新世代と島村兄 作:凧山葵
「進路希望の紙は、来週までに提出してねー! 出さないと夏休みに学校に呼び出して書かせるわよ!」
先生の半分ふざけた口調の脅しに、席に座る生徒たち一斉に不満そうな声を上げる。
期末テストも終わり夏休みまであとわずかなせいか、教室には浮かれ半分緊張半分な雰囲気が流れていた。でも夏休み明けになると受験が現実化してくるから、とても張りつめた空気になるらしい。卯月にそう聞いた。
「よし! 連絡事項はここまで! じゃあ起立!」
先生の元気な声に、生徒たちは応えるように素早く立ち上がる。いるよね帰るときだけ元気な人。
「礼! じゃあ、解散!」
その言葉と同時に、同級生たちは帰宅するためにわらわらとドアを出ていく。
私もその流れに乗るように教室から出ていく。
薄青いコンクリートの階段を降りれば、すぐに下駄箱が見えてくる。
少し周りに気を配れば、男子生徒たちが進路希望の話で盛り上がっていた。どこに行く、いやお前どこも行けねぇだろと中身もない会話だけど楽しそうに見えた。
下駄箱から靴を取り出して、じりじりと汗を滲ませる気温の外に出た。
空を見上げると、青い空を背景に太陽が眩しく輝いていた。
光の強さに思わず手で遮りながら、ふと思った。
ーー私は何がやりたいんだろう。
私は不愛想で特技もない。物事に興味を持つことも少なかった。
自分が何かすごいことが出来るとは思ってない。
だから実家の花屋を手伝ってる時は、こんな道も悪くないと何となく思ってた。
でも最近は少し考え方が変わった気がした。
それは約一月前のこと。
卯月に出会ってからだった。
卯月は夢はアイドルになること。そう聞いている。
そのためにアイドル養成所に通ってレッスンを受けている。
でもアイドルとしてデビューするには事務所に所属しないといけないらしい。だから卯月は、そのために事務所のオーディションを何回も受けたらしい。
でも結果はすべた落選。卯月は笑い話にしてたけど、その時はとても悔しかったと思う。
普通なら挫折してもおかしくない険しい道だ。証拠に同期のスクール生はみんなやめてしまったらしい。
それでも卯月は折れない。一人だけになっても夢を追うことを諦めない。
そんな姿が、私にはとっても輝いて見えた。
地球を照らしている太陽のようにキラキラとしていた。
いつでも笑っていて、頑張って、すごいと思った。
だから私は自分に聞きたい。
ーー私は何がやりたいの?
ーー何が出来るの?
ーー本当に今幸せなの?
空は快晴なのに、私の心には雨雲がかかった。
◇
私は家には帰らずに寄り道したい気分だった。友達の付き合いで寄り道することは何回かあったが、自分の意思でしたいと思うのは初めてだった。
初めてのことは少しだけ心が踊る。そういえばそれでコーヒーの時は失敗したなと、軽い笑いが込み上げてくる。今でもあんな苦いものをそのまま飲めるのが信じられないほどだ。
でもそのあと飲んだチョコを混ぜたコーヒーは私の好みだった。カフェモカと言うらしい。甘さの中にほんのりとした苦味が心地いい味を出していた。
最近じゃコンビニでも扱っている店舗があったが、寅晴の淹れてくれたのとは次元が違った。勿論下という意味で。
「飲みたいなぁ......っ!」
思わず漏れてしまった言葉に、私はキョロキョロと周りを見渡した。人はいなかった。ほっと息を吐いて安心する。
気にすることでもないけど、やはり気恥ずかしかった。理由はよく分からないけど。
でも何だが心がモヤッとする。前も未央と会ったときに同じことが起こった。心がモヤッとしてなんかムカムカしてくる。未央が嫌いなわけじゃないから余計に混乱する。
ただ......。
「お店に行けば分かるかな」
私の寄り道先が決まった。
◇
少し歩くと、寂れてかなり年季の経った建物が見えてきた。下手をすれば開店しているかも判別出来ないが、一応やっている。
まだ開店まで時間があるけど、寅晴が開店時間前に来ていることは知っていた。というか卯月に教えてもらった。
卯月は寅晴のことになると饒舌になるので、たくさんの武勇伝を聞かされた。もしかしたら家族の次ぐらいに寅晴には詳しいかもしれない。でも気分は悪くない。
closeと扉には記されていたが、私は躊躇なく開いた。カランカランと軽快なベルの音が聞こえた。
中に入るとカウンター付近で、寅晴がコーヒーを飲んでぶつぶつと何かを言っている姿が見えた。おそらくコーヒーの研究をしているんだと思う。
開店時間前に開いたドアに、寅晴は驚いたようにこちらを見たが、私だと認識したとたん呆れた様子で。
「......すいませんねお客さん。開店時間はまだ先ですよ。まさか最近の中学生は時間の読み方も習ってないのか?」
失礼な。
「カフェモカ1つお願い」
「おいこらお客様。話聞いてやがりましたか? 開店時間まだ先だって言ってるだろうが。なんだ人の話聞かないスタイルなのか?」
「カフェモカ1つ」
「はぁ、ごり押しかよ。......しゃーない、我儘なお姫様の世話ぐらいしてやるか。適当に座って待ってろ。今淹れてやるから」
根負けした寅晴は渋々と椅子から立ち上がって、カフェモカを作り始めた。
悪いことしちゃったと、今になって反省してる。でも寅晴相手だとつい我儘を言ってしまう。
あれかな、卯月でいうお兄ちゃんに甘えるということなのかもしれない。
でも寅晴が兄っていうのもなんだか違和感があるな......。
「ほれカフェモカ出来たぞ。アイスでよかったよな?」
「うん。ありがとう」
「お、おお。渋谷が素直にお礼を言うとは予想外だった。いつもなら、1つか2つつっこみが入るのに」
寅晴の中で私の扱いはどうなってるんだろうか?
