負け犬達の挽歌   作:三山畝傍

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負け犬、人工島へ行く

 エーテル財団所有の連絡船は、小型だがよく整備された綺麗な船だった。乗員は船員を除けばあたしとハウ君、ザオボー支部長だけ。支部長というのはどれくらい偉いのか、と不用意な質問をしてから、どこからどこまでが事実なのかわからない自慢話に付き合わされるまではだ。結局よくわからなかったが、この男が自己顕示欲と出世欲の権化だということはよく伝わってきた。何とかエーテル財団の活動に軌道修正を試みたが、自慢率が十割から七割、財団の活動が三割になっただけだった。財団の活動の内容にしろ、うんざりする程空っぽだ。このまま下らない話を聞かされ続けるのだろうか。ハウ君はすっかり船を漕いでいる――といっても、この船がガレー船だとか、そういう話ではない。あたしも寝ているハウ君を見ていたら、眠たくなってきた。

「失礼、少し船に酔ってしまったみたいです。後ろの、空いている席で横にならせてもらっても?」

「ええ、ええ、いいですとも!」

 でたらめもいいところで、内燃機関付の乗り物では一度も酔ったことがないのだが、普段からこの世の終わりの二日前みたいな顔をしていると評されるあたしの顔が珍しく役に立ったのか、あるいは、この男も別にあたしに興味なんてものはないからかもだが、あっさり信じてもらえた。あたしは後ろの二人掛けの席を占領して横たわる。瞼越しにもアローラの陽光と、海からの照り返しが突き刺さる。小さく呻いて、黒いタオル(Opethロゴ入りタオル)を取り出し顔にかける。日光を浴びながらまどろむのは好きだが、少しこの昼前の日差しはきつすぎる。船の振動と潮の香りが心地よい。半分寝ているハウ君に返事を求めずに自慢とも説明とも独り言ともつかない話をし続ける支部長氏の声をBGMに、あたしの意識は暗闇に引きずり込まれた。

 

 ここはマサラタウン。マサラは真っ白、虚無の色。うんざりとしたほど見覚えのある景色。遠くに見えるはげ山は相変わらず除染だけされて放置されたクレーターを恥ずかしげもなく晒している。学び舎と我が家の間にある公園だか広場だかなんだかわからない場所で、あたしにちょっかいを出し続けていたいじめっ子の同級生男子が、いたずらの一環として家から持ち出してきたラッタをけしかけてきたのだ。ラッタはあたしを睨んでいる。十歳になっていない、つまり未成年でポケモンを携行していないあたしは、恐怖でへたり込む。下半身が生暖かくなった。遠巻きに同じような恐怖の表情を浮かべて見守るというか、眺めている上級生や下級生にそれを笑うものはいないし、割って入ろうとする勇敢なものもいない。当然だろう。大人であっても、ポケモンを持たずに敵対的なポケモンに遭遇すれば死んでも不思議ではない。ましてや、小さなあたしでは、抵抗する間もなく首を噛み切られて死ぬ。教科書の詰まった鞄を投げつけるが、当たり前のように躱された。恐怖に怯え、あたしは周囲を見渡す。右側、上級生の持っているバットを目にし、自分でも驚くような勢いで跳ね上がり、罪のないその人からバットをひったくった。絶叫し一切の躊躇なくラッタにバットを振り下ろす。躱された。振る。躱された。振る。掠めた。叩きつけた。頭にもろに当たり、柔らかいような堅いような何かが割れる気味の悪い感触がバット越しに伝わってきた。だが、まだ動いている。怒ったような戸惑うような目でこちらを睨んでいる。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。ぜえはあと何かがうるさい。あたし自身の呼吸器が獰猛な動物か、さもなくば壊れた空調機械かのような音を立てている。粘り着く何かが顔に、腕に、体にまとわりついて気持ちが悪い。いじめっ子が他のポケモンも持っているかも知れない。動かなくなったラッタから振り上げるように躊躇なくそいつにバットで殴りかかる。避けきれなかったのか防御しようとしたのか、左手首に当たり何かが砕けるような手応えがあるが、まだだ。まだこいつは動いている。少なくとも、動かないようにしないと。情けない悲鳴をあげて鞄を放り出し逃げる奴の頭めがけ全力でバットを叩きつけた。背中をかすめる。奴はあたしより足が速い。バットを投げつけるがかすりもせずにどこかに飛んでいってしまった。

