これはもうこういうキャラだということで許していただきたい。
「妲己よ、通うだけは通うが、お前を抱くことはせぬ。楽しませる必要もない」
「なぜです!?」
初めての陛下のお渡りの夜。開口一番は、そんな台詞でした。
はじまりのその前は、厄介な人間の営みが気になって、ついでにまとめてぶち壊すのも楽しそうだなと思ったこと。どうせなら自分も同じスケールになって内部から破壊してみようかなー、どうしようかなー、と思ったことでした。
特に関わることもなく、ただ崇められてそこにいるだけ、ただあることだけが絶対だった存在から切り離されて一人でいたのです。退屈で退屈で、これはもう人間で遊ぶなりなんなりして紛らわせないとと思った矢先に。
「あ、え?」
「……ほう?」
──そこに、子どもがひとり、ポンと現れたこと。
妾の前に現れたそれは、ちっぽけな人の子、それの中でも特にちっぽけな、数年しか生きていないであろう子どもでした。
ですが、骨も肉も脆く柔いであろうそれが、確かに妾の居所に潜り込んだのです。
「貴様、何者じゃ。妾の居所に潜り込むなどとは」
──でも、別に不愉快だとは思いませんでした。そもそも指先でつまんで潰せるような脆いものでしたし。
ただ、よくわからなかったのです。なぜここで生きていられるのか、こちらを見て、じっと見返すことができるのか。
見たところ中原の服を来ていたのでその縁を辿ってみれば、実際にそのあたりで生まれた人の子のようでした。
しかし、どうやら女禍の息がかかった中でも強く影響を受けているようで、肉体の作りから在り方までぼんやりとしか視ることができません。そこが興味深いだけのもの。
女神が人の胎に手をいれて、自ら作ったお人形。
そんなことなど露知らず、その子どもは確かに妾の姿を、目を見て。そのうえで、目を丸くしたかと思うと微笑みました。
「もうしわけありません、あなたさまのお気を害するつもりはなかったのです」
「ほう、勝手に踏み込み、悪意はなかったと申すか、人の子よ」
「そのとおりでございます、うつくしいお方。平におわびいたします。罰が必要ならば、お受けします」
そう言うと、子どもは首を垂れたのです。
──不思議でした。恐れもせず、理解しきれてもいないであろうに、ただ淡々と裁きを待とうとしたのですから。
その細い首はすぐにへし折ってやれるのですが、その前に、この様々なものがぼやけた子どもにほんの少しだけ興味が湧きました。
ぼろぼろの子どもに目を合わせると、その色はどこまでも透明でした。ただ、そうであるように教え込まれたのでしょう。
──なんと、哀れな。
「ただの人の子が、よく妾の居所に堪える。そなたは、いったい何だ?」
「わたくしは、子受と申します。天子として、さまざまなおしえを受けているものです」
「ほう。それでは其方、理解したうえで咎を受ける覚悟は出来ておるのか」
「はい。どのような理由であれ、あなた様の不興の罰は受けねばなりますまい」
子どもは傷だらけでした。所々折れかけていそうなのに繋がったままの骨。痣の浮かんだ皮膚。掠り傷から切り傷まで大小様々。
人間の言うところの「教え」というものは、そういうお遊びなのかとも一瞬思いましたが、それも正しくはないのでしょう。
この子どもは、頑丈すぎただけ。それに、弱音を吐かない程度には聡明だったというだけのことなのでしょう。
透明な目でこちらを見てくるのですから。私に対しても疑問を抱かず、ただ「そうでなければならない」を受け入れて。
──ならば、用済みになったらもらっちゃってもいいのでは? というか、今のうちに唾つけて召し抱えてしまったら楽しいのでは?
