オーバーキャパシティ   作:れんぐす

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ぶくぶく茶釜編──中

 あたたかい、居心地の良い空間。永遠にいたいと思わせる、人の温もりを感じられる部屋。

 

 昨日も今日も、何一つ変わらない。現実から目を背けて、みんなで同じまぼろしを見る。

 

 私たちの秘密基地(ナザリック)は、ちっぽけなわたしたちが使うにはとても広くて、キラキラしたものがたくさんあった。

 

 楽しかった。仲間たちはみんな優しくて、毎日が冒険の連続で、飽きなんて一度も抱いた事はなかった。

 

 いつまでも遊んでいたいけれど、私の持つ時間は急に増えたりしない。私たちはいつまでもウェンディ・ダーリングではいられない。大人であることを思い出さなきゃいけない。

 現実の世界(ピーターパン)は、いつまでも夢を捨てられない大人を殺すのだから。

 

 そうしてしぶしぶまぼろしから覚めると、いつもかなしい気持ちになった。

 

 ◇◇

 

 やがて年を経るにつれて、遊んでいられる時間はどんどん減っていった。

 働くのと寝るのとで一日のほとんどが費やされるようになり、最初は一日三時間遊べていたはずが、やがてはたったの三十分、それも三日に一度できれば幸いくらいの忙しさになった。

 

 みんなが楽しそうに冒険をする中で、私は少ない時間を積み重ねて秘密基地(ナザリック)にこもるようになった。

 冒険に出たって三十分も経たずに離脱するのは、パーティに迷惑をかけるだけだから。

 嫉妬していなかったわけではなかったが、みんなの前では気さくで陽気な性格を演じ続けた。そういう声を演じるのは得意だった。

 

 

 しかし、ギルド長の彼はなんとなく気づいていたらしい。ある時、階層守護者のNPCを作るように勧めてくれた。第六階層であるジャングルの主となるNPCを。 

 弟が既に作っていたキャラクターが羨ましかったこともあって私はそれに飛びつき、すぐさまキャラメイクに熱中した。

 

 大好きな秘密基地(ナザリック)を私の代わりに守ってくれる、大切な大切な自分の分身(いもうと)を作るために、ログインしているわずかな時間を全て捧げた。

 

 身体の造形から身につけている小物にまで手をかけ、左右で異なる目の色を調整するのには実に一週間を要した。

 

 そうして出来上がったのが、ダークエルフのアウラ・ベラ・フィオーラ。出来栄えは最高だった。

 身体の造形ができた後で、今度は設定を練りに入った。陽気でかわいいキャラクターを目指して設定を書いていき、すぐに文字のスペースは一杯になった。

 

 

 アウラを第六階層に配置してしばらく経って、この広々とした階層に一人では寂しそうだと思い始めたので、実弟の生意気さを反面教師にした、従順で純粋な設定の弟を作った。

 

 アウラを作ることで慣れたのか、完成までそれほど時間はかからなかった。

 そうしてマーレ・ベロ・フィオーレが生まれた。

 

 

 ギルドで私を含めて三人しかいない女性プレイヤーは、各自製作したNPCを連れてよくお茶会をした。

 と言っても飲食しても味を感じないプレイヤーではなく、NPCにお菓子やお茶をあげながら談話に興じるというものだが。

 

 アウラとマーレは、そこではいつも私の両隣りに座らせていた。私がクッキーを口に運ぶと、アウラもマーレも嬉しそうにして食べてくれた。

 本当に、かわいい妹と弟のようだった。この時が、ユグドラシルで一番楽しかった時期かもしれない。

 

 

 ◇◇

 

 それから半年後、ナザリックは大侵攻を受けた。総勢千五百にも達する雪崩のような攻撃は第六階層も蹂躙し、ログインできなかった私はそれを事後報告として受けた。アウラとマーレは死んだらしい。

 

 破壊された第六階層を復活させる前に、その爪痕を見に行った。

 闘技場は廃墟のようになっていて、ジャングルの木々は滅茶苦茶に、巨大樹は大きな切り株になっていた。もちろん、二人のNPCの姿はなかった。

 

 復活させた後、二人はまるで何事も無かったかのようにそこにいた。自分が一度死んだことも知らず、二人とも私が作った柔和な表情のまま出迎えてくれた。

 

