「風海さん、お疲れ様でしたー。今日はこれで終わりになりまーす」
「ありがとうございましたー」
「また明日もよろしくお願いしますねー」
「はい、わかりました。また明日」
スタジオのスタッフから気のない挨拶をもらい、適当な言葉を返す。出来の悪い愛想笑いも添えて。
扉を後ろ手で閉める。
誰もいない長い廊下を、遠く向こうの出口までLEDライトが煌々と照らしていた。光に目がくらみ、壁にもたれかかる。
──アニメとゲームと映画の吹き替え仕事に加えて、バラエティ番組のナレーションやラジオなど怒涛の仕事量をこのひと月でこなしてきて、ついに今日で二十連勤になった。
アーコロジーの高度な医療処置により、それでも声が枯れることはない。処方された錠剤を飲めば一晩で疲労も消える。けれど、心の疲れだけは取れることがなかった。
(疲れた……。部屋帰って寝よう……)
明るさに慣れ、廊下を歩き始める。心を置いて体がひとり歩きしているような気がした。
薄ら笑いを浮かべていることを自覚しつつ、足を引き摺るようにして歩く。
この先困らないだけの金はある。何事もなければ普通に一生を送れる金額を、数年で稼ぎ切ったのだ。働く理由はもはや金にない。けれど、今もこうして声優を続けているのは、惰性と義務感だけが理由だ。
いっそ体が壊れてくれれば働くのを止められるかもしれないのにな、などと思ったりもした。
部屋に帰り、メイクを適当に洗い落としてからベッドに身を投げる。
端末を掛けて重要な用件の連絡がないことを確認して目を閉じた。重い体がベッドにどこまでも沈んでいくような感覚がした。
そのまま意識を投げ出しそうになって、何かが聞こえることに気づいた。
『──……がまさま……えてます……?』
誰かの声が聞こえる。元気な少女の声。
隣の部屋で子供が騒いでいるのかと思い、掛け布団を頭から被って音をシャットアウトする。
それでもなお聞こえてくる快活とした声に若干の苛立ちを覚えつつ、私は思い出した。
声優稼業のために用意されたこの部屋は、完全防音だ。例え隣で改装工事をしていようと一切、音も振動も通さないという触れ込みだった。
テレビもつけていないし、窓も閉じてある。
ならば──この声はどこから聞こえてくる?
(……まさか、幽霊!?怨霊!?)
年甲斐なく布団を跳ね除けてベッドから飛び起き、明かりを付ける。
金縛りになっていなかったことにホッとしつつ音の源を探ると、それはすぐに見つかった。
ベッドの脇に置かれた小さな机の上、一枚の写真が置いてある。その写真の中から聞こえてくるのだ。
寝る前に置いてあったかは思い出せないが、私は間違いなく置いていない。
(……えっ、どういうこと!?やっぱり怪奇現象!?)
怪しげな写真との距離を取りつつ、手にしようかしまいかを悩んでいると、写真の中の声が、ある聞き慣れた名前を呼んだ。
『ぶくぶく茶釜様、聞こえていらっしゃいますかー?……アルベド、ほんとにこれで大丈夫なの?私の声届くの?』
『ええ、問題ないわ。私とモモンガ様でテスト済みよ。マーレも早く何か発言なさい』
そのままの姿勢で固まり、『ぶくぶく茶釜』という名前を反芻する。それが何を指すのかを完全に思い出すまで、たっぷり三秒かかった。数ある私の名前のうちの一つであり、つい先日サービスを終えたオンラインゲーム・ユグドラシルのキャラクター名だ。
同時に、『マーレ』『モモンガ』という名前にも覚えがある。マーレは私がユグドラシルで制作した階層守護者のNPC、モモンガはギルド長の彼のキャラクター名だ。
『アルベド』にも心当たりはある。ナザリックを去る直前に玉座の間に訪れた時の私を、慈愛に満ちた微笑みで見つめていた彼女のことだったと思う。
恐れよりも好奇心が勝り、ついに写真を手に取る。
写っていたのは、紛れもなく『マーレ』と『アウラ』。その二人がなんと、写真の中でそわそわと落ち着きなさげに体を揺らしながらソファに座っていた。
(……写真の風景が動いてる!?声も、音も聞こえる……!?)
