オーバーキャパシティ   作:れんぐす

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ぶくぶく茶釜編──上

 ──『ぐえっへっへー。この春川小学校はオレ様、怪人・グレイビーミールマンが頂いたぜぇー!』

 

 校庭に子供たちを集める、おぞましい姿をした怪人。その体からは歩くたびに肉汁が飛び散っている。

 人間はこの怪人に捕まえられたが最期、体に取り込まれて美味しいお肉に加工されてしまうのだ。なんておそろしい!

 

 『わぁん!こわいよー!』

 『うわーっ!おにくかいじんだぁ!』

 『きゃーっ!きもい!』

 

 『おいどいつだ!オレ様のこのパーフェクトボディをキモいっつった奴は!……うじゃうじゃいてわかんねぇから全員まとめて、叩いて潰してこねて焼いてハンバーグにしてやるぜぇー!』

 

 『だれかたすけてーっ!』

 

 怒りに身を任せて子供たちを喰らい始めたグレイビーミールマン。子供たちの必死の逃走もむなしく、超常の身体能力を持つ怪人の手が次々と子供たちを捕らえて、瞬く間に美味しい食肉へと加工していく。

 校庭にいた生徒達がほとんどお肉に変わってしまって、残された生徒達は絶体絶命だ。

 

 しかし空にキラリと光る何かが見えたかと思うと、たちまちそれは隕石のように春川小学校の校庭に落ちてきた。

 煙が晴れると、フリフリの可愛らしい衣装に身を包んだ一人の少女が姿を現す。杖には魔法のステッキを手にしていて、決めポーズを取っていた。

 

 『流星少女☆プリティスターハート、ただいま見参っ!』

 

 『ぐへへっ、いい所で現れたなぁプリティスターハート!先日お前の手でコンクリ詰めにされて海に沈められた、ソイソースシュリンプマンの仇を取らせてもらうぜぇ!』

 

 怪人の魔の手が少女に伸びる。しかし少女は臆せず果敢に怪人の懐へ飛び込む。

 

 『ガタガタうるせぇんだよ──シューティングスター☆ラブリーインパクト!』

 

 少女にあるまじきドス黒い表情を一瞬だけ見せて、音速を超える拳を怪人の腹へ叩き込む。だが、怪人もそれを耐えると力を解放させる。

 

 『ぐおぉぉっ!……だが甘いなっ!お前を研究し尽くしたオレ様の必殺技──ごふっ』

 

 少女は怪人の顔に飛び蹴りを入れて黙らせると、着地して姿勢を落とし、両拳を構えた。

 

 『一撃で死んどけっつーのクソ肉──メテオレイン♡キューティパニッシュメント!!』

 

 雨のように浴びせかけられる光速の乱打に、怪人がたまらず吹き飛ばされる。

 ほぼ死にかけで横たわったその体の上に、巨大化した魔法の杖が空から落ちてきた。もはや欠片すら残さず潰れた怪人の跡を背に、流星少女ことプリティスターハートは再度ポーズを決める。

 

 『おしごと☆完了っ!じゃあみんな、またね!』

 

 現れた時と同じように凄まじい速度で空へと飛び去っていく。その後には校庭の隅で怯えるわずかな子供たちと、校庭の土を深く抉ったクレーター、そして子供たちだった無数の肉片だけが残ったのだった──。

 つづく。

 

 

 

 

 画面が明転してから、スタッフロールに合わせてエンディングテーマが流れる。その歌声は、先ほどのプリティスターハートのものと同じ声だ。その声の主は、スタッフロールに『風海久美』と記されていた。

 

 やがてそれも終わって玉座の背後に掛けられたスクリーンが完全に暗くなると、誰ともなく始まった割れんばかりの拍手喝采が玉座の間全体を包みこんだ。感極まって涙を流しているシモベも少なくない。

 

 それが少しずつ収まってきたのを見計らい、鈴木悟は隣に座るプレアデスの一人、シズ・デルタに話しかけた。

 

 「──シズ、ご苦労だった。電力の供給を終えよ」

 

 「はい、モモンガさま」

 

 スカートの裾に連結されていたコードがカチリと音を立てて解除され、シズは力を抜いて「ふぅ」と息をつく。

 

 「ぶくぶく茶釜さんのご健在を皆に知らしめるこの上映は、お前の力なくして実現しなかった。礼を言おう」

 

 「……お礼言うの、モモンガさまじゃない。私のほう……!こんなすばらしいお仕事を、任せていただいたお礼をするべき……!」

 

 シズはいつもの無表情のまま慌てふためいて、両手をぶんぶんと横に振る。そんなシズにもどかしいものを感じて、鈴木悟は彼女の頭をぽんぽんと撫でてやった。

 

 「現在、ナザリックにおいてリアルの電子機器に電気を通して動かすことが出来るのは、シズ・デルタ──お前しかいない。必然的にお前を頼りにすることが多くなるだろう。じきに発電設備は整うだろうが、それまで手をこまねいているわけにいかないからな」

