「不人さん、あーん」
「かたじけない、幽々子殿」
幽々子殿が口に運んできた菓子を口にし、咀嚼する。そんなそれがしの姿を見つめながらニコニコと笑う幽々子殿の姿は、いつも以上に魅力的であるが、今日はどうにも落ち着かない。さて、どうしたものかと落ち着かない原因の方へとチラリと目を向ける。
「……
「気にしてはダメです、紫様」
「ねえ、藍。私達もお互いに食べさせ合いましょうか」
「紫様、余計に虚しくなるだけなのでやめましょう」
「そうね……私が間違っていたわ」
それがし達の向かい側で、すすけた背を見せる紫殿とその式神の
1000年近くの友人なので、彼女達がここ白玉楼にいるのは何もおかしいことではない。
今日も紫殿が幽々子殿を尋ねて遊びに来てだけだ。だというのに、何故か今日は空気が違う。
どこら辺が違うかと言われれば、ずばり幽々子殿が人前にも関わらずにやたらと引っ付いて来ることだ。2人きりの時ならいざ知らず、客人の前でこのようなことをするのは珍しい。いや、それがしとしては別に構わないのだが。
「あら、2人ともそんな顔してどうしたの? 私達が変なことでもしているかしら」
「変ね。ええ、凄く変。あなた達夫婦の仲が良いのは良く知っているけど、人前で見せつけるようにイチャつく程じゃなかったはずよ。おじいちゃんとおばあちゃんなんだから少しは自重しなさいよ」
おばあちゃんという言葉に空気が凍りつく。幽々子殿は相変わらずのニコニコした笑顔であるが、その裏には間違いなく般若が潜んでいるだろう。その証拠に紫殿と一緒に死を浴びせられている藍殿の顔が面白い程に引きつっている。
「愛に年齢は関係ないわ。それに年を言うなら紫の方が上じゃない。1000歳は越えてるでしょ」
「あなたと大して変わらないわよ。そもそも妖怪に年齢のことを言うなんてナンセンスよ、ナンセンス。ゆかりんは永遠の美少女なんだから」
「だったら、亡霊にも関係ないわね。私も永遠の新妻よ。そもそも死んでいるのだから年齢も何もないわ」
どちらも見とれる程に綺麗な笑顔。だが、醸し出す空気は殺し合いのそれ。
おかしい。今日は友人同士の和やかなお茶会だったはずなのだが……。
一体どういうことなのかと引きつった顔で考える。それはそれがしだけでなく紫殿もだった。
「それにしても今日の幽々子は随分と攻撃的ね。私、何かあなたを怒らせることしたかしら?」
「正解よ、紫。私が何に怒っているか分かる?」
「最近は幽々子に何かした覚えはないんだけど……」
どうやら、紫殿が何か幽々子殿を怒らせる行為をしたのが原因らしいが。
紫殿は思い当たる節が無いらしく首を捻っている。
しかし、改めて目の前のそれがし達夫婦を見たところで、『ああ』と納得の声を上げる。
「もしかして、私が愛しの旦那様を誘惑したことを怒ってるの?」
「大当たりよ。死になさい」
「いくら何でも直球すぎない!? もっと会話をしましょうよ!」
「じゃあ弁解の機会をあげるわ」
友人相手に向けることは滅多にない絶対零度の視線を向ける幽々子殿に、さしもの紫殿も焦る。
そんな珍しい光景を眺めながら、それがしも幽々子殿が怒る原因となった出来事を思い出す。
「弁解も何も、不人さんに『私のものになってくださらない』って言っただけよ」
「それのどこが“だけ”なのかしら」
スキマを開いて、それがしの頬に触ろうとしてきた紫殿の手を幽々子殿が叩き落とす。紫殿は『痛いわぁ』と嘘泣きをしながら、恨めしそうに幽々子殿を見つめてくる。それと誤解の無いように言っておけば、それがしは丁重に紫殿の誘いをお断りしている。
「そもそも何で私の旦那様に手を出そうとしたのかしら」
「だって、あなた達を見ていたら夫婦っていうものが羨ましくなったんだもの」
「だったら、神隠しでも何でもして適当に捕まえて来ればいいじゃない」
「顔も心も良い人ってなかなか見つからないのよ。だったら、すぐ近くに居る該当者を奪った方が早いじゃない」
そう言って悪びれることもなく笑う紫殿。
恐らくは本気ではなく遊びなのだろうが、それでも力が力のために笑えない。
スキマを全力で活用すれば、それがしを捕らえることなど大した手間ではないのだから。
それと同時に、隣のもう1つの力も本気でなくとも大惨事につながりかねない。
「紫……残念だわ。長い付き合いの友人を殺すことになるなんて」
「待って幽々子。あなたに本気を出されると私でも辛いのよ」
「大丈夫よ。痛みも苦しみも感じずに送ってあげるから」
「ああもう、冗談よ、冗談! だから能力を使うのをやめなさい。藍が本気で怯えてるから」
幽々子殿が全力で死の気配を漂わせたところで、紫殿が冗談だと両手を挙げる。
恐らくはその後ろに居る藍殿が、本気で顔を青ざめさせているのに気づいたからであろう。
藍殿も大妖怪ではあるが、生きている以上は幽々子殿の力相手は少々分が悪いのだ。
