負け犬達の挽歌   作:三山畝傍

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負け犬、毛皮を洗われる

 マーレインさんを見送った後、ホクラニ天文台のマーマネさんを訪れたあたし達を待っていたのは、泣き腫らした彼の顔だった。驚いてハンカチを渡そうとするリーリエを小さく手で制して、取り出したポケットティッシュをマーマネさんに渡す。彼は小さく礼を言ってから大きく鼻をかんだ。出直すべきか尋ねようとした矢先に、マーマネさんが口を開く。

「ごめん。ぐす。三分間待ってくれる?」

「ええ。椅子を借ります」

 壁際に置かれている椅子の埃を払ってから、リーリエに勧める。小さく驚いてから微笑んで腰掛ける姿が本当に可愛らしい。人目が無ければ、椅子が一つしかないことを口実に膝の上に座ってほしいくらいだ。リーリエと段ボールの山の隙間の壁を押し、パーテーションやら倒れる壁やらでないことを確かめてから――断じてあたしではないが、壁にもたれかかってそのまま後頭部を打つ羽目になった奴を見たことがあるからだ――壁に背を預けて聞こえない程度の小さな溜息をつく。別に男が人前で泣くな、なんて時代錯誤なことを考えたわけではない。ただ単にかけるべき言葉を思いつかないだけだ。ちらりとリーリエを見ると、彼女も似たような状態らしく、あたしと目が合う。あたしより間違いなく気が利いて聡いであろう彼女が何も思いつかないなら、お手上げだ。壁掛け時計を見て大体三分経って落ち着かなさそうなら、直球で事情を聞くしかないか。聞いてどうなる訳ではないかもしれないが、話せば気持ちが整理されて落ち着くかもしれない。問題は、あたしがどちらの経験も薄いことだ。

 

 概ね四分ほどで、マーマネさんは落ち着いた。

「その、大丈夫、ですか?」

 リーリエの気遣いを多分に含んだ声にあたしも小さく頷く。

「うん、ごめん……マーさんが……」

「そんなに長く離れるのですか?」

 あたしは少し驚いたが、マーマネさんは首を横に振る。

「毎日帰ってくるんだけど、それでもマーさんがいないと……」

 ぽろぽろと彼の目尻から涙が溢れる。こういう時にどういう言葉をかければいいのだろうか。

「ご、ごめん……そう、花びらだよね。ほんとは今日、勝負もしたかったんだけど」

 泣きながらマーマネさんはポケットから容器に入った黄色の花びらを取り出して差し出してくれる。少しどう答えたものかと困りながらも手を伸ばして受け取る。

「ありがとうございます」

「ぐず。また、今度勝負しよう。リーリエも、ごめんね」

「もちろんです」

「いえ、気にしないでください!」

 あたしは小さく頭を下げ、リーリエは気にしていないと言うようにぶんぶんと手を振る。

 

 泣き腫らした顔のまま見送るというマーマネさんの申し出を断って、あたし達は次の目的地、エーテルハウスに直行――はせず、天文台からポケモンセンターのカフェに移動した。あたしのエネココアとリーリエのモーモーミルクがヌイコグマに運ばれてきたのを礼を言って受け取ってから、大きく溜息をついた。

「いや、何だかどっと疲れたよ……」

「わたしもです。ああいうとき、どう言えばいいか……」

 あたしとリーリエは目を合わせて小さく笑う。

「リーリエで駄目なら、あたしはお手上げだよ」

 慌てた様子でリーリエは手を振る。

「そんな、わたしは別に、人付き合いが上手い方では無いですから」

「そんなことないよ。少なくともあたしよりは」

「あ、それはそうかもしれません」

 一転して冗談めかしてくすくすと微笑む彼女が可愛い。

 

 次の約束よりまだ時間があるし、星を見るのはどうかと提案しようとした矢先、あたしのスマフォが着信を知らせて震える。アセロラからだ。

「ユウケ、今どこ?まだこっち来てないなら、お買い物お願いしていいかなー?」

 星を見るのはお預けだな。あたしは彼女の買い物リストをメモし、電源を切った。麓のスーパーで買い出しをすればいいだろう。不慣れな場所だから迷う時間も織り込んで、エネココアの残りをぐいと飲み干し、リーリエをやんわりと促す。頷いた彼女がこくこくとミルクを飲み干すのをつい見てしまう。喉が小さく動くのが何とも色っぽく思える。

