※イマージナリー晴明がいます。ご注意ください。
前回で懲りたので文中の特殊仕様少なめ。
元気良く恵祐の続きをお正月晴明実装に賭けてハズレたので書きました。おのれ晴明。
前話の続編もちゃんと同時進行で書いてます。
よく知らん時代への転生。それすなわち死である。ぶっちゃけ身分が高くない限りそんなうまくいくわけないやろ。
「
「げっ、お父様だ……」
……と、そう思っていたのだが私が間違っていた。実際は身分が高くても色々足りないときはダメっぽい。
私は今度こそエクストリーム貝あわせで高得点を叩き出すんだ。こんなことしてる場合じゃないんだよ!
「まったく、お前と来たら歌は下手で教養も今一つ。鼻は低いわ赤いわ、これでちゃんと求婚してもらえるのか……」
父親に呼びつけられ、教育係の女房、松雪から渡されたらしい報告を読みながら溜め息をつかれた。二者面談とか聞いてないわよいい加減にしろ。
米神に手を当てて呻く父親に居心地が悪い思いになる。いや、好きで低性能やってるんじゃないんだよ。
「ごめんなさい、お父様……」
「もうよい。はぁ……」
帰って良いとばかりにひらひらと手を振って私をよそにやろうとする父に私も胃が痛い。実際、下手くそであんまり好きじゃないからこそ現実から逃げるように遊んでばかりいるのだ。
しおしおとうちしおれたような振りをするが、心情としては某ボクサーみたいに真っ白に燃え尽きている。あんまりだよ、おとっつぁん。随分前から燃え尽きちまってるよ真っ白に……
返しが下手くそなのも、漢籍の知識があんまり頭にないのももうこればかりはどうしようもないでしょとしか言えないと思っているけれど、流石に言えなかった。
姫君の教育。贈られる歌に的確に、何十にも意味を込めた歌を即座に歌い、身を整え、髪や衣に香を焚きしめ、美しく、そして気遣いができる人間であらねばならない。あと流行の服とか歌とか噂も捉えてないといけないの、流石にやること多すぎて無理。
──今は西暦1000年頃、ここは平安京。
勝ち組に生まれはしたものの基本スペックがよろしくなどなかった私は、毎日ヒイヒイ良いながら、いつか嫁ぐための手習いばかりしている。
「お嬢様っ!?」
何が教養だ何が結婚だ、ふざけんじゃねぇ。こんなところで生きて死ぬとかつまらんにも程があるわ! もういい知らん、適当に後妻に収まれりゃそれで納得すらァ! ダメだったらダメでさっくり諦めて出家して、死ぬまで厚く仏宝を尊ぶわよ!
「もうやだ! 神社に籠ります! 松雪、仕度して!」
もうこうなりゃ自棄だ。神さんでも仏さんでもいい、拝み倒して生きる糧を得られるようにはからって貰わにゃならん。
「は、はい……。しかし、いったいどこへ?」
「松尾神社! 何だか行かなきゃ行けない気がするから!」
たしかあの神社は酒の神のところだったはず。だから祈るのだ。
酒が呑みたい酒を呑みたい酒を寄越すのだ、あわよくば酒を作らせろ。体の発育も余りよくないのでろくろく酒を呑めない今、酒の神様に拝まねば気が済まん。
どこぞの酒は命の水というが、具体的にはできれば酒が欲しいのだ、私は。できれば、塩っからい酒肴とよく合う、甘いやつがいい。
今の時点で飲める酒は基本的に米で作る甘い濁り酒で、ちょっと好みとは違うのだ。果実酒飲みたい。それはもう浴びるくらい飲みたい。
しかし、相手は松尾神社。そこいらの寺と違って早々にできることではない──
境内には青々とした木々が陽光を反射して煌めいている。端的に言ってじっとりして暑い。
残念ながら無茶が通ってしまった。
「お待ちしておりました、玉箒様」
「突然の不躾なお願いにも関わらず、受け入れていただきありがとうございます」
いきなり無茶言ったのに籠らせてもらえるの凄いな?
