負け犬、餌にありつけなくなる
メガバシャーモが倒れた。勢い余って地面にぶつかって、だ。ほぼ敗北が決まり、死んだ目をしていた相手トレーナーが途端に生気を取り戻す。あたしの手持ちポケモンはもう底をついている。審判の相手勝利を告げる声。観客席からの地鳴りのような罵声、吹雪のように宙を舞うハズレ投票券、投げつけられるゴミ。会場警備に当たるエスパーポケモンのテレキネシスで、ピッチ内にゴミが入ってくることだけはない。あたしが客席にいて券を買ってたら、ゴミを投げたくなる気持ちにもなるだろう。格下トレーナー相手に場を整えてあと一撃当てれば勝てるというところで負けたのだ。しかも、十連敗と来た。眩くピッチを浮かび上がらせる照明から目を背けるように俯き、あたしはピッチを後にした。
もうすぐ日が変わろうとする時間だが、今日も試合は二十四時間ぶっ続けで行われることになっており、トレーナー控え室は試合前と変わらずごった返していた。モニタに映っていた試合を見ていたのか、あたしの顔を見て失笑する奴、目を逸らす奴、同情の目を向ける奴。顔見知りだろうがそうでなかろうが、全員の目線があたしに向かっているような気がした。小さなくすくす笑いも、自分に向けられているような気がして、頭を小さく振る。自分の試合もあるのに、全員が全員、そんな暇人な訳がない。乱暴にロッカーから荷物を引っ張り出したところで人に肘がぶつかった。
「すみません」
「こっちこそ、失礼……と、ユウケじゃないか。さっきはついてなかったな」
「何だ。あんたか。ツイてないのはいつものことだからね」
男は同郷のトレーナーだった。あんまり負け戦でかっか来ているせいか、名前が思い出せない。別にこいつのせいで負けたという訳では無いが、今は誰とも話したくなかった。同情七割、苦笑二割、その他一割というところの顔を睨みつける。
「まあ、気を落とすなよ。次があるって」
「次も何も、次からあたしは実況落ちだよ。さっきの相手も、だいぶ格下だったしね」
「あー……そりゃ、ご愁傷様。元気出せよ。じゃ、俺、次の試合だから」
あたしの普段より鋭いというか悪い目付きにか、実況落ちという言葉にか、顔を引きつらせながら、男は去って行った。世界リーグ戦――トレーナーの格付けがレートという数字で行われることからレート戦とも俗称されるプロリーグでは、概ね同程度のトレーナーが対戦するように調整される。世界リーグ戦に参加するトレーナーは概ね十五万人から二十万人いるといわれ、テレビ中継だろうがネット中継だろうが、実況がつくのはそれなりに上位のトレーナーに限られる。それが外れるという事は、まあ、そういうことだ。もっと格が低いと、そもそもスタジアムやイベントホール、あるいはジムの一角ではなく、インターネット上での試合になる。ポケモンという電子データとしても扱える生き物の特徴を生かした省スペースといえば聞こえがいいが、要は場所を使う価値も薄いということだ。格が下がればスポンサーも外れるし、リーグ主催からの報酬もぐっと少なくなる。あたし程度のトレーナーでも何社かスポンサーはついていたが、多分明日の朝には契約を切られるだろう。しばらく暮らしていくだけの蓄えはあるからすぐに飢えることはないが、収入が断たれるのは精神的にきつい。
実況落ち自体は何度も経験しているが、不運が重なり続けての十連敗はさすがに今シーズンはもう駄目だなという気持ちを抱かせるに充分だった。選出も読みも命令も、どれも間違っていたとは思えない。いわなだれを六回連続で避けられたり、りゅうせいぐんを三回連続で外したり、相手のあくのはどうで三回連続で怯んだり、じわれを二回連続で食らったりした上で勝てるトレーナーはそうは多くないだろう。地鳴りのような歓声が漏れ聞こえるスタジアムをとぼとぼと出た負け犬の溜息が夜気に溶けて消えた。
フレンドリィショップは二十四時間営業。荒んだトレーナーの心にはそう、カイリキーゼロだ。飲む福祉だの
