D-月光鬼兵   作:陸 理明

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 辺境の朝は早い。

 それはハヤトのような年端のいかない子供でも変わらないことだった。

 年老いた祖母と暮らしている彼は、二人分の生活をまかなうために、家の裏にあるちっぽけな農場の管理をしなければならないのだ。

 合成蛋白の採取についてはおんぼろロボット任せではあるが、五匹の牛の世話と乳しぼりはハヤトがしなければならない。

 遺伝子改造された牛は、どういうわけか家のロボットを怖がってしまう癖がついていて、人間以外では近寄ることもできないからだ。

 ハヤトは黙々と手を動かしてアルミ箔の缶に白い液体を詰めていく。

 このときばかりは普段のやんちゃで落ち着きのない面が消え、辺境の大地に生きる農夫の卵に相応しい顔になる。

 すでに両親は亡くなり、育ての親の祖母の身体も不自由となれば、食い扶持は自分で稼がなくてはならない。

 村のものたちと仲がいいとはいっても所詮は他人だ。

 自分のことは自分でしなければ生きてはいけない。

 齢十歳にしてハヤトは世間の荒波を知り尽くしていたともいえる。

 搾ったミルクをパッケージングして、いつも引き取ってくれる村人たちの分だけ取り分けた。

 あとは反重力台座に乗せて引っ張るだけだ。

 直径ニメートルほどの丸い金属の板は重力を遮断し、かつ、引力を適度に操ることで地上からわずかに浮くことができる。

 しかもバランスは一切崩れず平行のままだ。

 付属の突起にロープを縛りつけそれを引っ張ることで、台座に乗るものならどんなに重いものもハヤトでも運ぶことができるようになるのだ。

 台座にミルクを乗せると、村へと向かった。

 真っ先に昨日の美しい若者のところに足を運びたかったが、寄り道によってミルクの鮮度を落とすことは将来的に顧客の信頼を無くすことにつながるので我慢した。

 一つを残しすべてのミルクを配り終えると、ハヤトは飛ぶ勢いで宿屋兼酒場に飛び込んだ。

 

「おじさん、はい、今日の分」

「おう。ありがとよ」

 

 カウンターを磨いていた主人がミルクのパッケージを受け取る。

 ここが最後の配達地であった。

 

「兄ちゃんは!?」

 

 宿屋の奥、昨日、旅の若者が消えた廊下の奥を見やる。

 

「もういねえぞ」

「え、帰っちゃったの?」

「いや。宿帳には一週間の逗留予定と書いてあるから、ただの散歩だろう」

「それっていつごろ?」

「知らねえ。朝、おれが顔を出したときには、もう奥の馬小屋に野郎のサイボーグ馬がいなかったからな。それよりも前だろう」

「わかった。ありがとう、じゃね」

 

 手を振って出ていこうとするハヤトの腕を主人が捕まえた。

 思わず顔をしかめるほどに強く握りしめられた。

 こわい顔をしていた。

 

「痛いよ、おじさん」

「おまえ、あいつのところに行く気か」

 

 あいつとはあの美しい若者―――Dのことだろう。

 平静を保とうとしているが、主人の視線には恐怖に近い彩りがあった。

 

「あいつはダンピールだぞ」

「……えっ」

 

 主人は無限に湧き出るのかと思われるほどの大量の唾を呑み込み、

 

「吸血鬼ハンターD。剣の速さはレーザーの光にも勝るという腕利きだが―――貴族とのあいのこだ。貴族の仲間かもしれねえ。おまえ、それでもあいつにつきまとう気か」

 

 ハヤトは凍りついた。

 ダンピールという存在が辺境でどのように語られているかを如実にものがっていた。

 彼ぐらいの子供でも知っているのだ。

 Dの名前こそ知らなくとも、ダンピールがどれほど忌み嫌われるものであるかを。

 ようやく昨夜の恐ろしいぐらいの剣のさえが理解できた。

 貴族の血を引くものならばあれぐらいはできて当然なのかもしれない。

 乱暴に掴まれた腕を放された。

 