「行きましょう。ユウケさん……ユウケさん?」

 見とれてぼんやりしてしまった。あたしは顔を赤らめて頷き、席を立った。

 

 日が傾き、陽光がオレンジ色を強めてきた頃に買い物袋をぶら下げてエーテルハウス前に降りたあたし達は、意外な客人と出くわした。グズマだ。

「よお。お前らか」

 前ほど彼の顔を見て苛つかないのは、見慣れただけだろうか。それとも、この穏やかな雰囲気のせいだろうか。これなら相手が突っかかってこないなら、何も言わないで済むだろう。それにしても、ずいぶん穏やかな顔だ。無視するのもおかしな話だし、一応尋ねることにする。

「エーテルハウスに何か用事?」

「ああ、詫びを入れにな。お前らにも悪いことをしたな。悪かった」

 内心で、人に頭を下げられるタイプの人間だったのかと驚く。顔に出ていたらしく、グズマは小さく笑う。

「色んなことがありすぎたからな。俺だって変わるさ。変化を運んでくるっていう、アローラの風にやられただけかもしれねえけどな」

「『アローラの風は、物事を変える時に吹く』という慣用句があるんです」

 リーリエが小声で補ってくれる。なるほど。

「悪いと思うなら、あたしの頼みを一つ聞いてくれない?」

「俺にできることならな」

「完璧に人間に変身するメタモンと、そのメタモンを探している人間を探してる。理由は言えないけど。何か情報が手に入ったら知らせてほしい」

 困惑した表情を浮かべるグズマ。リーリエも少し戸惑った顔をしている。

「はァ?お前、知ってるだろ。メタモンは……ま、いい。知った上で言ってるんだな?」

 あたしは頷く。グズマは小さく頭を縦に振る。

「わかったよ。大した手間じゃねえ」

「助かる。それと、もう一つ。これは頼み事じゃなくてお願いだけど、ハウ君に連絡を取ってあげて。心配してたよ、あんたのこと」

「俺の、いや、俺様のことなんか気にするなって言ってたんだがな……。考えとくよ。じゃあな」

 手を小さく上げて去って行くグズマを見送ってから、リーリエはあたしを見る。

「ユウケさん、『人間に化けるメタモン』って、何ですか?グズマさんも不思議そうでしたが」

「メタモンは見た相手に変身することが出来るポケモンだけど、個体によって得手不得手があるんだ。ほぼ全部の個体が、人間に変身するのは苦手なんだよ。厳密に言うと、変身できるけど会話だとかは無理だし、大抵は顔だとか身体の一部が再現できなかったりする」

「そうすると、『完璧』に変身はできないと……」

「そう。ただ、あたしはそのメタモンを探してる奴に用事があるんだ。理由は……ごめん、今は言えない。でも、いつか、ちゃんと言うから。ごめん」

 あたしの右手を、リーリエが両手で包み込むように握る。

「ユウケさん、今とても辛そうな顔をしています。話せるようになったらで構いませんから。ユウケさんの辛いことなら、わたしも聞いて、助けになりたいです」

「リーリエ……ありがとう」

 リーリエは満面の笑みで頷いた。いつも綺麗なリーリエだが、夕日に照らされる彼女の髪は何度見ても異世界から来たかのように美しく、過去の恐怖を溶かすかのようだ。あたしはまたしても馬鹿のように見惚れてしまった。

 

 エーテルハウスの扉を開けたあたし達を出迎えたのは、またも意外な人物だった。

「「クチナシさん?」」

「よお、姉ちゃん達。アセロラは今ちょっと試練で出かけててな。もうじき戻ってくるはずだが」

 あたしにずいと手を突き出すクチナシさん。その手の上に、容器に入った紫の花びら。一瞬驚いたが、この人は島キングだった。預かっていても何もおかしくない。あたしは花びらを受け取る。

「ありがとうございます」

「マツリカんところに行くなら急ぐだろうと思ってな」

「いえ、マツリカのところには明日行きます」

「そうかい。じゃ、おじさんと勝負しようか」

「えー!?ユウケ姉ちゃんとクチナシおじさん勝負するの?!」

「わーい!」

 奥から聞きつけた子供達が駆け出してきて、あたしは苦笑いする。ポケモンバトルに目が無いのは大人も子供も、勿論あたしも変わらない。

「表でやりましょう」

 