シングルルールでは最大レート千七百、全世界で三千番目かそこら、それなりのトレーナーが泊まるにしては質素なビジネスホテルだが、旅の中、ポケモンセンターか、もっと酷い小汚い宿に慣れきっていたあたしには充分贅沢な宿だった。お湯も出るし、異臭もしないし、変質者だかがドアノブをがちゃがちゃしないし、虫も沸かないいい宿だ。前金で今週末までは払っているが、ここを引き払ったらどこにするか。録画していたお気に入りのアニメも、好きな菓子も全然慰めてくれない。ただただ、カイリキーゼロの胡乱げなアルコールがあたしの頭を、屈辱感をぼんやりとさせていく。
「あたしの何が悪かったんだろう……」
アルコールが熱した溜息が、がらんとした部屋の温度を下げていく気がした。
滅多に鳴らないスマフォが、爆音でAC/DCの"Highway To Hell"をがなり立て、飲むだけ飲んで寝ていたあたしを叩き起こす。ベッドで寝ていただけ偉いと自分を褒めてやりたい。二日酔いで頭が痛い。やっぱりカイリキーゼロは駄目だ。最悪の目覚めといっていい。
「ユウケ?!あんた、昨日の試合見たわよ!っていうか、今も録画したの見てるけど。あんた髪切りなさいよ、何この落ち武者みたいなざんばら頭!髪の毛痛んでない?あと、目付きすごい悪いわよ!どんどん目付き悪くなってない?!」
「……母さん?何?あたしの目付きに用事なわけ?」
「そうじゃなくて、あんた、最近大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ。十連敗して大丈夫なトレーナーはそんなにいない」
アルコールが抜けていない上に、普段から寝起きの悪いあたしは、ナットレイの棘もかくやという口調をへらへらと冗談めいた響きに織り交ぜて返す。電話口の向こうで、しばしの沈黙。
「あんた、たまには帰ってきなさいよ。一回しか帰ってきてないじゃないの」
下らない、と一蹴することも簡単だった。去年に一度帰ったはずだ。二年ばかり旅をして、一度帰っていたら上等だろう。これだけケチがついたらもう何ともならないだろうと、当分リーグ戦には出ないつもりだったし、あまり贅沢をしないあたしはそれなりに蓄えはある。まだ旅をしたことがないシンオウに行ってもいい。だが、自分の口からは意外な言葉が滑り出た。
「うん。そうするよ」
「うんうん、そうしなさい!あ、それとね、実家なんだけど、明後日からアローラに引っ越すことにしたから!」
「はあ?!父さんはどうするの?」
離婚でもするのか、とはさすがに聞けなかった。別にあたしももう十歳を過ぎた大人だし、親が離婚しようが引っ越そうが、構わないのだが、母さんも父さんもカントーの出身のはずだ。だが、聞けば父さんが新設のアローラ支社へ転勤の予定に合わせて引っ越すはずだったのが、半年ほど支社の新設が遅れたせいで、母さんだけ先に引っ越すことにしたのだという。
「あんた今どこにいるんだっけ?ホウエン?それじゃアローラの空港で待ち合わせるのが一番ね!」
「はいはい……」
飯はちゃんと食え、荷物の送り先はここそこだという話を適当に聞き流して、電話を切った。宿は元々引き払うつもりで荷物も旅から旅への暮らしで大したものはない。後は、育て屋のタマゴを回収するのと、馴染みへの挨拶くらいか。
「アローラ、か」
アローラのポケモン自体は、リーグ戦で戦ったことも使ったこともある。だが、あまりに遠い地方でイメージが全然湧かない。ぼりぼりと後頭部をかく。そろそろ伸びて鬱陶しくなってきた髪も切るか。鏡に映ったクマと酒の残りでひどい顔を眺めつつ、頭の中でこれからの予定を立て始めた。人生そのものとは言わないが、上手く行かない何事かを、何かをやり直したいという漠然とした気持ちが叶うかもしれないという漠然とした希望も織り込みながら。
『本機はまもなく、アローラ空港に到着いたします。エアサンムーンのご利用、まことにありがとうございました。安全のため、機体の停止まで席からお立ちにならないよう――』
空を眺めるのにも飽きて寝てしまっていたらしい。機外を眺めると、ギラギラと光を反射する広漠な海、四つの島と、そのうち二つの島の中央に大きな山が見える。アローラ地方。熱帯に来るのは初めてだ。思えば、寒い地方ばかり旅してきた気がする。心なしか、窓ガラス越しに眺める陽光も強いように思えた。
「あたしのポケモンが移送できない?」
「まことに申し訳ありません。お客様の書類ですと、タマゴの移送のみしか行えません。ですが、四日……えー、時差があるので五日ですね。五日後には全てのポケモンの移送手続きが完了します」
