前話を見逃している方はご注意ください。
「ウキー! ここで会ったが百年目! 今度こそ、その気品さのカケラもない野蛮人顔を私のインクで塗りあげてやるわ!」
「シャー! 何よあんたに気品さがあるとでも思っているの!? その思い上がった脳みそをあたしのインクで洗濯すれば少しはましになるのかしらね!」
突然猿と蛇の鳴き声のごとき威嚇をしながら掴みあって斬新な罵声を言い合う二人のガール。ていうか、この世界には猿も蛇もいないんだったな…とソウは認識を改めた。
いや、というか今ユイの頬をウニョーンと引っ張っているあの向日葵色のゲソをしたガール、実を言うと、ソウはどこかで見たような見てないような…。
背中にはユーロのものと同じくらい細長いケース。頭にはサッカーバンド、服のギアはFCカラスミというサッカーのユニフォームみたいなギアだ。一体どこで見たのかなとソウが首を捻るかたわら、流石に大騒ぎしているとロビー中からの視線が痛いとのことで、クロが一旦抑えようと一歩踏み出した、その時だった。
「おやめなさい。リツコ」
ゆっくりで、それでいて凛とした更なる第三者の声がこの場に投げかけられた。
「あ、も、申し訳ありません! 姉上様!」
「おいこら逃げるな……むぎゃ!」
「ユイもいい加減やめんか。周りに迷惑だ」
リツコ、と呼ばれたガールは「姉上様」と呼んだガールの言葉を聞いて大人しく手を離す。なおもリツコに噛み付こうとするユイに関しては、クロが暴力的にそれを押しとどめた。
そしてその「姉上様」とやらは、スーツケースの形をした巨大なブキケースをゴロゴロと転がして、『インカーネイション』の面々と対峙する形で立ち止まる。
彼女のゲソの色は薄いピンク色…いわゆる「撫子色」というやつであった。シャツノゾキピンクのギアに加え、頭につけられたイカクリップと足のピンクビーンズという全身ピンク仕様という中々な派手さである。
そんな派手さとは対照的な、ゆっくりと落ち着いた声でリツコは目の前のクロに声を掛ける。
「ごきげんよう…チーム『インカーネイション』のお二方。お元気なようで何よりです」
「…元気なのは、そちらも同じようだな。…チーム『絶対制圧』のリーダー、ナラユ」
「ええ…ちょっと前までは風邪気味ではありましたが…お陰様で」
クロとピンクのガールとの会話は、単なる世間話に聞こえる。しかしソウにとっては、今の会話に重大な情報が含まれていたことを聞き逃さなかった。
(チーム『絶対制圧』のリーダー…あのイカが…)
(そうか…どこかで見たことあると思ってたけど…確かにあの雑誌の顔と一緒だ)
この前見たクロの雑誌に載っていたチーム『絶対制圧』の記事。そこにあったチームリーダーと副リーダーの写真と、目の前にいる二人のガールは同一人物であった。この世界に来て当初は、イカはぶっちゃけどれもこれも同じ顔に見えたのだが、今となっては見分けるのもの慣れたものである。
(ん、ということは……)
(ユーロのさっきの反応…そういうこと…なのか?)
