相変わらずの独自設定モリモリ。過去にほんのちょびっとだけ迫る...。
あと一分!
まるでゲームのBGMように鳴り響く音楽が、焦燥感を煽るような速いテンポのミュージックに切り替わる。
初めての頃は鳴り響く音楽の中で試合するという習わしに随分驚いた記憶がある。しかし案外慣れるのは早かった。
それに、今のように残り時間を音楽が変わることによって知らせてくれるのはありがたい。いちいちタイマーなどを確認するよりはよっぽど戦いやすい。こういう工夫においてはイカって時折人間より頭がいいのではと思ってしまう。
実は、こうして試合中に音楽を鳴らす最たる理由は「テンション上がるから」というだけに他ならないという事実を、彼はまだ知らない。
彼は、片目をギュッと一瞬だけ瞑ると、すぐに目を開ける。
(…ん、負けてる。ただ、まだピンチではない…)
彼がまばたきをすれば、その片目に投影されていた「マップ」が消える。
このコンタクトに映像を映す超技術は、間違いなく人間の技術を遥かに超えている。話に聞く限りであったバトルを体験するたびに驚きが積み重なっていくものだが、同時に「慣れ」も恐ろしい勢いで積み重なる。
「慣れって怖い」という名言(?)を生み出した人は、きっと賢人に違いないと思うようになってしまった。
(中央高台取られてるんだよな…ただ、俺がいってもこのブキじゃあ…)
高台で睨みを利かせているのは、バケットスロッシャーデコ。
中射程によるインクの振り撒きと、高い位置から遠投するスプリンクラーによって中央の塗りをたった一人で大きく広げているのだ。
このステージ、『海女美術大学』においては、高台の影響力が非常に高い。
何としてもどかしたいとこではあるが、気づかれずに登ったところで、対面戦闘力の低いこのブキで向かっても返り討ちが関の山。少々心苦しいが、高台から退かすことのできる_こちらのチームのチャージャーや、ロボットボム持ちのパラシェルターソレーラに任せるしかない。
彼は彼で、自分にできることをやるしかない。
(…敵四人、一人も落ちていない。そしてあの高台のイカ以外は、こちらの自陣に向かっている……)
自陣が攻められようとしている。本来であれば、全力で止めに行くべきではあるのだが…今彼がいる位置的に、自陣防衛に戻ろうとしても、必ず中央高台のバケデコに気づかれる。下手に突っ切ろうとしても、追ってこられて背後を取られようものならまともに自陣防衛の援護もできまい。
(…耐えてくれるのを願って…俺は、ポイントを稼ぐっ)
彼は、潜伏状態から一気にイカジャンプして、即座に敵陣へのスロープの壁に隠れる。
そっと中央を確認する。あのバケデコには気づかれていない。
彼は、スローブを登って敵陣に到着するや否やブキを展開した。
バケットスロッシャーより短い射程だが、それでいてスロッシャーより広い塗りと早めのオート射撃によって、歩き撃ちの効率的なインクの飛沫が敵陣をどんどん塗りかえていく。それでいてサブウェポンも展開するのを忘れない。
(あっ…やっぱ気づかれたかっ)
バケデコのボーイがこちらを向いたのを確認した彼は肝を冷やした。元々バレるのは覚悟していたものの、こういう気づかれたっ!っていうのは分かっていても冷やっとするものだ。
あのボーイは、こちらを向いてイカ状態になった。高台からイカジャンプで飛べばこちらには一直線で来れる。自陣荒らしをする彼を咎めようとする算段だろう。こちらのインクで足場を確保しており、彼のブキにとって有利な平地。これで迎え撃ったとしても勝てるかは五分五分と言ったところか。それだけ彼のブキの正面戦闘力は低い。
そもそも、彼は気づかれたとしても戦う意志は毛頭なかった。彼が敵陣荒らしをしていたのは、ただ試合の塗りポイントを稼ぐためだけではなかった。
(『トラップ』も設置したし、あのバケデコが塗り返すのは少し時間がかかる…)
牽制としてメインブキの射撃を敵に向けつつ、彼は遠い自陣の方を視認する。
敵と味方、複数のイカがインクを撃ち、かわしつつ戦っているが、彼が注目したのは一点。ボトルカイザーを持つ敵イカからの攻撃を必死に防ごうとしている。視認状態なら、彼にとってもやりやすい。彼は『淡く光る』頭を軽く抑えた。
彼は、イカ状態になった。
そのまま、自分が先ほど視認した位置とそこからここまでの距離と感覚を強く脳内でイメージする。慣れていればここら辺大雑把でもほぼほぼ問題ないらしいが、彼はまだそこまでの域には達していない…と自分では思っている。
イカ状態の足の部分に思いっきり力とインクを貯め、放つ。
バシューンッ!という派手な音と共に、彼は飛んだ。
ずっと練習してきた…よりも実際の試合での経験で体に叩き込んだ成果…『スーパージャンプ』である。
最初期の頃は、本当にただ飛ぶ感覚に慣れるので精一杯だった。しかし、今はそれだけではダメである。飛ぶ体。視界の中で流れるステージの風景。着地点に近づにつれ、そのスピードが緩くなっていく。視線に着地点のマーカーが見える時点で、彼は一瞬での状況把握を強いられる。
彼は視線を下に向けて確認する。
自分のジャンプマーカーを挟んで、未だ敵のボトルカイザーと、味方のパラシェルターソレーラの攻防が続いている。二人とも必死なのか、マーカーこそ見えていても上空のこちらに視線を向ける様子はない。
(…いけるっ!)
