負け犬達の挽歌   作:三山畝傍

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負け犬、思い出:ジョウトの湖畔にて

 人間は何を怖がるか。同じ知恵を持つもの――人間。また、未知なるもの。そして、自分達によく似ているもの。

 では、その三つを併せ持ったものがいるとしよう。宇宙人でも吸血鬼でも、悪魔でもまあ何でもいい。

 人間が類人猿を滅ぼさないのはなぜか。人間より愚かだからだ。

 人間がポケモンを滅ぼさないのはなぜか。人間より愚かだからだ。

 人間が類人猿もポケモンも滅ぼさないのはなぜか。どちらも人間とは区別ができるからだ。

 

 想像してごらん、人間と他の生き物の間に違いなんてないんだと。

 ほら、簡単だろう?

 地面の下には地獄はないが、地面の上に地獄は作り得るのだと。

 ああ、想像してごらん、皆が万人の万人に対する闘争をしているさまを。

 

 あたしがまだジョウトにいた頃の話だ。スイクン、エンテイ、ライコウの三匹を追いながら、飯の種を探していた。地方リーグの元チャンピオンとしてそれなりの費用を支給されていて服、飯、宿のどれにもすぐに困る状態ではなかったが、それなり――まあ、二週間ってところか――に時間がかかりそうだと踏んだあたしは、ポケモンセンターでついでにできる仕事を探しながらジョウトのあちこちを自転車、そして街中は徒歩で彷徨いていた。実際には一か月と少し、犬追物の真似事をする羽目になったが、まあそれはいい。

 目をつけたのは、というより、目についたのはでかい仕事だった。普通はポケモンセンターの情報板なんかに出す金額じゃない。なるほど、馬鹿共が集まりそうな話だった。

「『人間に化けたメタモンの殺害、もしくは捕獲。情報提供でも一定の謝礼あり』。人間社会に紛れ込んだそれを対象としている、か」

 メタモンは何にでも化けることができると言われる。ただし、一部例外がある。自分より知能の高いものに完全に化けきることができないのだ。例えば、人間だ。人間の外見を模すことはできるが、社会生活を営むことができない。昔読んだ論文では、メタモンの能力では、人間の脳の構造をコピーしきることができないために、例えばポケモンをコピーした際に記憶と技をコピーできるようにはいかないだとか。公式には、そうなっている。あたしの読んだ論文でも、学会でも、研究者の間にでも。

 噂だ。くだらない噂だけが、例外を伝えるのだ。都市伝説、怪談、民話、そういった類の与太話。

 曰く――突然変異のメタモンは、人間に完全に化けられる。

 曰く――死んだと思っていた祖母が帰ってきた。受け答えはできる。老齢のせいかと思っていたが、家で長いこと飼っていたガーディが狂ったように吠えかかる。モンスターボールを試しに投げてみたらボールが反応したので叩き殺したらメタモンだった。

 曰く、曰く、曰く。生物学の論文の箸休めに民俗学を紐解けばわんさか出てくる。ポケモン発見以前に伝わった山姥やら何やら、世界中に伝播する「人間に化ける何か」はメタモンが含まれるのではないかという論考もある。少なくともあたしは見たことはない。

 だが、この金額は、下らない与太にしては常軌を逸している。この金額であれば、おそらくポケモン協会に預託金を出しているはずだ。おまけに出資元がそれなりに有名な家なのも、信頼性らしきものの助けになっている。腕利きの信頼できるトレーナーでなく、ポケモンセンターの情報板を使うのも、人捜しに近いからだろう。ただ、現段階の情報では雲を掴むようなものだ。ジョウトの中でも北半分で伝聞に近い目撃情報のみ。

「下らない」

 あたしは頭の中からその依頼を放り出した。

 

 他のトレーナーを出し抜いて、エンテイを捕まえられたのは馬鹿げた依頼を見た二週間後だった。山に十日も籠もった甲斐があったというものだ。平押しする口先だけの連中のお陰で、エンテイはあたしが目をつけていた巣穴のうち一つに戻ってきたのだ。本命はスイクンだったが、あたしも大概コレクター気質だった。

 ポケモンセンターに戻って情報板を見ると、件の依頼内容が更新されていた。

「人間に化けて社会に溶け込んだメタモンは『エンジュシティ、キキョウシティ、チョウジタウンのどれかにいる』だって?」

 何でも情報提供を受けた後、別の人手を使って情報を洗っていたらしい。金持ちの道楽にしては手が込みすぎていると思った。思ったが、それだけだ。

「馬鹿じゃないの」

 その日はエンテイ捕獲祝いでフレンドリィショップでしこたま酒を買って、宿で飲んで寝た。

 