ソウは、チラリと隣のユーロに視線を向けた。ユーロの顔は青さこそ引いてきたが、隣のソウも見えていない様子で視線を彷徨わせ続けている。ちなみに手を出すことを禁じられたユイとリツコは、未だお互いにガルルルと野生の威嚇を行なっていた。
ソウが『インカーネイション』のメンバーだと聞いて狼狽していたユーロ。
それ加え、『絶対制圧』の副リーダーのリツコが、ユーロの名前を呼んでいたこと。
そしてこの間。クロから聞いた話によると、『インカーネイション』と『絶対制圧』の二つのチームは…というより、主にユイとリツコの間では…それなりに確執があったらしいということ。
ソウの頭の中で思い浮かんだ推測が、結論という一本の線へと結びつこうとした、その時だった。
「あ…あの! すいませんっ!」
ソウも聞いたことのないような大声を、ユーロが発したことで両チーム全員の視線が一人のイカに集まった。視線を集めたユーロは、その視線の持ち主の一人の前に歩き、立った。
「リーダー……お願いが、あるんです」
「…何かしら? ユーロ」
『絶対制圧』のリーダー、ナラユは…ユーロを眼の前にした一瞬…笑顔を潜め、真面目な表情で向き合った。
「僕…友達ができたんです…」
「…ここにいる……チーム『インカーネイション』メンバーの……ソウと」
ユーロが一歩引いて、視線でソウを指し示す。覚悟していたとはいえ、突然指名されたソウは体を硬くした。
ソウの姿を捉えたナラユは微かに目を見開き、副リーダーのリツコは「何ィ!?」とオーバーなリアクションを見せた。ユイは未だ状況を上手く飲み込めずにキョロキョロし、クロは黙ってそれぞれのイカの様子を俯瞰している。
ユーロは慎重に言葉を選ぶかのように、ゆっくりと気持ちを紡いでいく。
「イケないことだとは、分かっています……副リーダーがいつも言っていた、必ず打ち滅ぼしたいライバルチーム…インカーネイションのイカと交流を持つ…なんてことは」
そんなユーロの独白を聞き、ユイは「言ってくれるじゃないの」とリツコを睨み、リツコは「フンッ」と鼻を鳴らした。
「…でもっ! ソウは、僕のことを助けてくれた恩人なんです! 今日も一緒に、たくさんバトルして、仲良くなって…これからもずっと、友達でいたいと心から思っているんです!」
「……お願いします。…ソウと、友達になることを…許してください……」
「……」
口をキュッと結んで頭を下げるユーロを、ナラユは黙って見つめている。
ここまで真摯に自分のことを言われるとソウはちょっと気恥ずかしくなってきたものの、ユーロがここまで強く想っていてくれたことには、正直少し胸が熱くなった。まさかここまで友達同士の友情をひしひしと感じる時がくるとは思わなかった。
「…困った子ね」
ナラユがため息と共に発した言葉を聞いて、ユーロの体がビクンッと震えた。
そしてユーロの目線まで屈んだナラユは、そっとユーロの顔に手を添えて、顔を上げさせた。
「いいこと? 友達を作るのに、誰かの許可なんて必要ないのよ?」
「…え?」
目を丸くするユーロに、ナラユはにっこり笑って言葉を紡ぐ。
「あなたが友達になりたい、と心から思ったなら…その人が誰であれ、私たちに止める権利なんてないわ。例え、私たちのライバルチームのメンバーでも、お伽話に出てくるような悪いタコでも…ね」
「他でもない…君が選んだ友達だもの。悪い子じゃないと信じるわ。…あなたもそうでしょ? リツコ」
同意を求められたリツコは、ソウの方をチラリと見て……いや、じーっと見て……あろうことか、頬が一瞬赤くなったかと思いきや、パッとナラユの方へ向き直った。
「ええ! 姉上様の言う通りです! うちのユーロが選んだ友達ですもの! もうさいっこうに可愛いですよ! はい!」
その感想は、明らかにリツコ自身による判断材料が入り混じっていた。
ソウはあの一瞬だけリツコから向けられた、熱のこもった視線を知っている。昔…いや、今も時々、ユイから同じような視線を向けられることがあるからだ。
自チームのリーダー、副リーダーともに認められたユーロは、目尻に微かな涙を浮かべながら「ありがとうございます…!」と感極まった表情で再び頭を下げた。
ソウも、内心ホッとした。あの優しそうな『絶対制圧』のリーダーだから大丈夫だとは思ってはいたが、もしも…という疑念は頭の隅にあったため、それが完全に取っ払われることになって本当によかったと思っている。
(…そういえば、俺も…ユイさんに許可とか取らなきゃダメか? …流れ的に)