「……おまえ、トモエの婆さんといっしょに村から追い出されたくなかったらもうあいつに近寄るんじゃねえぜ」

「でも……」

「おい、おれはおまえが幼馴染の息子だから言っているんだぞ。でなけりゃあ、ガキと婆さんでも八分にしているところだ」

 

 主人は死んだハヤトの父親の親友だった。

 だからなにくれともなく世話を焼いてくれている。

 彼に見放されたらハヤトも祖母もすぐに生活に困るようになるだろう。

 

「わかった」

 

 そう答えるしかなかった。

 

「いい子だぜ。もうすぐしたら、アカギの村に行っていた保安官が戻ってくる。そうなったらあいつを追い出してもらうとする。いくら凄腕のハンターだろうと、うちの保安官だってまともじゃねえからな」

 

 ハヤトは身震いした。

 つい先日、この村に赴任してきた保安官のことを思い出してしまったからだ。

 確かにあの保安官なら、昨夜のDと同様に誰も触れることもできない黑月の鬼を駆除してしまうかもしれない。

 赴任してからこれまで黑月の鬼の襲撃がなかったから証明されていないだけなのだ。

 初めて見掛けたとき、得体の知れぬ戦慄を覚えた。

 辺境に跋扈する妖物の類いとはまた違う、異界からきた生き物を目の当たりにした恐怖のようだった。

 一見したところ、人品骨柄のよい精悍で落ち着いた雰囲気の男だ。

 いかつい顔をしているが人当たりはいいと評判だった。

 しかし、村のものたちはみな理解していた。

 あの保安官は尋常ではない、と。

 荒っぽいことでは“竹林郷”でも比べようもないと恐れられたショウカの村の自警団長が新任の保安官の前には決して姿を現さないことも無関係ではないだろう。

 噂はされていた。

 最初にがつんと仕掛けて、逆にやりかえされたのだと。

 都から取り寄せた戦闘用の魔導鎧(まどうがい)で乱暴狼藉の限りを尽くしていた自警団長がどのような目に合わされたかまでは不明だが、とにかく二度と目の前に出たくなくなるほどのことをされたのだ。

 ただ、問題は吸血鬼たちの科学が産みだした何万馬力もの筋肉増幅機能を持ち、大岩でさえも軽々と投げ捨てる魔導鎧を操る自警団長を、どうやればそこまで怯えさせられるかということである。

 ハヤトが慄いたのは、たまたま自警団長との揉めごとの直前に目撃した保安官の眼だった。

 この世のものとは思えない黒い光。

 それが変哲もない普通の男から発せられていたのだ。

 

「う……ん」

 

 ハヤトの骨髄まで沁みわたった保安官への恐怖がDへの好奇心を打ち消し始めた。

 むしろ、その恐怖があったからこそ、Dのもとへ近づこうとしていたのかもしれない。

 とにかく、彼はそれだけ保安官を怖れていたのだ。

 

「ならいい。あいつが完全に出ていくまで、ミルクも持ってこなくていい。金は女房に払わせるから安心しろ」

「わかったよ。おじさん」

 

 そのまま、ハヤトは酒場兼宿屋を出た。

 彼はわからなくなっていた。

 つい最近までハヤトは黑月の鬼を怖れていた。

 次に保安官に恐怖した。

 そして、懐こうとしていた若者はダンピールだった。

 いったい何が怖くてぶるぶると震えているのかわからなかった。

 ただし、一つだけ言えることは、昨夜カグヤという少女と一緒にDに助けられたという現実は幻ではなかったということだけであった。

 

 

  ◇◆◇

 

 