カロス地方に行った時にも同じ手続きをしたから大丈夫だと思っていたのだが。ここで喚いても何かが解決する訳でも無く、バックパックと五つ分のタマゴが入ったモンスターボールを受け取る。ポケモンを持たずに出歩くのは、旅に出た日以来初めてだ。やったことはないが、全裸で歩いたならこんな気持ちになるだろう。丸腰の不安な気持ち。腰がすーすーする。まさか空港で襲われるなんてことはないだろうが、とにかく母さんと合流しなければならない。最低でも、ニャースだけは連れているはずだ。周囲のどこか浮かれたような雰囲気を余所に、待ち合わせ場所に向かって足早に歩き始めた。
母さんが車を先に持ち込んでくれていたお陰で、徒歩や乗り合いバスで家を目指すなんてことにならなくて済んで助かった。
「あんた、髪切ったのね。ひどかったもんね。あの髪ね」
「……そんなに?」
面倒だから切らずに放っておいただけなのに、ずいぶんな言われようだ。確かに相当軽くはなった。スプラッシュカール、とかいう髪型らしい。美容室で適当に決めた髪型なのだが、ひとまずは変ではない、らしい。異郷の夕日を眺めながら、母さんのどうでもいい話に相槌を打つ。それにしても、家族とこうやって下らない話に興じるのもたまには悪くないものだ。後ろのニャースも、見慣れぬ景色に夢中になっているらしい。植生もずいぶん違う。南の島というステレオタイプにぴったりの、だが、美しい景色が自動車の速度で流れていった。
新居はずいぶんと小綺麗な家だった。あたし達が着いてわずか一時間後に引っ越し屋がやってきて荷物を運び込み始めるまでは。
「荷物、今日来るんだ……」
「早いほうがいいでしょ?全部やっちゃおうと思って」
運転手の人間が一人とゴーリキーの助手が二匹、あっという間に荷物を運び込んでいく。二階のあたしの部屋にも懐かしい荷物が殺到し、カントーの香りをわずかに運んできた。自分のベッドで寝るのもずいぶんと久々だ。あたしはとりあえず、今日中に荷物を全部開けてしまおうと決意した。
時差ボケを心配していたが、意外と影響はなく、朝食に久々の家庭の味を楽しんでいる最中、ドアホンが鳴った。
「ユウケ、出てちょうだい」
ドアを開くと見知った男性が立っていた。思っていたより背が高いし、なぜか白衣を半裸の上に羽織っているがやたらと体格がいい。
「やあ、ユウケ。ネット通話以外では初めましてだね。ククイだよ。よろしく」
「はあ、どうも。ククイ博士」
馬鹿みたいな返事をしながら、差し出された手を取って握手する。手もごつい。今まであった博士という人種と全然違う力強さに呆然としてしまったのが正直なところだ。ネット通話でもカメラはついていたので顔は見ていたのだが、こんな格闘家みたいな人だとは思っていなかった。ポケモン研究はフィールドワークも多いし、体格が良くても別におかしくも何ともないのだが。
「あら、ククイ博士!お久しぶりです!」
「ママさん、お久しぶりです。お元気そうで」
母さんと何事か見に来たニャースに場所を譲って、あたしはご飯の続きに戻った。経験上、こうなると母さんの話は長い。ご飯を食べてお茶を淹れた辺りで話が終わるだろうと当たりをつけたあたしは、具だくさんの味噌汁と格闘を再開した。
大人というのは何をそんなに話すことがあるのだろう、と不思議に思いながらお茶を飲んでいたらやっと声をかけられた。今日はまず、近くの町に住んでいるという、しまキングに挨拶に行くという話らしい。アローラ地方は王制なのかと思ったが、もちろんそんなことはなく、ジムリーダーの偉い人みたいな感じらしい。「忘れ物をしたから先に行っておいてくれ」というククイ博士の言葉に従って町を目指したが、草むらの前で立ち往生してしまった。
「タマゴ、孵ってないんだよね……参ったね、こりゃ」
どんなポケモンがいるか知らないが、素手でポケモンと殴り合いをしたくはない。怪我で済めば上等だが、仮にガーディでもいようものなら、転居翌日に元プロトレーナー死亡、なんて記事が新聞に載りかねない。ククイ博士を待つか、ときびすを返したところで、ガサゴソガサゴソと草むらをかき分けて何かが走ってきた。飛び退いたあたしのいたところに、見慣れないポケモンが着地した。