ソウはチラリとユイの様子を確認した。するとユイの方は、「ああ〜ソウ君にも劣らぬ可愛さじゃないあのショタ…いやーん、もうユイにはソウ君もあの子も優劣つけらんない〜」とか言いながらクネクネしていたため、これは聞くまでもないと勝手に判断することにした。
許可をもらったユーロは、未だ嬉し涙の後を顔に残しながらソウに向き直った。
「…ソウ。…こんな僕だけど…これからも、友達になってくれる?」
「……当たり前だろ。せっかくできた友達と別れるなんて、そんな悲しいことはなしだぞ」
ソウとユーロ。二人は改めて絆を確認するかのように、握手を交わした。
二方向から、「尊い…」という呟きが聞こえてきた。
「さて…熱い友情を確認しあったところで、大事な話に移りましょうか」
ナラユの声は、さほど大きくないゆったりとした声なのに、この場にいる双方のチームのイカの注目を集めた。
「バトルの日取りは、いつにしましょうか?」
「…へ」
ナラユの疑問に、ユイは呆けた顔をした。
ソウはその言葉だけではまだどういう話か飲み込めずにいたが、クロが静かに補足の問いを投げかけた。
「つまり…あんたらチーム『絶対制圧』は…俺たち、チーム『インカーネイション』と戦いたいと…そういうことか?」
「ええ…私達のチームが再び立ち上がった大きな理由の一つ…それこそが、あなた達『インカーネイション』へのリベンジなのですから」
「…とのことだが、ユイ」
「え、あ、うん! そー…だねえ…」
ユイはようやく状況を理解したようだが、言葉の歯切れが悪い。
同じく状況を理解したソウには、ユイがどもる理由はよく分かる。
何せ、試合をしたいと申し込まれても…こっちには、未だメンバーがあと一人足りないのだ。
確かここ二日間ユイとクロがメンバー探しに奔走していたと聞いていたが…ユイのこの様子を見る限りでは、まだ実を結んでいないようである。
…ソウの方もバトルに関しては、まだまだ課題だらけである身であるが。
まさか因縁深いライバルチームを前にして、「まだメンバーが足りてなくて〜」とは言いづらいらしく、ひたすらに言葉を濁そうとするユイを見て、クロが助け舟を出す。
「…バトルの日取りを決めるのは、気が早くはないか? 第一…そちらはチーム四人…揃っているのか?」
クロの言葉を聴いて、ソウもようやく気づいた。そういえば確かに、向こうのチーム『絶対制圧』も今は三人しかいない。だが、クロ達は既に知っているはずだ。チーム『絶対制圧』は既に活動を開始しており、チーム戦もできるほどにメンバーは揃っていることを。一見すると答えの分かりきったこの問いは、少しでもいずれ対戦することになろう相手の情報を引き出そうとする画策なのだろうか。
しかし、その問いを受けたナラユは余裕の笑みを崩さなかった。
「ご心配には及びませんわ。…すでに四人目のメンバーは、決まっております」
「…ほう。それは、今どこに?」
ナラユの答えを受けたクロは、少々声のトーンを変えて尋ねる。
問いかけられたナラユは、静かにあたりを見渡すと、ポツリと呟いた。
「おかしいですわね。もう着いているはずですが…」
「…ああー! あれです! 姉上様! あいつ、あんなところにいました!」
「あらそう? それはよかったわ」
ナラユが手を合わせて喜んでいる傍、リツコはロビーの隅へ向かって駆け出していった。クロは黙って駆け出していったリツコを視線で追い、ユイとソウはポカンとしている。
リツコはすぐ戻ってきた。右手に一人のガールを引きずりながら。
「こらクララ! なーんで隅っこでぼーっとしてたのよ! 集まるときはちゃんと集まりなさい全く!」
「…私、疲れてる、から」
連れてきたのは、「クララ」と呼ばれるスカイグリーン色のゲソとそれと同色の瞳をしたガール。クロに劣らぬほどの無表情であり、声も小さく素っ気ない。その頭につけられているギア「ヤキフグビスケットバンダナ」は本来活発な印象を与えるギアであるが、このガールがつけてもその効果はなさそうである。
連れてこられたガールを見たユイは、んんん〜?という唸り声を上げながら、首を捻った。
「そのガール……どっかで見たことあるような…?」
ユイがそう呟くと、クララがゆったりとユイの方向へ視線を向ける。
すると、クララが端的に言葉を紡いだ。
「あ、さっきのお客さん。こんにちは」
「…は?」
ユイは、向けられた言葉に対して「?」マークを返すことしかできなかった。「お客さん」って一体なんのお客だって? このユイが?
