思いつきアンソロジー   作:小森朔

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パリスになった子が七転八倒する話。前編。
いつもより長いので分割しました。続きは書けてません。書くかもわからない。


がんばれパリスちゃん!

 はろーはろー、私は羊飼いです。名前はパリス。男の子みたいな名前だよね! 実際は女だけど、訳あって男だよ。この名前、ちょっとだけフランスの都市みたいだよね。ここギリシャだけど。

 なぜこんなにテンションが高いかって、こんなのどかでのびのびできる環境で、山の麓とのやり取りをするために歌うみたいな声の出し方を練習したり、好き勝手走り回ったり、羊と戯れてたからだよ。未来と違ってここはとても楽だね。凄く体が軽い。未来に生きてた「私」は、こんなに自由に生きられなかったから目一杯楽しんでる。

 

 そう、僕には未来の記憶がある。正確には、ここじゃない世界だけど。まあ、それはそれとして、僕は元気に牧童として生きている。身分はそこそこだし、あんまり労働がいいこととは思われてないけど、ここでの暮らしはとても楽しい。

 今の僕は捨てられっ子で拾われっ子だ。でも、すごく愛されてる。僕が拾われたあとに生まれた、血がつながってない弟はものすごく可愛いし、父さんも母さんも実子として扱ってくれるから、特に不自由はないよ。一つ不満があるとすれば、たまに女としての結婚の話を持ってくるのはやめてほしいってことくらいかな。僕、今は男の子なのに。それにもう嫁ぎ遅れなのに。今更すぎると思うんだ。

 

 僕を拾ってくれた父さんは、「実子で死んだのは男の子だったから」と言って僕を育てたから、僕は男の子です。誰がなんと言おうと、届け出的にも生き方的にも男の子です。キトーンの着方とかも男の子スタイルだよ。それが表向きの理由で、私が危ない目に合わないように、と心配してのことだって、ちゃんと知ってるんだ。だから、それでいいと思って、男の子になったんだ。

 女として生きることを捨ててるわけだけども、それはそれで大変好ましいよ。だって、勉強するなって言われなくて済むんだ。竪琴の弾き方だって、女として育てられてたら教えてもらえなかった。手当の仕方や天文学なんかも教えてもらえなかった。それよりは、すごく良い環境だと思う。

 

 それにね、女物はスカート可愛らしくていいけど、散歩したり、木登りしたり、仕事してるときすっごく邪魔だからこの服すごく重宝してるんだ。動きやすいのがすごくいい! でも、できるならサンダルじゃない靴がほしいな。ブーツとかのほうがアザミのトゲトゲが刺さらないから、やっぱり通気性が悪くても欲しいな。秋になったら新しいの作ろうかな。

 

 

 

「パリス! この牡牛を競技会の商品になさりたいと代官殿が仰せなんだ」

「本当ですか! ええ、それはもちろん!」

 優勝者が捧げる生贄を育て上げたなんて、とても名誉なことだ。父から牧場の経営を任されてからこの方、一番の名誉だろう。

「父さん、僕も競技会に出たい。いいだろう?」

「しかしパリスよ、お前の体は、」

「体中ひどいあばたなのは分かってる。でも、僕だってずっと鍛えてきた。弓の技術ほどは誇れないかもしれないけれど、どうにか、一度でいいから」

 僕も、男の子として育ってきたから弟とレスリングや円盤投げの稽古をしてきた。体のことは、幼い頃に疱瘡になってあばただらけってことにしてるんだけど、いつまで保つかわからない。だからできるうちに、一度でいいから試してみたいという気持ちがあるんだ。たとえそれが、捧げものである男だけの祭典であっても。いや、だからこそ出てみたいんだ。

 

 父さんは相当渋い顔をして黙り込んだ。でも、僕にはわかる。これは、僕をこう育ててしまったことへの罪悪感のせいだ。僕自身はそんなこと、全く気にしていないのに、やはり責任を感じているんだろう。

 いつもの父さんなら、渋りはすれど、こんな顔をしない。体のこと、これから嫁ぐことがあるかもしれない僕への不安も混じっているんだろう。体だけは、しっかり女の肉付きだから。触れてしまえば、バレてしまう。布でしっかり固めてしまえば、また別なのかもしれないけれど。