この子どもを見ていると、不思議な感覚が湧いてきます。ふつふつと何か込み上げてくるような、身を捩ってしまいたくなるくすぐったさのような。
そう思うと、ここしばらくが嘘のようにわくわくしました。いい退屈しのぎになる予感しかない。天子なんて、なんて丁度良い立場。
「其方、相当な愚か者であるな。だが、よい。貴様への罰だ、妾のものとなれ。貴様は、妾が迎えに行くまでに他の者にその身を預けることを許さぬ」
小さな子どもは、そのとき確かに目の色を変えたのです。
「かしこまりました」
嬉しそうに、幸せそうに。妾にこの先の短い人生を縛られたというのに、目を細めて、心底うれしいといった風に妾に笑いかけてきたのです。
──ぶちり、と腹の底で何かが切れる音が聞こえた気がしました。
正直には、そして正確には、めちゃくちゃにいたぶって、手足をもいで、髪を切り刻んで、体を丹念に裂いて、臓物引きずり出して頬擦りして、めちゃくちゃに唇を寄せて撫でまわしてやりたくなったのです。
ぞわぞわと背中を駆け巡る感覚もあり、先ほどの言葉を反古にして今ここでぐちゃぐちゃにしてやろうかと思いもしましたが、もう一段、存在を縛るためにとグッとこらえました。
「妾の名は──、って、あぁっ! 今消えるのかえ!」
ですが、子どもは了承したとたんに引き戻されたか消えてしまい。
妾だけの居所に残ったのは、腹の底で煮えたぎるような何かだけ。
「ゆるさぬ。ゆるさぬゆるさぬ許さぬ!!」
目の前がチカチカする。その心持ちも初めてだということに気づかないまま、めちゃめちゃにしてやろうの気持ちで中原管轄を行う者共の巣窟へと踏み込んだのです。
そもそも千年狐の白面金毛の一部として切り離され、鬱屈していたのもあり。おもちゃで遊ぶのに壊してはいけませんからスケールダウンは確実に必要です。
そうなると勝手に中原に踏み込むと戦争することになるわけで。女禍さんともちょちょいと交渉をして、潜り込むことについては条件付きで成功しました。
あの子どもを手元に置いて、それからぐちゃぐちゃになる過程を楽しむつもりだったのでそれなりに準備はします。少々癪ではありましたが、そこはこちらからの貸しのふたつみっつ、といったところ。そのぐらいはバカンスの宿代のようなもの。
そのあとは有蘇氏の娘として生まれて、美貌と教養に楽才で鳴らし。ついでにちょちょいと人心を狂わせて後宮に噂をお届けした私はイージーモードで後宮入り。
その間にちょこっと人死にか出たりもしましたが、戦をすれば当然のこと。そもそも穀倉地帯を得ようとする侵略者が間近にいる大陸ですから、内紛なんて可愛いものでしょう。
お父様との涙の別れのその後。召し抱えられた後宮は想像通りに広く、豪華で、あの子ども──陛下はとてつもない美形に成長していて。お力は強く、獣狩りも戦争もお上手。
ならば篭絡してしまえば贅沢三昧もなにもかも思うまま、壊れるまでの過程以外も楽しめて大勝利! と思っていたのに……。
「じゃあ、何をせよと仰るのですか!」
「ただ、朕の貴妃としての役目を全うでき、節度を保てるのならば、好きに振る舞って構わぬ」
そう言うなり、傍らの机に積み上げていた竹簡を取り出して読み始めてしまいました。色気のない寝室だとは思いましたが、よもやこんなことになるだなんて。
私を差し置き持ち込んだ書物を読み出したこともさることながら、欲情の欠片も見せない陛下には腹が立ちます。
「そうは行きませんわ! 女の威信的に!」
当然、本を奪ってやりましたが、陛下は私があっさり頷くと思っていたのか、ひどく驚きました。そんなこと、女のプライドをズタズタにする発言をしておいて、さほど考えなくてもわかるでしょうに。
こんな侮辱、あってたまるものですか。内戦してまで美女を召し抱えておいて抱かないとか、この方、本当に陽物がありまして?
