思いつきアンソロジー   作:小森朔

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アキレウスとカルデアの食客の、遠い遠い昔の話。


指先で星は爆ぜた

「私は、女として生まれなければよかったよ。貴方はそう思わないかもしれないけどね、アリグノータ」

 私が問えば、歳の近い新入りの娘は曖昧な顔をして、黙った。否定は、されていない。新しい反応だった。肯定してもらえないのはいつものことだから、少し、世界に受け入れられたように思ってしまう。

 でもやっぱり、私はこの世界で生きているのに向いていない。女の徳を尊重するくらいなら、私は七度戦い七度死ぬほうがいい。そう考えてしまう私は、異物でしかないんだろう。

 

 

 

 もともと生まれていた時代から離れて、それなりの家に生まれて。女の性別のまま、流されるように生きてきた。勉強もさせてもらえないのを、こっそり兄たちの道具を使って我流で学んで、抗ってはみたけどどうしようもなくて。親からの圧力のままに娘集団でやり取りをするようになって、息苦しさは増していた。

 しばらく前にやってきた娘のアリグノータは、スッと輪の中に溶け込んでいって、みんなをたちまち夢中にさせた。私はそれがなんだか恐ろしいものに思えて、そっと距離をおいた。それに、ちょうど息苦しい場所から抜け出せると思うと心が弾んだ。好き勝手に隠れて稽古ができたから。隠し持っていた短い槍の練習をするのも、詩の勉強をするのも、全部咎められて、できなくて、鬱憤が溜まっていたから良かった。

 

 そのうち、アリグノータが追いかけてこようとすることが多くなった。不審がったんだろう。一度、槍を振るうところを見られた。

 その時のやり取りが、あれだ。私のことを否定しなかった。それから少しずつだけど話をしたり、こっそりと武術の練習をしたりした。周りは私が意地を張るのをやめたか、説得されたんだと思ったんだろう。都合よく練習時間を取れるようになった。

 毎回負けるのは私。でも、少しずつ上達したし、戦える時間は長くなっていった。それに、その後の話や織物の手ほどきも全く辛くはなかった。下手な私に無理して付き合ってくれるのはありがたいが、いつまでもそんなことをしているわけにもいかない。白緑の髪が戦いのときに風になびくのは好きだったけど、どこか恐ろしいものを感じることはずっと変わらなかった。

 

 

 

「アリグノータ、買い物に行ったんじゃなかったの」

「え、いや、うん」

 アハハ、と笑ってどうにかごまかそうとするのはこの娘の癖だ。余りに高い位置にある顔を見れば、寝坊でもしたのだとすぐわかる。顔に繊維の跡がついていた。

「まあいいけど、もうすぐ面倒ごとが起きるから、食料は少しばかり買っといたほうがいいよ。……穀類が高くなる。買い占めの前に集めておくに越したことはないから」

「何で」

「戦争が起こる。持ち込まれたものに黒くて食べられない臭い油が紛れてたから。あれは、きっとそういうことよ」

 私が言うと、アリグノータは眉根を潜めた。これは、わかっている顔なのかいない顔なのか。

「……どういうこと」

「ああ、そうだったね」

 理解してくれる人はそれほどいまい。女は、こういうものを普通は知りはしないから。臭いだけの食べられない油が、恐ろしい煙で人の命を奪うことを知らない。こういうものが持ち込まれるというのが、買い付けなければいけないことになってしまったということに気付かない。

 いいや、ただの思い過ごしかもしれない。でも、そうなったら私にできることはない。アリグノータみたいに、丁重に守られている人間ではないのだから、先程、黒い油と一緒に結婚を選んでしまった私にはただ、行く末に任せるしかない。それは、とても楽しそうなことであるけれど。

 

「ディカー、聞きたいことがある」

「何」

「何で、いつもそんなにつまらなさそうにしてたんだ?」

「……私は、私には女の仕事ができない。価値がない。この世界にいる価値がない」

 この世界では私に価値はない。私は、糸を紡ぐよりも隠れて槍を振るうほうが好きだった。散々出来損ないと言われながら頑張ったけど、もう頑張れない。理解されることを、その心地よさを知ってしまった。兄さんたちが使い古したそれで、一心不乱に練習することが心地よかった。家の中にだけしかない女の世界は、何もかも息苦しかった。

