思いつきアンソロジー   作:小森朔

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ツケを清算する話。

難産でした。あと幕間みたいなものを一つ書いたらこのネタは終わりの予定。


金切り声はもうしない

 戦闘外傷救護、という分野があると、私は今世で勉強する中で知った。

 今の世の中は、私が暮らしていた範囲では女性でも学校に行くことが許されていた。自由七科も勉強ができて、それ以外の勉強もできる道があった。嬉しくて、楽しくて、これから自分も好きなことをしていいのだと、夢を見ていいのだと、そう思った。

「あ、あああ……」

 火に飲まれた、カルデアのレイシフト計画の日までは。

 

 

「リゲイアーさん、何してるんですか?」

 背後からかけられた声に振り向くと、年若い友人が、私たちの英雄がそこにいた。ノウム・カルデアに辿り着いてから空元気気味なところがあるから、十分に休めていたかと心配になる。本職であると名乗るにはおこがましい腕前だが、私だって救護班として活動するに足ると自負しているし、前線で傷つきやすい彼の手助けを少しでも行いたい。私はサーヴァントと契約できないし、レイシフト適性もさほどない。場合によってはそのまま消失するだろう程度のものだ。しかし、それでもできることは沢山ある。今まで彼が走り抜けてきた道のりを、私もその後ろを走ってきた。私達は、皆で駆けてきた。だからこそ、彼だけ矢面に出してはいけないと強く感じるのだ。

「ああ、藤丸さん。弾薬が足りてるかなと思って確認していたんだ。次の異聞帯の偵察班には私も同行するからね」

 彼がホッとした顔をする。そんなに安心されるようなことはできていないのに。私にできることは、フローレンスさんよりずっと少ない。治癒を根源としているからか、そうした魔術と親和性が高いから多少どうにかできるだけ。死なないように時間稼ぎと、和らげることしか私にはできない。こんなことになるなら、意地でも医師免許を取っておくべきだった。

 確認していたポーチを腹部に巻き付け直し、救急キットの中身を確認する。最低限の外科手術、というよりももっと原始的な処置のための道具たちが、そこに静かに座り込んでいる。本当は、使われないことを望んでいるものたち。これまで幾度もこの青年の体を切り、縫い、時間稼ぎに奔走してきたものたち。そうした者たちを、私はまた使えるようにしておかなくてはいけない。魔術の道具類も、個別に身に着けられるようにカーディガンの内ポケットやスラックスのポケットなどに仕込んでいく。どうか、一枚でも少なく、使うことがありませんように。

「ということは、緊急救護もお願いすることになるんですね、ありがとうございます!」

「うん、でも藤丸さんもあんまり前に出過ぎたら駄目だよ。私も君も生身で、死んだらお終いなんだ」

 そう、死んだら、お終い。本当は覚えていないことを覚えていようが、何回生まれ変わろうが人間はそこで終わり。次があろうが、無かろうが、個人はそこで失われる。どう頑張っても、私は蘇ることはない。次の生に移行するかもしれないけれど、今ここにいる私ではない。

 私は連続したようにここにいるけど、きっとこれは一部の記憶でしかなくて、今の私はここで死んだら記憶だけ、他のまた次の誰かのものになる。こうして怖がりながら生きている私ではなくなる。今までの「リゲイアー(わたしたち)」ではない、また他の誰かになる。今度は、名前も変わるかもしれない。記憶はないかもしれない。それが、本当は普通のこと、今のように悩まなくて良い。執着しなくて良い。

 本当は、死んでしまいたかった。死んだままが良かった。全部忘れたかった。繰り返したくなんて、なかった。生きて死ぬことを繰り返すなんて、なんて寂しくて、つらくて、苦しいことなんだろう。何度も、何度も、私が(わたしたち)でいなければいけないのは。

 でも、それでも私は生きている。藤丸さんは相変わらず背負うことができないほど重たい使命を有無を言わさず背負わされている。私の地獄はちっぽけで、彼のほうが苦しいのは明らかだ。こうして話をしに来て、気を使ってくれている。震える体を抑えて、キリエライトさんと共に立って戦い続けている。

 だったら、長生きしている私が折れたりなんてできない。私には、古い知恵がある。新しい知識も必死で身につけた。記憶している年数をすべて合わせても50年すら生きていないけれど、それでも私は彼よりずっと年長で、本来なら彼ほどの子供もいたかもしれないような歳だ。ならば、年長者として導いて、いざとなれば盾になろう。彼の盾はキリエライトさんだけど、近くにいれば万が一のことがあれば庇うことだってできる。

 そうなってしまったら、きっと迷惑がかかるから最終手段ではあるけれど、彼が死ぬよりはずっと安い。またどこかで出会えるか、そうでなければいずれ忘れることだ。

 

 

 

 

 

 久しぶりに、本当になぜここで出会うのかわからない相手と味方とのやり取りを聞きながら、いつ私は揺らがせればよいかを考えていた。この人は一筋縄では行かない。治癒できるということは、死なないということは、昔から敵に回したくない人間の要素の一つだ。死なない軍隊がどれほど面倒か。どうにか彼の視界を狭くして、戦いやすくすることができるなら何だってすべきだ。

「そんな、」

 キリエライトさんが絶句する。今だ。

「少し、よろしいか?」

「えっ、でも」

「ごめんね、少し聞きたいことがあるんだ」

 藤丸くんを今立っている場所よりも後ろに行くよう、キリエライトさんの作る安全圏の中にきちんといられるようにうながす。単純に私が前に出ようとしている風にしか見えないだろうけど、そのほうが良い。八つ当たりのように攻撃されて彼が巻き添えを食らっては困る。

