ポニ島行きの連絡船はあたし達以外は誰も乗っていなかった。エーテルパラダイスからの定期船は出ていないというのも納得の乗船率だ。そういえば、最初に旅に出るときに「ポニ島だけは野宿がいるかも」とククイ博士が言っていたな。ずっと背負ってきた概ね二泊分、五十リットルのバックパックがやっと役に立つ日が来たのかもしれない。
あたしは適当な長椅子の窓際の席に腰掛け、リーリエがその隣に座る。ふわりといい匂いがする。いや、別に構わないのだが、沢山空いているから他の席に座ればいいのに。でも、他の席に座れと言うのは何だか嫌っているようでどうかなというのもある。
「ユウケさん、その……ありがとうございます。母様とは駄目でしたが、兄様とお話ししまして。兄様が出て行った理由も知ることができました。家族の事情に巻き込んでしまって……」
「いいよ、別に。美人の涙が最優先さ」
リーリエは軽く俯いて、あたしの手を握る。少し震えている。昨日はあまりにも色々ありすぎた。一晩で何もかもを整理するのはやはり無理だったのだろう。ぎゅっと手を握り返す。
「無理に何も言わなくていい。疲れてるなら寝ててもいいから」
「……はい」
顔を見られるのは辛いだろうと思って、窓の外を見る。海が後方に、船の速度で流れていく。リーリエの手が温かく柔らかい。あたしも、ちょっと眠たくなってきた。
ポケモンは瀕死になった後どうなるか。ポケモンの瀕死と死亡までには断絶とまでは言わないがそれなりに間がある。トレーナーのポケモンならボール側の安全装置が作動し、自動的にポケモンが収容される。ボールの緊急排出装置を使用しない限りは再度ポケモンを出すことはできない。では、野生のポケモンはどうか?基本的には、野生のポケモンは瀕死になる直前に逃走を図る。瀕死になったとしても同じで、約十二時間程度の休養で回復する。というのが、義務教育及びポケモン所持免許講習での説明であり、基本的には間違っていない。実際に十二時間の休養が取れるポケモンがどれくらいいるかという説明を省略しているだけだ。普通のトレーナーは、この説明で満足してしまい、この先を知ることがない。政府の陰謀論だの隠蔽だのそういうものでもなんでもない。論文を探せば『ポケモンにICチップを撃ち込んでから瀕死にさせ、追跡調査する』という単純極まりない実験とその結果がすぐに出てくるのだ。実験の結果、十二時間後の生存率は二十七%。ほとんどは回復前に他のポケモンに襲撃されたり、そのまま力尽きて死亡したりしている。トレーナーはポケモンを殺している。知らないから、安心してポケモンを倒すことができる。自分への弁護をするために、知らないままでいた方がよかった。
うつらうつらしていたらしい。目が覚めたのは到着のアナウンスではなく、こつんと肩に柔らかな重みが乗ったからだ。リーリエも同じく寝てしまったのだろう。起こさないよう気をつけよう――と思う間もなく、船による振動が進行方向に加わった。起きているあたしはともかく、眠っている彼女はそれに抗うこともなく、こてんと寝転がる。あたしの膝の上に。膝枕という奴だ。遺憾ながら友達が少なく、恋人なんてものはいなかったあたしにはかなり刺激的な姿勢だ。倒れ込んだ衝撃で目を覚ますかなと思ったが、そんなこともなく、すやすやと眠っている。無防備な顔を見ていると、僅かな劣情と、庇護欲――いや、これは、自分自身にあるかどうか疑っていた母性本能という奴だろうか。さらさらと陽光を弾いて輝く髪を撫でてあげたい。これは劣情由来ではなくて安眠促進だ、と、自分でよくわからない言い訳をしながら、恐る恐る指を伸ばし、さらりと髪を梳く。彼女の口から漏れる小さな声に起こしてしまったかとビクっとしたが、そうではないらしい。
「かあ、さま……」
ブーストチャージを頭に食らったような衝撃。一呼吸してから、あたしは邪心なく彼女の頭をゆっくりと撫でた。
