仕事が、多い。
本当に仕事が多い。
ここは、天界における私の職務室。
私ーー女神エリスは、不慮の事故で亡くなった人を別の世界へ転生させたり、女神として勇者にチートを与えたりーーということではなく、ただただ目の前の書類に追われている。
本来ならこの書類は、二人でやるものなのだが。
どうやらもう一人はどこかへ行っているようで……。
「あっ! ごめんね、エリス。ちょっと今日は気になってた漫画の新刊が発売されてて……」
「ちょっとセンパイ! まずはそこに座ってください! お説教をします!」
こんな感じでセンパイこと、水の女神アクアの後始末を主に任されていた。
「だいたいセンパイはまた勝手に下に降りたりして……。まずは女神としての自覚をしっかりとですね……。ちょっとセンパイ? さっきから手元で何をして……」
「ねえねえ見てエリス。さっき貰ったレシートで、折ったの。これがさっきの国で最も有名な山ーーFUJISANよ」
「ちょっと何を遊んで……っ、 真っ白な紙だったのにどうして色がついてるんですか……。しかもすごい綺麗ですし……」
渡されたものをまじまじと見ると、一枚の紙から出来たとは思えない立派な山がそこに。
本当にセンパイの手はどうなっているんだろうか。一回じっくりと見させて欲しい。
「いや、そういうことじゃなくて! まずは遊ぶ前にこの書類をなんとかしてください!」
「えー。面倒なんですけど。私としてはこの漫画の続きが気になるから、早く読みたいんですけど」
「ダメです! 私はとっくに自分の分は終わらせているんですから! あとは全部センパイの分です!」
そう言って、センパイの脇に手を入れ、そのままズルズルと机の前まで引っ張る。
女神の仕事は基本毎日あるものだ。放っておいたら増えるし、漫画を読んでいる場合ではない。
むすっとした顔で自分の机に座らされたセンパイに、まずは一枚の紙を渡す。
「えっーと。なになに神器作成願い……? 『激化する魔王軍との戦いにおいて、転生する冒険者に与える特典を増やして欲しい』なるほどねぇ……。ならこれはこうしましょう! どんな魔法もどんな剣技も耐えられる鎧を作るの! そうね、ただの鎧だと面白くないし、ここは冗談もユーモアも喋れる鎧にしましょう!」
「ダメです! そんなのダメですセンパイ! 別に鎧は喋らなくて大丈夫です! センパイは思い付きで何でも作る癖はやめてください! これは大事なものなんですから!」
そもそも喋る鎧なんて実戦じゃ使うことが出来ない。潜伏してる時に喋られたら、潜伏している意味がなくなってしまうからだ。
「えー、エリスってばわがままなんだから。じゃあ次ね。えっーと『近頃、アクシズ教徒がエリス教徒の教会に押し入って、入信書を自分たちのものとすり替える事件が発生。それに伴い両宗教のトラブルが多発。なんとかすること』だって。これぐらい別に良いんじゃないの? 」
「ぜんっぜん! ぜんっぜん良くないですセンパイ! なんですかその悪質な手口は!?私の信者が減るからやめてください!」
近頃、教会でアクシズ教徒をよく見かけたのはどうやらそのせいらしい。
「でもねエリス。エリスのところは国教だからってチヤホヤされすぎだと思うの。だからほんのちょっぴりでいいから分けてくれても良いと思うわ」
「だからイヤです! だいたいセンパイのところはあんなに少ないのに、私とほぼ変わらないぐらいの力じゃないですか! あれだけ熱烈な信者でしたらもう良いじゃないですか!」
国中がアクシズ教徒で溢れかえる……。センパイの教義がダメなわけではないが、そうなったら国が滅びそうな気がする。
「もうっ、エリスってばわがままばっかりなんだから。あれもダメこれもダメって、そんなの全部ダメじゃない。どうすれば良いのよ」
「それはセンパイがもっと真面目に考えるということで……」
「でも私としては真面目なつもりだったんですけど」
あれで……真面目……。
慣れたとばかり思っていたが、感覚の違いに未だに驚く。
いやいや、センパイとしては一生懸命だったんだ。
それがちょっと空回っちゃただけで、真面目に今もセンパイは頑張って……。
その証拠に、今も頬を膨らませながら、センパイは新たな仕事に取り組んでいる。
センパイの目線が紙の上をいったりきたりする。
頭を何度も動かしてなんとか読んでいく。
そして手に持っていたペンをかちゃりと置き、ため息をついたあと、ひと言。