「シャーッ!」
茶色で体長の長い、見たことのないポケモンだ。強いて言うなら、細長いシルエットがマッスグマにちょっと似ている、か?目を逸らすと飛びかかられるので、じりじりと睨みつけながら後ずさりする。棒きれでもあれば、と思うが、何もない。諦めて大声を出して助けを呼ぼうとした時に、背中側から何かが駆けてきた。足下をするりとくぐり抜けて、三匹のポケモンがあたしと茶色いポケモンの間に割り込む。数秒間睨み合った後、数の不利を見てか茶色いポケモンは駆け去って行った。
「ユウケ!いや、急にその子達が走って行くからどうしたかと思ったよ!」
「草むらとかあるなら、先に言っておいてください」
ジト目で見ても全く気にするそぶりがない博士に、内心溜息をつく。
「それで、この子達は博士のポケモンですか?」
「いや、君に一匹あげようと思ってね!ポケモン、連れて来られなかったんだろう?」
「もう何日かしたら来るはずなんですけどね」
でも、ポケモンをもらえるのは嬉しい。見たことのないポケモンならなおさらだ。危ないところを助けてくれた三匹の顔を覗き込む。説明を聞くまでもなく、大体当たりがつくな。炎タイプ、水タイプ、草飛行タイプだろう。
「左からニャビー、アシマリ、モクローだ。炎タイプ、水タイプ、草・飛行タイプだ。どの子にする?」
タマゴの中に、水タイプも草タイプもいるし、何より猫派のあたしは目が合った時からもうこの子にしようと思っていたのだ。ニャビーを抱き上げる。ふしょふしょとした手触り。にゃあ、と鳴く可愛らしい生き物。ぎゅうと抱きしめたいのを堪える。
「よろしくね、ニャビー」
猫ポケモンをなでていると、半日くらいはあっという間に過ぎ去ってしまう。名残惜しいが、「また後でね」と声をかけてニャビーをモンスターボールに入れた。ジョウトみたいに連れ歩きが許されていれば。実際のところ、法律で連れ歩きが禁止されている地方でも、ポケモンの連れ歩きは黙認されることがほとんどなのだが、しつけのなってないポケモンが暴れる現場も見たことがあるあたしは、なるべく守るようにしている。あたし自身が法律やルールを守るのが得意かというと、怪しいところだが。ともあれ、腰のボールホルダーの最後の一個が動けるポケモンで埋まって一安心というところだ。リリィタウンまでいくつ草むらがあるかはわからないが、ポケモンさえいればきっと大丈夫だと思えた。
「いやあ、ユウケもそんな顔するんだね」
「……そんなに顔緩んでましたか」
「ポケモン好きなのはいいことだ!」
それはそうかもしれないが、変な顔を見られてしまったのは油断したとしか言えない。気持ちが緩んでしまっているのだろうか。気を引き締めなければ。
リリィタウンは思っていたよりずっと近かった。こぢんまりした町だが、生まれ故郷のマサラタウンよりはよほど大きいし、活気に満ちているのが村の入り口から見て取れる。マサラではめったに見かけない、成人したくらいとおぼしき男の子も走ってくるし――こっちに走ってきた。正確にはあたしではなくて、あたしの前にいる博士に対してだ。
「あー、博士ー!」
「よう、ハウ」
「博士ー!今日ポケモンくれるんでしょ?!」
「そうそう、水タイプのアシマリか草タイプのモクロー、どっちがいい?こっちのユウケは炎タイプのニャビーを選ん」
「モクロー!」
食い気味に即答するハウ君という名前(多分)の男の子。目の前の他のトレーナーが選んだポケモンのタイプを気にするそぶりもなかった。どうしても戦うかは別として、相性がいいポケモンを選びそうなものだが。
「ずっと君と冒険したかったんだ!よろしくね、モクロー!」
なるほど、前から決めてたわけか。あたしと被らなくてよかった。
「あっ、君が越してきたユウケ?俺、ハウ!よろしくね!」
「あー、ユウケです。どうもよろしく」
アローラの人はみんなこんなにテンションが高いのだろうか?どちらかというとダウナー器質なあたしは合わせるのが大変かもしれない。
「じゃ、ユウケ!バトルしよーよ!」
ちらりと博士の方を見る。あたしの名前は知られているし、博士はどこまであたしの経歴を話したのだろう?まあ、もらったばかりのポケモンで勝負するのに、腕もへったくれもないか。博士は何も言わずににこにこ笑っているだけだ。