本を取り出そうとしてリーリエを起こしたくなかったので、外をぼんやり眺めること体感時間十五分、船がポニ島に着いた。船着き場に多種多様な船が停泊している。今までの島で見たような、それぞれの島を結ぶ定期連絡船やフェリーでなく、ポケモンを模した船ばかりだ。膝の上で寝ているこの子を起こすのは忍びないが、この連絡船はあたし達二人のためだけに出してもらったものだし、降りなかったら不審がられるだろう。
「お客さん、終点ですよ」
「ううん……あと五分……」
バックパックがなければ背負っていってもいいのだが。さすがにお姫様抱っこは無理だ。もうちょっと強く揺すった。
「……はっ……寝ていましたか?」
ようやく起きたリーリエは口元を気にしてから、何を枕にしていたのか気付いたようだ。大丈夫、涎とかは出てない。出ていたらあたしはそこに見えるポケモンセンターで着替えて、今履いているズボンは永久保存するが。
「ごめんなさい……」
「疲れてたんでしょう。いいよ」
船から先に下りて、リーリエの手を取る。寝起きだし、桟橋が結構低いので念のためだ。なぜかリーリエの顔が赤い。寒いのだろうか。
「ありがとうございました」
連絡船の人に声をかけて頭を下げた。島キングを探さねばならない。
見知らぬ人に「島キングがどこにいるかご存じですか」と聞けるかどうか。あたしは聞けない。そこで、あたしは「島キングやらキャプテンやらの連絡会議に出ていた」というククイ博士に電話をかけることにした。エーテル財団絡みの案件は、ハウ君から報告が行っているので大丈夫――なはずだが、自分で報告しておいた方がよかったな。
「ユウケじゃないか。またエーテル財団関係で何かあったのかい?」
「いえ、そちらはハウ君から連絡して以降、今のところ何もない状態ですね。別件でお聞きしたいことがありまして。今、ポニ島に来てるんですけど、島キングがどこにいるかご存じですか?」
「今は島キングがいないんだよ。空位という意味でね」
「それは……困りましたね」
「とりあえず、ハプウの家に行ってみてほしい。先代島キングが、ハプウのお爺さんだったんだ」
「ハプウさんって、大きいバンバドロを連れた背の低い、眉の太い意思の強そうな人ですか?」
「会ったことあったかい。そうだよ」
「わかりました。今、ポニ島の桟橋なんですけど、ハプウさんの家はどこですか?」
「北東に道なりにいけば着く。確か、ポニ島にある家はハプウ家の一軒だけのはずだ」
ポケモンセンターと周囲の船舶群、民家一軒がポニ島の全てなのだろうか。まあ、人が少ないならそれはそれで構わない。
「わかりました。ありがとうございます」
「ああ。気をつけて」
観光客らしい人と、その連れているポケモンらしいサニーゴと戯れていたリーリエに声をかけた。
「島キングに就いてる人がそもそもいないんだってさ」
「えっ。それは……困りますね」
まあそうだよね。同じような反応をする彼女が面白いが、面白がっている場合ではない。
「ククイ博士に聞いたんだけど『ハプウさんの家に行け』、ってさ」
「ハプウさんって、ユウケさんと同じくらいの背の、バンバドロを連れた方ですか?知り合いの人かも……」
「……あたしの方が背が高いはず。だけど、多分、同じ人だよ。行こう」
実際のところ、身長差は誤差なのかもしれない。在宅しているかはわからないが、まずは行って確かめよう――と思ったところで、遠くから声をかけられた。
「いらっしゃーい!どっちが試練の挑戦者かな?」
船の上に人が立っている。女性だ。ちょっと遠いので近づく。フェイスペイントが奇抜だが、よく見ると綺麗な人だ。
「え、えーと、違います。いえ、違わないんですが。ユウケさんは島巡り中の挑戦者なんですけど、先に島キングに用事がありまして」
「あー、ハプウちゃんのところね」
「ユウケです。それが終わったら挑戦したいと思います。よろしくお願いします」
「そうそう、あたし、キャプテンのマツリカでっす。そっかー、気をつけてねー」
二人で頭を下げてその場を後にした。なぜ船の上に乗っているのか、住んでいるのかは聞けなかった。