 そこからどう帰ったか覚えていない。玄関に座り込んで泣きじゃくっていたのを仕事から帰ってきた母に見つかったところから、あたしという生き物は外部の観察を再開したらしい。顔中が血まみれ、下半身も失禁の跡があるあたしを見て、母が最初に疑ったのは性的暴行被害だったそうだ。泣きそうな母に事情を正直に説明したら、まずは病院に行くことになった。マサラに夜間診療なんて気の利いたものはないので、トキワだ。母は冷静さを取り戻したらしく、あたしの写真を撮ってから、服を着替えさせ、下半身だけ綺麗に拭いてからポケモンに乗せてくれた。普段は嬉しい『そらをとぶ』だが、このときは全く嬉しくなかった。引きずり込まれた病院では、外傷なしということで、ようやく一安心したらしい。

 父が帰ってきたら一緒に警察に行こうと、再びポケモンで帰宅したところで、件のいじめっ子とその母親が家の前にいた。季節は冬でもないのに顔面蒼白で立ち尽くしている。

「何か、ご用ですか」

「この度はまことに息子が申し訳ありませんでした」

 当事者なので神妙な顔をしておかないといけない、と思っていたが、あたしには全然理解できない話が続いていた。最終的に警察に一緒に行くことと、示談交渉は弁護士を通じて行うことになったらしい。話が終わるのを待っていたかのように帰ってきた父に母が再度事情を説明し、マサラの交番に父・母・いじめっ子母・いじめっ子・あたしの五人で向かった。

 交番に入るのは初めてでちょっと興奮したが、大人達の雰囲気がはしゃぐことを許してくれなさそうなので、あたしは神妙な顔を保っていた。普段は挨拶するだけのお巡りさんに内容を説明するのは苦労したが、何とか伝わったらしい。あたしの証言をお巡りさんが確かめ、バットの持ち主だったはずの上級生やトキワの警察署やらあちこちに連絡し、書類を作っている間、あたしは興奮の揺り戻しか泣き疲れたせいか、まだ暗くなったばかりなのに眠たくて仕方がなかった。

 

 他の町はどうだか知らないが、マサラタウンの小学校は集団登校だ。町の端から生徒が時間通りやって来て列に合流していく仕組み。町の中であっても、野良のポケモンはいるし、大勢であれば小さなポケモンは近づいてすら来ないので合理的ではある。既に昨日の話が出回っているのか、普段あたしが手を引いてやっている下級生が怖がって近づいてこないので、あたしは久々に一人で歩いていた。ひそひそと噂話をしているのが聞こえる。集団の中の孤独というのを、あたしは久々に思い出していた。群れは群れであって、仲間でも友達でもないのだなと。

 マサラは真っ白、過疎の町。学年別の教室などというものはない。一年生から五年生(カントー地方は十歳で成年なので、十歳の誕生日が来る年度まで小学校に通学する)までが一つの教室で勉強をするのだ。退屈極まりない授業中はまあどうでもいい。休み時間は昨日の噂で持ちきりだった。元々、あたしは友達というべき人物をほとんど持たない。かといって、あたしにちょっかいを出してきていたのは件のいじめっ子一人だけだったので、そいつが蒼白な顔をして座っている以上、遠巻きにされるだけだった。つまりは、いつも通りということだ。あたしは学校の図書室で借りた本、タマムシ大学の『海洋ポケモンの生態学』を開いた。本のリクエストは滅多に通らないので嬉しい。

 

 何日か後、未成年のやった初犯だったからかあるいはちゃんと示談が成立していたからか、件のいじめっ子は不起訴になったと聞いた。あたしはたくさんの本と、伸び縮みする警棒を買ってもらえて嬉しかった。ラッタは生きており、いじめっ子は左手首が折れていたらしかったが、後者はどうでもよかった。あれだけ殴っても死なないポケモンという生き物にさらに関心が強くなった。

「お前は強い子だ」

 父は嬉しそうな、でもちょっと複雑そうな顔であたしの頭を撫でた。

 

 自分の喉が鳴る音で夢から現実に戻ってきた。まだ船は止まっていないらしい。エンジンの重低音が微かに体を震わせる。ペットボトルを開けて水を一口飲んで、粗相をしてないか確認してから寝直すことにした。黒いタオルは遮光性はいいけど、日光で熱くなるな。船内は冷房が効いているからよしとしよう。夢見が悪くて疲れる。再び意識を投げ出す。

 