私の知らない革新的技術の賜物なのか、それとも夢を見ているのか。どこかから投影しているわけでもなさそうだし、裏返してみてもただの写真用光沢紙にしか見えない。
驚きつつも写真の中の二人を見つめていると、新たな声が入ってくる。
『えっ……えっとぉ……。ぶくぶく茶釜さま、きっと……これをご覧になっているのは夜だとおもいます……こっ、こんばんは!』
オドオドした様子の『マーレ』が、写真越しの私に向かって深く頭を下げた。
そこで私は、『マーレ』の口が発音に合わせて動いていることにも気づいた。
(最終日に来なかった私に、モモンガさんが頑張って作ってくれたのかな……?)
一瞬考えてから即座に、そんな訳が無いと断定する。ゲーム内ではキャラクターのNPCの表情は数種類しか設定できず、会話に合わせて口元を動かすことはできなかったはずだ。
だいいち、こんなオーバーテクノロジーの写真を、ただのサラリーマンであるはずのモモンガさんが作れるとは思えない。ファンレターの形式ですらないものが、私の部屋──それも時によって移り住むホテルの一室に置いてある意味もわからない。
私は考えることを放棄して、とりあえず写真の中の二人を観察する。
『──えーっと、ぶくぶく茶釜様は私たちをご創造されてから、私たちにいっぱいの愛情をもって接してくださいました。私たちはそのご恩を、ぶくぶく茶釜様がナザリックからお離れになられてから今まで、ずっと忘れておりません!』
『ぼっ、……ぼくもです!……ぶくぶく茶釜さまのお膝の上に乗せていただいたこと、……忘れたりなんかしてっ、してませんっ!』
『茶釜さんの……スライムの膝?一体どこなんだそれは……』
食い気味に私への想いを語る二人の裏で、モモンガさんのツッコミが聞こえた。
彼も声を入れているのか──、などと思った直後に、耳を疑う言葉を聞いた。
『ぶくぶく茶釜様のお体の、真ん中よりちょっと下のくぼんでるところの辺りですよ!モモンガ様!』
襲いかかる猛烈な疑問符。プレイヤーであるモモンガさんの言葉に、NPCであるアウラが反応して言葉を発したのだ。
アウラのボイスは、ユグドラシルの拡張パックに収録されていた無数の声優のボイスから選択されたものだ。簡単な挨拶と戦闘時の声、魔法を放つ台詞以外は搭載していないはず。
ただ普通に話すだけでも理解から程遠いのに、プレイヤーと会話が成立するなど、声優である私が認められるわけがない。
ありえない、絶対にあるわけがない技術。人工知能でも説明出来ない、物理的論理を超えた現実に目がくらんだ。
そんな私を置いて、写真の中のアウラは言葉を続ける。
『私たちのいるナザリックにかつてない大異変が起きて、ぶくぶく茶釜様のいらっしゃるリアルの世界と繋がったみたいなんです』
『そっ、……そうです!なのでぼくたちはいま、モモンガ様の指示のもと、ななっ、なんとかして……ぶくぶく茶釜さまを始めとした至高の御方々と、連絡をつけられるようにがんばっている最中なんですっ……!』
わけがわからない。
最初から理解を超えてはいたが、ここまでくるともう頭がパンクしそうになる。
ナザリックがリアルと繋がった?