 ライコウを追い詰めて、そして捕まえたのは、三日後だった。

「ツキの無いあたしにも、やっと回ってきたかね」

 本命、あたしが一番欲しがっているのはスイクンだ。正直なところ、他の二匹は他のポケモンでも似たようなことができ、代用できる。だが、スイクンは必要だ。今日はもう間に合わないにしてもだ。あたしは最寄りのポケモンセンターの宿泊スペースで、誰にも邪魔されずに夢も見ずに寝た。

 

 マスターボール。後生大事に持っていた切り札が、スイクンを捕らえた。後は、地方リーグに行って、終わったら一旦帰省してもいい。長いこと帰っていなかった。

「二週間近い山ごもりは、応えた……」

 幸い、エンジュシティが近かったので、あたしは精進落としに夜の街に出たのだった。

 

 エンジュシティの馴染みの店でしこたま酒をきこしめたあたしが、スリに気付いたのは旅の有難くない経験のお陰だった。

「小僧、待ちな」

 あたしの真後ろで足を止めた、あたしのポケモンが止めさせたガキの肩に手をかけた。六、七歳というところか。

「な、なんだよ」

「あたしの財布をスろうなんていい根性してるじゃないか。今すぐ土下座したら許してやるよ」

「し、知らねえ」

「あたしのポケモンに殺されるのと、あたしの財布に入ってる分のカネを返すのとどっちがいい?ゲンガー」

 あたしの命令に従い、影に入っていたゲンガーがガキの前に姿を現す。

「わかった!返す、返すから!だから放してくれ!」

 財布の中身をちらっと見て盗まれてないことを確認してから、ガキに財布の中身を見せる。

「今、十五万円入ってる」

「そっ、それがどうしたんだよ」

「『あたしの財布に入ってる分のカネを返せ』って言ったね。十五万出しな」

「はあ?!」

「ならあんたの指で勘弁してやるよ。指一本飛ばしたら大体二、三十万ってところだろう。路上だから半額の一本で許してやる。どの指がいい?右手と左手から選ばせてやるよ」

「う、嘘でしょ……?」

「あたしは嘘が嫌いなんだ。十数える間に決めな」

「わ、わかった。有り金全部で許してくれよ。なあ」

「……金額によるね。ゲンガー、左手だけ動かせるようにしてやりな」

 ガキの左手が財布をポケットから取り出した瞬間、一緒に何かが転がり落ちた。あたしは慌てて飛び退いた。

「ゲンガー!あたしを守れ!」

 煙幕――けむりだまか!煙の中、あたしはあのガキと目が合ったような気がした。誰かに似たような目。追い詰められた獣のような、恐怖と生への執着に満ちた瞳。

「くそババア!くたばれ!バーカ!」

 逃げられたか。あたしは舌打ちした。向かいの路上酒場――公道での営業は当然違法だが、客の頭蓋骨を叩き割らないだけ大人しい――で飲んでいたおっさんがへらへらと野次を飛ばす。

「姉ちゃん、惜しかったな。あのガキ捕まえたのはあんたが初めてだけどな」

「あいつはいつでもこの辺で『仕事』をしてるの?」

 おっさんはビールを飲み干す。あたしは千円札を取り出して、ビールを二杯頼んだ。おっさんは当然のように差し出されたビールを飲む。

「ここみたいな表の方では普段やってねえみたいだな。俺があいつを見たのは昨日からだ。普段はもっと奥の方の通りで仕事をしてるらしい。何でもチョウジの出だとか」

「具体的には?」

 あたしもビールを飲みながら尋ねる。

「つまみが欲しいねえ」

「一品だけならね」

「おでんくれやあ!へへ、姉ちゃん話が早いな。俺が聞いた話では――」

 ジョウト通を気取りたがる間抜けがディープジョウトだのほざいてうろつく通りと筋が幾つかおっさんの口に上った。あたしはビールを飲み干し、つまみの代金を置いた。

「へへ、拘るね、姉ちゃん。惚れたか?」

「指を切り落としてやる約束をしたからね」

 おっさんの顔がへらりと歪んだ。

「程々にしとけよ」

 あたしは口では応えず、ひらひらと手を振ってきびすを返した。

 

