とりあえずビールさえあれば生きていける。
高垣さんとの再会のきっかけとなった企画展が今日で終わる。当初は国宝が出るということもあり、連日の来館者数は凄まじいものであった。非番の学芸員や事務員も急遽出払わなければならない日が何日かあり、自分もサポートに回ったりした。
それもようやく終わり、今行っている借用して展示していた美術品を相手方の学芸員と調書の照らし合わせをしつつ検品する。それから美術品に問題がないことを確認してから梱包作業に移る。
破損させるわけには行かないので二人がかりで一つの襖絵を梱包し縛る。それからトラックまでを気を付けながら運ぶ。
トラックの近くには美術品専門を取り扱っている運送会社の美術品担当に引き継ぎ固定が完了するのを眺める。何度か点検を終えた後ようやく出発できるようになった。
トラックには、運転手、美術品担当運送員、相手方の学芸員が乗り込む。点検を終えたトラックが走りだし、去っていく彼らに向け礼をしてようやく全ての作業が終了した。
最後の作業を一緒にしていたゴリちゃんが大きく伸びをする。
「あぁぁぁ、やっと終わったぁぜ」
「そうだな。長かったな」
体を解すゴリちゃんを見ながら俺も一息つく。他所から借りての展示は自分の館の収蔵品を扱うよりも気を使う。特に輸送は最もリスクの大きい作業だ。
とはいえ、企画展も終わったのでこれから暫くは通常業務と論文作成のみで済む。
「なぁ航、やっと企画展も終わったし明日呑みにいかね?お前明日休みだろ?」
「あー、明日は無理だ。出掛ける用事があるから」
「航が休みの日に出掛けるだと?!」
「なんでそこで驚くんだよ」
「だってお前休みの日は何時もだったら一歩も外に出ずに過ごしてるだろ」
「まぁ確かにそんな日も多いが俺だって出掛けるときはあるぞ」
「ちぇ~、しゃーねーな。ぼっちで行くか~」
「今度一緒に行こうぜ」
「おうよ」
さて、明日の休みの日に出掛ける用事というのは高垣さんと会うのである。
二人とも仕事をしながらなのでメールを中心にやり取りをした。その結果、高垣さんが博物館を見てみたいと言っていたことから都内の国立博物館を回って、昼は近くのレストランでランチを取る予定だ。それから午後は、科学博物館をまわる。
俺は別にこれでもいいのだが果たして一般の人が博物館ばかりでもいいのだろうかと思い、高垣さんには聞いてみたのだが
『楽しみにしてます。色々教えてくださいね』
とのことで楽しみにしていてくれるようだ。
ちなみに夜は都内のレストランでとることになっている。居酒屋でもいいかと思ったがたまには別の場所で食事するのもいいだろう。
国立博物館の最寄り駅を待ち合わせということで、30分ほど前に到着する。
普段は私服を着るのが面倒なのでスーツ一択だが、流石に今日までスーツというのは失礼だろう。
ということで久しぶりにクローゼットを開けて適当に服を選んで最後にとりあえずカーディガンを羽織る。
出勤ラッシュを少し過ぎた時間を待ち合わせ時間にしたのでそれほど電車も混んでいなかった。
「小暮さん」
ふと名前を呼ばれて振り返る。そこには待ち合わせ時間には少し早いが高垣さんが立っていた。振り向いた俺を見た高垣さんは小さく手を挙げてこちらに向けて振る。それからもう一度俺の名前を呼んだ。高垣さんは淡い橙色のキャスケット帽子に白いブラウスにカーディガンを羽織り、黒のホットパンツといういでたちでホットパンツから覗く彼女の綺麗な脚線美に目を奪われる。
「小暮さん、お待たせしました」
「いえ、俺もさっき来たところです」
「ふふっ、そうですか。それにしても私服の小暮さんは珍しいですね」
そう言って高垣さんはまじまじと俺を見てくる。あまり変な服装をしていないとはいえこうも見られると恥ずかしい。
「あの、どこか変ですか?」
あまりにも高垣さんが見てくるのでつい聞いてしまう。
「いいえ、とても似合ってますよ。スーツ姿と作業着姿しか見たことなかったのでとっても新鮮に感じますね。それに私もカーディガンを羽織っているのでお揃いですね」