 あたしは本が好きだった。三歳の頃、母が平仮名と片仮名を教えてからは、毎日何かの本を読んでいたといっていい。一番好きな本は『フルカラー ポケモンのなぜなにふしぎ大図鑑』だった。父母の蔵書は大したことがなく、かといってマサラタウンに図書館などという気の利いたものはなかった。母がトキワの図書館で図書館カードを作ってくれてから、週末は母に連れられて朝図書館に行き、母の買い物が終わるまで借りる本を品定めし、帰ってからはそれを何度も読むという生活だった。他の子供は外で遊んでいるが、あたしは外より本を好んだし、父母もそのうち飽きるだろうと気にしていなかったのだ。

 初めてその生活が破られたのは、幼稚園に初めて通園する日だった。人見知りを熟成するのには十分な年月があったし、外で知らない誰かと触れ合ったりするなんて、あたしには未知の恐怖そのものだった。絶対に幼稚園に行かないとギャン泣きし、父にしがみつき、柱にしがみつき、玄関にしがみつき、幼稚園前では母の自転車にしがみついた。幼稚園に入っても、あたしは誰とも喋らず、絵本を読んでいた。幼稚園の蔵書ときたら本当に絵本しかなく、あたしは三日目にして子供用の本を読み尽くしていた。人見知りで恥ずかしがり屋の子供の面倒をつきっきりで見てくれる先生などというものは当たり前だが存在せず、気にして声をかけてくれる子にも返事をすることができなかった。自由に遊んでらっしゃい、と言われてもしたいことなんてなにもなく、ジャングルジムは落ちそうな恐怖で一杯だったし、ブランコの列に並ぶ度胸もなかった。砂場を掘ればポケモンが見つかるかも知れないという天恵が、あたしを砂場の住人にした。誰とも喋らず穴を掘っていたが、次の日になると穴が埋まっているのが不思議でならなかった。毎日毎日砂場に穴を掘り、埋め戻されているのに不思議を感じる愚かしい子供だったのだ。

「ユウケは、幼稚園で何して遊んだ?」

「穴を掘ってた」

 この問答が一週間ほど続いて、母は不審に思ったらしい。あたしを迎えに来た時に、母は先生に尋ねたそうだ。そして先生はこう言った。

「なかなかお友達ができないみたいです。ただ、砂場に穴を掘るのが好きみたいで。毎日埋め戻しているのですけど、楽しそうです」

 それを聞いて、あたしは物凄い癇癪を起こした――らしい。この辺り、全く記憶が無いのだが、薬缶が沸騰するような声で泣いて喚いて、もう幼稚園に行かないと宣言したとか。結局、母になだめすかされ二年通ったのだが、ただただ面白くなかったという記憶しかない。強いて言えば穴を埋め戻した先生が翌年に異動し、新しく来た先生(もちろん女性だ)に初恋をしたくらいだろうか。

 

 小学校に上がる時に、あたしはまた行きたくないと泣きわめいた。人間関係を構築できないながらも通い慣れた幼稚園から、未知の場所に行くのが嫌だったのだ。人が怖いのは、どうも諦めるしかないらしいという学習はできたものの、知らない人はやっぱり怖いに違いないというのも拍車をかけた。幼稚園の卒業自体は何の感慨もなかったが、小学校に行かないといけないというのが嫌で嫌で堪らなかった。母の殺し文句「小学校にも図書室がある」に騙されたようなものだ。

 初めての小学校登校の時には、最年少として最年長の児童があたしの手を引いてくれたのだが、ずっと無言で通した。クラスの自己紹介で先生に促されて渋々名前を名乗るまで、幼稚園であたしを知っていた子以外は、誰もあたしの名前を知らないくらい黙りだった。最初の休み時間はトイレと図書室を探すことに費やし、次の休み時間は自分の持ってきた本を読み、昼休みと放課後はようやく開いた図書室に入り浸る。愛想も可愛げも言葉も無い子供に話しかける奇特な子も何人かいたが、あたしの反応が芳しくなかったからか、その子達も離れていった。それでいいと思った。静かに本が読めるのが一番だから。

 とはいえ、何日かするとどうも全く人付き合いがないと何かしらの問題のようなものが生じるらしいというのが漠然とあたしにも理解できた。初めての体育の時間に「二人組を作ってください」というアレがあったからだ。体育なんてものを全く知らないあたしは、誰からも誘われないことは戻って本を読んでいいということだという都合のいい理解をした。

「先生、教室に戻ります」

「ユウケさん、待って!」

 首を傾げる。二人組が成立しないならば、私は参加する必要がないのでは、と信じ切っていたからだ。結局その日は先生と組んで前で体育の授業を受けることになり、恥ずかしかった。こんなことなら何も言わずに戻ればよかったと思った。