ゲームが現実になってしまうという内容の作品に声をあてることは何度かあった。けど、それは当然フィクションの世界であって夢物語だ。
しかしそう言って笑い飛ばすのは、もはや簡単なことではない。こうして現実にありえない、認められないものが私の手の中にあるわけだから。
「モモンガ様の指示のもと」というならば、ギルド長の彼は今この二人と共にナザリック地下大墳墓にいるのだろうか。
にわかには信じ難いけれど、そういうことなのだろうか。
『ぶくぶく茶釜様!……この声をお聞きになっていらっしゃるのであれば、私たちの願いを、どうか聞いてもらえないでしょうか!』
『ぼっ、ぼくたちに……もう一度、ぶくぶく茶釜さまのやさしいお声を、……き、聞かせてくださいっ!おお、おっ、お願い……しますっ!』
写真の中の二人からは、私に対する熱い想いが溢れんばかりに伝わってくる。
そんな自分に、『ぶくぶく茶釜』に、本当に、心から──。
嫌悪感しか出てこない。
仮にだ。
仮にユグドラシルの中のナザリックが、現実のこの世界に現れたとしよう。そしてギルド長のモモンガさんの主導で、元ギルドメンバーを集めるべくNPCが東奔西走していたとしよう。
そこに、私の戻る場所はない。
写真の中で私に対して「もう一度声を聞かせてほしい」と言う、その二人を嫌って私はユグドラシルから遠のいたのだ。
感情のないデータの塊を相手に一人で勝手に期待して傷ついて、それで私はナザリックから去った。
キャラクターに命を吹き込む仕事をしているというのに、私は私の手で創り出した二人を愛さなかった。
ユグドラシル最終日にモモンガさんの呼びかけに応じなかったのもそうだ。
そんな私が再びあの地に戻っていいのか、あの二人に顔向けできるのか。そう考えて躊躇したのに他ならないのに。
愛さなかったことは、命を与えなかったことと同じなのに。
『……モモンガ様からは、ぶくぶく茶釜様にもリアルでの暮らしがあるので、あまり強要しないようにと言われてます。……ナザリックにお戻りになられるのが難しいようでしたら、もう一度だけ──もう一度だけでも構わないんです……!』
『ぼくたちに……なっ、なにか……ひ、ひと言だけでもお言葉を……!』
(何で、あなた達はそこまで私を慕ってくれるの?私はあなた達を捨てたのに……)
『……もし、もしも私たちが再びぶくぶく茶釜様にお会いすることを許していただけるのであれば──、窓を開いてベランダに出られてください。すぐにお迎えに上がりますから!パーティの準備もしてあります!』
『だっ、だめなようであれば……、このことはぜんぶ、ぜんぶ忘れてください……。ぼぼっ、ぼくたちも……あきらめます……うぅ……』
マーレは涙声まじりに悲しそうな表情を見せる。そんなマーレをアウラが引っ張って立たせると、揃って深く礼をして──顔を上げると、二人とも涙を流しながら笑っていた。
「……アウラ!マーレ!」
思わず二人の名前を呼んだ瞬間、手のひらから写真がひとりでに舞い上がる。つかみ取ろうと手を伸ばすが、二人が写った写真は瞬時に空中で燃え尽きると、後には灰も残らなかった。
虚空に手を伸ばしたまま、写真が燃え尽きた場所を見つめていた私は、はっと我に返ると写真が置かれていた机の上に目を向ける。
便箋が二通、置いてあった。『ぶくぶく茶釜』の紋章が描かれたものが一つ、弟である『ペロロンチーノ』の紋章が描かれたものが一つ。
私の方の便箋を手に取り、丁寧な蝋封を急いで切る。中に入っていたのは一枚の手紙。ギルド長・モモンガさんからのものだった。
書かれていたのは、ユグドラシル終了日、ナザリックがリアルと繋がってしまったこと。
NPCたちが自我を持って動き始めたこと。
元ギルドメンバーを集めるために日夜情報収集に勤しんでいること。
ご飯がとてもおいしいこと。
私がナザリックに戻ることができなくても、可能ならば弟にもう一つの便箋を渡してほしいということ。
そして──、アウラとマーレの二人が私にとても会いたがっているということ。
最後まで読み終えて、私は確信した。
私は確かに、二人に多くの愛を注がなかった。けれど彼が私の代わりに二人を、そしてナザリックを守り、育ててくれていたのだということを。
私は二人に命を与えることはできなかった。しかし彼が、その役目を果たしてくれたのだということを。
彼には礼を言わないと。
正直、ナザリックが現実になってしまったという話は未だ半信半疑だ。
だが、真実だとするなら──。
命のない人形ではなく、しっかりと愛されて命を受けたアウラとマーレが、私の帰りを待ってくれているのなら──。
手紙を置いて窓を開く。
ここはホテルの五階の個室、当然ベランダには誰もいない。風が吹き付けてきて、夢うつつな頭を冷やしていく。
誰の気配もない。聞こえるのは、眠らない街の息遣いと風の音だけ。
しばらくぼんやりと立っていた私は、すこしだけ落胆して肩を落とした。
黒い空を見上げる。夜空に瞬く星は空想の世界だけのもので、月さえもはや消えかけるほどに薄い光を放つだけの、アーコロジーの夢のない空。
ふと、その月に何かが映ったような気がした。一瞬だけの、鳥のような──鳥にしては大きな影。
足を踏み出し、手すりに近づく。
瞬間、注意していなければ聞き逃してしまうほど遥か遠くから聞こえた、慟哭にも似た絶叫。
──《深き森の大ばね仕掛け/ウッドランド・ストライド》ぉぉぉぉっ!