「お久しぶりです、お医者さま」

「あ?」

「リゲイアーさん、お久しぶり、って……」

 前の因縁など説明していては日が暮れるので、藤丸さんの言葉は無視させてもらう。ギロ、と睨めつけられると身がすくむ思いがするが、想像していたよりはずっと怖くなかった。

「薬の材料にしたものなんて、覚えていませんか。失礼しました」

 薬の材料、と聞いた彼は私をしっかりと見た。なぜここにいる、と言われているような気がした。

「ああ、お前か愚患者……そうか、そこにいたから、見つからなかったか」

 見つからなかった、というのはどういうことだろうか。まるで、探されていたような口ぶりだった。私を見る目の温度が変わる。溶鉄のような、怒りに近いそれだ。怒りよりもよほど熱く、痛々しいものであるようにも思う。ただの主観でしかないけれど、これは火に油を注いでしまったのだろうか。

 

 もし、そうであればちょうどいい。理性的でなければ、時間も隙も生まれる。藤丸さんたちが戦いやすくなる。

 最悪、人身御供になればいいと考えていた。一度はしたのだ。後悔も、ためらいも持つことはなく、身を投げ出せる。でも、まだ駄目だ。ここでやってしまえば不利になる。死ぬなら役割を果たす必要がある。私が前線に出されている意味を、私は理解している。彼らが傷ついてしまっては元も子もない。

 

「ちょうどいい、その捻じくれた在り方も"治して"やろう」

 歪んだ目元は満足げだ。いい症例が見つかったと言いたげな。ここまでねじ曲がった人だとは知らなかったけれど、生前とは明らかに纏う空気が違う。神性などではなく、根本から人間が捻れたような違和感があった。

「結構です。貴方には無理だ」

 だからこそ、覚悟を決めて拒否する。

「何故言い切れる! 今の僕なら治せる。お前が死んでももう一度蘇ることもできるんだぞ!」

「私の死体はもう役にも立たない」

 ひたり、と彼の動きが止まった。棒立ちのように、身じろぎもせず、彼は私を見る。

 その目は空っぽだと、今になって初めて気がついた。先程のような温度の欠片もない。検体以外には、藤丸さんやキリエライトさんたちとの会話の言葉通り、なんの興味もないのだ。あれほど美しいとそれは、見つめられるのが恐ろしいとさえ思ったその目は、私に関心など持ってなんていないのだ。知っていたと思いこんでいた。しかし、こんなになんの感慨もないとは、知らなかった。知ったからには、もう何も恐ろしくもない。ただ、悲しいと、少し寂しいとは思った。私の死体は、きっと人のためにあまり役立たなかった。彼はきっと、今ならもっと有意義に使えるだろうとでも思ったのだろう。

「私の血も、肉も、骨も、もう役に立ちません。あなたの役にも、誰の役にも立たない。私はもう、ただの生身の人間だ。あなたのもとにあるべきものではない」

「違う! お前は患者だ。どうしようもない愚患者だ。治さねばならない! そうでなければなぜこれほどその生を引きずっている? それが症状以外の何物だと言うんだ!」

 

 引き裂くような絶叫だった。患者を前にした医者の叫びなのだろう。治療できない歯がゆさに、この人はいつまでも苦しめられているのだ。英霊になっても、未だに。どうしようもなく、人間らしい叫びだった。

 

 だからこそ、私は否定しなくてはならないと思った。人の手に余るもの。今更どうしたって治らない、私であるための一部。これを切り取ってしまえば、きっと今まで積み上げてきた今世は瓦解する。健常な部位まで切り取るのは明らかに間違っている処置だ。これは、私の中では一体化してしまった記憶たちは、もう健常なものにすらなっていた。

「神罰で、呪いです。貴方だってご存知のはず」

はず」

 口から出任せに過ぎない。でも思いつく理由としてはこれ以外に説明の仕様がない。体は何も変わらず、私が持ち合わせているのは記憶だけ。原因が魂と呼ばれるであろうものにあるのなら、神罰や呪い以外に理由だと言えるものなどない。

 掛けた当事者でないのだから、そんなことは私が知る由もないが。理由として提示するにはそれだけでよかった。

「……それでも、治してやろう。愚かな神々の仕業だろうが、人ならざるものへの呪いであろうが、死んでも生き返らせることができれば、お前も治る見込みがあるんだぞ」

「いいえ、貴方の手では治せません、決して」

 これは、私が受け止めていくべきもの。私が私としてあるために必要なもの。

 やはり、私は記憶から彼を追うべきではなかった。忘れずとも、抱えたままでも、私は彼の記憶を後生大事にすべきではないのだ。ただ、そこにあるものとしてだけ受け止めればよかった。

 そもそも、分かたれた道で少し、ほんの少しだけ、何度かすれ違っただけなのだ。それだけのことで、これを彼に治されてたまるか、消されてたまるかという気持ちもある。不要なものでも、不出来な気持ちなどにつながっていようが構わない。愚かなものでも優れているものでもない。決して病などではない。決して、否定されたくない。

「私は貴方の患者ではない。だから、貴方の元に行くことはない!」

 

 

 

 鶯舌は、高らかに意志を叫んだ。

 




次は疑問に答える話

7.2 誤字を修正させていただきました。ありがとうございます。

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