オーバーキャパシティ   作:れんぐす

2 / 8
はろー、リアル。
ぐっばい、異世界。


本編
モモンガ様編


 

23:59:57

 

23:59:58

 

23:59:59

 

  

 

 首筋に挿したコネクタを通し、ニューロン・ナノ・インターフェイスから軽いノイズが入る。

 

0:00:00

 

 

 ──玉座から見える景色は固まり、通信状況が悪い時に感じるジリジリとした違和感がモモンガの視界を苛んだ。

 

 そうしていたのは数秒だけだ。やがて、全ての終わりを示すテキストが画面中央に浮かぶ。

 

 『”ユグドラシル”から応答がありません。通信環境を確認して下さい』

 

 大きくため息をつく。首を振ったり視線を動かしたりしようと試みるが、視界は一切変化しない。傍に従えていた戦闘メイドのプレアデス、セバス・チャン、アルベドも全く動かない。命令したから座しているのではなく、二度と動いている姿を見せることは無いのだ。

 

 

 ──終わった。

 生き甲斐が。

 ──消えた。

 半生を捧げた、何にも代え難い最高の思い出たちが。

 

 仲間達と共に築き上げてきたナザリック地下大墳墓が、丹精込めてみんなで作ったNPCたちが、ギルド──アインズ・ウール・ゴウンが。

 全て、何もかも、一瞬にして無くなった。

 

 涙は出なかった。仲間達は既にほとんどがゲームを辞めていて、最後の一年ほどはモモンガ一人でギルドの維持資金を稼ぐだけの日々になっていたからかもしれない。

 ただただ、とてつもない倦怠感と疲労感、そして少しの虚しさがモモンガ──鈴木悟の心を埋め尽くしていた。

 

 ユグドラシル最期の時をスクリーンショットに収め、HMDの電源を切る。真っ暗になった視界のまま余韻に浸る気分はない。明日は四時起きだ。

 

 コネクタからプラグを外し、HMDを外した。

 

 目の前に戻ってくるのは、明かりを消したいつもの自室。少しだけ奮発したゲーム用ソファ──

 

 

 

 ──ではなかった。

 

 眼下には短い段差、続いて赤い絨毯。それが伸びる一番奥にあるのは、凝った作りの大扉。

 

 (……あれ?おかしいな……)

 

 混乱して辺りを見回すと、小さなワンルーム──ではなく凄まじく縦に長い部屋の壁に、見慣れた旗が幾つも掛かっている。

 天井には豪奢なシャンデリア。自分が座っていたのは、ゲーム用ソファではなく──玉座。

 HMDを外した鈴木悟の視界に飛び込んできたのは、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの第十階層、玉座の間だった。

 

 (……いよいよ俺も頭がおかしくなったか?HMDは外したし、ユグドラシルはたった今サービスを終了したのに……)

 

 幻覚か、さもなくば夢か。

 夢だとしたら、このまま覚めて欲しくないものだと切に願った。

 

 

 

 「……モ、モモンガ……様で、あらせられますか?」

 

 澄んだ水よりも美しい、けれど震えた声が、鈴木悟にかけられる。

 モモンガという名前に反応して声の方を向くと、何かに動揺した風のアルベドが鈴木悟の顔色をうかがっていた。

 絶世の美女の蛇のような瞳に、やけに鮮明に映る夢だなぁと感慨を覚えつつも、どう答えたものかと考える。

 

 「あっ、あなたはモモンガ様なのですか!?どうなのですか!!」

 

 アルベドは立ち上がり、鈴木悟に向かって足早に歩いてくる。殺気と戸惑いが混ざった表情で。

 

 「お待ち下さい、アルベド様。そこにおわす人間からは、確かに至高の御方であるモモンガ様のお気配がします。まずは落ち着かれてはどうかと」

 

 段の下からセバスがアルベドを窘めるがアルベドは止まらず、鈴木悟の正面に立つ。

 

 「いいえ、落ち着いていられるはずが無いでしょう!モモンガ様がつい先程までいらっしゃったこの玉座、いつの間にか人間がすり代わっているのよ!?……確かに気配は本物だけれど、モモンガ様のような、お側にいるだけで感じるお力はないし──」

 

 アルベドが半ば狂いながらセバスと会話している中、鈴木悟は会話を聞き流しながらアルベドの肢体を観察していた。

 

 (折角夢なら、アルベドの造型を目に焼き付けておくか……。それにしても凄い作り込みだ。いい仕事したんだなぁ、タブラさん)

 

 セバスとの会話が一段落ついたのか、少し落ち着いた様子のアルベドが鈴木悟に向き直る。

 

 「あなたはモモンガ様なの?それとも──そうではないのかしら」

  

 『そうではない』という部分を強めに言ったアルベドには、答えによっては即座に飛びかかろうという気迫が見て取れる。

 夢だからといって殺されたいわけではない。そう思った鈴木悟は、一芝居打ってみようかと考えた。

 どうせ夢。起きれば忘れる泡沫の一時なのだから。

 

 

 「──私に直接尋ねるまでもないだろう、アルベドよ。お前が感じているという私の気配こそ、ナザリック地下大墳墓が主人、モモンガのものではないか?」

 

 精一杯の尊大な声音でアルベドに言い放つと、少しだけ恥ずかしさがこみ上げてくる。

 

 (……って、なんだよ気配って!俺の夢の中だからって設定が厨二に偏りすぎてないか?)

