魔法少女パラレルなのは   作:祐茂

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第1話「不思議な出会い……?」

 高町なのはは、生まれつき不思議な感覚を持っている少女だった。

 不思議な感覚というのは、人とはかけ離れた感性を持っている、という意味ではない。

 いわゆる第六感というべきだろうか。しかしそれは、幽霊を目にすることができる霊感ではなく、身に迫る危機を事前に察知できるような直感とも違う。

 ただ、時折、『なにか』をなんとなく感じてしまうのだ。

 感じるだけで実際に何かが起こるわけではない。九年間というまだ短い人生ながら、その感覚で得したこともなければ損をした覚えもない。周囲の人に訴えたところで、なのは自身が『なにか』を具体的に把握していないために曖昧な表現をする他なく、不思議そうな顔をされて終いである。

 自身にも周囲にも何ら影響を及ぼさず、感じてどうなるわけでもない無意味なもの。

 『なにか』を察知する感覚とはその程度のものだった。自分には何の取り柄もないと思い込んでいるなのはにとっては、当然の認識だったのかもしれない。

 だからこそ、その感覚が意味を持つ日がやってくるとは、想像だにしていなかった。

 

 

「え……?」

 

 いつものように学校の宿題を早々に片づけ、夕飯も風呂も終えてそろそろ寝ようか、とパジャマに着替えている時だった。

 唐突になのはの胸の奥がズキリと痛んだ。

 

「な、なに?」

 

 不規則に、二度、三度、四度……。最初の一度よりも弱かったが、断続的になのはの胸が疼きを上げる。

 治まる様子のない疼きになのははたまらずベッドに倒れ込み、体を抱くようにして胸を押さえた。

 自分はどこか身体の具合でも悪いのだろうか?

 母が好んで見ているドラマに、不治の病に侵された少女の話があった。少女は発作が始まると苦しそうに胸を押さえ、丁度今のなのはのように倒れ込んでしまうのだ。

 そんなことを考えて震えるなのはだったが、そうではないと気付くのに時間はかからなかった。

 

(これ、もしかして、いつもの感覚……?)

 

 疼きにも少し慣れ、冷静になってみれば、いつもの『なにか』を察知する感覚に近いことに気付く。ただ、それが今までにないくらいに強く感じたために、痛みのように錯覚してしまったらしい。

 胸の疼きを無視して、一度なのははベッドから降りてみる。やはり特に異常はなく、ふらつくこともなく立ち上がる事が出来た。

 いつも通り『なにか』を感じてしまっただけ。

 しかし、今までとは違うのは、『なにか』が近くにある感じがすることだった。その方向さえもはっきりと知覚できる。

 ここでなのはに二つの選択肢が生まれる。

 今までと同じく、意味がないはずの感覚を無視して何事もなかったかのように過ごすか。

 今までにない感覚を頼りに、『なにか』を探してみるか。

 窓の外を見る。当然ながら外は真っ暗で、小学生が出歩いていい時間ではない。

 

(でも……っ!)

 

 しばし逡巡した後、なのははお気に入りの上着に勢いよく手を通す。それから足音を潜めて階段を下り、そっと玄関の戸を開けた。このとき、暗い中を出歩くという不安と罪悪感は、何かが変わるかもしれないという期待と、変わりたいという無意識の焦燥に塗りつぶされていた。

 家族に見つからずに家を出ることに成功したなのはは、街灯に照らされた夜道を早足で歩く。

 春も半ばとはいえ、夜は少し肌寒い。パジャマに上着一枚では心もとなかったが、未だ治まらない胸の疼きが寒さを忘れさせた。なのはは少しずつ『なにか』に近づく気配を感じながら、何の意味もないと思っていた感覚に頼るとはおかしな話だと頭の片隅で思う。

 それでも頼ったのは、たぶん、何かを見つけたかったからだろう。何の取り柄もない自分が変われるような、都合のいい何かを。

 

 

『何の取り柄もない自分』

 ある種自虐的な――あるいは早熟な――その考えは、普段、なのはの表面に現れることはない。ただ、ふとしたきっかけで自覚することがあるものだった。

 難しい問題を先生に質問されて、すらすらと答える友達を見たとき。

 剣術に打ち込む家族を見たとき。

 あれがしたい、あれになりたい、と将来の展望を輝いた目で語るクラスメイト達を見たとき。

 そうした光景を見るたびに、なにもできず、何がしたいかもわからない自分を目の当たりにすることになった。そして、そんな悩みをなのはは誰かに打ち明けることもなかったために、やがて自分には取り柄がないという思い込みにまで成長させてしまったのだ。

