そして夕方、優雅な午後のティータイムを過ごしていたおばさま方がお帰りになって、ここからはもうそれほど混まないだろうという時間帯、片づけをしながらのんびりした空気が流れ始めたところでドアベルが鳴った。
「こんにちはマスターさん。お約束通り連れて来ましたよ」
「初めましてテンチョーサン。ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦二番艦、リットリオです。よろしくお願いしますね」
「初めましてリットリオさん。こちらこそよろしくお願いします。店長が呼びにくかったらヒデトでも何でも呼びやすい呼び方で良いですよ」
霧島さんが連れてきてくれたリットリオさんは、なんだかほんわかした優しそうな人だった。お互い自己紹介を済ませて握手を交わし、席に案内する。
初対面ではっきりわかるほど意気消沈とは感じられなかったが、案内するときにチラリと霧島さんを見ると軽く頷いで見せてくれたので、聞いていた通りなのだろう。
二人がカウンター席に着くと、すかさずほっぽちゃんがおしぼりとお冷を持ってきてくれた。リットリオさんは前もって聞いていたようで、一瞬驚きこそしたものの大声を出すようなことも無く笑顔で受け取っていた。
「グラッチェ!えーと、ほっぽちゃん?」
「ドウイタシマシテ、ゴユックリドウゾ」
そう言えばほっぽちゃんが来てから、新しい艦娘が来るのは初めてだった気がするけど、受け入れられたみたいで良かった。今もこちらへ戻ってくる背中を見つめながら「かわいいですねー」とおしぼりで手を拭いながらつぶやいている。さて……。
「リットリオさん、霧島さんから今日はお任せでって言われてるんだけど、君もそれでいいかい?」
「はい!おいしいパスタが食べられると聞いてきました。楽しみです」
「まぁ、本場の人の口に合うかどうかはわからないけれど、腕を振るわせてもらうよ。それに、他の料理も用意しているから、楽しんでいってね」
リットリオさんとそんな会話を交わした後で、隣にいる雷にアイコンタクトを送る。雷もその合図に頷いてある飲み物を差し出した。
「まずは食前酒よ。イタリア語だと、あぺ……あり……」
「Aperitivo(アペリティーヴォ)ですね、イカヅチ」
「そう、それよ!とりあえずこれで喉を潤しながら待っていてちょうだい」
そういいながら雷が二人の前に置いたのは、ロングタイプのカクテルグラスに氷と共に入れられた黄金色の飲み物。上にはレモンスライスとミントの葉が浮かべてある。
「これは……もしかしてリモンチェッロですか!?」
「まぁ、なんちゃってなんだけどね。一から漬け込んで作ったものじゃなくてレモンシロップとウォッカ、ソーダで作ったカクテルみたいなものかな。でもシロップは自家製だから味は悪くないと思うよ」
そのなんちゃってリモンチェッロが入ったグラスを持ち上げて、しげしげと眺めるリットリオさん。そこへ霧島さんが声をかけた。
「それじゃあリットリオ、乾杯しましょう。そうね……マスターさんは半分鎮守府の関係者みたいになっちゃってるけど、あなたここの島民の方とお話しするのは初めてでしょう?だから、あなたの新たな出会いと、この島へようこそってところでどうかしら?」
「あらー、いいですね、いいと思います」
「ふふっ、では……」
チンとグラスを触れ合わせ、二人はゆっくりと口に運ぶ。
「んくっ……はぁ。これはおいしいですねー」
「ええ、さわやかなレモンの酸味がいいですね」
「良かった。それじゃさっそく一品目を持ってこようか」
そう言って厨房に戻って料理の準備をする。と言ってもスープとフォカッチャを軽く温めなおすだけだ。今日はちゃんとしたコース料理ではないのでアンティパストという訳ではないけれど、まずはこれを食べてもらっている間に、次のパスタを作るのだ。
「よし、それじゃ持っていこうか。雷はフォカッチャを持ってきてくれるかい?」
二人で料理を持って行く。その間ほっぽちゃんはお客さん二人のお話し相手だ。
「お待たせしました。フォカッチャとリボリータです。フォカッチャは岩塩・ハーブ・チーズの三種類。スープにつけて食べても美味しいですよ」
「まぁ!日本でフォカッチャが食べられるなんて!それにこのリボリータも美味しそうです」
「いろいろな具が入っていておいしそうです。さあ、いただきましょう」
リットリオさんはまずスープの香りをかいでから、スプーンを使って口に運んだ。そして「ふはぁ」と色っぽいため息をつくと、続いてフォカッチャへと手を伸ばす。
一口サイズに千切ったそれをしっかり噛みしめてから飲み込むと、それまでリットリオさんのことをじっと見つめていた霧島さんに話しかけた。
「キリシマ、グラッチェです。私が落ち込んでるのに気が付いて連れてきてくれたのですよね。こうして艦娘として生まれ変わって初めてイタリア料理を食べたのですが、とてもおいしいです。ふふっ、イタリア生まれなのにおかしなセリフですね」