そうでなくとも
「気に入らないのか、妲己」
「当然です! 私という極上の女を求めたくせに、おさわりすら無しだなんてどういう了見をしていらっしゃるの!」
「……お前は、いやがるだろうと思ったのだが」
さも当然のように言う陛下に、スンッと自分の顔から表情が抜け落ちるのを感じました。
自分で呼んでおいて、私が嫌がると。
しっかり夜着でスタンバって香油も塗って、これだけバッチリ夜の臨戦態勢に入っているのも見て、その台詞を抜かすか、この男。
「お前が後宮にいてくれれば、嬉しいと思ったから呼んだ。抱くことは出来ぬ」
「なっ……なんて弱虫思考なんですか、この軟弱者!」
ひっぱたいてやろう、と思いましたが。
「子受だ」
「は、」
「名を呼ぶことを許す。だが、ある貴人との約束がある。許せ」
続けられた言葉に、思わず尻尾を三本ほど出してしまいたくなりました。
それは、つまり。私のことは忘れているくせに、私のために潔白であったということで。
──やはり、ぐちゃぐちゃにしたいですわね、この男。
その日のお渡りは失敗でしたが、その後にも他の貴妃たちとは違い、機会は多く与えられました。
下女やそこそこの女官を誑かしたりちょちょいと鼻薬を嗅がせたりして聞き出しましたが、他のお渡りも基本的に不発で、見栄っ張りで抱かれたと吹聴する女ばかり。
商売女を召し上げたこともなかったとのことで、つまり陛下は生息子であると確証が得られたのは、お渡りから一月後でした。
わかったときには思わず拳を天に振り上げましたが、はしたないことだったかもしれません。
しかしそこからが長かった。
毎日興味を引きに行ってもほとんど相手にされず。たまに相手にされたと思えばお茶をご一緒するばかり。懐いてきたと思えば、そこから今度は膝で寝始めてしまう始末。
ええ、ええ。こればかりは仕方がありません。
朝議をすっぽかすこともなく、むしろ無駄なやり取りや役人たちの負担を減らすため、朝議の間隔をあけるために苦心していること。賄賂対策やら給金の改訂、民の飢餓対策に力を入れていたのは知っています。
──だからこそ、憎い。私に溺れてしまえば、楽になれるというのに。
それでもそんなことはいえません。だって、美味しくなくなってしまいそうでしたもの。
それから、少しして。
やっときちんとしたお渡りがありました。まあ、私が堪えかねてちょっと本性を刻んで差し上げたので、頭は覚えてなくても体が気づいたのでしょう。
「お前は、私と似ていると思ったんだ。だから、覚悟があるのなら、共寝をしてほしい」
「……ええ、もちろんですとも」
だって、ずっとこのときを待っていましたもの!
私の答えに満足し、陛下は纏っていた衣と晒し布を落としました。が。
(いや、えっ……嘘でしょう?)
思わず息を呑みました。
あらわになったのは、傷だらけの四肢に、どうやってそんなご立派な瓜を隠していたのかと聞きたくなる豊かな胸。
生来持っていたのであろう、隠蔽の性質が解かれたのはわかりました。おそらく女禍が擁立させるためにかけていたものでしょう。
四肢は柔らかそうで。牙を立てれば難なく沈んでしまうでしょう。肉はきっと具合がよく脂がのっていて甘く、体液は啜ればまさに甘露であることに間違いはなく。
──しかしまずいことになりました。
女禍さんが隠していたのはこれかと。せっかく、極上のイケ魂を得られると思ったのに、これでは計算が違う。
いいえ、満足させようと思えばいくらでも満足させられます。陽物くらい自分で生やせば良いですし。
ですが、これではちょっとプランがガタガタ。食べたいのは食べたいですが、食欲優先になってしまいそうな体つきはちょっとどういうことでして?
「騙してすまないが、見た以上はきみを離縁させることは困難だ。張型で満足するのは無理だろうし、物足りないなら武官からいいのを見繕って構わない」
こちらの気持ちなど知りもしない陛下は、傷まみれの裸体で微笑んでいました。
治ったものばかりではあるものの、幾らかは新しいものがありました。否、これは──
「呪い、ですか」
「そうだよ。よくわかるね、妲己。きみ、方術も修めているのか?」
私の気持ちなど露知らず。陛下は純粋な疑問を目に浮かべて首をかしげます。
体はありとあらゆる呪詛や呪いを受け止めたままであるせいで、傷は治れど呪いに蝕まれる。
女禍さんの意志に反したことで呪いを受けやすくなっていたのでしょう。
「これは、私の罪。これが私への罰だよ、妲己」
陛下は、乾いた笑いとともにそのようなことを言いました。
あのときと変わらず、許されることもなく叩きのめされてきたからでしょう。
「陛下、それがどうして罪なのです」
「だって、こんなの天は赦されないだろう」
いいえ、いいえ。天が、都合のよいものとしてあなたを造ったのです。
しかしそのようなことは言うこともできず、ただ見つめるに留まりました。
この御方はそれすら背負ってしまう。神の事情も自らのせいだと背負い込んで、私のものとなったときのように、女禍のもとに戻ってしまう。そんなの、許せるはずがないでしょう。
私を見る陛下の目には、確かに欲がありました。
ならば、何が問題でしょう。天下? やかましい家臣?
それとも、どれだけ徳高く治めようとしても出てきて憂いをもたらす愚民? 腹の中にいたあなたを弄り形作った女神の介入?
私を愛したことを後悔などさせません。喜んで、陛下のために天下を欺いて差し上げましょう。
そして、許さねぇですからねあの女神! これはもう私のものなんですから、ピッカピカのクリーンなお体に戻してから私が弄り倒しますよ!