 それはなのはの迷いの象徴であり、無力さの自覚だ。

 

 

「痛っ!?」

 

 無心に歩いていたなのはの手に突如として痛みが走った。木の枝に指先を引っ掛けてしまったようだ。軽く擦った程度だが、少しだけ血がにじんでいる。

 と、そこで辺りを見回して初めて気づく。いつの間にか道を外れ、木々に囲まれていることに。

 街灯の光も届かないところにまで入ってしまったらしく、わずかに差し込む月明かりだけが頼りなくなのはを照らしていた。

 

(……ここ、どこだろう……?)

 

 なのはの顔色がたちまち悪くなる。

 ここまで夢中で来たために、どうやってここまで来たのか、どの方向から来たのかも思い出せないのだ。

 迷子を自覚したなのはの不安を煽るように胸の疼きが増す。

 そうだ、『なにか』を追ってきたのだから、それから離れる方向に向かえば帰れるかもしれない。

 頭に浮かんだその名案は、しかし採択されることはなかった。

 理由は、その『なにか』の源を見つけてしまったからに他ならない。視線をあちこちへやっていたなのはの目に、一瞬だけ蒼い輝きが映ったのだ。その瞬間だけ胸の疼きが強くなったのは気のせいではない。

 胸の疼きに押されるようにして、なのはは蒼い輝きが見えた場所に近づく。目を凝らして見ると、一本の細い木の根元に小さな石が無造作に転がっていることが分かった。

 あるいは宝石だろうか。それは蒼く、植物の種子のようなひし形をしていた。どういう原理なのか、月の光が当たっているわけでもないのに、時折かすかに輝きを発しているようにも見える。

 そして、目の前の宝石が目的のものだと訴えるように、なのはの胸の疼きが増していた。

 

(これが……いつも私が感じていた『なにか』なの?)

 

 なのはは蒼い宝石を見つめたまま、ごくりと唾を飲み込む。

 これを手にすれば何かが変わるのだろうか。なのはが考えるのはそのようなことばかりで、既に帰り道のことは頭からすっかり抜け落ちていた。

 もしかしたら、自分はずっとこれを探し続けていたのかもしれない。そんな錯覚さえ感じていた。

 と、そのとき。

 

「――――それに触っちゃダメだ!」

「……っ!?」

 

 突然聞こえた声に、なのはは咄嗟に()()()()()()()。どこか妖しげな輝きを放つ宝石に、いつの間にか吸い寄せられるように手を伸ばしていたのだ。

 自覚せず取っていた自分の行動と鋭い制止の声に、なのはが驚いて硬直していると、背後で砂利を踏みしめる音が耳に届いた。なのはの胸に疼きとは別の動悸が走る。

 

「あの……驚かせてごめんなさい」

 

 しかし、思っていたよりもずっと柔らかな声音をかけられ、硬直の解けたなのはは慌てて振り向く。

 そこに立っていたのは、一人の男の子だった。

 色素の薄い金髪と、動きやすそうではあるがどこか異国めいた衣装。年はなのはと変わらないくらいだろう。女の子と見間違えそうな可愛いらしい顔立ちに、申し訳なさと若干の戸惑いを浮かべていた。

 そんな少年を見て、なのはの胸がほんの小さなざわめきを上げる。

 恋のざわめきというわけではない。不思議なことに、いつもの『なにか』を少年に対してもわずかながら感じているのだ。しかもそれは、蒼い宝石に感じるものとも、また少し違うような気がしてならなかった。

 

「どういうことなのかな……?」

「え?」

「あっ、ううん! なんでもないの!」

 

 思わず疑問が口に出てしまい、なのはは慌てて誤魔化す。

 

「えっと、それで君は……?」

「ジュエルシード……その宝石は僕の落し物なんです。ずっと探していて……」

「そう、なんだ」

 

 『なにか』を感じる蒼い宝石を、同じく『なにか』を感じる少年が探していたのだと言う。

 単なる偶然とは思えなかったが、彼の所有物だというならば、まさか奪うわけにもいかない。ああも必死になって静止したのだ、他人に触れられたくないようだったし、相当大事なものなのだろう。