「よし、では教育してやるか」
ぼそりと呟いて、モンスターボールをホルダーから取り出し、安全装置を解除。アローラ初のバトルに、自然と笑みがこぼれるのを自覚する。
「ユウケ、すげー強いね!」
「ああ、大したもんだ!」
まだろくに技も覚えてない状態でやったのだから、単純に相性の問題だと言いにくい雰囲気になってしまった。あいまいな笑みを浮かべて応えてから、埃だらけになったニャビーの毛皮を払ってやってから、ボールに戻す。
「それで、しまキングさんはどちらに?」
「あー、じいちゃん、さっき出かけちゃったよ」
のんびりした顔つきの彼がしまキングの孫か。少なくとも引かぬ・媚びぬ・顧みぬ!みたいなタイプでは無さそうだと思って内心安堵する。強いトレーナーは変な性格の人が多いからな。もちろん、そんな思いはおくびにも出せないが。
「そうか、じゃあ出直すしかないな。でも、せっかくだし、ユウケは島の守り神にお参りしてったらどうだろう?」
「守り神、ですか」
「カプ・コケコっていうポケモンでね。リリィタウンの奥に祠がある。気まぐれな神様だから、会えるかはわからないけどね」
神か。神のような力を持つポケモンと聞くと、俄然興味が湧いてくる。もっとも、タマゴを全部孵した上でも、今の手持ちなら遭遇したとしても何ともならないだろうが。あたしは頷いて、他の用事があるらしい二人と別れた。
声をかけてくれる町の人達に挨拶しながら、祠を目指す。なるほど、一番立派な一本道を道なりに行くだけだから、誰かに道を聞く必要もないな。きっちり掃除されている山道を登り切ると、先に思っていた以上に立派な祠が見える。石造りの大きな建物で、祠というより、ちょっとした神殿というところだ。そして、その手前に女の子が立っていた。帽子から服まで白で統一された清潔な服装が目立つ。ただ、ぼんやり立っている姿は、どうも参拝者には見えない。見なかったフリをして横を通り過ぎていくのも感じが悪いので、声をかけた。
「どうかしましたか?」
振り返る少女の顔を見て、どきりとした。プラチナブロンドの日光を弾く髪、繊細な眉、長いまつげ、水色の美しい瞳。鼻は高すぎず低すぎず、上品な唇、肌は衣服に全く劣らず、透き通るように白い。全身が輝いているように見える。美しいものを見た時に「雷に打たれたよう」という表現を陳腐だと笑っていたが、確かにそうとしか表現しようがない。心臓がばくばくして、空気が途端に薄くなった気がした。
「あ、あの、トレーナーさん、ですよね?」
鈴を鳴らしたかのような美しい声に、我に返る。あたしに向けて話しているのだと認識するだけでも時間がかかる。
「あ、はい。そうですそうです。トレーナーですよ」
馬鹿丸出しの返事、がくがくと頭を振る。
「お願いです。あの、ほしぐもちゃんを助けてください!戦える技も無いんです!」
少女の指さす先には、ボロ橋があり、その真ん中あたりに、見たことのない青いポケモンがいる。頭上にはオニスズメが四匹。オニスズメのうち『ほしぐもちゃん』はどれでしょう。正解は飛べなさそうな青いポケモンだ。あまりに綺麗なものを見たせいか、頭がちょっとぼんやりしている。あたしは首をぶるぶると振って、現状の把握に努めようと集中した。あまり時間の余裕が無さそうなので、あたしは手頃な石を拾って、オニスズメのうち適当な一匹に向かって投げつけ、同時に叫ぶ。
「来い、コラァ!寄ってたかって楽しい喧嘩してんじゃねえ!」
あたしは弱い相手に勝つのは好きだが、弱いもの虐めを見るのは嫌いなのだ。石が当たったオニスズメと、隣の少女がびっくりした顔でこちらを見た。あたしはモンスターボールの安全装置を解除してニャビーを出す。オニスズメは――石を食らった奴だけがこっちに来る!全部来てくれたら楽だったのだが、そう上手くは行かない。
「ニャビー!オニスズメの足止めお願い!」
せめてもう一匹ポケモンがいれば、同じように石を投げて全部こっちに注意を向けてもいいのだが、オニスズメを仕留めるのが目的ではないし、騒いでいるうちにオニスズメやらオニドリルやらがやってきたら厄介だ。ニャビーはとりあえずオニスズメの相手をしてくれるらしい。あたしは突っ込んでくるオニスズメの横をすり抜け、ボロ橋を走る。ぎしぎしみりみりと不気味な音がするが無視。後三歩、二歩、橋の板がぎしりと音を立てて抜けた。舌打ちしながら、身を投げ出すように飛び込み、青いポケモンを体で庇う。三匹のオニスズメが背中を遠慮なく突いてくる。