(……えっ?)
足下が盛り上がり、体が傾くのを感じた私は──。
次の瞬間、猛烈な速度で空を飛んでいた。
「ええぇぇぇぇぇぇっ!??!」
あっこれ死んだな──などと思いつつ、速度のせいで暴れることもできずアーコロジーの空をミサイルと化して飛ぶ。
「《飛行/フライ》っ!」
最高高度に達した直後に、ふわりと体が浮いて速度から解放されるのを感じ、そのすぐ後に背中が床のような硬いものについたことに気づいて私は目を開いた。
「……アウラ、マーレ?」
寝転がっていた私を左右から覗き込むように、私が創った二人の階層守護者が、今にも泣き出しそうな顔で見つめていた。
「……ぶくぶく茶釜様ぁぁぁっ!」
「ぶくぶく茶釜さま……うわぁぁぁんっ!」
私の名前を呼ぶと同時に、抱きついて大泣きを始める二人。私は不思議な気持ちに包まれつつ、その小さなふたつの背中に手をのせた。
「おまたせ、ふたりとも。……ただいま」
◇◇◇
不可知化したドラゴンの背に跨った私は、前にマーレを抱き、後ろにアウラをしがみつかせて空を駆っていた。
高所恐怖症でなかったのが幸いして、なんとか体のバランスを保ちつつ夜の空を神奈川地区方面へ飛ぶ。
「ぶくぶく茶釜様の人間としてのお姿、とっても素敵です!」
「そう?さっきメイク外しちゃったから、パッとしない顔になってると思うんだけど……」
「そ、そそそっそんなことないです、ぶくぶく茶釜さま!……ぼくを抱きしめていただける腕の感触とか、元のお姿にはない、素敵な感じだと……思いますっ!」
「あっ、マーレ前に座ってるからってずるい!……ぶくぶく茶釜様、ナザリックに帰ったら私のことも抱きしめてもらえると……」
「うん、もちろんいいよ」
顔については触れないのかー、とマーレの正直な部分に少しだけ笑う。
それとも、ダークエルフの二人にとっては人間の美醜はどうでもいいものなのか。
声優として表舞台に出る以上、私も一定基準以上の美しさは備えている。世間で言えば、上の中程度。けどそれは完璧にメイクをした上でのものだ。
ナザリックに行ったらギルドメンバーに会う前に万全にしておかないと──、と思いつつ二人に尋ねる。
「モモンガさんはナザリックにいるって話だったけど、他に誰かいるのかな?」
「あー、……いいえ。ぶくぶく茶釜様が、モモンガ様以外では最初のご帰還です」
「そうなんだー。ちょっと寂しいね」
「でっ、でも、ぶくぶく茶釜さまがお戻りになられてきっと活気が戻りますよ!……ここ、これからはいつでも、至高の御方がお二人になりますし……」
「こら、マーレ!まだぶくぶく茶釜様のご意向を聞いてないでしょ!」
はっとして振り返るマーレに、私は苦笑いを返さざるをえない。
「ごめんね。マーレ、アウラ。私はやることがまだある。ナザリックで生きるわけにはいかないんだ。私の声が入るのを待ってるキャラクターが、まだ何人もいるから」
マーレはその言葉に視線を落とし、アーコロジーの街並みを見下ろす。
アウラも顔は見えないが、少なからずショックを受けてくれているのだろうか。
すると、そのアウラが思い出したとばかりに嬉しそうな声を上げた。
「あっ、でもそれ知ってますよ!あの……『プリティシアーハート』っていう女の子!」
「ぷ、『プリティスターハート』だよ、おねえちゃん……」
「えっ、二人とも私が出てるアニメのこと知ってるの?」
ユグドラシルで生まれ育った二人が、現実世界のアニメの事を知るはずがない。そう思っていたが、それは間違いだったようだと気づく。
「はい、存じ上げています!モモンガ様がナザリックの玉座の間にシモベたちを集めて、上映会をなさいましたから!」
「……ほんとに?モモンガさんやってくれちゃってるなぁ……」
子供向けではない暴力描写の多い作品を二人が鑑賞したという事実に、モモンガさんに少し灸を据えてやらないとな──と考えたことで、私は気づく。
(……私まだ、この子たちのお姉さんやれるかもしれない)
お腹と背中の二人の感触を、愛おしく思う自分がいた。
前向きになってマーレを少しだけ強く抱き、アウラもしっかりとしがみつかせる。
「……ちょっと寄り道お願い!モモンガさんからの頼まれごとを済ませちゃわないと!」