 何日かして、我が家に家庭訪問があった。担任――といっても、教師はこの先生しかいないのだが――の先生がやって来て、難しい顔で話をしていたのを覚えている。

「読書を好むのは大変いいことですが、ユウケさんは他の子と付き合いをないがしろにしてしまうところがありまして」

「本を読めないなら行かない、と泣き喚くので、本を取り上げるわけにもいかないので」

 その日の夜、何だったか、お説教をされた気がする。人に話しかけなさいだとか、人と会話しなさいだとか。今まで本を読んでいて褒められこそすれ怒られたことのなかったあたしは仰天した。しかし、泣いても喚いても柱にしがみついても結局学校に行かされるのだから、ともかく母が期待していることをやるしかないと思った。あたしは渋々、口を開いた。

「それで、誰と、どうやって、何の話をしたらいいの?」

 母は驚愕したらしい。そんなことは考えたこともなかったと。

「そ、そうね……好きな本は何ですか、って聞いてみるとか?」

 その頃あたしが読んでいた本は、既に小学校高学年以上向けの本ばかりだったから、本の話で誰かと意気投合しようとすれば、上級生しかない。図書室には本を読みに行っているのだから、あたしなら絶対話しかけられたくない。図書室にいる人を覚えて話しかけるしかないか。

 

 結局、上手くはいかなかった。わがまま放題だったあたしは、初めて親と周りの大人の期待『周りの子供と仲良くなってほしい』というものを意識し、それに失敗したのだ。だが、あたしを一人にした濫読癖が、高学年になってからあたしを救った。教科書も本のうち、と何年も前に読み終えていたからか、授業中にずっと先の方まで読んでいたからか、学業の成績は非常によかったのだ。そうすると、宿題を写させてほしいだの勉強を教えてほしいだのという取り巻きや友人らしきものができた。あたしが提供するのは、時間と労力、知能で噛み砕いた知識や知恵、その結果物。彼ら彼女らが提供するのは、あたしの孤独を隠すための偽装(カバー)と、あまり当てにならない応援。人間関係はギブアンドテイク。人間という生き物は自分の与えたものは大きく見え、受け取ったものは小さく見えるという心理学の研究結果を知っていたあたしは、惜しみなく与え、それほど受け取らなかった。

 その頃になるともう小学校の図書室の蔵書で興味のあるものはほぼ読み尽くし、後はトキワの図書館だけが頼りだった。

 

 小学校の蔵書に期待しなくなり、ラッタをけしかけられる事件があってから、あたしはますますポケモンに興味を持った。厳密に言えば、元々生物としてのポケモンに興味があったのが、ポケモンバトルにも興味が湧いた。あれだけ殺しにくい生き物を殺す手段。厳密に言えば瀕死であって死んでいないのだが。世界リーグ戦のテレビ中継に釘付けになるあたしを見て、微笑む両親。

「まるで男の子みたいね。でも、本以外に趣味ができてよかったわ」

「最近は女の子のトレーナーだってたくさんいるじゃないか」

 そう、あたし自身が戦闘に強いポケモンという、殺しにくい生き物を殺す手段を手に入れればあの恐怖から遠ざかることができるのではないか。人間という生き物の悪意。ポケモンという生き物の脅威。そのヒントを見つけるため、今日もあたしは目を皿のようにし、実況解説に耳を傾けていた。

 

 小学校最後の学年、進路相談。

「ユウケさんは素晴らしい成績です。入学してから今まで、ずっと首席ですからね」

「ありがとうございます。本ばかり読んでいて、体育のほうは心配なのですが……」

「体育は確かに、平均より少し下というところでしょうか。ですが、体格もありますし、そこまで悪いわけでも……」

 進路希望票なるものも提出しているし、親と教師の会話だけならもう帰りたい、と思っていた矢先。

「ユウケさん、進路希望票を見ましたが『ポケモントレーナー』でいいのですか?あなたの成績なら中学校もかなりいいところを狙えると思いますが」

「そうよ。うちは一人っ子だし、二人とも働いているから、勉強したいなら高校くらいまでは大丈夫なのよ」

 勉強はしたいし、例えばポケモンの生態研究なんかはすごく興味がある。だが、同時にこれ以上の人間付き合いは御免蒙る気持ちで一杯なのだ。一人になりたい。口を開けばやれ誰々君が格好いいだの、お洒落がどうだの、型にはまったような同じ事ばかり。もっと踏み込んだ話題を振ったりすればあるいは違ってくるかもしれないが、あたし自身にそんな能力も意思もない。それに、成績がいいのは単に予習復習をきっちりやっているからであって、特別に頭の回転が早くないことは自分が一番熟知している。

