負け犬達の挽歌   作:三山畝傍

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負け犬、佳人と野営する

 誰かがあたしを呼ぶ声が聞こえる。悪夢の後のけだるさ、疲労感とまるで取れていない眠気が、呼び声に応えようとする気力とせめぎ合う。頭の下の柔らかく心地いい感触と、潮の匂いに混ざった甘くて良い香りがますます起きる意思を削ぎ、あたしは小さくうめき声を上げた。

 人間の精神と肉体は相互に影響し合う。肉体は肉体のみで生くるに非ず。精神も然り。精神が辛ければ、肉体も引き摺られてそうなる。少なくとも、あたしはそうなりやすい人間らしい。そんな人間が夢見が悪いというのは、もはや冗談めいた状態だ。日によっては寝て起きるだけでぐったりするということもしばしばある。体が資本のトレーナーとしては全くもってありがたくない。

 今回の起き心地は、頭の中を引っかかれつつ、煮え立った鉛を奥に流し込まれたというところだろうか。

 アローラに引っ越してくる前も夢見は悪い方だったが、引っ越してからは一日一回どころか複数回も悪夢を見る日もある。夢というのは、寝ている時に記憶を参照するだけではなく、外的環境にも左右されるという説を聞いたことがある。さっき見たばかりの悪夢は船上で聞く波音――というよりは水の音か――に記憶が引き摺られたのだろう。最後に墓参りに行ったのは、世界リーグ挑戦前だったな、と、とりとめの無いことを考えた。あれからずっと遠ざかっていた色恋沙汰も引き金になったのかもしれない。

 全く嬉しくない可能性として、参照される記憶、ひいてはあたしの人生そのものが悪夢の素である恐怖と後悔で埋め尽くされているという疑いも否定できない。「地獄からは逃れられない。だって、それは頭の中にあるのですから」という、小説の一節が頭を過ぎる。

 

 呼び声が気持ち大きくなり、肩をぽんぽんと叩かれた。ありがたくない夢のあとから、これまたあまり親切とはいえない世界へ向き合うために、あたしは大きく溜息をついて瞼をこじ開けるように開く。コイキング船の操縦席に座る団長さんの背中、彼の相棒のペリッパーが見える。

「ユウケさん、起きましたか。よかった。さっきからずっとうなされていたから」

 苦々しいものが呼び起こされたのは、現実のよすがになってくれるかもしれない、初めての恋人ができたという事実も影響しているのかもしれない。とはいえ、人に「お前のせいで悪夢を見た」だなんて馬鹿げたことを言うつもりは毛頭ないが。

 ましてや可愛らしい恋人を前に。否、上だ。リーリエが膝枕してくれていたらしい。そう、恋人――あたしからすると何とも物好きだと思うが――を前に、他の女の夢を見ていたなんてことが言えるだろうか。

 重力に逆らい寝返りの要領で体を転がして上を向くと、慈母のような穏やかな笑みを浮かべ、リーリエがあたしの顔を覗き込んでいた。

「ああ、おはよう、リーリエ。ごめんね」

「いえいえ。膝枕、一度してみたかったですし」

 最初は普通に寝ていたはずなのだが、行きとは逆の事態が起きたのだろうか。

「まだ眠いなら、もう少し寝ていても大丈夫ですよ」

 鉛の塊が押し込まれたように頭が重いので、それは正直なところとてもありがたい。先ほどの挙動一つ取っても、到底重力に逆らいきることができないので寝返りを打っただけで、決してこの柔らかく心地よい太ももから離れられないということではなかったのだ。意識した今は離れたくない。

「起きる……けど、もう少しだけ、このままでいい?頭が重い……」

「どうぞ」

 もう半分寝返りを打って、お腹に顔を埋めたら怒られるだろうか。同じ人間とは思えないようないい匂いがしているのだが。使っているシャンプーの違いだろうか。下らない事を考えながらもぞもぞしていると、リーリエにぐいっと肩を掴まれ、更にもう半分、お腹を向くように寝返りさせられてから抱きしめられた。

