負け犬達の挽歌   作:三山畝傍

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負け犬、穴の向こうに獲物を逃す

 ミナモシティ北東海岸、アクア団のアジト。潮の匂いが饐えたような悪臭が漂う、薄暗く小汚い基地だった。下っ端を蹴散らし、幹部二人を下したあたしは、一対一でボスであるアオギリと対峙していた。ポケモン勝負自体はあたしの圧倒的優勢だった。

「ちっ、小娘!てめえは何度も何度も!何で邪魔をする!」

「気に入らないからだよ!」

 優勢とは勝利ではない。背後からトレーナーであるあたしを直接刺されたりすれば終わりだ。下っ端共のポケモンは全て無力化したはずだが、アジトに戻ってくる増援があって、組織で最強であるはずのボスの戦に横槍を入れる気概のある奴が邪魔をすれば、形勢逆転の可能性もある。そうなれば、殺されても全く不思議ではない。すり潰されて魚ポケモンの餌にでもされるだろう。

 無論、普通はそんなことは有り得ない。組織の面子そのものに関わる。特に武力や暴力を看板に上げた組織であればなおのこと、物笑いの種になりかねない。だが、狂人や例外はいつでも起こりうるものだ。長引けば長引くほど不利になる。あたしのボスゴドラが、クロバットを仕留めた。相手がポケモンを戻すタイミングでボスゴドラを戻し、次のポケモンを投げようとしたところで、恐怖から来る手汗がボールを滑り落とさせる。初心者トレーナー並のミスだ。ボールを拾わず蹴飛ばして最後のポケモン、デンチュラを出す。サメハダーと対面。

「大したタマだ。お前……ガキ、テメェ、何で泣いてる?」

「うるさい!うるさい!うるさい!デンチュラ、やれ!」

 恐怖が涙を流させる。自分で鑑みてもあたしの体は言うことを聞かなくなりつつある。恐怖があたしを完全に支配して身動きが取れなくなる前に仕留めなければならない。デンチュラのエレキネットがメガシンカしたサメハダーを絡め取った直後、爆音と振動が上のフロアから伝わってきた。部下や施設のことで動揺したらしいアオギリと、恐怖で敵のサメハダーとアオギリを睨みつけるあたし、対応が早いのは勿論あたしだった。あたしは――。

 

"oh,I'm scary.so I'm scary."(私は恐ろしい。私は怯えている。)

 

 二種類の揺れが、あたしの体を支配する。一つは――船の揺れか。もう一つは、あたしの肩を揺さぶる誰か。

「ユウケー。大丈夫ー?」

 起きたことを伝えないと。うめき声でそれに応える。

「あー、よかった。起きたー?すごいうなされてたよー」

 何かろくでもない夢を見たのだろう。あまり思い出せない。ハウ君が水のペットボトルを開けて渡してくれる。礼を言おうとするが、舌が喉に張り付いて何も言えない。水を流し込んだ。

「ありがとう、ハウ君。うるさかった?」

「うるさくはなかったけどー。あ。はい」

 モクロー柄の可愛らしいハンカチを手渡されてきょとんとする。ハウ君はニコニコしながら目尻を指さし、あたしは指で自分のそこに触れた。泣いていたのか。自分のハンカチを取り出して、ハウ君のハンカチを返す。

「ありがと。持ってるから、気持ちだけもらっとくよ」

「これからエーテル財団とやり合うのに、大丈夫なのか?」

「五分くらい時間があれば大丈夫。よくあることだし」

「そうか。まだ着くまではしばらくあるから、問題なさそうだな。それにしても、いい睡眠具合だったらしいな」

「運転手の眠気覚ましはハウ君がしてくれてたでしょ?」

「俺はお前にも聞きたいことがあったんだ。全然反応がないから、海にでも落ちたのかと思った」

「船底が抜けそうなボロ船なら有り得るけどね。で、あたしに聞きたいことって何?」

 押し黙るグラジオ。スカル団の用心棒とはいえ、彼に対して特に悪感情は持ってないので、なるべく威圧的でないように話しているつもりなのだが、そうは聞こえなかったのだろうか。どことなく気まずい沈黙。

「他の地方で、地方リーグのチャンピオンだったというのは本当か?」

「そうだよ。今は全部『元』付だけど」

「なら、聞きたい。強くなるにはどうすればいい?」

「あたしの経験でいいなら、そうだね。ポケモンと一緒に場数を踏むことかな。対戦指南とか、育て方とか、定石とかを読んで勉強するのも大切だけど、戦わないと身につかなかった」