「いいえ、私どもも貴方様がいらっしゃらねばどうしようかと」
きちんと賽銭をお渡ししてから例を言うと、神主様は朗らかに返してくださった。
しかし、どうしようかとというのは、一体どういうことなのか。私は参籠できてありがたい限りではあるのだが、旨味は特にないはずだ。
「あの、それは一体どういう……」
「それが……神主の夢枕に主祭神である
──これより来る姫君を参籠させ告げよ。よく祈祷し、場を整え、成すべきを成せ。と。
####
めちゃくちゃ祈祷した。それはもう死ぬかと思うほど必死に祈祷した。
ひたすら額づいて酒への思いを語りかけて寝ても覚めても酒の作り方を思い出そうと必死になった。成すべきことを成せというのはたぶん、知識を全て並べ直して思い出し、酒を自力で作れということなのだろう。
ぶっちゃけ法律違反になるのだが、それでも神様のお許しを得たからにはバックアップができる、と思いたいところだ。
祈って祈って、祈り倒している間にどんどん感覚が微妙になっていくが気にしない。脳内は前世に好んで聞いていた曲がガンガン流れ出していくし、たぶん脳内麻薬とか色々出てる。
「酒酒酒酒酒酒……こうじ、こうぼ。ハッ!」
ゴンッ。
頭をガバッとあげてうっかり供物を置いていた台に額をぶつける。地味に痛い。だが、それより大事なことが思い出せた。
酵母の発酵が、ある!
酵母ならギリギリ自力で培養できるかもしれない。たしか果物の皮とかにもついているのだ、地下水と合わせて温かいところで培養できればいい感じになってくれるかもしれない。
そこからはもう戦いだった。
公にバレるとまずいので方違えのためにある洛外の別荘に行き、酵母発酵が出来るかどうか実験をした。寝ても覚めても酒のことばかり考えていたと思う。
果実を集めて壺にいれて油紙を張り、日中は日当たりの良いところに置いて温める。それを繰り返して成功して、コツが掴めたら今度は潰した果実に混ぜて発酵の実験を何度もやった。
高価な食べ物をいくらも粗末にしてしまったのは悪いことをしたと思っている。だが、その頃には父も諦めていたし、私が作っているものの正体にも気付いていた。というか微発酵したジュースを飲ませてグルにした。
そして、三ヶ月。
「で、きた……」
出来てしまった、私の酒……!
都合何度、瓶を割ったり酢を造ったりしたことかわからないが、気がついたら出来ていた。
震える手で柄杓をとり、少しだけ掬って茶碗に移す。とろりとした酒は、その滑かさと艶だけ見れば杏の濃厚さを決して失っていないように思える。
ひとくち、呑む。二口、三口。じんわりと喉が熱くなる。カッと焼けるほどではなくとも、これは確かに、求めていたものだった。
「ぁ、…あああっ……!」
ちゃんと、ちゃんと酒になってる……!
####
「は?」
松雪に告げられた言葉がうまく呑み込めなかった。まだ酒の味見のアルコールが抜けてないとか、そういうことではない。
「ですから、安倍晴明様に文を」
ふみ。文ってあれだね、だいたいお姫様が殿方に送るとかって行ってたやつね。うん、覚えてる。
なんで?
「なんでそんな勝手な真似を!?」
「お嬢様がちゃんと恋のいろはを学ばれようとなさらないからです! 三ヶ月も方違えと言い訳して籠ってばかり!」
おかしいでしょ! 一応貴族とはいえギリギリ地下じゃない程度だからあり得ないこともないだろうけどもさ!