「ふあ」

「ふふ。何だかこっちを見たそうだったので」

「……何でわかったの?」

「ユウケさんのこと、見てますから。それに、顔が真っ青ですから……その、心臓の音とかがあったほうがいいと思いました」

 リーリエは凄いなと素直に感心した。あたしならお腹が減ってるのか、手洗いに行きたいのかくらいしかわからない。ふんすと鼻が鳴ってしまった。感激の余り呼吸が荒くなっているだけで、決して変な意味で深呼吸しているわけではない。ということにしておこう。リーリエは決して太っているというわけではないが、筋肉隆々というわけでももちろん無く、お腹が柔らかくて額をこすりつけると気持ちいい。悪夢がリーリエに移るのでは、なんて非科学的なことを考えてしまった。

 

 ずっと目を閉じていたものの興奮といい匂いとで結局寝付けなかった。だが、人肌の暖かさのと心音のお陰かかなり落ち着いてきた。とくり、とくりと人が生きている音がするのは安心に繋がるのかもしれない。ともかく、世界で何番目かには幸せな場所にいるのだからこれで具合が悪いままではどうしようもない。少しずつ顔が温まってきて初めて、自分の顔がずいぶん血の気が失せていたのに今更気付く。鏡もなかったのでしょうがない。いや、よく考えたら、リーリエにもらったコスメポーチに入っていた気がする。化粧もしないし、正直なところバッグで眠らせていた。髭がほとんど生えないから顔を洗うだけで済むのが、数少ないあたしの顔の美点だと思う。まああたしの顔はどうでもいい。目を開けると、リーリエも舟を漕いでいた。もう少し、このまどろみのような時間を楽しみたい。

 

 船が止まった衝撃があたし達を緩やかに揺らした。リーリエの膝の上という位置は本当に名残惜しいが、わざわざ出してもらった船の中でだらだらして時間を取らせるわけにはいかない。

「リーリエ、ありがとう。だいぶ楽になった」

 花のような笑顔が眩しい。

「顔色がよくなりましたね。よかった」

 自覚できるほどだったから、よほどだったのだろう。苦笑いしてしまう。

「団長さん、ありがとうございました。すみません、ずっと寝てしまっていて」

「ええよええよ、調子悪かったんやろ。ハプウちゃんとマツリカちゃんによろしくな」

「ありがとうございました」

 あたし達は頭を下げて団長さんに礼を言った。

 

 ナッシーアイランドから海の民の村に戻ってきた時点で、まだ日は高かった。マツリカさんに礼を言いたかったのだが見当たらなかったのでポケモンセンターに立ち寄り、回復待ち時間の間にポニ島の地図を見る。

「今あたし達がいる場所がここ、海の民の村。目的地はここから北東、大峡谷ってところを抜けて、月輪の祭壇に行かないといけない。ロトム、これってどれくらいかかるかわかる?」

「直線距離だと一時間ロト。大峡谷の中はジグザグの道だから、何一つ無くても四時間はかかるロト」

「四時間ですか。日が暮れてしまいますね」

「泊まるところなんて無いよね、大峡谷ん中は」

 地図を見ても山小屋の類は無さそうだ。あっても登山家ではないあたしには、今が登山シーズンで山小屋が開いているかどうかわからない。あたしは後ろ頭を掻いた。

「テント泊にするか、無理はやめて明日の朝早めに出るかだけど」

 リーリエの顔がぱあっと輝いた。元々綺麗な女の子がこういう表情をすると本当に、その、強い。幸福感がある。いかんな、語彙力が死滅していく。

「わたし、テント泊まったことないのです!」

 リーリエに尻尾があれば、間違いなくぶんぶん振られていると思う。もちろん、見ているのは微笑ましい。とはいえ、固くて平らでない地面の上にテントより、ベッドで寝るほうがいいに決まっている、と口にしかけて思い留まった。何事も初めてというのはあるし、あたしも野営慣れするまでは確かに楽しいという一面もあった。アローラ地方は島巡りを支援するためにポケモンセンターが宿場町のように機能しているから遠ざかっていただけだ。島巡りの最後の島だし、それも悪くはないだろう。

