負け犬達の挽歌   作:三山畝傍

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負け犬、絵描きと語らう

 広大な月輪の祭壇が嘘のように静かになる。六人と一人ではまるで違うなと一人苦笑いするあたしに、ポケットから飛び出してきたロトムが声をかける。

「ユウケ、すごかったロ!」

「何だ、待っててくれたのかい?悪かったね」

「みんなユウケにお礼言ってたロー!すごいロー!」

「ミミッキュが凄かったんだよ。な」

 ボールを撫でてやる。面映ゆいのか、ボールが小さく揺れる。

 

 あたしのスマフォが鳴る。Sabatonの"Diary Of An Unknown Soldier"……登録していない番号だな。あたしは電話に出る。

「もしもし、ユウケ?キャプテンのマツリカでっす。今大丈夫?」

 思いもよらぬ人からの電話で面食らってしまう。

「ああ、ええと……この番号は?」

「ハプウちゃんに聞いた」

「よく電話番号を聞き出せましたね。あー、機械の操作的な意味でです」

 けらけらと笑うマツリカさん。

「電話で聞くより会いに行ったほうが早いと思って。電話借りてマツリカが操作した」

 乾いた笑いを漏らしてしまう。

「ま、電話番号はいいんだよ。さっき、月輪の遺跡が暗くなったのと、何?何だか見たこと無いポケモンが空の穴から出てきてさ。ハプウちゃんとマツリカで帰ってもらったんだけど」

 試練の場所、つまりは主がいる場所はネクロズマの光が届きやすい場所。つまりはウルトラホールが開きやすい場所ということか。となると、他の島も――。

「……してくれて、聞いてる?ユウケ?」

「……すみません。考え事をしていました」

「いーよいーよ。遺跡の暗いのが何とかなったの、ユウケが何とかしてくれたんでしょ?ありがとねって言いたくて」

「ああ……いえ。まあ、何とかなってよかったです」

「いやいや、大したもんだ。で、片付いたんだよね。試練やってく?」

「今日、マツリカさんの方の時間大丈夫なら」

「んー、そうだね。マツリカは大丈夫」

「こっちの都合で申し訳ないですが、二時間後に、海の民の村でいいですか?」

「いーよ。ナマズンの形の船が、マツリカの家だから」

 了承し電話を切った。

 そのまま、ククイ博士に電話をかける。

「やあ、ユウケか。さっき、島キングと島クイーン達、それとリーリエから連絡があってね。伝承のポケモン……ウルトラビーストだね?」

「らしいですね。今、マツリカさんからの又聞きですけど、ハプウから連絡がありました。損害だとか、取り逃がしはありましたか?」

「いや、島キング達がきっちり抑えてくれたらしい。メレメレ島に関してはカプ・コケコとハウ君がやってくれたそうだけどね。他の島は、島キング達の独力だ」

 あたしは安堵の溜息をついた。ハウ君がやってくれたという言葉に笑みが漏れる。

「こっちも、片付きました。リーリエから連絡があったならご存じだと思いますけど」

「ああ、よくやってくれたよ。ありがとう!」

「いえ、運とポケモンが頑張ってくれたお陰です」

 からからと笑う声。釣られて小さく笑う。

「ともかく、助かったよ。島巡りを続けるんだろう?」

「そのつもりです。後はマツリカさんの試練と、ハプウの大試練ですね」

「もうすぐで全部の試練を達成だね。大したもんだ。ところで、例の話、考えておいてくれたかい?」

「嫌がっててもロイヤルドームの時みたいに引っ張り込む気でしょう?」

「ロイヤルドーム?何のことかな?」

 この人は人使いが上手い――というか、あたしが押しに弱いのか、ひょっとして。初代の肩書きは正直なところあまりありがたくはないが、気付いたら押し込まれている未来しか見えない。それに、あたしも勇気を出して変わろうとする恋人に負けないように、少しは背伸びをしないといけないと思う。