事情を知っているはずの松雪の暴挙に目の前が暗くなりそうだが堪え、困惑のあまり柄杓を放り投げそうになったのを慌てて掴み直す。
危ない危ない、まだ酒が薄く底に残ってるのに勿体ないことをするところだった。水を少し入れて溶かしてみたのも味見しないと。
「仕方ないでしょ! あんな歯の浮くようなやり取りできるかァ!」
「口が悪い!」
「陰陽師の某相手に恋やら歌のやり取りやらなど口が裂けても出来ませんことよ!!!」
「よろしい!」
「良いのね……」
さっきまでの勢いは一体なんだったのか。
ちょっとげっそりするが、まあいつものやり取りだもんな……よく考えたら勉強がうまく行かないときの対応と変わらない。
しかし、安倍晴明である。若くして官位を得て活躍する、あの陰陽師の。確か私より幾つか年上だったか。
「まあ、滅多なことがない限りは誘いを断ることのないそうですし、姫の元に訪うのもほとんど一夜限りともお聞きしますから」
「……わかりました。文を送ってしまった以上は仕方がありません」
送ってしまって、返しの文まで届いたというのならもうどうしようもない。とりあえず明日にいらっしゃるというのなら、今のうちに屋敷に帰って間に合うし、準備をする時間もちゃんとある。
そのまま帰れと言うわけにもいかないし、一晩乗りきればいいだけのことだ。
「いいわよ、やったろうじゃないの……」
つまり、安倍晴明殿が本当にやってくるのだとしたら、やることはたったひとつ。
──酒盛りである。
####
「ようこそ、我が家へお越しくださいました」
「こちらこそ、お招きいただき感謝いたします、玉箒様」
最近噂の姫君がか細い言葉を上げるのに、いつものように返事をする。どの相手もあまり変わりはしないし、とっとと帰ってしまいたいところである。
彼女が寄越したという名目で届けられた文は、彼女が書いたものではないということは知っている。相手は知らずとも、自分は京の内のことであれば見聞きできる。
だが、この玉箒と呼ばれている姫には、奇妙なことがあった。月に何度も、方違えや物忌のためにわざわざ洛外へ出るのだ。
父親も黙認しているようだが、その理由もわからない。声が拾えなかったからだ。京の外で理由を話したのだろう。恐ろしく徹底しており、また知ろうとするときは何故か間が悪く同僚から声を掛けられてしまう。
結果、玉箒姫がしていることについては、ただ時折瓶を一つ二つ積んで帰ってきていることくらいしか知ることができなかった。
近しい者らの会話に聞き耳を立てても怪しげな言葉などは拾えず、それどころかそんなことをできるほどの頭は無さそうだという程度しかわからない。
そんな奇妙な姫君だから、むしろ直に会ってみようと考えたのだ。それでなにもなければ良し、何か不審なことがあれば報告を上げるなりして処分させることができる。呪詛でもしてくれたなら気づくことは容易いから一番良いのだが。
「晴明様」
「何でしょう」
「ひとつ、嘘偽りなくお聞きしたいことがございます」
「何でしょうか」
鬱陶しい、と正直思った。
「これまで召し上がったことのあるもので、苦しいと感じたり体や口のなかに痒みを感じたりしたものはございますか?」
「……特には、ありませんが」
「そう……よかった」
うっかり殺してしまってはいけませんから。
そういって笑う女に、ひやりと背筋が寒くなった。私を殺せるわけがないのだが、それでも嫌な感覚というのは体に現れることもある。
「松雪、下がりなさい。晴明様と二人で話したいわ」
松雪と呼ばれた女房が大人しく下がって声の聞こえないかどうかというあたりまで離れたのを確認したとき。
──御簾が大きく上げられ、姿があらわになる。
「さて、これで良いでしょう」
「……は?」
御簾を全開にして現れた女は、檀襲の衣を纏っており、扇を置き去りにして台盤を持っていた。
果たして玉箒の顔は、あまり美しくないがどことなく愛嬌があるように思えるものであった。端的にいって、モテないだろう。
しかし顔が微妙とはいえ姫君が顔を見せるとは暴挙である。よほど深い仲であればともかく、自分のような初対面かつ身分が低い相手に素顔は見せるものではない。
慌てて泰山解説祭で心がわかるようにと備えた。侮って洛内の声の方にばかりチューニングしていたのは失敗だったか。
〈ああああああのバカ姫様!!!──そう叫び乱入したい気持ちを堪えるしかない松雪である〉
だが、合わせてすぐには何も聞こえない。それどころか、遠くで伺っていたらしい女房にまで罵られている。
「玉箒様、お顔が」
「ああ、見苦しいから隠せと? まあ二度といらっしゃらないのですからお気になさらないでくださいませ」
違うそっちじゃない。
あんまりな言葉に口を開けて呆けてしまいそうになるが気合いで誤魔化す。なんだこの姫君は。本当に姫君か?