「……わかった。参加を頼むだけはしてみよう」

「ありがとう!」

 

 

 

 

 と、まあそんな経緯で参加した競技会。割とちゃんと勝ち進めて、今まで誰とも比べられなかった競争心が満たされてめちゃくちゃ気持ちがいい。レスリングはものすごく痛かったけど。

 あ、もちろんレスリングは裸になるのを避けました。薄い晒し布で体中ぐるぐるまきのミイラにして、見苦しくなくしてってことで。ちょっと心苦しいけど、男同士で心置きなく競えて楽しかった。

 

「っ、この田舎者風情がっ!」

「うわっ!?」

 いきなり斬りかかってきたのは、高貴な身分とわかる服の男性だった。僕より少し背が高い。なんとなく、見覚えがある気がしなくもないんだけど、この方は誰なんだろう。

 ぽっと出の田舎者の僕が勝ってしまったのは不味かったんだろうけど、どうなんだろうね。ああ、ここで死にたくないな。死ぬならオイノネーちゃんに一目会いたい。

 

 とはいえ死ぬ気もないので、近くにあるアポッローン神殿へ飛びこむ。死にたくないからね、抜刀はご法度の神殿に隠れるのが一番さ。誰もいなければいいんだけど、祭壇、空いてるかなぁ。

 山育ちの一番の自慢の駆け足で祭壇の間へ転がり込むと、運が悪いことに女の子がいた。しかも、鮮やかな衣の、きっと王族の女の子。だって、こんな鮮やかな服は王族しか着られないものだ。年頃は、私より少し若いくらいかな。

 

「あ、」

「ごめんね! 僕死にたくなくて!」

 鉢合わせた女の子は、目を大きく見開いたと思うと、大粒の涙をこぼし始めた。闖入者は暴漢だと思ったんだろう。それが普通だ。

 

 それはそれでやばい。死ぬかも。

 

「姉さん! アレクサンドラ姉さんだわ!」

「へ?」

 泣きながら叫んだ言葉が、一瞬全く意味のない言葉に聞こえる。それから、ひしっと抱きついてくる女の子に思わずフリーズ。

 待って、アレクサンドラって、誰? きっと人違いなのに、どうしよう。僕はそのアレクサンドラ嬢じゃないのに。

 

 

 

 女の子の叫びを聞いた王家の人々はすぐに集まってきた。中には、王子たちもいる。姫も。

 さっきの女の子はカッサンドラ姫だった。さすがは太陽神に気に入られる王家。みんな美しい顔立ちだ。とりわけ、兄に当たるらしい第一王子は美丈夫だ。年を経た渋みが男前に磨きをかけていて、正直に言うととってもずるいと思う。男らしくてかっこいい。僕だってそんな歳の取り方をしたい。

 

 で、それくらいの現実逃避くらいいいよね?

 いいと信じてる。だって、こんな状況になったらいくら名の売れた英雄だって戸惑うだろう。そんなこともないのか。英雄だもんね。

「アレクサンドラよ、そなたには悪いことをした。いくら不吉な予言を与えられたとはいえ、お前を捨てるべきではなかったのだ」

「ごめんなさい、本当にごめんなさいアレクサンドラ」

 泣きながら私を抱きしめる国王夫妻に、スゥッと頭が冷えていくのを感じる。これで、僕はパリスではなくなってしまうのか。こんな子供同然のわがままを言ったせいで、僕を愛してくれる父さんと母さんを捨てなくちゃいけない。

 

「この身はただの羊飼いでございます。確かに幼い頃に養父に拾われましたが、私はただの羊飼いの子。きっと人違いでございしょう、国王陛下、王妃殿下」

 

 僕は父さんと母さんを愛しているし、国王夫妻だって、大事だと思う。この方々が泣かないように振る舞うべきだとわかる。それでも、僕は僕の父母への情を捨てられない。王家の血の繋がった人々でなく、今朝まで笑い合っていた家族が私の家族なんだ。父母として実の父母を前に振る舞いを変えることができようとも、私の心は嘘をつけない。