「受けることにしますよ」

「おお!ありがとう!」

「で、スケジュールなんですけど。二つの試練がどれくらい日がかかるかわからないのと、チャンピオンロードを抜けるのにも日を見ないといけませんから」

「うんうん、そうだね」

「マツリカさんの試練に三日、ハプウの試練に三日、チャンピオンロードを抜けるのに二日。何かあったときの日を見て予備に四日と、正直なところノンストップで回ったので疲れました。二日ほど休みを取りたいです。合計で十四日、二週間」

「二週間後だね。いいとも」

 ポケモンリーグ開設はトレーナーを呼び寄せる目玉だから、もっと早めてくれないかと渋られると思っていたので少し拍子抜けする。内心ふっかけすぎたかな、とは思っていたのだ。受けてもらえるならもちろんそれに越したことはない。

「では、それで調整してください」

「わかった。島巡り、楽しんでくれよ」

「ええ。では、何かあればまた」

 電話を切って、再度安堵の溜息を吐く。

 

 やるべきことをやり終えたから今は眠気に身を任せたくて仕方がない。とんでもないポケモンとやり合った上に二度も吐いたので、緊張の糸が切れた今ではとにかく、寝たい。昼を回ったところだが、胃液に焼けた喉のせいか空腹感はまるでなく、眠気が頭蓋を殴りつけるような鈍痛に近い感触がある。あたしは祭壇の日陰を探し、見張りにガオガエンを頼んで、バックパックを枕に寝転がるとあっという間に意識が暗闇に引きずり込まれる。

 

 数分前に龍が駆け上っていった方向、上空の宇宙と呼ばれる空域で砕けた光点を見て、あたしは大きく溜息をついてから、隣に立ちすくむ少女を見た。タンクトップ、短パン、ニーソックスという、普通の服装を、ボロボロのマント――ゲッター線で動いていそう――でぶち壊しながら纏っている少女だ。少女と言っても、十二のあたしとさほど年は変わらないだろう。

「……で?これからどうするの?」

 少女は驚いたようにこちらを振り返った。まあ、驚くのも無理はないかもしれない。

「会ったときから一言も喋らないから、喋れないのかなと思ってた」

「あんたにメガバングル盗られた時に喋ったよ。この塔に来てからは、あいつが全部代わりに喋ってくれたから黙ってただけ」

「変なやつ」

「……いや、あんたには言われたくない」

 ヒガナ、と彼女は名乗った。彼女はけだるげに左手のメガバングルを外し、あたしに無言で押し付けようとした。あたしは、複数のメガバングルから自分のものだけをひょいと取り上げた。

「やれやれ、こいつがないお陰であたしはチャンピオン失職したよ」

「……それは」

 あたしは他のメガバングルを押し返した。

「誇り高き流星の民なんだろ、あんた」

 意地悪さを意識して笑う。

「自分で頭下げに行くんだね。最初にユウキが言ってただろ。あたしは予備だよ」

 この馬鹿でかい塔、空の柱の入口でユウキとあたし、そしてヒガナが会ったときにユウキは言ったのだ。「彼女はオレよりも強い。オレが駄目ならお前と戦って、隕石を何とかするのはこの人だ」と。あたしは内心、それも今だけの話だと思っていたが口には出さなかった。経験の差が出ているだけでいずれ勝てなくなるだろう。

 あたしは彼女の目をじっと見据えた。彼女は誤魔化すように空を見上げた。もちろん、空にはもう何も見えなかった。彼が戻ってくるのは肉眼では見えないだろう。

「……キミは」

「うん?」

「キミは嫌な奴だ。人をいらつかせるのが得意だろう」

「失礼な。どっちかというと目立たない人って言われるよ」

 へらへらと笑うあたしを、彼女は龍を――レックウザを呼ぶ前よりずいぶん弱くなった眼光で睨んだ。

「火をつけたんだから、火を消すのも自分でやるんだね」

「最後まで自分でやれってことだね」

「そう。添え物でいいなら、着いていっても構わないよ。何しろお陰様で暇なもんでね」

 あたしの好みのタイプでは全くないが、彼女が美人なのは間違いない。あたしが頭を下げるわけでもないのだから、着いていっても構わないというのは事実だ。にやりと笑うあたしに彼女は――。

