転生云々は決めてない上にデリケートにも程がある題材なので、本当に大丈夫な方だけどうぞ。
今回は恋愛要素なしです。これだけは気軽に恋愛にできない……
古イスラエル王国。この時代を「古き世」とは今生きる私は言えないが、きっと、いつか歴史の彼方に去ってしまうことはわかる。
私が王子になったことも、この王国があったことも、いつかは伝説の如き遠い昔になってしまう。しかし、それは消え失せるのではない。主の与え給うた恵みを受ける土となり、主の蒔き給うた種を育てる雨となり、主の育て給うた麦の袋となり種を守るだろう。
「何してるんだい、ヨナタン」
「偵察だよ。ここからだとよく見えるだろう?」
私たちはペリシテ人たちの軍に立ち向かわねばならない。正面切って1000人の部隊で突撃するのだ。
足が震える。弓を引く手は震えてしまいそうだ。それでも、私はサウルの子なりしヨナタンだ。彼らの命を、「主のご大切」である人々を守り抜かねばならないのだ。彼ら兵士の一人ひとりに主の御恵みがあらんことを。私は彼らを守り、忠実な者としてここにある。
「怖いのかい、ヨナタン」
「ああ、情けないことにね。しかし、私には君達がいるからきっと大丈夫。主は君を大切になさっているから、これだけ沢山の兵士が居てくれるのは心強いよ」
合図が見える。すべて始まるのだ。ペリシテ人と戦うのは怖い。しかし、我々には主のご加護がある。何も恐れる必要など、ない。
そうして無事に生き残ったけれど、私は父上の言いつけを破ってしまった。美味しそうな蜂蜜を、兵士にも食べさせられるようにまず初めに手を付けた。許されないなら上に立つものがそうしてしまえば、下で従うものも心置きなくそうすることができると思ったからだ。
私の考えは愚かだった。死なねばならないと知ったが、私の過ちによるものであったために不満はなかった。それでも、兵士たちに乞われ生き延びることができた。私はそれを神と人の愛として尊く、愛おしく思った。救われた命は、どこかで主のためにお返しすることになるだろう。そのことを、私はそのとき胸に刻みつけた。
その運命と出逢ったのは、父がゴリアテ打倒の報を受け、功労者を呼び寄せたときだった。
王座に入ってきた彼は、実に堂々としていて、よく顔を見る前に、この勇士が居るなら国が安泰だと思った。
そして、顔をまじまじと見た。その瞬間、彼こそが次の王だと私は確信した。
うつくしい人だった。私より年若く、先見の明があり、才能豊かな青年。十代の若者が王となるなど、まだ考えられるものではなかっただろう。でも、それでもきっと彼は王になる男だと、わかるものだ。聡明な白皙の美少年という、そのあり方だけでも十分に油を注がれるに足りるのではないかと思う。だってあれほど、作り物かと見まごうほどの美貌は、まさしく神の愛の賜物だろう。
その一瞬でありえないほど強い確信を持って、私は彼と見つめ合った。彼も何かを感じ取ったのだろう、不思議と何かのつながりが生まれたような気がした。これはやはり、主のお導きなのだろう。ああ、主よ、この様な素晴らしき勇士とお引き合わせくださったことを感謝いたします。
「エッサイの子、ダビデと申します」
真っ直ぐにこちらを見つめるハシバミの目は、光り輝き知性にあふれていた。
羊飼いの子、それなら、勇士にふさわしい装いも必要だろう。これから彼は活躍するだろうし、そうなれば人前に出ても問題ない、部隊長に相応しい服が必要だ。私は彼に自分の上衣を始めとして、戦衣など様々に贈り物を贈った。彼は最初、面食らったように遠慮したが、しかしそれでは格好がつかないからと半ば押し付けるような形で受け取らせてしまった。強引すぎることにあとから気付いて謝ったが、ダビデは笑って許してくれた。懐が広い、いい青年だと思った。
新しい羽と、木と、工具で創造を重ねる。最近、矢についてはやっと誤差なく作ることができるようになったと自分では思う。
「やぁ、ヨナタン。何をしているんだい」
かけられた声に振り向くと、そこには年若い親友の姿があった。神に愛された次の王、ダビデは今日も美しい。若草色の髪の毛は輝くようだ。ゴワゴワになることなく風になびいているのは凄いといつも思う。私も頑張ってみているが、彼ほどサラサラにはできずうまく行かないから、やはり特別な手順で手入れしているんだろうか。きっと街の女性たちは彼の髪を羨むだろう。光の具合で新しい草木の芽吹きのように見えて、その髪はとても素敵だ。
「ああ、新しい矢を作っているんだ。こればかりは、どうしてもやめられなくてね」
矢を作り、剣を手入れするのは、あの戦以来ずっと自分でやっている。それにいい猛禽の羽が手に入ると、どうしても作りたくなってしまう。これはもう趣味、というよりも道楽に近い習慣になっている。前からできて履いても、納得するまでには随分と時間がかかった。
「このあとは?」
「そうだね、主への祈りと、弓の稽古をしようと思っている。それから、市内で困ったことがないか見ないと」
ダビデは正式に士官することになってよく出撃が重なるようになった。最近兵隊長となった彼は、特に武勲を立てている。主は、イスラエルの民に平穏をもたらしてくれる。感謝の祈りは、より捧げられるべきだろう。街の見回りは陳情があったからだ。民には安心して暮らしていく権利がある。今の王族として、私はそれを守らねばならない。
「君は優しい王になるだろうね、ヨナタン」