人口密度が減れば減るほど、普通は野生のポケモンが強くなる。都市部の近くでは人間に衝突することが多いし、人間に慣れていないポケモンは都市の大きな生活騒音を好まないからだ。住宅地を開拓――人口が激減した大戦後には珍しい例だが――する時には、事前にトレーナーが大量に動員され、ポケモンは追い払われる。稀にはぐれた強力なポケモンが里の近くを彷徨くこともあるが、近くのジムトレーナー等に駆除依頼が出される。弱いポケモンしか連れていない都市部の人間には危険だからだ。
そして強いポケモンが沢山いる場所には強いポケモンと戦ってポケモンを鍛えたがる人間が増える。ポニ島は修行場の体をなしていた。結果、有象無象のトレーナーを蹴散らす羽目になったが、ともかく目的地であるハプウ家らしき家にたどり着いた。
「無駄に疲れた。リーリエもよく着いてきてくれたよ。ありがとう」
「わたしは、ゴールドスプレーがありますし、ユウケさんがいてくれましたから。ポケモンの回復は、道具があれば大丈夫なのですけど」
「人間用のは疲労がポンと飛ぶのとかないからね。しかし、本当に民家無いんだね。トレーナーは売るほどいるのに……」
よそ行きの顔。よそ行きの顔、と念じながらドアをノックする。「はーい」という声の後に現れたのは、やはりあたし達の見知った人物だった。
「おお、ユウケにリーリエか。よう来た。しかし、リーリエ、見違えたのう。全力という感じじゃ」
「やるべきことがありまして。全力の姿です!」
「ほほう。頑張るリーリエ。いわばがんばリーリエじゃのう!」
ドヤ顔するハプウさん。ガッツポーズするリーリエ。いや、うん、嬉しいならいいけど。色々応用が利きそうだな。
「立ち話も何じゃ、入るといい」
「「お邪魔します」」
ともかく、人違いでなくてよかった。込み入った話をしないといけないので初対面の緊張感を克服する時間も省けるのがありがたい。
ハプウさんの祖母らしい人にお茶をいただき、手土産がないことに恐縮することしばし。あたしがまず口を開いた。
「ポニ島の島キングって、今はいないんですか?」
「うむ。先代はわらわの祖父だったのじゃが、今はおらん」
あたしは後頭部を掻いた。
「参ったね。早急に島キングに会う必要があるんだけど」
「ふむ、なぜじゃ?」
あたしはリーリエの顔をちらっと見てから、言葉を続けた。
「ウルトラホールの先の世界の世界に行った人がいて、その人を連れ戻したい。そのために『月の獣』に捧げる儀式をしないといけないんだけど、銀の笛って知ってる?」
「こういうものらしいのですが」
リーリエが金の笛を出してくれる。しげしげと笛を見るハプウさん。
「ああ……ナッシーアイランドにある。あれは確かに島キングの管理するものになっておるからな」
神に捧げるものを準備するために勝手に取りにいくわけにもいかないだろうな。そもそも場所もわからない。
「ユウケさん、どうしましょう」
「ちょいちょいっと借りるだけとか、何とかなりませんかね?」
「まあ、心当たりがないわけでもない。急ぐなら、今からでも彼岸の遺跡に行くとしよう。着いてくるといい」
黒い砂浜を抜けた先に佇むのが彼岸の遺跡、カプ・レヒレを奉る遺跡だ。
「ここじゃな」
「カプ・レヒレさんは不思議な水で汚れを清めていたそうです。ほしぐもちゃんが元気になればいいのですけど」
「どう、かな……恩恵があればそれに越したことはないんだけど」
この間の図書館で読んだ本には件の「水を求めてやってきた人間に失望して姿を見せない」ということが書いてあったはずだ。笑顔でやる気満々のリーリエにそれこそ水を差してもしょうがないし、人間ではなく困っているのはポケモンだと言えなくもない。ちらりとハプウさんを見ると、期待できなさそうな微妙な表情をしている。
「今度こそ、ほしぐもちゃんを助けたいんです。行きましょう、ユウケさん、ハプウさん!」
「暗いから、足下には気をつけてね」
こっそりとあたしは溜息をついた。人ならぬものの思惑を読もうと思っても仕方がない。少なくともほしぐも――ちゃんに関してはこれ以上悪いことにはならないだろう。
