思いつきアンソロジー   作:小森朔

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化物が到底叶わない恋をした話。
たぶん3話くらいになるはず。


しばらく頑張っていました。生きてます。内定も内々定もないのでまだ就活します。しんどーい……


金切り声の怪物

「リゲイアー、また人間たちが来るわ。懲りないわね」

 水平線の向こう側に、木の葉のような影が見えた。座っていた岩礁に、ばしゃん、と波が当たって砕ける。お姉さまは忌々しげにそれらを見て、暗い笑みを浮かべる。水夫は、皆お姉さまの美しさに見惚れ、歌声に恋をする。お姉さまは恋なんてしたくないのに。私達は、恋などできないのに。

「レウコシアーお姉さま、私」

「わかってるわ、あなたは歌わなくていいの。本当に辛そうに歌うもの。そんな顔をして歌うくらいなら、もう二度と歌ってほしくないわ」

 羽を動かす音が上から聞こえて、妹が帰ってきたと知る。私たち三人の中で、一番年若い、皆が求めるような清らかさを浮かべた乙女。私には決して無いものを持つ娘。今日は魚が取れただろうか。私は我慢できるけど、二人がお腹を好かせたりするのは嫌だ。

「そうよ、リゲイアー姉さん。苦手なことなんだから、しなくてもいいの。喉が痛むでしょう?」

「パルテノペー、ごめんなさい」

「謝らなくたっていいのよ、姉さん。私、姉さんのことが心配だわ。だって歌えないし、話すのだって苦しいでしょ?」

 レウコシアーお姉さまは私の左頬に、パルテノペーは私の右頬に、その艶やかな羽根の翼を添わせた。本当は珠の肌の腕だった二人の翼は、変わってしまってもなお美しい。この姿を元に戻せないのが、とても歯がゆくて仕方ない。

 ――セイレーン。姿を変えた私たちは、そう呼ばれるようになっていた。

 

 

 私たちは、はじめから怪物だったわけじゃない。昔はペルセポネーさまと一緒だった。その頃は私たちは三人共ただの人間で、それが変わったのはハーデスさまがペルセポネーさまを攫ってしまってから。デーメーテールさまは人間には力が及ばないこと、と泣きながら、私達にも腹が立つだろうにお許しくださった。けれど、私達はずっとシチリアで泣いてばかりで変わることもないまま、今もまだそのままに過ごし続けている。

 だって、私たちはみんなペルセポネーさまのことが大好きだったのだ。毎日一緒に散歩をしたり、果物を取りに行ったのがまるで幻だったみたいで、ずっとずっと泣いてばかりいた。声をかけてくださった人たちはいたけれど、私たちはその声なんか聞こえなくて、ずっと悲しんでばかりだった。だから、アプロディーテーさまの怒りを買ってしまった。

 

 私たちはそうして、声をかけてくれた人たちの、求婚をした男の人たちの声を無視し続けた罰として、体の半分だけが鳥になった。腕やお腹から下は鳥で、体の上の部分だけは人間の怪物。声と顔とは美しいままのレウコシアーお姉さまとパルテノペー。私は元々二人ほど美しくはなくて、顔はそのままだった。でも、その代わり少しだけ自信を持っていた喉に罰を与えられていた。

 私はずっとペルセポネーさまを慕っていたから、特に怒りを買ってしまったみたい。はじめは声の音がうまく取れなくなった。耳障りで、歌おうとしても調子外れになるばっかり。元々うまいわけではなかったけれど、楽しいから歌っていたこともできなくなった。次に、喉が痛みだした。声を出すのも辛くて、声は更にキンキンしてうるさいだけになった。少し話すだけでも痛くて痛くて、頑張っただけ血を吐くようになってしまって、今ではもう殆ど長話なんてできない。歌うなんてもってのほか。

 それでも、それでも私は歌いたかった。下手くそでも、汚い金切り声でも。

「ねぇ、レウコシアーお姉さま、パルテノペー。私の喉、治るかな」

「そうね……恋をすれば、きっと治るわ」

「ええ、そうよ。だってアプロディーテーさまは愛の女神だもの。私達が愛を知れば許してくださるわ」

 二人は微笑むけれど、二人の目は本音を隠せていない。私たちは、愛を知ることができると思えなかった。怪物になった私たちは、揃って逃げてきたから。ここがどこかなんて、知らなかった。ただ、人があまり来ないところを選んでシチリア本島からは少し離れた海に居たけれど、それでも水夫たちはやってくる。声を聞いて、レウコシアーお姉さまとパルテノペーの歌に聞き惚れた彼らは、みんな死んでいった。私は最初は薬を貰いたくて、近くまで飛んでいっていたけれど、石を投げつけられて怪我ばかりをするから、いつしかそれも止めてずっと島にいるようにしている。

