D-月光鬼兵   作:陸 理明

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 辺境であっても、冴え冴えとした月光に幻の様な癒しを覚える人々はいる。

 陽光のごとき痛みはなく、人工灯の冷たさもない。

 貴族が月光を好むのは、必ずしも太陽を嫌うからだけという訳ではないのだろう。

 優しい―――とは必ずしも言えないが、少なくとも自らを嫌うものまで排斥しようとはしない心地よい冷たさが貴族の氷の魔性に相応しいからか。

 それは夜の世界のものだけでなく、人間たちにとっても同様で古から月を讃える歌は尽きることがない。

 月とは、そのように空の高みから地上に生きるものどもを黙って何も思わずに眺めている存在なのだ。

 だが、その地域だけは違った。

 規模としては二つの村を含むだけのさほど大きな地域ではない。

 村と村の中間地点にもう使われていない領主であった貴族の小さな廃城があるが、そこの主人はいなくなってすでに千年は経っている。

 領主だったもののまともな伝承すら残ってはいない。

 宿場から宿場に続く主要街道からも離れ、目立った特産品もなく、それどころか他の辺境の村ならありがちな次元獣や夜の生物たちの襲撃回数も平均値以下という、まさに何の価値もなさそうな地域であった。

 ただ、一つだけ、どことも違う点があった。

 いや、正確には二つ、だろうか。

 それは、その地域に入ったと思ったのならば、夜にそっと天を見上げてみればわかるであろう。

 誰にでもわかるはずだ。

 初見のものはまず自分の眼を疑い、何度か瞬きをするか手で擦る。

 だが、視界に入る光景は変わらない。

 輝きの強い晩であったのなら次に足元の影を見るだろう。

 それは昼間のものよりも淡くて薄いが、確実に三つあった。

 影が三つ。

 すなわち、三方向から光が差すということだ。

 そして、ようやく夜空を見上げ直す。

 誰にとっても見慣れぬ、三つの月の異常にして幻想的な光景に息を呑む。

 最も慣れ親しんで、産まれたときから死ぬときまで無関心につきあってくれるだろう通常の眩い月と―――あと二つ。

 鋭い刃で開かれた傷から漏れた血のごとき朱に塗れた月―――赤朋(せきづき)と、眼球を無くした眼窩のようにぽっかりと空いた空洞のような月―――黑月(こくづき)。

 仲良く寄り添うというには不吉すぎる妖妖とした色を発する二つの月が、誰もが仰ぎ見る月とともに浮かんでいるのだ。

 この異様な夜を擁するのは、この惑星広しといえどもこの第三百九十一辺境地区―――通称“竹林郷”のみであった。

『都』から来た学者たちも、どうしてこのような奇怪な光景がこの“竹林郷”のみに顕れるのか、はっきりとした見解を出せなかった。

 仮定の、あくまで仮説のレベルであるのならば、どんな学者たちも一つだけ意見が一致していたのであるが。

 それは―――

 

「……“竹林郷”地域の中央にある、うち捨てられた貴族の城に原因があるのではないか」

 

 というものであった。

 世界各地での貴族の所業を知っていれば、この地域における異常現象の原因も彼らの跳梁跋扈によるものであることはほぼ間違いない。

 したがって、学者らの意見は大筋では正解なのは確かだろう。

 だが、そこまでだ。

 彼らの視点には「何のため」もしくは「どうやって」という部分が抜けている。

 そこに答えが出せない以上、どんな考察も無駄でしかないのであった。

 千年以上に渡って誰も答えを言い当てられないまま、“竹林郷”はこの世に一つしかない異径の夜を送ってきた。

 もっとも、この地にはもう一つだけ、よそとは違う部分もあり、それについても謎に満ちていたのではあったが……

 

「姉ちゃん、こっちだ!」

 

 少年の声が三種類の月光の下に響き渡る。

 彼は襲撃者から逃れようとしているだけなのだが、生憎、その大きな声のおかげで居場所がはっきりとしてしまっている。

 しかし、少年としては仕方のないところなのであった。

 彼のツレ―――もう一人の逃亡者は、そのぐらいの大声で呼びかけねばはっきりとした反応さえ示さないような足手まといなのであるから。

 