  

 そんなことを思う鈴木悟だが、アルベドは即座に床に膝をついた。

 

 「申し訳ございません、モモンガ様。御身を疑うなどという不敬、あってはならない事だと私自身理解しております。ですが、突然人間の姿になられた訳を……ご説明頂けませんでしょうか?」

 

 どうしたものかと考え、まぁ夢なら包み隠さず話しても問題ないかと楽観的な考えを実行する。

 

 「……あー、これはだな。私のリアルでの姿なのだ」

 

 「りあるでの……お姿」

 

  途端にしんと静まり返り、すぐさま鈴木悟はハッと思い至る。

 ──リアルとは何なのかがNPCには理解できないかもしれない。

 

 (リアルってどう説明すればいいんだ?……そもそもユグドラシルの仮想世界で生まれたNPCたちに、この世界はリアルで作られたものですーっ、て説明するのはどうなんだろう……?)

 

 答えを急いて失言してしまったか悩む鈴木悟だが、セバスの声が耳に入って冷静さを取り戻す。

 

 「モモンガ様、私は『りある』について至高の御方々の会話を耳に挟んだことがございます。──それはもしや、至高の御方々がユグドラシルと行き来をするという平行世界のことでございましょうか?」

 

 「……まぁ、簡単に言えばそうだ。リアルでの私や他のギルドメンバーの皆も同じく全員、リアルでは人間だからな。私はそのリアルでの姿のまま、ナザリックに転移してしまったということらしい。原因は不明だがな」

 

 そこまで言ってから、ふと思い立って右手でコンソールを出そうとしてみる。反応はない。チャットもGMコールも効かない。

 

 少し冷静になって状況を確認する。

 ゲーム中はアンデッドの特性で寒暖を感じなかったが、人間の鈴木悟に玉座の間は少し肌寒く感じる。

 NPCのはずのアルベドとはきちんと会話ができているし、喋ると同時に口が動き、表情も変わる。ユグドラシルにはなかった機能だ。ユグドラシルが続いているわけでは無い可能性が高い。

 だが、夢にしてはあまりにも明晰に頭が働くし、周囲の様子は緻密に描かれ過ぎている。

 

 (本当に夢……なのか?)

 

 疑問を抱き、傍らで漂うギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取る。

 アルベドの設定を変えた時のようにスタッフのギルド長権限を起動すると、なんの問題もなくコンソールが開いた。

 

 (ギルドのメイン画面……だけど、ほとんどのメニューが半透明になってるな。凍結、もしくは無効化されているってことかな。……まずいな、夢なのかユグドラシルが続いてるのかわからなくなってきた)

 

 スタッフの機能を使おうと四苦八苦していると、アルベドが自分の一挙手一投足を観察するかのごとく視線を向けていることに気がつく。

 そこで、ある考えに思い至った。

 

 (夢なら覚めないでほしいけど、もしも現実なら最高だよな……)

 

 「アルベド。もっと近くに寄れ。……まだ私を疑っているか?」

 

 「ギルド武器の機能を起動可能なのは、御身がモモンガ様本人である何よりの証左。今更疑う余地などどこにもございません。御身を疑った罰ならば如何様にも受けます」

 

 「あ、いや。……罰とかそういうのはよい。ナザリックを守らんがために動いたのだ、お前の全てを許そう。それより、お前に頼みたいことがある」

 

 「モモンガ様の寛大なるお慈悲に深く感謝致します。失態を払拭できる機会であれば、なんなりとお申し付けくださいませ」

 

 アルベドは鈴木悟の前で、今までで一番深く頭を下げて命令を待つ。

 

 「私の頬をつねってくれ」

 

 「……………………今、なんと?」

 

 「私の頬をつねってくれと言ったのだ」

 

 悲壮な顔つきで自分を見上げてくるアルベドに、長年のビジネスマン生活で鍛えられた洞察力が警鐘を鳴らす。何かまずいものに触れたらしい。

 

 「……ゴホン。えー、夢だといけない……わけではない。夢だとしても、お前とこうして話せたことはとても嬉しい」

 

 アルベドの表情が少し軽くなるのを確認して、自分も小さく笑う。

   

 「しかし、ぬか喜びもここまでにしておかないと、夢から覚めた時に絶望で死すら選びかねんからな」

 

 「……御身が死などと……!そのようなことは仰らないで下さいませ!」

 

 「ならば、よろしく頼む」

 

 恐る恐るといった感じで近づいてくるアルベドに、左の頬を差し出す。アルベドの細くて美しい指が顔に触れ、温かな熱を感じた。

 続いてアルベドの体から漂ってくる甘い匂いが鼻腔を満たし、幸福感を呼び起こす。

 