 

「いいや、お前はアレクサンドラだ。倅とよく似ている。アレクサンドラでないはずがないのだ!」

 それでも、父王は僕を捨てた娘だという。

「そうよ! ああ、姉さん。どうして私達を拒むの」

 予言の力を与えられた妹も、追い打ちをかけるように肯定する。

「実の妹なら遠慮せずしなくていいんだ。俺達は君を歓迎するんだぜ?」

 初めて会う兄も、私を歓迎すると笑顔を浮かべている。弟に当たるらしい先程の青年だって、剣を収めて僕を微笑みを浮かべながら見ている。

 どうして、不吉な子供なのにもう一度拾おうとするの。僕は今幸せだったのに、どうして全部お構いなしに、僕の幸せすべてを浚ってしまおうとするのだろう。砂浜の波だって、ここまで全部連れて行こうとしないのに。

 ああ、斜め上の気遣いが心に痛い。つらい。でも、こうなった以上は腹を括るしかないのだろう。まるでお涙頂戴の三文芝居みたいだ。なんて、滑稽なのだろう。

 

 

 

 

「もう慣れたか?」

「ああ、兄上。もちろんです」

「そうか。随分覚えが早いな」

「必要なことですから」

 王宮の昼は、すごく眠い。暖かくて、華のいい香りがして心地良い。でもここには羊もいないし、好きに走り回れないし、木登りもできない。山が恋しいなぁ。もちろん、これは兄上の前では言えないんだけどね。

 

 あの後、これからも私は生き方を変えられないと言い募って、王子として迎えられた。凄く抵抗したけれど結局は無駄だったんだ。

 でも、王子らしく生きることと引き換えに、時折父さんと母さんに会うことを許されたから、私はそのまま励んでいる。父王と母君も嫌いではないし、血の繋がった兄弟たちはとても好きだ。でも、それとこれとは別で、山が、父母と弟が懐かしい。

 

「明日は出立だ。出来てんだろうな?」

「そりゃあ、もちろんだよ。ヘクトール兄上の足を引っ張ったりしないし、僕は僕らしく戦果を上げるさ」

 王子教育が順調だと、いや、十分だと思ったらしい父王は、兄上と僕にレムノス島出征を命じられた。訓練では十分な成果を出した。でも、もちろんこれが初陣だと話は別だ。怖くて怖くて仕方がない。

「……それならいいけど、無茶するなよ。変なとこでヘマして追い詰められるのの常習犯だろ、お前は」

 雑に頭を撫で回してくる手が心地良い。最初はあんまり慣れなかったけど、兄上の大きな手は遠慮が無いようでいて、本当は優しいのだ。心から気遣ってくれるし、知らず知らず懐いてしまっていた。

「それから、今から出立の朝まではアレクサンドラとして過ごせ」

「ええっ、兄様、僕が女物のキトーン苦手なの知ってらっしゃるのにどうして」

 唐突に爆弾を落とした兄上は豪快に笑う。王宮に来てから用意された女物の衣服は、あんまり好きじゃないんだ。自分じゃないみたいで、時々虚しくて、怖くなる。

「父上が、流石に時々は戻れってさ」

「うう、やだよぅ……僕男なのに」

「諦めろ。……疲れたら部屋に引っ込んで休めばいい」

 さくっと引っ込め、と言ってくれる辺りがとても優しい。めちゃめちゃに甘やかされてる。でも、良いのかなぁ。そうなると宴の主役の仕事は全部兄上に集中してしまうだろうに。でも、受け取れる好意は受け取りたい。

「分かったよ。……兄上様、不肖アレクサンドロス、明日からの勤めを立派に果たしましょう」

「ああ、期待しているぞ」

 

 

 

 

 結果から言うと、出征は半ば成功だった。制圧も速やかだったから、捕虜も、戦利品も多い。でも、狼煙が挙げられたから、きっと明日にはギリシャから本隊がやってくるだろう。

 今夜の祝だけはそれなりに陸で行うと言われて、僕は一人で自由にご褒美に散歩をできることになった。船で相当鬱屈していたのが丸わかりだったからだろうな。そのおかげで自由時間がもらえて嬉しいし、まあいっか。