 リーリエと子供達が応援する前であたしとクチナシさんが向き合う。ボールは三つ。あたしが先発のハガネールを繰り出すと同時に、クチナシさんもボールをアンダーで投げる。一匹目はヤミラミ。巨軀を震わせて吠えるハガネールより遙かに小さいポケモンだが、相性は可も無く不可も無くというところだ。変化技でかき回してくるのが怖い。ハガネールもメガシンカでもしない限り一撃では落とせないし、先手を取られる。ちょうはつが怖いが、打たれたら打たれたで交代させると決めて、普段通りの指示を出す。

「ハガネール、ステルスロック!」

「おにび」

 ハガネールは不気味な炎で火傷を負うが、身体を打ち振って岩をばらまく。尖った岩が相手側の場に漂ったことを確認してから、あたしはハガネールを労って戻し、ガオガエンを繰り出す。

「ハガネール、お疲れ様。ガオガエン、行け!」

「イカサマ」

 交代を読まれていたのだろうが、ガオガエンはタフなポケモンで一撃程度では崩れない。不敵に笑みを浮かべて小さく唸るガオガエンに指示を出す。

「フレアドライブ!」

「あやしいひかり」

 ヤミラミは耐久力がそれほど高いポケモンではない。炎タイプなら火傷させられないので、攻撃力を誤魔化すことはできない。ガオガエンの強力な炎技で一撃でくずおれる。

「おーおー、やるね」

 小さく笑うクチナシさんの二匹目は、アローラのペルシアンだ。タイプは悪単独、特性が候補すらわからないのが悩ましい。とはいえ、今のところこんらん以外でガオガエンを下げる理由はない。

「ねこだまし」

「フレアドライブ!」

 ペルシアンのねこだましで機先を制されたガオガエンは怯むが、構わず次の指示を出す。

「ガオガエン、もう一度フレアドライブ!」

「わるだくみ」

 ステルスロックのダメージを除くと、意外なほど効いた様子がない。こんらんが何とか治ったものの、ガオガエンは反動で辛そうだ。等倍物理技の効き目は薄いと見たあたしはガオガエンを戻し、ヘラクロスを繰り出す。

「ガオガエン、よくやった。ヘラクロス、頼んだ!」

「あくのはどう」

 黒いぼんやりとした波がヘラクロスを襲うが、悪タイプの技は半減だ。わるだくみ一回分上乗せされていても、ヘラクロスは悠然と耐えた。

「インファイト!」

「あくのはどう」

 波がもう一発。さして効いてはいないが、間合いを詰めようとしたヘラクロスが怯んだ。

「パワージェム」

「もう一度、インファイト!」

 光線を受けて疲労の色は見えるが、まだ余裕がある。ヘラクロスは土を抉るほどの踏み込みでペルシアンの間合いに入り込み、殴り飛ばした。イメージからかけ離れたタフさを見せていたペルシアンもさすがに耐えきれなかったようで、そのままボールに戻る。

「タフだねえ」

「軟弱な育て方はしてませんから」

 ヘラクロスはまだ元気なアピールをあたしにしているし、充分行けそうではある。クチナシさん最後の一匹はアブソル。あたしはアブソルを見てヘラクロスを戻す。

「ヘラクロス、戻れ!行け、ハガネール!」

「サイコカッター」

 不可視の刃がハガネールを襲うが、ハガネールの厚い皮膚は悠然とこれを弾き返す。やはりエスパータイプの技を持っていたか。おまけにアブソルは足が速いから、ここで戻したのは悪くなかった。こいつは何とか動きを止めないといけない。

「ハガネール、じならし」

「姉ちゃん、いい勘してるね。だが、こいつは耐えられるかな」

 クチナシさんが上体を垂らす。Zパワーリングが光り、クチナシさんとアブソルの間が光で繋がれる。Z技か。

「ブラックホールイクリプス」

「ハガネール、耐えて!」

 ハガネールの巨体が空間に開いた穴に吸い込まれたかのように見えた。あたしのハガネールは何とか耐えて、身体を震わせてアブソルの周囲を均していく。火傷のダメージでハガネールは崩れ落ちるように倒れる。倒れきる前にモンスターボールに戻してやる。