彼女には全く身に覚えがなかった。
だが…クロが、珍しく驚愕の色を残した表情のまま、代わりに返答した。
「まさか…さっきあっちの広場で…大道芸してたイカか?」
「うん」
「えええええええええええ!!!!!?????」
ユイの大声に、両チームのほとんどが数センチ飛び上がった。
ソウは一体何の話か今度ばかりは本気で分からなかったし、ユーロは「クララさんの芸…もう一回見に行きたいなあ」と呑気なセリフを呟いていた。
「ちょちょちょ! 嘘でしょあんた! キャラ違いすぎるでしょ!? 絶対違うイカでしょ!」
「いや、同じイカ。これは、芸やってると…喉と表情筋が、痛いから。芸やってる時以外は…休息期間…なのだ」
「……そ、そう」
説明されたユイは、驚きが去って静かになった。
いや、あのクララというイカの顔をじーっと覗き込んでいる様子からすると、ただ単に自分の記憶と実際のクララとの変化を確かめるために静かになったかもしれない。
やがて納得したのか、ユイが顔を離すと今度はポツリと呟いた。
「えっと……あの芸…凄かった、です」
「ありがとう」
「それで…その、よければ…サインを」
「はい」
「え、えええ!? 嘘、いつの間に、どこから!?」
「私 大道芸人。大道芸は、手品も、含むもの」
「うわあ! 凄いですっ! ありがとうございます! ユイ、これ一生大事にしますね!」
ソウも聞いたことのない敬語口調で、喜びを露わにするユイ。
どうやら、ユイは自分が尊敬するような相手に対しては態度と口調がちゃんと変わるようである。どんな相手に対してもマイペースを貫くタイプだと心の中で勝手に判断していたソウは少し驚いていた。
「…とまあ、このように…私達はメンバーが揃っているため…お気遣いなく。いつでも勝負を受ける準備は整っております。なんでしたら…今からでも」
ナラユの穏やかな微笑み。しかしその言葉には、ソウにも分かるほどの力強さがこめられているのを感じた。
ソウの人間時代。単なる高校の部活動といえども、その部長…特に運動部ともなれば、それなりの雰囲気と強さが垣間見えたものだ。
まがいなりにも、彼女は『バトル』を行うチームを率いるリーダー。生半可な柔らかさだけでは、その上に立つことはできない存在なのだ。…ソウはヒシヒシと、この場の雰囲気を実感していた。
ナラユの言葉を聞いたユイが、クララのサインを抱えたまま一瞬ピクリと震えた。クロはそんなユイを一瞥した後、代わりにナラユの前に立った。
「…悪いが、こちらはより万全の状態で試合に臨みたい。…今はまだ、戦えない」
「そう…それは残念ですわね」
ナラユの微笑みは微かな失望を表した表情となり、先ほどの声に込められていた闘争心も引っ込んでしまったようだ。
「そうしましたら、都合の良い日取りが決まりましたら教えていただけるとありがたいですわ。フレンドコード交換は…まだですよね? バトルに合流したりすることはありませんので、あくまで連絡用として、交換していただいた方が、滞りなく連絡できると思いますわ」
「…そうだな。…なら、俺のフレンドコードを」
「いや…いいよ、クロ君」
クロとナラユの会話に割って入ったのは、サインを抱えたままのユイであった。
「ユイが交換する。向こうのリーダーが直々に連絡したいって言ってるんだから…こっちも、リーダーであるユイが出なくちゃ、しまらないでしょ」
「…そうか。なら任せた」
スマホを取り出したユイと入れ替わりになる形で、クロが一歩下がる。
二人のリーダーがスマホで通信している間、クロが「あいつも少しはリーダーの自覚が戻ってきたか」とポツリと呟いていたのがソウにも聞こえた。
確かに、さっきユイが発したセリフは、いつものお気楽な雰囲気とは少し違う感じの言葉であった。ひょっとすると、ナラユの言葉の裏に秘められていた闘争心がユイにも伝播したのだろうか。
フレンドコード…通称フレコを交換し終えた両リーダーはスマホをしまい、お互いに笑顔を交わし合う。
「それでは…その万全な状態とやらが整いましたら、いつでもご連絡ください。私達『絶対制圧』は…より完全な状態をもって、迎えさせていただきますわ」