 (匂いがある……ということは、ユグドラシルが続いている、ないしはユグドラシルの続編という線は完全に消えたな。電脳法で味覚と嗅覚が制限されているから、今はゲームの中じゃない。あとはアルベドにつねってもらうだけだが──)

 

 アルベドは鈴木悟の頬に手のひらを這わせると、四本の指と親指で優しく頬肉をつまんだ。愛情を示すようにひとしきり撫でると、静かに後ずさって頭を地につける。

 

 「──御身のご命令とあっても、どんな事情がおありであっても。私にはモモンガ様の頬をつねることはできません。命令に背く罰であればどんなものであろうと受けます!ですが、最愛の人に痛みを与えろなどという殺生なこと、どうか仰らないで下さいませ!」

 

 そのまま床と一体化する勢いで平伏すアルベドに鈴木悟は若干引きつつ、自分で自分の頬をつねる。特に何も起こらず、ただ少しだけ痛い。

 

 (多分、夢じゃない。冗談みたいな展開だけど、ゲームの世界が実体化した、もしくは俺が入り込んだ?……それにしてもこの反応、もしかして最後に書き換えたあの設定(モモンガを愛している)が有効になっちゃってるのかな?)

 

 アルベドの創造主、タブラ・スマラグディナの白いタコ顔が頭に浮かんで、罪悪感に胸が苛まれる。

 

 「……面をあげろ。私を愛しているというお前の設定は、タブラさんの作ったものを私が歪めたのだ。これは正さねばなるまい」

 

 「それになんの問題がございますでしょうか!タブラ・スマラグディナ様であれば、きっと娘が嫁に行く思いで微笑んでくださるに違いありません!──それとも!」

 

 アルベドは最悪の発想に至ったらしく、金の瞳から滂沱の涙を流して枯れた声を出した。

 

 「──わ、私は……モモンガ様を愛してはならぬと、そう仰せなのでしょうか?御身から賜った私の愛を……無かったことにすると?」

 

 「うぐ……そういう言い方はだな……」

 

 セバスやプレアデスらは顔を伏せていて表情は伺い知れない。だが、アルベドに同情していたらどうしよう、と鈴木悟は考える。現状の意味不明な状況に加え、見たところ友好的なNPCが、明確に敵に回るのは避けたい。

 

 「……まぁ、そこまで言うならもう何も言わないことにしよう。タブラさんも今はいないことだしな」

 

 アルベドはほっと胸を撫で下ろす。安心からか正座が崩れ、へたりこむように鈴木悟の前に座り込んだ。

 

 「また罰を求められても困るな。──アルベド、お前の全てを許す。現状の把握のために力を貸してくれ」

 

 「……はい、承知いたしました」

 

 アルベドは涙を払うと、目の下を赤く腫れさせつつも立ち上がった。アルベドの表情からしばらく動かすのはやめた方がいいと感じ取り、セバスたちに指示を出す。

 

 「──セバス。お前は大墳墓を出て、周囲に何があるかを探索しろ。知的生命体がいればできるだけ穏便に接触、情報を収集するのだ。ユリを連れていけ」

 

 「畏まりました、モモンガ様」

 

 「他のプレアデスたちは各階層守護者たちに通達を行なえ。今より一時間後、第六階層のアンフィテアトルムに集合。ルプスレギナとソリュシャンはシャルティアに、エントマとナーベラルはコキュートスに、シズはデミウルゴスだ。アウラとマーレは私が行く。ヴィクティムとガルガンチュアはよい。──散れ!」

 

 「はっ、畏まりました」

 

 執事とメイドが去っていく後ろ姿を、アルベドと共に見つめる。大扉が閉まるころには、アルベドは凛々しさを取り戻していた。

 

 「……では、私はいかがいたしましょうか?」

 

 「そうだな……。私は指輪がなく転移の魔法が使えない上に、どうやら死の支配者(オーバーロード)の姿と比較にならないほど体力が落ちている。至って普通の人間と変わらないほどだ。第七階層の溶岩を歩いていくのは、少しキツいものがあるだろう。故に、第九階層のギルドメンバーの部屋から指輪を借りてこようと思う。誰かしらの部屋に置いてあるだろうからな。──私に付いてこい」

 

 「畏まりました、モモンガ様」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 ペロロンチーノの部屋から借りた指輪で第六階層まで飛び、アンフィテアトルムに入る。観客席のゴーレムたちから一瞬敵意の視線を感じたように思えたが、すぐにそれは収まり何事も無かったかのように静まり返った。

 

 「アウラ、マーレ。モモンガ様がいらっしゃったわ。下りてきなさい!」

 

 アルベドが支配人席の方へ呼びかけると、すぐさま小さな守護者が二人飛び降りて駆けてきた。

 

 「モモンガ様ーっ!お久しぶりで……あれ、人間?気配は確かにモモンガ様なのに……」

 

 「混乱させてすまない、アウラ。これは私のリアルでの姿だ。何か問題に巻き込まれたようでこの姿のままナザリックへと来てしまったのだが、心配しないでくれると嬉しい」

 

