思いつきアンソロジー   作:小森朔

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パリスちゃんをサシ飲みに誘ったアキレウスが恋をした話。
ここからきっと混沌とした様相を呈してきます。頑張れパリスちゃん。


抜け落ちた金の矢、刺さった金の矢

 かろん、と涼やかな音を立てるグラスに、パリスが口をつける。その目線は常にグラスにあった。キス・イン・ザ・ダークを呷るばかりしていて、ろくにこちらを見ようともしない。

 

「ほら、追加だ」

 呼び出したのはオレの方だったが、余りにもハイペースでカクテルを呷るパリスに、すっかり給仕役のようになってしまっている。飲んではいるが、パリスのほうが先を行く。グラスだけで言えば、倍は飲んでいるか。

 エミヤに相談したところ、こっそりと耳打ちして作ってくれた青いカクテル・オリンピックを差し出す。パリスは一瞥すると、そっとこちらへ押し返した。再会は、あちらとしちゃ喜ばしいものではないらしい。それはそうだろうが、世辞半分にでも受け取ってくれるだろうと思っていた。何しろ、こいつは自らを公平公正・中立としたルーラーだったからだ。

 

「オリンピックは、嫌よ」

 その横顔が、あまりにも女の顔の様に見えてくらりとする。ただの、あのときのアレクサンドラとしての表情で言うものだから、血が沸くような感覚に陥った。きっと、俺も思っていたよりは随分飲んだんだろう。

「女らしい顔もできるんだな」

 ぽろりと思わず零してしまった本音に、目を丸くしたと思うとすぐアレクサンドロスの顔に戻る。勿体無いと思った。さっきの顔は胸が苦しくなるが、見ていて見飽きない美しさがあった。即座にその表情が消えたのは、少しばかり惜しい。

「僕は、体ばかりは女だからね」

「すぐ戻っちまって、可愛げがねぇの」

「そんなの、男の顔さえできればどうだっていいさ。これでも僕は引く手数多なんだよ?」

 含むような笑いの後で、パリスは目を伏せる。長い睫毛に縁取られた目やきりりとした目元は、ポリュセクネーに瓜二つだ。

 引く手数多なのは知っている。パリスはカロスな容貌で鳴らしているのだ。女神ですら愛するような美しい者に、引く手がない訳がない。かつて敵として戦場に立ったときも、友軍の兵士で金の矢に撃ち抜かれていた者が多かったのを覚えている。

「その顔でも見せりゃ、気に入りの男なんてイチコロだろ」

 冗談めかして言うと、その時初めてパリスはオレを見た。前までは鋭利だった翡翠色が、ここに来て初めて見るほど潤んでいる。

 

「……じゃあ、あの時そうしてたら、君は僕に落ちてくれてたかい?」

 笑みを消して、真面目な、いや今にも泣きそうなのをこらえるような顔をしてこちらを見るパリスに、息が詰まる。

 口を挟む好きも与えずに、パリスはまた話し始めた。顔は赤いのに、目は熱されきっている。沸ききった感情が垣間見える。

「君は知らなかっただろうけどさ、僕は君のこと好きだったんだよ。城で姿を認めあったとき、君に恋したんだよ」

 

「は、」

 

 今、コイツはなんて言った。

「まあでも、兄上のおかげでトロイアの事もろとも吹っ切れた。昔話さ。笑ってくれよ」

 それまでの顔色全てを消し去って、パリスが立ち上がる。赤い顔には、薄らと涙の跡が見えた。一体、いつ泣いていたのか。

「もう君に関わる気なんてない。だから安心してよ、アカイアの」

 じゃあね、と表情と態度だけは清々しいまでに何も感じさせないで、笑顔で去っていく。その後ろ姿に強烈な怒りと悲しさを抱いて、すぐには動けなかった。扉が閉まってやっと、体が思い通りになる。

 

「なんだよ、それ……」

 手元に残った青のカクテルは、結局受け入れられなかった。きっと、アイツにとって今日の俺との酒席は、望むものでも、憎むものでもなかったのだろう。ここに来て初めのあのときは名前を言ったのに、今では抽象的な、俺が目の前にいるから伝わる呼びかけでしかない。

「オレのことなんて、欠片も見てねえのかよ」

 オレはあのとき、ポリュセクネーではなく、アレクサンドラを確かに見ていたはずだった。でも、あのとき心に居着いたのはポリュセクネーで、今心に居るのは、紛れもなく、先程の熱い目をしたパリスだった。

 アイツからしたら終わったことだろう。だが、オレからしたら、今始まったばかりなのだ。ああ、女神アフロディーテよ、エロースよ。なぜ、今なのですか。相手の矢はとうに抜け落ちてしまっている。なのに、なぜ。

 

「なあ、少しくらい、歩み寄ってくれたっていいだろ、アレクサンドラ」

 返事をするように、他に誰もいない部屋で氷がカランと軽い音を立てた。

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