〈綺麗なかんばせだ。しかし、やっぱり自分の顔が微妙なのはわかるけど、そんなにギョッとされるのはしんどい。──そう思いつつも想像通りの反応に安心する玉箒であった〉
残念ながら本当に姫君だった。
綺麗なかんばせ、で感想が終わっているあたりにひどい戸惑いを覚えた。なにせ、自分の容姿が非常に魅力的だと知っているのだから仕方ない。
「晴明様。まず、謝罪をせねばなりません。貴方をお呼びしたのは私の女房の独断です。ですが……貴方様にお会いできると知って嬉しく思いました」
台盤を真横に据えられる。そして、玉箒自身はそのさらに横──自分の同直線上の、少し離れた位置に座った。
台盤に乗せられていたのは木の実や唐果物、燻製に、酒器であった。そして、しっかりと風をした甕と、中身が入った瓶子がひとつ。酒であるようだ。ただ、珍しいもので濃密な果物の芳香を漂わせている。
「これは」
「酒の肴にと用意しておりました。晴明様は酒好きだと聞き及んでいましたので、一度で良いから呑み交わしたいと思っていたのです。……ですが、お嫌な様子。なのでもう結構です。土産を用意させますので、お帰りくださって結構ですよ」
〈避けなければならないアレルゲンがなくて一安心か。しかし、あからさまに嫌そうな声だったし酒盛りなんてもっての他……まぁ、初対面の女相手におちおち飲んでられないだろうし、仕方なかろう。諦めようとそのように期待を殴り倒す玉箒である〉
「は?」
「ですので、顔をお見せしました。こんなはしたない女は願い下げでしょう? 話の種程度にはなるでしょうから、貴方の噂に馬鹿な女の笑い話がつくだけです」
どうやら、笑い話になることを自ら狙っていたらしい。
〈ああでも、ちょっとだけ、杏酒の感想聞きたかったな……せっかく、祈祷しまくった成果がうまく行ったのに。──落ち込みを隠せない玉箒だが、言い方のせいかと同時に深く納得している〉
聞き捨てならない解説が聴こえた。
杏の酒。本朝でもお目にかかることのない代物である。ましてや、杏は三日もすれば味が落ちる繊細な果物。それを、この姫が作った?
「玉箒様!」
「は、はい!?」
「その酒、呑ませてはくださらないのですか」
せっかくの珍品を取り上げられては堪らないと腕を掴めば、驚きのあまりに目がこぼれ落ちそうなほど見開かれた。ちょっと気色悪いが、それどころではない。
それに、珍しく裏表の無さそうな相手であるし──何より、呑み交わすのも楽しげだと思った。酒の密造は犯罪だが、方違えを始めたじきからすれば消費量がガラリと変わるほど作ってはいないはずだ。
うん、中々に面白い姫君じゃないか。
####
「よ、宜しいのですか」
あし絹で濾した酒とか、ちゃんとしたのだけお渡ししようと思ったけれど両手をガッチリと掴まれている。
というかこの御仁、スラッとしてる見た目に反して力強いな!? 腕ごっつい!
「ええ。だからとっとと酒をください」
ひどい言い様である。
「……これは、」
「いかがですか」
「中々の酒……いや、貴方のように果実でこれを造るというのは難しいでしょう」
晴明様がうまそうに酒を呷る。時折狐のように目が細くなるのが、眺めていて楽しい。
だが、こうして旨そうに呑んではいても、口から出任せの嘘かもしれない。それでもきちんと飲み干している。
つまり、私が醸した酒を、そうと認めて呑んでくれた。
──褒められた。褒めて、くれた。
その事実がじんわりと胸の内を温める。でも喜んではいけない。こんなことで満たされて、何になるというのだ。
「……ありがとう、ございます」
わかっている。お世辞だというのぐらいは重々承知だ。どんな味であれ世辞を言わねばならないのだから、心を動かしてはならない。
……それでも、世辞とわかっていようと嬉しいものは嬉しく思ってしまう。
もう内心はひっちゃかめっちゃかだ。それでも、さっぱりと晴れやかな気持ちになったのは一つ真実である。
「晴明様。お陰さまで私、この世に未練がなくなりましたわ」
ああ、晴れやかだ。月光が水晶の御簾のようで美しくて、こんなにも酒が美味しく思う。こんないい思いをしていいのだろうか。
「……は?」