「よし、じゃあテント泊にしよう。あたしのテント、三人用だから」

「……何で三人用のテントなんですか?」

 ぷくぅとハリーセンのように――なんて言うと怒られかねないが、ふくれっ面まで可愛らしい。

「テントは定員マイナス一名が一番居心地がいいんだよ。あたしが寝てる間に見張りをするポケモンのスペースを一名分って考えて、三人用」

「あっ、な、なるほど……」

 恥ずかしそうにするリーリエも可愛い。

「誰かと泊まるのは初めてだよ」

 何というか、人間複数人を想定してない辺り、自分の旅がどんなものだったのか知れよう。それはともかく。

「リーリエ、シャワー浴びよう」

「え、えっ?!」

「いや、その……テント泊だから、川とかで体洗うとかより、先にシャワー浴びたほうがいいかなって」

「あ、ああ……そうですか……」

「その、ご飯と飲み物は、後で買おうね」

「はい……」

 しょんぼリーリエさせてしまった。コウノトリとキャベツ畑を信じているわけではないというのは、あたしとしてはむしろ好ましいところなのだが、人目もあるので素直に喜んでばかりはいられないのだ。

 

 シャワーを浴びて、先に髪の毛を乾かしたあたしは黒のバンド(Sleepのツアー)Tシャツにハーフパンツの格好に着替え、テレビを見ながらリーリエを待っていた。アニメの再放送が流れている。何年か前に放送していたものだったはずだ。むさい男二人が崖に伏せて偵察しているシーン。

『流石は聖栄光学園にごつ。綺麗な隊列じゃあ』

『チャリオットをあれだけ綺麗に並べられるのは、凄い練度でごわすな』

『こちらの矢では正面装甲は抜けんばい』

『そこは戦術と腕かのう』

 ネットで見ると評判自体は悪くなかったのだが、どうもこの男と馬と戦車しか出てこない暑苦しい絵柄が合わないのだよな。漢の武芸、死人が出ないチャリオット道か。勝手にチャンネルを変えるわけにもいかないし、単なる暇潰しなのでどうでもいいが。

 ぽんと肩が叩かれた。振り返ると笑顔のリーリエ。

「お待たせしましたか?」

「いいや、全然」

 あたしはひらひらと手を振った。実際、十分くらいしか見ていない。それに、風呂上がりの彼女の姿をゆっくり眺めたかったのだ。

 最近はポニーテールにまとめている髪を下ろした姿はやはり可愛い。シャワー上がりで上気した肌がその美しさを押し上げていた。服装は上は変わらず、下はやや長めの柔らかそうなスカートだ。どちらも白基調なので、黒基調のあたしと並ぶと真逆という感じがする。ずっと見惚れていると出発できないので、彼女を座らせて備え付けの安っぽいドライヤーで美しい金髪を梳きながら乾かした。どことなく彼女も心地よさそうだ。しかし、本当に全然手触りも違うな。

 

 彼女の髪を乾かし結う至福の時間を終えて、フレンドリィショップでご飯と飲み物の買い出しを済ませて、ポケモンセンターを出たところで、リーリエに手を握られた。もちろん嬉しい。

「暑くない?大丈夫?」

「本当は、ずっと繋いでいたかったんです」

 お互いが嬉しいなら、いいとしよう。こうして手を繋いで歩くのは柔らかく温かい掌の感触も相まってとても気分がいい。傾いてきた日に照らされたリーリエの穏やかな横顔をちらりと眺める。月並みな表現だが、ずっとこの時間が続けばいいと思う。

 歩くことしばし。ハプウに挨拶していこうと思った矢先。道が見慣れたありがたくない連中、スカル団員ざっと六人に塞がれていた。リーリエの前に出て握った手を離さないといけないというのが一番ありがたくない。うんざりしながら手を離そうとした時に、リーリエが口を開いた。