必要なのは、状況を確認。そしてそれを踏まえての判断。彼は、今それを実践したのだ。
緩やかな軌道を持って空中を飛んだはずの彼が、突如空中の一点で止まった。
その地点はマーキング地点の一番上。彼は、拳を思いっきり振りかぶるようにして構えた。自分の体に感じる「インクのうねり」のようなものを、真下の空間に全てぶつけるイメージ。
そう、この『スペシャル』を発動させるためには、背中のインクタンクを通じて『イメージ』を明確に思い描くこと。自分のイメージを読み取ることで発動するスペシャルということで、彼が習得するのが難しかった部類のスペシャルである。
しかし、現在の彼にとっては最も多用なしているスペシャルであり、
今この瞬間、この試合においては、このスペシャルが『鍵』となる。
着地点のマーカーを中心に、波紋状に何重も広がる輪の印。
それを見たボトルカイザーの敵イカが、慌てて逃げようとする動きをみせる。だが、所詮「動きをみせる」程度であって、「動く」ことはできなかった。
それを視認してからでは、決して間に合うことはないのだ。
(スパジャンからの……『スーパーチャクチ』!!)
一瞬だけ爆発するように巻き上がった緑色のインクの奔流によって、敵のイカ二人が一瞬にして溶け去った。
(あれ、もう一人いた…ま、ラッキーだったってことか)
チャクチした足元周辺で二人分の悲鳴が聞こえたことで、ちょっと首を捻ってしまうが、バトルにおいては一人キルしようが二人キルしようが気にすべきことではない。非情なようだが、それが現実である。彼はすぐに頭を切り替える。
「助かったー! ありがとねー!」
先ほどまで敵に苦戦していたらしい、パラシェルターソレーラを持ったガールが笑顔でお礼を言うと、さっと彼の横を駆けていく。彼女の背中に展開されているのは、『スプラッシュボムピッチャー』
微かに流れる軽快な音楽とは裏腹に、実際は殺意にまみれたボムを大量にばらまく恐ろしいスペシャルだ。あれなら、先ほど制圧された中央陣地を一気に取り返せる。
ただし…その恐ろしいスペシャルを存分に生かすためには、彼女をボム投げに集中させなくてはならない。
そのためには…残る一つの不安要素を自らの手で止めなくてはならない。
(今キルしたのが二人…俺が荒らした敵陣を塗り返している奴が今一人…そして、あと一人は…!)
味方の悲鳴が、後方から聞こえた。
後方にいたあの味方は確か、ジェットスイーパーを持っていたボーイだ。
彼は、自らのブキを握りしめて後ろを確認した。こちらに向かってイカダッシュしてくる敵が一人。
先ほどチラリと見えたあのブキは…ボールドマーカーだった。
(近距離ブキなら…倒せるかもしれない…!)