「良いことを考えたわエリス! それはね、あとは全部エリスが頑張るということで! それじゃあまたね!」
「何を逃げようとしてるんですか! 絶対に逃がしませんからね!」
「うっ、うっ、エリスがぁ……。エリスが私のことを苛めるぅ……。あっ、あんなに必死になって追いかけてこなくても良いじゃない……!」
「それは……っ、はぁ…………。はぁ…………、センパイが……っ、全力で走っていったからで……」
逃げたセンパイをなんとか捕まえ、再び連れ戻してきた。
「ねえエリスったらあんなに体力があったかしら? この前まではすぐに体力が無くなってたから逃げやすかったと思うんですけど」
「それはセンパイが何回も逃げるからだと思います」
最近は足も早くなってきた気がする。これも全部こうやって何度もセンパイが逃げるからである。
……なんとも嬉しくない成長だ。
「ほらほらセンパイ! あともうちょっとですから! 頑張りましょう! 頑張ったら後で楽しみにしてた漫画を読んでも良いですから」
「私、楽しみは後にとるより先に味わいたいんですけど」
わがまま言ってるセンパイを無視して、少し薄くなった書類の束から紙を渡し。
監視する目的もあって、センパイのすぐ隣に座る。
すると、そのセンパイの机に置いてあった漫画が目に入る。
何となく気になったので、それを手に取り……。
「あれ? センパイってば少女漫画なんて読むんですね。どちらかといえばこういうのはあまり読まないかと思ってたのですが……」
ペラペラと適当にページをめくり、流し読みをする。
どうやら、仲の悪い幼馴染の二人が、様々な経験を得て、幼馴染から異性として互いに意識していく……というありがちな物語らしい。
私としてはこういうベタな話は好きだ。
……というか一つだけ気になったことが……。
「……センパイって今まで誰かを好きになったことがありますか?」
何でも無さそうに、そんなことを聞く。
センパイは驚いたのか、目をぱちくりと瞬かせ。
「……逆にエリスはあると思うの? 男の人もいないのに?」
…………そういえばそうだった。
少し人間の女の子みたいにガールズトークでもしようかと思ったけど。
そもそも、ここにいるのは二人の女神だけだ。他の天使たちは性別すらない。なのでそんなことはもちろん起きるわけなく。
「エリスってばたまにどこか抜けてるところがあるわよね。でも、私はあんまり考えたことはないわ。よく分からないし。漫画読んでる方が楽しいもの」
えぇ……。
「で、でもこう、あったら良いなって思うシチュエーションとか好みのタイプとかは……!」
「そ、そんなこと聞かれても……。私パンをくわえて走ったら男の人とぶつかるとかしか思い付かないんですけど……」
それはどこか古い気がする。
「あとは好みのタイプって言った? でもそう言われてもねぇ……。強いていえば、私のことを養ってくれて、ちゃんと働いて、ズルいことなんてせず誠実で、他の女の人にふらふら惑わされないような人がいいわね。そういう人なら好きになってあげてもいいわ」
……いったいそんな人がどこにいるんだろう。
それに、女神としての勘だけど、たぶんセンパイはその真逆のような人を好きになるような気がする。性格的に引かれ会うというかなんというか……。
「でもなんだかセンパイにしては意外ですね……。あまりセンパイがこういうものを読むイメージがなかったので……」
「そうねー。私も普段読むのはバトルだとか、そういうものが多いんだけど、この前何となく寄った場所で読んでたら面白くてね。そのまま気になっちゃって買ったのよ。エリスもたまには古本屋とかに行ってみたら? 楽しいわよ」
「待ってくださいセンパイはどこへ行ってるんですか! 女神! 女神なんですよねセンパイは⁉」
その世界の地域の人に混じって、立ち読みをする女神……。そんなことは後にも先にもセンパイしかやらないだろう。自分はもちろん出来ない。
この事がどうかバレませんように……と祈っていると、ペンをカタリと置いたセンパイが、手を上に伸ばし。
「んーっ! おわったー! ねえねえこれで終わりでしょ! じゃあ、じゃあ……!」
「はいはい。分かりました。ちゃんと終わったようなので読んでも大丈夫ですよ。はいどうぞ」
まるで宿題を終えてゲームをしていいか聞く子供のように、はしゃぐセンパイ。
こういう感情豊かで可愛らしいところはセンパイらしいと思う。私も少しは見習いたい。