 

 今回使用した電力はシズが作り出したが、今後さらに電子機器をナザリックへ持ち込む可能性を考えると、それだけでは限界がある。よって、発電設備の設営が急務だと鈴木悟は考えていた。

 

 発電設備が整えば、プレアデスに回収させた鈴木悟のコンピュータのデータ復旧作業にも電力を十分に回せる。

 

 ──ギルドメンバーを探すならばまずはメールを出すべきだと考えて、プレアデスを派遣し自宅のコンピュータを回収した鈴木悟だったが、残念なことにユグドラシルの終了と同時にナザリックへ転移した際にコンピュータに相当な負荷がかかったようで、ギルドメンバーのメールアドレスをはじめ、内部のデータはことごとく破損してしまっていた。

 

 データのサルベージには凄まじい電力が必要だと主張するプロ(シズ)の案により、現在は急ピッチで発電設備の開発が進められている。

 

 

 撫でられているシズは鈴木悟を見上げるようにして、実に真剣に話を聞いている。

 実を言えば、これからシズに頼もうと考えている仕事は山のようにあるのだ。それこそ、データのサルベージは成功すればギルドメンバーに片っ端から連絡がつけられるような極めて重要度も責任も大きい仕事。

 そんな仕事をこの小さな少女に全て任せるにあたって、鈴木悟は感謝と期待、そして少しの不甲斐なさを抱いていた。故に、撫でていた手を彼女の背中に置き、優しく抱きしめる。

 

 「シズ・デルタ。だから、私はお前に感謝しているのだ。──今ここに在ってくれて、ありがとう、と」

 

 「も、モモンガ……さま……!」

 

 「あーっ!ずるいっす!シズがモモンガ様に抱きついてるっす!」

 

 「ちょっとルプスレギナ、なんですって!?」

 

 ルプスレギナがシズを指して喚き始め、それを聞いたアルベドやシャルティアが反応する。暗くなったスクリーンを名残惜しそうに見つめていたシモベたちも気づいて、にわかにざわめきはじめた。

 鈴木悟はすぐさまシズを離して距離をとると、風浦久美──即ちぶくぶく茶釜に創造された二人の守護者の元へ向かう。

 

 

 

 

 アウラとマーレの製作者、ぶくぶく茶釜のリアルでの職業は声優だ。ユグドラシルで初めてモモンガと出会った時には駆け出しだった彼女も、あれから十年経った今ではベテランと呼ばれる域に達している。

 出演作品数はもはや数えるのが億劫になるほどで、聞くにはファン数も相当多いらしい。

 一般作品や同人作品、そして大きな声では言えない作品など多岐にわたる活躍をしている彼女の名義の一つが、『風浦久美』なのだ。

 

 鈴木悟はアニメの方面にあまり明るくないので、彼女の経歴をよく知っているわけではない。

 けれどそんな鈴木悟でも気づくほど、彼女は日増しに知名度を増していった。

 あまりの忙しさから、ユグドラシルからいなくなってしまう日もそう遠くないのではないか──と一番最初に感じたのも彼女だった。

 

 ──案の定、彼女がユグドラシルを引退したのはギルドの全盛期が訪れてすぐだった。

 その後も彼女の弟のペロロンチーノはログインし続けたため、ぶくぶく茶釜がユグドラシルに復帰したがっていることは口伝いに知っていた。

 『いつでも帰ってきてくださいね』とモモンガが言っていたとペロロンチーノから伝えてもらった時には、とても喜んでいたそうだ。

 しかしその頃を境に、ぶくぶく茶釜の仕事はさらに増えていくことになる。

 

 当然、ユグドラシル最終日にもぶくぶく茶釜はナザリックを訪れることはできなかった。

 一応、ギルド連絡用に受け取っていた個人用のメールアドレスに連絡をしたものの、返信は『ごめんなさい、その日は遅くまで収録で』から始まる丁寧な謝罪の文章だった──

 

 

 

 

 アウラが胸に抱いているディスクパッケージを見る。作品タイトルは『きらきらりん☆プリティスターハート』。

 微妙に児童向けではないゴア描写が話題を呼んで空前絶後のメガヒットを記録した、プリティスターハートシリーズの三作目だ。三作通して主人公の少女をぶくぶく茶釜が演じており、そのために鈴木悟もその存在は知っていた。

 

 街頭コマーシャルでその声が一瞬だけ流れたのを、ナザリック女性陣三名でのおしゃべり会でぶくぶく茶釜の声を何度となく聞いていたユリ・アルファが聞き逃さなかったのだ。

 

 すぐさま鈴木悟の指示で円盤を購入。プロジェクターとプレーヤーは、処理場の廃材とユグドラシルの素材を組み合わせ、アッシュールバニパル大図書館の総力とシズ・デルタの尽力の末作り出した。ユグドラシルの素材を使った部分がやけにファンタジックで前衛的なデティールなのが趣深い。