晴明殿が盃を片手にぎょっとしたのはスルーすることにする。どうせ酔っぱらってるだろ。紅差してるみたいに頬は赤いし、先程よりもどこか空気が緩んでいる。
「私は、お飾りの後妻か愛人にでもなれなければどうせ出家するしかない身です。それなのに貴方は、私が酒を造ったことに諭しも咎めも、あまつさえ顔を晒したことに対して何も言わないでいてくださりました」
宮中の謀略や悪意で揉まれて疲れているだろうに。たかが女一人の言葉など誰も気にしないのだから、憂さ晴らしを兼ねて威圧的に振る舞うこともできよう。それをしないのだ、気を遣われているのだろう。
なんとなく相手の顔を見るのが怖くて、視線を上に投げる。月を肴にというのは味気ないと思っていたが、今日の月はひどく美味しそうだと思えた。
ぼんやりと雫が滴りそうな、旨そうな月。それが、今にも溶けてしまいそうになっている。
「嬉しいのです。このあとの上達を望むことができずとも、貴方が酒を褒めてくださった一言で、全て帳消しにできる気がするのですよ」
全部、割ってしまうか自分で呑みきって、欲はすっぱり断つ。そう思っていたのだ。それをしなくてもよくなった。ただ一人でも、無関係な彼が認めたのだ。これほどの僥倖があろうか。いや、あるまい。
ははは、と笑って私も盃を傾ける。一気に呑める量は少ないが、一人で呑みきるにはまだ多すぎる。これぐらいでなくては、残りを捨ててしまうことになろう。
ぼたぼたと手や杯の中に雫が落ちて、これじゃあろくに味がわからないなと遠くに思った。杏の甘味は少ない。糖のほとんどが酒精になったからだろうな。
三杯ほど一息に呑んで、そこで何故か晴明様に凝視されていることに気付いた。視線に質量があれば穴が空きそうだ。ま、人は視線で刺せないのだからありえないが。
「これほどまでの酒を造れるというのに、やめてしまうのかい」
相当酔ったんだろう、晴明殿は口調が砕けきっている。暑そうに衣を緩めるのは、ここが他人の家であるのを忘れているようなのでいただけないが、酔っているのだから仕方あるまい。
重ねられた衣下の薄い寒色はとても趣味が良い。青みが強い肌の色が明るく見えるから、服の合わせ方や血色を良く見せる方法も熟知しているのだろう。
「ええ、当然です。だって、酒を醸す姫なんて気味が悪いでしょう? しかもお上に逆らってるんですよ、これ」
掌の変わりに杏酒が入っていた瓶子を振る。酒は専売品なのだ。勝手に、よく訳のわからないものをつくったと公に知られれば刑罰は免れない。まあ、それは呑んでいる彼も彼だという話にもなるのだが。
「……それでもこの酒は旨いさ。良い出来だから、惜しいと思うよ」
「ははは、ありがとうございます。でも、婚姻にせよ出家にせよ、どちらにせよ私が造ることをやめるのに変わりはありません」
それは私なりのケジメだ。変えるつもりはない。流石に周りの立場を危うくしてまですることでもないしな。
だが晴明殿はこの答えが気に食わなかったようで、思い切りしかめ面をしている。あるいは肴のどれかが気に入らなかったか。
「なら、どうしてこれを振る舞った」
不機嫌そうなままの晴明殿に問われ、答えに窮する。
そうだ。バレたくなければ振る舞うことも考えなければ良かった。でも、実際はこうやって、やってしまった。
私は──
「私は……認めてほしかったんでしょう」
だって私には、酒を好んでいた筈だということ以外、何もないのだ。
だからこうする以外、思い付かなかった。
顔は良くない。頭も良いかと言われれば微妙だ。姫君教育は落第点だし。それに、変な姫だとしか思われてないだろう。
だが。それでも、私は酒を造った。
前の私は酒が好きだった。だから酒を介せば何か変わると思ったのだ。それで、一心不乱に祈って、思い出したか授けられたかさえ分からないまま、熟した杏を発酵させるなんてことをやって酒にして。
でも、結局は全部無駄なのだ。
お父様は諦めたように振る舞うけれど、飾りとはいえどこかに嫁ぐことになるのは変わらない。
同時に、仮に私が出家するとしても般若湯など造ることが許されるとは思えない。五戒を破るわけではないけれどその原因になることをするわけだからだ。