「ハガネール、よくやってくれた。行け、ヘラクロス!インファイト!」

「サイコカッター」

 アブソルの動きはヘラクロスより鈍い。瞬時に間合いを詰めたヘラクロスの連撃で、アブソルが倒れた。

 クチナシさんはにやりと悪童のような笑みを浮かべ、アブソルをボールに戻す。リーリエと子供達の歓声が響く。

「ユウケさん、やりましたね!」

「姉ちゃんすごーい!」

「クチナシおじさんに勝つなんて!」

 抱きついてくれるリーリエを抱きしめ返して、リーリエを真似してか腰に抱きつく子供達の頭を撫でてやる。

「いや、やっぱ大したもんだな、姉ちゃん」

「クチナシさんこそ」

「またやろうや。今度はお互い全力でな」

 あたしは頷いた。

「じゃ、おれは帰るから。アセロラによろしくな」

「えー、おじさん晩ご飯食べてかないの?」

「そうだよー!」

「用事があってよ。悪いな」

 不満げな子供達をなだめつつ、手を上げて去って行くクチナシさんを見送った。

 

 エーテルハウスに戻り、奥で子供達がはしゃぐ声を聞きながら、外で治療したハガネールを除いた負傷したポケモンの手当をしている最中にアセロラが戻ってきた。

「あ、ユウケ、リーリエ。買い出しありがとね」

「いいよ、キャプテンの仕事だったんでしょう」

「お疲れ様です、アセロラさん」

「ありがとー。いやいや」

 リーリエの向かいの椅子に座って水を飲むアセロラを見上げながら、床に座り込んで傷薬を塗ることしばし。アセロラが一息ついたのを見計らってからあたしは口を開いた。

「アセロラさ、一つ聞きたいんだけど」

「何?」

「あたし、子供達の名前聞いてないんだけど」

「「えっ」」

 アセロラは呆然という感じで口を開けている。リーリエも口を押さえているが、心底驚いているようだ。

「自己紹介するように言ったんだけど。しょうがないなあ」

「あ、あの……わたしは聞いてました。ユウケさんに伝えておけばよかったですね。ごめんなさい」

「いやいや、そういうのは直接やらないとね。呼んでくるから」

 ポケモンの治療を終えて、ボールに戻したタイミングで不思議そうな顔で連れてこられた子供達を見る。

「えー、名前言ってなかった?」

「言わなかったかなあ?」

「聞いてないかな……?」

 どこかとぼけたやりとりに、あたしとリーリエ、子供達は小さく笑う。アセロラだけが憮然とした表情だ。

「こういうのはちゃんとしないと駄目なんだからね。さ、改めてユウケお姉ちゃんに挨拶して」

「はーい。ぼくはアカラ」

「あたしはマヒナ」

「ユウケだよ」

「「知ってるー」」

 三人で顔を見合わせてまた小さく笑う。仏頂面を保とうとしていたアセロラもプッと吹き出した。忍びやかな、しかし悪くない笑いが部屋を彩る。

 

 協同して作った賑やかな夕食を終えた後は風呂の時間だ。だが、前回同様穏やかな時間になると思った入浴――正確にはその前の、誰が誰と入るかを決める段階――で、冷ややかな争いが展開される事になるとは夢にも思っていなかった。

「ユウケさんはわたしと入りますから」

「えー、でも、うちのお風呂なんだから、アセロラが誰と入るか決めてもいいんじゃない?それに、そんなに一緒に入りたがるのは何でかなー?」

 聞かないフリをして子供達と遊んでいなければ、その場にいるだけで戦闘不能になってもおかしくない争いがリーリエとアセロラの間で繰り広げられている。アセロラは明らかにからかうこと自体を楽しんでいる感じだ。彼女のいたずらっぽいチェシャ猫のような表情はこういう時でなければ可愛いと思う。リーリエのふくれっ面もこういう時でなければとても可愛いし、何時間でも眺めていたい。

