星の光さえない暗黒の宇宙を思わせる空間にいることに、兜甲児は唐突に気付いた。
(何も見えない……自分でも目を開けているのかすら分からないな)
ふいに背後に気配を感じる。
振り返ると、そこにはおぼろげな女性のシルエットが、闇の中に溶けるように浮かんでいた。
「甲児さん……」
女の声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。
「そこにいるのは須美ちゃんかい?」
女は何も答えない。
影は甲児から離れていくように闇の中へ歩いていく。
「待ってくれ!」
甲児は慌てて影を追いかける。
闇の中を駆けるが、影には追いつけない。
突然、視界いっぱいに光が射し込んだ。
眩しさにくらんだ目を開くと、甲児は出し抜けに大都会のど真ん中に立ち尽くしていた。
ここはかつて甲児が住んでいた街、東京であることに気づく。
そして目の前にいる女の姿も、光の中でそのシルエットをはっきりと浮かび上がらせていた。
そこにいたのは鷲尾須美ではなく
「……さやかさん?」
「甲児さん、来てくれたんですね」
島さやか……甲児が元の世界で初めて心惹かれた女性である。
(そうだ、俺はさやかさんとデートの約束をしていたんだ……)
「どうしたんですか? ボーっとして」
「あ……いや、何でもないんだ」
2人は揃って喫茶店に向かう。
注文したドリンクを飲みながら、さやかは甲児を見て微笑んだ。
「な、何ですか? 何かおかしいですか、僕」
「だって甲児さん、何だか固まってるんだもん」
「そ、そうですか。固かったですか……ごめんなさい」
「私責めてるわけじゃないわ。今時珍しいと思って。でもかえって素敵よ」
その言葉に甲児は赤面した。
「実はこういうのにあまり慣れてなくて……。女の子と遊ぶのも幼稚園児以来で」
「そうなの……私も近いものがあるな。実は私高校まで男性恐怖症だったの。でもこんなことではいけないと思って、そしたら甲児君が誘ってくれて。甲児君、不思議と怖くなかったから」
「そっか、似た者同士だったんだ」
甲児はさやかとの共通項があることを嬉しく思った。
「なんか安心するな。俺が誘ったのもはずみだったから」
「まあ、誰でも良かったの?」
「そ、そうじゃないよ! ずっと前から話しかけたくて、でもなかなかダメで……。昨日はずみでやっと」
「ありがとう、ずっと前からって言われると嬉しい。じゃあ今時珍しい2人なんだから、ゆっくりお付き合いしよう!」
「うん、そうしよう。2人で少しずつ楽しいこと見つけようよ」
自身に訪れたこの良き日を、兜甲児は忘れないであろう。
それは最良の日の思い出であるから。
そして、最悪の記憶でもあるから……
◇ ◆ ◇ ◆
朝日がカーテンの隙間から差し込み、それが甲児の顔を照らす。
光の刺激で甲児は夢から覚めた。
布団から起き、部屋を見る。自分の部屋とはまるで違う様相の室内がそこには広がっていた。
「そうだ……、俺は別の世界の地球に来たんだ」
寝ぼけているせいでしばしボーッとしたあとで、彼は自分の現状を思い出す。
甲児自身にも計り知れない力を持つZ、その助けを必要としたこの世界の神によって、彼は別の宇宙にある地球の四国へとやって来たのだ。
四国において戸籍の無い甲児は、大赦の支援によって大赦が管理するマンションの1室で暮らすこととなった。
「私の家に来ればいいのに~。部屋は沢山あるから選び放題だよ~」
と乃木園子が自身の家に住むことを提案してきたのだが、居候という気まずい間柄で日々を過ごすのは甲児には遠慮したいことであった。
また、元の世界では甲児は長い間1人暮らしをしていたため、慣れているし気楽でいいということでこの世界でも1人マンションに住むことにしたのだった。
パジャマから着替えて朝食の準備をする。
ありがたいことに、生活費も大赦から支給されるそうだ。甲児1人なら十分に暮らしていけるほどの金額である。
朝食を食べ終え、今度は外出の用意をする。
大赦は甲児に、生活面での支援をする代わりにあるお願いをしてきた。
それは、須美たち勇者の側でその活動をサポートすることだ。
だが、成長しきった甲児が小学生の中にまじって学校へ通うことは通常不可能である。
そこで安芸は、副担任として自分の教室へ来ればいいと提案してきた。
「む、無理ですよ。俺に教師なんて」
「大丈夫、基本的に授業は私が勧めます。兜さんは補佐をしてくれればいいから」
「しかし……」
「ちなみに学力は?」
「大学には通ってましたけど……」
「なら大丈夫ね」
最初は渋っていたものの、結局安芸に押し切られる形で副担任の職を拝命することとなったのだ。
