私たちは走った。人里からしばらく離れたところの山間の道を走り、丘を越えて人里が遠く見える位置まで逃げてきた。
おそらくここまで来れば、大丈夫だろう。そう判断し、私は倒れこむ。心身ともに疲労が限界であった。
こいしも同じように倒れこむ。二人で一緒に逃げてきた幻想郷だけどこういう終わり方って辛すぎる、けどこいしと一緒なら…
そう思い、こいしの手をぎゅっと握る。そして…私たちは眠りについた。
◇ ◇
気が付くとベッドの上にいた。天国…にしては散らかりようがひどく、地獄…にしては、割かしきれいな場所であった。
周囲を見回すと、何かの実験に使っていたのだろうガラス器具?や怪しい薬品も沢山あり、ここが普通の家ではないことがわかる。おそらく、この家の主に運ばれたのではと鈍い頭で考えつつ、私はふと近くにこいしがいないことに気付く。
「こいし…は…?」
ふと体をベッドから起こすと、体の脱力感が半端ではないことに気付く。それでも、こいしを求めて部屋の中を移動していると、突然部屋のドアが開いた。
目の前には頭に猫耳を生やした少女が立っていた。髪は赤色、服装は緑色を基調としたゴスロリ服というのだろうか? お尻の部分から二本の尻尾を生やしている。
うろ覚えの頭でその少女を観察していると、「さとり様!」と言いつつ、慌ててその少女は私をベッドに戻す。
「あなた、誰…?」
「今はそんなことはどうでもいいですから、しっかり寝てください!」
そう言われ、私はベッドへと寝かされる。
「こいし…は…?」
「こいし様は、お向かいの部屋のベッドで寝させています!ご安心を!」
そう告げると、その少女は優しく微笑んだ。この家の住人なのだろう、私は感謝の言葉のべ、もう限界であるこの体と共に再び眠りについた。
◇ ◇
まぶしい光を受けて再び、目を覚ました。おそらくもう昼下がりになっているのだろう。
私はまだ虚脱状態の中、再び部屋の中を歩き回る。こいしは…向かいの部屋にいると確かあの少女は言っていた。壁伝いにもつれる足を動かし、部屋の入り口、そして部屋の向かい側へと移動する。
そして、入口へと手をかけた瞬間、目の前の扉が勢いよく開き、私はその扉に頭を打ち付ける。強烈な痛みが頭を襲うのと同時に、
「あああああ!!」
と向かい側から声が聞こえた。扉を開けると先ほどの少女が土下座の姿勢で固まっているのがわかった。
「…」
「…」
お互いに無言のまま、時間が止まる。
と同時に、中から「お水~…」というこいしの声が聞こえた。慌てて扉を開けると、こいしはゆっくりとした調子で水を飲んでいた。
「お水~…うま~…」
その様子を見ると同時に私はその場で崩れ落ちる。こいしが生きていた、その事実にほっと胸を下すと同時に緊張の糸が解けた。と、同時に土下座の少女が慌てて抱きとめる。その一連の光景にようやく気付いたこいしは、慌ててこちらへと駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん…、大丈夫?!」
心配そうにのぞき込むその姿に、私は思わず涙せずにはいられなかった。
◇ ◇
感情が落ち着いたのを見計らい、とりあえず家の中にある物で腹ごしらえをした私たちは突然目の前に現れた少女について尋ねていた。その少女はおそるおそるといった感じで自己紹介を始める。
「私は…先日の「火車」です」
その言葉に私たちは一瞬思考が止まる。え…?、「火車」って猫の姿をしていたような…。
「私たち…というか猫は長生きしてある年月を超えると二又の妖怪になります。そして人語を話したり、人型に成れたりするんです」
なるほど、それならばこの姿にも納得がいく。だが、なぜその件の火車がここに…?
