燃え尽き症候群みたいなことになっているので、次の苺ママの話まで少し時間がかかります。次はマーリン、ビリー、君らだ。
彼女は、立派な令嬢だった。
「エリザベート様、御注文頂いておりました義眼が完成いたしました」
「本当? 見せなさい。……綺麗ね! この前目を抉った豚に嵌め込んでみたかったけど、勿体なくなっちゃったわ。上出来よ、ルカーチュ」
「私めにはもったいなきお言葉にございます、エリザベート様」
ただ、残虐性に富むということを除いては。
私がバートリ家に召し抱えられるようになったのは、私が6つの頃。
私が義眼師になれたのは、ただ彼女のお眼鏡に叶う夢があったからだ。私は、ガラス細工師になりたかった。これ、というものはない。ただ、ガラスの細工を広く行う、腕のいい職人になりたいと思っていたから。
この時代、ガラス工芸ができる上等な職人はこの国にいない。まず、勉強できなかったからだ。ガラス職人は皆、イタリアのムラノ島に住んでいて、そこから出られない。
でも、私はどうしてもガラス細工の勉強をしたかった。だから、どうにかして取り入ろうと、バートリ家でご奉公するようになったんだ。ルカーチュという名前で、振る舞いを変え、「小さな大人」から大人になった。
それから、私は男になった。死にたくなかったからだ。完全に育ちきった自我は女性だったが、それに蓋をして、下男として生き始めた。
それから私がガラス細工の勉強ができる環境を手にすることができたのは、ひとえに偶然の幸運のおかげ。エリザベート様の偏頭痛を、少しだけ和らげることができたからだった。
エリザベート様は美しく、そして残酷な方だ。そして、無垢で繊細な方だ。頭痛に悩まされ、悲鳴で痛みを癒やしていたのは、それしか方法がわからなかったからだ。立派な淑女であり、それ以外については全くの子供だったのだ。
偏頭痛は体調の細々とした変化から生まれることを、私は知っていた。それがどのようにすれば和らぐかも、また同時に分かっていた。静かな環境と、ホルモンバランスを整えることと、偏頭痛は冷やして緩和させること。それから、痛みに効くハーブを何種類かと、その調合。
ただ、そのとき私は怖かっただけだ。私もいずれ殺されるかもしれない。だから、どうなるかもわからず、まずはハーブに頼った。少しでも彼女の苛烈さがなりを潜めるように。
時間帯は夜更けを狙った。最もお嬢様の気が昂ぶることの多い、夜会後の時間。人が居ないのは、お嬢様が頭痛で苛烈になって侍女が傷つけられるのを、皆知っているからだ。そこへ飛び込んでいくのは、覚悟が必要だった。でも、しないよりはましだ。ノックは3回、応えを得てから入室する。
「失礼いたします。お嬢様、頭痛に効く薬草茶をお持ちしました」
「は? なにそれ」
怪訝そうな顔で私を見るお嬢様は、しかしその顔さえも美しかった。不敬であることを咎める前に疑問が飛び出していることから、おそらく少しの興味を抱いてくれたのだろう。
「聖ヒルデガルトが見つけた頭痛に効くハーブだそうです。幼い頃に旅の男から教わったのですが、少しでもお嬢様の助けになれば、と。分不相応であることは承知しております」
じいっと、ハーブティーのカップを見つめたあと、お嬢様はそっと目を閉じた。赤みの強い髪の毛がサラサラ揺れる。一つ一つの場面を切り取れば、確かに美しい令嬢だ。ずっと、そのままであってくれれば、私達は怯えることもないのに。
「……いいわ、それ、頂戴」
「はい、ただいま」
返答は是だった。駄目で元々、その場で拷問されて殺されるかもしれなかったけれど、そうはならなかった。私は、今日も生きることができるかもしれない。それが効くか否かにもよるが、ひとまずは良かった。
「お嬢様の頭痛は、2日から3日続くもの、そして強い光や臭いが引き金であるとお聞きしました。ですので、マジョラム、ペパーミント、カモミールを調合した香草茶をご用意致しました」