 トレーナーとして一人で旅をして、身を立てられそうでなおかつ学校に行きたければ後で行ってもいい。箸にも棒にもかからないなら、それまでの人間だったということだ。

「ポケモンの授業には特に熱心ですし、ご本人の意思が何よりですから……」

「家でも、ポケモンバトルの実況中継をよく見ていますし、本人の希望を優先しても……」

 マサラタウンには高等教育(中学校以上)機関は一つもない。働き口もほとんどないから、小学校卒業者のうち大体半分はポケモントレーナーとして町を出ることになる。今年の卒業者は確か六人だかそこらだから、単純に考えれば三人、おそらくそれ以上の人数が今年もトレーナーとして旅立つことになる。オーキド博士という偉大な研究者が研究機関を構えているからでも、レッドというマサラ出身の素晴らしい戦績を残したトレーナーが輩出されたからでもなく、単にこの町が貧しいからだ。

「勉強したくなったら、帰ってくるから。その時はお願い」

「わかったわ。あなたのしたいようにしなさい」

 保険をかけておくのも忘れない。ポケモントレーナーとして身を立てようとして、本人の希望しない仕事に就いたり、もっと酷い場合は街娼や犯罪組織(カントー地方だけではないが、いまだに復活を旗印に活動している元ロケット団の他、山のように犯罪組織がある)に身をやつす人間は多い。あたしは自分の才能なんてものに期待していないから、予防線を張っておかないと何もできない。昔、母に連れられて行ったニビシティで見た「1回1,000円」という看板を持った、今のあたしくらいの女の子を思い出す。あの時は何のことだかわからなかったが、今ならわかる。こんな時代に両親が揃って働いているだけでもありがたい。だからせめて大成しないならしないで自分に早く見切りをつけないといけない。

 

 卒業式はまだ肌寒い時期だった。大した感慨もなく、あたしは校舎を眺める。もう来る事もないだろうな。本は返してあるし、忘れ物もなかった。周りの卒業生(六人で合っていた)のうち何人かは泣いているが、あたしは思い入れのないもののために泣けるほど器用な人間ではない。

「な、なあ、ユウケ!」

「大声出さないで。聞こえてるわ」

 あたしに声をかけてきたのは、例のいじめっ子男子だった。当たり前だが、同級生だから今年卒業なのだな。あまりにどうでもよくて忘れていた。

「話したいことがあるんだ。校舎裏に来てくれないか?」

「嫌よ。ここでできない話なの?」

「そ、そうなんだよ」

「聞きたくないわ」

 卒業生も在学生も、あの事件を知っている生徒は皆頷く。

「じ、じゃあさ」

「手短に言って」

 聞いてやるだけ優しいと思え。別れの餞別というところだな。

「あの時は、本当にごめん!許してくれ!」

 そう、こいつは示談が成立してからも家に謝りに来たのだが、あたしは未だに許すという言葉を口に出していないのだ。単に許す必要を全く感じないからというだけだが。

「お前、トレーナーになって来週から旅に出るんだろう?」

「そうよ。それが?それと、お前だなんて呼ばないで。馴れ馴れしい」

「あ、あのさ、俺もなんだ。一緒に行かないか?」

「嫌」

 下らないことを、と眺める。あたしは一人になりたいから旅に出たいのだ。何を好き好んで、しかもよりによってこいつと行かないといけないんだ、という思いをたっぷり込めてそいつを睨んでいると、理由を知りたくて見ていると勘違いしたらしい。そいつが口を開く。

「お、俺!ずっとお前の事が好きで!それでさ!」

「あんた、好きな女にポケモンけしかけるわけ?」

「だ、だから!ラッタに何もさせなかったじゃないか!」

 あまりの馬鹿さ加減に涙が出そうだ。そうか、野生のポケモンなら命令なんかなしに襲うか、逃げるかするものな。ラッタはトレーナーの命令がなかったから避けて殴られるだけだったのか。可哀想に。あれがあたしの実力ではなかったということと、馬鹿なトレーナーに操られていたポケモンへの同情をあわせて深く溜息をついた。

「ラッタに謝るんだね。馬鹿」

 この時のあたしは、名前ももう忘れてしまったこいつを単に気持ち悪いとしか思わなかった。今なら、両足の骨を折っておくくらいしておいたと思う。ただ、あの空気であんなことを言い出す根性だけはいまだに凄いとは思っている。

 