 人間の姿のモモンガの伴をアルベドが警戒せずにしていることからも、アウラとマーレは安心したようだ。

 それとも、子供の心を持っているが故の適応力の高さか。

 

 「も、モモンガ様があたまを下げられることはないですよ!……ぼっ、ぼくたちは、姿形がかわろうとモモンガ様に忠誠をつくさせていただきますっ!」

 

 「お前達の忠義に礼を言おう。その言葉を聞いて嬉しく思う。──さて、一時間としないうちにここへ守護者が集結する。構わないな?」

 

 「もちろんですモモンガ様!……ですけど、シャルティアも来るんですねぇー」

 

 アウラの面倒くさそうなセリフを聞きつけたとばかりに《ゲート/異界門》が開き、シャルティアが日傘をさして現れた。

 

 「久々にあいま見えるというのに、とんだご挨拶でありんすねぇ、チビすけ」

 

 言葉遣いに反して幼い子供のような声の持ち主だ。今鈴木悟が身につけている指輪の元の所持者である、ペロロンチーノが造ったNPCでもある。

 

 「……ルプスレギナやソリュシャンから聞いてはいたでありんすが、モモンガ様のお姿が人間になってしまわれたというのは、些か衝撃的でありんすね。されど至高なるお気配が変わらぬ以上、わたしが忠義を尽くすのは変わりんせんでありんす」

 

 ちょぉっと私のストライクゾーンからは外れてしまいんしたが──と付け加えてクスリと笑うと、アルベドがシャルティアをギロりと睨んだ。

 

 「そう言えばあなたは屍体愛好家(ネクロフィリア)だったわね、シャルティア。骸骨のお姿でなくなったモモンガ様は魅力的ではなくなったということなのかしら?」

 

 「そんなわけはありんせん。モモンガ様はそのお気配だけで十分に素敵な殿方でありんす。年増のオバサンは早とちりで困りんすねぇ?」

 

 年増、という暴言にこめかみをひくつかせたアルベドだが、愛する者の視線で我に返る。

 

 「……シャルティア。あなたはまだ理解していないようだから説明してあげるけど、モモンガ様は確かに現在人間のお姿になってしまわれている。けれどそれは悪いことばかりではないわ。──モモンガ様は現在、受肉されているのよ?」

 

 口もとをニヤつかせた妖しげな表情のアルベドに、シャルティアは女の勘で何かを感じ取る。でもそれが何かは分からない。

 

 「……それがどうしたでありんすか?人間の体は脆弱でありんす。転べば怪我をしんすし、殴れば吹き飛ぶほどにか弱いものでありんしょう?」

 

 「そうね。けれどアンデッドのモモンガ様には無くて、人間のモモンガ様にはあるものがあるわ。アウラやマーレならともかく、貴女ならわかるわよね?」

 

 「ちょっと、私には分かんないってどういうことよアルベド!」

 

 アウラがアルベドに噛み付くが、シャルティアはそれをよそに真剣に考え始めた。

 そしてすぐに答えに至る。

 

 「……あ、あ、あっ、アアアルベドォォッ!?それは、それはつまり……モモンガ様のおちっ、おちん──!」

 

 「なぁ、そろそろやめないか?この話題は……」

 

 絶世の美少女の白磁の唇から放送禁止用語が飛び出すのを堪りかね、止めに入ったモモンガにシャルティアは飛び退く。

 

 「も、申し訳ありんせんモモンガ様!……その、すこぉしの間だけ不敬な考えを抱いてしまいんした」

 

 そう言うシャルティアだが、視線は鈴木悟の股間一直線だ。ボールガウンの内側の脚は内股に擦り寄せられている。

 欲望は正直というか。確かにシャルティアはペロロンチーノからビッチの設定を与えられていたが。

 

 今の鈴木悟には性欲がある。二十幾年生きてきて未だ実戦未使用の息子もいる。それも、シャルティアやアルベドほどの美しい女性から好意を寄せられれば、嫌なはずがない。そして今は電脳法が機能していない状態だ。やることもやれる……と思う。

 だが守護者たちは、去っていった仲間達の置き土産。思うところも多々ある。

 

 「……確かにお前達は美しいが、友人の愛娘に手を付けるようなものだからな。それに俺、そんな美形じゃないし」

 

 自嘲気味の消え入るような言葉にシャルティアとアルベドが揃って『いえ!御身は──』と声を合わせたとき、アウラとマーレの間を割って青色の巨体が現れた。

 蟲の武人、コキュートスだ。

 

 「──御身ノ前デ騒々シイゾ、アルベド。シャルティア。何ヲソンナニ熱クナッテイルノダ」

 

 「「黙っててコキュートス!」」

 

 「ウゴッ……」

 

 鬼と化した二人に凄まれ、哀れにも萎縮したコキュートス。そんな彼に近づき、声をかける。

 

 「よく来てくれた、コキュートス。……今の私の姿では威厳も何も無いだろうが、笑わないで貰えると嬉しい」

 

 「マサカ御身ヲ笑ウナド。エントマタチカラ聞クニ、ソノオ姿ハリアルデノモモンガ様トノコト。幾多ノ修羅場ヲ乗リ越エテ来タ強者ノ顔付キハ、ムシロ尊敬ニスベキモノカト」

 