 後で色々話を聞きたいなと頭の片隅で考えつつ、なのはは素直に宝石の前を譲った。

 

「そういうことなら、どうぞ」

「ああ、うん……ええっと……」

 

 しかしどういうわけか、少年は困った顔で宝石となのはを見比べるばかりで、宝石を拾おうとしない。

 なのはは不審に思い、どうしたのか……と声をかけようとした途端。

 

「ぅ、あ……!?」

 

 ドクン、と。

 一度だけ心臓が大きく脈動し、胸の疼きがひと際大きくなった。

 最初に痛みと錯覚したときよりも更に大きい。

 痛みというより熱さ。気持ち悪い汗が額から滲み出る。胸を押さえた手は震え、ついには呼吸さえも困難になり、なのははこらえきれずに膝をついた。

 視界の端で蒼い宝石が強く輝いているのが映る。あるいは意識まで朦朧としてきたのだろうか、その宝石が独りでに宙に浮いているようにも見えた。

 

「しまった! 暴走が始まった!?」

 少年が何か叫んでいるようだったが、なのはの耳には届かない。気付けば宝石を中心にして、なのはたちの周囲を轟々と風が渦巻いていた。まるで宝石が風を集めているかのよ

うに。

 

(違う……風だけじゃ、ない……?)

 

 おぼつかない意識の中でなのはは気付く。

 風と一緒に、『なにか』が宝石に向かって集まっていることを。

 宝石に感じている『なにか』が膨れ上がっていることを。

 そして膨らみが頂点に達したと感じた瞬間、集まっていた風が一気に逆流してきた。

 

「――きゃあ!?」

「危ないっ!」

 

 次の瞬間にはなのはは吹き飛ばされ、それを庇おうとした少年もろとも地面に倒れ込んだ。

 

「くっ……。大丈夫!?」

「う、うん。ありがとう」

 

 なのはは少年の問いに半ば反射的に答えながら、胸の疼きが少し落ち着いたのを感じ取った。少年に身体を起こすのを手伝ってもらい、なのはは胸の奥に未だくすぶる熱を外に出すように深く息を吐く。

 

「なに? いったい何が起こったの?」

 

 特に返答を求めてはいなかったが、思わずなのはの口を突いて出た言葉。

 

「ごめんなさい。説明している暇はなさそうです」

「え?」

 

 そう答えた少年の目はなのはではなく、宝石があったはずの場所を捉えていた。なのはもつられてそちらを見る。

 大きな影。

 最初、なのははそう思った。

 しかし、木の影などではないと気付くのに時間はかからなかった。

 その黒い影は光源など関係なしに蠢き、血のように真っ赤な目を夜闇に爛々と輝かせているのだ。不定形に姿を変える中で時折口のようなものも覗かせ、唸りとも叫びともとれる音を発してなのはの身を竦めさせる。あんなに大きな口では、子どもくらい頭からひと飲みにできるだろう。

 そして、不思議なことに、宝石に感じていた『なにか』と全く同一のものをその黒い影に感じるのだ。

 

(宝石が、黒い影に変わっちゃった……?)

 

 突拍子もない考えだったが、なのはの胸の奥から湧き上がる感覚がそれを肯定しているように思えた。

 と、なのはが混乱と恐怖に固まっている間に、黒い影は動き始める。

 なのはの何倍もありそうな巨体で地面を跳ね、急速にこちらへ向かってきたのだ。

 

「ひゃ!?」

 

 こんな巨体に押しつぶされてはたまったものではない。

 咄嗟に目を閉じるなのは。しかし、来るであろう衝撃に身を固めていても、なにやらいつまで経っても何も起こらない。

 そっと目を開き、なのはは目にした光景に息を呑んだ。

 

 ――見えたのは、不気味な影とは対照的な、柔らかな若草色の輝き。

 それから、薄金色の髪をした男の子の、小さな背中。

 

「ぁ…………」

 

 どこか幻想的な雰囲気が漂う光景に、なのはは驚愕とも感嘆とも取れない吐息をついて、尻餅をついたまま呆然と見上げるしかなかった。

 

「大丈夫。あなたは僕が守ります」

 

 少年の言葉で意識が戻る。庇われたのだ、と理解して顔面蒼白になりかけるが、よく見ると彼は怪我を負った様子もなしに影を受け止めていた。

 より正確に言えば、なのはの見た若草色の輝きが二人の周囲を覆い、影の突進を受け止めていたのである。

 そしてその若草色の輝きからも例の『なにか』を感じて……。

 

(あ、ははは……。一体、一体、もう、何が起こってるのぉ!?)