 つきましたよ。つきましたよ。ついたよー。何がだ。射突型ブレードがか?04-MARVEか?あれは整流用であって銃剣ではない。

「ユウケー、エーテルパラダイスだよー!」

 そうだった。あの忌々しくも懐かしいマサラの夢。タオルを取り、身を起こす。ごきごきと首が鳴る。

「体調は大丈夫ですか?」

「ありがとうございます。おかげさまで」

 夢見が悪くて少し疲れたが、あたしの場合夢といえば大抵悪夢の類なのだ。誰がどうこうというわけではない。

「あらよっと!」

「ヨットだけに、ですか」

 アローラの駄洒落、あたしにはわからないな…。ありがたくない夢から、ありがたくない現実へ。

 

 メガフロートだから島より揺れるなんてことはもちろんなかった。白基調に清潔感を強調した施設。

「ポケモン保護のために、最新の技術をつぎ込んでおります。地下ではポケモン保護のために新しいモンスターボールを開発していたりもします」

「新しいモンスターボールを?それはまた……」

「それってすごいのー?」

「ええ、すごいですとも!」

 新型のボール開発なんてものはとんでもないカネがかかる。製造もここでやるのだろうか。ガンテツボールのような手作りのボールも尋常でない値段だが、新規設計の量産となるととんでもない額のカネが動くはずだ。この施設自体も目を剥くほどカネが注ぎ込まれているだろうが。

「まあ、エーテルパラダイス内ではモンスターボールは使えませんがね。ボールの捕獲機能を封じる妨害電波を出しておりますので」

 三角のエレベーター、床面積が減りそうだ。何か意味があるのだろうか。などとやくたいもないことを考えていたら、眼鏡の女性が下りてきた。柔らかい表情、優しそうな顔の美人だ。こうでなくてはこんなところまで来た甲斐がない。美人が口を開く。

「ザオボーさん、その方々ですか?」

「そうです。私はアーカラ島でのポケモン保護活動について代表に報告してきますから、この子達を案内してから、代表にお連れするように。それと、私の事は肩書きで呼ぶように。すごさが伝わりませんからね」

「はい、支部長」

「それでは、しっかり見学していってください」

「はーい!」

「どうも」

 ザオボーさんがエレベータで上がると、美人とあたしの口から同時に溜息が漏れた。くすりと微笑む美人。

「失礼しました。ビッケと申します。ようこそ、ユウケさん、ハウさん」

「はじめまして」

「アローラー!……って、何で俺達の名前知ってるのー?!」

 肩書付の人間がわざわざ連れてくる客を、事前に連絡してない訳がないだろうと思ったが、アローラはなんだかのんびりしてるからそういうこともあるのかなと黙っておいた。

「アーカラ島の職員から聞いていますから。ところで、お二人は島巡りをされているということは、十一歳なのですか?」

「そうだよー!十一歳になったら、やりたかったら島巡りに挑めるんだー!本気のじーちゃんに挑むために、島巡りをまずは楽しむんだー!」

「あたしはカントーから引っ越して来たので、十二歳です。余所者が馴染むには、通過儀礼をこなすのが一番かなと思いまして」

「そう、ですよね。皆さんくらいになれば、ご自分の考えで行動されますよね。トレーナーはポケモンの親ですし」

 どことなく寂しげな表情をするビッケさん。ここにはいない誰かの話だろうか。若く見えるが、案外子供がいたりするのだろうか。カントーだと三十歳で祖母という場合もあるので、何ともいえないな。そういえば、アローラだと何歳で結婚できるのだろう。

「では、一階受付……は見ていただいたらわかるとおり、受付ですので、保護区を案内しますね。ポチッとな」

「保護区ー!」

「カネのにおいがする……」

 広大な緑、水流、海辺を再現した快適な環境。天井が高い。ポケモン動物園か水族館として入場料をいくらか取れそうなレベルだ。あたし達の反応に苦笑いするビッケさん。

「ユウケさん、カントーから来られたのですね。私も昔はカントーを旅していたのです。ここではスカル団に襲われたポケモンや、サニーゴなど天敵の多いポケモンを保護しています」

 サニーゴの天敵というと、確かドヒドイデやその進化前のポケモン、ヒドイデだったか。

「自然には厳しい一面もあるってじーちゃん言ってたしなー。エーテル財団で、全部のポケモンを守れるのー?」

 なかなかずばずば歯に衣着せぬ言い方だ。

「自然のバランスもありますから、人がどこまで関わるか難しい問題ではあります」

「生物に一番影響を及ぼすのは人間の活動だし、ね」

「エーテル財団は何でアローラに来たのー?」

「さあ。代表は何を考えているかわかりにくい方ですから。代表のルザミーネは保護区におりますので、ご案内します」

 トップダウンで、あまりトップと現場の意思疎通が上手くいっていないようだな。あまり就職したくはない団体だ。むこうも別にあたしみたいな人間は必要とはしていないだろうが。