 答えがあまりお気に召さなかったらしく、ふんと鼻を鳴らすグラジオ。

「案外、面白くないことを言うな」

「あたしは凡人で賢くないほうだからね。『賢者は歴史に学ぶが、愚者は経験から学ぶ』ってやつ」

「へー、ユウケって地方リーグのチャンピオンだったんだー……ええっ?!」

「えっ、ハラさんから聞いてなかったの?」

「聞いてなかった……」

「知ってるもんだとばかり思ってたよ。ごめん」

 三者三様の理由で沈黙する。

「そうだ、後一つだけいいか?ユウケ、お前何歳だ?」

「十二歳。もうすぐ十三歳になる。あんたは?」

「十四だ。お前……もっと年下だと思っていたが。まだ十代になっていないと思っていた」

「いやー、それだと島巡りできないからねー」

 グラジオはごたごたが片付いたら頭はたいておこうと思った。大人げないと思われたくない。あたしはまだ目を通してなかった、リーリエがくれた調査資料に目を通し始めた。

 

 ダサいペイントが効いたのか、船での侵入は驚くほど上手く行った。何らかの命令を受けているエーテル財団職員や単なる不法侵入者を排除しようとするエーテル財団職員を蹴散らしつつ、エレベーターまでは問題なく辿り着けた。

「さて、どこを探せばいいかだな……」

「この間来た時に、ウルトラホールが開いたんだけど……ホールの実験施設は、確か、地下にあると言っていたはず」

「とりあえず地下を見に行くか」

「とりあえずってまた言ったよー!」

「まあ、ヒント無いしね……」

 

 適当にエーテル財団職員を締め上げて動かしたエレベータで地下二階を荒らし回ってもリーリエとほしぐも――ちゃんの居場所、せめてヒントでもと思ったが見当たらなかった。ほしぐも――ちゃんことコスモッグがウルトラビーストの可能性があり、ウルトラホールを開ける力を持つこと、そのためにはストレスを与える必要があることがわかったのは収穫か。他にもタイプヌルの計画資料や例のおっさんのブログらしいものはある意味興味深かったが、今のところ必要は無い。

「事情を知らない職員だのポケモンだのがいなければ片っ端から燃やすか吹き飛ばすかすればいいんだけど」

「延焼はしないだろうがな」

「そこの少年少女達!この私、エーテル財団支部長にして最後の砦、ザオボーの前でこれ以上の狼藉は許せません!」

 黄色い眼鏡だかサングラスだかの調子のいいおっさんこと――誰だっけ。まあ、権限がありそうな人間が出てきてくれたのはありがたい。引き連れている手下の数が少ないのもね。

「リーリエとほ……コスモッグはどこにいるか知ってて、教えてくれるつもりはある?」

「いずれは代表も夢ではないわたくしに聞くのはいい着眼点です。が、もちろん教えるつもりも案内するつもりもありませんがね!」

「手持ちポケモンがなくなったら吐くしかないと思うんだけど。拷問大好きグラジオ君もいるしね」

「別に好きじゃないし、しないが」

「でも、ザオボーさんが出てきてくれてよかったよねー。隠れられてたら俺ら何もできないしー」

 ハウ君の指摘に動揺するザオボー。確かに、施設を壊して炙り出すにせよ時間がかかるからな。

「ええい、いずれにせよ私があなた方三人を倒します!」

 ボールは三個、部下もボールは三個か。

「あたしが相手をするか。時間も無いしね」

 

 ザオボーと手下をついでにのした。

「な、なな、何ということでしょう。わたくしがお子様相手に……」

「なるほど……ハウが言っていたように、一人ではできないこともある、か。悪くないな」

「さあ、三度の飯より拷問が好きなグラジオ君に爪剥ぎから始められたくなかったら、さっさと案内しな」

「いや、なあ。さっきの言葉を早速取り消したくなったんだが」

「グラジオ様、ずいぶん世間に揉まれて歪まれたようで……。リーリエ様とコスモッグは、屋敷です」

「どうもどうも。じゃ、さっさと行こうか。二人とも」

「おい」

「そうだねー」

「なあ」

 約一名が何だかうるさいが、屋敷への道は開いたのだから急ぐとしよう。

「ユウケ、お前な……」

「あのおっさん、下らない話をして時間稼ぐ気満々だったから」

「……お前、後でちゃんと誤解を解くのを手伝えよ」

「前向きに善処するよ。まだ何とかしないといけない奴らもいるらしいしね」

 