 ライコウ、エンテイ、スイクンを追う時に使った情報屋に更にカネを出して、あたしは例のガキを探していた。実際のところ、あいつの指自体はどうでもよかった。ただ、あいつの目が気になったのだ。

 紫煙が染みついた雑居ビルの一室。煙への不愉快さを隠さないあたしと、それを嬉しそうに眺めながら紙巻を吹かす部屋の主、情報屋。

「ポケモン探しの次は人捜しか。あれか?例のメタモンか?」

「下らない。あんたまで本気なのかい?」

「おいおい。ジョウト中の情報屋と探偵がメタモンに夢中なんだぞ。元チャンピオン様は興味がないみたいだけどな」

 あたしは聞こえるように舌打ちした。

「その呼び方は止めな。金払い以上のもんをあたしに求めるなって言っただろう」

「悪かったよ。で、この依頼品はどうするんだ?」

「チョウジに行く。別口の用事もあるんでね。電話でいい」

「わかったよ。じゃあな」

 あたしは返事もせずに小汚い部屋を出た。情報屋の下卑た笑い声が背中を打った。

 

 チョウジタウン。いかりのみずうみと、忍者屋敷が売りの小さな町だ。リアルニンジャ――もとい、本当に忍者を輩出していた町らしいが、実在する忍者の子孫最後の一人はエンジュ大学で講師をしている。宿泊施設はいいところ民宿くらいなので、あたしは早々にポケモンセンターに引きこもった。去年くらいから噂になっている湖の主、馬鹿でかいギャラドスの顔を拝むために釣りでも行こうかと思ったのだが、湖近くの集落が放射性物質だらけになってから除染されるまでの間にスラム化したことを知っていたので億劫になったのだ。人が少ないのをいいことに、宿泊スペースを複数日予約した。寝転がって撮り溜めていたアニメでも見るとしよう。

『奪って絶望させるのですッッ』

『勘弁してくれッッ!俺の敗北()けだッッ!……ギブアッ』

『与えちゃいけないッ。……いいですかタツミ、私に勝利を与えられるのは神だけ。あなたは神の代理人じゃないでしょ』

 三大萌えさくらの最後の一角、CB(クライベイビー)さくらが遂にアニメ化。筋肉モリモリマッチョマンが画面狭しと動き回る。むさい。むさいが面白い。どうでもいいが、萌えって何だろうな。

『愛がある。悲しみもある。しかし……陵辱がないでしょッッ!!!』

 原作も当然読んでいるので知っているが、もうすぐクライマックスだ。

 

 ポケモンセンターの宿泊施設とロビー――清掃時間中は宿泊スペースが使えないので――を往復しながら撮り溜めていたアニメも見終えてしまい、ゲームをプレイすること三日目、ようやく情報屋から電話が来た。

「よお、生きてたか」

「ポケモンセンターの人達の目がきつくなってきたところよ」

「何だ、一歩も出てないのか」

「こんな田舎、何もないじゃない」

「まあな。で、あんたの捜し物、見つかったぜ。チョウジタウンのだな……」

 情報屋が読み上げた住所を書き留めてあたしはうんざりした。まさに湖近くのスラムだったのだ。

「一つ気になったのは、そいつの母親なんだが、一月ほど前に湖に漁に出て、行方不明になってる」

「ポケモンにでも襲われたんじゃないの?」

「二日ほどして戻ってきたらしい。舟じゃなく、着の身着のままでな。そのまま寝込んでるそうだ。病院にも行かずにな」

 ますます何かのポケモンに襲われて怪我でもしたのではとしか思えないが。病院は確かに気にならなくもない。半ば形骸化しているとはいえ、日本には公的医療保険も低額診療所もある。

「それともう一つ、これはサービスなんだが。例のメタモンも、チョウジにいるって噂だ。くさいと思わんか?」

 そんな偶然があるわけがない。あたしは心底くだらないと思った。それでも礼は言って、電話を切った。

 ポケモンセンターの情報板を見てみると、メタモンの件はまだこの間見た通りだった。

 

 大戦前の民家を移築したらきっとこんな感じだろうというバラック群を行くことしばし、目的の家が見つかった。表札がかかっていないが、あの情報屋は信用できる。インターホンもドアノッカーもついていないので、なるべく乱暴にならないよう意識しながら引き戸を叩く。反応がない。一分ほど待ち、もう一度。もう一分。