 なんとなく、それが悲しかった。

 技術的に無理だとわかっていても、私を許してほしくなかった。笑顔で迎えられたくなかった。

 

 

 それからしばらくして、私は装備をギルド長の彼に譲渡し、仕事が忙しくなったと言い訳してナザリックとユグドラシルから去った。

 奇しくも、その直後から本当に仕事量が急増していくことになる。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 声優として売れ始めてからすぐ、私はアーコロジーに移住した。

 最初は滞在費はプロダクション持ちで、スタジオに隣接する寮に住んだ。

 途中から生活費に余裕が出てきて、マンションを借りるかどうするか考え始めた。

 そのうち一部屋借りようと思っているうちに収入はどんどん増加していき、毎日湯水の如く使って、なおかつ親への十分な仕送りをしても余りあるほどになった。

 その頃から仕事が私生活を侵食していき、自炊も洗濯も面倒になってホテルで暮らし始めた。

 そんな生活も、もう何年目か。

 

 部屋に帰ってきてすぐにパンプスを放り出し、年相応に綺麗さのある服を脱ぎ散らかしながらベッドに身を投げる。

 ふかふかのベッドで即座に眠りに落ちたくなるのを気力でこらえて仰向けになり、遮光眼鏡型情報端末を掛けてメーラーを起動する。仕事の連絡はいつもこれだ。

 ファンクラブのアカウントを閉じて個人用のアカウントを開くと、家族からの連絡や仕事の連絡に混じって懐かしい名前が目に入った。

 

 『モモンガさん』。

 ユグドラシルをやっていた頃に散々お世話になった、ギルド長の彼からのメールだ。ユグドラシルが今月末でサービスを終えるというのは、業界人としての知識で知っていた。

 メールを開くと、彼らしい几帳面でわかりやすい文章が続いた。時候の挨拶からはじまり、きちんと礼節をわきまえた文面だ。その辺りは適当に読み流して下にスクロールし、本題を読む。

 

 「『せっかくユグドラシル最後の日ですし、来れる人だけでもナザリックに集まって昔話に花を咲かせませんか』……ってモモンガさん、まだユグドラシルやってたんだ」

 

 正直なところ、それが彼のメールに対して抱いた唯一の感想だった。

 薄情かもしれないが、何年とログインしていないオンラインゲームについて思い出せることなんてほとんどない。

 

 ユグドラシルが終わる日の午後と翌日の午前は奇跡的に予定が空いているが、別に行く気にもならない。

 ゲーム中はなんとなく楽しかったような記憶があるが、メンバーの名前も彼とよく遊んでいた数人以外思い出せないのだ。弟は別として。

 

 返信フォームに『ごめんなさい、その日は』まで打ち込んでから、彼のアバターの骸骨顔が脳裏によぎる。

 

 人の良い彼のことだ。例え誰も集まらなくとも、誰かがログインするのをずっと円卓に座って待ち続けるのだろう。

 ギルド拠点だって、維持費を稼ぎ続けなければとっくの昔に崩壊している。彼とあと何人が今の今までゲームを続けていたのかは知らないが、残ったメンバーと責任をもって最後までナザリックを守り続けたに違いない。

 そう考えると、最後にログインして別れの挨拶くらいはするのが礼儀だ。

 

 そうしてなんとなく行く気になり、打ち込んだ文字を消してから、ふと思い出す。

 アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレの姉弟を。

 

 

 真に愛されて創られたキャラクターは例外なく、命といっても過言ではないほどの力が宿ることを私は知っている。そうして創られたキャラクターは実に生き生きとして画面の中を動きまわるのだから。

 

 

 では、アウラとマーレは?

 

 間違いなくその当時の私の全精力を捧げて創り上げた。その後も実の妹と弟のように可愛がっていた時期はあった。

 

 しかし大侵攻が起きた時、必死で防衛をしていたであろう二人のもとに、私は駆けつけられなかった。あまつさえ復活した二人に対して、言いようのない嫌悪感を抱いてしまったのだ。

 

 愛したと言えるか?

 否、言えるはずない。

 

 命が宿ったと思えるか?