「…上等! ユイ達『インカーネイション』は、どんなチームが相手でも、絶対勝つんだからね!」
無論、その笑顔は嬉しさや喜びによるものではなく…因縁深いライバルチームを前にした、不敵な笑みであった。
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「どーしよークロ君! 早く最後のメンバー見つけないと! ああもうどうしよう! どうしよう! もうやだなんであいつらだけメンバー揃ってユイ達はまだなのよー!」
「…いい加減落ち着け」
家のリビングでぐるぐると歩き回りつつ大騒ぎしているユイに、ソファーに座ったクロが静かに注意する。
今この場には、あの不敵な笑みを浮かべたユイはどこにもおらず、代わりに不安と焦りからパニックになっているユイがいた。
(やっぱユイさん、内心めっちゃ慌ててたのかな)
おそらくは改めてチーム同士対面したことで、今二つのチームにある差というものを実感してしまったのだろう。
考えてみれば、向こうは既に『ガチエリアの高み』にまで返り咲いたチームとして知名度を上げている身である。
一方こちらは『高み』に返り咲くどころか、チームとしてのメンバーすら足りない状況なのだ。ユイのように焦る方がむしろ正しいのではないかという思いさえ浮かんでくる。
「どうしようと言われてもな…別に試合までの期限が決まっているわけじゃない。地道に一人ずつ野良のイカに声をかけていくしかないだろう」
「それじゃー遅いよー!その間にあいつらはドンドン練習して…チームとしての完成度が高まっていっちゃうんだよー! うだうだしてると、追いつけなくなっちゃうんだよー!」
膝から崩れ落ちて大げさに嘆くユイに対し、クロは視線をそらしたものの…無表情のままのその顔には、悩みの表情が浮かんでいた。
いつもは明るい─大体ユイのお陰でだが─この家に暗い雰囲気が漂い始めた。
ソウは、この暗い雰囲気を払拭するために自分にできることが何かないかと考えてはみたものの、ものの数秒で諦めた。
自分のようなイカの素人がチームの人事に口を出すような真似をしてはかえって迷惑だろう。自分にできることはただ一つ。ブキの練習によって、少しでもチームの戦力として完成することだろう。
そんなことを考えていたせいか…ソウはしばらく気づかなかった。
スボンのポケットに入っていた自分の携帯が震えていたことに。
「えっ嘘、誰……あ、ひょっとして…」
ソウが携帯の通知に気づかなかったのは、そもそもソウの携帯にメールや電話をする相手がユイとクロしかいなかったからだ。…ただし、それも昨日までの話。
今日、ソウの連絡先リストに新たな名前が一つ増えていたのだ。
「も…もしもし? ユーロか?」
『もしもし? はい、ユーロです。…いやあ、ちょっと緊張しちゃった。あまり電話しないものでさ』
はは、と笑う電話の向こうの声は、間違いなく今日出会って友達になったばかりの、ユーロのものであった。
しかしソウの脳裏にまず思い浮かんだのは「?」マークであった。
電話をかけてきた相手がユーロだと分かった瞬間から、ずっと「一体何の用で電話してきたのか」ということを必死で考えてみたが、ソウには全くもって心当たりはなかった。何せ、言いたいことがあるならさっき言うタイミングはたくさんあったはずなのだから。
「…どうした? 何か問題でも…?」
『あ、いやいや違うんだ…。大したことじゃない…っていう訳じゃないんだけど…その…』
「…単刀直入に言って、大丈夫だぞ?」
相変わらず昔のソウのようにはっきりしない物言いに、ソウが補助のために先を促す言葉を伝える。
それによって、ユーロの口調も改まったものになる。
『うん…ごめんね。…あのさ、ソウが……あのインカーネイションのメンバーだって知ってさ…』
『だから…その、お願いがあって』
「…お願い?」
『うん…チーム インカーネイションのみんなに…会ってほしい、イカがいるんだ』
*
*
*
*
*
*
次の日。