遺跡に入ると、あたしより背の高い馬鹿でかい岩が行く手を阻んでいる。
「『かいりき』の秘伝マシンなんか持ってないんだけど、どうしたもんかね」
「大きな岩ですね。よいしょ……ううっ!」
「おお、そうであったな。ライドギアを貸してくれ」
ハプウさんにライドギアを渡す。
「いや、リーリエ。無理でしょ、それ」
「はあ、はあ。駄目です。言葉にできないくらい重くて……」
いいものみたなあ、という気持ちにはなるが、このサイズの岩は絶対動かない。
「ざっくり縦横高さ二メートルとして、八立方メートルだから、八千かける……まあ仮に比重が二として、一万六千キログラムってところか。中ががらんどうとかでない限り、十六トンはあるからね、それ」
「こんな大きい岩、誰が置いたんだロ」
「……カプ神かな?」
岩とあたしを交互に見て目を丸くするリーリエ。ハプウさんが小さく笑って、手元のライドギア操作を終えて返してくれた。
「家におるカイリキーをライドポケモンとして使えるようにした。試しに乗って見るといい」
「ありがとうございます」
「ああ、それと、敬語でのうてもええし、さん付けは何というか、くすぐったいから止めてくれんか。リーリエは誰に対しても敬語らしいが、ユウケはそうでもないんじゃろ」
「あー……うん。それは、助かる」
喋りながら、ライドギアを操作。不明なポケモンが接続されました。現れたカイリキーに抱きかかえられるあたし。
「お、お姫様抱っこですか……!」
「これは結構恥ずかしいね……」
「そうか?収まりがよさそうじゃが」
「ボクもユウケを抱っこしたいロトー!」
「でんじふゆうで上に乗るとかならできるかもしれないけどね……」
こんなに賑やかにしてカプ神に怒られないか心配になってきたので、あたしはカイリキーに岩を押させて、さっさと奥に進むことにした。
守り神ポケモンは島の好きなところにいて、普通は会えないと本で書いてあった。遺跡で呼びかければ姿を見せてくれる可能性もあるらしいが、それも相手次第。何気にアローラ地方のカプ神の遺跡に入るのは初めてなので、興味がそそられてキョロキョロと周囲を見渡してしまう。
「遺跡に常にいるかわからない神の気まぐれを当てにしないといけない、ということですね」
リーリエはほしぐも――ちゃんをバッグから出してやる。相変わらず石のように動かない。ハプウは遺跡の奥、祭壇へ。
「ほしぐも……ちゃんは、変化無し、か」
「残念です……」
ほしぐも――ちゃんをバッグに戻す落胆したリーリエにどう声をかけようかと思いながら、奥の祭壇に目をやると、ハプウの奥に光る石――Zリングの元になった石が浮かんでいた。小さく、ハプウの声が聞こえる。
「確かに授かりました。島クイーンとして、人々とポケモンのため尽力します」
島クイーン、もしくはキャプテンになるのには、Zリングが必要だとどこかで聞いた覚えがある。つまり、今、島クイーンの空位が埋まったということか。
「おお、見ておったか!島キング、島クイーンは守り神が鎮座する島の居住者から選ばれる。リーリエから聞いたが、ユウケは遠いところからアローラに来たばかりであろう。輝く石を授かるのは特別なことなのじゃ」
自分のZリングをマジマジと見る。
「ホウエンから越してきた次の日にもらったんだけど、そんな凄いもんだったとはね」
「数年前に島キングだった爺様が亡くなってから、受け継ごうとしたんじゃが、選ばれんでな。島巡りのように各地を回って鍛え直した。リーリエよ、探しておった島クイーンはここにおる」
「は、はい!島クイーンさん!伝説のポケモンさんについて教えてほしいのです!」
ドヤ顔のハプウと笑顔になるリーリエ。あたしもとりあえず一歩前進で一安心だ。
「月輪の祭壇に奉られるルナアーラのことかのう」
「ウルトラホールの先、遠い世界に行ってしまった母様を追いかけたいのです!そこに、ネクロズマさんという怖いポケモンさんがいるので……伝説のポケモンさんの力を借りたいのです!見知らぬ世界を行き来する、伝説のポケモンさんの力を!」