「仕事にでも出てるのかね」

 例のスリはイラクサという名前で、キブシという名の母と、ミズハという名の姉がいるらしい。疑われないよう持ってきた土産――といっても、さっきポケモンセンターの近くの和菓子屋で買ってきたものだが――を持ってきたのだが、空振りとなると重さも空しいだけだ。結局あいつをどうしてやろうかも考えがまとまらないというか、怒りが時間で薄れてしまったせいで決めかねていた。後頭部をぼりぼりと掻きつつ考える。

 未舗装の砂利道を踏む足音が聞こえた。道路に落ちる影の隣にもう一つの影。

「あの、どちら様でしょうか」

 振り返ると、年の頃は十四、五歳というところだろうか。儚げな雰囲気の美しい少女が立っていた。肩まで伸びた黒髪、気の弱そうな下がった眉と垂れ目の黒い瞳。白目と肌が黄色くなっているのが生来の美しさを損ねてはいるが、十二分に美しいと言っていい。あたしは一瞬息を飲んでしまった。

 情報屋の言に従えば、この娘は十三歳で、病気だ。肌と目に出ているのは多分だが黄疸だろう。

「ユウケと申します。イラクサくんのお姉さん、ミズハさんですね。弟さんに先日エンジュシティでお世話になりまして、お礼に伺わせてもらいました」

 すらすらと口から言葉が出る。一言も嘘は言ってないのがミソだ。

「あら、まあまあ。わざわざご足労くださって申し訳ありません。イラクサは今、仕事で出ていますが、もう帰ってきます。よかったら、あがってください」

 住所も間違いなかったらしい。想像以上に綺麗な子のうえに、あたし好みだ。誘いを断る理由がない。あたしは二つ返事で上がらせてもらうことにした。

 

 出してもらった茶にケチをつける訳にはいかないが、本当に不味い茶だった。淹れ方がどうこうではなくて、茶葉がよろしくない。あたしは無表情を貫いて、土産を差し出した。

「まあまあ、わざわざありがとうございます」

 不味い茶はさておき、ミズハの穏やかな人柄が言葉の端々から伝わってきた。不躾にならない程度に部屋を見回す。奥の部屋が寝室になっているらしい。茶が冷めると喉を通らない気がしたので一気に飲み干した。

「喉渇いていたのですね。どうぞ。今日はエンジュのニナ病院に行っていたもので。母は怪我で伏せっていて出られないものですから」

 茶を注いでくれるのに苦笑しそうになったのを何とか抑えた。ニナ病院は確か割と大きい病院で、低額診療をやっていたところのはずだ。幸い、旅の途中で重い病気にかかったことはないが、トレーナーなどという不安定な仕事をしているとそういう病院には自然詳しくなる。

 本当に申し訳なく思っているらしく目を伏せる彼女を見て、あたしは少し慌ててしまった。

「いえいえ、事前に連絡もせずにお伺いしたのはこちらですから。お構いなく」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 頭を下げたところで、がらがらと扉が開く音が聞こえた。

「ただいまー!ん?お客さん?ってうわ!」

 あたしは尋ね人、イラクサ七歳を見つけてニヤリと笑みを浮かべた。

「エンジュシティではお世話になりました。イラクサくん。あの時は名乗れなくてごめんなさい。ユウケと申します」

「な、な、な……」

 あたしはわざとらしく頭を下げて、言葉を継いで立ち上がる。

「おっと、電話みたいです。ちょっと失礼しますね」

 すれ違いざまにイラクサの耳元で囁いた。

「外で話すかい?」

 きっと面白い顔をしていただろうが、表情を見られなかったのが残念だ。

 

 外に出てきたイラクサは、膝が震えていた。顔面も真っ青だ。

「お、お前、お前、何なんだよ。警察か?」

 思わず吹き出してしまった。

「警察がちんけなスリなんぞわざわざ追ってくるわけないだろ」

 一瞬安堵した表情を見せた油断を突くように、追い討ちの言葉を告げる。

「おまわりの代わりに、あたしが事務所に呼びに来てやったんだよ。優しいだろ?」

 再び蒼白になるイラクサ。

「おっ、俺は!俺はどうなってもいいから!母ちゃんと姉ちゃんには」

 こいつの顔色を変えるのも面白いが、ここまで言われるとしょうがない。

「冗談だよ。あたしはただのトレーナーさ。チョウジに来たのは、あんたの落とし前をつけさせようと思ってだけどね」

「さ、財布は悪かったよ、その、ごめんなさい」

「わかったよ。ただし、あたし相手に二度と舐めた真似をしたら、次は指をもらう」

 あたしの声に冗談の含まれる余地はない。顔を青ざめさせて、イラクサは壊れた人形のようにガクガクと頷いた。

 