「早くしないと、また空からあいつらがやってくるぜ! せめて竹林(たけばやし)に隠れないと今度こそ攫われちまうぞ!」

 

 少年はぎゅっとツレの女の手を握った。

 決して離す気はないという意思を示すかのように。

 女の方は特別その熱い手繋ぎに感動を覚えた訳ではなさそうではあるが。

 じっと二人を結合している部分を見ているだけであった。

 

「いいから! さっさと行くぜ! 姉ちゃんが気狂いだってのは知っているけど、今は逃げなきゃならねえってことだけはわかってくれればいいから!!」

 

 女はかなり背が高く、手を引っ張り先導する少年からすると苦労以外のなにものでもなかった。

 とはいえ文句は言っていられない。

 このままでは、この何を考えているかわからない年上の女はあいつらに攫われてしまうからだ。

 攫われてしまった連中がどうなるのかは村の大人たちもよく知らない。

 被害者たちはすべて誰にも手の届かない場所へと拉致されてしまうのだ。

 少年は頭上を仰ぎ見た。

 

「姉ちゃんだって、あんな遠い黑月まで行きたくねえだろ! それに連れていかれたあとはあいつらの「おかず」にされちゃうって話だ! ぞっとしねえよ!!」

 

 必死の説得のおかげか、手を引かれるだけの女はやや歩調をあわせてくれるようになった。

 それでも遅いことには変わりない。

 もうすぐあいつらに見つかってしまう。

 空の上からはきっと丸見えに違いない。

 少年は腰のホルスターにぶら下げていたレーザー・ガンを抜きはらった。

 五万度の高温レーザーを放つ子供のものとしては物騒すぎる武器であるが、辺境の夜を歩くにはまったく頼りない。

 子供でさえ理解している。

 辺境では夜に外に出るのは自殺行為以外のなにものでもないということを。

 そして、彼らを襲おうとしている敵にはこのレーザー・ガンは当たらないことがほぼ確定しているのであった。

 かつて何人ものハンターが“竹林郷”にやってきたそうだ。

 しかし、ただの一人とてあいつらに武器を命中させたもの―――一矢を報いたものもいない。

 中には知力体力共に優れ、かつての支配者さえ畏れぬ鉄壁の精神力を有する超絶的な戦闘力を誇る吸血鬼ハンターもいたというのに。

 

「……未来予測照準程度じゃあ当たんないんだよ」

 

 世界中に溢れているエーテル光を読み取り、一秒先の未来を予測して自動的に銃口を動かす機能がレーザー・ガンにはついているが、それでもまったくお話にならないことはもう経験している。

 一度でも追跡から逃れられたのは奇跡だ。

 幼い心にも奇跡は二度とないことは理解できた。

 だから、襲われる前に逃げ切るしか道はないのだ。

 

 バサッ

 

 遅かった。

 頭上で翻ったのは羽ばたきの音だ。

 彼らの上にはもうあいつらが輪を描いて飛んでいるのだ。

 

「うわあああ!!」

 

 それでも少年は走った。

 女の手を離さずに。

 見捨てることだけは死んでもできないと覚悟を決めて。

 少しでも竹林の傍に近づけば、あいつらが寄ってこられないのではないかという淡すぎる期待を抱いて。

 しかし、遅かった。

 彼らの足はでは絶対に逃げ切れない。

 ぐおおおお―――!!

 凄まじい咆哮が背中の上から聞こえてきた。

 足が竦みそうになる。

 力が脱けそうな全身に活を入れる。

 悔し涙が頬を伝わった。

 もうここで終わりだ。

 そのとき、反対側から蹄鉄のとどろきが響き渡る。

 頭上にあった無数の羽ばたきが一つ消え、大地に何かが落ちる鈍い音がした。

 つんのめりながら、少年は女を引き寄せて蹄鉄の音が聞こえた方向を見やった。

 彼らの背後にいつの間にか三つの月光を浴びて立つ騎影があった。

 少し離れた先に、あいつらの一匹が緑色の血を流しながら倒れている。

 羽根のついた胴体が真っ二つに切断されていた。

 サイボーグ馬に乗った黒衣の影の背中しか見えなかったが、その手には優美な長剣が握られていた。

 まさか、斬ったのか。

 あの―――黑月の鬼を!