「子供達が見たい番組が始まる前に、お風呂入っちゃわないといけないんだけど、どうしよっかなー?ね、リーリエ。どうしてそんなにお風呂に拘るか教えて?」

「……わかりました。わ、わたしとユウケさんはお付き合いしてますから。恋人として。だからです」

「えっ……」

 力強く言い切ったリーリエに意表を突かれたのか、アセロラが少したじろぐが、そのまま言葉をつぐ。

「おほん、でも、じゃあ他の日に一緒に入ってもいいんじゃない?アセロラは同性の友達なんだから、一緒に入ってもいいよねえ?」

「そ、それは……」

 段々背筋が寒くなってきた。もちろん、あたしとしてはリーリエと入りたいが、家主というか管理者の意向を無視する訳にもいかない。アセロラは多分本気ではないだろうけど、リーリエが本気でへそを曲げたり、二人の仲がこじれる前に何とかしないといけない。あたしのために争わないで、なんて他人面をしていてはそろそろ本気で不味そうだ。あたしは会話の合間を狙って口を開く。

「あ、あたし、子供達二人を風呂に入れてくるから!」

 これがポケモンバトルならもう少し読めたり先手を打てるのだが、人付き合いという場でもう少し丸く収まるアイデアがぱっと出てくるなら苦労しないのだった。あたしはぽかんと口を開けた二人を尻目に、子供達二人を脇に担ぎ上げて勝手知ったる風呂場に向かった。

 

 子供達二人の髪の毛、ついで身体を洗って風呂桶に放り込んだタイミングで、風呂場のドアが控えめにこんこんとノックされた。

「はいはい、入ってますよー。ほら、ちゃんと肩まで浸かって百数える」

「入ってまーす」

「まーす。あれ、今いくつだっけ?」

「七十だよ。ほら続き、って」

 曇りガラスの上に逆光でシルエットしか見えないから誰だかわからないが、一瞬躊躇った後、がらりと扉が開かれる。リーリエだった。タオルで胸元から股下までを隠している。きりりと覚悟を決めたという表情をしようとしているというのがあたしにもわかる。何しろもう顔が真っ赤だし、目が泳いでいる。

「お、お背中流しますね!」

「ユウケ姉ちゃんも洗ってもらうの?」

「お姉ちゃんなのにー?」

「いや、あたしは自分で」

 リーリエには ぜんぜんきいてない!どこからこんな力が出てくるんだという勢いで椅子に座らされ、ざぼざぼと頭からお湯を掛けられる。ちょっと温度が高いかな。

「ユウケ姉ちゃん、百数えたよー」

「数えたー」

「えっもう?ちょっと待って、アセロラ呼ぶから。立ってもいいけど、湯船から出るのはアセロラが来てからね」

「あっ、お姉ちゃんこれー」

「あたしが押すー!」

 子供達が相争って何かのボタンを押すと、ピピピというやや間の抜けた呼び出し音が鳴る。なるほど。大声を張り上げなくても呼び出しボタンがあったのか。お湯を掛けられながら、リーリエの指があたしの硬い髪をほぐそうとしている感触を味わう。先にリーリエの指をほぐした方が良いのではというくらいガチガチに緊張しているのが伝わってくる。お湯の音に混ざるとたとたとした軽い足音と、扉が開けられる音。

「あー!リーリエもう入ってる!アカラもマヒナももう出ていいよー。身体拭くからね。テレビもつけといたから」

 嵐のような時間はまだ続くらしい。

「ゆ、ユウケさん。痒くないですか?」

「いや、気持ちい」

「あっ、これボディソープでした……!」

 あたしもたまにやる間違いだから、別に構わないのだが、リーリエの動揺が伝わってくる。

「ごめんなさい、すぐ流しますね!」

 わしゃわしゃと泡を洗い流されて、二回目。髪を洗ってもらえるのは無論嬉しいが、冷静に考えるとあたしは完全に無防備に肌を晒している。股間だけは何とか隠しているが。リーリエの鼻息が少し荒い気がするのは気のせいだろうか。だが、今は振り返るどころか目を開くことすらままならない。いずれにせよ、お互いの肌を見せる時は来るだろうと腹をくくるしかないか。

 