 押し黙った彼に口を開いた。

「ところで、あんた。最近の飯代はあんたの『仕事』で食ってるのかい?」

 悔しそうに唇を噛んで下を向く彼。参ったな。これ自体は別に責めようと思って言った訳ではなかったのだが。あたしは、別にあたし自身と親しい人に害が及ばないなら殺人強盗放火スリなんでも知ったことではないのだ。

「布団の空きがあるなら、あたしを泊めてくれないか?カネなら出す。いかりのみずうみの主の顔を拝んでやろうと思ってね。ポケモンセンターは遠いだろ。ここは湖に近い」

「俺から姉ちゃんに話す。たぶん大丈夫だと思う。それと、あんた……いや、ユウケ、トレーナーなんだよな?」

 あたしは頷いた。

「俺に、ポケモン勝負を教えてくれ!いや、ください!」

「はあ?」

 あたしの声がよほど大きかったらしい、心配そうな顔で扉を開けたミズハに小さく頭を下げた。

 

 家に戻り、不味い茶を再度啜りながらあたしはミズハに再度話をした。いかりのみずうみの主に興味があること、湖が近いこと。代金は付近の民宿の相場を参考に提示した。

「お恥ずかしい話ですが、今、私も母も体調が悪くて仕事ができず困っていたところですから、確かに助かります。イラクサがアルバイトをしてくれますが、雇ってくれるところも限られますし」

 花のように微笑むミズハ。この分だとアルバイトの中身は伝えていないな。それも当然だろうが。イラクサは目を背けていた。

 もっとも、あたしはミズハの仕事もそれほど褒められたものではないこと、多分家族にも伝えてないことも知っている。

「本当は、舟を出せれば一番よかったのですが、漁師の母も怪我を負ってしまいましたし、舟も沈んでしまって……」

 知っているが、それを表に出さないよう気をつけながら尋ねた。

「舟が沈んだ?」

「ええ。舟の残骸が先々週に流れ着きましたが、それも一部だけで……母が無事帰ってきてくれただけで、何よりです」

「なあ、母ちゃん、起きてる?」

「……ああ、起きてるよ」

 ふすま越しに声が返ってきた。ほとんど気配を感じなかったが、寝込んでいれば当然か。

「このユウケ、いや、ユウケさんを泊めてやりたいんだけど、いいよな?」

「……ああ」

「ありがとうございます。それでは、しばらくの間、よろしくお願いしますね。ミズハさん、イラクサくん」

「ユウケさん、敬語なんて結構ですよ。私はミズハと呼んでくれればそれで」

 あたしはぼりぼりと後頭部を掻いた。

「でも、年上でしょう」

「私、十三歳ですよ。ユウケさんはおいくつ?」

「次の誕生日で十一です」

「まあ!そうしたら、今年旅に出たところ?お言葉からすると、ジョウトの出身ではないのかなとは思っていましたけど」

「ええ、カントーです」

「うふふ。ま、気が向いたら敬語もやめてくださいね」

 あたしはもう一度、頭を掻いて頷いた。

 

 話の接ぎ穂で、隣のイラクサが肩を突いた。

「そうだったね。さっきの話がまだだったか」

「そうなんだ。俺、ちゃんとポケモン勝負で稼ぎたい」

 あたしは小さく溜息をついた。

「あんたね、弟子入りするならちゃんと師匠の実績を聞いてからにしな」

「え、じゃあ」

「言っておくが、あたしは元カントー地方リーグチャンピオンだ。ジョウトのジムバッジはまだ集め切れてないから、こっちのリーグは挑戦してないけどね」

「「チャンピオン?!」」

 二人とも驚いた顔をしていた。地方リーグの元チャンピオンとなるとそれなりに数がいるのだが、知らなければこういう反応が普通らしい。

「だから、その弟子がつまらないトレーナーに仕上がったら、まずあたしが面白くない。最初は……そうだね、主釣りの合間、上がった外道相手にポケモンバトルをあんたがやるんだ。いいね?」