 うじゃうじゃとスカル団の連中がいる。手前の連中を片付けよう――という前に、グラジオが走り出した。先に首魁を叩く気らしい。あたしとハウ君は、手近なスカル団の下っ端を片付け始めた。

 

 下っ端共のあらかたを叩きのめし、グズマとグラジオの方を見ると、グラジオが負けていた。

「孤独と戦った日々、強くなっていなかったというのか……」

「お前のこと、割と気に入ってたんだがな。産みの親に逆らうなんて親不孝、叩き潰さないとな!」

 二人に割り込むようにグラジオの前に歩み出る。

「お前もぶっ壊されに来たのかよ」

「それよか、あんたは親孝行してんのかい?そんな顔には見えないけど」

 せせら笑うあたしと、ギリリと歯噛みするグズマ。

「てめえ、今度こそぶっ壊してやる!」

「後で思うよ。止めときゃよかったってね」

 

 ボールが四つ、四匹目はクワガノン。それがグズマの新手だった。こちらは面子の変更なく、ステルスロックを撒いた後のハガネールがグソクムシャとアメモースの二匹がかりにやられた意外は、何の問題もなかった。

「通りな。畜生。お前をぶっ壊すには、俺様をぶっ壊すほど追い詰めて自分を強くしないといけねえ……」

 ハウ君は後ろから沸いてきたスカル団の増援にかかりっきり、グラジオはまだポケモンの回復ができていない。

「先に行くからね!」

 あたしは二人に大声で呼びかけ、足を速めた。

 

 馬鹿でかい白い屋敷の扉を開ける。ウルトラ調査隊の二人が扉を塞ぐように立っている。まだ門番がいるのか。

「急いでるんだけど、通してくれない?」

「駄目だ。ウルトラボールを使えば、かがやきさまを制御できる。そのために、お前は通すわけにはいかない」

「コスモッグを心配して来たんだよね、島巡りの人。ごめんね」

 あたしは溜息をついた。結局、力押ししかないか。

「ポケモン勝負は年季がものを言うんだよ。ぶちのめされたくないでしょ。さっさとどきな」

「そうはいかん。我々とて、譲れんものがある。ベベノムで、勝つ」

 

 見たことのないポケモンだったが、毒タイプのポケモンではハガネールにあまりに相性が悪かった。

「Zパワーを使いこなせれば、何とかなったのか?科学のみでは、解決できないとはな」

 あたしはフンと鼻を鳴らす。力の裏付けのない理念など何の役にも立たない。崇高な何物かがあるのかもしれないが、今のあたしは蹂躙する側だ。

「島巡りの人、助けたいものがあるなら、後悔のないようにね」

 あたしはひらひらと手を振ってそれに応えた。

 