 魔法と電力のハイブリッドで動くのだと司書長のティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスは誇らしげに言っていたが、一般人の鈴木悟には理解の遠い技術。この調子でリアルの技術をナザリック内で再現していくことが出来るなら、それは素晴らしいことだと素人ながらに考えるばかりだ。

 

 

 

 「アウラ、感想はどうだ?」

 

 瞳を閉じてアニメを思い返しているらしいアウラの前に立つ。するとアウラはぱっと目を開け、昂奮が収まりきらないとばかりに小さく飛び跳ねた。

 

 「もう最っ高です!ぶくぶく茶釜さまのお声、すっごくかっこよかったですから!あたしの名前を呼んでくれる優しいお声も大好きですけど……あのブヨブヨをぶん殴ったときのお声も素敵でした!」

 

 嬉しそうなアウラを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。微笑んで深くうなずくと、近くにいたマーレも鈴木悟に寄ってきた。

 引っ込み思案なマーレにしては珍しく満面の笑顔を浮かべているのが、よほど嬉しかったのだろうということをすぐに理解させた。

 

 「……も、モモンガ様っ!ぶくぶく茶釜様のご活躍、とと、とってもすごかったです!このような機会を設けていただき……ありがとうございますっ!」

 

 「礼ならシズとティトゥス、ユリに言うと良い。私は許可を出しただけだ」

 

 「は、はい!……わかりました!お礼を言ってきます!で、では……失礼いたしますっ!」

 

 「ちょっと待ってよマーレ!あたしも一緒にいくからさ!──モモンガ様、失礼いたします!」

 

 「うむ。焦って転ばないようにな。──さて」

 

 玉座の間はもはや、アニメの感想を言い合ったり、ぶくぶく茶釜についての思い出話をするシモベたちの歓談の場になっていた。

 異形の姿の大勢が楽しそうに笑いながら語り合う姿に、鈴木悟はかつてのアインズ・ウール・ゴウンを重ねて見る。

 

 (……楽しかったんだ)

 

 まだダンジョンの姿だったナザリック地下大墳墓を攻略して、ギルドの拠点として手に入れた時を思い出す。

 超巨大なレイドボスを、ギルド全員で力を合わせて討伐したときを思い出す。

 熱素石(カロリックストーン)の使い道を議論した時をはじめ、重要な話し合いの時は、円卓の四十一席に空きなんてなかった。全員が本気でゲームを楽しんでいて、毎日が喜びにあふれていた。

 

 (……あの頃のナザリックに、もう一度戻りたい。四十一の席がある大きな円卓に、たった一人なんて……もうこりごりだ)

 

 玉座へと一歩踏み出す。楽しそうに語らっていた彼の背丈よりも遥かに大柄な悪魔たちが、海を割るようにして左右にのけていく。

 階段を一歩のぼるごとに、背後から聞こえる話し声は少なくなっていく。

 

 鈴木悟が玉座の前に着いて振り返った時には、全てのシモベたちが鈴木悟に膝をつき、彼の口から話される尊いお言葉を一言一句聞き逃すまいと備えていた。

  

 

 「──静粛に」

 

 明朗と響き渡る鈴木悟の声以外に、玉座の間に音は存在しない。それでも静まるように言ったのは、鈴木悟自身の心がざわついて収まらなかったからだ。

 

 「先ほどの映像で出てきた少女には、お前たちが敬愛してやまないナザリックの誇り高き至高が一人、ぶくぶく茶釜さんが声を吹き込んでいる」

 

 玉座の間にいるシモベたちで、それに気づかなかった者はいないだろう。ここに集めた者達は金をかければ無限に湧くようなPOPモンスターではなく、ギルドメンバーによってその身を形作られた者達だ。自らの頭で考える力がある。

 故に、ぶくぶく茶釜の声を聞けて嬉しく思うと即座に疑問が出るはずだ。

 

 「お前たちはこう考えているだろう。……『何故、ぶくぶく茶釜様の声が画面の中の少女から?』と。──それに私は答えよう」

 

 鈴木悟はある物の方向へ、手を伸ばして指を一直線に向ける。

 それは玉座の間の壁に提げられた、ぶくぶく茶釜の紋章が施された旗だ。

 

 「ぶくぶく茶釜さんはリアルにおいて、声優という仕事をしている。──お前達にわかりやすく言うならば、創作された被造物に声を吹き込むことで、魂を与える仕事と言ったところだな。先ほどの映像はそういうことだ」

 

 シモベたちが小さくどよめくものの、すぐにそれは収まる。事前にその事を知っていたらしいアウラやマーレ、シャルティアはわずかな優越感に顔をほころばせた。

 鈴木悟は両手を広げ、前へと足を強く踏み込む。

 

 「──そう、被造物にだ。お前たちと同じ、誰かによって望まれ、創られ、愛されるものに魂を与える仕事。お前たちならばその仕事がどれほど貴いものか、理解できると信じている」

 