 

 穏やかにあたしの頬を誰かが叩く感触で目が覚める。ロトムがあたしを起こしてくれている。

「起きたロト?二時間経ったロトよ」

「ああ、ありが……と……う?」

 時間はまあ、問題ない。一時間半で目が覚めるよう設定したスマフォのタイマーが爆音で鳴らすHatesphereの"Damned Below Judas"に気付かなかったのをロトムが起こしてくれたお陰だ。

 問題は、あたしの横にあぐらをかいて座り込んでさかさかと鉛筆をスケッチブックに走らせている、プラチナブロンドにフェイスペイントのおっとりとしたどこか浮世離れした雰囲気を漂わせる美女――美少女なのか、年齢的に。ともあれ、その女性だ。

「……あの、マツリカさん?」

「『眠っているトレーナー』ってとこかな」

「とこかな、じゃなくて……」

 顔が真っ赤になるのを自覚する。ガオガエンもロトムも、顔見知り相手が近くに座り込んだだけなら確かに起こさないだろう。気遣いが徒になったな。

「まだ寝ててもいーよ。描いてる途中だし」

「約束の時間に遅れ……いや、当人が目の前にいるんですけど」

「うん、描く方を優先したいな」

「……寝転がってたらいいですか?」

「そうして」

 あたしはまだ鳴っているスマフォを止めて、諦めて寝転がる。

 

 さらさら、すらすらと鉛筆の走る音と、風が通り過ぎていくそわそわという静かな音だけが場を支配する。気持ちはいいしもう一度寝てしまおうかとも思ったが、人にじっと見られているのを意識するとどうも上手く寝付けそうにない。腹が減らないことだけが救いか。

「別にモデルが喋っててもいいんだよ」

「……そんなものなんですか」

「うん。ま、眠いなら寝ててもいいけどね。集中してると返事できないから」

 困る。困ったな。あまりよく知らない人と話すのは得意ではない。しかし、無言だと気まずい、気がする。何かないか。電話で終わったネクロズマの話を蒸し返すのは、何だか自慢じみていて嫌だな。ポケモンの話は、この後ポケモン勝負するかもと思うと、あたしには利益があるが。

「はい、終わり。ありがとね」

「あ、終わりましたか」

「うん。仕上げるにはもうちょっとかかるし、アイデアのスケッチだから」

 絵の心得が全くないあたしには、下書き的なものなのかな、くらいの理解しかできないが、聞いてもわかる自信もなかった。立ち上がり、全身をごきごき言わせつつ伸びをし、背中から尻にかけて砂を払う。見張っていてくれたガオガエンに礼を言いつつ背中を撫でてやり、ボールに戻す。

 マツリカさんも立ち上がってスケッチブックをしまっている。あたしよりかなり背が高い。20cm以上差があるな。

「じゃ、悪いけどライドポケモンに乗せてくれない?ライドウェアはいいよ」

「……落ちないようにお願いしますね」

 ライドウェア、着ないのが普通なのだろうか。ライドポケモンに慣れてないあたしは安全のために着ないという選択肢はないけれども。いささか大丈夫かなという気持ちのまま、リザードンを呼び出した。

 

 マツリカさんの家、ナマズン型の船にあげてもらう。あまりじろじろ見るわけにもいかないが、船の中といっても普通の家と特に違いは無い。本棚にまず目が行くのは、書痴の癖か。出版社から刊行のマツリカさん作の画集がずらりと並んでいる。凄い画家なのだな。