 いっそ馬鹿馬鹿しい程広い寝室。そこで探し人であるリーリエとルザミーネ代表の親娘が対峙していた。

「お母様、どうしてもほしぐもちゃんを、コスモッグを使ってウルトラホールを開けるというのですか」

「そうよ。世界を守るためにね。その過程で、コスモッグは残念なことになって死んでしまうかもしれないけど。それと、わたくしには子供なんていないわ」

 いきなり攻撃なんてされたら敵わないとそっと扉を開いたのだが、視界に思いっきり入っていたせいでルザミーネ代表はこっちに気付いてしまった。

「あら、ユウケさん。ふふ、素敵な友達ね。あの守りを破って友達を助けに来るなんて。リーリエなんかと仲良くしているのが、本当に残念だわ」

「もうちょっと兵隊は選ぶべきでしたね。あたし相手では、いささか力不足に過ぎました」

 あたしの声に驚愕して振り返るリーリエ。

「う、嘘……ユウケさんが、助けに来てくれるなんて……こんな素敵なこと、嘘です……」

「嘘じゃないよ。ま、囚われのお姫様を助けに来る騎士役としては、あたしはちょっとガラが悪すぎるけどね」

 背後からリーリエを抱き寄せて、ルザミーネ代表の間に割り込んで、後ろに庇うように位置を入れ換えつつ耳元で囁く。

「コスモッグは?」

「お母様が」

 ポケモンが全部やられた時の逃げの切り札、閃光発音筒(スタングレネード)でも投げてずらかろうという案はこれで没だ。

「あらあら、随分と仲良しですのね」

「これでも将来のことを誓い合った仲ですからね」

 少しでも動揺を引き出せればと思い軽口を叩く。抱きしめたままのリーリエの体温が急に上がった気がするが、大丈夫だろうか。

「ふふ、二人で仲良くして追いかけてこなければ、それが一番助かるのだけれども。そうはいかさなそうね」

 ルザミーネ代表が部屋の奥、転送装置らしきものに足を踏み入れて姿を消した。

「リーリエ、大丈夫ロト?」

「え、ええ、ロトムさん。ありがとう」

 リーリエをここで待たせて追うべきか一瞬悩むが、後ろからスカル団の応援が押し寄せる可能性を考えると連れていった方が安全だろう。あたしはリーリエの手を引いて代表の後を追った。

 

 転送装置の技術的な限界はよく知らないが、少なくとも地続きである必要はないし、階段を作る必要もない。施設を無秩序に増設しても通路は作れるし、身内相手でも隠すことができる。

「わたし、この部屋は初めて見ました」

「どうかしら?わたくし自慢のコレクションルーム。愛するポケモンを永遠に飾るの」

 氷の柱の中にいるのは本物のポケモンか。氷漬けであっても、ポケモンは蘇生可能ではある。ある、が。

「なかなかいいご趣味じゃないですか」

 あたしの挑発を無視し、ルザミーネ代表はすっと目を細める。

「光を奪われてしまったら、子供達を愛せなくなるでしょ?ですから、ウルトラホールを開け、光を奪うポケモンちゃん、ネクロズマちゃんをわたくしが捕らえてしまうのです!」

 転送装置が再度起動し、ハウ君とグラジオがやって来た。三対一ではあるが、全く気にしたそぶりもなく、ルザミーネ代表は肩をすくめた。

「ウルトラ調査隊には元々期待していませんでしたけど、グズマも案外だらしないですわね」

「わー、リーリエ、無事でよかったよー!」

「ウルトラホールを開けるのはやめてくれ。父さんみたいに誰かが消えたらどうするんだ!」

「忘れるものですか。あの日のことを……。わたくし、ウルトラホールを心の底から憎んでいます。ですから、わたくしが行くのです。誰であれ、手出しはさせません!エーテル財団に残されたコスモッグのガスだけで、ウルトラホールが開いたのです。コスモッグをまるごと使えば制御も自在です」

 転がされているケージの中からコスモッグの鳴き声がし、走り出そうとするリーリエの手をあたしは掴んだ。

「お願い……やめて……ほしぐもちゃん、力を使うと動けなくなるの……力を使いすぎたら、本当に死んじゃいます!」

 再び転送装置が動く音。グズマか。

「来たわね。始めるわよ」

 本当に嬉しそうに、邪悪としか言いようのない笑みを浮かべるルザミーネ代表。

「止めてくれ。母さんまで消えたら……」

「わたくし、ルザミーネなのよ?あなた方が思うよりずっと強いし、心配なんて無用よ。でも、()()とはいえ、心配させるのは本意では無いわ。そうね、ユウケさん、あなたが相手をなさい。この中で一番強いあなたに勝てば、ここにいる全員が黙るでしょう」

 ボールは五つ。あたしは無言でボールに手を伸ばした。

 

 ピクシー相手にハガネールを繰り出す。あたしは安定のステルスロックを指示。特性『がんじょう』『マルチスケイル』『はやてのつばさ』だろうが、きあいのタスキだろうが必ず殺すための一手。ピクシーはサイコキネシスを放つが、さして効果もなく、あたしのハガネールのヘビーボンバーで倒れる。

 ルザミーネ代表の二匹目はミロカロス。水技を読み、ハガネールからウツボットへ交代。一撃を余裕で受けたウツボットにねむりごなをかけさせ、眠ったミロカロスをそのままギガドレインで体力全快させつつ仕留めた。

 三匹目のキテルグマに引き続きねむりごなをかけ、ミミッキュに交代しじゃれつかせる――が、パッと目を覚ましたキテルグマに躱され、その後は削り合いとなった。特性『もふもふ』の効果だろう。本当に堅い。堅いが、ミミッキュが押し切った。

 四匹目のドレディアは草技を読んで再びウツボットへ。ウツボットのアシッドボムで片付いた。

 最後のミミロップは、ねむりごなで眠らせてからヘラクロスに交代。目を覚ますもヘラクロスのインファイトが一手早く、一撃で沈んだ。メガシンカされたら勝てなかったな、と内心冷や汗をかいた。