「私は…、貴女方に迷惑をかけてしまいました…。いくら『火車』の本能として動いていただけだったとしても、結果的に貴女方をこのようになるまで…、また人里から追い出すまで追い詰めてしまった。その原因は少なからず、私にもあると思うのです」
目の前の少女は淡々とだがはっきりと自らの行いについて述べていく。その肩は少なからず震えているように見えた。
「ですから…その罪滅ぼしという形で構いません。どうか、私を貴女の傍に置いて頂けないでしょうか」
少女の涙を浮かべたその真剣な眼差しに私は身じろぎをする。そして、ゆっくりと息を吸って吐いた後に、確認するように少女に声をかける。
「その言葉に嘘偽りはないわね…?」
「はい!この身が滅ぶまで貴女様と一緒にいる所存です」
大げさなその言葉に私は思わずふっと笑う。そして、目の前の少女に対して、手を伸ばす。
「こんな…甲斐性もない不幸だらけな私たちだけど、それでも一緒にいてくれるのなら貴女を歓迎するわ。よろしくね、「火車」さん」
その言葉に感激したのか、目の前の少女は大粒の涙をボタボタと落とす。そして差し出されたその手をしっかりと握る。
「ああ~!、お姉ちゃんだけずるい!」
そう言うと、こいしもその上から手を重ねる。その仕草に私たちはキョトンとしながら合わせて笑顔を作る。久しぶりに感じる人伝いの温もりは温かく、私たちはしばらくの間その手をずっと握っていた。
◇ ◇
私たちの調子も元に戻り、新たに「火車」が私たちの仲間となってから、ひと月が過ぎようとしていた。
私は、ふうと息をつき、部屋の整理から腰を上げた。この家は、人里から遠く離れた森の中に位置しており、本当にこの家以外、周りは森という最悪な立地だ。
そのため、陽の光もほとんど入ってこないが、人里から隠れ住むにはもってこいの場所ではあった。
そして…人里から追手の方は来ていないらしく、私たちは新たな日常の生活を送っていた。ただ一点、心残りを残して…あの銀髪の女性は大丈夫なのだろうか。以前、聞いたことがある、「私は白沢と人間のハーフ、半獣人だ」という言葉を思い出す。おそらくあの夜、私たちの脱獄を手伝うために半獣人と化し、あのような姿になったのだろう。だが、捕縛されてしまっては銀髪の女性へと戻ってしまう。そうなってしまったら彼女は…。いや、彼女はこのようなことでへこたれはしない。きっと生きている、いまはそう信じよう。
自分に言い聞かせるように、私はその煩悩を振り切る。そして、食料調達へと向かったこいしと「火車」について思いを張り巡らせる。
「火車」は思った以上に手が器用で、家事、選択、炊事まで一通りこなすことができていた。彼女曰く、猫時代に厄介になっていた家庭がキッチリしていたからだと言っていた。ただ、元が猫なので熱いものは舌が苦手らしい。猫舌は、妖怪化しても残る物なのだなとある意味での新しい発見ができたが、料理の時は私かこいしが味を見るようにしていた。
食料調達へと向かった帰りを待つ私は部屋の整理を始める。この家は、目覚めてから一通り探索してみたが、どうも住人はいないようであった。「火車」が倒れこんだ私たちをここに運んだ時にもすでに住人はいなく、もぬけの殻であったらしい。そのため、急遽使えそうなベッド類や食器類を片っ端からかき集めて私たちを匿ったとのことであった。
私は未だに片付けられていない本や書類、そしてガラス器具に目を向ける。中にはもう腐敗が進んでいて、読めなくなっている文字やよくわからないグロテスクな液体が保存されている瓶があり、この家の住人のズボラさを物語っている。が、その前の住人がここで何をしていたのかは手に取るように分かった。…魔法だ。本や書物には至る所に魔法陣が書かれており、ある本にはある液体を混ぜるとこのような物体が出来上がる、そのレシピが事細かに記されていた。その半狂乱ともいえる熱中ぶりの様子は、この住人が居なくなった後も健在であるかのように分かった。
私は机の上にある書物に書かれているページをめくる。するとそのページが書きかけのまま止まっていることに気付いた。そしてその書物にはこぼしたであろう何かの液体の跡が残っている。その液体はこぼしたときにすぐに拭き取らなかったのだろう、そのページの下のページにまでその液体は染みこんでいた。よっぽど急いでいたのだろうか。それとも、この本の作成者は何かに呼ばれて家から出て行ったまま、戻ってきていないのだろうか。
ふと、そんなことが脳裏をよぎった時、背後に気配を感じた。私は、ふと振り返るとそこには…誰もいなかった。気のせいか、そう思ってまた視線を元に戻すと…「ばあっ」と驚かせるように目を開いた女性の顔があった。
私は一瞬、心臓が止まりそうなほどの衝撃を覚えたが、すぐさまそれが見知ったものであることを思い出す。
「…紫様、お久しぶりです」
そのそっけない答えに、目の前の女性は怪訝な顔を見せる。
「今は、誰もいないようだから驚いてくれても良かったのに…」
そう言って、不機嫌そうな顔を募らせる。私は平常心を保ちつつ、彼女の思惑を探るべく「第三の目」を発動させた。が、彼女の心は読めなかった。
「残念、私にはそれは効かない。心のスキマは与えないのがモットーなのでね♪」
さっきとはうってかわってご機嫌な様子の目の前の道化の女性を、私は見定める。果たして、この人はいったい何しに来たのだろう?