「お邪魔します」

「大丈夫、今日誰もいないから」

 それはそれで、あたしが困るような気も、いや、困らないな。マツリカさんは確かに美人だが、ジト目美人はあたしのストライクゾーンで。

「じゃあ、早速試練を始めるよ」

「あっ、はい」

「堅いなあ。さん付けも敬語もなしでいいよ」

 けらけらと笑う彼女。アローラの人達はやっぱり凄い勢いで間合いを詰めてくる。苦笑いしてしまう。

「わかりました。いや、わかった」

「うん、それで。で、試練なんだけどさ」

「はい……いや、ああ」

「アブリボンの似顔絵を描いてもらうことにします」

 マツリカがボールを取り出し、掌で開くと可愛らしいポケモンが現れる。

 終わった。顔が引き攣るのを自覚する。

「小学校の図工、評価二だったんだよね。卒業するまで」

「五段階評価で?」

「十段階評価」

「き、きっと大丈夫ロト……」

「……まーまー、こういうのは技術だけじゃないから」

「前を向かぬ者に勝利はない……やる」

「おー、いい言葉だね。それでは、早速」

 画用紙と鉛筆を受け取る。ひょいと飛び出てきたロトムが興味深そうに覗き、マツリカもスケッチをしようとスケッチブックを取り出す中、試練が始まった。

 

 長かった。複雑な顔なら描けるのかというともちろんそんなことはないが、シンプルな顔というのも難しい。澄ました顔で椅子の背もたれに立っているアブリボンに、ありがとうと呟く。

「お、できた?」

「……ロト」

「ロトム。今は何も言わないで」

「どれどれ。作品拝見」

 無言。時計の針の音だけがあたし達の耳を打つ。心配したアブリボンが飛び上がり、上から画用紙を覗き込む。アブリボンの羽音が加わるが、誰も一言も発さない。先ほどにも増して無言の居心地が悪すぎる。時計の長針がかちりと動く音にあわせ、小さく咳払いをする。

 硬直から回復したのは、マツリカが一番早かった。

「そうだ。新しい試練のやり方を考えてるんだ。第一号、やってくれる?あ、作品はもらっておくから」

 ひょいと画用紙を取り上げられ、あたしは頷く。

「試練の内容は、この花びらを集めてもらいます」

 見本として示されたのは、ガラスケースに入った綺麗な花だ。もう一つ、同じ何も入っていないケースを渡される。

「花びらはどこに?」

「それぞれの島のキャプテンが持ってるから。よろしくね」

 なるほど。本気でやろうという約束もあったし、ちょうどいいだろう。画用紙のことは記憶から海に放り出すとして、あたしは大きく頷いた。

 

 特に深い理由はないが、島巡りで会った順に回ろうと思う。となると最初はメレメレ島か。イリマさん――だけでないな。キャプテンと連絡先交換したのはマオとスイレンだけだし、島キングと島クイーンを入れてもハプウだけだ。ちょっと悲しくなってきたが、ククイ博士に連絡先を伝えてもらっていいのでとキャプテン連絡網を通じて試練で回るための日程調整の言伝を依頼する。こうなると、現実的に考えて島巡りで会った順は厳しいな。マオとスイレンには個別で連絡を送る。

 ククイ博士もキャプテン達も年がら年中暇という訳では無くむしろ忙しい方だろう。返事を待つ間に母さんとリーリエに「今日は実家に帰って泊まる」連絡しておく。

 メッセージを送った直後に返信が来た。リーリエからだ。

「『泊まるなら明日の夜もご実家に泊まってください』」

 それだけのメッセージを読んで、えっ、と声が出てしまう。まあ、何も問題がなければアーカラ島からそらをとぶで戻ればそれほど時間もかからないし、構わないが。きっと何か理由があるのだろう。了承とあわせて理由を問う返事をしてから、母さんに再度「明日も泊まる」と伝える。

 

 とりあえずでリザードンを呼び出し、メレメレ島目指しての空の旅。メレメレ島に戻るのは久し振りのような気がする。実際には十日かそこらも経っていないのだが。降り立つのはもちろん、数日しか暮らしていない実家前だ。渡されている鍵を差し入れてからドアノブを回し扉を開く。椅子に腰掛けてテレビを見ている母さんと、ラプラスクッションに抱きついて寝ているニャースが視界に入る。