時間にして午前7時─本当は午前6時には到着したかったが、ユイが寝坊してしまったため─ユイとソウは、カンブリアームズ ハイカラスクエア店舗に訪れていた。
ホントはクロも一緒に来て欲しいところではあったが、外せない仕事があるらしいのでそこは断念することにした。
「ねえねえ、早く入ろうよソウ君!」
「あ、はい…そうですね」
朝っぱらからテンションの高いユイに押され、ソウは仕事で通い慣れた店に足を踏み入れる。比較的朝早いため、中にいるイカは数える程もいない。それゆえ、カウンターに立つカンブリアームズ店長…ブキチとすぐに目があった。
「おやソウ君! こんにちはでし! 手伝いに来てくれたでしか?」
「おはようございます、ブキチ店長。あー、今日はですね、すいませんが別の用事でですね…ブキチ店長に聞きたいことが…」
「ほう! 何でしか? 言ってみるでし!」
そう、今日チーム インカーネイションの二人が揃ってここに来たのは別の用事…すなわち、昨日のユーロから電話で伝えられた『お願い』なのだ。わざわざチームを指名して、会ってほしいイカがいると。
最初ユイがそのことを聞いた時、いかに大好物のショタからのお願いといえど、突然見知らぬイカと会って欲しいというのはアヤシイことだと、眉を顰めていた。
しかし、ユーロからの事情を聞くと、ユイの猜疑心は一気に吹っ飛んだ。
───そのイカ…ガールなんだけど、チーム インカーネイションの大ファンなんだ。
このような事実を聞いたユイに、猜疑心なんて残るわけがなかった。
会いに行こう! 今すぐ! と言って小躍りするユイを見て、それでいいのかとソウは内心首を傾げたが、かと言ってユーロが嘘をついているとは思いたくない。今は信じて会いに行こう、と考えた。
ただ、とユーロは電話の向こうで心配そうな声で言った。
───ただ…僕、そのイカとは前にフレンド解消しちゃったから…今は連絡取れないんだ。…だけど、ソウ達なら会えるタイミングはある。…あのイカが、昔からずっとやってたっていう『日課』を、今も続けているなら…。
そう、ユーロの言うイカに会いに行くために、特に待ち合わせとかしている訳ではない。連絡先も何も知らないのだから。
このカンブリアームズに来たのは、そのガールの『日課』とやらの存在を確かめるため。
「えーっとですね…確か、『午前六時から九時までの三時間…毎日ずっと試し打ち部屋に籠っている』アクアマリン色のゲソをしたガールを知りませんか?」
「…ああ、はいはい! サイクちゃんでしね! もちろん知ってるでし! 普段から店に来てくれるイカの名前は全部覚えているでしが、彼女の場合は決まった時間に毎日試し打ち場を使ってくれてるので、しっかり記憶に残ってるでし! 今ちょうど試し打ち場を使っているはずでし!」
ブキチの言葉を聞いて、ソウとユイは思わず顔を見合わせて頷いてしまった。ビンゴだ。ブキチの言っていた名前も、ユーロから聞いた名前と一致する。
「ブキチ店長。実は、そのイカの忘れ物を預かっていて…彼女、今すごく困っているらしいから、すぐ手渡して上げたいんですけど…」
「おっと、それは大変でしね! 了解でし! 部屋の合鍵を貸してあげるでし!」
そそくさとカウンターから控え室に下がっていったブキチを見て、ソウは内心ホッとした。もちろん、今ブキチに語った理由は嘘である。
なぜわざわざ嘘をついたかと言うと、試し打ち場は個人に即興で用意されるプライベートな空間である。バトルにおける戦法の研究や、射撃訓練には一人で集中できる空間が人気であり、おいそれと他人に邪魔されないように、基本的に試し打ち場を借り受けると、ドアを閉めるための鍵も預けられる。
いくら職員とはいえ、いや職員だからこそその立場を利用して、私用のために試し打ち場にいるイカに会いたいとブキチに頼んでも、断られる可能性がある。入り口でそのイカを出待ちするのも不確定だ。何せ、ソウ達は当人の顔を知らないのだ。
なので、確実に会うためには該当する試し打ち場へ突撃する。そのために嘘をついたのだ。
ソウの心の中で、葛藤がなかったとはいえない。しかし、元来ソウは楽観的な性格である。一度割り切れば、罪悪感こそ覚えても躊躇はしなかった。無論、謝る時にはしっかり謝る覚悟はあった。