「今回は、貴女に謝罪しに来た、というのが正しいかしらね。でも、ちょうどあの子たちも帰って来たみたいだし、待ちましょうか」
そう言うと、彼女は玄関付近の窓を指さす。そこには、籠いっぱいに山菜やキノコを摘んだ火車とこいしの姿があった。
◇ ◇
時刻は夕暮れ時、暮四つになろうとしていた。窓からはうっすらと夕焼けが差し込み、周囲の森はうっすらと赤く色づく。
その最中、急な来訪者に火車とこいしは落ち着かない様子でいた。私と紫様は対面するように机に座り、火車とこいしは私の横の席に腰掛ける。
「さて…先ほどの続きだけど、今日来たのは他でもない貴女たちに謝罪をしに来たのよ。私も知らなかっとはいえ、里に妖怪を嫌う層が残っていて、貴女たちに対してそんなことを考えていたとは…、私の判断ミスね…、本当にごめんなさい」
そう言って、彼女は頭を下げる。その謙虚な態度に彼女の本心が現れているのだとわかり、私は顔を上げてくださいと彼女に応える。
「結果、私たちは里から追い出されてしまいましたが、私は里で私やこいしを慕ってくれる人間とも出会えましたし、貴重な体験もさせて頂きました。それこそ、私の人間像が変わるくらい、素敵な時間であったと思います。一部の人たちが私たちを嫌うのも…、この幻想郷では仕方のないことだと思います。でも、いつかはきっと分かり合えると私も信じています。ですから、前を向いてください。妖怪の賢者様」
その言葉に、妖怪の賢者はスッと前に向き直る。その目には少しばかりの涙が浮かんでいた。
「本当に強いのね…、聞いていた通りだわ」
そう言うと、彼女は一人の人から伝言を頼まれたと言い、私たちに伝える。「私は、大丈夫だ。気にせずに、自分たちの今を生きろ」
その言葉が、誰のものか瞬時にわかり、私とこいしは思わず感激する。「生きていた」その事実に私は感謝せずにはいられなかった。瞳に涙が浮かぶのを必死に堪えていると、目の前の女性はハンカチを渡してくれる。そのハンカチで目じりの涙をぬぐったのち、私もしっかりと前を見据える。自分たちの今を生きるために。
その表情が急にしまったものになるのを確認すると、目の前の女性はゆっくりと口を開いた。
「さて、ここからは少しお時間を頂くけどよろしいかしら?」
その言葉に、私や火車、こいしも驚いたように見合わせる。
「そこまで身構えなくてよいわ。少し、この家とこの「森」について説明しようと思ってね」
そう言うと、目の前の女性は話し始める。幻想郷にはかつて「魔女」がいて、その魔女が隠れ住んでいたのがこの家だった。そして、その魔女はとあることがきっかけでこの家を去ったらしい。現在、彼女がどこにいるのかその行方を知る者はいないが、この家は少なくとも魔法の類はかかっていないため、私が住む分には問題ないという。
私もここに住み始めてからの疑問点があったが、今の説明で納得した。そして、目の前の女性は「森」について語り始める。
この森は「魔法の森」と呼ばれ、陽の光が差さないほど日中でも薄暗い気候をしている、そのため、常に湿気を含み植物が育ちやすい環境にあるらしい。そして厄介なことにこの地に「魔女」が住んでいた影響からか、この森には魔力を帯びた植物も多いとのことだった。それこそ、突如襲ってくる植物もいるかもしれないとのことで気を付けるようにとのことだった
それを聞いて火車とこいしは納得といったように頷く。
「…実は先ほどもキノコを摘んでいたらいつの間にか目の前に口を大きく開けたような植物に襲われかけたりしまして…」
「…私は、歩いていたらいつの間にか来た道とは違った道に出てたかなぁ」
…こいし、それは迷子になってない? と心の中でツッコミを入れるが、それを聞いた目の前の女性はフフッと微笑む。
「何にせよ、危険な森だから用心するには越したことはないわね、だからと言ってすぐに代替の家が用意できるわけではないから、この家に住んでもらうことになるけど…」
そう言うと、目の前の女性は神妙な面持ちとなる。
「大丈夫ですよ、先ほどの説明でこの森や家については分かりましたので…、不自由かもしれませんが私たちは私たちなりに生きてみようと思います」
目の前の女性は、その私の言葉に一瞬逡巡したような表情を見せると、フッとした表情を見せる。
「それじゃ…これからの運命は、貴女たちに任せるわ。貴女たちのその先の未来に光多くあらんことを」
そう言うと目の前の女性は席を立つ。そして、彼女の背後大きく空間が開き、人一人通れるくらいのスキマを作る。
どうやら今日はこれでお開きらしい。私は、その空間に消えていく女性に声をかける。「紫様、ありがとうございます!」
その声が届いたのか彼女は一度私の方を振りむく。そして、私に一つ目を閉じると嬉しそうな表情のまま、スキマに消えていった。
◇ ◇
紫様が去り、まるで嵐が通り過ぎたように静まり返った室内がそこにあったが、緊張の糸が解けたのか、火車とこいしはふうっと声を上げ、椅子にもたれかかる。
私も心持ち、穏やかではないが、それでも自分なりに生きるという目標を掲げることができた。それに向かって、今はただ突き進んでみようと思う。きっとそれが銀髪の女性や里でお世話になったものへの精一杯の恩返しになると思うからだ。
私は先ほど火車とこいしが採ってきた山菜やキノコ類に目を通し、夕食の献立を決めようとする、…が、そこには一冊の本と共に走り書きが一つ置いてあった。
「ここにある食材の食べれるものとそうでないものの見分け方♪」と書かれたその走り書きと本は、いつの間にと思うほど巧妙であったが、私はその世話好きな妖怪に改めて感謝の言葉を心の中で呟くのであった。