「お帰り。お、ちょっとマシな顔になったじゃない」

「ただいま。そう?」

「うんうん。で、今日と明日泊まるのはいいけどどうしたの?島巡り終わった?」

 あたしは試練の内容を説明して、連絡を待っていることを伝える。

「連絡先くらい交換しときなさいよあんた」

「普通、ジムリーダーとかと連絡先の交換はしないから」

「しときなさいよ。母さんはしてたわよ」

 初耳だ。これも人付き合い力の差だろうか。

「それとまた髪の毛ひどくなってるわよ。トリートメントしてるの?」

「してない。髪は毎日洗ってる」

 ったく、とぶちぶち言う母さんに苦笑いする。家を見渡すと段ボールがかなり減っている。あたしは身支度がどうだの櫛を通せだのお決まりの説教を躱すために話題を逸らすことにする。二日にいっぺんは美容室に行けだの最終的に言われかねないからだ。

「残ってる段ボール、何?」

「アルバムとか、すぐ生活に使わないやつ」

 なるほど、と納得する。他のものはあらかた片付いている。

「母さんね、再来週くらいから仕事探そうと思って」

「ふーん。いいんじゃない。そういやこの家は買ったの?借りたの?」

「父さんの仕事がどうなるかわからないから借家よ」

 上手く躱せたと内心ほくそ笑む。

「さ、あんたこっち座りなさい。櫛通すから」

 駄目だった。化粧台前の椅子に座るのは子供の頃に母さんに憧れて悪戯して以来だな。いざ十歳の大人になると、化粧なんて面倒以外の何物でも無くなってしまった。癖っ毛というより、寝癖もろくに直さないのが累積してボサボサになっている髪に、母さんが櫛を入れてくれる。

「あんたほんとひどいわね。これからはせめて毎日寝癖くらいは直しなさい」

「面倒臭い……」

「あんた一人ならいいけど、友達とか恋人とかに恥かかせたくないでしょ」

 それを言われると痛いところだ。小さく呻き声を上げながら頷く。きつめの口調とは裏腹に、髪を優しく梳かれる感覚が気持ちいい。

「あんたの髪触るなんて、何年ぶりかしら」

「家を出て、まだ二年ちょっとだよ」

 小さく笑う母さん。たった二年、されど二年か。旅と異郷暮らしの疲れが髪に染み込んでいると言われても否定はできない。

 

 鏡の前でうとうとしていたらしい。スマフォのメッセージ受信音で意識が覚醒する。

「気にしなくていいわよー。取りなさい」

 手を伸ばしてキャプテン達から空いている時間のメッセージが何件か届いているのを確認し、予定を頭の中で組みながら返していると、電話が鳴る。マオだ。

「ユウケ?今いい?」

「いいよ。どうしたの」

「さっきメッセージ返したんだけど」

「ん?不味いなら時間変えるけど……」

「いや、時間は大丈夫。その後、昼は空いてない?ご飯でもどうかなって」

「コニコ食堂?別にいいけど」

「ありがと。個室っていうか、衝立の部屋使うようにするからさ。例の件で相談乗ってほしいんだ」

「わかった。その後にカキさんと約束があるから、一時半までってところになるけど」

「いいよいいよー」

「悪いね。取り急ぎの用事が全部終わったら、夜にでも時間を作るから」

「ありがたいけど、そうなるとだいぶかかるね。博士に聞いたよー」

 小さく苦笑いする。夜開けられるようになったらまた連絡すると告げて電話を切る。

「何だ何だ、女をとっかえひっかえか?さすが我が娘だね」

「そんなんじゃないよ。さっき説明したでしょ」

「怒るな怒るな。はい終わり」

「ありがとう」

 鏡で見る髪はかなりマシになった。何とかスプラッシュカールと強弁できそうではある。時計を見ると、そろそろ約束の時間だ。

「ハウオリのイリマさんのところ行ってくるから。ちょっと遅くなるかもしれない」

「はいはい、気をつけて行ってらっしゃい」

 母さんと、ようやく眼を覚ましたニャースに小さく手を振って扉を開く。バックパックは持たずに出てきたので身体が軽い。空を見上げるといい天気だが西に雲がかかっている。天気が崩れないといいのだが。