 わなわなとあたしを睨みつけるルザミーネ代表。

「……なんて、酷いの!」

 煽っても頑なになるだけだろうし、時間稼ぎだけならポケモンを回復させてやって来たであろうグズマができる。あたしは言葉を選んで慎重に口を開いた。

「今すぐ、ウルトラホールを開けないといけないのですか?ほし、コスモッグを使わなくても、ウルトラホールに行く手があるのでは?」

 くすくすと笑うルザミーネ代表。

「ユウケさん、あなた本当に強いのね。この調子で島巡りをこなすのよ」

 話を聞いてくれる気は無いらしい。眉をひそめた。

「不安にさせたかしら?でも大丈夫よ。あたしにはあの子もいるから。ね、グズマ。いらっしゃい。ネクロズマを捕らえに行きますよ」

 忠犬という面で嬉しげに頷くグズマ。よく飼い慣らされている、と思う。

「あたしと、二対一でやってもいいんですよ?」

 これは挑発ではなく事実だ。恐らく聞かないだろうし力尽くでやるしかないだろうから、挑発と取られても構わないように素直に。二人がかりで行くよりあたし一人を何か別の手で送り込んだ方が安全ではないかという妥協案。

 だが、ルザミーネ代表は無視して踵を返した。

「待ってくれ、母さん!俺の相棒、ヌルはビーストキラーだ!向こうで戦うために鍛えたんだ!」

「安心なさい。全てわたくしに任せればいいの!子供は大人の言うとおり。それが幸せの近道です」

 交渉決裂。あたしは自分の足の陰になるよう、ボールを手放しミミッキュを出した。ウルトラホールに飛び込む瞬間に、ミミッキュの触手で二人の体を掴んで止める。

 ルザミーネ代表がコスモッグ入りの檻のスイッチを押すと、眩い光を放ちウルトラホールが開く。光を背負い、両手を広げて思い詰めたように微笑むルザミーネ代表は、まるで光背(こうはい)を背負った菩薩のようだった。ぞっとするような美しさがあたしの注意を奪い、一瞬反応が遅れる。その一瞬で全てが充分だった。それがなくても、ルザミーネ代表が消えた直後に飛び込んだグズマだけしか止められなかっただろう。ホールは閉じ、あたしは時間稼ぎのための言葉を飲み込み、ミミッキュをボールに戻す。

 

 二人が消えた何もない空間。ウルトラホールが開いた残響が消え去った後の沈黙を破ったのは、リーリエだった。

「母様!どうして!」

 誰もがかける言葉を持たない。

「ほしぐもちゃん……?元気、ですか……?ほしぐもちゃん?」

 ほしぐも――ちゃんは、動かない。姿も変わっている。

「とりあえず、出よう。ここは落ち着かない」

 ほしぐも――ちゃんは、浮いたまま動かない。リーリエがまず手を伸ばし、触れる。次いで、あたしも触る。重さを感じないということは自力で浮いているということだろう。だから生きているかというと断言できないが、少なくとも連れ歩くことに支障はなさそうだ。リーリエのバッグに入れるよう促し、あたし達もコレクションルームを後にした。

 

 寝室に戻ると、ビッケさんとウルトラ調査隊の二人があたし達を待っていた。

「皆さん、ご無事で本当によかった」

 ビッケさんが労いの言葉をかけてくれる。ルザミーネ代表と、グズマはウルトラホールの向こうに行ったので、全員無事かというと何とも言い難いが。

「ああ、そう、だな。やることは山積みになってしまったが。ウルトラホールに消えた代表とグズマ、動かなくなったコスモッグ。あんな人でも母親だ。ネクロズマを捕らえるとはいえ未知の世界に放ってはおけない」

「ウルトラホールを自在に制御する、っていうほしぐも……ちゃんも、こっちにいる訳だしね」

 檻が無くなっていたので、ヌケニンとテッカニンのように、ほしぐも――ちゃん、ことコスモッグが二体に増えたという可能性もない訳では無いが。

「今の話は、本当か?ルザミーネは、約束を守らなかった。優しく振る舞いつつ、自分のことしか考えていなかったとは」

 あたしは肩をすくめた。

「何だ、何かの協定をあの人と結んでて、それで破られたって訳?」

「ああ、そうだ」

「力の裏付けが無きゃ、いずれ反故にされたと思うよ。ご愁傷様」

「自分のためなのか、責任感って奴なのかはわからないけど、組む相手を間違えたってことかな?」

「流石にこんなでかい団体仕切ってるだけあって、交渉事も向こうの方が上手だったみたいだね」

 同情はするが、それまでのことだ。自前の武力無しで交渉に挑むという時点で舐められるし侮られる。ウルトラホールの制御技術が完成した時点で、恐らくルザミーネ代表からすればこの二人は用済みだったのだろう。そう思えば、この二人が生きているだけルザミーネ代表は優しいと評価していいのかもしれない。