「スカル団の皆さん、わたし達に何かご用ですか?」

 リーリエが確かに変わろうとしているのだな、とあたしは感嘆する。明らかに揉めそうな雰囲気で手を繋いだままというのはどうかと思ったので、そっと手を離した。

「ヨーヨー、お二人さんよー。なんかいい雰囲気じゃない?」

「グズマさんをこれから助けに行くってのにいちゃついてんのか?」

「グズマさんを助ける覚悟と力があるのか、試しに来たんだよ!」

 眼前で死んだら確かに寝覚めが悪いかもしれない、くらいにしか正直思っていなかった。馬鹿正直にそんなことを言ってもしょうがないので、溜息と共に告げる。

「わかったわかった。まとめてかかってきな」

 あたしは獰猛な笑みを浮かべてボールに手をかけた。

 

 サニーゴ一匹で六匹のポケモンを圧倒した。

 家の前で物音を聞いて出てきてくれたハプウが加勢しようとしてくれたのを押しとどめたので、これで負けていたらまるっきり馬鹿だったので、一匹で勝てて面目を保てたというところだな。

「嘘だろ……実質六対一だぞ……」

「大したもんじゃな、ユウケ」

 実質も何も六対一だが、事実は覆らない。

「試す力がないと、試験しようがないよね」

 苦笑いする。

「では……」

「うん、そうだね。行っていいよね?」

「いや、ちょっと待ちな」

 まだいるのか。聞き覚えのある声に振り返る。プルメリだった。

「ディナーのお誘いならもう申し訳ないけど先約があってね」

 プルメリは肩をすくめてから、あたしに何かを下手で投げた。ゆっくり飛んでくるそれが何か、旅で鍛えた動体視力で見極めて受け取った。Zクリスタルだ。

「ドクZだよ。何かの役に立つんじゃないかなと思ってね」

「ありがとう」

 素直に礼を言ったのが意外だったらしく、目を丸くするプルメリ。

「何だか調子が狂うね」

「代金を請求されたら怒るところだったけど」

 リーリエがあたしの言葉に小さくくすりと笑い、プルメリは苦笑を浮かべた。ハプウはプルメリのことを知っているのだろう、警戒した顔つきを崩さない。

「ユウケ、あんたの腕は知ってるから、グズマの奴を頼む。あいつ、ルザミーネのことが好きなんだよ。自分の力が認められるのが嬉しかったんだろうね」

 努力した結果、選ばれなかった、実績が伴わなかった人間が、誰かに選ばれる喜びはあたしもよくわかる。あたしが同情しても同病相憐れむというところだろうが。

 

 物思いに耽ってしまったタイミングで、プルメリはリーリエの方を向いた。

「リーリエ、あんた顔つき変わったね……。それと、この間の事は悪かった。脅して無理に連れ帰るなんてね」

「いえ、もう過ぎたことですから」

 リーリエが許すなら、あたしも許そう――というより、アローラ地方の法ではリーリエはまだ成人ではないので、法的に見ると『家出した未成年を保護者のもとに連れ戻した』という状態なので追及しづらいのだ。脅迫も物的証拠がない。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃあ、ね。

あんたら、帰るよ」

 

 スカル団が引き上げて、あたしはハプウに頭を軽く下げた。

「家の前で騒がしくして悪かったね」

「何、気にするな。ここはトレーナーの往来も多いし、よくあることじゃ」

「ユウケ、すごかったロトー!」

「ちょっとだけはらはらしてしまいました」

「六対一はあたしも初めてだったけど、無様を晒さなくて済んでよかったよ。

そうそう、ハプウ。月の笛、借りてきたから。ありがとうね」

「何、構わん。しかし、そうすると今から遺跡に行くのか?日が暮れるぞ」

「はい。今日はユウケさんとテントでお泊まりなんです!」

 嬉しそうなリーリエに釣られて顔がほころぶあたし。ハプウもあたし達の様子に笑みを浮かべた。

「そうか。まあ、ユウケがおるなら大丈夫じゃろうが、何かあったら連絡をくれ。わらわとバンバドロが助けに行くからな」

「そういえば、あたしハプウの電話番号とか知らないな。教えてくれる?」

「おお。ええとも」

 がさごそと携帯電話を取り出すハプウ。中々年季の入ったフィーチャーフォンだ。nokiaの懐かしモデルだな。

 