 否。考えるまでもない。

 

 

 そんな二人が今も変わらず、第六階層で私の帰りを待ち続けているのなら。

 

 帰ることができるはず、ない。

 たとえ命のないデータの塊であろうと──命がないが故に、顔を合わせるわけにはいかない。

 

 返信フォームに再度『ごめんなさい』と入力して、手早く文面を考えながらタイプした。もう迷わなかった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 執務室の扉にノックがされ、アルベドが入ってくる。鈴木悟は手を止めてペンを置いた。そして手を組み机の上に置いて、尊大な態度をとる。

 実を言うとここのところ、めきめきと支配者ロールが上手くなってきている気がする。ユグドラシルが終わってナザリックでの生活が始まって以来、生まれて初めて他者を顎で使う立場になったわりには素早い順応だと我ながら褒めたい。

 

 アルベドが扉を閉めて振り返ると、偶然彼女の目と鈴木悟の目が合った。

 

 するとアルベドは少し恥ずかしそうにして片手で口もとを隠すと、怜悧な双眸をほころばせて微笑む。ほんのすこしだけ、純白のその頬が赤みを帯びた。

 普段とは違う可愛らしさに鈴木悟の心拍数が少し上がるものの、努めて冷静さを保ちつつ彼女を迎え入れて声を掛けた。

 

 「ん゛っ!……アルベド。──何の用だ」

 

 「アッシュールバニパルから研究成果が上がりましたので、ご報告と献上に参りました」

 

 アルベドは布に包まれた小さな箱を恭しく差し出し、鈴木悟はそれを受け取る。箱は小さいものの、手のひらにずっしりと感じる重さだ。

 蓋を開けると、古びた機械に色々なものを無造作にくっつけたような、禍々しく奇怪な何かが箱にみっちりと収まっていた。

 

 パッと見ただけではこれが何かなどわかるはずがない。だが鈴木悟がアッシュールバニパルに製作を依頼していた幾つかのものの中に、かろうじてこれではないか──と思わせるものがあった。

 

 

 「これは……カメラか?」

 

 「左様にございます、モモンガ様。報告書によりますと、リアルにおける『ぽらろいどカメラ』を、プレアデスが持ち帰った廃品とナザリックにある物資で再現したものとのこと」

 

 おそるおそる箱から取り出すと、カメラを包むように超位魔法を行使する時に似た、小さな青い魔法陣が浮かび上がる。

 おどろおどろしい見た目に反して、構造は普通のカメラと変わらないようだった。上部にはシャッターボタンがあり、撮影のための小さな覗き窓もついている。

 

 試しにファインダーを覗いてアルベドに向けると、アルベドはまるでモナ・リザのような慈愛に満ちた微笑みを見せた。

 ボタンを押してシャッターを切ると、魔法陣の色が赤く変わった。しかしそれ以上は何も起こらない。

 うまく動かないのかと鈴木悟が訝しんでいると、アルベドは箱に付随していた説明書を手に取る。

 

 「一度ボタンを押すと録画が開始され、二度目で録画が終了するとのことです、モモンガ様。音声も入ると書いてございます……とすると、私の今の声も入ってしまっているのでございましょうか?」

 

 「ポラロイドカメラで録画だと……?そんな馬鹿な……」

 

 言われるがままにもう一度ボタンを押すと魔法陣の色が真っ白に変わり、カメラ内部から静かな駆動音が聞こえ始めた。しばらく待つとカメラの下部からアルベドが写った写真が排出され、魔法陣が青色に戻る。箱にカメラを納めると、展開されていた魔法陣は跡形もなく消え失せた。

 

 

 「──〈リプレイ/再生〉」

 

 説明書のとおりにアルベドがそう唱えると、写真の中の風景が動き出した。

 

 『一度ボタンを押すと録画が開始され──』

 

 写真の中のアルベドが説明書を読み、カメラの視界が揺れ、鈴木悟の『そんな馬鹿な』が聞こえた直後。

 

 誰も触れていないはずの写真が突然宙に舞い上がり、巻物(スクロール)を使った時のように一瞬で燃え尽きて塵も残さず消えた。

 

 

 呆気にとられていた鈴木悟だが、アルベドの視線を受けて我に返る。

 

 「……ふむ、写真は使い切りか。カメラの動力はなんだ?」

 

 「埋め込まれている魔石が半永久的に魔力を供給するため、カメラ自体に動力は必要ないようです。しかし写真一枚につきユグドラシル金貨が一枚、それに加えてナザリック内で殖える(POPする)魔物の皮、そして写真を動かすための魔力が必要とのことです」