 葛藤を余所に、三度風呂場のドアが開く。

「お待たせー!」

「待ってません」

「えー、リーリエ冷たい!それに、三人一緒に入るって決めたのに抜け駆けしてるし」

「えっ」

「恋愛とポケモンバトルでは手段を選ぶなって教わりましたから」

「えっ」

「んっふっふー、まあまあそんなツンツンしないで。アセロラはユウケを取るつもりないし」

「本当ですか……?」

「混ぜてもらうくらいでいいかなーって」

「駄目です」

 即答だった。軽口でも「いいんじゃない?混ざるくらいなら」とか言わなくてよかった。ややほぐれてきたリーリエの指先に頭を委ねながら、あたしは内面溜息をついた。

 

 髪の泡をしっかりと流されてから、言葉での抵抗空しく、あたしはリーリエに身体まで洗われることになった。耳の後ろから首筋、背中を今は洗われている。アセロラは身体を洗いながらニヤニヤとガン見している。

「『身体で洗います』とかしないの?」

「……どこで聞いてきたの、そんなの」

「ユウケが行ってそうなお店」

 リーリエさん、タオルが痛いです。垢すりタオルでも何でもない、泡立てた普通のタオルだったはずなのに。

「アローラではそんな店行ってないよ」

「ほんとにー?」

「ユウケさん、後ろ終わりましたから」

「ありがとう。じゃ、前は」

「前も洗いますね」

「えっいや、子供達も前は自分で」

「前も洗います」

「はい」

 胸と股間を両腕で隠した姿勢のままやり過ごそうとしたものの、抵抗は無意味だった。アセロラも何故か無言になったし、物凄く居心地が悪い。

「はい、脇も洗いますから、手を上げてください」

「はい……」

 あたしもリーリエも、顔が真っ赤だ。さっきとは打って変わって、繊細なタオル使いが寧ろくすぐったいくらいなのだが、笑うに笑えない。胸を洗う段になって、リーリエは顔が――顔が近い!いつの間にかアセロラも真横に寄ってその様子をじっと見ている。何だこの状況は。助けが絶対に来ない状況を恨みながら、胸から臍、脇腹を執拗に洗われて小さく吐息が漏れる。何とか隠したものの、太股から足先まで洗われて、ようやく一息つく。リーリエがタオルを桶に汲んだお湯で洗い流してから、再度泡立てる。

「さあ、脚を開いて下さい」

「いや、そこは自分で」

 リーリエはあたしのそこにタオルを掛けてから、手の泡を洗い流す。

「見えないなら、いいですよね?」

 リーリエの口と手がぷるぷるしている。多分抵抗は無意味だろう。アセロラがごくりと固唾を飲む音がいやに大きく聞こえる。あたしは自分の顔を両手で覆って頷いた。

 

 タオル越しとはいえ、秘部もお尻もしっかりと洗われてしまった。まさかあたしが先に触られる側になるだなんて夢にも思っていなかった。それなのに、あたしがリーリエを洗うのは断られてしまい、不満な顔を隠さないまま三人の中で一番最初に風呂桶に漬かっている。顔が赤いのはお湯が熱いせいだと思いたい。おまけに、せっかくの二人の裸も湯気と二人の牽制が気になって――あたし一人はじっくり見られたのに公平性に欠けないだろうか――あまりしっかり見えない。無言のまま、リーリエとアセロラがほぼ同時に身体を洗い終えた。アセロラが遅かったのはあたしが子犬ポケモンじみて洗われた後、しばらくぼんやりシャワーを身体にかけていたからだ。しかも身体を洗い終えた二人はしっかりタオルを巻いている。あたしだけが裸だ。

「どうやって入りましょう……?」

「あたし、もう出ようか」

「大丈夫大丈夫、アセロラかリーリエがユウケの膝の上に座ったら入れるよ」

 二人が湯船の縁を跨ぐのを見るのに夢中になってて余り聞いていなかったのだが(タオルの裾が案外長くて見えなかった)、今何て?