少し、香りを嗅いで一口含む。優美な仕草は深窓の令嬢にふさわしい可憐さだった。
「ふぅん……あ、美味しい。嫌じゃない甘さね」
驚いて目を丸くする彼女は、少し猫に似ていると思った。口に出すことはできないけれど、子猫のような無邪気さを湛えている。
もしかしたら、こうしてここに来たのは彼女のそういうところを気に入っていたからかもしれない。近くで見ることは今より他になかったけれど、その様を、私は私でない誰かとして知っている。それが誰かは私も知らないけれど。
「蜂蜜を少し垂らしてありますので。香草茶には砂糖よりも蜂蜜のほうが自然に合うそうです」
蜂蜜は高価だ。特に、お嬢様が口になさるようなものは、良いものを使っているから。砂糖の方が安いのかもしれないが、生憎と私達庶民にはこの館の同等の蜂蜜や砂糖を得ることは厳しい。当然のことではあるが。
「それも、旅の男に聞いたワケ?」
「はい。私めは口にしたことがございません。しかし高貴なる方々はそうしていらっしゃると」
返事をすると、お嬢様は一等嬉しそうなお顔をなさった。心なしか、いつもよりも穏やかに見える。素直で愛らしい方なのだが、それが嗜虐に繋がると、ひどく残酷な振る舞いになる。そうでなくなれば、生きていられる。彼女の繁栄を見ていられる。下界からでも、そうなればと思っていた。これは、足がかりになるだろうか。
「うん、いいわ。とってもよく眠れる気がしてきた! 貴方、名前は?」
「ルカーチュと申します、お嬢様」
「そう、ルカーチュ。貴方、これから貴方は私の専属よ。いいわね?」
「っ、はい」
嘘だ、と言うと不敬になる。叫びそうになった言葉を必死に喉元へとどめ、できる限り美しく礼をし、その場を辞した。
それから、私はお嬢様専属の使用人としての教育を受け始めた。当然、女であることを隠してはいたが、何度も躾と称した体罰で上半身を剝かれて鞭打たれたので、いつかバレるんじゃないかとヒヤヒヤしていたものだ。
でも、なんとかやり遂げた。やり遂げてしまった。
体には無数の鞭の跡が残ったけれど、それでも様々なことを学ぶことが許され、また、お嬢様を喜ばせるものであれば何でも学ぶようにとされた。
だから、私はガラス細工を学んだ。知識は、元々持っていた。本当の私でない私が持っていた、どこか知らない世界のガラスの知識を。
私は自分が何者なのかわからない。私でない誰かの知識はあれ、私は私だった。物心ついたときには、私以外の何者でもなかった。わからないなりに、したいことをしていた。
時間を作って色ガラスの細やかなペンダントを作り、ブローチを作り、義眼を作って、お嬢様のお気に入りにならないかと期待して返事を待つのは、心底心躍る時間で良い。
そのうち、義眼は特にお嬢様に気に入られ、私は義眼師になることになった。様々な色ガラスで虹彩を作り、人の目に見えるような義眼を作るのは、大変だけど楽しい仕事である。
だが、お嬢様は苛烈さを増して行った。
どうも、私が義眼を作り始めた頃には、使用人への折檻が激しくなり始めていたらしい。
偏頭痛は和らいだと、そう笑っていたはずなのに、彼女はやはりバートリ家の宿痾から逃れられなかったようで。使用人が少しずつ消えていって、何かがおかしいと気づく頃には、彼女はすでに完成した後だった。
「お嬢様、なぜ使用人たちに折檻をなさるのです? 頭痛は治まったと聞いたのですが」
「え、理由なんてないわよ。楽しいからするだけ」
「左様でしたか……」
ああ、ここは、もう駄目かもしれない。お嬢様をお止めしたかったけれど、きっと、もう無理だ。
だって、私が尋ねたあとから、彼女の目に嗜虐的な光がある。次は、私だ。
もう少しだけ、お嬢様の運命を変えることができれば良かった。そうすれば、私が私でないときに生きた誰かも、きっと浮かばれただろうに。無辜の怪物にされるであろう、聡明で愛らしいお嬢様。どうか、誰かが貴方様をお止めできますよう。
嫁ぐ前までの話なので大体エリちゃんが14歳頃に彼女は拷問死。