「問題が起これば、科学で解決するのが我々の方法だった」

「科学技術で、こっちの世界のポケモンを押さえ込めるならそれでよかったんだろうけど」

「かがやきさまも、こちらでも、それでは無理だったのだ。だから、強いポケモンを操れる強い人間を送り込む手筈だったのだが」

 あたしとウルトラ調査隊の会話にグラジオが割り込む。

「おい、あんた。人を送り込むと言ったな。他にウルトラホールは開けられるのか?教えてくれ」

 コスモッグを使う片道切符だとばかり思っていたが、他に手があるということか。あたしは思いつかなかった。これも複数人いないとできなかったことか。

 グラジオの言葉に一瞬逡巡する素振りを見せる二人。

「一度裏切られた我々が……どうすべきだと思う、アマモ」

「ダルス、どっちにせよ結果は同じだよ。それに、強いポケモンを使える人間がかがやきさまを押さえてくれるなら、あたし達にとっても結果は同じ。教えよう」

 ためらいを含みつつも、口を開くダルス。

「ポニの祭壇に現れる存在、月を誘いし獣。我々がアローラに来る時、その力を借りた」

「つまり、『月を誘いし獣』とやらがいれば、ウルトラホールの向こう、あんたらの世界に行けるってことだね」

「うん、そうなるね。でも、たった二人でかがやきさまに挑むなんて、そんなに自信があるのかな」

 あたしはぼりぼりと後頭部を掻いた。

「ポケモン勝負に詳しくないあんたらが知らないのは当然なんだけど、トレーナーがポケモンに命令しポケモンがその指示を聞く都合上、最大限のパフォーマンスを発揮させるのに相応しい数ってのがある。一人のトレーナーなら、一度に出すのは三匹が望ましい。複数のトレーナーが組むなら、三人が組んで一匹ずつ出すのが一番望ましい。一匹のポケモンであれ一つの群れであれ、一つの対象に挑むなら、一人と三匹、もしくは三人と三匹がベストってこと。次いで都合がいいのが、二対一の状況に持ち込むこと」

 あたし以外の全員が「知らなかった」という顔をしている。

「それならせめて、ビーストキラーのヌルを持つ俺を連れて行ってほしかった……」

「愛情って奴じゃないの。多分。あたしが代表なら、あんたは連れていかないよ。前の経緯ってのがあるみたいだしね」

「と、ともかく。島巡りの人。ネクロズマは今は休眠状態だけど、目覚めると食料として光を求めてアローラにやってくるはず。あたし達の世界には光は無いから」

「アローラの昔話では、光で闇を払ったというが、調査してもその光が何なのかわからなかった」

「こっちが調べた資料でも、具体的に光が何だってのはわからなかったね。ま、相手はポケモンでしょ?『血が出るなら殺せるはず』さ」

 その言葉を聞いてダルスは呆れたような顔を、アマモはにこりと笑みを浮かべて去って行った。

 

 それぞれが沈思し再びの沈黙が場を支配しかけた時、ビッケさんが口を開いた。

「あの、リーリエ様も皆さんも、休憩なさっては。職員の居住スペースにベッドを用意しました」

「ああ、助かる」

「俺もくたくたー」

「贅沢を言って申し訳ないけど、お風呂とかシャワーとか、借りられます?」

「大浴場があります。男女別……職員も入っていますが、それでいいなら」

「勿論。ただ、その前に、あたし達が最早侵入者扱いでないことをお知らせしてもらってもいいですかね」

 風呂場で殺されたらたまらないからな。笑顔で頷くビッケさん。

「わたしは、この部屋で。母様が何を思っていたのか、少しでも知りたいと思います」

「それは止めないけど、お風呂は入るよね?」

 リーリエは意外なことに頬を少し赤らめ、首を横に振った。

「シャワーがありますから」

「そう……。残念」

 あたしは落胆を隠す気なく、言葉を押し出した。


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