 シモベの中には、己の胸に手を当てて何かを感じ入っている者も見受けられる。

 鈴木悟はそれを確認して満足げに玉座の方へと戻ると、手を高く掲げた。

 

 「それを理解出来た前提で、良い報せを聞かせよう!──ぶくぶく茶釜さんの居住地域が判明した!」

 

 崇敬する信仰の対象の居住地域判明との鈴木悟の言葉に抑えきれぬ歓びの声が各所から上がり、玉座の間の温度が上がる。

 

 「詳しい話に先立って、今回このような素晴らしい成果を上げてくれた者に惜しみのない賞賛を贈ろうと思う!──シズ・デルタ、ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス、そしてユリ・アルファ!」

 

 名前を呼ばれた三名の周囲が沸き立ち、万雷の喝采が包み込む。ユリとティトゥスは優雅にお辞儀をして、シズは可愛らしく戸惑いながらも頭を下げた。

 

 「以上三名及び今回の成果に寄与した全ての者たちに感謝する。また、三名には追って褒美を取らせる。欲しいものやナザリック内で行使できることを望む特権を考えておけ。……いらないなどと言って私を困らせるなよ?」

 

 ギクリ、と固まるユリに念入りに視線を送って、鈴木悟は暗くなったスクリーンを指さす。

 

 「先の映像の最後に、ぶくぶく茶釜さんの歌声と共に文字が流れていくシーンがあっただろう。そこに、ぶくぶく茶釜さんの声が収録されたスタジオの名前が書いてあった。東京アーコロジー内、一人暮らし用の居住区が隣接された全寮制の大型アニメーションスタジオだ」

 

 アニメ業界というのは、多くの場合非常に過酷なものだ。それは百五十年以上前にアニメが生まれた時から変わらない。

 そのため最大手のいくつかでは、従事する人員の健康を徹底的に管理しアニメを制作するすべての工程を効率化するために、全寮制が取られている。ぶくぶく茶釜さんの所属する会社もそうだった。

 

 売れっ子のぶくぶく茶釜さんなら複数のスタジオを渡り歩くだろうが、今期彼女は『きらきらりん☆プリティスターハート』の制作とは違う会社の作品に出演していない。ならば、しばらくはアニメーションスタジオの寮にいるはずだ──そう考えて隠密能力に長けたシモベを複数送り込み、シモベたちはすぐにぶくぶく茶釜の気配が建物の中からすることに気づいた。

 それから、至高の気配を発するぶくぶく茶釜の姿を発見するまではさほど時間がかからなかった。唯一意外だったのは、寮ではなくスタジオ内部のホテルに拠点を構えていたことくらいだ。彼女ほどの大物となれば、すぐに他のスタジオへ飛べるようにホテルを使うということか。──それ以外は何もかも予想通りと言える。現在は交代で数種類のシモベが見張りについて、その姿を見失わないように追っている最中だ。

 

 「近く、ぶくぶく茶釜さんには何らかの手段で接触を行う。彼女がナザリックへ再び訪れる瞬間は、もはや秒読みに入ったと知れ!」

 

 鈴木悟は大歓声を上げるシモベたちを眼下にして、満足げに顔を緩ませる。

 

 ──問題は、その接触方法なのだが。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 「……参ったな。良い案が何にも思いつかない」

 

 自身以外を出払わせた執務室の机に突っ伏し、鈴木悟は独り言を呟く。

 

 「俺が外に出るのは危ないって言われてアルベドたちに止められちゃったけど、何の連絡もなしにアウラやマーレを突然会わせるのもまずいだろうし……。メールの一本でもできればいいんだけど、それもまだ時間かかるって感じだしなぁ」

 

 ついこの間まで生活していた日本だが、守護者たちに言わせれば『今の姿の御身が赴かれるにはあまりにも下劣で危険極まりない世界』だという。

 

 (……そりゃあ、ナザリックやユグドラシルに比べれば外の世界の環境なんてひどいもんだと思うけどさ)

 

 外の世界は夜空が白い。

 工場やクルマの排ガスによる深刻な大気の汚染に街の光が反射して白く見えるのだと、ギルドメンバーの誰かから聞いたことがある。

 それに比べてナザリックの第六階層は、いつ訪れても満天の星空が鈴木悟を迎えてくれる。ギルドメンバー随一の星好きであるブルー・プラネットがこだわり抜いて作った、偽物でありながら本物よりも美しい星空だ。

 

 ナザリックは美しいし広い。生活するのに不自由することはないし、体を壊す限界まで働かなければならないわけでもない。

 けれど、今まで容易に出来ていたことが出来ないとなれば、それなりに窮屈さを感じるのが人間というモノのわがままなところだ。

 

 そしてアルベドは半ば軟禁とも思えるほどに、鈴木悟をナザリックから出そうとしなかった。今だって名目上は一人きりというだけで、天井には複数の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が鈴木悟の護衛──兼見張りとして控えている。

  

 (……だめだ。何か気分転換しないと、思考がひたすら悪い方に向かっていく)