 

 「大したコストではないな。ティトゥスには後で礼を言いに行くとしようか」

 

 「承知いたしました」

 

 

 アルベドは説明書を置いて一歩下がると、申し訳なさそうな表情をした。

 

 「──ところで、愚かにもモモンガ様の深遠なるお心を読み切れない私に一つ、質問をすることをお許し頂けますでしょうか?」

 

 「いいだろう。許可する」

 

 「ありがとうございます。──モモンガ様がこのカメラというものを作るよう命じられたことには、深い理由があると推察致しております。おそらくは資金面での問題解決に向けた案であるかと。であればそういった正攻法よりも──」

 

 その通りだと、鈴木悟は静かに頷く。

 ナザリックは今、鈴木悟が個人で貯めてきた金貨を使って動いている。支出ばかりで供給がなければじきに底をつき、ギルドの資金に手を出さなければならなくなる。ユグドラシル金貨へと替えることができる日本円は可及的速やかに、それも大量に必要なのだ。

 そのために、鈴木悟はナザリックで作ることができるものを外へ売りに出そうと考えていた。色々なものを試せば、何か良いものが見つかるかもしれない。アッシュールバニパルに依頼しているのは、ほとんどがそういったものだ。

 

 (……カメラとプロジェクターを見るに、どうもうまく行きそうにないけどな。ナザリックの外に持ち出したら、オーパーツ扱いされて大変なことになるだろうし)

 

 つまりはお蔵入りだ。商品にはならない。

 これとはまた別の日本円供給手段が必要だ。製造業に限らず、ダグザの大釜で出せる素材を使ったレストランなんかも良いかもしれない。料理長と副料理長の負担は考えものだが──。

 アルベドの話を聞きつつも思案に耽る鈴木悟。

 

 しかし、アルベドは心底純粋に不思議そうな顔をして、一つの疑問を口にする。

 

 「造幣機関に隠密能力に長けたシモベを送り込み、秘密裏に支配してしまえば良いのではないのでしょうか?」

 

 「………………は?」

 

 

 思考が完全に停止する鈴木悟。

 思わず『一体お前は何を言っているんだ』という視線をアルベドに向けてしまい、それに気づいたアルベドは慌てて頭を下げる。

 

 「申し訳ございません、出すぎたことを!」

 

 「……い、いや。あまりに発想が私とかけ離れていて驚いてしまっただけだ。リアルの常識に囚われていた私と全く違う切り口で思考するお前の意見は、とても面白い。一考には値するが──」

 

 鈴木悟の知識において、この国の紙幣を刷っているのは東京アーコロジー内の日本銀行だ。貨幣は大阪アーコロジーの造幣局だったか。

 ならばアルベドの言うことはつまり──

 

 「銀行強盗、それも相手は日銀か。……恐れを知らないというのは凄まじいな」

 

 恐る恐る鈴木悟の顔色を窺うアルベドに、手のサインで楽にするように指示する。

 

 アルベドの発想力は非常に優れたものだ。凝り固まった鈴木悟の頭では全く届かないアイデアが出せる。

 しかし、それは同時に命知らずとも言えるだろう。道を間違えないうちに正しておかなければならない。

 

 「──アルベド。今のこのナザリックで、最も短時間で広範囲を効果的に破壊することができる手段は何だ?」

 

 「ええと……、それはおそらく、世界級(ワールド)アイテムの真なる無(ギンヌンガガプ)かと存じます。破壊の定義にもよりますが、効果範囲内の対象を原形も残さず無に帰すことが可能かと」

 

 アルベドは突然別の話を振られたことに戸惑ったものの、すぐに自分の知識を参照して答えを導き出す。

 

 真なる無はアルベド所有の世界級アイテムであり、ユグドラシルで最も強力な対拠点兵器の一つだ。効果範囲はおよそ半径1キロメートルで、文字通り全てを更地にする。

 鈴木悟がモモンガの姿でなくなった以上、超位魔法を行使できる存在は今のナザリックにいない。であれば、真なる無が今のナザリックにおける最大瞬間火力になるだろう。

 

 「兵器のことについてはタブラさんのような人に聞くのが一番良いのだが、聞きかじった知識でも問題ないだろう。──リアルの世界には水素爆弾、または核兵器というものがあるのだが……アルベド、お前は知っているか?」

 

