師匠の方から見たあれこれ。先生は先生でよかったよ。
ケイローン先生、弊カルデアにも来てくれるといいなぁ……
うっかりのせいで起きたことの中で、本当に、はじめて心から泣きたいと思ったよ。
子どもを傷つけるなんて、思ってもいなかったんだ。
古代ギリシャの山の奥に落ちたらしき私は、動きにくい服を全部仕立て直して狩りに精を出していた。人間、食えなくなったら死ぬ。
なぜ古代ギリシャとわかったか?そんなものすぐにわかる。神様とか妖精とか居たら神代だとはすぐ気付く。ニュンペーの水浴び見ちゃったからね! 結局あれこれやりとりした挙げ句に私も混ざった。罪悪感が物凄かった。
よそ者で怪しいけど、一応は私もこのあたりに住んで良いらしく、月一で納税、もとい生贄を捧げることで危機は去った。あと、わかりにくい話を要約すると、純潔を守っていればアルテミス様的には問題ないらしい。そうすると私は女で、人間じゃないからだそうだ。
古代ギリシャでは、社会に参加できるのは男だけだ。そうじゃない子供や女は、人間とはみなされない。いや、違うな。「女は人間じゃない」んだ、この世界は。人として認められるのは男や男の子だけ。それ以外は付属品で、資産で、モノ扱いだ。
まあでも感情もあるし、生きてるという認識はされる。だからこそ女神も女性も、普通に生きている。現在をそのように過ごしている。
とんでもないところに落ちてしまったなとは思ったけど、まあ体を隠して生きればいいよな! と開き直れば後の行動は早かった。
生活の術はなんにもなかったから、とりあえず許可をもらって植物を編み(ニュンペーのお姉さんたちに教えてもらった。みんなものすごく機織りとか編み物とか組み紐が上手だ)、その布を体に何重かに巻いて凹凸を消した。水面で確認したらものすごく貧弱そうな男っぽい見た目になった。
「それなりになったわね」
「取り柄は豊かな黒髪くらい」
「良かったわね、豊かな黒髪の男はモテるわよ〜」
純潔のために男装するし、そのへんのことを言うのはやめてほしかったな。
それから狩りが出来るように武器の作り方を教わった。これは女神様から、直に。
「この蔦は切りやすく、この木はしなり易いから弓くらいバババッと作れるわよ!」
「はい!」
女神様は流石に女神であらせられるぶん、わからない人間には説明が難しかった。そもそも、「人間の才能や理想の極致を固めて人型にしたもの」が神様で、永遠の存在なのだから仕方がない。
やってみせるところまでで終わりだから、どうしても直し方がわからない。そこら辺はどうにかこうにか自分で試行錯誤するしかない。
武器が作れたら、あとは自力で狩り。これが初心者なものだからうまく行くはずもなく。2、3日は当然食事に肉類は摂れなかった。逆に言うと肉以外の木の実とか果物は採ることができたから、飢えることは無かった。むしろ水とか住処に困って苦しんだ。自然というのは基本的に危なくて不潔なもの。水を沸かすためにめちゃめちゃ苦労した。瓶とか無いから作るしかないのだ。もしくは窪みのある石を洗って焼いて水を注ぐ。冷めた頃には本当に少ししか残らないし、それでずっと渇きに耐えざるを得なかった。あとで浄水器を作ればいいことに気付いたけど、瓶を手に入れるまでの物々交換で疲弊したから、出来るだけ人とかかわらないように生きようと思った。ニュンペーとは語れるのだ。それに、お会いすることはなくとも、この土地にはアルテミス様がいる。だから、生き延びるだけは、なんとしてでもしようと思った。神は人の死気を嫌う。うっかり神域に足を踏み入れて餓死したら死後まで大変になる。
そこから苦節5年、髪は長く長く腰のあたりまで伸び、立派なアマゾネスと化した私はその日も狩りに打ち込んでいたのだ。
罠にかかったらしい、多分小動物ではないそれの動きに、茂みの向こう側へ矢を放ったら子供の悲鳴が聞こえるではないか。まさか、こんな山奥に子供がいると思いもしないし、アルテミス様の庇護対象の子供に怪我をさせるつもりなんてなかった。
こちらからは葉の影になって見えないけれど、向こうは私の姿が見えていたらしく、近寄ると罵られた。
「何故わたしを撃った!女のような男が!髭も生えない未熟者のくせに!」
ああ、この様子だと掠ったのか、と元気そうな声に思って、うっかりと軽口を叩いてしまった。
「そりゃあ、私もそう思うな! 理性ある者よ、誤って射てしまったことを謝罪させてほしい。そして、貴方の手当をさせてはくれまいか」