◇◇◇
マーレの魔法で風の流れを操り、ドラゴンの全速力で実家に飛んでポストにモモンガさんからの便箋を投げ込んだあと、ドラゴンは神奈川地区の外れにある廃都市に降り立った。
着陸前にアウラが周囲の生命探知と空気を清浄化するスキルを使ったため、周囲の安全は確保されている。
ドラゴンが着地した時にはそれなりの振動と音が響いたが、探知の通りに誰ひとりとして人はいなかった。
私も二人とドラゴンに続いて、入口の壊れた大きめの建物に入る。元は劇場だったようで、最後に上映したらしい『吸血鬼の伝説』という演劇のポスターがそのまま飾ってあった。
私たちの進む道だけ綺麗に埃が払われているのは、掃除をしたからだろうか。二人の背中を追いつつ建物の一番奥まで歩いて進み、第六劇場と書かれている部屋に入る。
──客席には無数の大きな瓦礫が突き立っていた。天井の抜けた舞台の上だけを、月明かりではない不思議な光が空から照らしている。
そこには、優雅にお茶を嗜む人影が一つ。
殺風景な場に似つかわしくない、ヨーロッパの貴族の庭に置いてありそうな高級そうなティーテーブルにチェア。
それに浅く腰掛けている黒いボールガウンの彼女は──シャルティア・ブラッドフォールン。弟が創り出したナザリックの階層守護者だ。
光が塵に反射して、神々しいまでの煌めきを彼女に与えていた。
「ただいま、シャルティア。ぶくぶく茶釜様をお連れしたから、入口を開いてちょうだい」
「おや、ちび──アウラ、マーレ。モモンガ様のご想定よりも少しばかり遅い帰還でありんすね」
シャルティアはティーカップを置き、舞台からふわりと飛び降りて私の前に跪く。
「お久しぶりでありんす、ぶくぶく茶釜様。お戻りになられんしたことを、心より感謝申し上げんしょう。──されどこのような場所は、御身が長居するに相応しくありんせん。《異界門/ゲート》」
シャルティアがそう唱えると、舞台の上に二メートルほどの高さの漆黒が口を開く。
ユグドラシルのゲーム中の移動用転移魔法、《異界門/ゲート》と同じだ。
ドラゴンに乗ってここまで来た時点で、もう何にも驚く気にはならなかった。
「モモンガ様がナザリックでお待ちでありんす」
「ありがとう、シャルティアちゃん。……ちゃん付けで呼んでもいいよね?」
「もちろん、ぶくぶく茶釜様がお望みになられるままご自由にお呼び下さって構いんせんでありんす」
「わかったよ。──さっき、弟にモモンガさんから預かった手紙を届けてきた。あいつならきっとシャルティアちゃんに会いに来たがるだろうし、早く届けた方がいいと思ったから」
そうシャルティアに言うと、ふわっと花開くようにその顔に紅が差す。
「ペロロンチーノ様にあの手紙を……!寛大なるご配慮に、感謝の言葉もありんせん!」
再び膝をついて頭を下げるシャルティアに、私は苦笑しつつお願いをする。
「その代わりになんだけどさ、……シャルティアちゃんってコスメ持ってない?私お化粧さっき落としちゃってさ……。貸してくれるとありがたいなーって」
アウラとマーレの住む第六層の住居にも、二人が使えるような化粧道具は設置してある。けど、それは浅黒い肌の二人のためのもので統一されているので、私には合わないだろう。それなら、シャルティアの持っているはずのものの方が良いにちがいない。
「もちろん、乙女の嗜みとしてペロロンチーノ様より立派な化粧台を授かってありんす。……ですが、私のはアンデッドの青白い肌でこそ映えるようなものばかり。アルベドか、もしくはプレアデスのナーベラルが持っているものの方が、ぶくぶく茶釜様のご尊顔には馴染むかと存じんす。話を通して、すぐにお貸しできるようにしておきんしょう」
「やった!シャルティアちゃん助かるぅ!」
私に頼られたのが嬉しいのか、得意げな表情を見せるシャルティア。
それに憎らしげな視線を向けるアウラに気づき、私は咳払いをして咄嗟の笑い声で誤魔化した。
「……さ、帰ろっか!」
◇◇◇
円卓の間へ続く扉は、視点の低いスライムの姿だったゲーム中よりも、少しだけ小さく感じられる。
今の私にとっては重いであろう扉に両手をついてゆっくりと押し開こうとすると、それはまるで私の帰りを待っていたかのようにすんなりと開いた。