 

 イリマさんに指定されたハウオリシティ西、何度住所を確かめてもここだ。馬鹿でかい屋敷のこれまた馬鹿でかい格子状の門とコンクリートの塀を前に、あたしは小さく溜息をつく。門の隙間から綺麗に手入れされた欧州風の庭と、北側にはプールまである。そして庭の中で、ジュナイパーとドーブルが戦っている。先客があるらしい。どちらにせよ、待っていても誰かが迎えには来てくれないだろうし、インターフォンを押し、名乗って待つことしばし。バトルが終わるか終わらないかのところで使用人らしい人が門を開けてくれる。礼を言って敷地内に入る。

「あっ、ユウケだー!アローラー!」

 トレーナーは見えなかったが、やっぱりハウ君だったか。笑みを浮かべて小さく手を上げ応える。

「ユウケさん、来てくれましたか」

「時間を割いてくださってありがとうございます」

 小さくイリマさんに頭を下げる。相変わらずカロスの上等な服だ。

「いえいえ。ハウ君との特訓もちょうど一段落ついたところです。ハウ君は劇的に強くなりましたよ」

「前にさー、ユウケが言ったよね。『何のために戦うか考えろ』ってー。おれの楽しみたい気持ちとー、ポケモンの強くなりたい気持ち、どっちも活かしていかないといけないなって思ったんだー。だから、ポケモンの気持ちに寄り添って強くなって、それからバトルを楽しめばもっといいなって。イリマさん、ユウケ、ありがとー」

 微笑むイリマさんと苦笑いして小さく頭を掻くあたし。イリマさんはともかく、あたしは何かの役に立ったとは思えない。

「まだ、ユウケに勝てる気がしないんだよねー。今度、勝負しよー!」

「ああ、待ってるよ」

 少なくともあたしもZ技くらいは使えるようになっておかないと。まだ恥ずかしくて使っていないのだが、この恥ずかしいという気持ちとも戦わねばならない。

 

 ハウ君が島巡りの続きをすると去って行った後、瀟洒な庭であたしとイリマさんだけが向き合う。

「では、キャプテンのイリマの本気をお目にかけましょう。花びらを差し上げられるかは、ユウケさん次第です」

「この間の約束通りですね」

 お互いに笑みを浮かべる。イリマさんのそれはあくまで穏やかなものだが、あたしのものは獰猛なそれだ。互いにボールに手をかける。イリマさんの腰のボールは三つ。

 

 イリマさんの先手はデカグース、こちらの先手はハガネール。

「デカグース、いかりのまえば!」

 当然先手を取られるが、いかりのまえばは体力を半分削る技なのでハガネールは倒れない。あたしはステルスロックを指示し、ハガネールが尖った岩の破片をばらまく。撒き終えたタイミングで、ハガネールをボールに戻す。

「よくやった、ハガネール。次、行け!」

「かみくだく!」

 次のポケモンを見ずに指示するイリマさん。ポケモンが出てからでは一手遅いので、間違ってはいない。だが、あたしが出したポケモンはヘラクロス。タイプ不一致のあくタイプ技は余裕で耐える。

「ヘラクロス、メガホーン!」

「いかりのまえば!」

 あたしのヘラクロスの方が早い。満身の力を込めて突き入れた角が、デカグースを吹き飛ばし、地面に叩きつけられる――前に、イリマさんがボールに戻した。

「よくやりました、デカグース。次は、ネッコアラ!」

 ネッコアラが破片で傷を負いながら現れるタイミングで、ヘラクロスの持ち物のかえんだまが効果を発し、ヘラクロスは高熱で火傷を負う。イリマさんが目を見張る。

「……こんじょう、ですか」

 小さく微笑む事でそれに応える。特性こんじょうは、状態異常時にこうげきが五割増しになる強力なものだ。メガストーンを持っていればメガシンカさせてもいいのだが、アローラ地方にはホウエン産のメガストーンは持ち込めなかった。小さく下唇を噛んだイリマさん。ノーマルタイプのそれほど足が早くなさそうなネッコアラでは、持ち物次第だが先手は取られないだろう。