 「申し訳ございません、モモンガ様。そのようなものは寡聞にして存じ上げておりません。もし宜しければ、どのようなものなのかお教え頂けませんでしょうか?」

 

 水素爆弾の仕組みなど、元小卒サラリーマンの鈴木悟にはわからない。けれど二十二世紀の今、かつて広島と長崎に落とされた原子爆弾とは比較にならないほどの威力の爆弾がこの世界には存在していることは間違いないだろう。

 

 「ナザリックを三度消し飛ばしても足りぬであろう威力を持つ、人類最大の過ちにして最強の兵器だ。真なる無(ギンヌンガガプ)など足元にも及ばないそれが、このリアルには世界中に配備されている」

 

 「なっ!?まさか……そんな!」

 

 「冗談は言わん。だがもちろん、核は人類の最終兵器だから、簡単にボタンを押されることはない。しかし、それ以外にもお前の理解を超えた兵器がリアルには存在しているのは確かだ。もし万が一にでも発覚したらそういったものを敵に回すことになるようなことは、極力控えたい。それに──」

 

 どんどんと顔色が悪くなっていくアルベドに配慮して、鈴木悟は茶化すように笑う。

 

 「──タブラさんが帰ってきた時に、『外の世界からこっそりお金をかすめ取ってナザリックを運営してきました』なんて説明したくはないだろう?」

 

 「え……あっ!」

 

 アルベドはその表情を驚きに染めると、今までの思考を恥じるように俯いて片膝をついた。

 

 「……モモンガ様の仰る通りにございます。お恥ずかしながら私は、周辺を探索したプレアデスたちの報告のみに基づいて思考を巡らせておりました。あまつさえ、他の文明のおこぼれに与って生きながらえようなどという、誇り高きナザリックのシモベとしてあるまじき愚かな考えを……っ!」

 

 「気にせずともよい。お前はナザリックで生まれたのだ、リアルに疎いことくらい私は知っている。それに、アルベドのカルマ値を極悪に設定して、そのような思考を働かせるように仕向けたのは他ならぬタブラさんだ。──むしろ、物怖じせず意見をあげてくれたことを賞賛するべきだろう」

 

 「し、しかし──」

 

 アルベドがなおも叱責を求める声を上げる前に、鈴木悟は執務机を立つ。そしてカメラが入った箱を抱え、アルベドに笑いかけた。

 

 「では、今日一日私に付き従うことで贖いとせよ。せいぜいこき使わせてもらうぞ?」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ナザリック地下大墳墓第二階層。

 わずかな光も差さない暗黒の迷宮の最深部に、シャルティアの私室である死蝋玄室は存在する。

 

 鈴木悟はアルベドと共にシャルティアの部屋の前まで転移すると、部屋の前に立っていた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が、支配者の急な訪問に狼狽しつつも応対する。

 

 「も、モモンガ様っ!?……えっ、ええと……モモンガ様、アルベド様。死蝋玄室へようこそいらっしゃいました。シャルティア様にご用ですか?」

 

 「うむ。アポなしで悪いが、よければアルベド共々部屋に入れてくれないかと聞いてくれ」

 

 「かっ、かしこまりました。少々お待ちください」

 

 吸血鬼の花嫁が死蝋玄室に入っていってから、鈴木悟はアルベドに持たせたカメラを指す。箱からは取り出しているため、青白い魔法陣が展開された状態だ。

 

 「ぶくぶく茶釜さんには、シモベを使って私の手紙を届けるつもりだ。今回はそれに付随させる『動く写真』を撮影する。アウラとマーレ、そしてシャルティアを撮影するが、それを頼む」

 

 「承知いたしました、モモンガ様。──ところで、アウラとマーレがぶくぶく茶釜様の御手によって創造されたことは存じ上げておりますが、シャルティアはペロロンチーノ様が創造主ではございませんか?」

 

 「ん?……アルベドはぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんの間柄を知らないのか?」

 

 「はい。玉座の間を守護していた私に、至高の御方々のお話を聞く機会はそう多くございませんでしたので」

 

 そう言われて、鈴木悟は思い返す。

 よくよく考えれば、ユグドラシルをプレイしていた時に玉座の間を使う機会はあまりなかった。話し合いならば円卓があったし、第十階層を作った時はあくまで最終防衛地点としての機能しか考えていなかった。その機能も、ついぞお目見えすることなくユグドラシルは終わってしまったのだ。