準備を終えた甲児はマンションを出て、地図を頼りに神樹館小学校へと向かう。
授業が始まるずいぶん前のため、登校してくる生徒の姿はない。
道すがら辺りを見ると、何てことはない日常の朝の光景が広がっている。とてもこの世界が滅亡の危機に瀕しているとは思えない眺めだ。
そうこうしている内に甲児は小学校へと到着していた。
校門を守っている警備員に身分証を見せ校内に入る。職員室の戸を開くと、待っていた安芸がこちらにやって来た。教師たちの朝の会議で甲児を紹介されると、温かく迎え入れられた。
「今日は皆さんに新しい先生を紹介します」
6年1組の朝のホームルーム開始直後に安芸が言った。
教室の外で待機していた甲児は促され入室すると、彼の姿を見た生徒たちがざわめき始める。
いざ自分の名前を告げようとした時、廊下を走ってくる影が1つ。
「はざーっす! ギリギリセーフ!!」
「アウトですよ、三ノ輪さん」
ハァハァと肩で息をしている三ノ輪銀である。
銀の視線が安芸から隣にいる甲児に向く。
「あれ!? 何で甲児さんがここにいるの!?」
「それをこれから説明する所よ。さ、席に付きなさい」
そう言われ着席する銀。代わって甲児が教卓の前に立つ。
「皆さん初めまして、兜甲児といいます。今日からこのクラスの副担任をつとめることになりました。よろしくお願いします」
子供たちは笑顔で拍手をして迎えてくれた。その中にはわずかな驚愕をにじませた須美たち3人の姿もあった。
◇ ◆ ◇ ◆
副担任に着任してから半月が過ぎた。
これまでの期間で、甲児は様々なことを経験してきた。
朝の出欠の確認をとることで生徒の顔と名前を覚えることに始まり、授業中の安芸の補佐から、授業の合間や放課後に生徒から質問された勉強に対する疑問に答えりなど……。
それは大変だったが、子供たちとの触れあいはやってみれば意外と楽しくもある体験であった。
具体的な将来の夢をもっていなかった甲児だったが、ぼんやりとだがこのまま本当に教師になるのも悪くないと思えるほどである。
そんな日々のある放課後、6年1組の教室には甲児を筆頭に須美、園子、銀の4人だけが残っていた。
この日こそ、大赦の巫女よりお告げのあった次なるバーテックスの襲来して来る時なのだ。
時が止まる。
光に飲まれた4人は、神樹様の張った結界の中である樹海に立っていた。
そして大橋の先より、第2のバーテックスである天秤座──リブラ──がその姿を現す。
「何だかずいぶん華奢な姿をしてるな」
リブラの姿を見た甲児が呟く。巨大な十字架を思わせるその細長い体躯は、Zの力をもってすれば容易にへし折れそうだった。
「バーテックスはそれぞれが特有の能力を持っています。油断しないでくださいね?」
須美が注意をうながした。
「よーっし、今回もパパパッと倒して終わりにしよう!」
銀が気合を入れた声を上げる。
少女たちは制服のポケットからスマートフォンを取り出し、祝詞をあげると共にアプリを起動し勇者服をまとう。
「スーッ……ハァーッ……」
甲児も持ってきたZのマスクを構えると、深く深く深呼吸を始めた。
Zを動かす源は兜甲児の精神力である。甲児が強い精神力を持つことでZはコントロールできるのだ。
深呼吸によって甲児は戦いの前の高ぶった精神を落ちつかせる。
そしてZのマスクを被る。仮面の中は真っ暗だ。視界も呼吸する穴も空いていない。
巨大なマスクは瞬時に甲児の頭にピッタリの大きさに縮むと、首から下の鎧を展開していく。
甲児の全身をコバルトブルーの鎧が包み込んだ。
同時にZの瞳に光が宿り、格子状の口部から酸素を吸入する。
甲児はさらに深呼吸を続け精神を集中させることで、Zと連動している自身の体にある7つのチャクラの内のいくつかを開いていく。
チャクラとは人体にある7つの『
この7つのチャクラを自在に操れるようになった時、甲児は神にも悪魔にもなれる力を発揮できるようになるのだ。
今は亡き父に教えられた手順を思いだし、甲児はチャクラの解放を行う。
最初に尾てい骨にあるムーラダーラ・チャクラ、次にヘソの下のスヴァディシュタナ・チャクラ、そして第3のマニプラ・チャクラ、最後に4番目のアナハタ・チャクラを目覚めさせる。
チャクラが解放されると共に、Zの正中線上にあるチャクラと同じ位置に配置された宝玉に光が灯っていく。
甲児は7つのチャクラの内4つまでしか開かなかった。残る3つは過去の忌まわしき記憶と共に封印状態にある。
「よし、行くぞ!」
戦いの準備は整った。
3人の勇者と1人の戦士は、迫りくる外敵に向けて駆けて行くのだった。