 

 ビッケさんも美人だが、案内された先にいたこの人もとんでもない美人だ。美しいプラチナブロンド、意思の強そうな瞳。どことなく、リーリエに似ている気がする。

「愛おしいポケモン達。あたくしが深い深い愛で守ってあげますからね」

 こんな美人ばかりの職場ならいいかもしれないな、などと下らないことを考える。インスティチュートっぽいから気にくわないと言っていたが、美人が多ければ許されるのだ。

「代表、お連れしました。ユウケさんとハウさんです」

「ご苦労様」

 ふくらはぎからお尻のラインが本当に美しい。美人は立っているだけで様になるな。

「ユウケー、よだれ出てるよー」

「えっ」

 慌てて口元を拭う。出てなかった。ハウ君を睨む。してやられた。

「……そんなだらしない顔してた?」

「うん」

 寝起きで油断していたかな。気をつけよう。

「ユウケさんにハウくんね。エーテルパラダイスへようこそ。わたくし、代表のルザミーネ。お会いできて嬉しいの。あなた達のような人もいれば、ポケモンを傷つけたりお金儲けの道具にする残念な人達もいる」

 完璧な笑顔だ。言葉を句切り、真剣な表情に。

「ですから、わたくしが可哀想なポケモン達の母となり愛情を注ぎ込むのです。アローラから遠く離れた世界にいるポケモンであっても、愛してあげるの」

 完璧な笑顔だが、どこかぞくりとする雰囲気。それだけ真剣味がある、ということだろうか。

「ルザミーネさん、若いのにすごいなー!」

「もう!ハウくんったら、お上手ね。わたくし、四十歳を越えてるのよ」

「えっ?!」

「へえ」

 飛び上がりそうになるあたし。

「って、えっえー?!」

 飛び上がるハウ君。これで四十過ぎとか犯罪だろう。クスクスと笑うルザミーネさん。

「それにしても、あなた達、ファッションが少し地味ね。今度、あたしが似合う服を選んであげる」

 ハウ君は地元民の普段着という感じだし、あたしもアウトドア用の頑丈さと快適さ以外完全に無視した服装なので、それも悪くないかも知れない。白はあたしには似合わないが、彼女の服装を見ると、白好みなのだろうな。

「ええー?ルザミーネさんみたいなの、リーリエにしか似合わないよー!」

 リーリエの名前を出した時、一瞬ルザミーネさんとビッケさんが驚いたような気がする。やに下がっている場合ではないな。ハウ君に口止めしておくべきだったか。しかし、口止めしたから逆に勘ぐられて、となっても敵わないしな。

「安心なさい。全てわたくしに任せればいいの。子供は大人の言うとおり……それが、幸せの近道です」

 あたしはもう成人しているし、大人でも間違えることはしょっちゅうある。もっとも、ここで彼女と議論するつもりはない。それよりお茶でも、と口を開きかけたとき。

 施設がずしんと揺れた。メガフロートの構造上、今のような突き上げる地震は確かに影響がある、はずだが。

「今の揺れ……地下からでしょうか?」

 地下、水面下か。

「まさかとは思いますけど、発電設備が吹き飛んだとか?」

「それは多分ですが……」

 首を振るビッケさん。びしりと何かの音が、会話を遮る。何もない場所に裂け目が――これが、空間の裂け目か。裂け目はみるみる開き穴になり、ドククラゲを脱色したような何かが飛び出してくる。

 ルザミーネさんだけが、一歩前へ出る。

「あなたが、遠い世界の?」

 出てきた何かは、もちろん答えない。いや、何か反応している。ハウ君がルザミーネさんの手を引いている。何かが不味い。どう見ても好意的な反応ではない。あたしは、ルザミーネさんの前に出た。

「なんか普通じゃないよー!さがろー!」

「可哀想に」

 あたしはボールに手をかけた。

「み、見たことないポケモンロトー!ユウケ、気をつけて!」

「こいつ、ポケモンなのか?」

 ルザミーネさんは下がる気配無し、か。とにかく、こいつはやる気らしいからボールを投げた。

「ハガネール、任せる!」

 触手が何となく毒っぽい、という山勘だ。

 