 

 第四階層を散歩でもするかと考えて指輪をしっかりと嵌め直したところで、前に全ての名前付きNPCの設定を洗った際に見かけたものを、ふと思い出す。

 

 ──そういえば副料理長がバーをやっていたな、と。

 

 鈴木悟は椅子から立ち上がり、伸びをして扉へ向かう。

 天井から微かに聞こえるカサカサという何かが蠢く音に「副料理長のバーへ行く」と言い残して、鈴木悟は部屋を後にした。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 扉の前には『OPEN』の掛け看板が掛かっている。ずっと執務室に篭っていたせいで今が何時かは分からないが、夜間しか営業していないこのバーがやっているということは、それなりに遅い時間なのだろう。

 バーのやっている時間に来れてラッキーと思う心と、生活リズムが崩れてきたと危ぶむ心が同時に生まれるが、元の生活からして三時起き四時起きが普通だったことをすぐに思い出して苦笑いをする。時間感覚は適当ではあるものの、満足に睡眠が取れているぶん、今の方が健康的かもしれない。

 

 押し開きの扉を開くと、小さな鈴がチリンチリンと鳴った。

 唯一店内にいた副料理長のマイコニドは、グラスを磨く手を止めて頭を下げる。

 

 「いらっしゃいませ、モモンガ様。よもや御身にお越しいただく日が来ようとは思いもしておりませんでした」

 

 「私もまさかここに呑みに来る機会が訪れるとは思ってもいなかった。──ふむ」

 

 死の支配者(オーバーロード)の姿の時には種族ペナルティとして飲食が出来ず、それによるパラメータボーナスも発生しなかったため、よく考えればバーに来るのは初めてかもしれないと思い、店内を見渡す。

 

 先程入ってきた入口の扉は遮光ガラスが使われており、店内にはほとんど廊下の光が差し込まない。必要最低限だけ設けられた薄い灯りが、カウンター背後の無数のカラフルな酒瓶を控えめに照らしていた。

 全体的に落ち着いた雰囲気が心地よい。

 

 「……ここを造ったのは誰だったかな」

 

 「私が記憶しています限りでは、ウルベルト・アレイン・オードル様とあまのまひとつ様のご発案によるものでございます。こちらに並ぶ瓶は御二方に加え、死獣天朱雀様、音改様、ぷにっと萌え様のご尽力により取り揃えられました」

 

 懐かしい名前がいくつも上がり、鈴木悟の頬が緩む。彼らのアバターの顔が次々と脳裏に浮かんでは消えていった。

 だが、疑問もある。

 

 「……全て空のようだが?」

 

 「モモンガ様の仰せの通り、こちらの酒瓶は全て飾りにございますが──酒の名前さえ判明していれば、ダグザの大釜より取り出すことが可能です」

 

 副料理長が手で示した先にあった黒い大釜を見て、鈴木悟は「ほぅ」、と感嘆の声を漏らす。

 ユグドラシルでは食事に縁がなかったため、ダグザの大釜という名前はすっかり忘れていた。金貨を対価に食料を生み出すアイテムだっただろうか。食堂の営業時間以外はここに置いてあるようだ。

 

 「モモンガ様、本日はお食事でございますか?それともこちらの店内をご覧になりにいらしっしゃったのでございましょうか?」

 

 「あぁ……そうだな、軽く腹を満たしに来た。アルコールが低めの酒も頼みたい」

 

 「畏まりました。では、どうぞカウンター席にお座り下さい」

 

 副料理長の種族はマイコニドであり、首から下は普通の人間だ。だが、頭部は毒性の強いキノコそのものであり、見る者を選ぶ外見をしている。鈴木悟も、予め心構えをしていなければ空の胃の中から酸っぱいものを戻したかもしれない。

 だが、仕事をする姿は一流のバーテンダーそのものであり、とても様になっていた。

 

 仕事とユグドラシルだけで生きてきた鈴木悟は、カクテルについてはよく分からない。アルコールだけ馬鹿のように高いリアルの合成酒も美味いと感じたことはなかった。

 けれどそんな素人目でも副料理長の仕事姿は、何か素晴らしいものを提供してくれるのではないかと期待させてくれる。

 数分と待たずに鈴木悟の前に、透き通った薄緑色のカクテルが差し出された。

 

 「──照葉樹林でございます。食前酒に良いシンプルさかと」

 

 「頂こう」

 

 グラスを手に取り、ひんやりと冷えた緑のカクテルを舌の上に流す。

 苦味を伴う深い渋みと香りにブランデーのシロップが合わさって、今までに味わったことのない濃い美味さを感じさせた。

 

 「初めて感じる味覚だ。かなり甘く、しかしほんの少しだけ苦さがある……だが、心地よい。どこかで味わったことがあるかも知れない、懐かしさを感じるな」

 

 「照葉樹林は緑茶リキュールと烏龍茶のカクテルにございます。モモンガ様の今のお体は日本人のものかとお見受け致しましたので、こちらをお出ししました。懐かしさは緑茶の風味から感じられたのやもしれませんな」