射程の上では、こちらが勝ち。というより、ボールドマーカーに負ける射程の武器の方が皆無なのだが。
ぐっ、とボールドマーカーの進路方向へ立ち塞がった。
彼は確認した。遠目から敵のボールドマーカーが、最適化されたように滑らかな動きでサブウェポン「カーリングボム」をこちらに向かって滑らせるのを。
(やっぱりノーチャージ…ならちょうどこの位置…ここなら、ボムの爆風は届かない)
カーリングボムは攻撃力こそボムの中でも最低ランクだが、「塗り」と「移動」の二点においては他のボムの追随を許さない。溜めることで攻撃力を上げる使い方もできるが、使いこなすのは難しい。一般的に、試合ではもっぱらノーチャージでカーリングボムを投げ、移動のための塗り跡を作るのが主流であった。
彼は「特に」それを知っていた。そして、それに加え彼にはカーリングの移動距離というものを体感で理解できるほどの知識と経験を持っていた。
今彼が立っているこの位置は、爆発のインクが一滴たりともかからない計算しつくされた場所なのだ。
まっすぐ塗られる塗り跡。かすかに見えるインクのしぶきは、敵がセンプク移動している証。
そこを狙い撃つ…というのは、彼は未だ苦手である。自分のセンプク移動すらも的確に射抜くチャージャー持ちなどに出会うと、やられながらも感嘆の気持ちを抱いてしまうほどだ。
しかし、今回は無理に狙い撃つ必要はない。そもそも狙い撃ったところでこのブキでは一発でキルができるわけではない。なので彼の狙いはあくまで大まかに、カーリングボムの軌跡を分断する形で、一発射撃する。これで、相手はセンプクを中断して姿を表すしかない。姿を表したなら、あとは純粋なタイマン勝負…
しかし、彼にはその姿を視認することはできなかった。
なぜならインクから飛び出した影が
広がる波紋の印。
その一瞬で、彼は全てを理解した。何せ、先ほど自分がかましたのと同じ…『スペシャル』
(な、なんでっ!? スペシャル溜まってなかったはずなのにっ!)
確かに、カーリングボムを投げる直前の敵イカの頭は、淡く光る様子はなかった。だが、対応のための時間が少ないこともあり、少なくともこの試合中はすっかり失念していた。
「カーリングボムの塗りでようやく」スペシャルが溜まる可能性を。
彼の目前で、紫色の「スーパーチャクチ」が炸裂した。
(うわっ! …くそっ…してやられた…! てかあいつどこ行った!?)
しかし、至近距離でのスーパーチャクチを受けても、彼はデスを免れていた。彼の『シェルター』部分は非常に脆い。しかしその代わり、いかに威力が高い攻撃でも一撃だけなら確実に防ぐのだ。
だが、実を言うとこの場面においては、一回防御しきったところで彼の運命は変わらないとも言える。チャクチによって周りに広がったインクに視界が閉ざされたその隙に、敵の姿を完全に見失ってしまったからだ。
彼の手元のブキは、『シェルター』部分が破損したキル力の低い中射程塗りブキ『スパイガジェット』
対して先ほど見失った相手のブキは近距離においては最凶とも言えるキル能力を発揮する『ボールドマーカー』
(あっ…やっぱ、もうダメか)
真横から突きつけられたラッパ型銃口を、横目でチラリと視認した彼は自らの運命を察した。
だが、コンタクトに映し出される透明な数字のカウントダウンの数字が、この試合に残された時間は数秒であることを示している。
中央戦場は背後になっているため、彼は見えない。だが、あの『スプラッシュボムピッチャー』が塗りを広げたなら、きっと…
_人人人人人人人人人人人人人人人人_
> ボールドマーカーでやられた! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
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Finish!
58.1%-41.9%
You win!
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「ふうむ…それで、使い心地はどうだったかな?」
「…正直難しいです。あっ、でも使ってて面白いと思いました」
スイトの問いに対し、作業台に乗せられたパブロを手に取りながらソウが答える。輪の形をした工具にパブロをはめ込み、毛の部分と持ち手の部分を分離するその作業は非常にスムーズだが、頭の中では先ほどまでの数試合における、「スパイガジェット」の使用感を頭に思い起こしていた。
「まあ…スパイガジェットはメインの塗り効率こそブキの方でも上位じゃが…サブの『トラップ』と『スーパーチャクチ』は、むしろガチマッチで輝く組み合わせじゃからなあ」
「ガチマッチは…ちょっとまだいく勇気はないんですよね…。でも、シェルター開きながら攻撃できるのはすごくいいです…なんていうか、こう、精神的に…」