「それはどうかなぁ。私は王の器ではないと思う。ただの一人の神のしもべでしかないよ」
付き合ってくれるらしいダビデが手を差し伸べてくれた。好意に甘えて手を借りると弓が震える。ああ、ここのところ実践しかしてないけど、狩りにも出かけたほうがいいだろうか。草木の実も取るならば、きっと姉妹たちも喜ぶだろう。ダビデは、付いてきてくれるだろうか。いてくれたらきっと楽しいだろう。
そのうち私は妻を得て、彼女を愛した。いくらかの月日のあと、たしかに彼女は子を得て、非常に尽くしてくれた。あり方として正しくも、私は少しだけ、彼女に罪悪感を覚えた。というのも、不便な生活をそのままにしてしまったからだ。どれほど手伝おうと、子がいる女性は大変なものだ。生まれた子は、とても可愛らしかった。妻は随分と嬉しそうで、私は裏腹にとても心が沈んだ。ちゃんと、この子に良いものを残してやることのできる父と成れるだろうか。
それからまた時が経ち、父がダビデを疎んじるようになってきた。きっかけは、一体いつだったのか。
気付いたときには、ダビデはペリシテ人の陽の皮を200集めて私の姉妹ミカルを得た。そこから、運命の石は一気に転がり始めた。
「ダビデを殺せ、やつを生かしてはおくな」
「父上?!なにゆえ、なにゆえそのようなことを仰るのです!」
「決めたことだ!ヨナタンよ、我が息子よ。これは絶対なのだ」
父は、止まってはくれなかった。
私は深くダビデを愛していた。これからすべての民を救うであろう、優しい青年を心から慈しんでいた。だからこそ、父の計画はダビデにすぐ伝え、逃げるように促した。うまく行けばすぐに呼び戻せるように、とあまり遠すぎないところに身を隠すように伝えて。
「王よ、どうか家臣であるダビデに罪を犯されませんよう!彼は一度たりともあなたに背かず、あなたに益を齎しました。なのにどうして、そのようなことをなさろうとするのです。どうか、どうか彼に罪を犯すようなことはなさらないでください」
「息子よ、確かにその通りだ……彼に対して刺客を向ける事はやめよう。主は生きておられる。決して彼を殺しはしない」
それでも止まってくれると信じていた。でも駄目だったのだ。
父は殺害しようとし、そしてそれにダビデは、あろうことか私に殺されたほうがマシだと頼んできたのだ。そんなことはできるはずがなかった。
「生き延びなさい、あなたは決して死んではならない。どうか、神のご加護がありますように」
「ああ、ヨナタン。君の心尽くしには感謝してもしきれないよ」
泣いて別れの口づけを落とし、決して死なぬようにと神に祈った。それが、とても自然なことと思えたからだった。きっと彼なら、ダビデなら生き延びる。でも、どうか無事でいてほしい。善き人にご加護がなくては、イスラエルの民は生きていけなくなるだろう。
それから、悪い方にばかり事は進み、運命の石はどんどん坂を駆け下っていった。父に罵倒され、それでも気取られないようになんとか合図をして逃したダビデとは、もう二度と会えない。そんな気がした。
そのままダビデを追う父は非道をし、罪無き祭司たち85人を殺した。神の前に罪を犯した私は、父とともに罰されるでしょう。主よ、我らをお導きください。いつか、父を説き伏せたダビデがすべての民の王となり、私たちは死に絶えて、全てが幸福になりましょう。
それから、ダビデはそのまま土地から去っていきました。これから、かれはきっと神のみ心に沿う、良き世を作ることでしょう。主よ、我らを憐れみ給え。そして、きっとそこに私はいないでしょう。主よ、どうか我が最愛の友を善き方へとお導きください。ダビデ、どうか、お達者で。
それから、ペリシテ人が攻め入ってきたとき、私は自分がこの時死ぬのだと確信した。なぜ、と言われてしまえば感だとしか言いようはなく、しかしきっと、ここでという確証は確かにあったのだ。そこに、ダビデの姿があると知ったから。
「何かあれば、あなた達はお逃げなさい。主への祈りを欠かさず、生きるのです」
「ヨナタン様……」
こっそりと告げた言葉に兵士たちは呆然としていましたが、それで良かった。私と心中する必要はないのだから。ただ、私は死なねばならない。王の子として。
主よ、我が子は無事に生きられるでしょうか。安否が心配で、あとのことに不安はつきません。しかし、これもまた運命でしょう。主の御心にすべて委ねると決めた以上は、そうするだけでした。主よ、我らを憐れみ給え。
さようなら、ダビデ。できることなら、最後にひとたび貴方と語らって死んで行きたかった。どうか、末永き繁栄を。主よりありがたき幸せを給いますように。
眠っているような、穏やかな表情のそれは、ひどく懐かしい思いを与えた。そして同時に、胸を黒く塗りつぶす絶望をも、与えた。
「ヨナタン……そんな、嘘だろう」
柔らかな頬は固くなり、血の気の引いた頬は以前の微笑みの影はない。そこにあるのは、死者の安寧のみだ。
「ああ、ヨナタン、君は立派な人だったよ」
主は、彼に印をお与えにならなかったのかもしれない。しかし、敬虔な彼は、きっと死後救われるだろう。願わくば、彼と神の御国で再会できますように。
「きっと、きっとまた会えるだろう」
竪琴を取り、彼のために整える。一度挽歌を歌えば、涙はとめどなく溢れ出した。ああ、君にも聞かせてあげたいほどだ。どれほど君のことを思っていたか分かってくれるだろう。兄のような、父のような、最愛の友よ。君の愛は女の愛にも勝っていた。勇敢で、心優しき我が親友よ。どうか、安らかに。