 アルベドも寂しかったのだろうなと鈴木悟が思っていると、死蝋玄室の中からシャルティアの慌ただしそうな足音が聞こえてきた。鈴木悟を迎え入れる準備をしているのだろうか。もう少し話をする時間はありそうだ。

 

 「ぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんは、実の姉弟でな。特段仲が良いというわけではなかったが、悪いというわけでもなかったらしい。シャルティアとアウラの微妙な距離感は、二人に由来するものなのかもしれんな」

 

 「なんと、御二方はご姉弟であらせられたのですね!確かに言われて思い返してみれば、シャルティアとアウラの間には他の守護者たちとの間にはない特別な繋がりがあるように思えます。深く納得いたしました」

 

 「そうかそうか。──ぶくぶく茶釜さんがナザリックに戻れば、ペロロンチーノさんともじきに連絡がつくようになるだろう。というわけで、今回は一度に撮ってしまうことにしたわけだ」

 

 言い終わったところで死蝋玄室の扉が開き、シャルティアが現れる。いつものボールガウンに身を包み、一分の隙もなく完璧な装いだ。

 

 「モモンガ様をお迎えするのに相応しい準備を整えるまでにお時間がかかってしまいんしたこと、心からお詫びしんす」

 

 「気にせずともよい。突然押しかけた私に非がある。今後は予め来訪の予定を伝えてから行くことにしよう。──入っても構わないな?」

 

 「どうぞ、お入りになってくんなまし。アルベドの席も用意してありんすよ。──モモンガ様にお茶を用意しんす!早く!」

 

 死蝋玄室に入ると、シャルティアの声を受けた吸血鬼の花嫁が忙しなく動いている。

 急遽用意したのであろう応接用のソファセットの上座に鈴木悟が座ると、隣にアルベド、正面にシャルティアが座った。座ってすぐさま湯気の立った紅茶が運ばれてきて、クッキーなどのお茶菓子も置かれる。

 シャルティアが横目で吸血鬼の花嫁たちを睨むと、彼女達は鈴木悟に一礼して部屋から去っていった。

  

 「それでモモンガ様、本日はどのようなご用件でこちらに直々にいらっしゃったのでありんすか?」

 

 「うむ。では早速だが、ぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんの関係についてはシャルティアは知っているな?」

 

 「はい、確かに存じ上げていんす。私の創造主であるペロロンチーノ様とぶくぶく茶釜様はご姉弟の関係にあらせられるのでありんしょう?」

 

 「ならば話は早いな。今日の用件は二つ。まず一つ目は、ぶくぶく茶釜さんからペロロンチーノさんに渡してもらうための手紙を、お前に書いてもらうことだ」

 

 鈴木悟は、第九階層から持ってきた便箋をシャルティアに渡す。ナザリックのとギルドメンバー個人の紋章が印字されたもので、ギルドメンバーそれぞれの部屋に一つずつ設置されているものだ。

 そしてこれは、ペロロンチーノの部屋から持ってきたもの。彼の紋章が刻まれている。

 

 便箋を受け取ったシャルティアはその紋章に気づき、目を大きく見開く。

 

 「こ、これは……ペロロンチーノ様の!これを使ってペロロンチーノ様へお手紙を書くのでありんすか!?こんな大役を任されるのが、本当にわたしでよいのでありんしょうか!?」

 

 「ナザリックのシモベで最もペロロンチーノさんに近いのはシャルティア──お前だ。ならば当然お前に権利があるだろう。もちろん、私も一筆添えるつもりだがな。……あぁ、すまないが書き始める前に、もう一つの用件を済ませてしまいたい。手紙に付けて送る写真を撮って構わないか?手紙の方は十分に時間をとって書くべきだから、私がここにいると難しいだろう」

 

 「しょ、承知しんした。……写真──ということは、アルベドが持っているその奇怪なものがカメラというものでありんしょうか?ペロロンチーノ様のお話の中で出てきたことがあるものと、すこぉし違うような気がするでありんす」

 

 魔法陣が展開されているファンタジックなそれを見て、シャルティアは不思議そうに言う。

 

 (……そうか、やはり守護者たちはそれぞれリアルの知識量に差があるんだな)

 