 「修羅場、か……。確かにいくつも経験してきたが、そういうものか?」

 

 「ハイ、ソウイウモノデ御座イマス。──シテ、アルベドトシャルティアハ何故アンナニ揉メテイルノデショウカ」

 

 何故かモモンガのいい所を言い合う謎の勝負に発展している二人を指して、コキュートスは疑問を呈す。

 

 「どうでもいいことだ」

 

 「「どうでもよくありません!」」

 

 そして第七階層からの《ゲート/異界門》が開かれ、スーツ姿の悪魔が瀟洒な足取りで姿を見せる。

 

 「そうですとも、モモンガ様。お世継ぎをお作りになられることはナザリックの安泰のためになる素晴らしい出来事、そして彼女らにとっては無上の幸せ。モモンガ様御本人がどうでもよいと仰られては、彼女らに立つ瀬がありません。どうか、寛大なるお心遣いを」

 

 「デミウルゴスか。弁の立ち具合から見るに、元気そうだな」

 

 「ええ、モモンガ様もご機嫌麗しゅう存じます」

 

 「うむ。気分は良い。もしかすると今までで最高に近いかもしれんが……、世継ぎの件に関しては少し触れないでくれ。私も考えることがあるのでな」

 

 「はっ、承知いたしました。モモンガ様」

 

 呼び立てた全守護者が時間前に揃い、鈴木悟という人間の前に一斉に膝をつく。

 シャルティアから始まってアルベドで終わる各々の名乗り上げを終える頃には、鈴木悟の胸の中は感動で一杯になっていた。

 

 (皆さんと作り上げてきたナザリックの守護者たちが……!こんなに立派になって、喋ったり動いたりしてますよ!)

 

 ギルドメンバーの誰か、誰にでもいいから伝えたいと思うも、現状チャットが使えない以上それは不可能だ。悔しさに歯噛みしていると、周辺地理の探索を命じていたセバスがアンフィテアトルムを訪れた。

 守護者たちの列に加わるように示し、セバスがそれに従って膝をつくと、鈴木悟はセバスに命令を出すことにする。

 

 「ご苦労だった、セバス。お前の見てきたことを守護者たちの前で伝えよ」

 

 「はっ、畏まりました。──まず、大墳墓の周囲にあったとされているグレンデラ沼地帯は影も形もなく、広がっているのは天を穿かんばかりの建築物の群れ。辺りには人間に対して有毒と思しき塵や霧が広がっております」

 

 「……ふむ、ユグドラシルの世界とはまた別のどこかか。続けよ」

 

 「──ですがそんな環境にも関わらず、防塵マスクで顔を覆った人間たちの姿がいくつも見えました。防塵マスクを着用せずに話しかけると怪しまれる可能性を考え、人間への接近はしておりません。傀儡掌を使用する許可を得られるのでしたら幾ばくかの情報を入手して参りますが、いかがいたしましょうか」

 

 「軽はずみな敵対的な行動は避けるべきだ。許可は出せないな。……人間たちの戦闘能力はどうだった?」

 

 尋ねると、セバスは少し困った素振りを見せる。「お前の思ったままを伝えろ」と促して話を聞き出す。

 

 「……はい。何と言ったらよいものか。私の見た限りですと、戦闘能力を有する者は誰一人として見当たりませんでした。むしろ哀愁すら感じさせるほどに無気力で、何故生きていられるのかが不思議なほどです」

 

 セバスの言から、鈴木悟は半ばナザリックの外の世界についての正体を把握していた。外というよりも、むしろ鈴木悟本来の世界。

 (……ナザリックの外に広がっているのは現実世界ということか? )

 

 「──ふむ。セバス、報告ご苦労だった。助かったぞ」

 

 「お褒めに預かり恐悦にございます」

 

 セバスが頭を下げて口を閉じると、鈴木悟は両手を広げて守護者たちに言う。

 

 「今のところはセバスの見たものしか外界についての情報はない。故に断定は不可能だ。だが、私は外界について薄々心当たりがある」

 

 「なんとっ」「流石ハ」と沸き立つ守護者たちを手で制する。

 

 「──それはリアルの世界だ。セバスのもたらした情報は、私の知るリアルの世界と酷似している。……リアルについては皆知っているな?」

 

 「はい、モモンガ様!私は知ってますよ!ぶくぶく茶釜様とやまいこ様、餡ころもっちもち様がお話をされていた際、時たま話題に出ることがありましたから!」

 

 「お、おねぇちゃん……!も、ももモモンガ様のお話のとちゅうだよぉ……っ!」

 

 瞳を煌めかせたアウラに、鈴木悟は深く頷いて返す。

 

 「アウラは勉強家だな。マーレも忠誠心があって良いことだ」

 

 幼い外見の二人が照れて赤くなるのは、子供を見ているようで微笑ましい。しばらく眺めていたいような思いに駆られるが、今は守護者たち全員の前だ。

 