 

 「うむ……、実に素晴らしい配慮だ」

 

 ナザリックで作られた副料理長が日本人の顔を知っていることに驚くが、そういったことも料理スキルに含まれているのか。料理のためになることに全て役に立つものなのだとすれば、他のNPCが持っているスキルにも研究の余地があるかもしれない──などと考えながらカクテルを進める。

 グラスが空になる前にカウンターから小鉢が複数出され、食欲をそそる香りが鈴木悟の鼻腔を刺激した。

 

 「すぐにお出しできるものはこちらの三品になります。お時間を頂ければ、よりきちんとしたものを食堂で調理して持って参りますが……」

 

 「いや、それには及ばん。腹が膨れるまで食べようとは思っていない。──それに」

 

 鈴木悟は小鉢に盛られた料理に目を移しつつ苦笑いをする。どれもそれなりの量があり、三つも食べれば腹は満たされるだろう。

 

 「私の胃袋はホムンクルスのメイドたちよりも遥かに小さいぞ?」

 

 「……失礼いたしました。普段の食堂でのメイドの方々の食べっぷりを見ていると、どうにも感覚が狂ってしまいまして」

 

 「よい。お前の好意は受け取ろう。──頂きます」

 

 日本人の習慣として、食事を前にすれば手を合わせずにいられない。ましてや食事を作った本人が目の前にいれば尚更だ。

 

 魚の煮付け、ほうれん草の胡麻和え、長芋と梅を合わせたもの。どれも和を感じさせ、色合いが美しい。リアルのコンビニ弁当とはえらい違いだ。

 ナザリックに来てからというもの、食事はずっと執務室で摂っていたため一皿で済むようなものが多かった。こうして手塩にかけた小鉢が並んでいると、どれから手をつけたものか悩む。

 

 そこでふと思い至ることがあり、鈴木悟は副料理長に声を掛けた。

 

 「……どれも日本的な品だな。私以外に日本食を好む者が来店するのか?」

 

 言った直後に副料理長の肩がピクリと震え、頭のキノコがわずかに揺れる。そして何かを諦めたかのように肩を落とすと、鈴木悟に向き直った。

 

 「……いえ、そちらはモモンガ様のためにご用意致しておきました品になります。──いずれ御身が当店をお訪れになられた際にご満足いくおもてなしができるよう、モモンガ様が人間のお姿になられてからというもの日本食を研究して参りましたので」

 

 「そうか……!それはさらに嬉しいな」

 

 副料理長のダンディズムには至高の御身に気を使わせまいとするものがあったのだろう。だが、誰であろうと『あなたに満足してもらうために数日間頑張りました』と言われれば当然嬉しい。

 箸を伸ばしてほうれん草の胡麻和えを口に入れる。ほんのりとした甘味が心を溶かし、胃袋を掴む感覚がはっきりわかった。

 一々感想を述べる前に煮付けを口に運び、再び美味さに感動する。だが、食べたことのない食感だ。似た魚にも覚えがない。

 

 「これはなんの魚だ?」

 

 「黒鮪でございます。リアルでは乱獲により数十年前に絶滅しているとユリ・アルファ様よりお聞かせいただきましたので、現在黒鮪を食べることが出来るのはナザリックの食堂及び当店のみかと」

 

 「まぐろ……か。知識でしか知らなかった魚だな。どうりで未知の食感なわけだ。──だが、とても旨いぞ。味付けも私好みだ」

 

 「お褒め頂き恐縮にございます」

 

 長芋と梅にも箸を伸ばす。ヘタをすると冗長にも感じてしまう長芋の濃い味わいを梅が引き締めていて、これもまた美味い。

 

 一口、もう一口と箸が進み、少なくない量が盛られていた三つの小鉢は気がつけば空になった。

 

 「お飲み物のお代わりをお持ちいたしますか?」

 

 副料理長が小鉢とグラスを下げ、気を利かせてドリンクをどうするか聞いてくる。すっかり食事とアルコールを楽しんでいた鈴木悟は、その声で我に返った。

 

 「……いや、遠慮しておこう。まだ酔い潰れるわけにはいかないのでな。──ところで、このバーにはシモベたちは来るのか?」

 

 「ええ、ありがたい事に一日に数名はいらっしゃいます。デミウルゴス様とコキュートス様が共に呑みにこられる日があれば、シャルティア様が独りで静かに呑まれる時もございますし……あとはそうですね、執事助手様が頻繁にお見えになります」

 

 「執事助手というと……イワトビペンギンのエクレアのことか?」

 

 NPCの設定を確認した際に目を引いた名前が出てきて、鈴木悟は少し驚く。

 エクレア・エクレール・エイクレアーは餡ころもっちもちが制作したNPCであり、イワトビペンギンの姿をしているバードマンだ。

 レベルは最低の1であり、ホムンクルスのメイドらと同じく戦闘力は皆無。しかし名目上はセバスの直属であり、両手で数え切れないほどの男性使用人を部下に持つ執事助手だ。

 