それならば、この酒は。私が心血注いで造ったこれは、結局身内に呑まれるか、割って捨てられるだけになる。そういうもの、それだけのものでしかないのだ。仮に、この国でどころか他所でも、この時代では早々作られないものだとしても。
「じゃあ、また来よう」
「え?」
思考が纏まらなくなりつつあったところに思わぬ言葉を投げられて、彼を見る。
晴明殿は、悪戯小僧のような顔で笑っていた。素の顔だろうか。
「流石に君の顔を見たあとに婚姻しようとは思えないけれど、酒を好む友として呑み交わすことはできるだろう?」
続けられたのがえらい言われようの理由で、つい笑ってしまう。
だが晴明殿はそれ以上に、私がよくわかるよう笑みを作っている。疲れるだろうに。
でも、うん。そうだ、笑えば良いのか。笑って良いんだ。この人は取り繕わないのだから。あれこれと考えて取り繕ったりしなくていいというなら……とても居心地が良い。
「それなら場所をどうにかした方が良さそうですね。あと上手な言い訳が必要かと」
「堅いなぁ。素の話し方でいいよ。それと空言は地獄行きだけどいいのかい?」
彼は私が答えたのに満足げに頷いて、さっさと立ち上がる。さっきまでの朱がかった顔はどうやったのか元通りだ。便利で羨ましい。
口調は随分と軽いが、素でもいいのだろうか。……ま、いいか。どうせ一夜限りと思っていたのだし、次がなくなるならそれはそれで。
「……一気に態度が軽くなったな。空言を言わない人なんて知らぬし、そんな人がいるなら余程の善人か阿呆だろうよ」
「あはは、やはりそちらの口調の方が君には似合うね。じゃ、これから酒の方もよろしく頼むよ」
「わざわざ言わずとも、それ以外に交わりを持つ理由はないだろ……」
ぱん、と手を軽く叩くと同時に、彼の姿が消える。方術の名手とは聞いていたが、随分と気安く使うものだ。
だが、次。次か。どうしようか、すごく嬉しい。いったい何を肴にすれば喜ばれるだろうか。なにか面白い話を肴にしてくれたりはするだろうか。
久々に、心が軽い。楽しくて、次が待ち遠しい。
「……土産、渡し損ねたな」
まあ、持っていけばいいのだ。次があるのだから。
####
「晴明! おっまえ、また姫君ひっかけよったな!?」
「あー……そうかもしれないね。この前の文の主か」
勝手知ったる屋敷に乗り込み、女房たちを侍らせて酒宴を楽しむ晴明に叫ぶ。付き合いがそれなりに長くなったせいだろう、こいつ、逃げる口実に私を使うようになりよった。
屋敷にすっかり入り浸りになったのは、まあ五年もあったからだろう。懇意だという話が出たのは最初だけで、古馴染みでしかないとはそのうち伝わった。だからこんな面倒な文まで届くようになったんだが。
「いい加減にしなさいよホント、こっちに女からの文来てるんだぞ」
「ああ、燃やしておけば良いよ」
「できるかァ!!」
へらへら笑いながら盃を傾ける晴明から、瓶子を奪ってラッパ呑みするように呷る。
流石に占術も一流らしい、甕を贈ったときにはまだ若かったのに、これはもういい呑み頃だ。まあ、この男のことだから色々見越して古酒も作ってるんだろうが。
「あっ、ちょっとそれ私のだろう?!」
「私が醸した酒だよ馬ァ鹿! あー、もうやだ、いい加減に嫁いでやるからな」
そしたらお前には酒が回ってこなくなるぞザマァ見ろと瓶子を置くと、非常に嫌そうな顔をされた。
体を起こしつつやれやれとため息をつくのだから、最初の頃の色男の雰囲気はもう欠片もない。畏まられても居心地が悪いからそれはいいが、こう、もうちょっと何かあるだろ。
「まだもうちょっと無理じゃないかな。というか甕ひとつ分貰えるようになるまで邪魔しようか」
「やめろ冗談じゃない。これでもそろそろ適齢期過ぎそうで不味いんだぞ。……って言っても、まあここに入り浸ってる時点でダメか」
仕返しのつもりか、晴明が意地悪く笑いながらそんなことを言う。本当に悪いのは性格だが、悪戯小僧にしか見えないのはどうかと思うんだよなぁ。