 「──皆が皆、リアルについて同じ情報を持っているとは限らない。……もし万が一本当に、外の世界がリアルだったとしたら、再度皆に集まってもらおう。そこでリアルについての私が知る限りの情報を話すつもりだ」

 

 全員声を揃えて「はっ!」と声を発する姿に、鈴木悟は喜びを覚える。例えるならば、親戚の娘や息子が自分のことを慕ってくれるような感覚。

 

 (シャルティアの製作者はペロロンチーノさんで、アウラとマーレはぶくぶく茶釜さん。コキュートスは……そうだ、武人建御雷さんだったな)

 

 設定をびっしり書き込まれたシャルティアやエルフの姉弟は、かなりその設定に忠実な人格を持っているような気がする。逆に設定をそこまで詰め込まれなかったコキュートスなどは、武人建御雷の人柄が濃く反映されているように見えた。

 

 (セバスの製作者のたっちさんと、デミウルゴスのウルベルトさんはライバルだったっけ。NPCにも受け継がれたりしてるのかな?)

 

 よく見れば、セバスはデミウルゴスから一番離れた位置にいる。なんだか懐かしいものを見たような思いがして、頬が緩んだ。

 

 (アルベドはタブラさんだけど……。設定を書き換えちゃったのホントどうしよう……謝れるなら謝らないと)

 

 最前列で膝をつくアルベドをちらりと見て、目をそらす。

 

 

 「お前達を創造した皆にも、忠義に励むこの姿を見せてやりたいものだ」

 

 

 ふと心から漏れ出た発言に、ピクリと守護者たちの肩が動く。

 が、誰も何も発言しない。まるで何かをこらえるかのごとく、それきり石像のように動こうともしない。

 

 (ん、どうしたんだ?……やばい、何か不味いことを言ったか?)

 

 どうすればいいのか不安そうな顔になってしまうのを耐え、気丈な表情を維持する。

 

 「……どうした?何か訊きたいことがあるなら遠慮なく訊ねるがいい。疑問をそのままにしておくのは最も愚かなことだ。疑問を持っている部下──配下をそのままにしておくことも。可能な限り、何でも答えよう」

 

 「──では、お恐れながらモモンガ様。守護者を代表してひとつ、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

 

 「デミウルゴスか。構わん、続けよ」

 

 ナザリックのNPCの中でも知恵者の設定がなされているはずのデミウルゴスが手を挙げたことに鈴木悟は驚いたが、そのまま続けさせる。

 

 「……大変不敬な想定であったことは承知しております。ですが我々守護者は、皆一様に抱いたことのある可能性であると確信しております故、ここで解消するのが最も得策かと判断した次第ですが──」 

 

 デミウルゴスはその眼鏡の奥の宝石から、わずかな希望を感じさせる視線でモモンガに訊ねる。

 

 「先ほどのモモンガ様の言い様……、至高の御方々は今ナザリックにいらっしゃらないだけで、ご健在であるかのように聞こえました。至高の御方々は、未だお隠れあそばされたわけではない──ということで相違ございませんか?」

 

 「デミウルゴス!モモンガ様のご好意につけ込んで、なんて不敬なことを……!」

 

 「構わん。遠慮なく訊ねよと言ったのは私だ、落ち着けアルベド。……他の守護者たちも同じ疑問を抱いているか?」

 

 恐る恐ると言った体で首を縦に振るシャルティアやアウラ、マーレ。コキュートスとセバスはさらに頭を下げ、同意を示した。

 

 (……そうか、そういうことか!ナザリックで得たことしか知らない守護者には、ギルドメンバーの会話が唯一の情報手段。おおかた、ブラック企業に勤める誰かが会話の中で『死にそう』とかぼやいたのを聞いていたんだろうな)

 

 命のやり取りがしょっちゅう行われるゲームの世界の中のNPCには、『死にそう』という愚痴は大事のように感じるのだろう。

 だから、守護者たちは誤解しているのだ。

 

 「デミウルゴスの疑問に答えよう。──お前達が至高と敬うギルドメンバーの皆は死んだわけではない。今もなおリアルの世界で必死に生き、運命と戦っているはずだ」

 

 鈴木悟には、失うものが自分自身以外存在しない。だからユグドラシルにも最後までログインし続けられた。

 けれど、他のギルドメンバーは違う。

 

 ──ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの加入条件は二つ。

 アバターが異形種であることと、プレイヤーが社会人であること。

 社会人であるなら、背負うものがある者も多い。子供、妻、親。教職についている者は、学生を放ってユグドラシルに入り浸るわけにいかない。

 

 みんな、生活とゲームを天秤の両側に載せ、その結果ユグドラシルから離れていったのだ。

 掃き溜めのような社会構造に、嫌々であろうと立ち向かっていったのだ。

 

 

 「外の世界が真にリアルであれば、お前たちが敬うギルドメンバーたちも、きっといる。生きているとも。異形種に比べれば遥かに弱々しい人間の姿でだがな。……それで、お前達は──」

 

 

 彼らに、会いたいか?