 今度は喜色を顔に浮かべながら、イラクサは大きく何度も頷いた。

 宿泊三日目までの宿代は、トレーナー用品とポケモンの支度の現物払いということになった。バッジを持っていないととにかく言うことを聞かないから、ポケモンはタマゴで譲ってやることにした。もちろん、十歳未満のイラクサはカントーだろうがジョウトだろうがポケモン取扱の免許が取れないので、厳密にいえば違法だ。だが、スリをやるよりまだ無免トレーナーの方がマシだろう。

 

 ミズハ家に厄介になった二日目。あたしはいかりのみずうみで釣り糸を垂らしていた。主に興味がないといえば嘘になるが、正直なところ口実だ。どうもあたしは、ミズハに惚れたらしい。あたしは相手の個人情報を無断で暴くという、お世辞にも褒められたことではないことをしながら、彼女に恋愛感情を持ってしまった。彼女の仕事も知っているのにだ。

 流れ着いた廃タイヤをこれまた流れ着いていたロープで胴体に括り付け、タイヤの上にタマゴを乗せた状態で走り回っているイラクサが喚いた。

「ユウケー!これ本当に意味あんのかよー!」

「師匠と呼べとまでは言わないが、せめてさん付けはしな。意味はあるよ」

 トレーナーのポケモンのタマゴは人間が歩きか自転車で持ち運んでやらないと孵化にとんでもない時間がかかる。タイヤはついでの基礎体力作りだ。

「タマゴは聞いたけどさ、タイヤが!」

「トレーナーは体力商売だからね」

「意味ねーんじゃん!」

「体力って意味があるだろ。喚くな。魚が逃げる」

 あたしは今日二本目のビール缶のプルタブを引き上げた。

 

 次の日、無事タマゴは還った。あたしが譲ってやったのは余っていたヒトカゲのタマゴだった。メインで使っていくのには使い勝手がいい。人を乗せて飛ぶこともできるし、炎タイプは通りがいい。水タイプを相手にするのは辛いだろうが、最初はすぐにあたしのポケモンが変わってやれば問題ない。釣れない時間帯には座学をやり、釣れたらポケモンを捕まえ、時には仕留め、イラクサとヒトカゲはトレーナーとポケモンとして順調に育っていった。

 

 一週間。ヒトカゲがあたしが釣り上げた外道ポケモンを倒して経験を積み、リザードになるには充分な時間だった。だが、臆病なあたしはミズハとの距離感を詰められないままでいた。あたしは意識して敬語を何とか止めた物の、それ以外の進展はさっぱりといっていい。

 泊まっている間、料理は基本ミズハが作ってくれていたが、今日は仕留めたコイキング――のうち一部、残りはイラクサが漁協に持っていった――を使って鯉こくを作っていた。

「いい匂い!コイキング料理は母さんが飽きるほど作っていたけど、鯉こくは初めてです」

「鯉は肝臓にいい、っていうからね」

 コイキングは骨が多いので、手伝ってもらいながらゴリゴリと解体していく。鱗は落とすのがあたしの趣味。その日の晩も、楽しい夕食になった。

 

 風呂はないので、銭湯に通う。普段は三日に一度というので、残りの二日はあたしが奢るという形で一週間、毎日二人を連れて行った。そう、一週間、ミズハとイラクサの二人だけだ。別に三人分出しても構わないと言ったのだが。ミズハが食事を差し入れるので、顔を一度ちらりと見た以外は彼女らの母親を一度も見ていない。体は拭いているとミズハが言うので、あたしはそれ以上追求することを止めた。

 

 イラクサが余計なことを言ったのか単純に余所者が目立ったのか、噂が立ったらしい。あたしが腰を据えてから十日ほど経った頃、日中の日課である釣り兼トレーニングの最中にスラムの悪ガキ共が大挙してやって来た。悪ガキといっても、普通の町のそれとは訳が違う。食うや食わずの生活でそれなりに数がいて組織されており、ギャングや暴力団とも繋がりを持ち、親もいなかったりするこいつらは身を守る手段がなければ立派な脅威だ。イラクサはあたしの陰になるように控えさせた。

「余所者!誰に断って釣りしてるんだ?」

「湖の主かね。あんまり相手をしてくれないけど」

「舐めた口きいてんじゃねえぞ、チビ女!」

 二十人というところだろうか。先頭に立っているあたしより年下だろうガキが喚く。内心かなりムカついたがまだ見極めが終わっていない。あたしは溜息をついた。

「で、あんたらの望みは何?カネ?」

 何がおかしいのか、連中がげらげらと笑った。

「バイタの家に泊まってんだろ?余所者!お前もミズハみてえに股を開……」

 売女。口にしたこいつはちゃんと意味をわかって使っているのだろうが、どうも舌足らずに聞こえた。

 ミズハは隣のエンジュまで行って立っていたらしいが、狭い町中では噂になるのは避けられなかったのだろう。もっとも、事実であっても親しい人間を貶める言葉にあたし達の堪忍袋の緒を切るには充分だったが。

