なぜ高垣楓がここにいるのだろう。慌ててベッドから立ち上がり呆然とする。
ベッドの中ではまだまだ彼女がすぅすぅと寝息を立てている。俺が立ち上がった事で捲れ上がった布団から彼女の細い腕が見える。少し暖かくなったとはいえ朝はまだ少し肌寒い。彼女は、寒さを覚えたのか小さく眉根に皺を寄せてベッドの上で猫のように丸くなった。その時にうなじが見え俺は柄にもなくドキリとした。
慌てて俺は目をそれして現実から目を逸らす。ああっ、今日もいつもと変わらない朝である。そして、目をベッドの上に戻す。高垣楓が眠っている。
やはり夢ではない。
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!俺は一体何をした!何がどうしてこうなった!?現実を直視し俺は頭を抱えて座り込む。あの夢は現実だったというのか?今では曖昧だが色々とやらかしていた気がする。不味い。これは非常に不味い。
俺は頭を抱えたまま唸る。
「あら、おはようございます。小暮さん」
俺が唸っている間に後ろから声がかかる。振り返るとベッドから身を起こしぺたりと座りこむ彼女の姿がある。その瞳はまだ眠そうに緩み毛繕いする猫のように目元を拭っている。その姿は彼女の独特の雰囲気と合わさり落ち着く。
「あ、おはようございます。ってそうじゃねぇ!あのですね。なんでこんなことになってんのかなぁとおもいまして」
「ふふっあらあらお忘れですか?」
「いや、どうも相当酔っていたようで記憶が曖昧で」
「あら、あんなことまでされましたのに」
そういう彼女は顔をポット赤く染めて口元に手を当てる。なんだその反応は!?ほんとあの時の俺は何をした!彼女の反応を見て俺は再び頭を抱える。そんな俺の様子を見て彼女は楽しそうに笑う。いやいや、アイドルと同衾とか笑い事じゃねーですよ高垣さん。
「もう、忘れてしまうとは仕方のない人ですね。私を連れてきたのは小暮さんですよ?お仕事の時とは違ってプライベートではとっても情熱的なんですね」
そう言って赤みに差した頬に両手を当てる。
「すいませんでした!」
ここまでくると最早俺にできることはひたすら謝り倒すのみである。土下座である。床に両手と膝を付き頭を下げる。
「あら何をされているんですか?小暮さんが謝る必要はありません。元々私が待ち合わせに間に合わなかったのが悪いのですから。それに居酒屋では飲めませんでしたがここで小暮さんと一緒にお酒を飲めたので私は満足しています」
そう言って彼女は再び笑う。
さて、俺が居酒屋で待っていた時に彼女が来なかったのは急遽仕事が入ってしまったそうだ。しかし、連絡先の交換をせずに分かれた為連絡の取りようがなかった。しかし、このまま行かないわけにも行かず仕事が終わるや否や彼女は事務所から居酒屋に向かったそうだ。そしてその道中に酔っぱらって帰る俺を見つけたらしい。かなり酔っ払った俺は彼女を家に誘ったようだ。約束をすっぽかしてしまったのでその埋め合わせという意味もあったが千鳥足の俺を放っておけなかったそうだ。本当にご迷惑お掛けしました。
「ふふっ本当は小暮さんをお送りしたら帰ろうと思っていたのですが一緒に飲もうって小暮さんにお誘いされたので私も飲みたくなって」
そう言って可愛らしく舌を出してウィンクする。
「それに一緒に飲もうって言ったのに先に飲んじゃってる小暮さんも悪いんですからね」
そうして彼女はこちらを見る。
「それはすまないことをしました」
「ふふっ許してあげます。あら?もうこんな時間ですか。早くしないと今日のお仕事に遅れてしまいますね」
そう言って彼女は机の上に置かれた時計を見る。俺もその視線を辿るように時計を見る。そろそろ俺も職場に向かわなくてはならない時間である。
「送ります。今日は車で行くので」