「妲己よ、女が天子ではならないなら、私は天に背き続けていることになる。君とのこの閨事もそうだ。……だから、ここでは私を煕鳳と呼んで欲しい」
「わかりましたわ、煕鳳さま。……うふ、ふふふふ」
深刻な顔で私に告げて、了承したら心底安堵したような顔を見せてしまった煕鳳さま。
──なんて、愚かでいとおしい。
ああ、嬉しい。
嬉しくて嬉しくて、この人の身体中に歯を立てて痕を残したい。呪いの残る傷跡を舐めて癒したい。
全部私だけのものにしてしまいたい。
だってこの閨にいるのは、天子ではないただの小娘ですもの。私だけの、私のひと。
「逃がしませんわよ?」
こちらも衣を脱ぎ捨てて、手首を掴む。
その挙動にびくりと体を震わせるのですから、これは確実に生娘でしょうね。他のものに食わせなかった判断はよいものです。それでこそこちらも安心して事に及べるというもの。
震えている体に体を押し付けて、逃がさないように脚を絡め。それから引き倒してしまえば二人とも寝台から起き上がれません。
「え? 妲己、どうし、あ……っ」
まあ、もし何かしようとしている輩がいれば、貴妃でも焼いてやりましょう。それも暇潰しにはなるでしょうし。
ああでも、今は食べることに集中しなくっちゃ。
せっかくのごちそうがあるんですからね。
暗転。
「煕鳳さま、何を考えていらっしゃるんです」
身体中に歯形をつけたまま、体を縮ませた煕鳳さまが布団の中ですり寄ってきました。毛皮を扱うことに抵抗があって寒いからでしょうが、この仕草の可愛らしいこと。
「あなたのことだよ、妲己。私の体を見たときの、君の驚いてた顔を思い出してた」
「まぁ、意地悪。……ねぇ、陛下。煕鳳さま。お願いを聞いてくださいませんか」
「聞くだけ聞こうか」
「ふふ、つれないお返事。陛下とずっと一緒にいたいんですもの、聴いてくださらないと困るわ」
不穏な気配があったこと、もしかすると壊れてしまうかもしれないとの恐れがありました。
真剣なお願いとして、今のうちに伝えなくてはと。そう思って、口を開いたのです。
「あなたさまの屍体は、私にくださいまし。顔も胴も四肢も、爪も、血の一滴まで」
煕鳳さまの喉に爪を立て、妖気すら滲ませても。私の願いを聞いて、煕鳳さまは朗らかに笑うことしか、しませんでした。
「なんだ、そんなことか」
「なんだとは何です! 私は真剣に、」
「それじゃあ、化粧も口に含んでよいもので作らないといけないね。うまくできるといいのだけど、妲己は何を使えばいいものができると思うかい」
「……本当に、よい、のですか」
「うん。だって、わたしのきみだもの。天子でもないわたしでいいなら、全部あげる」
気負いもなく言ってしまえる、あなた様は。
──それでも天子として生きていかなければいけないと、天子として以外のあなた様に価値はないのだと、心を透明にしていなければいけないのですか。
「ねぇ、妲己。だから、わたしを貰ってくれる?」
「もちろん、です……ッ!」
首肯すればはらはらと涙を流す煕鳳に、ああ、人間としてここにいてよかったと心底感じました。
あのとき、自らの手元に縛らなくてよかった。縛って、刻んでしまわなくてよかった。
妲己として、透明になりそうになりながら歩むこの御方の側で、生きていたい。そう、思ってしまいました。
もしこんな調子の私をを見たら、きっとオリジナルは私を引きちぎるでしょうが、それも噛み砕いてやりましょう。なにがなんでもこの方の隣は私のものです。
そうでなくては、自分も、代わりに隣にたつ誰かも、私自身でさえも、きっと赦せないので。
だから、敗北したとわかったときにも、別れ難くて。
負けも予想していたことや、陛下が死のうとしていることはその夜に馬小屋へと手引きされてわかりました。可燃性のものは何でも残すようにと指示して、それから鹿台の宝石すらも使用人の持参金としていくらか剥いで渡してしまったのですから。
──もう寒々しい衣ひとつしか、陛下には残っていないのは、同類を殺されたくなかった、同類を殺した人間を赦せなかった私のせいでした。
「いや、嫌です! 絶対に嫌!!