 

 今日何度めの驚愕なのか。驚きを通り越して乾いた笑いさえ浮かんでくる。

 なのはの頭の中はもうパンク寸前だった。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 ユーノ・スクライアが『第97管理外世界』――現地住民に『地球』と呼ばれているこの世界に降り立ったのは、ある落し物を探すためだった。

 危険指定遺失物の一種、ジュエルシード。

 全部で二十一個あるそれは、それぞれに願いを叶える力が宿っている。

 そう聞くととても便利で有用な代物に思えるが、実際は真逆。歪んだ形で願いが叶ってしまうことが多いし、叶うと同時に暴走を始める可能性も高いのだ。暴走が始まると、内包する強大な魔力に任せて周囲を無差別に攻撃したりと、普通の――現地の人間には手がつけられなくなってしまうだろう。

 また、暴走の規模は、所有者の願いの強さによっても変化する。自我の薄い虫や小動物などであればまだ暴走の規模も小さく済むが、強欲な人間が手にとって願ってしまえば、災害と呼べる規模の暴走が起こってしまいかねない。最悪、この世界の存続すらも揺るがしかねないほどに。

 そんな危険物を回収することこそがユーノの目的であり、使命だった。

 全ては、自分の責任が故に。

 

 だからユーノは、見つけたジュエルシードに現地住民と思しき女の子が手を伸ばしているのを見て、咄嗟に叫び声を上げていた。触れてすぐ暴走するとは限らないが、しないとも言いきれないのだ。

 そうして間一髪、女の子による暴走を阻止できた……と思った矢先、ジュエルシードが独りでに暴走を始めてしまった。

 ジュエルシードは内蔵魔力が不安定なため、封印処理を施していなければそれ単体でも魔力暴走を引き起こす可能性がある――――資料で読んだ情報を今更ながら思い出し、ユーノは歯噛みした。こんなことなら、現地住民の見ている前だからとためらわず、さっさと封印を施すべきだった。

 暴走体が黒い影のような形を取り、襲いかかってくるのを見て、ユーノは咄嗟に【プロテクション】を使用した。ユーノの出身世界の技術である『魔法』、その中の防御系統に属するものだ。術者の周囲を覆う膜によって敵の攻撃を防ぐことができる。

 現地住民に魔法を見せるのは本来ならまずいが、事この状況に至ってはそうもいっていられない。どんな世界、どんな状況だろうと、人命こそが最優先だ。少なくともユーノはそう信じている。

 ユーノは防御魔法を維持しつつ、背後に庇っている女の子をちらりと見やる。彼女は胸を押さえたまま呆然と座り込み、この状況についていけてないようだった。

 

(まずは彼女を安全な場所に避難させないと)

 

 あなたは僕が守ります。

 安心させるためとはいえ、ずいぶんと大見得を切ってしまったものだ。しかも改めて考えると結構恥ずかしい台詞の気がする。現地住民に被害が及ばないようにとやってきたのだから、守るのは当然のことではあるのだが。

 ともかく、ユーノは頭を捻って女の子を助ける方策を練る。

 まず思いついたのは、対象を一瞬で離れた地点まで移動させる『転移魔法』だ。

 しかし、辺りの地理を把握していない状態でそれを使うのは危険が伴った。

 上空数百メートルや、壁の中に転移する……などという極端な事故は、転移魔法の術式の中に組み込まれた安全機構のおかげで()()()起こらない。が、その安全機構は時間をかけて転移に集中して初めて確実に発動するものだ。

 実際、個人が転移魔法の発動をする際、術者がそれに熟達していない場合や転移距離が大きく離れている場合などは、詠唱したり印を組むなどして魔法の補助をとることが多いのだ。それこそ、数十桁に及ぶ長ったらしい座標を読み上げることさえある。

 防御魔法を発動しながら片手間に転移させようと思えば、正確な転移座標を知るための地理把握は絶対条件といえた。

 この世界に来て間もないユーノが周辺地理を把握しているはずもなく、気が急いていたせいで安全な活動拠点(ベースキャンプ)を設けることも怠っていた。そして、安全とは言えない手段を他人に施せるような性格でもなかった。