「そうですか?ではお言葉に甘えさせていただきますね」
俺と彼女はそそくさと身支度を終えて家を出る。車に乗り込み隣に彼女が座ったのを確認しアクセルを踏む。
「そういえば、一か月前に小暮さんと居酒屋でお会いした後に一人で事務所の近くにある居酒屋に行ってみたんです」
「そうなんですか」
「はい。お料理もお酒も美味しかったのですが何だか少し物足りませんでした」
「はぁ、というと?」
「私もなぜなのか考えてみました。以前小暮さんと会ったときとの違いを考えたら、あの時はあなたとお話をしていたからいつもよりとっても楽しかったと気づいたんです。それで取材の時にまたお会い出来た時に、これは是非ともまたご一緒したいと思いました」
そう言って助手席に座る彼女はとびきりの笑顔で俺に微笑む。
「ですが、殆ど初対面の私と今日のように家で飲むというのに何と言いますか危機感といったものはなかったのですか?」
と問いかけると、彼女はそうですねとつぶやいた後
「小暮さんとなら大丈夫かなと思いまして。これでも人を見る目はあるんですから」
あまり勘違いしてしまうようなことを言ってほしくはない。おそらく俺は耳まで真っ赤になっているだろう。それから取り留めのない会話をしつつ高垣さんを事務所へと送る。
二十分ほどで彼女の務める事務所に到着する。
「送迎ありがとうございます」
車から出て助手席のドアを開けて彼女を見送る。事務所に向かう彼女を見送ってから車に戻る。サイドを外し周囲を確認する。
「小暮さん!」
不意に名前を呼ばれた。声のしたほうを向くと小走りで戻ってくる高垣さんの姿が見える。そのまま車の隣まで駆け寄ってきた。
「あのこれを」
そう言って彼女は手に持った紙を差し出してきた。メモ帳のページをちぎったようだ。
そしてそこには、彼女の連絡先であろうアドレスと電話番号が書かれている。
「これは?」
「また、小暮さんを待ちぼうけさせる訳には参りませんからね。私の個人の連絡先です。大事にしてくださいね」
そういうなり彼女は来た道を戻っていった。俺は彼女から受け取った手紙を手にしたまま走り去る彼女を再び見送った。
それから、しばらくして気を取り直して車を出す。
博物館に到着し事務室に向かう。
「おっすー」
事務室には、何人かの同僚と企画展示のために早めに来ているゴリラがいた。
「ういっす。今日は朝から機嫌がいいな、航」
「まぁな」
ゴリラには軽く手を返答する。自分の席に着き鞄を置く。始業時間まで少し時間があるので今のうちに高垣さんの連絡先を登録しておく。こちらの連絡先を相手は知らないのでメールに電話番号を添付して送信する。
送信してスマホを机に置く。するとすぐに着信があった。開いてみると送り主は高垣さんだった。
『連絡先お送りくださりありがとうございます。これでまたお会いすることができますね。これからよろしくお願いします。
それと、食事はしっかりととってくださいね。お酒とカップ麺ばかりでは体調を崩しますからね』
どうやら酒ばかりの冷蔵庫とストックされているカップ麺を見られていたようだ。スマホを眺めながら俺は頬が緩む。
「なにスマホ見ながらにやけてんだ?なんかいいことでも?」
席が隣のゴリラにその様子を見られていたようだ。
「なんでもねぇよ。さてそれより仕事の時間だ」
俺はスマホを机に置き腕時計を外した。
さて、最後の腕時計を外す意味ですが、学芸員は貴重な史料を取り扱うため装飾品はご法度です。その為仕事の際には、身に着けている指輪や時計は外します。結婚指輪も外さないと史料を扱えないので、付け忘れた職員が家に帰って夫婦喧嘩の種になったりもします。
また、文書等の紙媒体の史料を扱う際には、清潔にした素手で触ります。よくテレビで見るような手袋をして文書を扱っている人はにわかか素人です。