正直、結婚は義務と諦めていたのにこいつとつるみ始めたあたりから段々と嫌になってきて、どうしたものかと思っている。酒が呑めなくてもこうして話せるなら、たぶんこの先も愉快に生きていけるだろうと感じるせいだろう。父には悪いが出家を最有力候補にしてもいいだろうか。やっとこさ弟も元服して嫡男らしくなってきたし。
「でもそうしたら出家するんだろう?」
「般若湯はダメだっつってんだろうが!」
「破れば良いのに」
「やだ! ちゃんと仏宝を敬う!」
カッ、と目を見開いて宣言すれば、晴明があからさまにつまらなさそうな顔をした。
というか、二十歳そこそこの女に向ける言葉じゃないだろそれ。一応媛なんだぞ。
「なんでそこだけ律儀なんだい、君」
「徳は積んで損はないんだよ」
「次は鳥かもしれないのに?」
「どうせなら人が良いでしょ、それは」
そうは言ったが、嘘だ。そんなわけあるか。
もし次があるなら草木になって分かりやすく次の何かを残して死にたい。ただ一夏、命のままに伸びて、冬を待たずに枯れて木々の根元に眠りたい。今世は奇跡だ。奇跡は滅多とないから奇跡なのであって、起きてしまったら後には何も残らない。あぶくと変わるものか。
とはいっても、人の気持ちを手に取るように理解する晴明のことだ。言わずとも分かるだろう。そもそも次なんて早々あるわけない。
一瞬だけ悲観的になったが、目の前の晴明はそ知らぬ顔で、あっけらかんと酒の肴の塩漬けを齧っている。この野郎……。
「玉箒、キミどうせ来世も酒を呑みたいだけなんだろう?」
「よくお分かりで。……あー、なんか気が抜けた。帰る」
「次は梨酒を持ってきておくれよー」
色々めんどくさくなって、土産のつもりだった甕を一つ置いて牛車に戻る。明日はやることがあるから元々長居するつもりはなかった。
「もし来世で会ったら、そのときは君の渾身の酒を奢ってくれるね、玉箒」
私が恨み言を胸の内で言うのを知ってか知らずか、晴明はただ愉快そうに瓶子を揺すって来世分までも酒を催促する。……まったく、こういうところが憎めないのだ。
たぶん大陸の詩仙も、このような仕草をするところに毒気を抜かれてしまって、本朝の才人を気に入ったのだろう。ただ旨い酒と楽しい話で色々忘れられるから。
「来年どころか来世の話なんて閻魔様が笑う。それとお前も大概自重しろよ、晴明」
「玉箒でも我慢なんてするんだね」
「当たり前だ。明日も楽しく呑むための節制は大事だろうよ」
ただ、まあ、何だ。こいつのために酒を作るのも悪くはないかもしれない。来世ではなくて来年だけど、次は桃や梨で試してみよう。ネクターみたいな果汁に酵母を突っ込んで作るような酒だから成功率はあまり高くないのだけど。
「それでも。私たちはまだまだこれからだろう、玉箒」
「それもそうだが、お前は宮中での付き合いもあるんだから本当に気を付けろよ」
まだまだと言われても実感など出来るわけがない。
早々に糖尿になるぞと、この時代に知るわけもないことは言えないので視線で語るとまた誤魔化すように笑いかけられた。
こんにゃろう、糖尿病じゃなくて尿道結石出来てしまえ。
####
──ま、こうなってしまった以上、約束なんぞ守れないんだが。
「げ、ほっ……」
嫌な予感なんてだいたい当たるものだ。京都は暴れ水も多い。そして、今年は雨が長かった。
最後の最後が水のせいなら、それはもう運命でしかないだろう。酒を作るには水がいる。それを使わずして酒を醸したのだ。罰でも当たったのかね、と他人事のような思考が流れていった。
青黒い空に、白い光が滲んでいる。
初めて会ったときの、認められたあと眺めた月に、よく似ていた。
呻くようにもがいて、口から出た空気が泡が流れていく。肺を、まっさらな水が埋め尽くしていく。……まっさらというには、ずいぶん汚れているけれど。それでも月が見えるのだからきれいな方だ。
あぶくの奇跡の最後がこれだ。こんな私が、こんなところで。ああ、知ってたよ、そんなもの。ろくな死に方しないってのは当たってた。
でも、水神の怒りを買ったとだれも知るまい。知るとすれば、あの男くらいなものだろう。
あばよ、世界。……晴明、悪い。
──先に、使いを遣れば良かった。