「ほっほっほ。確かに、傘が開いておると気持ちを強く持って前に出れるからのう…そうじゃな、もしメインのスパイガジェット が気に入ったんなら、マイナーチェンジの『スパイガジェットソレーラ』がちょうどナワバリ向けのサブスペ構成じゃから、いいと思うぞい」
「なるほど…確か、『スパイガジェットソレーラ』はランク19になったら購入許可が出るんでしたよね」
パブロの傷んだ毛の部分をリサイクルBOXに入れ、新しい毛の部分を付け替えながら、ソウは視線を彷徨わせ思考した。
「うむ。…ただまあ、ソウ君があとランクを6上げるより早く…あれが実装されるじゃろうなあ」
「…『イカネサダ・心』」
修理の終わったパブロを、表の店と繋がる挿入口へ設置し終わったソウが、後方を顧みる。
通常の試し打ち部屋とは違い、壁に居並ぶ数々のブキの中で、隅っこの位置に佇む刀の形をしたブキ。
ソウはここに来るたび、無意識のうちにあの『イカネサダ・心』を探して見てしまうため、今では一目で見つけることができるようになってしまっている。
「…月初めに実装でしたっけ。それにしても、ランク9で実装…個人的には、早いと思うんですけど…」
「扱いは少々難しいからのう。気持ちは分かる。だが、既存の『シューター』『ローラー』『チャージャー』『マニューバー』『ブラスター』『スロッシャー』『スピナー』『シェルター』などの武器カテゴリーは全て、ランク一桁台で少なくとも一種類は買えるようになっておってな。『セイバー』もそれに倣うということじゃろう」
「例え使いこなすのが難しくとも、早い段階から様々なタイプのブキに触れておくというのも理に適っているとわしは思うよ。ブキというのはまず、使ってみて初めて理解できるものじゃからな」
「…それは、その通りですね」
ランク13に至るまでナワバリバトルを重ねてきたソウは、心の底からその言葉に同意を示す。
予習を是とするソウは、この部屋においてブキの試し打ちをたくさん行ってきた。スイトからもナワバリバトルの知識、理論、テクニックの指導などを積極的に受けてきた。その経験は、ソウにも「やれるのではないか」という自信を抱かせたものだ。
しかし、最初の記念すべき一戦。ソウは惨敗を喫することになった。
やはりいくら練習を重ねても、実践で体がその通り動くとは限らなかった。
ユイなんかは「味方運がなかっただけ」とフォローしてくれたが、後から見たリザルト結果ではソウは同チーム内で三番目にデスが多かったのだ。
その最たる原因はやはり「リスポーン」だったとソウは自己分析している。
『元人間』であるソウにとって、やられた瞬間に体が溶けて「きっと幽霊ってこんな感じだろうな」というくらいにスッカスカになった体が宙を舞って、リスポーン地点に吸い込まれた瞬間、身体中にスライムが塗りたくられるような感触と共に再び体が復活するという感覚が正直気持ち悪く、思ったように動けなかったのだ。
「『イカネサダ・心』は、確かに何度も試し打ちしたから、手には馴染んでいるんですが…実戦で使ったときに本当に馴染むかどうかは…分かりませんからね」
「うむ。じゃが、別の見方をするならばブキというものは、長く使い続けて初めて手に馴染むもの…とも言える」
「例え最初のうちは扱いが難航したとしても…本当にそのブキが好きなら…近いうちに、応えてくれるとわしは思うよ。だから、深く考えずに好きだと思うブキを使うのが、一番かもしれんのう」
スイトは、顎に手を当てて思案するように呟いた。
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夕方。
いつもの終業時間より早くカンブリアームズを後にしたソウは、手元に紙包みを抱えて歩いていた。その様子はちょっとソワソワしており、足取りも心なしか速めである。
それもそのはず。ソウが持っている紙包みに入っているのは、『イカネサダ・心』。無論、今の段階では未だ実装どころか、一般のイカに情報公開すらなされていない代物である。
どうしてそれをソウがこうして外へ持ち出しているのかと言えば、実はブキチの計らいであった。
「本部には話を通しておいたでし! ソウ君、君にこれをプレゼントでし!」
そう言って渡された紙包みの中身が『イカネサダ・心』だと知った時には、ビックリ仰天して大声が出てしまったほどだ。だが、「しー!」と言ってブキチが慌てて止めたことから分かるように、気軽に公表していいものではないようだ。
「正式実装となるまで、使用は試し打ち場、もしくはプライベートマッチだけでお願いするでし! ロビーへ持って行く際にも、極力イカ目に触れないよう、紙包みの状態で持っていくようにお願いするでし! 無論、ソウ君のチームメンバー以外のイカに無闇矢鱈と話すこともNGでし!本部のイカに何か言われたら、この紙包みのカンブリアームズタグを見せれば承知してくれるはずでし! あくまで特別に許可をもらったにすぎないから、下手なことはしないようによろしくお願いするでし!」