「ヘラクロス、インファイト」

「ふいうちです!」

 タイプ不一致の、しかも半減させられる技を打ってくるのはせめて後続に繋げようという配慮だろう。悠然と耐えたヘラクロスのインファイトがネッコアラを地に伏せさせる。

「ネッコアラ……いえ、よくやりました」

 最後の一匹はドーブル、破片でのダメージは八分の一。イリマさんの切り札なのだろう。見たところ、こだわりスカーフでは無い、ようだ。ならば流れは同じ。

「インファイト」

「ドーブル、しんそく!」

 あたしは舌打ちを堪える。ヘラクロスはインファイトを打ってぼうぎょが下がっているし、二度攻撃を受けているからだ。だが、ヘラクロスは耐えた。

「くっ……」

 耐えたヘラクロスの一撃に、ドーブルは何かの木の実――恐らくヨプの実だろう――を噛むが、それでも耐えられずに崩れ落ちる。

「ドーブル、お疲れ様」

「ヘラクロス、よくやった」

 あたしは傷と火傷を負いながらも戦い抜いたヘラクロスからかえんだまを預かってから薬を塗って、頭を撫でてやってからボールに戻す。

「お見事でした。完敗です。これがユウケさんの本気なのですね」

 ステルスロックで場を作ってからのかえんだまヘラクロスの火力は、間違いなくあたしとポケモンの本気だ。頷いて彼の言葉を肯定する。

「それでは、だいだいはなびらを差し上げます。ぼくのように温かみのある、だいだいはなびらです」

 件のスカル団員に対する塩対応を覚えている身としてはどう反応していいものか迷う。笑うのは流石に失礼だろう。カントー人らしい、曖昧な笑みを思わず浮かべてしまう。

「これからもマツリカさんの試練が続くと思いますが、今日はこの後、何か予定がありますか?よろしければ、我が家で夕食などいかがでしょう」

「お気持ちは有難いのですが、先約がありまして」

 母がもう夕食の支度をしているというのも立派な先約だろう。それに、こんな豪奢な家で、恐らくイリマさんの家族も交えてとなると息が詰まりそうだ。

 肌が濡れる。もちろん、涙ではない。雨だ。ぽつり、ぽつりと雨滴が落ち始める。

「そうですか……それは残念です。では、お茶くらいはどうでしょう?生憎の天気ですし、雨が上がるまででも」

 いやに食い下がられるな。しかし、ここまで言われて断るのも心苦しくなってきた。傘は持っているのだが、まあ、遅くなるかもと言って出てきたし、お茶くらいならいいか。

「はい、ではご相伴させてください」

「よかった。では、どうぞ」

 にこやかに微笑むイリマさんに自然に手を取られ、エスコートされる。カロス地方でもこんな感じだったし、こういう文化なのだろうな。

 

 イリマさんのご両親を交えてのお茶会は、案外と肩肘張らないものだった。もっとも、使用人のいる家で世話になることなど早々ないので、案外と言っても知れているが。イリマさんの母は著名な女優らしく(映画もテレビもほとんど見ないあたしには全くわからなかった)「何かにのめりこむ姿はとても美しいもので、キャプテンとしてそういった指導をしていきたい」という熱弁を聞いて、連絡先を交換して屋敷を辞去した。

 

 帰宅して夕飯と風呂を済ませ、改めて明日以降の予定を確認する。久方ぶりの穏やかな時間のような気がする。

 マオ、スイレンに明日の午前中会って、昼食はマオと、終わってからカキさんと会う。夕方には実家に戻ってこないといけない。

 明後日の午前にマーマネさんと約束。やや時間を空けて夕方にアセロラと会う。アセロラがまた泊まっていけと言うので、土産を調達しておこう。よし。

 ざっと立てた予定と、ほしぐも――ちゃんの様子、そしてルザミーネさんとはどうかとリーリエにメッセージを送り、恐らく明明後日には再度伺うとマツリカに連絡を入れる。

 