正面のギルド長の席には、優しげな顔つきをした三十歳ほどの男性が一人。あとは他に誰もいない。
広い部屋の中、ぽつんと佇んでいる彼は、あまりにも寂しそうに見えた。
「お久しぶりです、それと初めまして、茶釜さん。アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガです」
「えーっと、……初めまして。ぶくぶく茶釜です」
「お仕事ですごく忙しいでしょうに、夜遅くにわざわざ来てくださってありがとうございます」
かつて私が座っていた席は、モモンガさんの左六つ隣。アインズ・ウール・ゴウンの前身である
席に座り、モモンガさんと私しかいない円卓を眺める。
(この円卓って、こんなに静かだったっけなぁ……)
見渡してもここまで誰もいない円卓は、私にとって初めて見る光景だった。
ここまで寂しい中、目の前の彼は最後までナザリックに残っていたのか。
「いえいえ。最近は少し落ち着いてきて、多少夜更かししても大丈夫なスケジュールを組めるようになってきましたから。モモンガさんは、実生活どうなさってるんですか?」
「あー、……それなんですけどね。ついこの間まで勤めていた会社、アルベドに辞めさせられちゃったんですよ」
「ひょえっ……!」
まずいことを聞いてしまったかなと顔色を窺うも、モモンガさんの表情は明るいように見える。それどころか、むしろ吹っ切れたような楽しさを放っていた。
「『尊き御身があんなにも汚れた世界で汗水たらして働く必要はございません』って、もう一週間ほど前に辞表を郵送されちゃいまして。それに気づいたのが一昨日ですよ。……まぁ、ここでの暮らしは前よりもずっと快適ですし、ちゃんと八時間眠れておいしいご飯を食べれる素敵な毎日を送ってます」
そこまで笑いながら話してから、モモンガさんは私を気遣って安心するように言った。
「私以外のギルドメンバーが帰ってきてもナザリックに縛り付けることはしないようにNPCには強く言い含めてありますから、気を緩めてください。──一応聞いておきますけど、ナザリックで暮らすことはできませんよね?」
「……ごめんなさい」
一言だけそう言うと、モモンガさんはほんの少しだけ寂しそうな横顔を見せた。
「茶釜さんは有名人ですからね。居なくなってもすぐに代わりが見つかるような私とは違います。謝らないでください」
「そんなこと──!」
ないです、と言おうとして言葉につまる。彼の言葉は、自己分析に基づく真実だ。礼儀で否定しても、何も良いことはない。
この二十二世紀、単純労働のサラリーマンは使い捨ての歯車扱い。そんなこと、物心ついたばかりの子どもですら知っている。
唇を噛んで、私は精一杯に笑った。
「──モモンガさんには、ナザリックの総支配者っていう天職が見つかりましたよね。これは、この世界の誰にも代わることが出来ない、他のギルドメンバーにも務まらない大役ですよ!自信を持って!」
「……うーん。自分では、シモベたちに振り回されつつただ執務室に座ってるだけみたいな役割だと思うんですが……」
「それでも、ユグドラシルのゲームが終わって、ナザリックがこっちに来ちゃってからもう一ヶ月近く経ってるんでしょ?その間あのくせ者揃いのNPCのみんなをまとめていられたのは、モモンガさんのおかげだよ」
そうですかね、と彼は照れながら笑う。
ゲーム中ではアバター越しだった彼の素顔の照れ笑いは、とても可愛らしく見えた。
「茶釜さん、いつもの調子に戻ってきましたね」
「ん?そうかな?……直接会うのは初めてだし、久しぶりだったから緊張しちゃってたのかも。そーいやモモンガさんにはタメ語で話してたよねぇ、私」
「はい。今後も茶釜さんの楽なように話してもらって構いませんよ。NPCたちはものすごい畏まった敬語を使ってくるので、茶釜さんみたいにフランクに話してくれる人がいると心が休まります」
彼に会う前に顔を合わせたアルベド、ナーベラル・ガンマ、それにシャルティアやアウラ、マーレの言葉遣いを思い出す。
確かに、ああいった対応ばかりされていては気疲れしてしまうだろう。良い意味で、モモンガさんは庶民的感覚を保っているのだ。