 「はい、左様にございます。──何か気になることがおありでしたか?」

 

 「これほどの素晴らしい店に私以外の誰も来ていなかったとしたら、それはとてももったいないと思ってな。シモベたちも訪れているようで安心したぞ──む?誰か来たな」

 

 入口の扉が開き、鈴が鳴る。そこから顔を覗かせたのは、シズ・デルタとその小脇に抱えられたエクレアだった。

 カウンターに座る鈴木悟を見つけると、シズはエクレアを抱えたまま頭を下げる。シズの体の動きでエクレアの体が締まり、喉だと思う辺りにシズの腕がくい込んだ。

 

 「……モモンガ様。わたし、扉を開けてから、お気配に気づいた。……お邪魔してもうしわけありません」

 

 「いや、邪魔などしていない。していないが……、エクレアを下ろしてやれ。窮屈そうにしているぞ」

 

 「はい。……エクレア、おろすよ」

 

 シズがエクレアをバーの床に立たせると、エクレアはペンギンの手をパタパタと動かしながら鈴木悟に近づいた。そして思いのほか雄弁に喋りだす。

 

 「モモンガ様、お久しゅうございます。体の都合上頭を下げて敬意を示すことができないことは、どうかご容赦下さい」

 

 「お前の姿は餡ころもっちもちさんが作ったものだ。そうあるべきと彼女が定めた以上、私は気にしないさ」

 

 「寛大な御心にこのエクレア、感謝の言葉しかございません」

 

 頭を下げない代わりなのか、両腕を胸の前まで持ってきて姿勢良く立つエクレア。その姿は執事助手というより、マスコットキャラクターさながらだ。女性である餡ころもっちもちが作っただけあって、とても愛らしい。

 そういえばシズには、可愛いものに目がないという設定があったか。ならばシズがエクレアを運んできたことにも頷ける。

 

 エクレアはよちよちとしたペンギン歩きでカウンター席の前まで来ると、シズを振り返って腕をパタパタと動かした。

 シズはそんなエクレアを抱きかかえて持ち上げる。

 

 「モモンガ様、お隣に座らせて頂いても?」

 

 「構わん。私はじきにここを出るが、それでも良ければだが」

 

 答えを聞いたシズは鈴木悟の隣の席にエクレアを座らせると、そのさらに隣に自分も座った。彼はしばらく尻の座りのいい場所を探して脚をばたばたと動かしていたが、しばらくして納得する位置を見つけると、紳士然とした落ち着きをもって副料理長を呼んだ。

 

 「マスター、エレガントなのを一杯、アルコールは低めで。こちらのお嬢さんにはいつもの特製のを頼むよ」

 

 「畏まりました、すぐにお作り致します」

 

 なるほど、このバーに通っているというのは事実らしい。エクレアは慣れた雰囲気で副料理長をマスターと呼び、そのマスターもエクレアの適当な注文に応えようとカクテルを作り始める。

 小洒落た態度でバーに馴染むペンギンに軽い尊敬を抱きつつ、彼の仕事は第九階層と第十階層の掃除であったことを思い出す。

 人間である限り、鈴木悟もトイレに行く。いつ行っても最高の清潔さを保っている執務室近くのトイレは非常に喜ばしいものだったが、あれは彼の仕事なのだろう。

 

 「エクレア。お前が毎日熱意を持って仕事に励んでくれているようで、私は嬉しいぞ」

 

 「なんと。御身から直接お褒めに預かり恐悦至極にございます、モモンガ様」

 

 「それにお前は可愛いからな。とても嬉しい。いや、すごく嬉しいぞ」

 

 「ありがとうございます、モモンガ様」

 

 「うん。実に素晴らしい肌触りだ」

 

 「……モモンガ様?もしや、酔いが回られていらっしゃるのでは?」

 

 イワトビペンギンの鋭い嘴が目の前に迫り、鈴木悟は我に返る。気がつけばエクレアの腹を撫でていた自分の手を引っ込め、副料理長に冷たい水を頼んだ。

 

 「──今のことは忘れろ。いいな?」

 

 「ええ、承知しました。御身のご命令とあらば墓場まで持って行きますとも」

 

 そんな間に、副料理長は冷蔵庫からミネラルウォーターと謎の黒い液体が入った容器を取り出す。

 

 ミネラルウォーターは細長いグラスに氷とともに入れて鈴木悟に差し出された。

 だが謎の液体は、不可思議な液体数種類とクラッシュアイスと混ぜ合わされ、ストローを挿して、まるで正体不明な飲み物としてシズの前に出された。色は乳白色だが、使った液体にそんな色のものは無かった。何なんだ。

 シズはそのストローに口をつけると、ちびちびと飲み始める。心なしか美味しそうな表情をしているのは良いが、それは一体何なんだ。

 