 

「紅色に下着を染めたなら、旅に出てさすらおう。父母はきっと私を嘆くだろう。どうかご無事でありますように」

 大好きだった人の歌を口ずさむ。山育ちで弓は得意だったし、歌うのも、下手くそだけど誰も聞かないから楽しくて好きだった。

 

 と、背後で気配を感じて振り向くと、女性が一人、そこにいた。人ではないような、神が攫わなかったことが奇跡とさえ思える美貌の女性だ。でも、体は不自然に動かされている。どこか、庇うような動かし方になっているのだ。

「あ、」

 あまりに美しい彼女を、僕の推測があたっていれば僕は知っている。でも、なんで彼女が、体をかばうような動きばかりするのだろう。

「えっと、……ヘレネー様、ですか?」

「っ、」

 問いかけると、息を詰めて、声を殺して彼女は泣き始めた。ちょうどその時月が顔を覗かせて、彼女の腕が、姿全体が見えた。

 

 ほろほろと泣き出す彼女に驚いたけど、私にはどうすることもできない。だから、ただ、彼女の側に歩み寄って、そっと手をとって近くの倒木に腰掛けさせる。それから、彼女が僕の肩に顔を乗せる体勢になるように、向き合って体を添わせた。

 少し体が跳ねたから、きっと僕が女だってことがわかったんだろう。胸の膨らみは、触れたらどうしたってごまかせない。他言してはいけないことは、聡明な彼女のことだからわかるはずだ。今はここで捕虜となり、かつて教育を受けたであろう、彼女なら。

「僕は何も見ていません。貴方は、気になさらないで」

 人に触れることを強要している人間が言えた口ではない。僕は、性善説に縋って致命的な秘密を晒して、自分の体が安全だと思わせて、無理に泣かせようとするひどい男だ。全部計算ずくでこの哀れな女を連れ去りたいと願う、馬鹿な男だ。

 

 月光に照らされた元来白いはずの肌は、ひどい痣がいくつも浮き出た痛々しい色だ。彼女は、きっと夫から暴力を受けている。普通なら女性は家から出ない。特に、高貴な女性ならほとんど夫か、同じ程度の身分の妻たちとだけしか合わないのだ。彼女には他の女性たちから虐げられる理由がない。なら、あとは夫から、と考えるのが自然だろう。

 だったら、泣かせて、連れ去りたくなってしまうだろう。「私」なら、侮辱と痛みに耐えられない。僕なら、この様を見せつけられる憤りで耐えられない。こんな酷いことが、あってたまるものか。このまま、この女性をひどい環境においてたまるものか。身分さえなければ、宛もなく彷徨う覚悟一つで、すぐにでも彼女を連れ去ってしまえるのに。

 

「きっと、僕がレムノスに来た時点でもう定まってたんですね、大神ゼウスよ」

 捕虜に、ひときわ美しい人がいた。いらないと言ったのに与えられた美女は審判の失敗を表すのだろう。僕の審判は僕だけに罰が下るはずなのに、きっと破られたも同然だ。

 それだけじゃない。これまでトロイアが避けてきたギリシャ本土は、内紛が治まった時点でこちらを攻めに来る機会を伺っていた。これは、明確な宣戦布告だ。父王も今ギリシャを叩き潰してしまおうと意図していたのは知っていたけれど、これはあまりに悪手だ。私が見つかった時点で、口火は切られていたのだろう。

 

 転がりだした石は、加速して下りきる。それだけだ。もう引き返せない。

 

 兄さんに言うなら今だ。でも、気づいていないのだから、途中で気づいてしまったほうが都合が良い。悪いとはわかってるけど、どうしてもこの哀れな人を、僕は見捨てられない。これは、きっと魅入られたのだろう。女神の魔力は、人をじわじわと締め殺す。これはその一手。

 

 

 

 転がる石が、僕の首になるのは果たしていつ頃だろうか。兄さんの首は、加わらないといいんだけど。




審判の話は尺の都合で次回出てくる、はず。
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