「意外と二人乗っても大丈夫なんだねー。やっぱりユウケはたくさん歩いてるから?」

「アセロラさんはどうして平然とわたしの膝の上に座ってるんですか?」

「……浮力があるし、二人とも体重軽いからじゃない?」

 床からあたし、リーリエ、アセロラの順で湯船に入っている。おまけに折角のリーリエの感触はタオルの触感しかしない。湯船の中であればもう少し伝わるのかも知れないが、非常に悲しい。

「あー楽しかった!」

「アセロラさ、あんまりリーリエをからかわないで……」

「じゃあ次はユウケかな?」

「駄目です」

 まあまあ、とリーリエの髪を撫でる。小さくリーリエが身体を震わせる。それにしても、身体はもう温まったはずなのに体感温度はどんどん下がるのが不思議でならない。現実から目を背けながらあたしはそんなことを考えた。

 

 風呂から上がり、寝間着代わりの黒シャツ(The Afterimageのシャツ)とハーフパンツを履く。「黒ずくめでゴーストタイプのトレーナーみたい」と笑われてしまった。ゴーストタイプのトレーナーというと、オカルトマニアのローブのようなものかとばかり思っていたが、そう言われればそれっぽいかもしれないな。

 

 ロビーに戻ると、子供達と施設にいるポケモン達がテレビにかじり付いている。何を見ているのかと思ったら、世界的人気ドラマだ。マサラタウン出身の若きトレーナーが世界中――といっても連邦内だけだが――を巡り「ポケモンマスター」というよくわからないものを目指すもの。ポケモン回りの考証が事実とは異なるのだが、あたしを含む大体の子供はポケモンへの興味をここから得る。二年ほど見ていなかったので忘れてしまったが、今の主人公役俳優は七代目だったか、八代目だったか忘れてしまった。このドラマのロケ地に選ばれると観光客が激増するらしく、地方政府からの誘致工作も凄まじいらしい。

 

 テレビが終わってしばらくあたし達とあたしのポケモンと遊んでいて、まだまだ遊びたがる子供達を、本――『オズの魔法使い』で意気地無しのカエンジシが仲間になる辺りまで――を読んで寝かしつけてから、そっと布団を抜け出してロビーに向かう。人付き合いがあまり得意でないあたしには中々疲れる試練だ。無人で非常灯だけが灯った薄暗いロビーで、一番端のテーブルを占拠してサイコソーダレモン味無糖の缶を開け、人工甘味料と炭酸を喉に流し込む。酒を買いに行くには遅い時間だし、エーテルハウス内の自販機には当然酒は無かった。

 ジュースを飲み終える頃に、ひたひたと足音が聞こえてそちらを見やると、リーリエだった。白を基調としたパジャマなのは同じだが、昨日とはまた違うものだ。ピッピらしきポケモンのシルエットがあしらわれているのが少し意外だが可愛い。あたしは隣の椅子を引いてリーリエを向かい入れた。枕元に置いておくつもりだったおいしいみずを勧めるが、彼女は首を横に振った。

「リーリエ、大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。アセロラさんも悪気がないのはちゃんとわかってます。さっき、アセロラさんともお話をしてきました」

 でも、と彼女は続ける。

「どうしても不安になってしまうのです。ユウケさんが離れていってしまうのではと。わたしはおかしいのでしょうか?」

 悲しげに目を伏せて呟く彼女に、あたしは大きく首を横に振った。

「おかしくないよ。あたしだって不安になったりするし、何て言ったらいいのかな。あー……あたしが言うとあんまり説得力無いけど、上手いこと制御するしか、って感じかな」

「はい。そうですね。ユウケさん、わたし、悪い人になってませんか。嫌いになったり」

「なってないし、なったとしても、嫌いにならないよ」

 遮ってまで言ってしまったが、本音だ。少しは落ち着いただろうか。薄暗がりで小さく微笑む彼女が愛らしく、あたしは彼女を自然と抱き寄せていた。

「お休み前のキス、してください」

「うん……」

 柔らかな唇と、彼女の甘い吐息を堪能している最中に、あたし達を見つめる六つの目に気付いて驚愕した。よくよく見ると、アセロラと彼女のポケモンだろうゲンガー、ミミッキュだった。しー、というポーズを取りながらにこにこと笑う彼女達。これはこれで、頭が痛いかもしれないと思いながら、一瞬逸れた意識を目の前の愛しい恋人に向け直した。




ぽぐさわさんにユウケとバンギラスを描いて頂きました。
非常に凜々しくて格好良いです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/pgsvv/
https://www.pixiv.net/member.php?id=6782896

The Afterimage - "Cerulean"
https://www.youtube.com/watch?v=2AHFY3X_ZU4
今月末来日です。

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