「痛いな、こんちくしょう!」
このまま突かれていても何も事態は進展しない。さっきの女の子に麓に戻ってもらって誰かを呼んできて――駄目だ、あたしはまだ生きていたとしても、この橋が落ちかねない。ポケモンを抱えて走って戻るしかない。三つ数えたら大声を上げて立ち上がって、走って戻る。
「よし、三、二」
手元で抱きかかえていたポケモンが眩い光を発した。背中を好き放題突いていたオニスズメは弾き飛ばされたらしい。残念なことに、橋はこの光に耐えきれなかったようだが。ぶつりと断末魔を上げて橋が切れて、あたしとポケモンが放り出される。空が青い。オニスズメは諦めずにあたし達を追いかけて降下してくる。青いポケモンを抱きかかえて、下の川が深いことだけを祈って体を丸める。吐き気がする不快な落下感。
「コケェーッ!」
聞き覚えのない、何かの鳴き声と同時に、オニスズメ三匹が黄色い何かに吹き飛ばされ、ついで肩口を強く何かに掴まれて、落下が止まった。フィルムの逆回転のように、あたしと抱えていた子が橋のたもとに放り上げられた。地面の感触がこれほどありがたいと思うのは久々だ。仰向けに寝転がったまま荒い息を鎮めながら、あたし達を助けてくれた何かがいるだろう方向を見る。そこに、トサカをもった黄色い何かがいた。おそらくポケモンなのだろう。目が合った気がした。多分、意図して助けてくれたのだろう。
「コケェーッコ!」
もう一声鳴くと、物凄いスピードで空を飛び、そいつは姿を消した。礼を言いそびれた。とりあえず、あたしも、抱えているポケモンももぞもぞしているから生きているんだろう。安堵の溜息をつくと、背中の突かれたあたりが猛烈に痛み出した。トレーナーのもう一つの命である足は無事らしい。
「ぴゅいー!」
抱きかかえていたポケモンが事態もどこ吹く風と嬉しげに鳴く。少女とニャビーが駆け寄ってくるのを見たのを最後に、あたしの意識は切れた。
意識を失っていたのは大した時間でも無かったらしい。ニャビーのざりざりした舌が頬を舐めるのがくすぐったい。倒れ込んだまま、ニャビーを抱え上げる。
「大丈夫、ありがとうね、ニャビー」
苦労しながら起き上がっている最中に、少女が呼んだらしい、町の大人らしき人と博士、ハウ君が来てくれた。事情の説明は大体のところ少女がしてくれていたらしい。ずいぶん恰幅がいい、黄色いアロハを羽織ったおじいさんが声をかけてくる。
「大丈夫ですかな?頭を打ったりは?」
「頭は平気ですけど、背中の方が……あー、その」
肌を見られるのはちょっとな、というのを察してくれたのか、少女が背中の傷を見てくれる。
「血が出てますし、お医者さんに見てもらった方が」
感覚的には筋も骨もやってないし病院は好きではないが、素人判断は危ないか。とりあえずで傷口をハンカチで塞ごうとする少女を制止する。
「血が出てるんでしょ?汚れるよ」
「でも、ほしぐもちゃんのためにしてくれたことですから」
立ち上がろうとするあたしを制して、ククイ博士がお姫様抱っこの要領で抱え上げた。
「じゃあ、町の病院まで連れていくよ」
まるで重傷の怪我人だ。大げささに顔が赤くなるが、好意には素直に甘えることにした。背中の傷より、橋から落ちた恐怖で腰が抜けかけているので歩けそうにないというのもあるが。
道すがら、自己紹介をすることにした。博士に抱え上げられたままという間抜け極まりない姿勢だが、まるで瀕死の怪我人か死人を運ぶ葬儀のような雰囲気に当事者としては耐えられなかったのだ。
「昨日越してきたユウケです」
「そうでした。わたし、リーリエと申します。ユウケさんのことは、博士から聞いてます。さっきは本当にありがとうございました」
「ハラです。しまキングをさせてもらっております。勇敢な行い、立派でしたな。それと、黄色いポケモンに助けられたとか」
「ついてるな、ユウケ。それが守り神のカプ・コケコだ」