そう言って微笑む。何度見ても彼女の微笑む姿を見るとついこちらも頬が緩む。
「私服なんて着るのは久しぶりですよ。なので今日は久しぶりに部屋を引っ掻き回してきましたよ。それより少し早いですが向かいますか」
「はい。楽しみです」
まず向かうのは、東京国立博物館である。国立博物館は日本にはあと京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館である。自分も学生の頃よくここに来ていた。博物館に自分が勤めるようになってからは仕事以外では来ていない気がする。
駅から歩いて上野公園を通りながら東博へと向かう。都内の中でもここは道も広く車も通らない。周りには子供連れの家族が多い。そんな中を二人でゆっくり歩く。
交差点を渡り博物館の正面まで来る。券売機で二人分のチケットを購入し高垣さんに渡す。彼女は財布を出そうとするがそれを手で押しとどめてその手にチケットを渡す。
「ありがとうございます」
それから俺からチケットを受け取った彼女と共にゲートと越えて先に進む。ここに来るのは本当に久しぶりな気がする。
隣にいる高垣さんはここに来るのは初めてらしくゲートを過ぎてから物珍しそうに建物を見ている。
「私ここに来るのは初めてですが博物館って色んな形の建物があるんですね。この東京国立博物館はとても古そうですね」
「そうだね。東博の建物は色々あって昭和13年に建造された建物を今でも使ってるしね」
「そうなんですか」
「さて、中に行きましょうか」
「はい。案内よろしくお願いしますね」
そう言って彼女はにこやかな笑顔を浮かべて言う。彼女の笑顔は何度見ても見惚れてしまう。何度みても綺麗だと思う。
館内に入りまず目に入ったのが中央階段だ。大理石の幅の広い大きな階段が見える。俺も初めて見た時は驚いた。高垣さんを見ると彼女もこの大階段に目を奪われている。まるで昔の自分のようで微笑ましい気持ちになる。
「大きいですね。まるで映画に出てくるような階段ですね」
「うん。自分も初めて来たときはとりあえずすげぇとしか思わなかった」
「ふふっそうなんですか?そうだ。博物館で働いている小暮さんとしてはここの見どころはありますか?」
「え?そうだな」
不意に問われて少し考え込む。顎に手を当てつつ、階段を見る。それから視線を天井に向ける。
「どうですか?」
「いや、普通の人からするとどうでもいいことなんだけど、ほら、階段の天井部分の天窓があるじゃないですか」
俺はそう言って階段の上にある天窓を指さす。
「あれって本来は自然光をあの天窓から入れる仕組みになってるんだ。でも、ここで展示している史料達にとっては自然光の中にある紫外線が悪い影響を与えるので当てるわけにはいかないんだ」
俺の指さした場所にある天窓を高垣さんも見る。
「そうなんですか。でも、あの窓から見える光は自然光に見えますよ」
「そう。自然光に見える。でも、実際には、あれは人工光で出来るだけ自然光に見えるような紫外線を出さない特殊な蛍光灯を使ってるんだ」
「へぇ、そうなんですか。言われないと分かりませんね」
「すみません。こんな話されても面白くないですよね」
「いいえ、とっても面白いですよ。それに話している時の小暮さんは何だか生き生きしてますよ。本当に博物館の事が好きなんだなぁと思いました。ほかにもいろいろ教えてくださいね」
そう言って高垣さんは俺の手を掴んで歩き出す。ちらりと見えた彼女の表情は何処か楽しそうでよかったと思う。俺と手を繋ぎながら彼女は館内を進んでいく。
そして俺は彼女に一言言わなければならないことがある。
「高垣さん、順路逆です」
「あら?違ってましたか」
恥ずかしそうに振り返った彼女は小さく舌を出しながらニコリと微笑んだ。
気が付けば繋いでいたこの手。
せめてここにいる間だけでも放したくないと思った。
誰も博物館の裏事情とかどうでもいいよね。
でも書いちゃう