そんなに私つっこんでない。......と......思う。うん、多分してない。
でも確かに、いつもなら「この気温でアイス以外の選択肢があるの?」ぐらい言うかもしれない。
何年も付き合いのある知り合いでもないのによく分かるなぁ。見透かされてる気恥ずかしさと共に感心した。
熱くなった身体を冷ますように私はカフェモカを一気に飲み干した。
「あー、ストローもあるんだが......」
......先に言ってほしかった。
唇に付いたコーヒーを自由に取れる紙で拭いた。ちなみに恥ずかしさで味があまり分からなかった。でも甘みだけは何となく感じた。
私は恨みがましく寅晴を見た。
「バカ寅晴」
「これ俺が悪いのか? どう考えても先走ったお前のせいじゃね?」
「言うのが遅い方が悪い」
「はぁ......。へいへい俺が言うのが遅れたのが悪かったよ」
寅晴は何だかんだ、こちらが押せば引いてくれることに最近気がついた。
卯月も喧嘩は1度もないと言っていたし、お兄ちゃんの宿命みたいなものなのかもしれない。いつも卯月に譲ってきたんだと容易に予測がついた。......やっぱり寅晴ってシスコン?
「なんか謂われもない風評被害を受けてる気がする......」
多分証拠ならたくさんあると思う。
ーーーその後しばらく私は寅晴と話していた。取るに足らないような会話をずっとしていた。
私が話題を振って、寅晴は頷きながら時々口を挟んできた。ただ平穏に流れる時間に、居心地の良さを感じてしまう。
途中で淹れてもらった二杯目のコーヒーは、すでに氷が全て溶けてしまっていた。
ストローから口に含むと、少し薄くなってまた変わった甘さを味わさせてくれた。
「......なぁ、渋谷」
何だろう? 私は話しかけてきた寅晴の顔を見た。
「何かあったのか?」
真剣に心配してような問いかけに、私を急に現実に引き戻すような感覚が襲った。
「どうして?」
声が震えないか心配だったが大丈夫だった。いつも通りの声に繕えた。
こういうときに自分の本音を隠す力を確認できる。私の無駄な特技の1つだった。
「......悪いが誤魔化しは通用しない。接客業なめんな。お前の素人じみた演技ぐらい見破れないと思ってんのか」
「......勝手に決めつけないで。私は......別に......何も隠してない」
「そう主張したいなら俺の目を見て言うんだな。人間疚しいことがあるときは、相手の目を見なくなるんだ。覚えておけ」
「......」
私は視線をそらしたまま固まってしまった。
前方から疑りの視線を感じるが、私は何も言う気はなかった。
なぜならこれは私の問題だ。寅晴に話すようなことじゃない。
そう思って黙りを決め込んでいると、何度も聞いたため息が聞こえてきた。
「はぁ。言いたくないって言うなら無理には聞かないさ。......だがな渋谷、何もかも自分の問題だからって溜め込んでると、すぐに限界がくる。
だからどこかで人に押し付けなきゃならないんだ。俺じゃなくてもいい。友達や家族でいいから、お前が考え込んでること打ち明けてみろ。それだけでずっと楽になるからな」
「寅晴は私と友達じゃないの?」
「何でそっちに反応するんだよ......。言っとくが俺にとっちゃお前は礼儀知らずの客でしかないな。ちなみに本田はただの礼儀知らずの他人だ」
「未央に厳しいね」
「ああ。本人が聞いたらぶーたれるだろうな」
その言葉を聞いて、面倒そうに手を払ってる寅晴に、口を尖らせて文句を言っている未央が簡単に想像できて、つい笑いが込み上げてくる。
そんな私を寅晴はやれやれと言った風に見守っていた。
「どうして分かったの?」
隠すことを諦めた私は、単純に気になったことを聞いてみた。
「最初はなんかいつもと様子が違うと思った。それで少し注視してたんだが、やはりその後もお前らしくない行動が目立ってた。そして決め手は話してる時の表情だな」
「話してる時の表情? どういうこと?」
「......卯月にそっくりだったんだ。昔不安に押し潰されて夢を見失いかけてたあいつの、気を紛れさせるために無理して話し続けてた時にな」