「んー! こう、仕事が終わったあとの時間は格別ね! あとはお酒とおつまみなんかがあったらもっと良いんだけど……」
「センパイってばたまにおじさんみたいなこと言いますよね……」
本当にこんなに美人なのに、ところどころ言動が残念な時があるセンパイ。でも、こういうところがいろんな人に好かれる原因なのかも……。
仕事を頑張ったセンパイのために、お茶を入れてあげる。
ふと見るとセンパイは、笑いながら漫画を読んでいて。
…………どうして恋愛漫画なのに笑っているんだろう。
静かな部屋に、センパイが紙をめくる音とお茶を飲む音が響き渡る。
こうやってセンパイといる時間は何だかんだで好きだ。
やっぱり、センパイといるとどこか楽しい。
考えてみればセンパイとはかなり長い付き合いだ。
仕事を突然任されたり、センパイがやらかしたことなのに、なぜか私も一緒に始末書を書かされたりしたり。そんなこともあるが、センパイとの毎日は楽しい。
まるで子供を見守る母親のように、センパイとはそんな関係だ。
でも……。
たまに、どこか退屈そうにしている時もある。
珍しいことだが、ぼーっと下界を見ていたり。楽しそうな人たちを見て少し微笑んだり。
下界へ降りて漫画を買いに行くのも、退屈を紛らわすためなのかもしれない。
センパイには笑っている顔が一番似合う。いつも笑っている方がセンパイらしい。
いつか、いつかーーセンパイをここから連れ出してくれる人が来て。
センパイと冒険して、はしゃいで、泣いて、笑ってーーそんな素敵な仲間がいつかきっと、きっと。
ああ。でもそんな人がきたらちょっとだけ嫉妬しちゃうかもしれない。まるで親離れを惜しむ親みたいだ。
あり得るか分からない未来を願っていると、だんだんとまぶたが重くなってくる。
ーー未来のセンパイがどうか笑っていますように。
微睡みながらそんなことを考えていると、意識がしだいにボンヤリとしてきて…………
…………
………
……
…
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こんにちはエリスです。
女神です。
仕事がイヤです。
目の前に山積みになった書類に頭を悩ませながら、頭の中で謎の自己紹介をする。
どうして……どうしてこんなにも仕事が……。
それもこれも全部理由はハッキリとしているのだが。
ここは天界における私の職務室。
誰もいない、ただ紙をめくる音だけが聞こえる。そんな場所。
もう一人がいないのは、ただ遊び呆けてるというわけではない。いや、センパイなら今も遊んでそうだけど。
長い時間座っていたので、どうも腰が疲れてしまった。なのでんーっと手を上に伸ばし、リラックスする。
ふと横に目をやると。
そこには終わった書類と共にいろんなものが無造作に置かれている。
最近は忙しくて片付けも出来ていないな……。これだとセンパイにも『エリスってば私がいないとほんとだらしないんだからー!』って言われてしまう。
……考えたらセンパイのドヤ顔が目に浮かんできた……。
そんな顔を思い出しつつ懐かしんでいると、丸い透明な水晶が目に入る。
しばらく使っていなかった、下界を見るための特別な魔道具。もちろんこれはここにしかないものだ。
何となく、魔力を込めてみる。
水晶が淡く光り、しだいにその中の映像が鮮明になってきて……。
見覚えのある姿がだんだんと現れてくる。
長い髪に、青い瞳。
元気で、活発で、笑ったセンパイの姿がそこに。
本当にまったく変わっていない。むしろここにいた頃より元気そうで相変わらずだ。
その隣には、緑に、黄色に、赤に。
様々な色が隣にいてくれて。
いつか願った光景が、今現実となっている。
「…………良かった」
ここにいたときよりも、今の方がよっぽどセンパイらしい。
少し戻ってきて欲しい寂しさもあるが、借金を背負って、頑張って働いて、お酒を飲んで騒いでる方が嬉しいと思うのはわがままだろうか。
「…………ふふっ」
ーーきっと、きっと。それで良い。それで良いのだ。
センパイがこれからもずっと笑顔でいますように。
女神が願い事をするという可笑しなことに苦笑しつつ、お茶を飲もうと湯飲みを手に取るとーー。
「エリス様! エリス様! 最近、とある人に対しての蘇生回数がおかしいと問題になっておりーーっ!」
「そうですよねそうですよね! センパイがいるんだからゆっくりなんか出来ませんよね! ああもうっ! 今度あったらやっぱりセンパイはお説教です!」
アクエリだこれ!(書いてから気づく)