小声でこうまで念を押されてしまっては、ソウも神妙な顔をして頷くしかない。
自分のためにこうして許可をとってくれたブキチ店長に対し、ソウは何度も頭を下げて感謝の意を示した。…ただし、『イカネサダ・心』の正式価格9000Gは、しっかりと取られた。そこに文句は一切ないが、ちゃんと忘れないあたり商魂たくましいとは強く思った。
ソウはとりあえず家に帰って、ユイにプライベートマッチの練習を頼もうかと思っていた。
クロの連絡先もソウは持っているため、同じようにお願いすることも考えていた。しかし、クロは滅多に姿を表さないことから、忙しいイメージがある。大分前にクロの職業が『警察官』であることを知ってからは、尚更である。そのため今回はちょっと遠慮しようとしていた。
それに比べてユイの自由人ぶりを見ていると、気兼ねなくお願いができる。…いや、もちろん貶す気持ちはソウには毛頭なく、むしろその付き合いやすさはユイの長所の一つだと考えている。…しかし、ソウ個人としては未だ素の態度で会話できるほどは打ち解けていない。やはり、完全に養ってもらっている関係である以上、ソウはどうしても遠慮しがちになってしまうのだ。それでも、頼みごとを頼もうと考えられるほどの関係にはなっていた。
ソウは未だソワソワしながらも、心の片隅では微かな高揚感を抱えていた。
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「ただいまー………ユイさん?」
ドアを開けたソウは、いつも騒がしいくらいの出迎えをしてくれるユイの声が聞こえないので、一瞬留守かと思った。しかし、玄関にも聞こえるほど大きなテレビからの音で、ユイに自分の声が聞こえていないだけかと察した。
リビングに向かってみると、ユイが食い入るようにテレビを見ている後ろ姿を確認した。そのまま後ろから声をかけると驚かせてしまうと思ったソウは、ソファーを回り込んで横から声をかけようとする。
「……うわっ」
かけようと思った。が、口から出たのは驚愕の声であった。
その理由は、ユイがあまりにも『酷い顔』をしていたからだ。
具体的に言うならば、耳まで裂けんばかりに口角を上げて歯を剥き出しにし、顔は真っ赤で目も釣り上がって…。とにかく「全力で目の前の存在を憎んでいる」ことが全面的に現れている顔であった。
ソウは、かつて『山内 聡也』であった人間時代を思い出していた。
高校のクラスメイトが、どういう理由かカバンの中にしまっていたエロ同人誌を別のクラスメイトが偶然見つけてしまい、そこから騒ぎになってクラス中にそれが晒されてしまったことがあった。その時同人誌を晒されたクラスメイトが、ちょうど今のユイのような顔をしていたのを覚えている。
…あの時は本当修羅場だった。
「あっ。ソウ君! お帰りー!」
ソウの声に気づいたユイが顔を向けると、その表情は一気に花が咲いたように晴れやかになる。だが怒りで紅潮した顔と悔し涙の名残が、まるで嬉し泣きをしていたかのような錯覚を呼び起こす。
「ユ、ユイさん……えーっと…何かあったんですか?」
「あ、そうそう! そうなのよー! これはもう緊急事態! 緊急事態なのー!」
そう叫んだユイは、部屋着のまま家から飛び出していった。
緊急事態…ソウがその言葉を聞いて思い浮かぶのは、台風とか地震とかの災害だが…なんかあのユイの様子からして、そういう系統の話ではなさそうだが。
『…新しき高みへ舞い戻ったこのチームへ、期待が高まるところですね。さて、次のニュースです…』
ユイが見ていたニュースとやらも既に次へ移ってしまったようで、一体なんの話だったのかソウにはサッパリである。ソウが首を傾げている間に、意外にも早くドアが開く音がした。
「はあーはあー…お待たせー! ソウ君!」
帰ってきたのは、もちろんユイであった。ただし、ユイ「だけ」ではなかった。
「…………」
「クロ…さんも?」
「……ああ、ソウ。久しぶりだな」
会うたびに久しぶりの挨拶。ユイに手を引かれてやってきたのは、ある意味ソウの恩人、いや恩イカであるクロであった。
ユイに(結構乱暴に)引きづられながらもクロはソウに挨拶する時以外、右手に開いた雑誌から視線を離さない。ソウの分析では、おそらく雑誌を立ち読みか買い読みか、とにかく読書中にユイに連れ去られたものだと思われる。しかし、あの冷静さというか、達観してるというか、ユイに振り回されることをもう受け入れているその姿勢には、ある意味感嘆の気持ちを抱いてしまう。
「さてっ! それじゃあ始めよっか!」
「ええっと…何を?」