 幸い、恐らく岩・毒タイプだったのだろう。ハガネールで難なく追い払うことができた。テレポートか何かで消えるポケモンらしき生き物。あたしは舌打ちする。

「仕留め損ねたか。また来たら厄介だな」

「やはりあの子が必要ね……」

「ルザミーネさん、ユウケ、大丈夫ー?」

 頷くルザミーネさんとあたし。

「ウルトラビーストは初めてか?」

 言葉に振り返る。コスプレイヤー二人。ダルスとアマモ。

「空に開く穴を今見ただろう。ウルトラホールの向こうにあるウルトラスペースに暮らす謎の生物だ」

「空間に開く穴がウルトラホールで、その先がウルトラスペース?アローラに伝わる、怖いポケモンが出てきた伝承の一端ってこと?」

「そうだ。ウルトラスペースの先、我々の世界には光がなく、闇に包まれている」

「えー、何、その格好ー?!」

「ウルトラ調査隊の皆さんよ。わたくしたちにウルトラビーストのアドバイスをしてくださっているの」

「また会ったな。島巡りの者」

「ウルトラ調査隊は、ウルトラホールやウルトラビーストについて調査研究をしています。ダルスが隊長で、あたしがアマモ」

「かつて我々の世界はこちらと同じく光り輝く世界だったが、暴れ狂うポケモンであり光を与えてくれる存在、ネクロズマが光を与えてくれなくなった。このままでは、こちらの世界の光をも奪いかねない」

 我々の世界とこちらの世界。異世界から来たということか。冗談はコスプレだけにしてくれよ――という雰囲気では全くない。ダルスはいつでも大真面目だし、アマモも軽いとはいえ、冗談を言っているわけではなさそうだ。

 ルザミーネさんが一歩前へ歩み寄る。

「大丈夫です。アローラの光を守るために、エーテル財団は備えているのよ。ですから、あなた達は安心していてね」

 環境保護団体の守備範囲を広げれば、そうなるのだろうか。いかんな、あたしは美人に甘い。どうも、何かがおかしい気がするのだが。ボンクラの勘はあまり当てにならないし、今つつく根拠は何一つない。それでも、あたしはくさいと思っている。動機が見えないからだ。愛なんてものが大組織の動機になるとはあたしは思っていない。トップダウンのこの組織なら有り得るのか?ともあれ、やはり注意が必要だと思った。

「ビッケ。お二人は島巡りの途中でしたね。次の島までお送りしなさい」

「はい」

「わたくしは、保護している愛おしいポケモン達が無事なのか確認します。地下で何があったのか、ザオボーにも確認しないとね」

「恐らくですが、ウルトラホールを開ける実験が上手く行かなかったのでしょうが……。では、行って参ります」

 気になる事が多すぎる。ウルトラホールを開ける実験自体は、わからなくもない。向こうからは殴れるがこちらからは殴れないという状況は主導権を一切得られない。後手に回っては負ける。だから先に穴を開けて殺す、ということだろう。多分。

 あ、ルザミーネさんが手を振っている。笑顔に誤魔化されそうだ。静まれ、あたしの下心。

「でもー、別世界の人と会うなんて、驚きでいっぱいだねー!今度、バーネット博士に教えてあげよーっと!」

「あたしはただのコスプレイヤーだと思ってたよ。あいつら……」

「そう言ってもらえてよかった。私達も驚きましたから。そうそう、お会いした記念に、マラサダと技マシンを差し上げます」

 ビッケさん癒やしだな。ありがたくいただくことにした。

「大きいマラサダー!ありがとー!こういうの、みんなで食べるともっと美味しくなるから不思議だよねー!」

「ええ。食事は家族みんなで食べるのが一番ですよね」

「ありがとうございます」

「あなた達の島巡りが、素敵なものでありますように」

「ありがとー!」

「ありがとうございます」

 手を振ってくれるビッケさんに、あたしは頭を下げ、ハウ君は手を振って、次の島、ウラウラ島行きへの連絡船に乗り込んだ。

 

 行きと違い、帰りは結構混み合っていた。エーテルパラダイス、あたし達以外の見学者もそれなりにいたからな。

「あー、すごかったねー!別世界のポケモンに、別世界の人にー!次の島もきっと、すごいことがいっぱいあるよねー!」

「そうだね。美人多かったね」

「えっそっち?!」

「ウルトラホールも確かにびっくりはしたけど、美人の笑顔が最優先だよ」

「ユウケはある意味ぶれないなー。あー、お腹空いちゃった。マラサダ食べよー」

「ハウ君もね。あたしも食べるかな……」

 もらったマラサダは美味かった。美人の笑顔に加えて美味いものか。口封じには高すぎるかもしれないな。


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