思いつきアンソロジー   作:小森朔

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これでリゲイアーの話は終わりです。
化け物の話と銘打ったけれど、人外の話と神様の話って難しいですね。


幕間 冥府の再会、元怪物の心中

 暫しの視界不良と全身の焼けるような痛み。それを知覚した直後には景色が切り替わっていた。一面が黒と灰と白だけで構成された空間。川にも土にも空にも色彩がない。――僕は、死んでしまったらしい。怒りも、虚しさも何もかも抜け落ちていくかのような感覚がする。

 それでも、自分がすべきことは決まっていた。死者となった以上は、彷徨い続けてもいられない。冥府に下らねばならない。生者に害を成す者になる気などさらさらないのだ。他に選択肢は存在しない以上、おとなしく従うしかできやしない。

 

 そうして下った先、冥府の河を過ぎ、そら豆が如き門を通り、広い空間を進んだ更にその先の先に、冥府の二柱が玉座で待っていた。

 そして、やけに見覚えのある存在もまた、そこに居た。

「お、まえは……」

 あの女だった。あろうことか、微笑みさえして、冥府の女王の側に控えていた。

 

 それはひどい衝撃で、この無機質な領域で有機的であるということに違和感を覚えた。ここには、感情を有したままいるものなど居ない。自分のように人にはない出自を持ち合わせていればまだしも、ステュクスの川の水はすべてを流していくはずだ。普通の人間が、自我を保ったまま、感情を表せるはずがないのだ。

「……どういうことだ」

「あら、なにがです?」

 僕の問いかけにハデスは何も言わず、表情も動かさない。反面、ペルセポネーはゆったりと寛いでいた。女は、あいもかわらず微笑んでいるだけで何も言わない。

「その女が笑っているのはおかしいだろう」

 ここは冥府だ。音楽は存在せず、悲しみも喜びも無い。なのに、ただの死者が笑っているなど。この堅物の冥神の世界ではあってはいけないことだろう。

「いいえ、おかしくなんてないでしょう。この娘は、現世で私に仕えていたときからこんなふうに笑っていたのですから」

「何?」

 もう一度、女を見る。穏やかな、幸せそうな笑顔は、よくよく見れば貼り付けられたような硬さがあった。

 ああ、そうか。だから笑っていたのか、この女は。確かにこの女は生前は幸せだったのだろう。だが、これはただその瞬間を切り取って型にはめて残しているだけの人形のようなものだ。決して、人間ではない。あのとき僕が出会ったこの女は、もっと違う顔をしていた。こんな人形ではなく。

 

「アスクレピオス! お迎えに上がりました!」

「っ、何だと」

 突然、立派な体躯の男が、カリュケイドンを持った男神が広間へやってきた。

 ああ、これは。この男神はあの愚かな父親の親友か。なぜ、僕はあの父親に振り回されねばならない。

「ゼウス様が貴方様の功績を鑑み、天に上げることとなりました。さあ、行きましょう。貴方の居場所は天上に既に存在しています」

 大声で語りながらやってくる其奴は、何も言わさぬとばかりに僕の腕を引いた。女を見る。やはり、微笑みから顔色一つ変わらない。

「待て、まだ話が」

「いいえ、いけません。もう時間よ」

 ぴしゃりと叩きつけるように地母神の娘が言う。女は、その時初めて恰好を少しだけ変えた。俯き、表情が暗くなったように見えるそれに、やっと少しだけ胸の支えが取れる。

「あなたは、これから先長らくこの娘と出会えません」

 ムッとしたように女王は言う。そんなことわからないだろう。この女と僕は二度会った。本来ならば決して会うことのない化け物の姿と、ただの人としての姿で。ならば、モイライの紡ぐ先はわからないのだから、決めてかかる必要はない。これは意地だ。この女を、患者を見つけたからには、次こそは治してやると決めた。

 愛の女神の都合で人としての生が奪われていいはずがない。冥府の女神の都合で人が人形にされていいはずなど、決してない。

「待っていろ、いずれ、お前を」

 治してやる。その言葉は、伝える前にかき消された。いきなり吹いた風に途切れ、目を見開く前に紡ぎ直した言葉は、本当にあの女に伝えたかった言葉は、暗く明るい英雄の居所に、やけに大きく響いていた。

 

 

 

 

 居ない、居ない、居ない、居ない! どこにも、あの女が居ない! 何故だ。冥府に赴くこともないわけではなかった。英霊として召喚されることもあった。だと言うのに、なぜあの女は居ない?

 おかしい。あの女とは鎖のような切りたくても切れない縁があると感じていたが、それなのに何故あの女はどこにも居ない? 患者が、僕が治せなかった心残りは、一体なぜ姿を表さないんだ。あれから数千年もの月日が立つというのに、きっかけを探しているというのに!