「決まってる! チーム『インカーネイション』の緊急作戦会議だよ!」
「………」
食卓のテーブルに着いたユイ。クロも同じく適当な席に着くが、相変わらず無言で雑誌をめくっている。なんというか、スルースキルが半端ない。
ソウもまたテーブルについた。緊急作戦会議とは、一体何をするのやら。
「さて…諸君」
ユイは、肘をついて両手を組んだかと思えばその上に顎を乗せた。
アレだ。アニメとかで会議の中心人物がよくやる偉そう感のあるポーズだ。
口調もそれっぽいのに変わってるが、もちろんユイには似合ってない。なにせちょっと無理してる感が…。
「あろうことか、ユイたちは、先をこされてしまったようだ。…知ってるかね、あの、憎っくきチームが…」
「???」
「ん、ああ……こいつのことか」
なりきりモードが発動したユイ。全く話の内容が分からず首を傾げるソウ。
しかしそこでクロが、手元の雑誌のとある1ページを開いて机の上に投げ出した。
「………あーーーーーーーー!!! これこれこれこれええええ!!! あんのガールども一丁前にインタビューなんぞ受けやがって!」
なりきりモードが一瞬にして崩れ、発狂しだすユイ。
相変わらず話が読めないソウは、クロの示した雑誌を首を伸ばして見る。
「…かつて『ガチヤグラの高み』にいたあのチーム《絶対制圧》の復活……破竹の勢いで勝ち進み、本日遂に『ガチエリアの高み』を達成…」
そのページに書かれていたのは、《絶対制圧》とやらのチームのリーダー、サブリーダーへのインタビュー記事であった。
リーダーは上品な流し目をしているお淑やかそうなガール。副リーダーもガールだったが、少し気が強そうな性格が垣間見える表情であった。インタビューの内容はざっとしか読んでいないが、新しく入ったメンバーが云々と言ったことをメインとして話している。
「…確かに、懐かしい名前だな。あいつらも、妙なタイミングで復活したものだ」
「この…『絶対制圧』ってチーム…ライバルか何かですか…?」
「そのとーりっ! なのに…なのに…! あろうことかユイ達に先んじて…高みへ行くとはー!」
地団駄を踏んで悔しがるユイを差し置き、とりあえずソウはクロへ質問する。
「そのライバルチームに関してはともかく…その、『高み』というのは…用語か何かですか?」
「そうだな……ソウは、『リーグマッチ』を知っているか?」
「ああ…えっと…予めチームを申請して、そのチーム固定でやる試合ですよね。…それくらいしか知りませんけど」
「それだけ知っていれば充分だ。…『高み』というのは、簡単に言うならば『リーグマッチの各ルールで一番の実力を持っている』ことを示す用語だ」
「…はあ。なるほど」
まだよく分からないソウに、クロの詳細に迫った解説は続く。
クロ曰く『高み』というのはあくまで非公式用語で、クロが今日持って来た雑誌──これはハイカラスクエア中で9割のイカが読んでいると言われるほどに桁違いの発行部数を持つ超人気ナワバリバトル専門誌なのだが──その雑誌が定めた『リーグマッチの最強チーム』のことである。
『リーグマッチ』には『ナワバリ』『ガチエリア』『ガチヤグラ』『ガチホコ』『ガチアサリ』の五つのルールを用いたチーム戦が常時開催されている。そのそれぞれのルールにおいて、全チーム中最高の勝率を誇っている五つのチームがそれぞれの『高み』という言葉で表現されている。
この『高み』というのは不動の地位ではなく、一定の条件──すなわち、ある程度の試合数を経て、勝率が現在の高みにいるチームと同等以上になった時──初めて他のチームが高みのチームへの挑戦権が得られる。そして、二本先取での試合の元、高みのチームを倒せば新たな高みの称号を得る。こうした昇格戦は、テレビで特別に枠をとって放送されるほど、ハイカラスクエア中で注目が集まる。それが今回、ガチエリアの高みへと登りつめたチーム『絶対制圧』というワケだ。
ただ、例えばガチホコとガチアサリ両方の高みの称号をもらったチームなどがいて、そうしたチームは『二冠』ならぬ『二高』と称されるらしい。
実際に、過去に『ガチエリア』『ガチヤグラ』『ガチホコ』『ガチアサリ』の四つの高みを制した『四高』が存在したらしいのだが、未だ全ての高みを制覇した『五高』たるチームはおらず、全てのチームが『五高』の称号を得るために日々リーグマッチで戦っているという。
「まあ…あの『絶対制圧』と『インカーネイション』がライバルだなんて話になったのも、高み関係でな…チームというより、実際はユイと向こうのチャージャーポジのガールとの確執が問題だったというか…」
「…ひょっとして、ユイさん達の『インカーネイション』って…高みにいたんですか?」
「そーなのよう! 何を隠そう、私たちはかつてガチナワバリの高みにいてー! あの頃は私のファンも結構いたんだから!」
「は、はあ…」