川に転落死しなくて済んだという意味では、まさにそうだ。別に誰かのせいという訳でも無いし嫌味にしか聞こえないので、口には出さないが。カプ・コケコに内心で感謝しておいて、今度お供え物でも持って行くことにしよう。
しまキングは守り神に任命されるが、カプ・コケコを見かけることは滅多にないらしい。気まぐれで好奇心が強く、しかも好戦的な神だという話と、神話をいくつか聞いている間に町医者に着いた。同性のリーリエと医者を除いて、カーテンの向こうに追い払われる男性陣。ここでも町医者はジョーイさんの一族だった。
「ジョーイさんの一族って、人間の医者もしてるんですね」
「昔はポケモンの医者も兼ねてたんだけど、近所にポケモンセンターができたから、人間専門になったの」
呑気な会話に焦れたのか、リーリエが「それで、先生、どうなんですか」と尋ねている。もうすぐ死にそうな口調に笑いそうになってしまう。心配されている当事者が笑ってはいけないと思い、何とか笑いを噛み殺す。
「そうね、消毒もしたし、大丈夫でしょう。塗り薬と抗生物質も出しておくわ。力仕事とか、運動は今日は控えて。お風呂は入っていいけど、上がったらすぐ薬を塗るように。もし明後日以降にまだ痛むなら、もう一度来てちょうだい。ただ……」
「ただ?」
聞いたのはあたしではなくてリーリエだ。
「傷跡は残るかもしれないわね」
この世の終わりみたいな顔をするリーリエの肩をぽんぽんと叩く。どちらが怪我人か判らない。
「大丈夫大丈夫。旅で怪我は慣れてるし、他にも傷跡あるから。旅するトレーナーの勲章みたいなもんだし」
「で、でも、わたしの」
「わかった。じゃあこうしよう。今度、あたしのお願いを何かひとつ聞いて。それでチャラね」
悪戯っぽい笑みを浮かべてみせると、やっと納得したのか、涙目の彼女は小さく頷いた。やれやれ、どっちが慰められているのやら。それと、あたしの名誉のために言っておきたいが、下心はない。いや、この時はなかった。
「どうだった?」
「全治二日ってところですね。入院も必要なさそうです」
おどけて言うと、場がようやく和やかになった。
「ところで、ユウケ。鞄の中に、何か光るものが入ってませんかな?」
特に入れた覚えがない。
「あの、さっき、カプ・コケコさんが。声をかけて鞄に入れたんですけど」
「ぼんやりしてて聞いてなかったのかな……。ごめんごめん」
鞄をごそごそと探ると、確かに何か光っているものがある。石か。光る石というと、進化の石の類かとも思ったが、見たことのないものだ。
「ユウケくん、その石を貸してくれませんかな?何、明日には返します」
どうぞどうぞ、と石をハラさんに手渡す。神様にもらったとはいえ、どうせ何だかわからない石だ。そのまま神棚に飾ったら怒られるか。明日もリリィタウンに来るのはいいとして、駄目だ、緊張の糸が切れた。あくびを噛み殺す。
「ずいぶん眠そうだね。送ってくよ」
さすがにお姫様抱っこは遠慮するとしても、もう暗いのでお言葉には甘えることにした。
帰った後、母さんに「また怪我をして帰ってきたのか」と延々お説教されたのがその日一番堪えた。
家庭の味の朝ご飯にチャイム。既視感のある光景だ。ドアに向かうまでもなく、がちゃりとドアが開いた。
「おはよう、ユウケ、ママさん」
「あら、ククイ博士。おはようございます」
「おはようございます」
鍵をかける家も滅多にないし、ククイ博士のキャラクタならまあ勝手に入ってくるだろうなという説得力から、あたしはご飯を優先することにした。当然のように椅子に座るククイ博士と、お茶を淹れる母さん。ツッコミ不在って悲しい。
「いや、昨日渡すつもりだったんだけど、色々あって渡しそびれてたからね」
「ポケモン図鑑ですか。それと……トレーナーパス。ああ、そういえば、ありましたね。トレーナーパス。ありがとうございます」
どちらもあまりに見慣れていて、空気のようなものだったから意外感がない。反応の薄さに博士は若干がっかりしたようだ。
「他の地方のトレーナーパスだと単なる身分証にしかならないからね。図鑑もアローラ地方に対応しているタイプは珍しいしね」
まあ、そうかもしれない。アローラは遠い。カロスも遠いが、あそこはまだ陸続きで他の地方にも行ける。アローラは海で隔てられているからな。