「おい!」

 あたしは横にいるイラクサ制止のために声を上げたのだが、遅かった。彼はボールを投げ、リザードが姿を現した。まだ、こいつらの頭らしい奴が特定できていないのだが、しょうがない。まだポケモンを六匹捕まえていないイラクサのポケモンは奴らに見せたくなかったのだが。

 

 あたしのネイティオが全員――といっても、ポケモンを持っているのは半分もいなかった――のポケモンを蹴散らし、その最中に見つけた頭分を捕まえて締め上げた後、泣いているイラクサの背中をわざと乱暴にはたいた。

「あたしの制止を聞かなかったのは減点だが、対人戦自体はよくやったよ。何で泣くんだい?」

「だって、姉ちゃんを……」

 男だからどうこう、女だからどうこう、というのはあたしも余り好きではない。ただ、泣かれるのは対処の仕方がわからないから困る。

「あたしも腹が立ったさ。ちゃんと二人でぶちのめしただろ。姉ちゃんにその顔見られたい?」

 首を横に振るイラクサ。もう一つ、あたしは特大の溜息をついて椅子代わりに使っている石に腰掛けた。

「隣、座ったら?落ち着くまで待ってやるから」

 黙って座ったイラクサの背中を、日が暮れるまで撫でてやった。

 

 噂が野火のように広がったのだろう。悪ガキ共ではなく、上にいたであろうその筋の連中もやって来た。あたしの顔は有難くないことに裏側でもそこそこ売れているらしく、黙って引き上げるのが四割、喧嘩を売ってくる奴が三割。残りは様子見というところらしい。あたしは無視を決め込み、望まない来客があれば座学に切り替えるようにした。

 後ろ暗い連中だけでなく、普通のトレーナーもやって来た。チョウジなんて田舎町に滅多に来ないレベルのトレーナーが来ていると評判になったらしい。トレーナー歴が浅くて弱そうな奴はイラクサに練習がてら勝負させ、あたしは結果が出た後の助言に徹していた。強そうな奴はあたしが全部食った。

 

 主の影も見ないまま、一か月が過ぎようとしていた。ヒトカゲがリザードンになるには充分だった一か月。いくら何でも長居しすぎたと自分でも思う。ミズハもイラクサも、目に見えて栄養状態がよくなったし、ミズハは「お医者さんにだいぶよくなってきたと褒められました」と喜んでいたし、悪いことをしたわけではない。だが、自分の思いに決着をつけないといけない。そろそろ旅に慣れた体が動きたがっている。

 

 イラクサが熟睡する時間帯。あたしもミズハも普段は一緒に寝るのだが、この日はあたしが頼んで起きてもらっていた。酒の勢いを借りたかったが、今は素面だ。どれだけ距離を詰められたか、人付き合いが苦手なあたしはいつも間違ってしまう。でも、それでも。

「それで、お話って?」

「あたしは小細工は苦手だから、正面から言わせてもらう」

 あたしの喉が、あたしの意思に従ってくれなかった。置きたくなかった二呼吸。

「あたしは、あなっ、ミズハが好き」

 困ったような顔をされた。そうだろうな。カントーでもジョウトでも同性婚は認められているが、そもそもの前提として異性愛者より人数が少ないのだ。彼女がそうであるか、あたしは今日まで確かめられなかった。小首を傾げ、彼女は聞いてきた。