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 沈黙が場を包む。アンフィテアトルムの端の方でドラゴンキンがのっしのっしと歩く音だけが、やけに大きく響いた。

 

 

 無限にも近く感じられた空白の後、デミウルゴスがあまりにも小さな声で呟く。

 

 「……お会い、したいですとも」

 

 次の言葉は、全員にきちんと聞こえる大きな声。

 

 「……あと一度でも、一秒でもウルベルト様のお姿を目に焼き付けることが出来るなら、我が身すら捧げてみせましょう」

 

 次の言葉は、慟哭に近い叫び。

 

 「……ウルベルト様だけではありません!至高の御方々のどなたであろうと、お会いして感謝を伝えたいに決まっています!──私たちをシモベを生み出してくださって、愛してくださって、ありがとうございます、と!」

 

 デミウルゴスが言い終わると間髪入れず、シャルティアが立ち上がって涙声で叫ぶ。

 

 「わ゙、わ゙たしも゙っ!……ペロロンチーノ様にお会い出来るならば、無間の死地へすら赴いてみせんしょう!」

 

 続いてアウラとマーレも立ち上がる。その美しいオッドアイからは大粒の涙が零れていた。

 

 「わたしも、デミウルゴスに同意です!ぶくぶく茶釜様の優しいお声をもう一度聞くことが出来るのなら、例え神さまだって倒して見せますっ!」

 

 「ぼっ、ぼぼ、ぼくも同じですモモンガ様!」

 

 「私モデミウルゴスト同ジ意見ニ御座イマス。武人建御雷様ガ必死ニ戦ッテイルヤモ知レント言ウノニ、何モセズニイルコトハデキマセン」

 

 コキュートスは至って普段通りの口調で、しかしその端々にはこみ上げる高揚感を隠しきれずに言う。

 

 セバスに視線を向けると、口を真一文字に結んで何も言うまいとしている顔を見つける。

 

 「セバス。お前はどうだ。……遠慮せずに本音を言うが良い」

 

 その許しの言葉を受けて、セバスの口がゆっくり動く。徐々に表情も感情的になっていく。

 

 「……至高の御方々にお会いできるなら、今すぐにでもお会いしとう御座います。……それがもし、たっち・みー様ならば──私はもはや、手段を選ぶことが出来ないかも知れません」

 

 「……そうか。たっちさんもこれを聞いたら嬉しく思うだろう」

 

 「ッ……!」

 

 顔を伏せたセバスから視線を移し、アルベドを見る。

 守護者の中でも一番静かにしている彼女の表情は、伏せた顔からは伺い知れない。

 

 「──アルベド。お前の意見を聞きたい」

 

 鈴木悟の言葉に、アルベドはわずかに頭を上げる。顔は依然として見えない。

 

 「アルベド。面を上げて意見を聞かせてくれ」

 

 「……わ、私は──」

 

 アルベドの声が思った以上に震えていたことに多少驚く。が、努めて彼女の言葉を聞いた。

 

 「私は、私たちは──、棄てられたわけでは、ないのですね?」

 

 「アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガの名に誓って、それは無いと断言しよう」

 

 みんな、ゲームよりも生活を選んだだけだ。社会人ならば至極当然のこと。やめたくてユグドラシルをやめた人はいないし、興味がなくなったからログインしなくなったという人もいない。いない、はずだ。

 少なくともNPCの前ではそういうことにしておかないとならないだろう。親に棄てられた子がどう育つかなど、考えずとも分かる。

 

 「タブラさんに会いたいか?」

 

 アルベドは顔を上げ、涙と鼻水でグシャグシャになった端正な顔を見せる。

 

 「……はい。お会いしとうございます。お会いして──モモンガ様との結婚式に是非出席していただきたく思います!」

 

 「そうか、なら──……ん?結婚式?」

 

 違和感のある単語に気づいた鈴木悟だが、泣きながら嬉しそうに話し始めるアルベドは止まらない。

 

 「はい!式前に私のウェディングドレス姿をご覧になったタブラ様はきっと、『綺麗だね』と一言だけ仰ってから着付け室から出ていかれるのです。そして自室に戻られてから密かに目尻を潤ませられます……!そして式や披露宴の最中はシモベたちの手前凛々しい表情をされるのですが、私がタブラ様への感謝の手紙を読み始めると途中で──」

 

 「ちょ、ちょっとストーップ。そのくらいにしておこうかー!」

 

 立て板に水を流すようなアルベドの口を塞ぐと、守護者たちの視線が集まっていることを感じる。

 咳払いを一つして、鈴木悟は覚悟を決めた。

 

 「……さて。皆の意見はおおむね一致しているようだな。そこで、今後の方針をある程度説明しておこうと思う。──計画は三段階だ」

 

 三本の指を立て、一本目を折る。

 

 「ひとつ。外の世界がリアルであることを確認する。無害な人間に対する軽はずみな敵対的行動は慎め」

 

 リアルはゲームではない。人を殺せば蘇らないし、守護者たちの中には、ただ全力疾走するだけで死体の山を築き上げるものもいる。

 本心は、友人の娘や息子たちに安易に手を汚させたくないから。

 

 二本目を折る。

 