やがて、ジャラジャラと鍵の束を持ってきたブキチから、一つの鍵を受け取った。
「はい、じゃあこれ! 彼女がいる部屋番は106でし!」
「ありがとうございます、ブキチ店長!」
鍵を受け取ったソウは頭を下げて礼をすると、ユイを連れて試し打ち場へ急いだ。
*
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立ち並ぶ数字の書かれた扉のうち、ソウとユイは目的の部屋…すなわち、106番の試し打ち場の前へたどり着いた。
ドアの向こうからは時折破裂音が─おそらくなんらかのボムの音が─聞こえてきた。
意味があるのかはともかく、ユイが声を潜めてソウに囁く。
「すごいね。毎日三時間もずっと試し打ち場で練習してるなんて…間違いないよ。絶対『できる』イカだよ!」
「…そうですね」
正直、ソウもそこはユイに同意している身だ。
一体いつからこの日課を続けているかは定かではないが、毎日三時間の練習ってだけでも、すごいことだ。
高校の部活もそれくらいはやるものだが、あれはチームの様々な練習を繰り返すもの。一方、チームも特に組んでいないらしい、あのガールはたった一人で三時間。試し打ち場で練習しているのだ。具体的な練習内容はソウも知らないことだが、途中で飽きたり嫌になったりしないだけで、ソウからすれば感嘆に値する。
チームメンバー探しに難航していたユイは、少々自暴自棄になっており、今回会うイカをスカウトする気満々であった。ただ、一応昨日クロからは、「ユイの意見に流されるだけじゃなく、お前自身の目で見てそのイカを判断しろ」とアドバイスをもらっている。
「え、でも俺…イカを見る目とか、バトルがうまいとか…そういうの何も分からないんですけど…」
「構わん。お前はもうチーム インカーネイションの一員なんだ。直感でもいい。このイカと自分は仲良くできそうかどうか、その程度でもいい。自分の意見をしっかりもって、物事を判断するんだ」
クロから言われた「チーム インカーネイションの一員」という言葉に、ソウは自分の心持ちを見直した。
(そうだ…俺は、チームの一員なんだ…あのユイさんですら、リーダーとしての自覚を持って行動している。…俺も、チームの一員として、自分にできることをとにかくチャレンジしていかないと)
「ソウ君…じゃ、開けるよ」
鍵を差し込み、回すユイ。
ソウがコクリと頷いたのと、ギーッという音を立ててゆっくりと扉が開いたのが同時だった。
「お邪魔しまーす…あれ?」
「…いない、ですか?」
扉を開けた時点で、イカの姿は見えなかった。
まずソウ達の目に映るのは、イカ風船の形をした5つのマト。いずれも固定されたものであり、その周辺の床にはアクアマリンの色をしたインクが飛び散っている様子が見える。
しかしかといってこの試し打ち場にかのイカ…サイクがいないという訳ではなさそうだ。
その証拠に、凹の字型の試し打ち場の左側…こちらからは壁に隔てられて死角となっている向こう側─あそこには横にスライドする動くマトがある─の方で相変わらずインクの爆発音が聞こえるからだ。
「ソウ君、どうやらユイの大ファンのイカはあっちにいるみたいだね」
別にチームインカーネイションのファンというだけで、ユイのファンかどうかはまだ定かではないが…。
ソウはそれより、部屋のとある一点に非常に気になるものを発見していた。
「ユイさん…あれ」
「え、何ソウ君……え、あれって…」
ソウが指差した先をユイが見ると、ユイの目も丸くなる。
壁際に無造作に転がっているソレは…
「ホ、ホクサイ? …なんで?」
ユイが首を傾げるが、首を傾げたいのはソウも同じであった。
試し打ち場は未購入のブキを含めて試射ができる代わりに、盗難防止のために持ち込めるブキは一個のみ。別のブキを試射したい時はいちいち入れ替えなくてはならない。
つまりここにメインウェポンが転がっているということは…向こうにいるガールは、サブウェポンとスペシャルしか使えないはず…サブウェポンに特化した練習なのだろうか?