ナザリックのNPCの顔を思い返したところで、私は彼に言いたかったことを言おうと思い立った。
「……モモンガさん、ナザリックを守って、愛していてくれてありがとう」
「いえいえ。ギルド長として、ギルメンの皆さんが帰ってくる場所を維持するのは当然のことですから」
彼は笑いながら、それが何でもないことのように言う。けれど私の感覚が正しければ、年々減っていくメンバーを見送りつつ最後の最後までギルドを背負い続けた彼の行いは、そんな『ギルド長として当然』という簡単な言葉で済ませていいものではない。
寂しかっただろうに、辛かっただろうに。
真っ先に引退し、一時はユグドラシルのことを頭から忘れていた私に、彼のその言葉は強く響いた。
「──私さ、信じてるんだ。たくさんの愛をそそがれたキャラクターには、命が宿るんだって」
「声優の茶釜さんらしいですね」
モモンガさんはそれきり、微笑みを浮かべながら私の言葉の続きを待っている。つくづく空気を読むのが上手い人だ。
「……ナザリックが今こうして現実のものになっているのは、きっとモモンガさんのおかげだよ。ギルド長のモモンガさんが、引退した私とか他の人のぶんもナザリックを愛してくれたから、NPCのみんなに命が宿ったのさ」
アウラとマーレにも──。
ひどくメルヘンチックな考え方だとわかってはいるが、それでもこれ以外に理由は思いつかない。
私は席を立ち、モモンガさんの側まで歩く。
「私はここで暮らすことは出来ないけど、休みが取れるたびに遊びにくる。アウラとマーレに会いに来るよ。──ありがとう、モモンガさん」
「それなら、二人も喜ぶと思います……って
私はモモンガさんの両頬をつまんで引っ張った。ぐぅーっと伸ばしてから、パッと手を離す。
「はい。感動的な話は終わり。──モモンガさん、あの子達に『プリティスターハート』観せたんだって?」
「……あー、はい。円盤を買ってこさせました……。ダメでした?」
「ダメもなにも、私の出てる作品なんて、無数とは言わないまでもたくさんあるじゃん!なんでアレ選んだのさ!
「そこまで考えてなかったです!ごめんなさい!あっ、いてっ!」
ポカポカとモモンガさんを叩いていると、なんだか不思議と楽しい気分になってくる。
モモンガさんも同じようで、「いたいいたい」と騒ぎつつも楽しそうな笑顔を浮かべていた。
三十路を過ぎたいい大人同士、ひとしきり大人気なくはしゃいだ後で、モモンガさんは背後のギルド武器──スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取る。
ちょいちょいと操作してコンソールを二、三個出すと、残念そうな顔で私に尋ねてきた。
「……っと、もう夜中の三時です。私は大丈夫ですけど、茶釜さんはもうそろそろお休みになられた方がいいですかね?」
「いや大丈夫。明日は午後からだし、なんか疲れも吹き飛んだ感じがするから。もうしばらくナザリックにいたいな」
「──それなら第六階層に行きますか?二人ともパーティの準備をしてるって言ってましたよ!」
「あ、そんなこと写真で言ってたね。でも今行くーって言ってすぐに整うのかな?」
「多分大丈夫ですよ。食事は時間を止めて保存してあるらしいですし、運べばすぐにできるでしょう」
時間を止めて保存という言葉に、今さらながらなんでもありなのだなと思い知らされる。
「ナザリックのご馳走は、外の世界とは比べ物にならないほど美味しいですよ!なにせ本物の魚とか牛肉とか使ってますから。アーコロジーで生活してた茶釜さんのお口に合えば嬉しいです」
モモンガさんはベルを鳴らして外に控えていたメイド──記憶が正しければ、確か種族はホムンクルスのはずだ──を呼ぶと、アウラとマーレに準備をしろと伝えるように言った。
貫禄のある支配者ロールを身につけている彼に思わず笑ってしまいそうになりつつも、私はその『ご馳走』に思いをはせた。
◇◇◇
「ぶくぶく茶釜様、おかえりなさいませ!」
「おっ、おお、……おかえりなさいませっ!どど、どうぞこちらへっ!」
巨大樹の前で、私の創った二人の守護者がぺこりとお辞儀をする。二人にリードされて私とモモンガさんが巨大樹の中に入ると、揃っていた全員が姿勢よく起立して出迎えてくれた。