「冗談ねぇ…私、笑えない冗談は嫌いって知らなかった?」
「初耳ね。それに冗談だけじゃなくて、あなた達のことを思ってのことでもあるのよ」
「へぇ、なにかしら?」
殺気は引っ込めたものの相変わらず、目は笑っていない笑顔を向ける幽々子殿。それでもなお、笑顔を絶やさず正面から向かい合う紫殿は、流石は幻想郷の賢者と言うべきか。それとも命知らずと言うべきだろうか。
「結婚生活もそろそろマンネリになってきたかと思って、刺激を与えてあげようと思っただけよ」
「余計なお世話ね。私達はラブラブよ、これまでもこれからも。ね、不人さん」
紫殿の返答をバッサリと切り捨てる幽々子殿。
そして、愛を証明するかのようにそれがしの腕に抱き着いてくる。
やはり、それがしの妻は幻想郷一に可愛い。
「あら、随分と自信満々ね」
「逆に自信を持てない理由が無いわ」
「あなたがそうでも旦那様の方はどうかしらね。不人さん、私も幽々子に負けないぐらい美人だと思うのだけど、どうして私のものになってくださらないのかしら?」
やはり、この御人は人をからかうということを反省しないようだ。
まあ、妖怪である以上そうそう変われないのも仕方がないのだが。
「何度も言わせないでください。それがしは幽々子殿の夫をやめるつもりはありません」
「幽々子を側室にすれば何の問題もないわね。それに、私の下に来るのなら藍もついて来るわよ」
「え?」
何を言っているんだ、この主はという目で藍殿が紫殿を見つめる。
しかし、それでも紫殿は怯まない。それどころか余計に面白そうに笑う。
「ほら、藍もしっかり誘惑しなさいな。九尾の名前が泣くわよ」
「無茶なことを言わないでください、紫様! ほら、幽々子様の殺気がまた上がってますよ!?」
「紫……黄泉路に向かう準備は出来たかしら?」
「藍、主のピンチよ。命を張って私を守りなさい」
「理不尽すぎます! うぅ…すまない
藍殿の普段の凛々しさも主のいじりの前では形無しである。いや、冗談だとは分かっているのだろうが、幽々子殿の殺気が本気過ぎるのが理由であろう。何はともあれ、幽々子殿にいじられる妖夢殿のようで可哀そうになってきたので助け舟を出す。
「紫殿、それに幽々子殿も冗談が過ぎますぞ。そもそもそれがしには複数の女性を相手にする甲斐性などありません。幽々子殿1人を愛すだけで精一杯です」
「あら、じゃあ複数人を相手に出来る甲斐性があったら私以外の人も愛すの?」
「無論、複数人分の愛を幽々子殿だけに注ぎます」
ほんの少し拗ねたように尋ねてくる幽々子殿の髪を撫でて宥める。
それが功を奏したのか、幽々子殿は機嫌の良い柔らかな笑みを浮かべる。
「つまらないわねぇ。もっと山あり谷ありの夫婦関係の方が見ている方としては楽しいのに」
「それがし達はこれでいいのですよ。この身が望むことは幽々子殿の隣にあり続けること。ならば、他の誰かの下に行くはずもない」
わざとらしく肩を落としてみせる紫殿に苦笑と共に言葉を返す。
だが、紫殿の方は何を思ったのかいつもの笑みを消して真剣な目を向けてくる。
「……それは仮に生まれ変わっても?」
「例え、幾千、幾億の輪廻を巡ったとしても必ず幽々子殿の隣に立ちます。まあ、それがし達は輪廻の輪から外れているので、説得力はないかもしれませんが」
「いいえ、この上なく説得力があるわ。あなたなら確かに幽々子の隣に立ち続けるでしょうね。……決して変わることなく、ずっと」
そう言って、どこか優し気な笑みを浮かべる紫殿。
彼女の笑みの意味が分からずに幽々子殿にも目で問いかけて見るが、首を振られてしまう。
「ふふふ、やっぱりお似合いよ、あなた達夫婦は」
「当然」
「ええ、当然ね」
お似合いと言う言葉に2人で揃って頷く。
その息の合ったそれがし達の行動に紫殿はクスリと笑い、スキマを開く。
「お似合いのお二人の邪魔にならないように、私達は帰るとしましょうか、藍」
「はい」
「今度は普通にお話をしましょうね、紫」
「ええ、じゃあ失礼するわ」
藍殿は綺麗にお辞儀をし、紫殿は手を振りながらスキマの中に消えていく。
2人を見届けた幽々子殿は、残った湯飲みを御盆へと載せて片付け始める。
そんな姿を見ていると何故だか愛おしい気持ちが止めどなく溢れ出す。
なので、1つ喉を鳴らして幽々子殿の注意を引く。
「ン……幽々子殿」
「なにかしら、不人さん?」
桜のような髪をなびかせこちらに振り返る幽々子殿。
その姿に見惚れながら、それがしは7文字の言葉を紡ぐ。
「―――
突然の言葉に一瞬驚いたような表情を見せる幽々子殿。
だが、それもすぐに終わり嬉しそうに頬を桜色に染めながら返事を返してくれる。
「―――
7文字の言葉に、甘い口づけを添えて。
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