 番号を出そうと悪戦苦闘しているハプウを見ていると、後ろから声をかけられた。

「久しいな、ユウケ」

「お久し振りー」

「ああ。何だかずいぶん経った気がするね」

「こんにちは」

 ウルトラ調査隊の二人だ。ハプウは二人のいでたちにだと思うが、目を丸くしている。まあそうだろうな。

「この道は月輪の祭壇と呼ばれる場所に繋がっているそうだな。ルナアーラに会いに行くのか?」

「そうだよ。儀式に必要な道具も揃ったしね。捧げる……」

「あれから少し考えたのだが……やはり、我々の世界のことは、我々自身の手で解決すべきではないかと」

 あたしは首をひねった。

「いや、それ自体は構わないけどさ。その、かがやきさま、だっけ。ネクロズマ」

「ああ。ベベノムと俺で、勝つ!」

「勝てない戦はしなくていい」

「ならば、試してみるか?」

 あたしは苦笑いした。確かに、あたしに勝てるならあたしが止める資格も権利も、そして必要もないだろう。だが、恐らくは無理だ。決意は容易い。戦力を育てるのはそうではない。

「力の差が理解できんと見える。ならばその証を見せてやろう。決定的な違いをな」

 言葉で理解を求めるつもりはない。あたしとダルスはボールを投げた。

 

 サニーゴは一切疲れを見せず、二発でベベノムを仕留めた。

「……強い!」

 あたしはかぶりを振って溜息をついた。

「かがやきさまとやらがどれくらい強いかわからないけど、無理でしょう。素直にあたしに任せなよ」

「だが」

「なあ、遠くより来た人よ」

 携帯は諦めたらしいハプウが口を挟んだ。

「アローラ地方の人々もポケモンも助け合って生きている。ユウケも助けてくれると言うておるんじゃから、素直に任せてはどうじゃ?」

「だが……」

「でも、現実的に島巡りの人……ユウケの方が強いんだから、しょうがないんじゃない?」

 沈思するダルス。

「いずれにせよ、あたしはそっちの世界に用事があるしね。ルザミーネさんもだし、グズマのことも頼まれたし。何もカネを取ろうって訳じゃなし」

 依頼料前払いは縁起が悪いしな。

「すまない。我々では、力が足りないようだ。改めて、協力してくれるか?」

「勝てない戦はしない主義でね。ヤバそうなら逃げるけど、それでいいならね」

 リーリエがアマモに何かを耳打ちしている。他の女に近づかないでほしい、という気持ちが自然に出てきて、自分にぎょっとしてしまった。あたしの目線に気付いたのか微笑むリーリエ。

「取ったりしないから、大丈夫だよ、ユウケ」

 にこにこと微笑むアマモを見て、そんなにわかりやすかったか、と目を伏せてしまった。存外、自分は嫉妬深いほうなのかもしれない。気をつけないと。

 

 山を登る。修行中のトレーナーやらポケモンやらを仕留めながら、それでも整備された山道はあたしにとってはマシな方だ。リーリエの手を引きながら、とにかく山を登った。

 登り切ったところで、頑丈そうだが手すりの無い木橋にぶち当たった。それを見て、リーリエが穏やかに手を離し、一歩前に出た。

「ユウケさん、橋ですよ、橋!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねそうなほど、嬉しそうな笑顔が眩しい。