刺々しかった気配が少し収まる気配がしたので、茂みの向こうの姿が見える位置に行くと、そこにいたのはケンタウロスだった。それも、よく引き締まって美しい若馬だ。
私の矢は彼の足を傷つけていて、全くかすり傷どころではない。早く怪我の手当をしなければと気づいて慌てた。なんと惜しいことをしてしまったのか。これほど立派なケンタウロスから、野原を駆ける力を奪ってしまったかもしれない。
強い後悔の念が襲ってきて、思わず涙が出た。本当に、なんてことをしたんだろう。
「ああ、本当にすまないことをした。野を駆ける者の足を傷つけるとは」
何故かは知らないが、目を丸くしている彼の了承を得て彼を小屋へ連れて行った。子馬だから担ぐのは結構しんどかったけど、いかんせん移動手段がない。そりを作っても乗れるような図体じゃないからこの五年間で鍛えた腕で担いだ。当然ながら、次の日は筋肉痛になった。
一等上手く作れた軟膏を塗ったり布でカバーしたりで怪我の手当はしたものの、それからはきちんと怪我した子供のケンタウロスの分まで毎日狩りをしたから大わらわ。めちゃめちゃ肉を食う。いや、怪我してるから肉を食べる方がいいしそれでいい。だがその分狩りの量とか時間は増えるし、やらなきゃいけないことは増えた。
でも、すごく楽しかった。こちらに来てからは人間とかかわらない生活でもどうにか生きて来たけど、やっぱり話し相手がいないと寂しかった。
私を男であると信じ切っているケイローンは理想的な話し相手で、上手くできないという範囲のことで、わからないことがあれば噛み砕いて伝えて一緒に練習をした。弓を与え、矢を与え、その作り方も教えた。怪我が治り、動けるようになってアルテミス様から使い方を教わったら、不十分な点について指摘をした。
気付けば、彼は私の弟子だった。
ケイローンのことを騙しているようなことになっているのは分かっていたし、きっと伝えたらとても怒って、罵って出ていくだろうと思った。だから、なかなか伝えることはできなかった。
もう、その時点で私にとって我が子や弟も同然だったんだ。酒を仕込むとき、きれいに蹄を洗ってブドウを踏み潰すときの楽しそうな顔も、故郷の話を聞かせて目を輝かせるのも、真剣に狩りをして大物を仕留めたときの誇らしげな顔も、すべて家族の成長のようで愛おしかった。一度突発的な事故で人間の体になったとき抱くように言われて困惑した。自分が望まないのに性的に消費されるのは良くないことなのに、それを常識としてしようとしているのが悲しかった。言葉を尽くして、彼が納得してくれたときには、本来ならこうした教育も必要なのになと歯がゆかった。習俗である以上、孤立した私にはどうにもできないのだ。あまりに行われる範囲が広すぎる。
そうしたことをしていたらあっという間に月日は流れて、ケイローンは少年から青少年に変わっていった。子供の成長は、考えているよりもずっと早いんだ、とその時に初めて気付いた。
ケイローンも、もうそろそろ私の元から巣立つだろう。もとより教え子にするには私よりもずっと出来が良かったのだ。立派な大人として完全に合流するだろう。そう考えると感慨深くて、つい、気が抜けた。これからは人に歩み寄ったほうがいいかもしれない、と。
結論から言うと完全に間違いだった。
こんなダメ人間でも相応に野山を駆け巡っていたら体が引き締まる。そうすると少しは魅力がついたのだろう。乙女に見初められた。
嘘だと思うだろ? 気まぐれに恋の詩歌を練習していたら勘違いされた。日頃からアルトボイスくらいで歌ってたのが運の尽きだったみたいだ。私の幸運値低くない?
それで不味いことに、恋の成就が出来なかったものだから何処の誰とも知らない乙女はゼウスから神罰を授けられろとか宣わられた。しかも聞き届けられた。美人だもんね、そりゃ聞き届けられるわ。
そして今、そのせいで虫の息。
「せんせい…せんせい!!」
「な、くな……ご、めん…な……ケイローン」
ああ、ちゃんと声にならない。ところどころヒュウヒュウ掠れる。お腹が熱い。なんだかぽっかりなくなった感じがする。でも、少し安心する。これで、私は女じゃなくなったんだ。良かった。もう、女であることを強いられない。産むこと、産む性を押し付けられない。
ごめんな、といった口で、頭で、こんなことを考えるのを許してほしい。今まで騙してゴメンな、ケイローン。私は、君の先生になれて楽しかったよ。
ああ、
金の矢そそぐ君というのはアルテミス様のことです。
アポッローン神が銀の矢、アルテミス神が金の矢。