 ……会うことができたら、きっと治してやることだってできる。苦しむようなら、あの女の記憶だってどうにか取り除いてやろう。だから、身を差し出すような真似をしなくなるまで、治るように。

 

 

 

「それで? あのキャスターとの会話のこと、教えてもらえるわよねぇ?」

「ごふっ!」

 悪い顔のペペロンチーノさんに、焼きバナナを貪り食っていた私は欠片を喉につまらせる。さっきまでキリエライトさんに焼きバナナを勧めてたのに話が急激に変わりすぎて吐血でもしそうな咳が出た。

「昔、ああ、今生きてる私じゃなくて前前世の私のことなんだけど、怪物だったんだ」

 口元を拭いてからとりあえずの原因を言う。ここが始まりだということだけは決して変わらない事実だ。

「ばっ……?!」

「それ、人間なのにってこと?」

 ペペロンチーノさんの問いに、途中から仲間になった彼にも詳らかに聞かせるのはどうかと少し考え込む。ぼかしたほうがいいだろうか。でも、特に隠し立てして得をすることでもないと思い直した。私はただの人間。サーヴァントと違って、致命的な死因なんかなくたって普通に死ぬのだし、あまり関係はないのだから問題ない。それに、彼と会うことはきっとないのだ。今まで何度も会ったことのほうが珍しい。

 なぜか彼の顔が愉快そうに歪められているのが気になるのだけど、何なのだろうか。

「いや、文字通りの怪物ですよ。藤丸さん、セイレーンって知ってる?」

「セイレーン?」

 途端にペペロンチーノさんの表情が渋くなる。あまり馴染みがない学生だったのだから、藤丸さんの反応が普通だ。キリエライトさんは読書が好きだったからその都合でだろう。

「ギリシャ神話に出てくる半人半鳥の生き物です、先輩。セイレーンはアルゴー号の前に立ちはだかる試練の一つなのですが、その……」

「セイレーンは竪琴の音に邪魔されて水夫を殺せなかったから身投げするのよ」

 言いにくそうなキリエライトさんの言葉を引き継いで、ペペロンチーノさんが補足してくれる。そう、私だったとされているものはそのように語られている。

 私も、その文を読んだ。そういう終わり方になる未来もあったかもしれない。でも、私が記憶しているそれではないし、残されていた説のいくつかは私の知る名前ではなかった。そういう創作もあったのだろう。

「そのとおり。私もそうだった。ただ、終わりは違うけどね。そのときにアスクレピオス……お医者さまって呼んだあの人と会った。すぐ殺してもらったけどね」

「殺してもらった?」

「そう。姉妹を助けてもらう代わりに血と肉を対価に差し出した。それだけの縁だよ」

 唖然、といえばいいのだろうか。口をぽかんと開けて三人が固まってしまった。

「そんな、でも、そんなことをする必要は」

 痛ましげな視線を寄越す彼女に笑いかける。若い、というのはきっとこういうことなんだろう。そして健全な人であるというのはキリエライトさんのような反応をする人のことだろう。

「あったよ。私は頭が良くなくて、それ以外に方法を見いだせなかったし、レウコシアーお姉さまとパルテノペーは人の道を踏み外しかけてた」

「でもっ」

「キリエライトさん、これは昔話だ。もう変わらない、終わったことだから傷つく必要はないんだよ」

「やだわぁ、素敵な恋の話を期待してたのにドロドロ因縁劇じゃない」

 とりあえず今は私たちが生き残れるように考えなくちゃいけないのだからその話をしたいのだけど、どうにも食いつきが良すぎて話を戻しにくい。茶化してもらえたからまだしも、こんな話引きずったらろくなことにならない。話すべきでもなかったことだ。

「残念なことに、前世でも彼に会ったことはあるんだけど、直後に落雷死したんだ。まあ運が悪かったとしか言えなかったな、あれは」

「何がどうしてそうなったんですか!?」

「さあ。私にもわからない」

 たぶん都合が悪かったんだろう、色々と。私にそのへんのことはわからないし、今は神の力などない世界だ。科学的に証明しようと思えばできることであるが神意など知ったことではないので、ということしか言えない。

 そろそろ本当に話を打ち切って対策の話をしなくては。アルジュナ・オルタを前に全滅、なんて笑えやしない。

「ま、そんなわけで因縁があったんだ」

「でも、キャスター・アスクレピオスは『何度も』と言いましたよね」

「ああ……あれについては身に覚えがないんだ。私、彼と会うことなんてほぼなかったからね」

 覚えている限りで今回が三回目。だったら

「それにしても想像以上に修羅場というか、これ因縁で済ませていい話なのかしら?」

「いいんじゃないかな。私はあの人が知っているリゲイアーであってそうじゃないんだし、もう関係なんてないからね。よし、ペペさん次対策の話任せるよ」

 パチン、と手を合わせる。納得行かないと言われてもこれくらいしか私にわかっていることはないのだ。もう二度と敵対したくはない。どうにか矛盾に気づいて、穏便に次のユガで自滅してくれないかと願うばかりである。そうすれば、彼が死ぬところを見ることも、殺すこともない。後に引くことはなく、記憶はきっと風化する。作戦のことを考える以外の脳の容量を、そんな考えばかりが占めていった。




リゲイアー、よくよく考えたら反英霊で召喚されていた可能性もあるんですよね。
たぶんそのときには再会する前に消滅してるはず。
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