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──そうやって、当世で酒に溺れ、月を溶かして呑んだ女がひとり。六月の雨に増した川の流れのなか、ゆっくりと沈んでいったのです。
(天暦4年あたりのことでありました。)
####
かしゃり、と盃が軽い音を立てて割れる。
遺品だというその酒は、最後に約束したものだった。
「お前がいなくなったら、誰と酒を呑むというんだい」
封を取って、呑み頃そのものの酒を掬い取って呷る。
──待ち望んでいたはずの酒は、どうにも味気なかった。
#####
ちょうど良く見慣れた顔が廊下の向こうの方を歩いているので、走り寄って声をかける。
「あ、ちょうど良いところに来たねムニエルくん!」
「なんか調子良さそうだな、サカワ」
同じ生き残りの彼は、今日はなんとなく具合が良さそうな、そうでもないような感じがした。ちょっと酒に誘うのはよした方がいいだろうか。
「まぁねー。で、相談なんだが。具合と都合がつけば酒盛りしないか?」
ノウム・カルデアは今日もなんとか存続している。
先日だって全員でオリュンポスを踏破し、ドッグに帰還して、いきなり現れた平安京の特異点もやり過ごした。いろんなことがありすぎて情緒が安定しないけど、まあなんとかみんな生きている。大丈夫だ。
だから酒を呑む。祝杯も、悔しさを溶かした酒も全部原動力だ。
「おいおい、オレはホームズじゃないぞ」
「ホームズはまだ一応本調子じゃない。誘えないよ」
「そうか。お前、ホームズのことすげぇ気に入ってたから、てっきり今日もそうかと思ってたよ」
ムニエルくんの言葉に笑って答える。ズタボロになったせいでちょっとポンコツ入りかけてたあたり、流石に誘えまい。
彼と酒を呑むのは楽しい。マスターの教育上、流石にアヘンやモルヒネを許すわけにはいかないのでぶすくれていたし、ちょうどよかった。ずけずけものを言ったりら怖じ気づかなかったり、そういうところが似てるからだろう。
あと、他人の神経を逆撫でするのが上手くて、時々それを楽しんでるのも似ている。
それがちょっと機嫌の悪いときのあの男に似ていたのが、ホームズに声をかけ始めたきっかけだったような気がする。まあ、あいつではないから別な愉快さを感じるぐらいで、今ではどうでも良いんだけども。
「しかし、サカワは本当に酒好きだよなぁ」
「そりゃあね。なんせ凝りすぎて酒造りまでやってたんだ。それなりに自信があるさ」
「密造はご法度だろ?」
半目のムニエルがあきれたような物言いをする。流石に今の警察は騙くらかせないから酒は作ってない。
だが、そういう目で見られているというのはなんとなく嬉しい。私はずっと一つ地続きの私のままだと、そう思い込めるような気がするからだ。
「安心しろ、ちゃんと1%以下か蒸留酒で丸のまま浸けてあるかのどっちかしかない」
「うっかり越えたりすんなよ」
「気を付ける」
気心が知れているからこそできる話だが、楽しいのになぜかちょっと物足りない。呑んでも呑んでも、何となくちょっと違うのが侘しい。
まあ、呑み始めてからこの方ずっとそうなのだから、慣れている。今日もそうだと言うだけの話だ。慰労なのだし、派手にやれば多少は紛れる。
そうやって微妙な心持ちを捻り潰そうとして。
「玉箒」
懐かしいあだ名を呼ばれた。
勢いよく振り向いた先には見知った顔がある。胡散臭いような、ただの穏やかな笑顔であるような柔和な表情を作った男が、いつぞやのように手を振っている。
声も、ほとんど変わりはしない。あの頃よりも少し厚みと深みが出たぐらいだ。まだ覚えていた。本当なら声から忘れるのに。いや、声も思い出せなかったのに、不思議とあまり変わらないのだとわかる。
懐かしいとは思わなかった。
会おうとは、それ以上、毛ほどにも考えなかったが、なかなかどうして嬉しいような、気恥ずかしいような心持ちになる。
だから、思い切り空言を言ってやろう。どうせこの男のことだから何を言ったところで適当に流されるだろうし。それに、喉元過ぎればなんとやら、地獄の記憶なんぞないから怖くもなんともない。
「は。どちら様で?」
整った顔から、ストンと表情が抜け落ちた。
このあとめちゃくちゃヘッドロックかけられた。