1話
―――1945年 ドイツ ブランデンブルク
男は、空を仰ぎ、嘆いていた。
空を埋め尽くさんばかりの銀の翼。降り注ぐ黒い粒。
我々に抵抗する術はもう無い。敗北は決していた。
男は、技術者であった。世界一と言われたこの国の技術に誇りを持っていた。
何処で間違ったのだろう。あの時、空を飛んでいたのは黒い十字だった。
手元の銃に目をやる。ワルサーPPK、我が国の名銃だ。これならば動作不良の心配はない。忠実にその役目を果たすだろう。恐れはない。数十秒後には同じ結末が待っている。
‥ただ、一つ思い残す事があるならば。あの黒い十字の飛ぶ姿をもう一度でいい、目にしたかった。
「ジーク・ハイル!!」
その建物に響いた一発の銃声のすぐ後、その街に轟いた数え切れない程の爆発が全てを掻き消した。
―――20XX年 北海
寒い。凍るようだ。
これが死んだという事か?いや、それにしては妙だ。確かに、冷たいぼんやりとした空間を漂っている今の状態はいかにも死んだようだが、どうにもそうは思えない。
手を動かしてみる。感覚があった。同時に少し体が動いた気がした。
生きている?もしやここは水の中か。私は感覚のあることを不思議に、しかし有り難く思いながら光の差す方へ進んだ。その途中、何か大きなモノが沈んでいくのが見えたが、それが何かまでは分からなかった。
「プハァッ!...ハァ..ハァ..」
水面へ出た。激しく息を吸う。周りには波以外なにも見えない。
やはり死んではいないのだ。そうなるとこの状況は‥遭難か?あの状況からどうやって?記憶には一切無いし、理由も思いつかない。
それはそうと、この状況は厄介だ。どういう訳か死んではいないのだが、このまま寒中水泳を続けていれば、じきに力尽きてしまう。
「何たることだ‥。」
私は驚いた。思わず口をついて出た声がまるで女、いやむしろ子供のように甲高かったのである。
顔に触る。体を見る。無駄に手足に何度も触る。
ひとしきりそうした後、私は一つの結論に達した。生前、というよりは前世というべきだろうか。その体とは全くもって違ったのである。
やけに大きな頭、細い手足、小さな体。まるで人形のようだ。身につけている服も、いつの間にかセイラー服になっている。
何なのだ、これは。少なくとも人間ではない。生まれ変わったにしても珍妙な姿だ。これならばヘルヘイムへ旅立っていた方がまだマシだったかも知れない。‥とりあえず寒中水泳をする必要は無かっただろう。
‥駄目だ。足がもう動かない。目が霞み始めた。さらに変な音まで聞こえてくる。低い連続した音。まるでエンジンの様な‥。
エンジン?そうだ、これはエンジンの音そのものだ。近くを飛行機が飛んでいるに違いない。朦朧としていた意識が急に鮮明になる。
私は空へ意識を向けた。私の耳がおかしくなったのでなければ、確かにこれはエンジンの音だ。飛行機はどこだ?‥見つけた。あれだ。
3発のパラソル機、おそらく飛行艇だ。この目がよく見える事に感謝しつつ、無我夢中で声をあげた。
「助けてくれ!!ここだ!おーい!!」
その声が届いたのか、それとも向こうが見つけてくれたのかは分からないが、飛行艇は翼を振った後、近くへ飛沫を散らしながら着水した。
紐の付いた浮き輪が投げられた。私は残る力を振り絞ってそれに掴まる。
「大丈夫か!?しっかりしろ!」
引き揚げられながらかけられた言葉はドイツ語では無かったが、何故か理解できた。
私を助けてくれたのは、よく分からない頭の大きな者達だった。
安堵からか、意識が薄れていく。しかしその時、私はしかと見たのだ。
翼に堂々と描かれた、黒い十字を―――。