 したがって、転移という選択肢はない。

 

 ならばどうするか。

 断続的な攻撃の合間に防御魔法を張りなおしつつ、ユーノは思考を続ける。

 せめてこの女の子が簡単な移動魔法や飛行魔法でも使えたなら、自分が囮になっている間に逃がすこともできるかもしれない。しかし、この世界の住人が魔法を使えないことは、その文明に軽く触れただけでも明らかだった。

 いっそこのまま無力な女の子を守りながら暴走体を鎮めるか、と無謀な発想に行き着きかけたところで、ユーノの頭に閃きが走った。

 

(この子は魔法を使えない? ……そうか、だったら!)

 

 思いついた方法を試すべく、頭の中で術式を構築する。これから使う魔法系統はユーノが最も得意とする分野だ。防御魔法の片手間であっても、十分実用性のあるものができあがるはずだった。

 準備の整ったユーノは魔法発動のトリガーを引く前に、女の子に向かって声をかける。

 

「僕が()()()()()()()すぐにここから離れてください!」

「え? えっ?」

 

 女の子はわかっていないようだったが、説明している余裕はない。防御魔法が壊れそうだ。

 

「封時結界、展開!」

 

 ユーノの声と共に、足元に円形の魔法陣が発動。

 その魔法陣を中心に若草色の波紋が球状に広がっていき、辺りの様子が一変する。

 月明かりに薄く照らされていた藍色の空は夕暮れのように暗い赤に変色し、周囲の木々は所々で色素が抜け落ちた。郷愁、あるいは寂寥感か、色あせた絵画でも見ているような気分にさせられる光景だった。

 もしもこの事象を外から観察できる者がいたならば、この風景の切り替わりの境界をなぞればドーム状になることがわかっただろう。ユーノを中心にして周囲の木々まで覆い尽くしているのである。

 この現象はもちろん、たった今ユーノが使用した魔法によるものだ。

 

 【封時結界】。通常空間から指定した範囲の空間を切り取り、時間信号をずらす魔法だ。

 ずれた時間軸にあるその空間は、外――元の空間――からは基本的に認識できず、また内部への侵入も不可能。内部でいくら魔法を使おうと、結界を感知できない普通の人間にはバレないということだ。もっとも、結界内部でものが壊れた場合などは、結界を解除した際にも壊れたままになってしまうという欠点はあるが。

 また、結界にはいくつかの条件を付けることができる。

 たとえば、結界内部に残す生物をある程度絞ることなどだ。

 そこでユーノは、『魔力を一定量以上保有している存在』のみを内部に残す結界を張った。

 つまり、魔力を持っている自分とジュエルシード暴走体を残し、魔力資質のない現地の人間を結界の外に弾き出そうというのだ。弾き出された人間は通常空間にとどまることになり、きっと『少年と影の化物が忽然と消えた』と認識することだろう。

 あとは、今の出来事は夢だとでも思って立ち去ってくれればいい。

 そんな風にユーノが思った時だった。

 

「今度は木やお空の色まで変わっちゃった……」

「はい、結界魔法を張りました……か、ら……?」

 

 おかしい。女の子の声が聞こえる。

 勢いよく振り向くと、そこには地面に座り込んだままの女の子の姿があった。

 おかしい。結界はきちんと張ることができている。条件付けも問題ない。結界内にこの子を残すようなことはないはず。

 ユーノの思考が混迷し、停止する。

 

「どうして……」

「あっ、危ない!」

「え――――?」

 

 結界内に残されたのは女の子だけではない。

 黒い影、ジュエルシード暴走体。それに知性があるかどうかは甚だ疑問だが、ユーノの集中力の切れ目を狙ったように今まで以上に強い体当たりをしてきたのだ。

 

「う、あぁぁぁ!?」

 

 当然のように防御魔法は崩壊。遮るもののなくなった巨体が、口を大きく開けてユーノに襲いかかった。不定形な影は口の中に牙をも作りだし、鋭く尖ったそれをユーノに向けた。