このユイにファン…と聞くと何かモヤモヤしてこないこともないが、イカの美醜は正直自分ではよく分からないし、ひょっとしたらユイは美人ならぬ美イカとして人気だったのかもしれない。まあもしくはただ単に強いチームだからファンがつくというだけかもしれないが。ただ「あの頃は」と言うことは…今は、悲しいことになっているのかもしれない。
「ユイの言う通り、当時は俺たちのチームはナワバリの高みにいた。ああ、もちろん他にチームメンバーが二人いてだな。…そして、『絶対制圧』の連中も…ガチヤグラの高みに、いたな」
「…ん、でもなんか、今回の『絶対制圧』って…ガチエリアの高みですよね。ガチヤグラから転向したのでしょうか?」
「さすがに他のチームの事情はよく知らん……と言いたいところだが、心当たりがある」
「と…言うと?」
クロは昔を思い出すように、視線を宙に彷徨わせながら語る。ちなみにユイは騒ぎ疲れたのか、机の上でイカ状態になってだらけているようだ。
「…俺はその時場にいなかったからよく知らないが…何やら『絶対制圧』のメンバーの一人と、ユイが喧嘩をしたらしくてな…俺たちチームメンバーが全く知らないうちに、バトルで決着をつけようとか話になったらしい」
「ううー…あいつがいけないんだよー……あのガールが列に割り込んでなきゃ…『期間限定数量限定販売等身大ヒメちゃん抱き枕』が手に入ったって言うのにー! 今に至るまで未だ再販されてないんだよあれー!」
イカ状態のままおんおんと嘆き悲しむユイ。なんかしょーもないきっかけではないかとは思っていたが大まか予想通り…いや、本人やマニアにとってすれば重大問題なんだろう。軽んずるのはよくない。…それにしてももうちょっとなんか…。
「…きっかけについては今ユイが自白した通りらしいが、とにかく決着をつけることになってな…。平等を期すため、お互いの『高み』とも違う…『ガチエリア』で勝負することになった」
「…結果は? …まさか、まけ」
「勝ったさ。……正直、運に左右された場面も多々あった、がな」
「あ、そう…ですか」
少し意外だった。ユイがあそこまであのチームを憎んでいたのは、てっきり過去にそう言った試合で負けたからそれを根に持っていたのかと思っていたのだが。
「別の高みにいるチーム同士が...それぞれとは別のルールでの戦いなんて異例らしくてな。当時はやたら周辺が騒ぎ立てていたのを覚えている。…俺たちに負けたせいかは定かではいが、それから間も無くして『絶対制圧』は解散したと聞いた」
「そのせいだよー! そのせいで…ユイは…嫌がらせを受けて…」
「嫌がらせ…?」
ちょっと穏やかでない言葉に、ソウは眉を潜める。
いや、嫌がらせと一口に言っても内容と規模は様々だから、一概に判断することはできないが…
「あんのガール…! あれからしばらくずっとユイのバトルに引っ付いてきてー! 敵になれば執拗にユイだけを狙いやがってー! 味方になれば味方らしい行動せずー! 露骨に私へ敵を誘導してきたりさー!」
「一度お前がガチギレして暴力沙汰にまでなった時、俺がどれだけ苦労したか…」
クロがこめかみを押さえて唸る。嫌な記憶を思い出しているクロの苦悩した表情は新鮮である。相変わらずユイは机の上でグダッているが、あのユイがガチギレしたというのは、ソウにはとても想像がつかない。
…ユイにとっては、相当苦痛を感じた出来事だったかもしれない。
人間形態に戻ったユイは、食卓を叩いて力説する。
「と! に! か! く! ユイ達にはもうのんびりしてる時間はない! あの『絶対制圧』がこうして高みまできたってことは、間違いなくこの『インカーネイション』への挑戦状! ユイ達は今すぐにでも、決起しなくちゃならないのよ! さあ! 早速奴らに勝つために特訓を…」
「それはいいが……四対三で、戦うのか?」
「……え?」
クロの問いに、ユイは一瞬呆けた顔になる。その言葉の意味を、ユイが理解して飲み込むのにちょうど一分。
ユイの顔が、驚愕に引きつった。
「あーーー! そうじゃん! ユイ達まだ三人しかいないじゃん!」
「数を数えることすらできてなかったのかお前は…」
クロはほとほと呆れたようにため息をつく。しかし、ここでちょっと気になったソウが疑問を呈する。
「そーいえば…前にユイさん達のチームにいた人…いやイカ達はどうしたんですか?」
「…一人は作物の品種改良の研究所に就職し、もう一人は声優育成学校に入学した。…元々、それぞれ別の目的で来ていたイカも、ユイが無理矢理スカウトしたものだからな。彼らがチームを抜けるのを止めることはしなかった」
「うえーん…リルちゃーん…ツンくーん…どっちか戻ってきてよー…」
さめざめと泣くユイ。この様子から察するに、抜けていったチームメンバーには相当未練があるようだ。片や研究者、片や声優志望であるというのに、バトルの腕は相当のものであったということだろう。ナワバリの高みにまで上り詰めるほどであったというし。