「橋だね……」

 あたしには普通の木橋にしか見えないが。

「ユウケさん、見ててください!」

 引き留める間もなく、リーリエが走り出した。橋をてくてくと走って行く。夕陽に照らされた彼女の後ろ姿に見惚れていると、三つの影があたしの視線を遮った。ヤミカラスだ。あたしはボールに手をかけたが、まだ投げはしない。ヤミカラス三匹は、リーリエの行く手を遮るかのように、橋の前に着地した。リーリエも立ち止まり、睨み合いのような様子にになった。だが、ヤミカラスの様子を見ると別に何かしてくる雰囲気は無い。彼女もそれに気付いたのだろう、ヤミカラスの間を歩いて通り抜け、橋を抜けた後に大きくこちらに手を振った。夕焼けでやや朱に染まった笑顔が本当に美しい。

「ユウケさーん、やりました!」

 あたしはゆっくりと歩いて行き、三匹のヤミカラスの顔を覗き込む。顔が「何かくれ」と訴えかけているが、野生ポケモンの餌付けはまずいので、あたしは手を振るだけに留めた。

 リーリエに追いついて、抱きついてきた彼女を受け止めた。髪が乱れない程度に後ろ頭を撫でる。

「えへへ、やりましたよ」

「うん、リーリエ、頑張ってるよ」

「えへへ」

 まるでとても愛くるしい子犬のようだと思った。ポニーテールではなくて、ドッグテールだろうか。自分の顔が緩むのがわかる。

「じゃ、行こうか」

「そうですね!」

 まだ彼女を抱きしめていたいと思ったが、ここで日が暮れてしまうのはあまり良くない。せめて、平らなところにテントを張りたいのだ。あたしは再び彼女の手を取った。

 

 日が暮れて、ヘッドライトを取り出すかどうか悩んだところでセーブポイント前――というのは冗談だが、この先に試練の場所があり、それが月輪の祭壇を守るような位置になっている。キャプテンはいない、らしい。さっきハプウに(結局電話番号はリーリエに聞いた)電話して確かめた。何タイプの試練なのか想像もつかないし、ハプウもお楽しみだと言って教えてくれなかったが、今持ってないZクリスタルを考えると、飛行、氷、あるいは竜だろうか。あたしより先に挑戦者がいれば覗き見もできるのだが、考えても仕方がない。明日挑戦することにした。

「キャプテンがいなくても、試練はできるのですね」

「賢いポケモンなんロトか?」

「主が戦って、勝てばZクリスタルって感じのシンプルな内容なんだろうね。多分だけど」

 あたし達は好奇心に忠実に試練の場所を覗き込んだが、やはり今のところは何もなかった。

 

 試練の場所にもし挑戦する人がいれば邪魔になるうえに騒がしくて寝られたものではないので、入口からやや離れた場所にテントを張ることにした。木陰で風通しが良すぎない場所を見定め、あたしは手持ちのポケモン六匹――サニーゴ、ミミッキュ、ハガネール、ガオガエン、ウツボット、ヘラクロス――をボールから出した。ぱんぱんと手を叩いて、ポケモン全員の注目を集めた。

「今からテントの立て方を教えるから、見ててね。作業は……ガオガエン、お願い。リーリエも、手伝ってくれる?」

「はい、わかりました」

 ガオガエンはちょっと嬉しそうだ。ポケモン全員を出したが、この面子だとテント張りなんてガオガエンかヘラクロスしかできないな。後は、ミミッキュができるかどうか微妙なところだ。

 張り方といっても、そう難しくはない。まずはインナーテントという、内側の部分を広げて骨組みを通す。ポケモンに実際にやってもらうのはペグ打ちだけだ。ざっと言葉での説明をし、慣れないながらもリーリエも頑張ってくれて手早く済ませたので、何とか興味をなくされる前にペグ打ちまでたどり着いた。