「嘘......卯月が......?」
「そんなに驚くことか? あいつだって一人の人間なんだ。不安があれば心が弱ることもあるさ」
私は信じられなかった。
なぜなら私が知っている卯月は、いつでも前向きに夢を追いかけて笑っていてキラキラしていた。そんな彼女に挫折しそうな時があったなんて。
「アイドルってのは本当に運と実力の世界だからな。あいつは小さいときからスクールに通ってるが、未だに芽が出ない。なのに同期はどんどんアイドルになったりやめていったり。下にも抜かされ初めて、高校を上がる前にはすっかり心が折れてしまったのさ」
「でも今も卯月は諦めてないよね。どうやって立ち直ったの?」
「さぁ? 気がついたら立ち直ってたから、俺にはわからん」
「適当......」
「しょうがないだろう。本当に知らないんだから。むしろ俺が聞きたいぐらいだ」
私の飲んでいたカップを片付けながら、寅晴はやるせなさそうに言う。
多分寅晴の口振りからしてかなり心配したんだろう。なのに当の卯月が、気がついたら元気になっていたとなれば力が抜けるのも無理はない。
機会があったら卯月に聞いてみようかな。
「......話がすっかりそれたな。それで渋谷は何を悩んでたんだ? あ、いや。さっきも言った通り、言いたくないならいいんだが......」
「言うよ。隠すことでもないし、ちょっと言うのが恥ずかしかっただけだから」
心配してるのに私にも気を使って、忙しない人。でも本気で私を心配しているのはとても伝わった。さっきはただの客って言ってたのに。......ずるいなぁ。
そうして私は全て話した。進路の不安や言葉で表しにくいものも含めて全部だ。
寅晴は私の話を終始黙って、真剣に聞いていた。そして少し考えてから口を開いた。
「なるほど進路ねぇ......」
「小さいことで悩んでるなって思った? 笑いたかったら笑ってもいいよ」
「笑わねえよ。そもそも悩みの大きい小さいなんて、他人が決めることじゃないだろ」
「ふふ、そうだね」
冗談半分のつもりで言ったけど、本気で返されてしまった。やっぱり寅晴はずるい。ずるいしか言えないよ。
「そういや、前に卯月の高校の説明会行ったんだろ? あそこじゃ駄目なのか? たしか本田もあそこに決めたらしいぞ」
「らしいね。......でも私には無理かな。あそこ私立だから、お金がかかるんだ」
「ああ、そうだったな。普通の家庭じゃ私立高校はキツいか。......あ、そうだ。おい渋谷、お前今週の土曜日空いてるか?」
「え? う、うん。特に予定はないけど......」
「じゃあ良かったら俺の高校に来ないか? 実は土曜に学校説明会をするんだが、生徒会の先生に人手が足りないから手伝ってくれって言われてな。ついでに他にも誰か知り合いに声をかけてくれって。
卯月もその日はレッスンあるって言ってるし、渋谷が来てくれると助かるんだが。最初の準備だけ済めば自由にしていいから、ついでに進路の参考にも出来るぞ。どうだ?」
「い、いやどうだって言われても......。私部外者なのに大丈夫なの?」
「ああ。他にも妹や弟連れてくるやつもいるから大丈夫大丈夫。そんな細かいこと一々気にしねえよ」
いやけっこう重要なことだと思うんだけど......。そんな適当な運営で問題ないのかなぁ。まぁ、寅晴は部外者らしいし詳しく知らないだけなんだと思う。もし手伝いは駄目でも、説明会は今の私にはちょうどいい。......それに寅晴の高校に興味もあるし。
「うん、わかった。私も行くよ」
「おうそうか。それじゃあ土曜日10時に、この店の前に集合な」
......ん?
「え、待って。一緒に行くの?」
「いやか?」
「別に嫌じゃないんだけど......」
「んじゃ、いいよな。よろしく頼むぜ」
「う、うん。わかった」
......それって待ち合わせ何だけど。寅晴は気がついているんだろうか?
ううん多分気がついてない。無意識に私を気遣った結果なんだろう。
......本当にずるい人だ。
服、新しいの買おうかな
後日。服に悩むしぶりんの元に、卯月経由で当日制服というメールが届いたとか。