「だから、もう、死ぬしかない」

「何を!」

「何も。ただ、戦争が起きるところへ売られるだけよ」

 金色の目が、これでもかと見開かれた。いつもなら猫のような、好奇心たっぷりの目が曇る。

「売られる……!? 家が貧しくもないのに」

「そうだね、貧乏よりは裕福だと思う。でも女は価値を、結婚を買わなきゃいけないから」

 仕方がないのだ。持参金で相手を買うだけ。だから、当然女は悪様に罵られる。何か訴えれば、やれ毒婦だ何だと言われる。でも、結婚しないと生きていけないのだ。そういう社会だから。

「それ、どうにかできないのか!」

「出来てもしないわ。もう決まって受け入れたことだから。……落ち着いてられるから、きっとそれほど悪くない気分だと思う」

 泣きそうに顔を歪める彼女は、何だかいつもよりずっと頼りなく見えた。ただ、私は家の商品になっただけ。馬鹿みたいに心配することもないのに、どうしてそこまで悲しむのだろう。

「明日には発つから。さよならだよ」

「……アンタの話は、好きだったのに」

「そう、なら詩作でもしておくべきだったかな。私がいなくても、あなたは読み返せるでしょう」

「……そうじゃない! なんで、なんで助けを求めない! もっといい縁組だって……!」

「ないわ。相手は王の家臣よ。おかしなくらい、いい縁でしょう?」

「そんな、」

 私は平静で、動揺なんかしないと思っていたアグリノータのほうが慌てている。少しは親しんでくれてたみたいで、なんだかもったいないことをしてしまったように思えた。捨てるには惜しいものを、今手に入れちゃうなんて。

 でも、ごめんね。私はこれで好きに生きられる。だから、この藁を掴まなきゃ。

 

 

「本当に良かったのか」

「ええ、もちろん。ここが私の生きる場所になるなら、それで」

 トロイアへの道中、形ばかりの夫となる人が声をかけてくれた。この人には既に妻が居た。でも、とても愛していたのに亡くなったそうで、酷いことをしてしまっている気になる。結婚は私のせいではないけれど、それでも偲ぶ時間もなく私を娶らされるのは気の毒だ。

「……君は、死なせるには本当に惜しい」

「あら、そのために私を連れてきたのに」

 複雑そうな顔をして私を見る彼は、とても分別がある大人らしい人だ。だからこそ、本来なら参加すべきではない私を連れてくることに罪悪感があるんだろう。

 

 

 街に着いて、その後の殿下との顔合わせは、私はあまり話さないということを承知させられた上で行われた。下手なことは言えないし、私は貴族でもないのだ。あまり口を利ける立場にはない。

 オリーブグリーンの衣をまとったその方は、私を見ると悲痛そうな顔をした。ああ、この人もきっと、運命の中にある人だ。滅びを待ちながら、モイライの糸に抗おうと足掻き続ける人。

「ご苦労さん、君のような若い女の子に頼むのは世も末だってわかっちゃいるんだが、神託に従わないとジリ貧になんだ。恨んでくれていいぜ」

 その言葉に、思わず涙がこぼれた。

 恨まれるのは、私の方。あんなところで私が神託通りの行動をしてしまったから、私を連れてこざるを得なくなった。恨んでいるかもしれないのは、この国の方。嬉々として来た私でなく、この国の長だ。ならば、少しでも敵を減らすために死力を尽くすのみ。

「いいえ、殿下。私はこの命を、このトロイアへ捧げると決めたのです。ゼウスに誓って!」

 宣言した以上、もう戻れない。脳裏に、懐かしい白緑が浮かんで、消えた。

 

 

 

 武装した手足が武者震いで軽い音を立てる。

 戦争なのだ。これから、死ぬ気で走りきらなきゃいけない。トロイアの、そして自分のために。

 まだ私は未完成だってわかってる。こんなことじゃ、ただ肉の壁になるくらいしかできないだろうことも。それでも走らなきゃいけない。戦わなきゃいけない。だってあの人は、あの人たちはこの在り方を良しとしてくれた! 必要としてくれた!

 戦場の遠くに、鮮やかな白緑が見える。こちらに来るまでに時間はあるだろう、なら、その間に少しでもアカイア勢を減らさなければ。

「あなたで良かったよ、アリグノータ。いや、アキレウス」

 負けるだろう。知っている。すぐに轢き殺されるだろう。それでも構わない。承知の上だ。

 私はただ、生きた証がほしいだけだ。心のままに命を燃やした、その証が。

 

 さよなら、異物を少しだけ理解してくれた私の友達。お前が救えない有象無象の意地を見ろ。




ディカーは生まれ変わっても火の元に縁があるので、そのうち爆弾兵にでもなるかもしれない。

臭いだけの油、というのはギリシアの火に使う原油です。海上に色々混ぜた上で流して火をつけて使う毒薬。知識がないと使い方なんてまず分からないです。
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