 ユグドラシル時代、ペロロンチーノはシャルティアを溺愛していたと言っても過言ではない。鈴木悟に対してもしきりにシャルティアの造形美を語っていたし、その熱の入れようはアルベドとタブラ・スマラグディナの関係とは全く別物なのであろう。

 そうなれば、NPCの前でギルドメンバーが会話していたリアルについての話から得る知識にも、多寡の差があるのは当然となる。

 

 (名前付きのNPC、その中でも特に活動の多い守護者たちのリアルに関する知識は早めに統一しておく必要があるな)

 

 

 「モモンガ様、いかがなさいましたか?」

 

 黙考に入っていた鈴木悟を、アルベドが心配そうに見てきていた。

 

 「いや、なんでもない。──これはペロロンチーノさんが言っていたであろうリアルのカメラではなく、それを元にアッシュールバニパルが作り上げたカメラだからな。……そうだな。とりあえずは仮の名前として、『なんでも撮れるくん』と呼称しよう」 

 

 鈴木悟がそう定めると、シャルティアは反芻するようにその名前を繰り返す。

 

 「『なんでも撮れるくん』でありんすね。承知いたしんす。──して、私はどうしたらよいでありんしょうか?」

 

 「ペロロンチーノさんに向けた動画を撮影するから、そこに座ってカメラに視線を向けろ。アルベドの合図で撮影を開始するが、言いたいことをまとめる準備は必要か?」

 

 「言いたいこと……でありんすか?カメラというものは、現在を額縁の中に収めて時を止める機械なのではありんせんでありんすか?」

 

 「あぁ、言い忘れていたがこれはビデオカメラと言ってな。声も動きも撮影することができる。つまりは、ペロロンチーノさんにお前の動く姿を届けられるわけだ」

 

 「私の……声を、ペロロンチーノ様に……?」

 

 シャルティアは自分の喉に手を当てると、しばらく唖然としてカメラを見ていた。 

 そして脳がそれを理解したと同時に、シャルティアは悲鳴とも嬌声ともつかない声を上げる。

 

 「えっ、えぇっ……ひえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!??!」

 

 「シャルティア。驚く気持ちは分かるけれど、少し静かにしなさい。モモンガ様の御前よ」

 

 「で、でも……っ!これは、これはっ!」

 

 狼狽していたシャルティアだが、鈴木悟の視線を受けて少しずつ落ち着いていく。

 十秒も経てば、元の冷静さを取り戻した可憐なシャルティアがそこにいた。

 

 「……驚きに取り乱して、お見苦しいところをお見せ致しんした」

 

 「よい。想定外のことというのは、いつも驚きと混乱をもたらすものだ。──しかし、写真と動画ではそこまで違うか?」

 

 「ええ、全くの違う意味を持ちんす。ペロロンチーノ様は『すくりーんしょっと』というお力で私の姿を度々撮影なさっておられんしたので、写真には慣れていんすが……」

 

 シャルティアは両手の人差し指を合わせてモジモジと恥ずかしそうにして、顔を俯かせた。

 

 「……私の言葉を余すことなくペロロンチーノ様がお聞きになるとなれば、それは緊張するでありんす……。直接話すのとも違うわけでありんすし……」

 

 鈴木悟はシャルティアの表情から、本当に心から恥ずかしがっていることを察する。

 

 (突然押しかけて本人が嫌がってることを頼むなんて……、俺ってもしかして最悪な上司かもしれないな)

 

 リアルでの元上司の顔が頭に浮かび、胃が痛む。あぁいった人間と同じにはなりたくないものだ──そう考え、鈴木悟は努めて笑った。

 

 「そうかそうか。ならば無理をすることもない。動画の機能を使うのはなしにして、写真だけに──」

 

 「い、いえ!恥ずかしいでありんすけど、やれないわけではありんせん!やります!アルベド、撮ってくんなまし!」

 

 「ん?そうか?それで良いなら良いのだが……」

 

 シャルティアは一度立って姿勢を正すと、ゆっくりと再びソファに座る。深呼吸をして心の準備を終えると、柔らかな表情になった。

 アルベドはカメラを構えてファインダーを覗く。

 

 「シャルティア、準備は良いかしら?」

 

 「ええ、良いでありんす。もとより、次にペロロンチーノ様にお会いした時にお伝えしたい言葉なぞ常日頃から考えていんすから」

 