「そのぅ。友人的な好きではなくて?」

「そう。いやそうじゃなくて。あたしは、女性同性愛者(レズビアン)だから……」

 ううん、と溜息をつきながら、困ったような顔で、それでも微笑む彼女。穏やかで柔らかい彼女のこの笑みが、あたしは好きだった。

「ねえ、ユウケ。嬉しくないというわけではないの」

 初めて会ったときより気持ち白くなった手であたしの震える両手を握ってくれた。

「でも、そうね。ユウケ。私も、ちょっと怖いの」

 何が、と彼女の黒い瞳を見て、視線で訊ねた。

「あなたは、知っているのでしょう?」

 心臓が跳ねた。事前に人の中庭を覗き込む下卑た行いを糾されているのだと。

「私が、街角で立っていたことを」

「そんなこと、あたしには関係無い」

 ふるふると黒髪を靡かせて首を横に振られた。

「強くて将来有望なトレーナーには釣り合わないわ」

「……釣り合うかそうでないか、決めるのは、お互いだけだよ」

 ああ。泣いてしまった。彼女の涙を拭いてあげたいのに、あたしの手はぶるぶると震えて言うことを聞いてくれないんだ。

「一日、明日の夜まで、お互い時間を頂戴な。二人とも、長く一緒に居すぎたと思うの」

 だから、と彼女は続けた。

「お互いの答えを、もう一度。答え合わせしましょ?今度は、鯉こくを私が作るわ。だから、そんな悲しい顔をしないで」

 あたしも泣いていたらしい。頬を伝う熱いものを拭わず、あたしは頷いた。

 

 朝ご飯を食べて、イラクサに「今日は自主練の日にする」と言い残してから、あたしは家を出た。泊まり用の荷物――といっても、歯ブラシくらいだが――はそのままだ。答えがどちらにせよ、今日まで泊まっていって欲しいと強くミズハに頼まれたからだ。あたしは、隣町のジムに挑戦することにした。

 

 フスベシティのジムを悠々制して戻ってきたあたしを迎えたのは、鯉こくの匂いではなく、燃え盛るミズハの家だった。野次馬をかき分け、ポケモンを出すのももどかしく家に踏み込んだ。消防車(119)はしたが、延焼のおそれが少ないこの家では、来るかどうかはかなり怪しいところだ。スラムが燃えて焼け出される人間がいても考慮されるかどうかとなると、来たとしても焼け落ちた後だろう。そんなものを当てにせず、タオルを口元に巻いて踏み込むことにした。

 玄関に土足で上がったところで、人にけつまずいた。

「イラクサ!」

「あっ……師、ごほ、ユウケ。ごめんよ、負けたよ、俺……。すげー強いトレーナーが三人くらいきて……」

「喋るな。煙を吸う……っ!」

 抱き上げたイラクサは、一か月前より軽かった。脇腹に大穴が開いていて、正視に耐えない。命の抜けていく気配が伝わってきた。とにかく外へ、病院へと、あたしはネイティオに乗せようとしたが、彼はそれを拒んだ。

「姉ちゃんが……奥の……助けて……し、師匠……」

 ひときわ大きく咳き込むと、不肖の弟子は動かなくなった。ともかく、ネイティオの念力で外に出させて、あたしは奥、襖の吹き飛ばされた寝室に急いだ。

 

 布団にすがりつくように倒れているミズハを見て、炎と煙に支配されていた視界が更に赤黒く染まった。奥の壁があったはずの場所が吹き飛んでおり、ヨルノズクとエアームド、そしてそれにまたがった人影が見えた。暮れかかる空に飛び上がるそいつらに目もくれず、ミズハに駆け寄った。

「ミズハ、ミズハ?!」

「ユウケ……?母さんが、母さんがね……」

 ミズハは全身が焼け焦げていた。昨日とは逆に、あたしが手を握った。どろりとした何かが彼女の手に貼り付いていた。

「母さん、帰ってきてくれたと思ってたの……でもね、違ったんだ……」

 トレーナー二人、帰ってきたと思った母親、メタモン。そうか。

「私、ね」

「喋らないで。病院に行こう。あたしが連れて行くから」

「ううん、私もね……ねえ、ユウケ。主のために一緒に暮らしてたの?それとも」

「ああ、そうだよ!ミズハのために!」

「えへへ、嬉しい、なあ。私もね……母さん、あたしも……」

 ミズハも、動かなくなった。あたしはミズハを背負って、燃え盛る家を後にした。

 

 この話には続きがある。メタモンを追っていたトレーナーに気付かなかったあたし。貧困層なら殺しても文句が出ないと雑な仕事をした名前も知らないトレーナー。そして死んでしまったミズハが握りしめていたメタモンの体組織。

 メタモンがミズハの母親に化けていたのは事実だった。だが、それは知能を持つほどではなかったのだ。簡単な質問にしか答えられない個体。あたしがいくつかの研究所に持ち込んだメタモンの体組織の分析結果と、情報板の依頼、そして、ジョウトの地方リーグチャンピオンになったあたし自身が、その肩書きを使って依頼元に質問して答えを出した。

 

 人に化けた、人並みに振る舞えるメタモンについての話は、あたしは知らない。


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