 「ふたつ。リアルならば世界のどこかにいるギルドメンバーを探し出し、ナザリックへ帰還させる。だが、決して強要してはならない。彼らの中には、独りで戦わねばならん理由がある者もいるだろう。理由は聞かないでおけ」

 

 本心は、誰も忘れられていたことに気づきたくないから。

 

 三つ目を折る。

 

 「みっつ。リアルを我らの手中に収めよ。お前達が至高と敬う存在たちをナザリックから奪った、あまりにも不遜な社会構造を再構築するのだ」

 

 本心は──!。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの執務室。

 ここ数日間で鈴木悟の自室と化してきたこの部屋には、本来は無かったベッドやティーセットが持ち込まれていた。

 

 ユグドラシルの中では適当に良い感じの自動でこなされていた作業も、今は全て手動に変わっている。しばらく清掃をしない箇所は埃がたまるし、以前はメニューから項目を選んで費用を投入するだけだったメイドたちの食事も、料理長たちが作らなければどうにもならない。そしてその費用がバカにならない。

 種族ペナルティで大食らいとなっているメイドたちの稼働を停止させればかなり軽減されるはずだが、思いつきはしても実行する気にはなれなかった。

 

 無論、宝物庫には今後数十年間ナザリックを動かすくらいの金貨が貯蔵されている。

 しかし、それはギルドの財産だ。鈴木悟一人の独断で使用するには気が引ける。故に、外の世界の通貨である『円』を使ってなんとか運営を出来ないかと試行錯誤していた。

 

 ──そう、外の世界は完全に日本だった。

 西暦2138年、ユグドラシルサービス終了直後。東京アーコロジーに隣接する下層社会、旧神奈川地区に通じていた。

 

 幸い、エクスチェンジ・ボックスは円の価値をきちんと認めてユグドラシルの金貨に替えた。ユグドラシルの金貨を投入したら同額のユグドラシル金貨が出てくることも確認済みなので、通貨は通貨で認識しているということなのだろう。そしてユグドラシルの金貨と円の交換比率は非常に良い。ゲーム内のショップで金貨を買う時のレートがそのまま流用されているようで、きちんと円を供給できるルートがあればナザリックの運営には困らなそうだという結論に昨日至った。

 

 問題はそのルートだ。

 ナザリックのNPCたちは異形の姿をしていて人間に馴染めるものは少ない。巨大複合企業を襲ってはどうかという案も出るには出たが、万が一現職の警察官であるたっち・みーと遭遇したりでもすれば、非常にセンシティブな問題になる。それに、トップを襲ったしわ寄せが下層で慎ましく生きているナザリックのギルドメンバーに来るかもしれないという状況は、行動を慎重にする方針を決定的にさせた。

 

 結果、鈴木悟が苦労することになっている。

 技術レベルは当然ながら、ナザリックよりもリアルの方が上だ。簡単には社会に対して太刀打ちできない。上回っているのは文字通り戦闘力のみ。

 当然知っていたが、金を得るのは楽ではない。

 

 その上、ギルドメンバーの捜索も難航している。今のナザリックには至高を探すという鈴木悟の指示を心待ちにしているNPCがごまんと待機しているのだが、ゲーム中に会話した情報だけで個人を特定するのは、あまりにも難しい。

 

 ため息をついて冷めかけのコーヒーを一口含むと、部屋のドアがノックされた。

 入室許可を出す前に扉が開けられ、アルベドが姿を見せる。今やアルベドは鈴木悟の右腕として、ナザリックの維持を行うための業務において非常に有用な働きをしていた。その褒美として、執務室に入室する際はノックをすればすぐに入室してよいという特権を渡している。

 

 信賞必罰は世の常だ。初めは鈴木悟も金銭や給与、物品の支給を予定していたが、今のままで満足しているとの理由で断られたために、このようなことになっている。

 他の守護者たちに対してもそれぞれ異なる特権を渡すつもりでいるが、鈴木悟の貧困な発想力ではいまいち特権の候補は思い浮かばずにいた。

 

 

 「──モモンガ様、外界に派遣しているプレアデスたちからの報告書が届いております。読み上げますか?」

 

 「……そうしてもらえると助かる。少し目が疲れてきたからな」

 

 「畏まりました。では、報告させて頂きます」

 

 アルベドが読み上げていくのは、リアルで友好的な関係を築けた人間の情報、多額の金銭がやり取りされる現場の情報、今の下層社会でのトレンドなど。

 情報の有用性を問わず、ありとあらゆることを報告するようにプレアデスたちには言い含めている。

 情報の有用性は鈴木悟が一番よく判断できるからだ。

 

 

 「──続いてですが……、ルプスレギナが鼻の調子が悪いと申告しています。空気の悪い下層社会の街中で深呼吸をしたと……」

 

 「何をやっているんだ……。後でペストーニャに診てもらうように伝えておけ」

 

 「承知いたしました、続いて……えぇと、これが最後になりますね。『街中の建物の前面に設置されている大きな映像機械の中から、一瞬だけぶくぶく茶釜様のお声が聞こえたような気がした』──とのこと。報告者はユリ・アルファです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……あっ」


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