 ガチン、と口が閉じられる。しかしその口の中には布切れしかない。

 崩壊した防御魔法が暴走体の突進力を僅かながらも吸収したため、狙いのそれた牙はかろうじてユーノの服の一部を破くにとどまったのだ。ただし、勢い余った巨体は容赦なくユーノの幼い身体を吹き飛ばす。

 視界が回る。身体中をすりむきながら地面を転がり、木に受け止めてもらう代償として頭を強く打った。

 しくじった。油断した。体中が痛い。頭がぼんやりとする。

 そんなことはどうでもよかった。ユーノは悲鳴を上げる身体を無理矢理に起こし、脳が撹拌されたような意識の中でその光景を目にする。

 

「ぁ…………」

 

 何のために今までその場にとどまったまま防御魔法を張っていたのか。当然、後ろにいた女の子を守るためだ。

 そして、ユーノという盾のなくなった女の子にはもう、身を守る(すべ)はない。

 暴走体はその赤い目で女の子を見下ろしていた。獲物を前にして舌なめずりをしているように、獲物の恐怖を煽るように、じりじりと距離を詰めていく。

 それにつられて女の子も尻餅をついた態勢のまま後ずさった。だが、そんなものは時間稼ぎにもなりはしない。すぐに背中が木に当たり、何の意味もない鬼ごっこが終わりを告げた。

 ユーノは何もできない。頭を強く打ったためか、意識が定まらず、どうにも魔法に集中できない。これから起こるだろう惨劇を見ていることしかできない。

 ふ、と。暴走体に追い詰められた女の子がこちらのほうを向く。

 向けられるのは助けを求める視線か、恨みの声か。それともただ泣き喚くだけだろうか。

 ユーノは怯えた。責められるのが怖かった。

 しかし、どれも違った。

 女の子は、ユーノに向かってこう叫んだのだ。

 

「今のうちに、早く逃げて!」

「……え?」

 

 一瞬呆然としたユーノが女の子の顔を見返した時にはもう、彼女は暴走体へと向き直っていた。その横顔には涙の気配すらなく、きっ、と強い眼差しで『敵』を見据えていた。

 その上、暴走体の気を引こうというのか、足元にあった石を投げつける始末だ。もちろん暴走体にそんなものが効くはずもないが、煩わしそうに身をよじらせて、一瞬だが歩みを止めていた。狙いは完全に女の子のほうに定めたようだ。それを見た女の子は更に石を投げ続ける。

 聞き違いでも何でもない。女の子は、本気でユーノを逃がそうとしているのだ。

 

(なのに僕は……こんなところで何をやってるんだ!)

 

 倒すべき敵にやられて。守るべきはずの女の子に守られて。

 それで何も感じないほど、ユーノは冷徹であるはずがなかった。情けなさと恥辱に顔をゆがめる。

 激情に駆られたから、というわけでもないだろうが、女の子が時間を稼いでいる間に少しだけユーノの思考がクリアになってきた。

 

(足は動く。立ち上がれる。魔法は……簡単なものならなんとか使える、はず。いや、使ってみせる)

 

 これ以上回復を待つ時間の猶予はない。見れば、女の子は四つ目の石を拾い上げたところで、暴走体ももう一動作で女の子を呑みこめる位置にいる。

 逼迫した状況でユーノは高速で思考する。どうすればこの状況から女の子を助けられるか、どの魔法を使えばいいか。今更防御魔法を使っても状況の打開には至らない。結界を張り直す時間も集中力もない。何か別の方法を…………

 焦れば焦るほどに考えがまとまらくなったユーノだが、ふと、女の子が手に握った石ころが目に留まる。それはそこらに落ちている普通の石ではなかった。

 赤くて丸い、小さな石――――否、宝石。

 ユーノはその宝石をよく知っていた。なぜならそれは、もともとはユーノの持ち物だったからだ。

 そして、閃く。

 

(そうだ……結界内に残されたということは、あの子は魔力資質を持っているんだ!)

 

 思いつくが早いか、ユーノはすぐさま術式を編み上げた。

 女の子はもう抵抗のしようがない。暴走体はいよいよ大口を開け、鋭く尖った牙を女の子に突き立てようと――

 

(間に合って――――ッ!)