しかし、ユイはきっと顔をあげると
「それじゃあ、すべきことは決まったね! ズバリ、最後のメンバー集め! よしっ! そうと決まれば早速バトルの原石を探しに…」
「あ、あの…!」
ソウは、ここでチームリーダーユイの言葉を遮った。ユイの言葉がピタリと止まり、ユイのみならず、クロの視線までが集う中でソウは紙包みを掲げた。
「これ、ブキチ店長からもらいました……特別に先行で俺に販売してくれた…『イカネサダ・心』です」
「…ほう」
「へー! すごーい! じゃ、ソウ君もついに持ちブキ手に入れて本格始動ってこと!?」
ユイは目を輝かせ、クロは意外だというふうに少し目を見開く。
「あの…だから……個人的には、ちょっと…対人戦の練習したいなって…今日、お願いしようかと思っていたのですが…」
「あー…なるほど、ねえ」
「………」
ソウの申し出に、二人のチームメイトは真剣に思案するような表情になった。
ソウは、初めてユイに真っ向から反抗する形で意見を述べた。
反抗というより、自分の望みをぶつけたといった感じであるが。
それほどまでに、ソウは手元の『イカネサダ・心』について、まさに心を持っていかれていた。
『例え最初のうちは扱いが難航したとしても…本当にそのブキが好きなら…近いうちに、応えてくれるとわしは思うよ』
あと数週間待てば、『イカネサダ・心』はナワバリバトルやガチマッチでも使える。
しかし、ソウは待ちきれなかった。一刻も早く、このブキが「応えてくれる」時が迎えられるように。自分がこのブキが上手くなれば、チームにも貢献できる…と少し自惚れている気もするが、それなら少しワガママを言ってもいいのではないか、とソウは勇気を出してお願いを口にしたのだ。
「うーん…正直いってユイはなあー…対面苦手だから練習相手になるか不安だよー…クロ君、ソウ君に付き合ってもらっていい?」
「構わないが…じゃ、最後のメンバー集めは、お前一人でするか?」
「あー! いやー…それはー………うー…有識者クロ君の…メンバー集めアドバイスも…聞きたいかなーって」
「…まあ、やはりそうなるだろうな」
クロはあらかじめ予想していたかのように呟いて、また思案する顔に戻る。
かつてユイがチームリーダー権限で『インカーネイション』再結成を強行採決した時の記憶から察するに、ユイの独断で最後のチームメンバーも全部決めるものだと思っていたが、意外にもクロの意見を重要視したいという風であった。
…ひょっとして「前にユイさん達のチームにいたイカ」も、クロが見つけて、ユイが勧誘したとか、そんな感じだろうか。
「……わかった。ならば…」
クロが、何かを思い出したかのように、呟いた。
「ソウには…それなりの腕を持つ、専属講師をつけるか」
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「…ここっ!」
ソウが背中のブースターの勢いに乗って進み、目の前を『イカネサダ・心』で切り払った。…だが、その刃が届く瞬間、相手の姿が浮き上がり、刀は虚しく空を切った。
(…ジェットパックっ!)
一瞬の抜刀後硬直。逃げるのが間に合わず、空中からの巨大なるインクの一撃がソウの体を襲う。…が、そのインクの弾はソウがギリギリダメージでデスしないような…少々離れた位置に着弾した。
「今の一撃は少々危なかった…な」
「私とてジェットパックは久しぶりに使った。大分動きが鈍った私に交わされてしまうようでは、まだまだだ。相手のスペシャルが溜まっているのを確認したら、もっと早い段階での踏み込みが大事だ」
空中から聞こえてくる、パイロットゴーグルをかけた黒いコーディネートのガールの声。久しぶり。ソウにはとてもそんな風に思えないほど上手い。確かに、あの時から彼女は『リッター4K』使いだとは思っていたけど…
「…ブキには各々特徴があり、それぞれに対応の仕方が存在する。…だが、まずはあらゆるブキのスタンダードに近い、この『スプラシューターコラボ』に、ある程度対応できるようになってもらう」
「こういう1対1の鍛錬は…私も初めてではあるのだが…」
「クロからの頼みだ。…私の知識と経験を使って、全力でお前を鍛える。ついて来い」
ジェットパックが切れ、目の前に着地した彼女を前に、ソウは思わず神妙な顔になって何度も頷いた。
「…よし! では、リスポーン地点にジャンプ。そこから再び、対面開始だ!」
二人は、同時にスーパージャンプの構えに入った。
元クロの同僚。そして現専属講師、ピース。
イカ世界初心者。そして現ランク13、ソウ。
二人の特訓は、一日中続く。
原作改変点
・リーグマッチに「ナワバリ」が存在する。
むしろ存在してください。お願いします。