とりあえず、職業柄放って置けないソウは転がっているホクサイを拾い上げると、ユイの元へ駆け戻った。
ユイは何やら潜入捜査でもしてるかの如く壁に背を張り付けていた。
メインを放り出して壁の向こうで延々と爆発を起こしているガールに対し、大分不信感が生まれてしまったようだ。
「ソウ君、いくよ…そーっと…覗いてみよう」
何もそこまで慎重になることはないんじゃないか、とソウは思ったが…確かにこんな状況で試し打ち場にいるガールが何をやってるかは非常に疑問ではある。とりあえずこっそり覗いてみて様子を伺うのも悪くはない。…完全に不審者な気がするケド。
ソウとユイは二人揃ってそっと、体を伸ばして壁の向こうを見た。
そこで見た光景は、あまりにも予想外だった。
「へへへ〜可愛いなあ〜」
そこには、ガールがいた。
ユーロから聞いた通りアクアマリン色のゲソをしており、床に腹ばいになって頬杖をついている。
服のギアはキングパーカー グレープ。口元についているギアは怖さを増幅させることで有名なイカスカルマスク。ただし、その口から漏れでる呟きはまるでいくつものハートマークが飛び交っているかの如くほわほわしていて柔らかいものであった。
そして腹ばいの彼女がうっとりした視線を向けている先で動いている『ソレ』は…ちょうど一気に膨らんだかと思うと一瞬で爆発した。
「ああ〜ん…『ロボム』ちゃんかわいい〜! それもういっか〜い!」
夢心地な表情で、背中のインクタンクから生成されたサブウェポン…『ロボットボム』を掴み、目前の動くマトに投げる。
地面に落ちたロボットボムは、動くマトを標的としての捕捉し、歩き出す。しかし動くマトの左右移動のスピードはロボットボムの歩行速度より速いために…ロボットボムが起爆した時には、そのマトは多少インクがかかっただけで、破裂することはなかった。それを見たアクアマリン色のゲソをしたガール…サイクは、またイカスカルマスクの下から甘美なる声を出してくねる。
「ああ〜いいよ〜。届かない敵を必死に追いかけて身を散らすロボムちゃん…とっても健気で可愛いよお〜…もう一回、いこう〜!」
腹ばいのまま器用にくねくねしたサイクは、またもやロボボムをマトに向かってぶん投げる。すると今度は上手いこと、マトが移動の方向を変える転換点に起爆のタイミングが重なったため、マトはロボットボムの爆発をモロに受けて爆発四散した。
「きゃー! ロボムちゃーん!! 凄い凄い〜! あのマトを見事とらえて倒すなんて! やっぱりロボムちゃん最高だわ〜! あんな可愛い顔して強いなんて最高ー! もう一回見せて! もう一回!」
腹這いのままパチパチと拍手しつつ脚をバタバタさせて興奮したサイクは、またもやロボットボムをマトに向かって投げた。
「………………」
「………………」
一方、その影ではチームインカーネイションの二人が、絶句していた。というか、ドン引きしていた。
「…まさか」
「……」
ユイとソウは、一丸となって同じ想像をしていた。そして、その想像は正しかった。
毎日三時間。午前六時から午前九時までの三時間。毎日ずっと『ロボットボム』を眺めることが日課の彼女。
このガールこそが、ユーロの元友達。
そしてチーム インカーネイションの大ファンである、サイクであった。
リツコ
性別:女
ゲソの色:向日葵色
推し:ヒメちゃん
憎し:ユイ
座右の銘:射程は正義
謝罪すべき点:他キャラと名前がややこしいため、こっそり初登場時と名前を変えています。申し訳ありません。