「【チェーンバインド】!!」

 

 その叫びと共に、暴走体に鎖が襲いかかる。それは身体中に巻き付き、暴走体の動きを封じた。

 間一髪。女の子のまさしく目と鼻の先で暴走体が停止する。

 そんな魔法の発動と結果を見届ける間もなく、ユーノは震える足で立ちあがり、声をかけた。

 

「早くこっちへ! その石は持ったまま!」

「っ、うん!」

 

 混乱の波は通り過ぎたのだろうか。女の子は目の前で静止した暴走体には見向きもせず、戸惑いも躊躇いもしないでユーノの指示に従ってくれた。

 

「ひとまずアレから離れよう。あまり時間は稼げないし……」

 

 魔力で出来た鎖で縛りあげ、対象の動きを封じる魔法【チェーンバインド】。

 ただし、魔力や術式を練り込む余裕がなかったため、すぐに破られてしまうだろう。魔力の鎖は音を立てることはないが、既に鎖が軋んでいるのがわかる。

 

「肩、貸すね?」

 

 言うが早いか、女の子はユーノが答える前に肩を支えて歩き始める。彼女よりユーノの方が若干背が高いが、肩を貸すのに支障はなかった。

 ユーノはそんな状況を情けなく思う自分の心を治めて、森の奥のほうへと向かうように指示を出す。木々を障害物として、少しでも暴走体の歩みを止める算段だ。

 そうして時間を稼ぐ間に、対策を講じなければならない。

 密着した肩から伝わってくる熱を強く感じながら、ユーノは口を開いた。

 

「足は止めずに聞いて。さっき君が拾った石、レイジングハートっていうんだけど、持ってる?」

「これのこと?」

 

 女の子が最後に投げようとして握った赤い宝石、レイジングハート。

 これはもともと、ユーノが所持していたものだが、おそらく暴走体に吹き飛ばされた時に落としたのだろう。それを偶然、彼女が拾い上げるとは……運命めいたものを感じる、というのは少し大げさだろうか。

 しかし、ユーノの考えが当たったならば、それはやはり運命に違いなかった。

 

「時間がないから詳しい説明は省略するよ。――――君には魔法を使えるようになってもらいたいんだ」

「魔法…………私、が?」

 

 女の子は戸惑う。魔法の存在が信じられないというよりも、自分が魔法を使うということに驚いているようだった。

 

「うん。君にはきっと、魔法を使う資質がある」

「そ、そんなこといきなり言われても……」

 

 と女の子が言い淀んだとき、ユーノの感覚が【チェーンバインド】が破られたことを知らせた。同時に、木がバキバキと折れる音も聞こえてくる。暴走体が追ってきたのだろう。

 

「時間がない! 君が魔法を使えるようになればきっと……!」

「……どうすればいいの?」

 

 逼迫した状況を再認識して女の子も覚悟を決めたらしい。ユーノを見つめ返すのは、戸惑いや不安など窺えない力強い眼差しだ。

 それを見たユーノは、きっと自分の考えは間違っていないと確信を得ることができた。

 

「ありがとう。レイジングハートを握りしめて、目を閉じて心を澄ませて。僕の言葉をそのまま繰り返して言って」

「うん」

 

 女の子は手の中の赤い宝石を胸の前でやさしく握りしめた。そして二人は足を止めて呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。

 そうすると、どこか静謐な空気が二人を包み込んだ気がした。お誂え向きに木の葉の隙間から漏れる月明かりが二人の姿を淡く照らし出す。

 たった今この時だけ、この場は崇高な儀式を執り行う聖地となった。

 

「いくよ」

 

 すっ、と鋭く息を吸い上げ、ユーノは言葉を紡ぐ。

 

 

「――――我、使命を受けし者なり」

「わ、我、使命を受けし者なり」

「契約のもと、その力を解き放て」

「……契約のもと、その力を解き放て」

 

 風に揺れる木の葉が擦れる静かな音。しかしそれをかき消す無粋な轟音が近づいてきている。暴走体は障害物など気にせず、一直線にこちらに向かっているようだ。

 

「風は空に、星は天に」

「風は空に、星は天に」

 

 しかし二人は動じない。集中した二人の耳に、余計な音は届かなかった。

 

「そして、」

「そして、」

『不屈の心は、この胸に』

 

 少女が知らないはずの言葉。輪唱のように繰り返して言っていた言葉が、当たり前のように重なっていく。

 

『この手に魔法を!』

 

  バギィッ!