 ごろりと寝転がって本を読んでいると、スマフォが震える。リーリエからのメッセージ。まだ電話は難しいようだ。ほしぐも――ちゃんはご飯を食べてぐっすり寝ていて元気そう。ルザミーネさんとはお互いに謝罪をして水に流せた。ただし、あたしとの一件だけは保留になっている。(この一文で頭が痛くなった)グズマも元気にしており礼を伝えておいてくれと言伝があった。

 可能ならマオの昼食から同行できるかとの一文があり、少し考える。内容的には、リーリエがいた方がいい。少なくとも色恋沙汰にあたしより強いだろう。返信を打つ前に、マオに連絡を取って、了承を得たのでこれも問題なくなった。コニコ食堂でリーリエには待ってもらうことにする。

 もう一つ、アセロラとの泊まりにも同行したいと。何だかどこにでも着いて行きたくなるタイプなのだろうかと、あたしは小さく微笑む。これも返信前にアセロラに連絡し――なぜか少し渋られたが――了承を得た。よし。

 メッセージの返信を打っている最中に追伸としてリーリエからメッセージが届いた。開くとリーリエの自撮りの写真がついている。スクロールしてあたしはひっくり返りそうになった。下着姿なのだ。本人も恥ずかしいのだろう、ハバンの実のような真っ赤な顔が愛らしいが、下着はイメージと随分違う黒い妖艶なデザインのもので、雪のように白い肌との対比が美しすぎて涎が出そうだ。斜め上から見下ろすように、要はスマフォを持ち上げて撮ったのだろう。不慣れなことをしているというのがアングルからも伝わってくる一枚だが、それが却って興奮を誘う。最後に愛してますの一言が添えられていて、あまりに凶悪な破壊力だ。

 あたしも、自撮りを送るべきなのだろうか。それも下着か、それ以上で。いや、無理無理。あまり認めたくはないが、年下のリーリエより明らかに貧相すぎる。おまけに、旅向けに最適化した服ばかりなのでスポーツ用の下着しかない。

 他のメッセージや用事については全部返信を書いたのに、最後にこの返事を書くことと、自撮りをつけるかの二点でベッドの上を転げ回ること十五分強。写真を撮ろうと決意した。誤魔化してしまえばそれでは今までと変わらないのでは、だからあたしも撮るべきで、それが変化のために必要だ。後で考えると明らかにどうかしているのだが、ともかくそう思ったのだ。色気も何もない、シンプルな黒いパジャマを脱ぎ、頑丈さだけが取り柄の下着だけの姿になる。母さんが部屋の壁に引っかけたもののほとんど使ってなかった全身が映るハングミラーに立ち、震える指で撮影を押す。かしゃりという音が部屋に響き、母さんやニャースに聞こえていないか心臓がばくばくする。顔がちょうどスマフォに隠れていて、これでいいと思った。リーリエが喜ぶかはわからないが。指の震えを押さえ付け、固唾を呑んで写真を添付して、「あたしも愛してる。今日は疲れたから寝る。お休み。また明日」と、ある意味あたしらし過ぎる精一杯の返事を打って、ベッドに潜り込んだ。顔と身体の火照りを静めるまでは、しばらくかかるだろう。




たまゆらさんにユウケを描いて頂きました。SDデフォルメで、目付きが悪いのに可愛いです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/tmyr_0206

だすぶらさんにユウケを描いて頂きました。手持ちポケモンのうち三匹(ヘラクロス・マダツボミ・ニャビー)とです。躍動感があり格好良いです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/DusBla
https://www.pixiv.net/member.php?id=19071706

島根の野良犬さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。第十七話終盤のシーンです。大変艶っぽいシーンと、その後のコミカルさの対比が素敵です。

【挿絵表示】


【挿絵表示】

https://twitter.com/_pyedog
https://www.pixiv.net/member.php?id=1451080
令嬢の雰囲気を優先して長髪白帽子の姿で描いて下さりました。

Hatesphere - "Smell Of Death"
https://www.youtube.com/watch?v=sWlROsFPRzg

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