「ビーストのおる世界じゃな。爺様に聞いた。空に開いた穴の向こうから通じている世界のことかのう。知っていることを教えよう」
「助かるよ」
「ハプウさん!」
「というてもな。祭壇で行う儀式とは伝説ポケモンのため、二本の笛で音色を奏で、力を与える……というものでな。伝説ポケモンをわらわも自分の眼で見たことはない。まずは笛を取りにいくか。海の民の村から船を出してもらうとしよう。わらわも行く。島クイーンになったことを伝えんといかんでな」
「わかりました!」
「ありがとう。助かるよ」
あたし達三人は海の民の村に戻って来た。マツリカさんを探さねばならない――すぐ見つかった。髪の毛の色でわかりやすいな。
「マツリカよ。ハプウが島クイーンになったでな」
「おー、おめでとう。っていうか、それまでクチナシさんがこの島の大試練の面倒を見てたのは、そういうことだったんだ」
「早速で悪いが、ユウケとリーリエの二人が、ナッシーアイランドに用がある。月の笛を取りにいかんといかんでな。船を頼みたい」
「ほいほい。団長さんに頼むよ。あー。団長さんってのは、この村の一番偉い人、かな。コイキング船の持ち主の人。マツリカ、先に行ってるから」
「「ありがとうございます」」
「では、気をつけてな。無事を祈っておるぞ」
「ハプウ、何から何までありがとう。助かったよ」
「ハプウさん、色々と助けてくださってありがとうございました!」
「何、気にするな。二人の友達のためじゃからな」
「友達……凄いトレーナーさんで、島クイーンさんのハプウさんと。嬉しいです」
「いや、本当にありがとう。今度は土産を持ってくるよ」
ハプウを見送って微笑むリーリエと、何とか笑みを作ろうと頑張るあたし。表情筋が素直に言うことを聞いてくれる人は羨ましい。
またも船の上から声をかけられた。船の上に今度はマツリカさんと壮年の男性とペリッパーが一匹。
「わしを呼んだな!」
「呼んだのはマツリカだけどね」
「話は聞かせてもらった!ナッシーアイランドは滅亡する!」
「いやしないけど」
「したら困りますね」
「困るね」
「冗談ですがな。ナッシーアイランドお連れしましょ」
「「ありがとうございます」」
「どえらいポケモンがおるところやけど、えー……トレーナーはどっち?」
「あたしです。ユウケと申します」
「ユウケはんか。ちゃんと相棒を守ったれるか?」
「ええ。最善を尽くします」
「ユウケさんは、今までもわたしを守ってくれた、凄いトレーナーさんなんです!」
「そうか。じゃあ、一緒に行っても大丈夫か。二人とも乗り。コイキング号でぼちぼち行くでな」
「「よろしくお願いします」」
ナッシーアイランドまではさして時間がかからなかった。無人島の椰子の木に団長さんが舫い、あたし達も降りる。空がずいぶん曇ってきたのが気になるが、船に乗っている間に荒れなかったのでマシか。
「着いたで。何でも昔はここが試練の場所やったらしいな」
「椰子の奥に三匹ほど、でっかいのがいますね。あれがナッシーのリージョンフォームですか」
「せや。しかし、今日はえらいナッシーが騒がしいな。元から騒がしい奴らやから、問題ないとは思うけど。ともかく、頑張りよし!」
「ありがとうございます。おー、凄い元気そう」
「ありがとうございます……アローラのナッシーって、いつもあんな感じなのでしょうか……」
「首がブンブンしてるロト!」
無人島だからといって、静謐なわけではない。人間の生活音の代わりに人間以外の生活音があるだけだ。あたし達という余所者が邪魔をしない限りは。
単眼鏡で暴れているナッシー三匹の上の方を見ると、どの個体にもカイロスがへばりついている。樹液――体液か?目当てなのだろうか。捕獲したポケモンには基本的にポケモンフーズか木の実しか与えないあたしは、カイロスという馴染み深いポケモンでも何を食べて生きているのかわからない。ともかく、上から下まで眺めてみてもナッシーが暴れる原因はこれくらいしか見当たらない。ナッシー三匹ともにカイロスが付いているから、多分そうだろう。