「第一から第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンがぶくぶく茶釜様にご挨拶を申し上げんす。──よくぞ、お戻りになられんした。心より感謝致しんしょう」
さきほど転移をさせてくれたシャルティアが、スカートの端をつまんで礼をする。
相変わらずちょっと間違えた廓言葉に弟の影を感じる。
「第五階層守護者コキュートス。御身ガ再ビコノナザリックニ戻ラレタコト、大変嬉シク思ッテオリマス」
改めて見た彼の迫力には驚かされるけれど、その体の大きさのせいで身動きがとりにくくなっている様はどうも可愛らしい。
名前を思い出せずにいたが、名乗ってくれたことで思い出した。彼はコキュートスだ。
「第七階層守護者デミウルゴス。万事お変わりなく……とは申せませんが、ぶくぶく茶釜様がこうしてまた栄光あるナザリックの地に再び訪れられたことは、何にも代え難い歓びでございます。御身は『リアル』においても多忙の身と存じて上げておりますが、ここにおられる限りはどうぞ、存分にお寛ぎくださいませ」
眼鏡を掛けたスーツのオールバックはデミウルゴス。立板に水を流すような挨拶は、ナザリックの頭脳として作られたが故だろう。
その後ろでは、鋼鉄の如く頑丈そうな尻尾が子犬のようにブンブンと振られている。
「守護者統括、アルベド。ぶくぶく茶釜様のご息災をお喜び申し上げます」
アルベドはさきほどお化粧の関係で話をしたためか、簡潔な挨拶と共に私へ微笑んだ。それに私は小さく手を振って返す。
「──本日の給仕を担当させて頂きます、セバス・チャンでございます。この度は、ぶくぶく茶釜様のご帰還に心よりの感謝を申し上げます」
数名のホムンクルスメイドを従えて、あのたっち・みーさんが創ったセバスが礼をする。うっすらと彼の面影がなくもないのが面白い。
いつの間にかアウラとマーレの姿が見当たらなくなっていると思いきや、守護者の列が割れると、その後ろから大きなケーキを給仕ワゴンに載せた二人が現れた。
上に載っているチョコレートには、『おかえりなさいませ!ぶくぶく茶釜さま!』と描かれている。
「第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ!」
「お、同じく第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ!」
二人で「せーのっ」と声を合わせ、満面の笑顔で私の名前を呼んだ。
「「おかえりなさいませ!ぶくぶく茶釜さま!」」
◇◇◇◇
「おはようございまーす!」
「……風海さん、おはよ。もうお昼過ぎてるけどね」
「私はさっき起きたんですよ。だから、おはようございますって感じです!ほら、監督も元気出して!」
くたびれた顔の音響監督の肩をバシバシと叩いて、私は収録前の発声練習を始める。心なしか、声の通りがいい気がした。
「……風海さん、なんか今日ちょっと元気出すぎてない?変な薬でも飲んだ?」
「いえ全然?ただちょっと美味しいものを食べて、素敵な時間を過ごしてきたのかもしれませんねー!」
昨日とのあまりの変わりように収録スタッフが怪訝な顔をする中、私はアウラとマーレの顔を思い浮かべていた。
休暇は五日後。かなり無茶をして二連休を申請した。
苦い顔をしていたプロデューサーも、「断ったら夜逃げしますから!」という私の言葉に慌てつつ許可を出してくれた。
次は二人と一緒に第四階層の湖の畔へピクニックにでも行こうかなと考えたところで、気持ちを仕事に切り替える。
「よっし!準備オッケーです!……え?まだ機材が準備できてない?わかりました、待ってますよー!かぜっち、準備ばんたんですからねーっ!」
『ウッドランド・ストライド』の日本語名は想像です。
スキル名だとしたら日本語名はいらないのかもしれませんが、カッコイイ感じにしたかったのでつけました。
このお話の中でカットした、ぶくぶく茶釜様とアルベドとシャルティア、ナーベラルが死蝋玄室でわちゃわちゃする短編をFantiaに公開してます。タダです。
https://fantia.jp/fanclubs/3965