お願いです陛下、お考え直しくださいませ! 私なら、私とあなた様だけならどこへでも隠して差し上げられます! あなた様が生きていける場所へなら、どこにだってお供しますわ!」
陛下は相変わらず笑っていました。
いつだって、そうです。泣きたいくせに、喚いて、縋りつきたいくせに、全部圧し殺してずっと笑っているのです。
「だから、どうか……!」
だって、今なら間に合うんです。
だから、一緒にいきたかった。生きていてほしくて、独りなんて嫌で。
「ごめんね、妲己」
それでも陛下は、私を無理に馬に乗せたのです。
「わたしは、最期までわたしでいなくちゃいけないと思うんだ。だから、一緒にはいけない」
「煕鳳、さま」
「妲己。わたしはね、ずっとずっときみに恋をしていました。これからも恋をし続けると思う」
晴れやかな笑顔で。
泣き叫ぶ私に。
「王命である。妲己、地の果てへ行け。お前だけは、何があろうと生き延びよ。朕の屍体が手に入るなら、約束通りに好きにせよ」
煕鳳さまは、口づけをしました。深く、煕鳳さまの血を私に飲ませ、抵抗する私を尻目に馬に鞭をくれてやったのです。
「だから、できる限り許さないでいて」
──許しません。赦せません。赦せるはずがない。
だって、あなたは私のものだったじゃありませんか。
私だけのあなた様じゃありませんか。誓ってくださったではありませんか。
どうして、ひとりで終わらせるのですか。
わたくしではあなた様の心を支えるのに足りないのですか。煕鳳さま。
「あ、ああ……あああああ!!!」
屍体は、鹿台から動かされず。
赦せません。黒焦げの体なんて。
首だけは絶対にと持ち帰り、皮膚も瑞々しく甦らせ、約束した化粧をして。
それでもやはり、ここに煕鳳さまはいらっしゃらない。
もう、どこにも。
「……馬鹿な人でしょう」
馬鹿なひと。天下でただ一人、いとおしい人。
そっと抱えていた首の断面を掲げると、血が滴りました。
だから、地に零れないよう術で受け止める。漂う匂い、美味しそうな匂い。
あとできちんと回収しておかないと。これを女禍に奉じる気などは欠片もないのだから。せっかく、焼けてしまった煕鳳さまをきれいにして差し上げたのだから。
その血を、戸惑い、固まってしまった人間の目の前で啜ったのです。
そもそも、首以外は置いてきたのが間違いでした。首は特に利用されるからと思ったのですが、この性悪男、まとめて利用してくれやがりましたし。
そんな悪態をついても、煕鳳さまの血は甘い。どんな酒よりも甘美で、もっと欲しくなる味で。
唇に残る紅をぬぐう。はしたないことだと、理解している。でも──相当はしたない仕草でも煕鳳さまは、陛下は私の仕草を愛していた。
──煕鳳さま。わたくしの煕鳳。あわれな小娘。いとしいひと。国どころか、自分の首まで私に貢いでしまって。
この人間が私に何か思うところがあったのは、知っていました。
それに、あの約束の夜に会っていたことも。そのとき煕鳳さまを知ってしまったことも。それでも、明確にしなければ目を瞑れたものを口にしたのだから許せません。
「だからこそ。わたくしが、このひとを食べるの」
「な?! 待っ、」
馬鹿な男。
断罪なんて、人間にしか必要ないとわかっているくせに。これも罰です。せいぜい苦しめばいい。
でも、そうでなければこの男の、生前の煕鳳を知る男の目の前でこの人を貪ることはできなかったでしょう。
目線が合うように持ち上げても、どれだけ願っても。この首は私を見はしないのだから、食べたいと思わなかったでしょう。きっと、ずっとずっと手元に置いて、ただ嘆くしかできなかったのです。
だから、そこだけは許してやろうと思いました。まあ煕鳳さまの肢体を見た時点で絶対に殺してやると誓いましたが。
冷たい唇に噛みつくと、至上の血の味がしました。でも、その程度。それぐらいなもの。想像していたよりも、あまり、美味しくはないのです。
これだけ愛していたのだから肉も甘いだろうと思っていた。けれど現実は、甘くもなんともなく、ただひたすらに寂しい味でした。
ああ、失敗したのだと、ここでもやはり思ってしまいました。
こんな不味いものを食むくらいならば。
最期ぐらいは一緒に、この方もろとも我が身で焦がし、灰になって消えればよかった。
いつも感想、評価、ここ好き、誤字報告ありがとうございます。励みになります。