「とりあえず、あのカイロスをはたき落としてみたらいいかな」
「お気をつけて」
「大丈夫大丈夫、やるのはハガネールだし。よろしくね、ハガネール」
ハガネールの大きさなら問題なく届くだろう。
三匹のカイロスをはたき落として仕留めたら、推測通りナッシー達は大人しくなった。急激に辺りが静かになる。ナッシーの異常に息を潜めていたであろう他の生き物達が動き出す気配がする。ハガネールを撫でてやって、ボールに戻す。
「片付いたかな。ご苦労さん、ハガネール」
「凄いです!」
「単に勘が当たっただけだよ。大したことじゃない」
「そうでしょうか……」
大げさだなあと苦笑いしたところで、ぽつりと水滴が頬を濡らした。天候が崩れてきたらしい。合羽はゴアテックスのしっかりした奴と、予備の百円均一で買った合羽があるから、何ともならないわけではない――のだが、リーリエに手を握られた。
「ユウケさん、あそこで雨宿りしましょう!」
「へっ、あ、ああ、うん」
指さす先に、確かに雨宿りによさそうな岩陰がある。ゆっくりと走り始めるリーリエに手を引かれるように走った。
雨が降り始めた。岩陰に入る前に見た西の空は明るかったので、それほど時間はかからず止むだろう。
「スカートが濡れちゃいました」
あたしはリュックからハンドタオルを引っ張り出して彼女に渡した。
「あっ、ありがとうございます。洗って返しますから」
あたしは手で別に構わないと伝えた。何だったかのイベントでもらったタオルだし、別に構わない。やや不服そうな顔で仕舞われるタオル。バッグから紅茶のペットボトルと、チョコレートバーを差し出す。
「飲む?食べる?」
「紅茶、いただいていいですか。お腹は減ってないので大丈夫です。ありがとうございます」
あたしはチョコレートバーを袋の中でへし折って一口大にしてから口に放り込んだ。二人でぼんやりと景色を眺める。
「アローラの雨、ですね。わたし、雨を見ると思い出すことがあるのです。小さかった頃、映画の真似をして雨の中、歌い、踊っていたら」
うんうん、と頷いて続きを促す。映画か。雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ。の、元ネタの『雨に歌えば』だろうか。
「驚いた母様が傘も差さずに飛び出してきて。母様……笑顔で一緒に歌ってくれたのです」
記憶に微笑む彼女と、見知った人物像との落差に驚くあたし。
「ユウケさんも、意外ですよね。その後、二人で風邪を引いて、一緒に寝込むことになったのに。わたし、嬉しくて何度も何度も母様を起こしちゃって……」
ずっとああいう感じできっつい抑圧的な家庭だったのかなと、うん。思ってしまっていた。後ろ頭をがじがじと掻く。
「でも、今は、ウルトラビーストとウルトラホールのことだけ考えるようになって……ヌルさんやほしぐもちゃんを……」
「特定の知識が、毒になることもある。解決策が一つしか無いと思う時はなおさらね」
小さく頷く彼女。あたしは言葉を促すために、口を閉じて彼女の目を見る。エメラルドグリーンの綺麗な目が揺らぐ。
「わたし、何もできないから……困ってばかりでした。困った時に、ほしぐもちゃんが助けてくれて……。その後は、ずっとユウケさんが助けてくれました。でも、助けてもらってばかりではいけないなとも思うのです」
「あたしは、好きでやってるだけだから構わないけどね。ほしぐも……ちゃんも、多分だけど、リーリエが好きだから」
「えっえっ、ええっ……?」
顔を真っ赤にしてリーリエが黙り込んだ。可愛い。何か変なことを言ってしまっただろうか、と思いながら続ける。
「ただ、ほしぐも……ちゃんもだし、あたしもだけど、いつでも力になれるとは限らない。そして、力が無い理想は無力だ」
「そ、そうですよね……。だから、わたしも、トレーナーさんになりたいと思うようになりました。ユウケさんもハウさんも、ハプウさんも、トレーナーさんは道を開く人達だと思ったんです」