 「それじゃあ行くわね。……3、2、1──」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 シャルティアの撮影を終え、手紙を明日までに書き終えるよう伝えて死蝋玄室を出た。

 鈴木悟が去るまでは扉の前で頭を下げたままなのであろう吸血鬼の花嫁に配慮して、指輪の力を使って第六階層へ転移を行う。

 

 目の前が一瞬にして切り替わり転移が完了すると、先日も訪れた円形闘技場の中心にアルベドと鈴木悟は共に立っていた。

 しばらくその場で第六階層の守護者二人が現れるのを待つが、二人は姿を見せない。

 

 「アウラ、マーレ。モモンガ様がお越しよ!姿を見せなさい!」

 

 待ちかねたアルベドが観覧席の方へそう呼びかけようとも、声は返ってこなかった。

 

 「あー……、ここではなくジャングルの方に居るのかもしれんな。もしくは巨大樹か。そこまで移動するとしようかな。……な!」

 

 怒りからかアルベドの肩が震え始めたのを見て、鈴木悟は慌てて取りなした。

 

 そのまま急いで巨大樹の前へと転移して、樹の中に作られた二人の住居の扉をノックすると、すぐさま中からアウラが出てきた。

 ピリピリとしたアルベドの表情を見て悟ったのか、アウラはバツが悪そうに頭を下げる。

 

 「申しわけありません、モモンガ様。あちらは今留守にしていましたので、お手数をお掛けしたみたいで」

 

 「私は気にしない。そこまで懐が浅い男ではないからな」

 

 鈴木悟がアルベドをチラリと見て言うと、アルベドは渋々といったていで目を閉じた。

 

 「改めてモモンガ様、ようこそいらっしゃいました!本日はどのようなご用向きですか?」

 

 「茶釜さんに送る二人の写真を撮影しようと思っているのだが、マーレはいるか?」

 

 「ぶくぶく茶釜様に私たちの写真を!?──はい、いますよ!マーレ、そっちは置いといて早く出てきなさいって!モモンガ様がいらしてるんだからさぁ!」

 

 巨大樹の中から返事が聞こえ、マーレがわたわたと走ってくる。どうやら中で何かの作業をしていたようだ。

 

 「おっ、おまたせしました!も、モモンガ様!」

 

 「……ふむ。アウラよ、二人で何かしているのか?確か、お前達には私から指示を与えるようなことはまだしていなかったはずだが」

 

 息を切らせているマーレの代わりにアウラに訊ねると、得意げな顔で彼女は答える。

 

 「あっ、それはですね……!ぶくぶく茶釜様がご帰還なされた暁に、パーティをしようと思って準備をしているんです!私たちに料理のスキルはないのでご馳走は食堂にお願いするんですが、飾り付けくらいはできますから。とっちらかってて申し訳ありませんが、それでもよろしければどうぞお入りください!」

 

 アウラに先導されて巨大樹の中に入る。ユグドラシル時代にも入ったことのない中の空間は、外から見るよりもだいぶ広く感じられた。何らかの魔法が働いているに違いない。

 ログハウス風になっている室内は、天然らしき樹のいい香りが満ちている。ゲームの中では森林を歩いたとしても感じることが出来なかった新しい喜びだ。

 

 散らかっているとは言っていたものの、言う程でもなかった。室内のほとんどの飾り付けを終え、使った道具を片付ける作業に入っていたからかもしれない。

 

 「──さて、では早速撮影を始めたいところだが……写真とは言ってもその実、音や動きも収録できる動く写真──実質はビデオだ。すこしばかり、茶釜さんに伝えたいことを考えると良いだろう」

 

 「わかりました!」

 「しょ、承知しました、モモンガ様!」

 

 鈴木悟は立ち上がって窓際まで歩き、外の景色を眺める。

 第六階層は自然豊かな環境を再現するべく作られたフロアだ。夜の間は無数の星が煌めき、昼は燦々と輝く太陽と白い雲が目を楽しませてくれる。唯一雨だけは降らないが、それはマーレが魔法を使って降らせているため、ジャングルの植物にも問題はないらしい。

 

 現実よりも遥かに美しい偽物が、ここにはある。

 ビデオに録画することを楽しそうに話し合うダークエルフの双子を背に、彼女がこのナザリックに再び戻ってきてくれることを鈴木悟は切に願った。


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