「それにしても、トレーナーパスは役所の書類だからわかるとして、何でポケモン図鑑って共通じゃないんでしょうね?今までのがそのまま使えてもいいのに」
「製造元が違うからじゃない?」
「多分そうだろうな」
「えっ、製造元違うの?!……です?」
「ポケモン関係の道具って、地元の企業が作ってることが多いから。ほら、シルフカンパニーの道具なんて、カントーとジョウト以外で見なかったでしょ?」
母さんに言われた今の今まで、そんなこと気にしたことなかった。
「モンスターボールとかも仕様が微妙に違うからね。根っこの部分の仕様は同じらしいけど」
「へえー……」
ボールホルダーのニャビーの入っているボールと、それ以外のタマゴが入っているボールを見る。色も形も一緒のようだが、製造元を見たら違うんだろうな。
母さんと博士の雑談を聞き流しながらご飯を食べ終え、片付けている最中に博士から声がかかった。
「ユウケ、今日もリリィタウンに来てほしいんだ」
「昨日ハラさんと言ってましたしね。わかりました」
「僕は先に行ってるからね。モンスターボールときずぐすりを置いていくから、活用してほしい。道はわかるね?」
方向音痴ではない方だと思う。あたしはボールときずぐすりの礼を言いつつ頷いた。ニャースを撫でてから出て行く博士を見送り、あたしも出発の準備をする。
「今日は怪我しないように帰ってきなさいよ」
「わかってるよ」
あたしだって別に痛いのが好きなわけじゃない。昨日はリーリエの美しさというか、そういうものに当てられたんだと思いたい。
今のあたしは、彼女に向ける気持ちが何なのか、わかっていなかった。
頂いた挿絵を紹介させて頂きます。(第二話以降分)
虹色わんこさんに主人公ユウケの絵を描いて頂きました。
【挿絵表示】
虹色わんこさんのサイト・twitterはこちら。
http://iridescentdog.seesaa.net/
https://twitter.com/iridescent_dog
キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。『祈る』勝利を。
【挿絵表示】
キヅキアヤサトさんのサイト・twitterはこちらです。
https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato
たまゆらさんにユウケを描いて頂きました。SDデフォルメです。
【挿絵表示】
https://twitter.com/tmyr_0206
だすぶらさんにユウケを描いて頂きました。手持ちポケモンのうち三匹(ヘラクロス・マダツボミ・ニャビー)とです。
【挿絵表示】
https://twitter.com/DusBla
https://www.pixiv.net/member.php?id=19071706
島根の野良犬さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。第十七話終盤のシーンです。
【挿絵表示】
【挿絵表示】
https://twitter.com/_pyedog
https://www.pixiv.net/member.php?id=1451080
令嬢の雰囲気を優先して長髪白帽子の姿で描いて下さりました。
キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato
クリムゾン(キャット)さんにユウケとニャビーを描いて頂きました。
【挿絵表示】
https://fantia.jp/fanclubs/3492
https://www.pixiv.net/member.php?id=580581
https://twitter.com/yaogami_cat
ホウ酸さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。本屋での一幕です。
【挿絵表示】
https://twitter.com/housandang
AC/DC - "Highway to Hell" (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=l482T0yNkeo