 鈴木悟の疑問はそのままで、エクレアのカクテルも出来上がった。ストローが挿されているがペンギンがそれで飲めるのかと心配していたが、どうやら問題なく飲めるらしい。

 この二人には気になるところしかない。

 

 

 シズの幸せそうな表情を見ていた鈴木悟は、そういえばシズには褒美を取らせる約束をしていたことを思い出す。

 

 ティトゥスにはあの後会いに行って『リアルで執筆された小説を数冊』という願いを聞き、古典と呼ばれる名作小説をプレアデスたちに山と買い込ませて送り付けた。

 ユリは『ゆっくり考えさせてください』と言っていたので、しばらく時間をおいて聞きに行くつもりだ。

 

 では、シズはなんだろう。

 

 可愛いものが好きならばそういったものを欲しがるか。それともアルベドと同じような特権を欲しがるか、今聞いてみるかと鈴木悟は考えた。

 

 「シズ。褒美に欲しいものは決まったか?」

 

 「あー……うーん。……だいたい決まりました。けど、もしかしたらダメかもしれない。アルベド様におこられる、……かも。おそれ多くて口にもだせません。それに、恥ずかしい」

 

 「アルベドが怒る……?」

 

 蛇のような瞳を持つ守護者統括の顔が頭に浮かび、彼女が眉を顰めるようなことを考えてみる。

 

 (……心当たりはあるな。しかし……)

 

 アルベドは鈴木悟の身に危険が及ぶことに過剰なまでに敏感になっている。

 だがそんなことをシズが要求するのかといえば、そうも思えない。

 

 「……まぁ、言ってみるだけならアルベドも目くじらを立てたりしないだろう。ましてや酒の席でもあることだし、軽くまずいことを口から滑らせたって、私の頭の中からは明日にでも消えているさ」

 

 「……ほんとう、ですか?」

 

 「あぁ。言ってみるといい」

 

 恐る恐るといった雰囲気でシズは何かを言いかけ、しかし口を結ぶ。そんなことが三回ほど続いたあとで、シズはテーブルナプキンに手を伸ばして懐からペンを取り出し、何かを書いた。

 それをエクレアの頭の上を通して鈴木悟に渡す。

 

 ──初恋の相手に口で気持ちを伝えることが出来ず、代わりに手紙を書くような幼い乙女の如く。

 

 紙にはこう書かれていた。

 

 

 

 『モモンガ様のお膝の上でお昼寝したいです』

 

 

 

 「……これはアルベドには見せられんな」

 

 「はい。……そう思ったので、忘れてください」

 

 そう言って目を背けるシズの表情は、年頃の少女のようにいじらしい。ストローから謎ドリンクがものすごい勢いで吸われ、グラスの水面が下がっていく。

 鈴木悟も水の入ったグラスを傾けた。氷がカラカラと音を立てる。

 

 「私は今、酔っている。記憶力も低下しているだろう。だから、ここで起きたことは忘れることができた」

 

 「はい。モモンガ様」

 

 少し悲しそうなシズの表情。

 エクレアもその心中を察してか、瞳を閉じてカクテルを飲んでいた。

 だから、鈴木悟は微笑んでシズの頭を撫でる。

 

 「しかしこうして紙で渡されてしまっては、忘れようと思っても忘れられんな。──いずれ近いうちに、お前のために時間を作る。忠義に励みながら、その時を待つがいい」

 

 「……っ!?」

 

 あまりの衝撃からか、シズの手からグラスが滑り落ちそうになる。

 それをエクレアが器用に翼を使ってキャッチして、彼女の手に戻した。

 

 

 「副料理長──いや、マスター。お勘定は?」

 

 副料理長をマスターと呼ぶと、なんとなく慣れた感じがして鈴木悟の心をうわつかせる。これからバーでは彼のことをマスターと呼ぼうと決めた。

 対する副料理長は瀟洒に、そしてダンディに礼をする。

 

 「まさか、モモンガ様よりお代を頂くわけには参りません。このバーの運営も、モモンガ様あってのこと。またお越しになっていただけることをお約束くだされば、それで充分にございます」

 

 「ふむ、分かった。ではまた来るとしよう」

 

 

 あわ、あわわ、と震えているシズに先ほどの紙を見せて「忘れるといけないから貰っていくぞ」と告げて立ち上がると、エクレアが胴体をもっちもっちと動かして去り際の鈴木悟の方を向く。

 

 「シズ殿への寛大なるご配慮、本人に代わりまして心より感謝致します」

 

 「信賞必罰は世の常だ。感謝はむしろ、私がシズにするほうなのだよ」

 

 未だ心ここに在らずで震えるシズ、そしてエクレアに背を向け、鈴木悟はバーの扉を開いて外に出る。

 二、三歩歩いたところで何かが頭の中に引っかかり、その正体を求めてシズから渡されたテーブルナプキンを見る。

 

 考え、やがて発想が実を結ぶと、鈴木悟は叫んだ。

 

 「……そうか!手紙があるじゃないか!」

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