 少年の胸は熱でいっぱいになった。

 あの空を飛ぶ無数の化け物どもが斃されたところを始めて見たことで熱くなってしまったのだ。

 

「すげえ、すげえよ!!」

 

 少年は純粋に賛辞を送った。

 助けてもらったということよりも、その奇跡の様な剣技を素晴らしいと思ったのだ。

 直接目にできなかったのが残念だと思った。

 

「……君はこの先の村のものか」

 

 救い主が口を開いた。

 抑揚のない鉄の様な声であった。

 あらゆる感情が欠如しているごとき声であったが、少年にとっては黑月の鬼を斃した男に相応しい渋い声だと逆に感動した。

 

「ああ、おいらはショウカの村のハヤトっていうんだ。こっちは、カグヤ姉ちゃん?」

 

 女の紹介が疑問形なのは、ハヤト自身、カグヤの本当の名前を知らないからだ。

 彼が知っているのは女がそう呼ばれているということと、少年の憧憬たりうる美しい娘であるということだけだ。

 それだけの知己のために少年は命を賭けたのである。

 バサっとまたも鬼たちが羽ばたいた。

 翼を持つ鬼―――黑月の鬼と呼ばれる夜の怪物はまだあと二匹飛んでいた。

 

「気をつけろよ、兄ちゃん!! 普通じゃあ、黑月の鬼たちには攻撃は当たらないんだ」

 

 忠告のつもりだったが、無駄だったかもしれない。

 彼を救った鍔広の旅人帽(トラベラーズ・ハット)とロングコート、黒衣の剣士は少年の常識を容易く打ち砕くほどの強さを秘めていたからだ。

 いつの間にか雨でも降っていたのか乾き切っていないぬかるみの泥の中に

 すっと気温が下がったような気がした。

 これから始まる死闘の気配が、周囲の温度すらも左右したかのような現象であった。

 空中でくるりくるりと螺旋を描いていた黑月の鬼たちが加速して、鋭く滑降してきた。

 黒衣の剣士のもつ刃が閃く。

 闇を凝結したような黒一色の中でそこだけが光を放つ。

 どぼっという音が重なって、苦鳴が轟いた。

 二匹の黑月の鬼たちが斜めに大地へと叩きつけられていた。

 胴体に致命傷とわかる刀傷がついている。

 かつて敵対者の攻撃をものともせずに躱してきたらしい触れられずの魔物たちがこうもあっさりと斬られ、ゴミのように土を舐めることになったことに、ハヤトは信じられない思いだった。

 はるか天空でまたも巨大な羽ばたきの音がして、どこかへ飛び去っていった。

 まだ仲間がいたようだった。

 黒衣の剣士には敵わないと悟ったのだろう、捨て台詞もなく逃げていった。

 いや、捨て台詞のような人間の如き行為をすることはもともとできないのかもしれないが。

 救い主となった剣士は斬った鬼たちの死を確認しようともせずに、ハヤトとカグヤに振り返った。

 自分の剣技が必殺だという自信があるのだろう。

 敵の生死などすでに気にも留めていないのだ。

 一方のハヤトはふり仰いだ眼前の剣士の顔を見て呆然としなくてはならなかった。

 こんなに美しい人間の―――男の顔を見たははじめてだったからだ。

 もしかしてこれは夢なのだろうか。

 

「無事か」

「う、うん」

 

 これほどまでに美しいのに、声は低く頼りがいがあった。

 

「ショウカの村に案内してくれ」

「……い、いいよ。助けてくれたお礼もあるし。あ、あの……」

「Dだ」

「へっ」

 

 ハヤトが何を言われたのかわからずにきょとんした顔をすると、

 

「君はさっき名乗った。だから、おれも名乗る。Dと呼んでくれ」

「う、うん」

 

 三つの月光の落ちる地に立った黒衣の剣士は抑揚もなくそう名乗るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




菊地秀行先生の「吸血鬼ハンターD」の二次創作で、無印一巻から「D-薔薇鬼」までを基にしています。
週に一回の投稿で夏ぐらいに完結させたいと思っていますので、よろしくお願いします。
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