「で、このペグ打ちをガオガエンにお願いしたい。四十五度で、あんまり力を入れすぎないように。完成例がこうね」

 四つ打つペグのうち一つを自分で打って見本にした。ガオガエンにやらせてみると。

「おお。一発で上手くいったね。偉い偉い」

 ガオガエンの喉の下を撫でてやる。ごろごろと嬉しそう。

「わたしも一本やってみていいですか?」

「わかった。じゃああたしが見てるよ。ガオガエン。後一つだけお願い」

 リーリエの手元をライトで照らしながら作業を見守った。あたしが初めてやったときより危なげもなくこなして安心した。

 後は、フライシートという外張りをつければ終わりだ。これはあたしとリーリエでさっくりと済ませた。

 経験的に言うとあまり器用ではないあたしとポケモンがやると大体三十分はかかるのだが、二十分もかからずに済ませることができた。

「わたし、初めてテントを立てました。すごいですね!」

「あたしが初めてやったときはもっと手際が悪かったから、リーリエは大したもんだよ」「ユウケさんが教えてくれたからですよ」

 テントの中に入ってみたい、と全力で主張している彼女の様子にちょっと吹き出してしまった。

「いいよ、リーリエ。先に入ってて。あたしはご飯の支度するから。中に荷物置いてきて」

「はい!」

 元気よくテントに飛び込んでゴロゴロするリーリエを微笑ましい気持ちで眺めながら、あたしは炊事用具を取り出した。お湯を沸かすのと、軽くつまめるものを炙るくらいしか考えていないが。うん?ゴロゴロ?まだテントマットを敷いてないが。

「……リーリエ、背中痛くない?」

「…………結構痛いです」

 あたしは空気を入れて膨らませるタイプのエア系テントマットが好きだ。まあ持ち歩きが面倒なのとアローラ地方は温かいので、空気が入って膨らむスポンジ系のマットを実際には使っているのだが。出して膨らませると、リーリエが目を丸くした。

「ユウケさんのバッグ、何でも出てきますね」

「三次元ポケットだけどね、これ」

 くすくすと笑い合う。

 

 小さく感嘆の声を上げながらマットの上をゴロゴロしているリーリエを眺めながらも、あたしはご飯のための作業をしていた。木の枝はポケモンが集めてきてくれるし、火はガオガエンに起こしてもらえるのですごく楽だ。生木でもガオガエンの火力ならあんまり問題にならない。火を眺めながら、ポケモン用のご飯を準備し、炙るものを串に刺しながら「ご飯だよ」とリーリエと、テントの中で一緒に遊んでいるポケモン達を呼んだ。

「すみません、テントに夢中になってました」

「いいよ、大した準備がいるものもなかったし」

 いただきます、と手を合わせる。真似をして手を合わせる彼女が微笑ましい。

「主への祈りとかするなら、そっちも合わせるけど」

「一応カトリックなのですが、家でもあまりしてなかったので」

 えへへ、と微笑む彼女が可愛い。一挙動ごとに自分の顔が緩んでしまう。ともかく、信仰心というものは大戦争を挟むごとに低下する傾向があるというし、そんなものなのだろうな。

 初めてのキャンプにはしゃぐ彼女とポケモン達と囲む焚き火は温かく、ご飯は美味しかった。

 

 大事な事を忘れていた。ご飯を食べ終えてお茶を淹れてくつろぎながら、あたしは鞄から月の笛と、リーリエが調べてくれていた資料の束を取り出した。

「ユウケさん、どうしました?」

「いや、ちゃんと笛吹けるかだけ確認しておこうと思って。明日には月輪の祭壇で吹くんだしね」

 ごくごく標準的な作りの――素材はいいものを使っているのが見て取れるが――横笛。横笛は得意では無いが、一応は吹ける。ポケモンの笛という道具が流行ったときに、縦笛タイプが手に入らなかったので練習したのがこんなところで生きるとは。

「リーリエはこういうの得意?」

「すごく得意というわけではないですが、大丈夫です」

 はにかむ彼女。あたしも微笑んで、リーリエに手元の資料を見せる。十年ほど前に採譜された儀式の譜面だ。そう難しくない運指だし、何とかなりそうだ。

 あたしは笛に口をつけ、吹き始めた。ぎこちない運指を鳴らすために、儀式のための曲ではなく、よく吹いた曲を。

「……綺麗な曲ですね。何という曲ですか?」

「"The Ecstasy Of Gold"って曲。五十年ちょい前の、西部劇の曲なんだけど。あたしの好きなバンドがライブ開演直前に流すんだよ」

 ぽちぽちとスマフォを弄るリーリエ。

「有名な曲なんですね。すぐ譜面が出てきました。わたしも吹いてみます」

 リーリエの運指は、あたしより遥かに確かだ。細くて長い、白魚のような綺麗な指が太陽の笛の上で踊り、二人の奏でる美しい音が夜と焚き火を彩った。

 