 

 ユーノたちのすぐ後ろの木が折れ飛んだ。二人のそばを風圧が駆け抜ける。聖地へと無粋な侵入者が足を踏み入れようとしていた。

 それでも二人の心には焦る気持ちなど浮かばない。絶望もしない。

 

『レイジングハート―――』

 

 周囲の場景など置き去りにして、ただただ集中して、二人は最後の一節を言い放つ!

 

『――――セット・アップ!!』

≪Standby, ready. Set up.≫

 

 女の子の手の中から光があふれだす。宝石が光輝き、天まで登るのではないかと思えるほど膨大な光を発していた。

 と同時に襲い来る影の怪物。抵抗する間もなく二人は撥ね飛ばされ――

 

≪"Protection"≫

 

 否、吹き飛んだのは暴走体の方だった。二人の周囲に薄桃色の膜が形成され、それに触れた暴走体が弾き飛ばされたのだ。その衝撃は影の身体を四散し飛び散らせるほどに強力だった。

 

「咄嗟に発動した自動防御でこの強度……それにこのとんでもない魔力量は……!」

 

 女の子の手の中にある宝石、レイジングハートは力強く光輝いたまま。それはユーノの考え通りに事が運んだことを示している。

 ただ、想定を遥かに上回るほどに大成功してしまった、というのがユーノの正直な気持ちだった。

 

「今のは……?」

「防御用の魔法、【プロテクション】」

 

 呆然とした様子の女の子にユーノは答える。今魔法を使ったのは彼女の力によるものだと。

 

「レイジングハートが自動で防御したんだ。君を守るために、君の中に眠っていた力、魔力を使ってね」

「私の中の……力」

「そう。見たところ、君はとんでもない魔力を秘めているようなんだ」

 

 言いながらユーノは油断なく周囲に目を向け、暴走体の動きを窺う。どうやら想像以上にダメージがあったようで、方々に散った自らの身体を回収するために触手のようなものを周囲に伸ばしていた。

 一瞬反撃のチャンスかと意気込みかけたものの、最優先すべきは女の子の安全だと思いなおす。

 それでもちゃっかりと自身へ回復魔法をかけていたが。これで身体の痛みもマシになるだろう。

 

「魔力だけあっても魔法は使えない。魔法に必要なのは、精神エネルギー。強い意志で願うこと。君ならきっと、それだけで身を守ることぐらいは簡単にできるはずだよ」

「そう言われても、どうすればいいのかわからないよ」

「頭の中で思い描いて。君の力を制御する、魔法の杖の姿を。そして、君の身を守る強い衣服の姿を!」

「うん、やってみる……」

 

 そう言ってからほとんど間を置くことなく、女の子の身体が光に包まれ、ユーノが目を細めたときにはもう白い衣服を身にまとっていた。

 そしてその手にはファンシーとメカニカルが融合したような形状の杖。その先端には、先ほどまで握っていたはずの宝石が大きさを増して鎮座していた。

 

「わ、わ……。すごい、変身したみたい……っていうには学校の制服みたいで有り合わせって感じなんだけど。これでいいの?」

「うん。ちゃんとできてるよ」

 

 少女に身に着けさせたのは、魔導師用の防護服とも言える【バリアジャケット】だ。その衣服自体が防御魔法のようなもので、最低限の防御として魔導師の戦闘には欠かせないものだった。

 そして少女の握る杖――レイジングハートの起動形態。これにより少女はレイジングハートの補助を最大限に受けて魔法が使えるはずである。

 

(よし、これで……)

 

 先ほど自動でプロテクションを張ったように、レイジングハートは自らの意思である程度の自衛ができる。これで女の子は自分の身を守るのに不足はないはずだ。

 説明しながら自身にかけていた回復魔法により、身体の調子もだいぶ良くなった。

 ここから先は……暴走体を相手にするのは、ユーノの役目だった。

 

「君はそのまま、自分の身を守ることだけ考えて!」

 

 そういってユーノは暴走体の前へと一人で躍り出る。

 彼女はまだ魔法に慣れていないために戦力にするには不安だ……という建前だが、実際は自身の責任感と少女を危ない目に合わせたという後ろめたさが彼女に頼ることを拒んでいるだけだ。

 

「絶対に……やり遂げてみせる!」

 

 うごめく暴走体を見上げ、勇気を振り絞って言った言葉はいかにも空々しく聞こえた。

 ユーノ・スクライアの死闘が始まる――――

 


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