 身内の気怠さが少しだけ引いていくのをDは感じていた。

 時間はまだ昼前。

 完全にカーテンを引いたホテルの一室にでも籠ったようである。

 ただし、この青年がいるところは密閉された室内ではない。

 日陰こそ多いとしても、ところどころに陽の差す屋外であった。

 Dの周囲には青々とまっすぐに天に向かって伸びている夥しい植物で埋め尽くされていた。

 その植物が頭上で葉を茂らせているせいで、ほとんどの日光が遮られているからかとても薄暗い。

 森のようであるが、真っ直ぐ伸びる茎を持ち、茎は中空で節があるが枝がなく、葉は頭上に限られているからか視界は思ったよりも良好である。

 Dもどことなく興味深そうにサイボーグ馬を歩ませている。

 道らしい道はなくともこの青年の馬術であれば、この程度の障害は苦にもならない。

 少し進むと左手のあたりから声がした。

 

「これが“竹”の森か。わしも初めて見るぞ。貴族がこの星の覇者となって以来、これほどの数が繁茂している地域はほとんどないじゃろう」

「……竹の森ではない。“竹林”だ」

「この地域の呼称のことか。なるほど、いい得て妙じゃ」

 

 Dとて生まれて初めて見たのだろう。

 

「なるほど。観光にきたとはよくいったものじゃ。おまえ、ちぃとばかり浮かれているのか。珍しいことがあるもんじゃな」

 

 その問いにDは答えない。

 代わりにややサイボーグ馬の歩みが早くなる。

 声の指摘が図星だったのか。

 

「くくく」

 

 しわがれた声が意地悪そうな笑い声をあげた。

 ぴたり。

 サイボーグ馬が止まった。

 Dが停めたのだ。

 次の瞬間、馬の巨躯が舞った。

 改造された馬は五メートルの高さまで跳躍できる。

 このハンターが操るかぎり、七メートルですら余裕だ。

 高さを重視したのか、着地した先はほとんど目の前であったが、サイボーグ馬にはなんの変化もみられない。

 だが、騎手は違った。

 右手にいつの間に引き抜いたのか、優美な長剣が握られていた。

 

「斬られたな」

「ああ」

 

 Dは周囲を見渡すような真似はしない。

 感覚の全てを動員して様子を窺っているだけだ。

 ぴくりとも動かずに数分の時が流れる。

 長剣がふたたび鞘の中に納められた。

 

「逃げたようじゃな」

「いや。まだいるだろう」

「ほう。おまえに居場所をつきとめさせんとは、なかなかの腕利きではないか。それにあの抜刀の速度。むしろ、そちらの方が脅威かもしれんぞ」

 

 妖しいまでに澄んだ瞳が一点を捉えた。

 繁茂した竹と呼ばれる植物のうちの一本に、うっすらと黒い線が引かれていた。

 

「あまりに速い斬撃のせいで竹が倒れようともせん。しかも、今のやつ、まだまだ力の全てを出しきってはおるまい。―――もしかしたら、おまえより速いかもしれんぞ」

 

 Dは声を無視して再び馬を進ませた。

 たった今起きた軽い挨拶代わりの死闘のことなど忘却してしまったかのように。

 美しい孤影と馬の一組が竹林の奥に消えてからしばらくして、一つの影が竹の葉―――笹の茂みからのっそりと現われた。

 手にはDのものと同様に長い武器を持っている。

 美しい吸血鬼ハンターのものよりやや反りが足りない。

 影は剣を腰に佩くと、憮然と呟いた。

 

「……しくじった。まさか、俺の抜刀を馬ごと躱すとは恐ろしいやつ。しかも、お返しの一刀の速度よ。世の中というものは広いものだな、実に気が滅入るぞ」

 

 だが、影には口でいう程落ち込んだ様子はなかった。

 むしろ、愉し気に口角を吊り上げた。

 

「おもしろい。この俺の神夢想林崎流(しんむそうはやしざきりゅう)抜刀術とどちらが速いか、次こそ試させてもらおうか」

 

 薄暗い竹林の中、男の低い笑い声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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