「二人はともかく、あたしはそんなたいそれたもんじゃないけどね。あたしは……あたしは、ただの負け犬だ」
「そんなことないです!」
リーリエ、こんなに大きな声が出せるのか。一瞬怯んでしまった。
「あたしを知らないから、そう思うだけだよ。あたしは……人付き合いから逃げるためにトレーナーになって旅に出たし、あちこちふらふらしているのもそう。ここに来たのだって、世界リーグの選手としてどうにもならなくなったからで」
「逃げていい時に、逃げたら駄目なんですか?ユウケさんは、逃げたら駄目なときには逃げない人ですよね」
逃げていい時とそうでない時。そんなこと、考えたことがなかった。戦うか逃げるかの二択だけで、その前に逃げていいかなんて考えたことがない。アクア団との一件でも、関わった四人の中で、あたしが一番最初にビビったと思う。逃げなかったのは。
「初めて会った時もニャビーさんしかいなかったのに、必死で助けてくれました!あの時、オニスズメさんだけでもどうすればいいかわからなかったのに、橋まで落ちて……わたし、わたしは」
泣きそうなリーリエを見て胸が痛む。でもこれは自分のせいだ。あまりにも彼女が眩しくて美しいから目がくらんでしまって、薄汚い巻いた尻尾と傷だらけの小汚い毛皮を隠してすり寄った負け犬の自分が言わなければいけない。言えばきっと失望されるだろうけど、隠したままでは、家族の野心や望まずつきまとう家柄、あるいは使命を受け入れて戦う彼女達と肩を並べることなんてできない。そもそも、そこにあたしの席は最初から無かったとしても。嘘で玉座を作ることはできるが、それを維持することはできない。
「あの時だって橋が落ちるってわかってたら見捨ててたよ。あたしはそんな奴」
「どうして!どうしてですか!?」
その美しい瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼす彼女がいたたまれなくて、目を見られない。
「わたしは、わたしだって!大好きなユウケさんを馬鹿にされたら怒ります!それがユウケさん自身であってもですよ!」
あっ、と口を抑える彼女。顔が真っ赤だ。怒ったことを恥じてだろうか。そうだな。彼女が本気になって怒るのは滅多にない。ましてや、ここまで赤くなって怒るなんて。期待と失望の差が大きいからだろう。ここまで話してまだ誤解されたまま、信頼で輝く瞳で見続けられるのは、きっと耐えられない。だからあたしは、彼女が怒ることをわかったうえで続ける。
「知られれば知られるほど、失望されるから」
「だったら、教えてください!わたしに、ユウケさんのことを。そう、そうですよ!そのために……トレーナーさんとしてのことをわたしに教えてください!前に言いましたよね。『トレーナーになりたいならいつでも教える』って!」
「リーリエが失望するまででいいなら、いつでも、いつまでも教えるよ。島巡りが終わってからの身の振り方はまだ考えてないけど、あたしがまた旅に出ることになって、付いてきたいなら来てもらっても構わないし」
「失望なんてしません!といいますか、それって……」
一転してなぜか嬉しそうになるリーリエ。こんなのでも役に立つだろうか。それがいつ失望に変わるか、考えるだけで胃が悲鳴を上げそうだ。
「期限付の弟子みたいなもの、かな。お金も取らないし、嫌になったらさっさと見切りをつけてもらって構わないけどね」
皮肉を込めて笑おうとする。上手く笑えているだろうか。
「あの……ユウケさん?」
「……何?」
リーリエがにじり寄ってくる。岩陰の、出口ではなく岩の方にじりじりと追いやられるあたし。
「な、何……?」
「わたし、さっき、言いました。ユウケさんに怖がられたりしたくなかったので、本当は言うつもりがなかったのですけど」
今の話の、どれがそうだ。困惑しながら記憶を検索する。発言の意味が不明です。怒られるのはわかる。失望され、幻滅されるのもわかる。だがあたしが怖がる要素がわからないし、今にじり寄られるのはもっとわからない。
