背に抱え、イサミが再び皿の山を切り崩して行った。
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