「そういえば、今日も喉に効きそうなものを試してみたの。そうしたら傷に効くものがあったのよ。海辺では貴重でしょ?」

「そうね、リゲイアー。あなたが一番詳しいから、怪我をしたときには任せるわ」

「リゲイアー姉さんはお医者様みたいね」

「……そうなれたら、良かったのにね」

 

 私たちは、歌に魔力を混ぜてしまう。だから、金切り声にだって水夫は惹き付けられて、みんな海に沈んでいく。

 私はお医者さまじゃないし、海の精霊でもない。だから、彼らを助けたくたって無理な話だ。私たちの喉を治したいと思って頑張っても、だめだった。

 それに、なんともなく過ぎていく人間がいたら、私たちは死んでしまう。これは、アプロディーテーさまが私たちに与えた罰のひとつだった。恋をして、彼らを求めろと。何も悪くない水夫を殺し続けろと。きっと、一生水夫に恋をして、恋を失い続けなさいということなんだ。

 

「ああ、なんて立派な船!」

「本当!きっとたくさん殿方がいるのね。……ああ、可哀想に」

 木の葉のようだった船は、恐ろしいほどの速度でこちらへ向かってくる。今までに見たことがないほど大きくて立派な船は、不思議な船首を掲げていた。きっとあれは、神々に守られている船だ。私たちは、きっと死の運命にある。レウコシアーお姉さまもパルテノペーもそれを感じていないのは不思議だけど、もう、逃げられないだろう。だって私たちは声を聞かせて、死を与えるだけの役割を課せられている。彼らはきっと死なずにここを通り去ってしまう。

「ねぇ、お姉さま、パルテノペー。私が偵察してくるから少しだけ待っていて。大丈夫、きっとうまくやるから」

 

 

 そうする、はずだった。うまく騙してやろうと思っていたはずだった。

 

 

 彼の姿を見た瞬間、全身の血が沸騰してしまったような錯覚に陥って、羽がうまく動かなくなってしまった。慌てて急旋回して、なんとか軌道を元に戻す。心臓は早鐘よりも早く脈打っていた。知りたくなんてなかった。潮風に靡く長い白髪が、この葡萄酒色の海と同じ目が、これが私の運命だと。

 黒衣を纏い、リュラーの音の響く甲板に立っていた彼は何よりも存在感を強く放っているように感じて、なぜだか許しを乞うて泣き出したくなる。

 本当は、死ぬことは怖くなかった。早く死んでしまえばいいとさえ思っていた。でも、恋をするのは死んでも嫌だった。ペルセポネーさまに抱いていたような気持ちを他の誰かに持ったり、上塗りするのだけは嫌だったのに!

 

 ああ、嗚呼! アプロディーテーさま、何故あなた様は、私にふたたび罰をお与えになるのですか!

 

 でも嘆いてばかりでいてはいけない。お姉さまたちも飛ばなくてはいけないのだから。でも、せめてお姉さまたちだけでも死んだりしなくて良くなればいいのに。

「患者を………薬……は、」

 リュラーの音の向こう、彼が声を張り上げるのを途切れ途切れにでも聞き取ることができた。お医者さま、みたい。もしかしたら、レウコシアーお姉さまとパルテノペーは助けてくれるかもしれない。二人が恋をすることができる人間がいれば、きっと「治る」はずなのだ。一か八か、賭けて損はない。だって、二人は自慢の姉妹で、死んでほしくない家族だ。たくさんの水夫を殺してきたけれど、それでも、治すことができれば、この先、二人は人を殺したりしなくて済む。二人が怪しむ前に、二人を救えるなら。

 

 一つ握った石と、近くを流れていた流木を捕まえて船の起こす波の間から甲板まで一気に飛び上がった。まっすぐ、黒い衣を纏った彼の元を目指す。私はお金を持っていないけれど。神さまに捧げるためのワインを持っていないけれど。

『どうか、私の姉妹を助けて』

『対価は私の血と肉を』

 おぼつかない文字で、対価を差し出そう。私の血と肉で贖えるなら、それほど安いものはない。でも、魂は。魂だけはペルセポネーさまに。ペルセポネーさまからすれば、きっと私の態度は不誠実極まりない。でも、私が助けられなかったあの方は、きっと私を責めるだろう。だからこそ、魂だけはかの方の元へ。

 

 

 いきなり甲板に飛び込んできて、そのまま流木を差し出し伏した私を殺しても良かっただろうに、私の書いた文字を読んだその人は目を輝かせて、一つ頷いた。

 

 長いまつげに縁取られた海色の宝石は、今まで見た中で一番美しかった。




いつもとは少し毛色の違う展開になるかも。

6.27 誤字修正させていただきました。ありがとうございます。
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