 使った紙皿や串を焼いて焚き火をサニーゴに消してもらった後、近くの小川で塩を使って歯磨きを済ませ、見張り役のミミッキュを除いてポケモンをボールに戻し、リーリエとあたしはテントに潜り込んだ。寝袋のチャックを全開にして大きく開き、二人分の掛け布団代わりにする。

「ユウケさん、その鞄、本当に何でも出てきますね」

「必要なものを必要なだけ入れてあるからね」

 二人で並んで寝そべり、所在なさげに手を伸ばす彼女の手を取った。

「ふえっ」

「……嫌だった?」

「嫌じゃ、ないです」

 ぎゅっと握り返される手が温かい。

 たわいも無いお喋りを楽しんでいるうちに、どちらともなく眠りに落ちた。

 

 ほのかな息苦しさ。額を誰かが突いている。奇襲?ミミッキュの見張りをすり抜けてか?有り得ない。ポケモンだろうが人間だろうが襲いかかってきたら反撃する音で目が覚めるだろうし、勝てない相手なら騒いで起こすように指示している。あたしは目を開けた。

 口元が塞がれている。これは、ミミッキュの触手だ。さすがに旅に出たばかりの素人トレーナーのようにポケモンに寝返られて殺されるような間抜けではない。あたしのポケモンはそんなことをしない。それに、寝ている間に殺すなら鼻も塞ぐだろう。つまりこれは、ミミッキュの「静かに起きて来てくれ」という警報だ。あたしはそっとリーリエの手を離し、静かに立ち上がった。

 

 テントを出ると、ミミッキュが試練の場所の方向を向いて立っていた。ミミッキュがあたしに気付き、嬉しそうに、だが声を立てずに小さく跳ねた。正解だったようだ。ミミッキュがもう一つの触手で指さす方向、試練の場所の奥に、一つ影が立っている。暗がりで辛うじて何かがいるとしかわからないが、しゃらしゃらと金属的な音を立てながらこちらを見ているようだ。目の光だけがらんらんと輝いて見える。

 恐らくだが、主ポケモンだろう。そして、あたしを――否、あたしとポケモンを誘っている。すぐに飛びかかってこないのを確信して、あたしは主から視線は外さないまま、しゃがみ込んでミミッキュを撫でてやった。見張りとして期待以上の仕事をしたのだ。本当はポケマメを食べさせてあげたいが、食事中は一番の隙になる。嬉しそうに身をよじるミミッキュが可愛らしい。

「朝からやるつもりだったけど、行くか。ミミッキュに先陣を任せるよ」

「キュッ!」

 ミミッキュを肩に乗せ、あたしは試練の場所に足を進めた。

 

 ジャラコ、ジャランゴ、ジャラランガ。タイプはわからないが、恐らく竜だろう。ばけのかわを利して剣の舞を踊った後のミミッキュが強烈な一撃を叩き込み、あっさりと主を下し、あたしはドラゴンZのクリスタルを手に入れた。

 

 傷薬を使ってミミッキュの傷を治してからまた見張りを頼み、テントに戻った。案外と大きな音がしなかったのか、ちゃんと距離を置いていたのがよかったのか、リーリエはまだ眠っていた。そっと横に潜り込み、あたしも勝利の熱を冷ましつつ、再度の眠りに身を委ねた。




キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。『祈る』勝利を。

【挿絵表示】

https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato

Sleep - "Dragonaut"
https://www.youtube.com/watch?v=qMIS2BaDilY
祝初来日。最高の爆音。

Ennio Morricone - "The Ecstasy of Gold"
https://www.youtube.com/watch?v=PYI09PMNazw
Metallicaの開演SE。

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