「ユウケさんは臆病でヘタレでビビりだから誤魔化してるんですか?それともびっくりするほど鈍感なんですか?本当にわからないんですか?」
「ごめん。本当に……何が悪いか、悪いことしか言わなかったから、リーリエが怒ってるのか。それもわからない。それが、申し訳ないよ」
追い詰められた。殴られるなら殴られるで仕方ないと思っているし、抵抗する気もないのだけれども、なぜ間合いをもっと詰める。インファイトか。これ以上は下がれない岩陰に背を預ける。顔が、顔が近い。真っ赤な顔で、リーリエは小さく言葉を押し出すように続けた。
「怒ってません。いえ、怒ってますけど。今怒っているのは、ユウケさんがユウケさんをけなすのと、あんまりに鈍いからです。わたしは、ユウケさんが好きです。Likeではなくて、Loveです」
自分の顔が見られないからわからないが、多分、その日一番アローラ地方で頭の悪そうなぽかんとした間抜け顔大賞を決めるなら、あたしのそれになっただろう。
「え、何?その……リーリエが。あたしを?」
真っ赤になりながら、それでもあたしの目を見てはっきりと言う彼女。
「そうです!ユウケさんが好きです!愛してます!」
何か答えないといけない。ぱくぱくと口を開く。
「や、やっぱり……怖い、ですか?女同士なのに、って」
恐怖と動揺を含んだ瞳で見つめられ、ぶんぶんと首を横に振った。
「あたしは、
「じゃあ、ひょっとして、もう誰か、いるんですか?」
「いや、いない。むしろ嬉しいけど……え、あの、もしかしてさ」
ぎゅっと抱きしめられた。彼女は耳まで真っ赤になっている。きっと、あたしもそうなのだろう。
「『何かの罰ゲーム?』なんて聞いたら、もっと怒りますからね。ユウケさん、わたしと、付き合ってください」
「えっ、あっ、あの、はい。喜んで」
背中に回された彼女の手がほどかれる。目の端に涙を溜めて真っ赤になりながら、それでも悪戯っぽく笑う彼女が眩しい。
「返事をもう一回、聞かせてくれませんか?」
すぅ、っと息を吸い込んで、腹に力を込めてもう一回。
「あたしも、リーリエが好き。恋人になりたい」
「はい!」
彼女が目を閉じた。あたしはもう間違えなかった。初めて彼女と合わせた唇は柔らかく、舌を絡めたりもしていないのに腰が抜けそうなほど気持ちがよかった。人生初の恋人とのキスは、紅茶とチョコレートの味がした。
まるで話が終わるのを待っていたかのように雨が上がり、綺麗な虹が出た。
「大きな虹。綺麗なもんだね……」
「いいことありそうだと思いませんか?さっきいいことがあったのですから、もっといいことがあるのかも」
確かに、凶事の前触れには見えない。白虹でもない。あたし達はごく自然に手を繋いで、島の奥に足を進めた。
雨が降る前に助けたナッシーが、奥に行くのに橋渡しをしてくれた。ナッシーの首の上を歩くなんて初めての経験で、自然と笑みがこぼれる。
「何だか、得をした気分です。着いてきてよかった」
「そうだね。普通はできない体験だと思うよ」
鬱蒼とした草むらをかき分けて歩みを進めると、祭壇にたどり着いた。銀の笛が台座に置かれている。
「これが、ルナアーラさんに捧げる儀式のための笛ですね」
あたしは小さく手を合わせて、お預かりしますと呟いてから笛を手に取り、丁寧に鞄に仕舞い込んだ。
「それじゃあ、行こうか」
「はい!」
握る手に守るべき暖かさ、その重みを感じつつ、それも悪くないと思った。あたしには相応しくないのではという不安と等価であるとしてもだ。
虹色わんこさんに主人公ユウケの絵を描いて頂きました。とても美人なので是非ご覧下さい。(1/12投稿分挿絵と同じです)
【挿絵表示】
虹色わんこさんのサイト・twitterはこちらです。
http://iridescentdog.seesaa.net/
https://twitter.com/iridescent_dog