そう言って笑うリットリオさんに霧島さんも笑顔で返す。確かに普通に聞いたらおかしなセリフかもしれないけれど、この店で同じような気持ちになってきた子達を見てるからね……おいしいって言ってもらえてうれしいよ。
そして、リットリオさんはこちらを向いて話を続けた。
「ヒデさん。とてもおいしいお料理です……もしかしたら本国の人が作るものはまた味が違うのかもしれないですけど、私にとってはこれが故郷の味になりました」
「ありがとう、そう言ってもらえてよかったよ。ただ、できればあったかいうちに食べてくれるともっと嬉しいかな」
彼女の言葉に、俺はスープを指さしながらちょっと茶化して言った。だってなんだか照れくさいじゃないか。なので、彼女が「そうですね」と言って食べるのを再開したのを見て、次を作ってくるよとその場を離れた。
さーて、次はパスタだ。しっかり手の込んだものを作ってもいいんだけど、今回は家庭料理でって注文だったので、俺が知っている中でも一番シンプルで簡単なパスタを作ることにした……とは言え、果たしてこれが家庭料理として食べられているかはわからない。ただ、あまりにも材料も少なくシンプルなので、多分作っているんじゃないかとは思う。
で、そのパスタって言うのがカチョ・エ・ペペというパスタだ。材料はパスタ・ペコリーノチーズ・黒コショウの三つだけという圧倒的な単純さ。ただし、それを美味しく作るのは難しい。
俺もモノにするまで何度か失敗しているし、師匠の味にはまだ届いていないと思う。同じ材料を使っていても、チーズの分量や混ぜる時のゆで汁の量、混ぜ方なんかで全然違う物になったりするんだよね……
そして、一応ペコリーノチーズについて説明しておくと、羊の乳から作られる、塩味の強さとヤギよりは軽めの風味が特徴のハードタイプチーズだ。
チーズに関しては、深海棲艦侵攻の前はチーズ需要の高まりを受けて、北海道などの酪農が盛んな地域では大小多くのチーズ工房が自慢のナチュラルチーズを作っていた。
その後深海棲艦の侵攻を受けて、飼料用の穀物輸入が滞りチーズに限らず酪農、畜産と大打撃を受けるのだが、最近何とか盛り返してきて販売される商品も増えてきたところで、ここみたいな離島でも何とかこういうナチュラルチーズを手に入れることができている。
閑話休題。で、カチョ・エ・ペペの作り方なんだけど、太めのパスタをいつもより少なめの塩加減で茹でていく。その間に、ボウルにおろしたペコリーノと粗びきこしょうを混ぜておいて、茹で上がる前にほんの少しパスタのゆで汁を入れて混ぜ合わせて、ソース状にしておく。
パスタが茹で上がったら、鍋から直接トングなどを使ってパスタをボウルに移して、その時に一緒に入ってきた水分と、ソースが良く混ざり乳化するよう空気を入れながら混ぜ合わせる。混ざったらお皿に盛って完成だ。好みで更にコショウを振ってもいいと思う。
「お待たせ、今日のパスタはカチョ・エ・ペペです、どうぞ」
スープを食べ終わり、フォカッチャをつまんでいた二人の前にパスタを盛った皿を置く。すると、それまでぽやぽやしていたリットリオさんが「これは……」と驚きの表情を浮かべた。
「リットリオどうしたの?」
その表情に霧島さんも驚きながら声をかけた。
「いえ、ごめんなさい。実はあの時私に乗り込んでいたマリーナの皆さんが食べていたものと同じだったので驚いてしまって……あの時はなんてお料理なのか名前もわからず見ているだけだったですけど……そうですか、これを食べていたのですね」
と、そこまで言ってフォークにパスタを絡ませて、一口。
「ああ……おいしいです。これはチーズとコショウと……」
「それだけだよ、チーズとコショウだけで味付けしてるんだ……あー、えーっと……俺が言うのもなんだけど、戦時中の厳しい軍務の合間に手早く作れるものってことで、この料理に祖国を求めていたのかもしれないね」
「ええ、そうかもしれませんね。でもなんだか嬉しいです。こうして祖国の味を知ることができて……また作ってもらえますか?」
「もちろん。いつでも言ってくれ」
ちょっとしんみりしちゃうかと思ったんだけど、それ以上にかつての乗組員の人たちが食べていたものと同じものを食べられたことが嬉しかったようで、笑顔で食べ進めていた。
そしてその後も、リットリオさんは霧島さんや雷、ほっぽちゃんと他愛ない会話を交わしたり、食後のコーヒーを味わったりしながら、ゆっくりと流れる夜の時間を楽しんでいった。
ちょっとマイナーなイタリア料理をいくつかお届けしました。
今回のパスタをイタリア海軍が食べていたかどうかは分かりませんが
お読みいただいたように少ない材料で作れるので
何回かは食べていたんじゃないかなーなんて……
お読みいただきありがとうございました